« 2012年6月 | トップページ

2012年11月

2012年11月24日 (土)

(24.11.24) 「乳と卵」  川上未映子

 20121122日 メイコ


読書会のフォルダを開けてみたら、なんと最後に書いたのは昨年の
10月の「僕は12歳」だった。なんだか感想文など書けそうもないと感じたのは、1年以上も書いてないからなのだった。ついでに「おゆみ野ウォーカーズ」というブログも先日、知り合いから「去年の紅葉が最後だぞ!」というお叱りを受けて開けてみると、なるほど約1年更新していなかった。書かなくなると書けなくなるものだと納得した。

 今回、川上未映子の「乳と卵」を取り上げたのは、たまたまブックオフで安く手に入れたというのと、薄くて、皆さんにも時間的、経済的にそれほどご負担にならないだろうと思ったからだ。今までは、これなら書けるというテーマをもって選んでいたのに、今回はそれがないというのでとても苦労している。あと1時間ちょっとでどこまで書けるのだろうか?

 とはいえ、この本は、精神科医の斉藤環が書いた「母は娘の人生を支配する」(NHK出版)の中に出てきていて気にはなっていた。今回読んだ「「六つの星星」の中で、斉藤と川上の対談を読むと、川上未映子もまた、うちとは全く逆ベクトルで母親からの強烈なマインドコントロールを受けている人だった。ちなみに斉藤環は娘の入院していた佐々木病院の勤務医でもあったので、この本を読んでとても娘に申し訳なく思い、娘の主治医で病院長でもあった佐々木先生に「母親の出来ることがあったら何でも教えて下さい」と聞いたら、すげなく「何にもないです」と言われたのだが、そのことの意味をやっと今、理解しているところだ。

 さて、本のあらすじはきっとMさんが教えてくれるので私は、私がこれに関する本を読んで感じたことをとりとめもなく書いてみたい。できれば言文一位で(川上未映子のように・・・)。でもそうしたら、Mさんが嫌がるかもしれないけれど。でも一言だけ、私はこの言文一致は抵抗ないです。それから、妙に笑える部分がいくつもありました。

 例えば、ぱっとめくってP41の「えっ、でもそれってさ、結局男のために大きくしたいってそういうことなんじゃないの、とかなんとか。男を楽しませるために自分の体を改造するのは違うよね的なことを冷っとした口調で言ったのだったかして、・・・・中略・・・・胸を大きくしたい女の子はそれに対して、なんだって単純なこのこれここについているわたしの胸をわたしが大きくしたいっていうこの単純な願望をなんでそんな見たことも触ったこともない男性精神とかってもんにわざわざ結びつけようとするわけ?もしその、男性主義だっけ、男根精神だっけかが、あなたの云うとおりにあるんだとしてもよ、わたしがそれを経由しているんならあなたのその考えだって男性精神ってもんを経由してるってことになるんじゃないの・・・・」

 ストーリー上では終わりごろに母と娘で卵をそれぞれ自分の頭にぶつけるというシーンがある。離婚した夫に会って酔っぱらって帰ってきた母親が娘に

「あんたは、わたしと口がきけんのやったら、どうでもしい、どうでもしたらええよ、ええわ、と云い、ひとりで生まれてきてひとりで生きてるみたいな顔してさ、と昨今の昼ドラでもなかなか聞けぬようなせりふを云って、なあ緑子、わたしはいいねん、わたしはええよ・・・・・」。これに対して娘は、豊胸手術をしようとする母親に、「ほんまは、なにがしたいの、痛い思いして、そんな思いしていいことないやんか、ほんまはなにがしたいの、と云って、それは、わたしを生んで胸がなくなってもうたなら、それをなんで、お母さんは痛い思いまでしてそれを、・・(中略)・・・わたしはお母さんが、心配やけど、わからへん、し、ゆわれへん、し、わたしはお母さんが大事、でもお母さんみたいになりたくない、そうじゃない、早くお金とか、と息を飲んでわたしかって、あげたい、そやかってわたしはこわい・・・・」。

この会話の間に、2人は自分の頭に生卵をぶつけ続けるのである。

読書会の前までは、このシーンの意味がわからなかったが、Kさんから「ほんまのことって何?」と問いかけられて、読み返してみたら、少しわかる気がした。

娘は「私は生まれてきてよかったのか?お母さんは私が生まれてきて幸せなのか?」逆に、母は「娘は私の子供として生まれて幸せなのか?」という問いに対して、確認したくても怖くてできない。相手のことを慮ってこの場に及んでも、相手の頭に卵をぶつけるのではなく、自分の頭にぶつけることでしか不安や怒りを表現できないという哀しさをわたしは感じた。

最後に母親が「絶対にものごとには、ほんまのことがあるのやって、みんなそう思うでしょ、でも緑子な、ほんまのことってな、ないこともないこともあるねんで、・・・」に対して、娘は「そうじゃないねん」を繰り返し、母親は娘の背中をさすり続けてこのシーンが終わる。


「ほんまのこと」が何を意味するのかはわからない。ただ母と娘がたまたま母体を介して分離したのだけれども、その組み合わせで幸せかどうかということは問うても仕方のないこと、それ以外の関係を試すことも比較することもできないから。むしろ今あるこれがほんまのことでそれ以上でもそれ以下でもなく、それが与えられている。誰から?なにから?もし信じるなら神からではないか。

