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2011年1月26日 (水)

(23.1.26) 読書会資料 村上龍 最後の家族

●2011年1月読書会
                           2011年1月25日 MT
「最後の家族」(村上龍、幻冬舎2001年10月)

 この本は、社会的引きこもりやドメスティック・バイオレンス(DV)、うつなど、心を病んだ人たちが、ひとつの家族を中心にモザイクのようにはめ込まれている。その心を病む人たちがそれぞれ回復していくひとつの物語である。
物語は、まず、21歳の内山秀樹が1年半ほどひきこもり、「このままでは神経がおかしくなってしまうと思った時に」、自室の窓を被う黒い紙に直径10センチほどの丸い穴を開けたところから始まる。これはいわゆる依存症患者が”底つき状態”から抜け出し、坂道を上っていこうとする最初の行動である。序章のタイトル「直径10センチの希望」がそれを暗示している。

当事者を支えるサポーターにも応援団が必要である

 登場人物の中心は、引きこもりの秀樹である。秀樹の父秀吉はリストラ寸前のサラリーマン。母、昭子は秀樹のために精神カウンセラーやクリニックを訪ねている。クリニックに通ううち、そこの改修に携わる若い大工の延江と付き合うようになる。妹の和美は、津田塾か上智に進学を予定しているが、元引きこもりで宝石デザイナーの近藤と恋人関係にある。内山家のとなりの柴山家では、夫が妻のユキにDVを行い、それを秀樹が目撃する設定になっている。

 秀樹が自室に引きこもる原因になったのは、大学入学後に好意を寄せた同級生に、スルーされたうえに、ストーカーの噂を流されて通えなくなったからであるが、その前兆は、浪人中からあった。「これ以上、何をがんばれっていうんだよ」といって、夜食のラーメンを床にたたきつけたという出来事だ。母と妹は、秀樹の引きこもりはなるべくしてなったという”受け入れ”がある程度できている。

 ところが、父親の秀吉は、49歳でリストラされる直前でそれを家族に相談することもできず、一人でローン返済や進学費用の不安を抱えている。強い父親、家族を守る父親であるべき自分とそうでない自分のギャップを客観視できず、秀樹の状態を思いやる余裕もない。家族のためにがむしゃらに働いてきたが、「楽しく食事をするのがいい家族」との信念で、家族の都合も考えず、夕食をともにすることを強要し、さらに拘っているコーヒーの飲み方についても強要してきた。

 登場人物の中で、最も健康的なのは大工の延江である。自分の好きな仕事につき、他人と自分を比べず、日々の生活に満足している。ここでは昭子を精神的にサポートする役として重要である。『「好きだ」という言葉や仕草だけが、からだの皮膚の内側から自分を支えてくれる』とあるように、昭子は当事者ではないが、当事者を支えるサポーターだ。サポーターにもというか、サポーターにこそ応援団が必要である。延江の存在は、不倫という形をとっているが、昭子を支える最も効果的でわかりやすいからだろう。

 もう一人、心を病んでいないのは、妹の和美である。中学の時いじめられ、いじめた相手のかばんなどを焼却炉に投げ込んで、それを断ち切った。そういう強さをもっている。元ひきこもりの近藤との関係も、きちんと距離を確保できている。近藤の存在もまた、和美の応援団のひとりになっている。
他人を助けたいという欲求と支配したい欲求は同じだ
さて、物語は、秀樹がDVを受けているユキを助けようとして、女性弁護士の田崎に会いに行くころで大きく展開する。田崎との問答がこの本のテーマだと思う。

「ぼくが、彼女にしてやれることは、何もないんですよね」
「内山さんは、誰かに救われたことがあるでしょう」
「救われたことがない。自分でそう思っている人は、あなたみたいに、正直になれないんですよ。必ず否定しますし、嘘をつきます。誰かに救われた、という思いがあるんじゃないですか」
「あります」
「母です」
・・・
「おかあさんは、あなたのためにいろいろな人と話すうちに、自立したんじゃないでしょうか。親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです」

OUT OF HOME」がこの本の英語タイトルだ。そのタイトル通り、内山家からは、まずは、秀吉が秀樹の暴力を受けてやむを得ずアパート暮らしを始め、和美が近藤とイタリアに立ち、秀樹が法律学校に通うために家を出た。最後に残った昭子は、家を売り、実家に戻り、NPOで働くことになる。
昭子は、延江と知り合ってから、どうして若い時に好きな職業を探さなかったのかと、悔やむ。「短大を出てすぐに秀吉と結婚し、すぐに子供を作ったのは、自分が何を実現したいのかを考えることから逃げるためじゃなかっただろうか。」この物語のもう一人の主人公は昭子だろう。離婚も再婚もせず、自分が自立していくことで、崩壊していた家族をもう一度家族として成立させている。

この本を読んで、薬物依存者の宿泊施設「ダルク女性ハウス」代表の上岡陽江さんが言ってたことを思い出した。「親しい人とのいい関係というのはちょっとさびしいくらいがいいんですよ」と。「そうでなければ、私のすべてをわかってとなって、2コ1の関係、つまり相手が覆いかぶさってしまうことになってしまうから」。まさに、内山家の人たちも、少し寂しいけれども、お互いの関係を保つためにout of homeが必要だったのだろう。
村上龍のこの小説の出来がどうなのかは、私にはわからない。ただ、ひとつの主題のために、モザイクのようなエピソードを破たんなくまとめ上げているのはすごいと思う。ただ、この程度なら私にもできるかもと思うところが、「村上龍の限界」といわれるところかもしれない。ともあれ、私は常にこれまで作者がなぜそれを書いたのかに常にとらわれていた。つまり私は人依存であったと思う。私もまた一人で生きていける人間になりたいと思う。

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