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2012年4月

2012年4月26日 (木)

(24.4.26) 読書会資料 堀田善衞 『上海にて』

 自分の出発点を確認する
                               ―堀田善衞『上海にて』を読んで

                                                           河村 義人

 堀田善衞の『上海にて』をほぼ17年ぶりに再々読し、本書が様々な意味で僕の出発点になっていることを再確認した。「魔都」もしくは「東洋のパリ」と呼ばれた国際都市・上海。流氓教授や流氓学生がいた復旦大学。戦争と哲学の問題。異民族交渉。歴史認識。魯迅。……
 例えば、終戦後まもなく堀田青年に向かってある中国人青年が次のように問いかける。「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」
“你們日本知識分子把那個天皇東西想着怎麼弁呢?”おそらくその青年は中国語でこのように問いかけたことだろう。このラディカルな問いかけは大学生だった僕の胸にも鋭く突き刺さった。そして、こんな人物がいた大学なら期待できそうだ、と密かに思ったものだ。これが、中国に留学するにあたって上海の復旦大学を選んだ理由のひとつだった。

 なぜ上海留学を希望したか
 揚子江(長江)以南の地域を「江南」と呼ぶが、大学生の頃の僕にはまず江南の風土に対する憧憬があった。地名で言えば、蘇州、杭州、紹興、無錫などといった地域である。イメージとしてのそれは、杜牧の「江南の春」(1)に代表される唐詩の世界であった。それとは別に、金子光晴の「渦」(2)という詩に象徴される1930年代の上海や堀田善衞や武田泰淳の書物で読んだ1945年前後の上海に対する興味関心があった。
 上海の復旦大学は日本で言えば京都大学のような超一流大学だが、日中友好協会派遣の私費留学生に決まった時、僕が迷わずその大学を留学先に選んだのは、主として上記の理由によるものだった。

 「徹底性」の自覚
 本書の中で堀田善衞は、例えば「異民族交渉というものは、徹底的なものである」と言い、「異民族交渉というものは、行動的なものであり、従って徹底的なものであるからこそ、それは文化の中核になりうるのである」と書いている。(「異民族交渉について」)この一節は、僕にもう一人の敬愛する作家である武田泰淳の言葉を想起せしめる。武田は次のように述べている。「滅亡の真の意味は、それが全的滅亡であることに在る。それは「黙示録」に示された如き、硫黄と火と煙と毒獣毒蛇による徹底的滅亡をその本質とする。」(「滅亡について」)
 堀田は「異民族交渉」は徹底的なものだと語り、一方武田は「滅亡」は徹底的滅亡をその本質とする、と語る。語る内容こそ異なれ、「徹底性」という一点において、両者はまさに符号のように一致する。
 テキストの中でも述べられているように、堀田と武田は同時期に上海に滞在して交遊関係があり、同じく上海で日本の敗戦を迎えた。「徹底性」の自覚は、両者に共通するところの上海体験の思想的到達点ということができるだろう。個人の力をはるかに凌駕し、なおかつその個人の上に情け容赦なく落ちかかり、叩きつぶし、破壊してしまうもの。そういう「徹底性」の自覚こそが、彼らの思想の極点であり、またてんでに文学者として仕事を開始する戦後の出発点でもあった。

 無鉄砲は堀田青年譲りか
 テキストに登場する堀田青年は、やや無鉄砲なところがある青年である。その直情径行的な傾向は、青年特有のものなのかも知れないが、僕などにも共通するものだった。巻末の「解説」の中で大江健三郎が感動的に紹介しているエピソードの数々に、やはり僕も共感を覚えたものだし、中国で自分でもそれに近い「蛮勇」をふるったこともある。
 僕は魯迅という作家が好きだが、留学中(僕の専攻は「中国現代文学」だった)のある時、魯迅が毛沢東によって、また中国の人民大衆によって、神に祀り上げられている、と閃くように自覚し、偶像破壊者が偶像崇拝されている皮肉な状況を中国語で一篇の詩として表現したものだった。
 その詩のごときもの―敢えて命名すれば、「《神》となった魯迅」(3)―を僕は大学の教授たちに示し、彼らを糾弾(?)した。この状況は批判精神という魯迅精神を無化するものだろう、と迫り、現代文学の教授たちを困らせたものだ。今から思えば、ずいぶんと大人気ないことをしたものだ。青臭い外国人留学生に指摘されるまでもなく、そんなことは彼らとて百も承知だったのだろう。彼らにも、本音とタテマエがあるのである。
 余談だが、戦闘的知識人とでも呼ぶべき魯迅の本領は、その旺盛な批判精神にある。『魯迅批判』を書いた評論家の李長之などはこの「批判精神」の継承者であり、現代ではノーベル平和賞を受賞した劉暁波などがこの系譜に位置している、と僕は見ている。

 本書を初めて読んだのは21歳の頃、筑摩書房の単行本でだった。単行本は中国に持って行き、帰国する際に日本語を勉強している中国人学生に進呈した。再読したのは社会人となってからで(33歳)、ちくま学芸文庫だった。そして今回、50歳を目前にして集英社文庫で再々読したしだい。堀田の文章は、文字通り「随筆」で連想に継ぐ連想でややとりとめがなく読みづらい印象を与えるかもしれないが、これはこれで意識の流れに忠実な文章とも言えよう。僕の場合、本書は自分の中国認識、上海認識の原点である。誰が何と言おうと(誰も何も言わないか)、それは紛れもない事実である。(了)
 語註
(1)江南の春
                               杜牧
 千里 鶯啼いて 緑紅に映ず
 水村山郭 酒旗の風
 南朝 四百八十寺(しひゃくはっしんじ)
 多少の楼台 煙雨の中(うち)

(2)渦
                           金子光晴
 上海は一つのかくはん機だ。
 ひきずりこまれた人間どもは混血(ハフカ-ス)となる。

 上海は箪笥(たんす)のやうに片づいていない。
 死さへも雑居してゐる、おれたちと。

 上海で貞操を立て通すことのむづかしさ。
 まづ貞操といふ意味がないのだから。

 それかといつて諸君、上海を異常なところとおもつたらまちがいだ。
 少々ほこりがひどいだけで
 怠屈なところにかはりがない。

 (略)

 ああ渦の渦たる都上海。
 強力にまきこみ、しぼり、投出す、
 しかしその大小無数の渦もやうは
 他でもない、世界から計上された
 無数の質問とその答だ。

(3)《神》となった魯迅
                               義人
 魯迅は今やひとつの《神》だ。
 単なる英雄ではなく《神》なのだ。
 今の中国に、魯迅の文学を批判するものは誰一人としていない。それどころか、彼の人柄や作品や行為に捧げられた花束は、今やふり仰ぐばかりの山となっている。
 年端もいかない子供すら、毛沢東と魯迅の名を知っている。
 虹口(ホンコウ)公園に眠る魯迅は、国を挙げての、この神格化現象をどう見ているだろう。
 他を排撃することによって自己を形成し、極端に右顧左眄(うこさべん)を嫌った彼のことだ、きっと地の底で「そんなバカなマネはやめてくれ!」と《吶喊(さけ)》んでいるに違いない。
 経典となり果てた文学は、その辺の瓦礫に等しい。

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