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2010年12月10日 (金)

(22.12.10) 読書会資料 米原万里 嘘つきアーニャの真っ赤な真実

                           2010.12.9
  
中東欧(*)の旧友たちとの再会
         ―米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読む

                              河村 義人

 何となく読むのを先延ばしにしていた本書だが、読んでみるとかなり面白い本だった。本書は「リッツァの夢見た青空」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「白い都のヤスミンカ」の3編で構成されており、いずれも30年以上も前にチェコスロバキアにあった「在プラハ・ソビエト学校」の同級生たちの思い出と再会の記録という共通の構図を持っている。しかし、たとえ結構は同じでも物語の内容や読後感はそれぞれに異なる。物語のヒロインたちの国籍や人生行路がそれぞれ異なるように。以下、物語ごとに内容や読後感をメモしておこう。

 ドクトルになった勉強嫌いの娘リッツァ

 ソティリア・パパドプロス。ギリシャ人。愛称リッツァ。性的に耳年増でも学業は平凡、映画女優を夢見る少女。そんなリッツァは、後年チェコの「東大」とも言うべきプラハ・カレル大学の医学部に進学し、猛勉強して卒業、ドイツで開業医となる。労働者のドイツ人男性と結婚し、二男をもうける。ドイツの医学部の授業料の高さを嘆いて「私みたいに大して頭の良くない貧乏人があれだけ本格的な教育を受けられたのは、社会主義体制のおかげかもしれない」というリッツァの言葉は印象的だ。

 リッツァの父はギリシャ共産党の幹部だったが、軍事政権による弾圧を逃れてチェコへと亡命してきた人物。1960年代前半、リッツァの父は、万里の父同様『平和と社会主義の諸問題』という雑誌の編集局で働いていたが、おそらく同誌編集委員会のギリシャ代表だったのだろう。この父は後に東西間の安い毛皮の「運び屋」となり、商売仲間に「100年に一度出会うか出会わないかぐらいの正直者」と言われることになる。

 リッツァにはミーチェスという女性にモテる美男子の兄がいた。彼は「ソビエト学校」から工科大学へと進学したところで「プラハの春」を迎え、ちょうどその頃スラブ系の美女と出会って恋に落ちたそうだ。その女のことをリッツァは「クソ女」と口汚くののしる。ミーチェスと結婚したその女はやがて贅沢三昧という本性をあらわし、セレブの生活を維持するためにミーチェスはついに「麻薬の運び屋」となる。同じ「運び屋」でもその父とはえらい違いだ。そして、ついに獄につながれ、父親の死に目にも会えないことに…。
ギリシャの真っ青な青空と真っ青な海を誇らしげに自慢したリッツァだが、結局ギリシャには帰れずじまい。祖国が女性蔑視の社会であることやギリシャ人の動物に対する嗜虐性やトイレの不潔さなどがその原因。しかし、そのドイツには芝居、オペラ、コンサート、展覧会といった「文化」がない、とリッツァは嘆く。

 「勝ち組」のユダヤ人・アーニャ

 アナ・ザハレスク。ルーマニア人。愛称アーニャ。友だちに「雌牛」呼ばわりされてからかわれるアーニャは、太っている印象のある愛国心の強い少女。アーニャの特技は、天真爛漫に嘘をつくこと。アーニャは両親のことを誇らしげに「日夜、労働者階級のために、ブルジョワ階級と闘っている」と話すが、ザハレスク一家の暮らしぶりはまさに打倒すべき「ブルジョワそのもの」。

 ルーマニア人としての民族意識が強く、共産主義の申し子のようだったアーニャは、やがてイギリス留学を機にイギリスへと亡命し、旅行雑誌の副編集長となる。また音楽評論家のイギリス人男性と結婚し、二女(?)をもうけ、幸せな家庭を築く。30数年ぶりにあったアーニャは、ロシア語をすっかり忘れ、英語一辺倒になっている。そんなアーニャの習性を言い当てた作者の次の言葉は印象的。「常に勝ち組にい続けるための過剰反応という名の習性」。

