文学入門

2012年6月23日 (土)

(24.6.23) 文学入門 柴田翔 去れどわれらが日々 

     60年代の青春文学
                               ―柴田翔『されどわれらが日々』を読んで

                                                           河村 義人

 大江健三郎に『遅れてきた青年』という長編小説があるが、そのタイトルには「幼すぎて先の戦争に従軍できず、戦後に青年期を迎えた者」という意味合いが含まれている。学生時代、僕も時々自分が「遅れてきた青年」だと感じることがあった。遅れた、と感じたのは「先の戦争」に対してではない。60年安保、70年安保といった節目を持つ日本の学生運動に対して、である。時代を蔽うような共通体験。そういったものへの憧れがあった、と言ってもよい。しかし、幸か不幸か、80年代に青年期を迎えた僕らに、そんなものはなかった。

小説の時代背景
 この小説は、大雑把に言えば、60年安保闘争の頃を時代背景としている。もう少し正確に言うと、「1955年の日本共産党第6回全国協議会(「六全協)」で、共産党が現場の活動家を半ば置き去りにする形で大幅な路線変更を行った」(ウィキぺディア「日本の学生運動」より)頃である。当時、共産党の強い影響下にあった全学連(全日本学生自治会総連合)は、その決定を境に徐々に党と距離を置くようになり、やがては党から除名された学生たちを中心とするブント(新左翼共産主義者同盟)が全学連を牛耳ることになる。
 1960年の安保闘争においては、この全学連が運動の中心を担い、当時東大文学部の学生だった樺(かんば)美智子がデモに参加して死亡するという事件が起きた。

 作中の若者たちの姿
 そういう時代背景を持つからと言って、この小説の主人公は、学生運動の担い手たち、つまり政治青年たち、というわけではない。確かに活動家も何人か登場するが、彼らは単なる脇役にすぎない。主人公の研究者・大橋文夫やそのフィアンセの佐伯節子をはじめ、小説に描かれた若者の大半は、サークル活動、自由恋愛、研究生活などにいそしむ今も昔も変わりないごく普通の学生たちである。とりわけ主人公の大橋が語る学部時代の思い出話などを読むと、村上春樹の小説の登場人物かと錯覚するような性的に無節操な描写などもあり、いささかウンザリした。「最高学府の学生の生活がこれかいな」と。
 しかも、こう言っちゃ何だが、彼らが語る結婚観とか人生観というのは非常に観念的だ。結婚など未経験だから当然と言えば当然だが、それにしてもコムツカシイ表現をしたがる。「おじさんなら、そんな言い方はしないね」としばしば思ったものだ。たぶんもっと具体的に、やさしく話そうとするだろう。あんたら、コムツカシイ表現をふりまわして結婚や人生が分かったつもりでいるようだが、実際はそんなもんやないでえ。酸いも甘いも噛み分けた中年になったら、実感としてわかるだろうよ。あんたら「世間知」というかも知れんけど、と。
 主人公の大橋、ヒロインの節子、活動家だった佐野(後に自殺)、研究者の曾根や宮下、大橋の子を孕んだまま自殺した梶井優子、大学教授のFにその愛人だった横川和子、男性恐怖症の福原京子、活動家の野瀬……。本書に描かれた青春群像の中で魅力的な人物を選び出すのは難しい。強いて言えば、思慮深く知的な印象のヒロイン・節子くらいなものか。

 最も重要な場面
 ところで、この小説の中でもっとも重要な場面は、どこだろう?おそらくそれは幼き日の大橋文夫と佐伯節子が病院でもある大橋の家で積み木遊びをする場面だろう。自分の塔を壊すまいとして節子に向かって「馬鹿!」と怒鳴る文夫。節子がそこに見たものは文夫のエゴイズムに他ならず、それは身勝手な告白をする大人になった文夫の姿に重なるものだった。そんな話を聞かされたところで、「まあ、この人は何て正直な人なんだろう!ステキ……」なんて思う恋人がいるはずがない。興ざめして去っていくのがオチだろう(実際、そうなっている)。文夫は、それこそ「馬鹿」な告白をしたものだ。

 別れた理由
 節子は手紙によって大橋と別れる理由をあれこれと説明しようとし、大橋は大橋で自分のプライドを傷つけない程度に節子が取った行動に理解と同情を示す。まあ、お互いウソはなしにしよう。節子の方は、「イヤだからイヤ!」、それでいいではないか。屁理屈などこねる必要はない。生理的嫌悪感がマックスだ、と言えばいいのである。大橋の方も「何だあんなヤツ、エラくなって見返してやる!」くらいに思っていればいいのだ。偽善者ぶるのはやめよ。もともとお前のエゴイズムが別離の原因なんだから。尊大に行くなら、とことん尊大に行け。相手を思いやるなら、とことん思いやれ。中途半端は良くないぞ……。とまあ、おじさんは、つらつらそんなことを思ったしだいである。