 これが芥川賞にふさわしいのかという点についても、よくわからない。芥川賞自体が最近は活字離れを少しでも食い止められるならなんでもいいという感じさえ受ける。年に2回もあるし。かつて、中島敦が芥川賞候補になって、ようやく文筆で生計を立てる気持ちになったと記憶しているが、なんだか最近の芥川賞は、モーニング娘とかAKB48とかみたいに、隣にいそうなお姉さんがオーディションで受かって、機会を与えられ、どんどん出世していくけれども、卒業した後はその人の実力次第って感じに似ている気がする。

文体が樋口一葉に似ているといわれているが、これは彼女が二十歳の時、松浦理英子の現代語訳した「たけくらべ」で出会って一気に読んだことから影響を受けたらしい。「六つの星星」の中で松浦との対談に書いてあった。当時川上は日本大学の通信講座で哲学を勉強していた。

 川上未映子の著者紹介には、1976年大阪府生まれ。「夢みる機械」(2004)「頭の中と世界の結婚」(2005)などのアルバムをビクターエンタテイメントより発売。2006年、随筆集「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」(ヒヨコ舎)2007年「わたくし率イン歯――または世界」で芥川賞候補、坪内逍遥大賞奨励賞。2008年「乳と卵」で芥川賞。2009年詩集「さすわさされるわそらええわ」で中原中也賞。2010年「ヘヴン」で芸術選奨文部科学大臣新人賞。――とある。

 大阪万博の時、まだ生まれてもいなかった彼女がとんとん拍子で成功していくのを嫉妬深くみてしまう。だいたい学歴もまったく書いてないというのがカッコよすぎるでしょう。実際、大してないというのももっとすごい。かつてぴあ総研で一緒に仕事をしていた大学教授によると、「結局はプロデュース次第なんだよ。ゴッホだって、ずっとあれがいいと言い続けている人がいるから成立してるんだ」といった言葉を思い出す。彼女がユリイカの編集部に電話して原稿を持ち込もうとしたとか、音楽ブロデューサーと結婚して、アルバムを出したとか、いろいろ書いてあったが、行動しようと決めた勇気とそれを続けていけるプロデュース能力(本人とその周辺)がすごいのだろう。


 魔法飛行」という彼女のブログを集めたような本の中で、「締め切り前の一晩で
50枚の原稿を書いてもって行ったら、喜んでもらえた」とか書いてあるのを読むと「何それ!自慢?」と思ってしまう。けれども、どっかの食堂で本当にまずいものを食べた時、「いつから私はまずいものとまずい思うようになったのだろう」という文があり、かつて貧しかったころに、食べ物があれば幸せだった時代があったかのように書いてあるのを読むと、かなりの苦労をしたことが垣間見える。

 特に母に対して、彼女が稼いだお金を家に入れても、彼女はホステスをしていたようだが、一銭も母は自分のためには使わなかったという。それゆえ、彼女は今でもエステやマッサージ、外国旅行も行くのに罪悪感があるという。それは先にお母さんが行くべきだと思うのだという。

 電気も水道も止められたと想定される文章の中では、お母さんが「探検にいって来ます」と言って、学校から水を持ってくる話や、電気がこなくなった部屋で、懐中電灯をもってきて怪談噺をしたとか、お母さんの子供を守る力のようなものをみせつけられていて、文句のいいようがない環境で育ったらしい。「勉強しなさい」「どうなりなさい」の一言もなく、「みえちゃんはえらい」「みえちゃんはかしこい!」と言われ続けたという。「自己中心的ならまだ反発できたけれど、一切ないところがずるいというか・・」と川上は話している。「いつになったら自分が楽しむってことができるか?」との斉藤の問いに「母が死んだらでしょうか。いや、それも違いますね。自分が死んだらですね」と答えている。

 なら、父親に対して怒りがあるのかといえば、父親に対しては今だに敬語でしかしゃべれないという。否定的なことを言いたいけれど言えないから夢の中で一度だけ父親に言ったことがあるという。それでも「父親が子供のことを本当に愛しているのはわかる。それは子供のためであればこの人はすぐ死ねるというのが、その存在からにじみ出ているから」というのである。一体何者なのだろうか、川上の父親というのは?これについては調べがついていない。

ただ、「ヘヴン」の中で、主人公のいじめを受ける男の子と女の子のうち、女の子がいつも汚い格好をしていて、クラスの同級生から殴られたり、けられたりしているのだが、その子が汚くしているのにはわけがある。それは、離婚した父親を忘れないためだ。働いても働いてもお金を稼げず貧しいままで、母親は業を煮やして離婚する。離婚した母親は金持ちの男と再婚して、立派な家に住み、その彼女もいっしょに暮らす。だけど彼女は、なんにも悪くない自分を愛してくれるやさしいお父さんを忘れないために汚いままでいることを決めているというストーリーになっている。

 そこで、少女は母親に聞く。「なんでお父さんと結婚したの?」「「かわいそうな人だったから」。少女は母に対して怒りを抱く。「かわいそうと思うのなら、なんで最後までかわいそうと思い続けて一緒にいなのか」と。川上の父親像というのはこのあたりにあるのかと思ってしまう。

 私は川上未映子に才能があるかどうかわからないけれども、彼女がとても貧しいとか辛いとか寂しいとかそういう人の気持ちをよくわかっていて低い視座から物語を書いていることにとても共感を覚える。

対談集を読んでいると、お姉さん格の松浦理英子や多和田葉子や生物学者の福岡伸一に対しては媚びているくらい低姿勢で、哲学者の永井均と「ニーチェ」について語りあってるところはむかついた。よくわからないうえに、わかった同士でマニアックに盛り上がっているように感じたからだ。

時間がきてしまった。私としては彼女がこれからどういうものを書いていくのか、見守りたい。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年6月 | トップページ