 本書は、60年代、70年代と長い間若者のバイブルだったそうである。筆者の学生時代でもこの小説を読書会のテキストに選ぶクラスメートがいた。しかし、今でもこれがバイブルだという人はほとんどいないだろう。若き日に本書を愛読した人でも、年を経て再読する時、「何だこれ!」と幻滅を覚えるに違いない。なぜか。その理由は、そこに描かれているのが、世間知らずで頭でっかちの若者の姿だからだ。学生運動の嵐が吹き荒れた時代の記念碑的作品。本書をそんなふうに呼ぶことは可能だろう。しかし、その「記念碑」は、もしかすると恥部に似て結構コッパズカシイ「記念碑」なのかも知れない。(了)

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2011年6月18日 (土)

(23.6.18) 文学入門 山口仲美 日本語の歴史

                          2011.6.15
  
   ポピュラーな「日本語」史
                       ―山口仲美『日本語の歴史』を読んで

                                  河村 義人

 もしも自分が外国人で何の因果か日本語を学ぶハメになったとしたら、さぞかし大変だったろうと思われる。まず覚えるものが、ひらがな、カタカナ、漢字と3種類もあり、漢字にいたっては、音読み、訓読みと何通りも読み方があるのだから、たまったものじゃない。おまけに文法も「骨格」というよりは「大風呂敷」みたいで独特だし、中には敬語なんてものもあって、尊敬語、謙譲語、丁寧語と複雑極まりない。日本人である以上、そんな曖昧で七面倒くさい日本語を外国語として覚える必要がない――そう思えば、自分が日本人であることにつくづく感謝したくなる。
 山口仲美『日本語の歴史』(岩波新書)は、そんな日本語を客観的に捉えようとする上で役に立つ一冊だと思われる。

 本書の執筆意図
 本書は文字通り「日本語の歴史」について書かれた本だが、日本語学者である著者の執筆意図は明確である。「日本語の歴史についての専門的な知識は相当蓄積されているにもかかわらず、一般の人に向かって発信された本が出版されていない」ため、「一般の人に興味を持ってもらえる形で、日本語の歴史を語りたい」というものだ。(P.6)
 それだけではない。著者には、さらに具体的な執筆意図があった。

① 日本語の歴史に関する専門的な知識を分かりやすく魅力的に語ること
② できる限り、日本語の変化を生み出す原因にまで思いを及ぼし、「なるほど」と思ってもらえること
③ 現代語の背後にある長い歴史の営みを知ってもらうことによって、日本語の将来を考える手がかりにしうること

 以上、3点である。意図とは、目的のことだ。目的は達成するためにある。本書の目的は、はたして達成されただろうか。

 回りくどい説明はNG
 とはいえ、執筆意図の①から③までを順を追って検証してゆくのはいささか面倒なので、ここでは大雑把な感想を記すにとどめる。
 第Ⅲ章の「うつりゆく古代語」では、ひたすら「係り結び」の消滅という現象を追っているが、用例が多すぎてウンザリし、「係り結びなんてどうでもいいよ」と言いそうになった。「係り結び」というのは、平安貴族のひらがな中心の言葉を象徴しており、その貴族階級の没落が「係り結びの消失」という事態に重なっている、と簡単に言ってくれれば良さそうなものを、あれやこれやと回りくどく説明するもんだから、「それが『専門的な知識を分かりやすく』ということかねえ」と皮肉のひとつも言いたくなる。

 面白い点もある
 さりとて、ひとつ勉強になった話もなかったわけではない。現代の仮名の発音が62音(清音44、濁音18)あるのに対し、奈良時代の万葉仮名は88音(清音61、濁音27)もあったこと(P.35)。「ひらがな文」に対する「漢字カタカナ交じり文」の優位性(P.85,86)。三遊亭円朝の語り口が言文一致体の手本になったこと(P.193)等々。とりわけ面白いと感じたのは、「がっしがっしと歩み」「むんずとつかんで」「捨ててンげり」といった「武者詞(むしゃことば)」。「討たせ」「射させて」といった使役を使った「負け惜しみ表現」も愛嬌がある。面白いと言えば、「しょーべー(商売)はでーく(大工)だと?」「なげー(長い)なめー(名前)だなー」「ふてーやろーだ」といった落語に残る「江戸語」も面白い。

 ありがたい「言文一致体」
 それにしても、ありがたいのは明治以降に確立した言文一致体だ。話すように書くので、誰でも自在に書けるという点がいい。「主観的に断言したい時は『だ』を連発し、語りかけたい時は『です』や『ます』を使い、客観的に述べたい時は『である』を使うというぐあいに」(P.207)表現上、様々なバリエーションがあるのもいい。話し言葉のようにそれらをミックスさせることで、文章に「書き手の呼吸のリズム(=個性)」が現れるというのだから、こんな結構な話はない。
 巨大地震や大津波や原発事故が起きるケンノンな時代だが、言語環境という面において、われわれ日本人は過去最高の黄金時代を迎えていると言えるだろう。そのメリットを享受し、駄文を書き散らすことで「個性」とやらを存分に発揮してゆきたいものである。(了)

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2011年5月11日 (水)

(23.5.11) 読書会資料 有吉佐和子 恍惚の人

  高齢化社会を先取りする
                       ―有吉佐和子『恍惚の人』を読んで

                             河村 義人

 子どもの頃、わが家には小説というものがほとんどなかった。父の蔵書では、わずかに島木健作の『生活の探求』(正続)があり、山本周五郎や海音寺潮五郎の歴史小説がいくつかあったのを覚えている。今回取り上げる『恍惚の人』は、珍しいことに母の蔵書だった。どういう経緯で買ったものかはわからないが、とにかく新潮社の箱入り本がそこにあった。
聞けば、家内もそうだったらしい。家内の両親の書棚にその本があり、子どもの頃に眺め暮して来た、というのだ。一家に一冊でもなかろうが、このような点からも本書が当時の大ベストセラーだったことがわかる。

 立花家の人々

 この小説の舞台は、中野区の高円寺にある立花家という中流家庭である。(最寄り駅は、丸ノ内線の新高円寺駅)時代背景は、高度経済成長下の昭和40年頃であろう。テレビ、洗濯機、冷蔵庫が「三種の神器」となり、モーレツ社員が酒、麻雀、ゴルフにいそしんだ時代である。
一家の主である立花信利は50代の一流商社次長。従軍体験や抑留体験を持つ「中肉中背」の中年男である。その妻・昭子は40代半ばすぎで有楽町の法律事務所に勤める小柄な中年女性。この二人は職場結婚で、現在共働きしている。二人には敏と言う高校生の一人息子がいる。
信利の父・茂造は84歳で「六尺豊かな大男で、しかも骨が細い」「明治の男」。これがこの小説の主人公である。往年の茂造は胃腸が弱く、癇癪持ちだった。その性質は陰険で、嫁いびりは酷烈を極めたらしい。ところが、「恍惚の人」となってからは別人のような健啖家となり、空腹だと泣き出してしまう他愛ない子どものようになってしまう。
茂造の連れ合いは70すぎの「明治の女」だが、冒頭で亡くなるせいかその名は表示されない。(作中では「姑」とか「お婆ちゃん」などと呼ばれている。)その描写によれば、彼女の一生には「わがままな夫に仕えた忍苦の人生」といった趣きがある。
敏は、なかなか機転の利く聡明な男の子。それは時折両親を驚かせる大人びた言動にも表れている。具体的に言えば、「生物本能」とか「老いらくの恋」といった発言や茂造を追跡する際に公衆電話を掛けるための小銭を忘れず持ち出すなどの行動を指す。

「自分の人生の延長線上にある」老後

 これは立花夫妻にとって深刻な問題である。信利は「腑抜け」となってしまった茂造の姿を見て「俺もうっかり長生きすると、こういうことになってしまうのかねえ」という感慨を抱いて暗然とするし、昭子は昭子で茂造の世話を甲斐甲斐しく焼いている「門谷のお婆ちゃん」の「若やいだ躰つきや、華やかな声」に接してついつい「悪魔の陥穽」だと思う。そして、お互いに一人で長生きして老醜をさらしたくないと思い、ロマンス抜きで「あなたが死んだら私も死ぬわ」などと言い合う。
彼らは茂造なり「門谷のお婆ちゃん」なりの姿に、「自分の人生の延長線上にある」老後を見ている。そして、こうはなりたくない、と強く思うのだ。昭子がふと「いやだわ、もう私たち始まっているのかしら」(P.150)とつぶやく時、一瞬、この文の主語は「繰り言」か「老化現象」かと考え、お互い慄然とするのである。
そんな両親に対して、息子の敏が放った一言は痛烈だ。
「パパも、ママも、こんなに長生きしないでね」(P.210)
「敏の残した言葉は鉛のように重く二人の耳に流れこみ、胸をふさい」でしまう。その脇で茂造は「ひやぁ、ふやぁ、ひやぁ、ふやぁ」と「怪鳥(けちょう)の鳴き声」かはたまた「怪獣の断末魔に似た声」を上げつつ不気味な体操をしている。

「恍惚の人」の変化と臨終

 ボケ老人となった茂造は、家族の困惑や心配をよそに、どんどん耄碌し退行していく。まず、昭子と敏を除く家族の名前や存在を忘れてしまい、食欲の権化となる。時折、猛スピードで徘徊しては、家族を翻弄する。そして、ついに失禁がはじまり、幻覚を見るようになる。
そんなある日、茂造は昭子がちょっと目を離した隙に自宅の風呂で溺死しそうになる。どうにか一命はとりとめたものの、それがもとで急性肺炎になり、一時は重態となる。茂造は奇蹟的に恢復するが、それを境に彼はますます幼児化し、「モシモシ」と人に話しかけたり、何か意に適った時には赤ん坊のように無邪気な笑顔を浮かべるようになる。そして、自分の排泄物をなすりつけて畳を汚して間もなく、茂造は最後の時を迎える。彼は家族に看取られ、眠るように死んで行く。

昭子の献身的な介護

 それにしても舅への昭子の献身的な介護は、実に立派なものだ。舅と床を並べて寝てやったり、夜中に舅を起こして庭で立ち小便をさせたり、悪臭を放つ入れ歯を直接外して洗ってやったり、風呂で舅の体を洗ってやったり、舅が排泄物で汚した畳をゴシゴシ洗い落とすようなデキタ嫁は、そうそういるものではない。必要に迫られての行動とは言え、頭が下がる。夫の信利は同僚たちと飲んだ帰りに後ろから舅を抱えるようにして庭で小便をさせている昭子の姿を目撃し、「すまんな、いつも」と不器用に礼を言う。(P.173)
その言葉によって昭子は「日中のいら立ちを解消させ」「この一言を、この二カ月というもの待ちに待っていた」と感じる。
信利にしてみれば、「すまんな、いつも」というのが精一杯の感謝の表現だったのだろうが、「君にそんなことまでさせて申し訳ない。いくら感謝してもし足りないくらいだ。この償いはきっとする」くらいのことは言っても良さそうなものだ。それほどまでに舅の茂造に対する嫁・昭子の介護は素晴らしいのだから。

ボケないための処方箋

 晩年の茂造のようにならないためには、われわれはどうすればいいか。ボケた時点で、当人はもう「恍惚の人」になっているわけだから、別に家族に申し訳ない、心苦しい、ということはないだろう。苦しいのは、常に家族である。つまり、この問いは家族に迷惑をかけない老人になるためには若いうちから何をすべきか、という問いに置き換えることができる。
その答えは、一時茂造に色目を使った「門谷のお婆ちゃん」が示してくれている。そのお婆ちゃんの答えはこうだ。「頭使って、手足使って動いていれば呆けません。呆けませんとも」(P.166)これを聞くと、あまりスポーツをしていない小生などは一抹の不安がよぎる。

 ただその「門谷のお婆ちゃん」にしたところで、茂造との「愛は終わった」後に腰が抜けて寝たきりとなり、嫁に下の世話をしてもらう度に悔し涙を流すのだから、不幸はどんな形で現れるかわかったもんじゃない。頭がハッキリしていて体が不自由な場合は、まず当人が気の毒だ。事あるごとに、情けない、悔しい、と思うからだ。

 ついでに言えば、立花夫妻などは「門谷家の主婦(嫁)」がいみじくも指摘した通り、物事を理詰めで考えがちな「インテリ」の部類だろう。自分の「老後」のことを想像する昭子に向かって彼女は「私は面倒な理屈は考えないわ。今からそんなこと考えたら気が滅入るばっかりですもの。(略)おむつを替えるときなんか、あそこをわざとぴしゃぴしゃ叩いてやるのよ。さんざ苛められたお返しよって怒鳴ってやるの。だってこれから先、どのくらい長生きするか分からない相手なんですからね。自分のことまで考えられませんよ」と言い放つ。(P.262,263)これを聞いて、小生は思わずわが母の姿を思い浮かべた。いかにも気の強い母が言いそうなセリフだからだ。(今でこそ、どちらかと言えば、介護される側に回っているが。)これなどは「老後」に対する庶民の意見の代表という気がする。

 この小説の登場人物たちは、てんでに特徴が明確でよく描き込まれている印象がある。また「ボケ老人」というテーマは、その言葉が暗示している通り、極めてシリアスな半面どことなくユーモラスでもある。小説の中でも茂造をとりまく家族の反応は深刻だが、茂造自身の言動はむしろ滑稽である。その意味で本書は「悲喜劇」と言える。

 本書が昭和47年6月に刊行されて大ベストセラーになった背景には、すでにその当時から日本には高齢化社会の予兆があり、大勢の働き盛りの人たちが身近な肉親の事例と絡めて「老後」の問題を強く意識していた、という事情があったのだろう。

 「老醜を卑しむ」という言葉があるが、どちらかというと本書では老人の「年老いても、あんなふうにはなりたくない」という醜い側面、反面教師としての側面が強調されているように思われる。だからこそ立花夫妻などは老人の醜い姿に将来の自分を重ねて「暗然」たる思いに浸るわけである。しかし、それよりはむしろ「矍鑠(かくしゃく)として元気溌剌たるおじいちゃん」とか「愛情あふれる可愛いおばあちゃん」などという素晴らしい目標に標準を当てて生きてみてはどうだろう。「ああはなりたくない」ではなく、「あんなふうになりたい」と思いながら生きれば、少なくとも気分的にポジティブでいられる。悲惨な未来ではなく、明るい未来が待っている、と思えるからだ。また、目標に向かって一直線に突き進む方が、反撥しながらジグザグに進むよりもはるかに効率的でもある。

 老人の醜い面を書くのも結構だが、老人の素晴らしい面に注目した作品の方が、読者としてはより励まされるだろう。逆ピラミッドの高齢化社会を迎えた今日の日本においては、人々に希望を与える明るい「老人文学」が人々に歓迎されそうな気がする。(了)



                            2011.5.10
        「恍惚の人」有吉佐和子

                               磯部紀代子

 この本は出てすぐにベストセラーとなりました。有吉さんは私の好きな作家です。

 有吉さんが書く時に常に気をつけていたのは、難しくなく誰にでも読める文章だったそうです。

 本書が30年以上前に書かれた頃は「認知症」という言葉もなく、人々の話題のキッカケとなりました。御年寄りの最初の症状としては、家を出て家に帰れなくなる事が多いようです。

 家族が必死に看病する大変さが、良く書かれています。私は実家が五日市街道の松ノ木の隣りなので地形はとてもよくわかり、身近に感じました。義母の突然の死と対象的な書き方で、身に沁みます。御近所の人達の接し方とか、お嫁さんの描写も、よく書かれています。共働きをしながら、買物、家事、看護、子育て等、大変な頑張りようです。

 他に、「紀ノ川」「香華」「一の糸」「三婆」「複合汚染」等も大変話題になり、舞台、映画に何度もなって、時の人となりました。お暇な折に是非お読み下さい。(了)

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2011年1月26日 (水)

(23.1.26) 読書会資料 村上龍 最後の家族

●2011年1月読書会
                           2011年1月25日 MT
「最後の家族」(村上龍、幻冬舎2001年10月)

 この本は、社会的引きこもりやドメスティック・バイオレンス(DV)、うつなど、心を病んだ人たちが、ひとつの家族を中心にモザイクのようにはめ込まれている。その心を病む人たちがそれぞれ回復していくひとつの物語である。
物語は、まず、21歳の内山秀樹が1年半ほどひきこもり、「このままでは神経がおかしくなってしまうと思った時に」、自室の窓を被う黒い紙に直径10センチほどの丸い穴を開けたところから始まる。これはいわゆる依存症患者が”底つき状態”から抜け出し、坂道を上っていこうとする最初の行動である。序章のタイトル「直径10センチの希望」がそれを暗示している。

当事者を支えるサポーターにも応援団が必要である

 登場人物の中心は、引きこもりの秀樹である。秀樹の父秀吉はリストラ寸前のサラリーマン。母、昭子は秀樹のために精神カウンセラーやクリニックを訪ねている。クリニックに通ううち、そこの改修に携わる若い大工の延江と付き合うようになる。妹の和美は、津田塾か上智に進学を予定しているが、元引きこもりで宝石デザイナーの近藤と恋人関係にある。内山家のとなりの柴山家では、夫が妻のユキにDVを行い、それを秀樹が目撃する設定になっている。

 秀樹が自室に引きこもる原因になったのは、大学入学後に好意を寄せた同級生に、スルーされたうえに、ストーカーの噂を流されて通えなくなったからであるが、その前兆は、浪人中からあった。「これ以上、何をがんばれっていうんだよ」といって、夜食のラーメンを床にたたきつけたという出来事だ。母と妹は、秀樹の引きこもりはなるべくしてなったという”受け入れ”がある程度できている。

 ところが、父親の秀吉は、49歳でリストラされる直前でそれを家族に相談することもできず、一人でローン返済や進学費用の不安を抱えている。強い父親、家族を守る父親であるべき自分とそうでない自分のギャップを客観視できず、秀樹の状態を思いやる余裕もない。家族のためにがむしゃらに働いてきたが、「楽しく食事をするのがいい家族」との信念で、家族の都合も考えず、夕食をともにすることを強要し、さらに拘っているコーヒーの飲み方についても強要してきた。

 登場人物の中で、最も健康的なのは大工の延江である。自分の好きな仕事につき、他人と自分を比べず、日々の生活に満足している。ここでは昭子を精神的にサポートする役として重要である。『「好きだ」という言葉や仕草だけが、からだの皮膚の内側から自分を支えてくれる』とあるように、昭子は当事者ではないが、当事者を支えるサポーターだ。サポーターにもというか、サポーターにこそ応援団が必要である。延江の存在は、不倫という形をとっているが、昭子を支える最も効果的でわかりやすいからだろう。

 もう一人、心を病んでいないのは、妹の和美である。中学の時いじめられ、いじめた相手のかばんなどを焼却炉に投げ込んで、それを断ち切った。そういう強さをもっている。元ひきこもりの近藤との関係も、きちんと距離を確保できている。近藤の存在もまた、和美の応援団のひとりになっている。
他人を助けたいという欲求と支配したい欲求は同じだ
さて、物語は、秀樹がDVを受けているユキを助けようとして、女性弁護士の田崎に会いに行くころで大きく展開する。田崎との問答がこの本のテーマだと思う。

「ぼくが、彼女にしてやれることは、何もないんですよね」
「内山さんは、誰かに救われたことがあるでしょう」
「救われたことがない。自分でそう思っている人は、あなたみたいに、正直になれないんですよ。必ず否定しますし、嘘をつきます。誰かに救われた、という思いがあるんじゃないですか」
「あります」
「母です」
・・・
「おかあさんは、あなたのためにいろいろな人と話すうちに、自立したんじゃないでしょうか。親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです」

OUT OF HOME」がこの本の英語タイトルだ。そのタイトル通り、内山家からは、まずは、秀吉が秀樹の暴力を受けてやむを得ずアパート暮らしを始め、和美が近藤とイタリアに立ち、秀樹が法律学校に通うために家を出た。最後に残った昭子は、家を売り、実家に戻り、NPOで働くことになる。
昭子は、延江と知り合ってから、どうして若い時に好きな職業を探さなかったのかと、悔やむ。「短大を出てすぐに秀吉と結婚し、すぐに子供を作ったのは、自分が何を実現したいのかを考えることから逃げるためじゃなかっただろうか。」この物語のもう一人の主人公は昭子だろう。離婚も再婚もせず、自分が自立していくことで、崩壊していた家族をもう一度家族として成立させている。

この本を読んで、薬物依存者の宿泊施設「ダルク女性ハウス」代表の上岡陽江さんが言ってたことを思い出した。「親しい人とのいい関係というのはちょっとさびしいくらいがいいんですよ」と。「そうでなければ、私のすべてをわかってとなって、2コ1の関係、つまり相手が覆いかぶさってしまうことになってしまうから」。まさに、内山家の人たちも、少し寂しいけれども、お互いの関係を保つためにout of homeが必要だったのだろう。
村上龍のこの小説の出来がどうなのかは、私にはわからない。ただ、ひとつの主題のために、モザイクのようなエピソードを破たんなくまとめ上げているのはすごいと思う。ただ、この程度なら私にもできるかもと思うところが、「村上龍の限界」といわれるところかもしれない。ともあれ、私は常にこれまで作者がなぜそれを書いたのかに常にとらわれていた。つまり私は人依存であったと思う。私もまた一人で生きていける人間になりたいと思う。

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2010年12月10日 (金)

(22.12.10) 読書会資料 米原万里 嘘つきアーニャの真っ赤な真実

                           2010.12.9
  
中東欧(*)の旧友たちとの再会
         ―米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読む

                              河村 義人

 何となく読むのを先延ばしにしていた本書だが、読んでみるとかなり面白い本だった。本書は「リッツァの夢見た青空」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「白い都のヤスミンカ」の3編で構成されており、いずれも30年以上も前にチェコスロバキアにあった「在プラハ・ソビエト学校」の同級生たちの思い出と再会の記録という共通の構図を持っている。しかし、たとえ結構は同じでも物語の内容や読後感はそれぞれに異なる。物語のヒロインたちの国籍や人生行路がそれぞれ異なるように。以下、物語ごとに内容や読後感をメモしておこう。

 ドクトルになった勉強嫌いの娘リッツァ

 ソティリア・パパドプロス。ギリシャ人。愛称リッツァ。性的に耳年増でも学業は平凡、映画女優を夢見る少女。そんなリッツァは、後年チェコの「東大」とも言うべきプラハ・カレル大学の医学部に進学し、猛勉強して卒業、ドイツで開業医となる。労働者のドイツ人男性と結婚し、二男をもうける。ドイツの医学部の授業料の高さを嘆いて「私みたいに大して頭の良くない貧乏人があれだけ本格的な教育を受けられたのは、社会主義体制のおかげかもしれない」というリッツァの言葉は印象的だ。

 リッツァの父はギリシャ共産党の幹部だったが、軍事政権による弾圧を逃れてチェコへと亡命してきた人物。1960年代前半、リッツァの父は、万里の父同様『平和と社会主義の諸問題』という雑誌の編集局で働いていたが、おそらく同誌編集委員会のギリシャ代表だったのだろう。この父は後に東西間の安い毛皮の「運び屋」となり、商売仲間に「100年に一度出会うか出会わないかぐらいの正直者」と言われることになる。

 リッツァにはミーチェスという女性にモテる美男子の兄がいた。彼は「ソビエト学校」から工科大学へと進学したところで「プラハの春」を迎え、ちょうどその頃スラブ系の美女と出会って恋に落ちたそうだ。その女のことをリッツァは「クソ女」と口汚くののしる。ミーチェスと結婚したその女はやがて贅沢三昧という本性をあらわし、セレブの生活を維持するためにミーチェスはついに「麻薬の運び屋」となる。同じ「運び屋」でもその父とはえらい違いだ。そして、ついに獄につながれ、父親の死に目にも会えないことに…。
ギリシャの真っ青な青空と真っ青な海を誇らしげに自慢したリッツァだが、結局ギリシャには帰れずじまい。祖国が女性蔑視の社会であることやギリシャ人の動物に対する嗜虐性やトイレの不潔さなどがその原因。しかし、そのドイツには芝居、オペラ、コンサート、展覧会といった「文化」がない、とリッツァは嘆く。

 「勝ち組」のユダヤ人・アーニャ

 アナ・ザハレスク。ルーマニア人。愛称アーニャ。友だちに「雌牛」呼ばわりされてからかわれるアーニャは、太っている印象のある愛国心の強い少女。アーニャの特技は、天真爛漫に嘘をつくこと。アーニャは両親のことを誇らしげに「日夜、労働者階級のために、ブルジョワ階級と闘っている」と話すが、ザハレスク一家の暮らしぶりはまさに打倒すべき「ブルジョワそのもの」。

 ルーマニア人としての民族意識が強く、共産主義の申し子のようだったアーニャは、やがてイギリス留学を機にイギリスへと亡命し、旅行雑誌の副編集長となる。また音楽評論家のイギリス人男性と結婚し、二女(?)をもうけ、幸せな家庭を築く。30数年ぶりにあったアーニャは、ロシア語をすっかり忘れ、英語一辺倒になっている。そんなアーニャの習性を言い当てた作者の次の言葉は印象的。「常に勝ち組にい続けるための過剰反応という名の習性」。

 60年代前半、アーニャの父もまた『平和と社会主義の諸問題』誌編集局で働いており、同誌編集委員会のルーマニア代表で、大使より格上だったとか。その父が「ツーケルマン」というドイツ語起源の名前を捨て「ザハレスク」という偽名を名乗った理由は、ユダヤ人という出自を隠すため。「チースタヤ(清潔、純血)ではないルーマニア人」というリッツァの言葉にアーニャが激怒した理由は、ここにある。

 顔立ちがアンネ・フランクに生き写しだったというアーニャにはミルチャという兄がおり、万里が後年再会したミルチャはマルクスかエンゲルスのようにモジャモジャの髭面男になっている。職業は、物理学者。ミルチャには祖国に「たくさん大切な友人がいた」ため、アーニャのように亡命することはなかった。ちなみに、アーニャの兄弟では、ミルチャ一人を例外として、共産党員で出世主義者だった長兄ニコラエもイスラエルへと亡命し、心優しい活動家だった次兄アンドレもアメリカへと亡命している(かつてアーニャが持っていた「黄色いノート」はその「アンドレの形見」)。作者の観察によれば、「ミルチャの存在は、アーニャの良心をチクチクと刺している」らしい。

 アーニャと再会した万里は確かに嬉しそうだが、「勝ち組」にいて何でも自己正当化する旧友の言動に対して常に違和感を感じている。例えば、「あの頃は、私もあなたも、純真無垢に体制を信じ切っていたわね。」というアーニャの言葉に「私まで巻き添えにしないで欲しい」と反発したり、「今の自分は10%がルーマニア人で、残りの90%がイギリス人」と平然とのたまう友人に対し、「ショックのあまり、言葉を失」うという具合に。悪びれもせずにそれを言うアーニャはいかにも「誠実そのもの」、心から自分の言葉を信じているというふうで、これが「嘘つきアーニャ」の「嘘つきアーニャ」たる所以(ゆえん)、と作者は言いたげだ。

 天才肌の芸術家・ヤスミンカ

 ヤスミンカ・ディズダレービッチ。ユーゴスラビア人。通称ヤースナ。地理や歴史の先生顔負けの堂々とした口ぶりで祖国ユーゴスラビア、とりわけ「白い都」ベオグラードの歴史を解説するヤースナ。絵を描かせれば、大胆な構成力と瑞々しい色彩感覚を感じさせる独創的な絵を描いて美術教師を驚嘆させ、生物学の授業では先生の質問にユーモアをまじえて模範的な回答をするヤースナ。「体育とダンスをのぞくあらゆる学科をほぼ完璧にこなしたヤスミンカ」だが、その理由はあらかじめモスクワでロシア語の予習をし、「どの科目も一度履修をしたものばかりだった」から。しかし、再会してその種明かしを聞いても万里のヤースナに対する第一印象は変わらない。すなわち、「ずば抜けて頭脳明晰でクール」という第一印象は。
 ヤースナの父は、60年代前半はユーゴスラビア連邦の在チェコスロバキア公使で、後にボスニア最後の大統領となる人物。

 ヤースナは後年ユーゴスラビアの芸大に進学するが、自分の芸術的才能の無さを思い知り、画家となる夢を諦める。その後、語学的才能(英語、ロシア語、チェコ語)を活かして外務省の通訳となるが、万里と再会した頃にはそれをやめ、フリーの翻訳者となっている。ヤースナは医者の男性(再会当時、国立病院の外科部長)と結婚し、一男一女をもうけ、幸せに暮らしている。ヤースナの生活を羨ましがる万里に対してヤースナが言った言葉は忘れられない。「でもね、マリ、この全てが、いつ破壊し尽くされてもおかしくないような状況に、私たちは置かれているのよ。」

 ここに出てくる「状況」とは、言うまでもなく「戦争」という大状況を意味している。端的に言えば、ユーゴ多民族戦争。ユーゴスラビアは多民族国家(**)で、ヤースナはイスラム教信者の多い「ムスリム人」だが、戦争が始まってから不仲になったという学生時代の親友は「セルビア人」で、ヤースナの夫は「モンテネグロ人」というふうに、8つの民族がひしめき合って生活している。ユーゴ多民族戦争、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ紛争、コソヴォ紛争などは、いずれも複雑な民族間の対立が原因となっている。

 万里の父・米原昶(いたる)は日本共産党の幹部で、先述したように60年代前半にはプラハの『平和と社会主義の諸問題』誌編集局で編集委員の一人として働いていた。万里はその父の海外赴任に伴って「在プラハ・ソビエト学校」に学び、リッツァ、アーニャ、ヤースナなどかけがえのない親友を得た。彼らの共通語はロシア語。万里は今で言う「帰国子女」のハシリだったわけである。
 その父の実家について、作中に次のような記述がある。

  日本にいた頃、夏休みになると、鳥取県にある父の実家へ遊びに行くたびに、自分の 家の生活水準とあまりの格差に愕然としたのを思い出した。数え切れないほどたくさんの部屋があって、名前も覚えきれないほど多くの使用人が傅(かしず)き、身の回りの面倒を見てくれる心地よさ。自分なら、拒否できるだろうか。それができた父は偉いなと、子ども心にも思っていた。戦前、共産党が非合法だった時代に、万人の平等という共産主義の理想に燃えて、父は高額納税者で貴族院議員となった祖父の家を出て、地下に潜った。それは、16年間の長きにわたった。(後略)

 ここに出てくる父の実家は、実は小生の郷里である鳥取県八頭郡智頭町にある。祖父は米原章三という人物。その実家の場所も、故郷に住む母に問い合わせて「ああ、上町(かんまち)のあそこか」と見当がついた。父・昶のことは知らなかったが、章三の名なら馴染みがあった。章三は郷里では山持ちの分限者であり「名士」として有名だったからだ。彼は貴族院議員になる前に智頭町の町会議員や鳥取県の県会議員をつとめたが、小生の父も後に同町会議員や同県会議員をつとめた地方政治家だったので、章三のことはなおさら身近に感じる。しかし、両者には明らかな違いがある。年の差や政治的イデオロギーの違い(彼は自民党出身、父は社会党出身)はもとより、最たるものは貧富の差。(笑)つまり「豪邸」と「あばら家」の違い。(笑)

 故郷の母の話では、今、智頭町のどこやらで米原万里の回顧展が開かれているらしい。見ず知らずの万里さんとも何やら奇しき因縁を感じる今日この頃である。(了)

*中東欧……「東欧」は冷戦期に欧州を東西に分断する東側地域を指す用語で、「中欧」はかつてのハプスブルグ帝国の歴史的・文化的影響を受けた地域概念として使われている。冷戦終結後、「東欧」は解体し、中欧とバルカンに分かれ、中欧の国々はEUやNATOへの加盟を実現した。旧「東欧」とウクライナ・バルカンを含め、「中・東欧」という場合もある。

**ユーゴスラビアは多民族国家……地理的に見た場合、スロヴェニアは「スロヴェニア人」、クロアティアは「クロアティア人」、モンテネグロは「モンテネグロ人」、マケドニアは「マケドニア人」、コソヴォ自治州は「アルバニア人」、セルビアとボスニア=ヘルツェゴヴィナの大半は「セルビア人」で占められ、それらのごく一部に「ムスリム人」が居住する格好。これに「ハンガリー人」が加わり、国内には計8民族が共存している。
宗教別に見た場合、「スロヴェニア人」と「クロアティア人」はカトリック、「セルビア人」「モンテネグロ人」「マケドニア人」はギリシャ正教、「アルバニア人」「ムスリム人」はイスラム教。
文字別に見た場合、「スロヴェニア人」と「クロアティア人」はラテン文字を使用し、その他はキリル文字を使用している。

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