 60年代前半、アーニャの父もまた『平和と社会主義の諸問題』誌編集局で働いており、同誌編集委員会のルーマニア代表で、大使より格上だったとか。その父が「ツーケルマン」というドイツ語起源の名前を捨て「ザハレスク」という偽名を名乗った理由は、ユダヤ人という出自を隠すため。「チースタヤ(清潔、純血)ではないルーマニア人」というリッツァの言葉にアーニャが激怒した理由は、ここにある。

 顔立ちがアンネ・フランクに生き写しだったというアーニャにはミルチャという兄がおり、万里が後年再会したミルチャはマルクスかエンゲルスのようにモジャモジャの髭面男になっている。職業は、物理学者。ミルチャには祖国に「たくさん大切な友人がいた」ため、アーニャのように亡命することはなかった。ちなみに、アーニャの兄弟では、ミルチャ一人を例外として、共産党員で出世主義者だった長兄ニコラエもイスラエルへと亡命し、心優しい活動家だった次兄アンドレもアメリカへと亡命している(かつてアーニャが持っていた「黄色いノート」はその「アンドレの形見」)。作者の観察によれば、「ミルチャの存在は、アーニャの良心をチクチクと刺している」らしい。

 アーニャと再会した万里は確かに嬉しそうだが、「勝ち組」にいて何でも自己正当化する旧友の言動に対して常に違和感を感じている。例えば、「あの頃は、私もあなたも、純真無垢に体制を信じ切っていたわね。」というアーニャの言葉に「私まで巻き添えにしないで欲しい」と反発したり、「今の自分は10%がルーマニア人で、残りの90%がイギリス人」と平然とのたまう友人に対し、「ショックのあまり、言葉を失」うという具合に。悪びれもせずにそれを言うアーニャはいかにも「誠実そのもの」、心から自分の言葉を信じているというふうで、これが「嘘つきアーニャ」の「嘘つきアーニャ」たる所以(ゆえん)、と作者は言いたげだ。

 天才肌の芸術家・ヤスミンカ

 ヤスミンカ・ディズダレービッチ。ユーゴスラビア人。通称ヤースナ。地理や歴史の先生顔負けの堂々とした口ぶりで祖国ユーゴスラビア、とりわけ「白い都」ベオグラードの歴史を解説するヤースナ。絵を描かせれば、大胆な構成力と瑞々しい色彩感覚を感じさせる独創的な絵を描いて美術教師を驚嘆させ、生物学の授業では先生の質問にユーモアをまじえて模範的な回答をするヤースナ。「体育とダンスをのぞくあらゆる学科をほぼ完璧にこなしたヤスミンカ」だが、その理由はあらかじめモスクワでロシア語の予習をし、「どの科目も一度履修をしたものばかりだった」から。しかし、再会してその種明かしを聞いても万里のヤースナに対する第一印象は変わらない。すなわち、「ずば抜けて頭脳明晰でクール」という第一印象は。
 ヤースナの父は、60年代前半はユーゴスラビア連邦の在チェコスロバキア公使で、後にボスニア最後の大統領となる人物。

 ヤースナは後年ユーゴスラビアの芸大に進学するが、自分の芸術的才能の無さを思い知り、画家となる夢を諦める。その後、語学的才能(英語、ロシア語、チェコ語)を活かして外務省の通訳となるが、万里と再会した頃にはそれをやめ、フリーの翻訳者となっている。ヤースナは医者の男性(再会当時、国立病院の外科部長)と結婚し、一男一女をもうけ、幸せに暮らしている。ヤースナの生活を羨ましがる万里に対してヤースナが言った言葉は忘れられない。「でもね、マリ、この全てが、いつ破壊し尽くされてもおかしくないような状況に、私たちは置かれているのよ。」

 ここに出てくる「状況」とは、言うまでもなく「戦争」という大状況を意味している。端的に言えば、ユーゴ多民族戦争。ユーゴスラビアは多民族国家(**)で、ヤースナはイスラム教信者の多い「ムスリム人」だが、戦争が始まってから不仲になったという学生時代の親友は「セルビア人」で、ヤースナの夫は「モンテネグロ人」というふうに、8つの民族がひしめき合って生活している。ユーゴ多民族戦争、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ紛争、コソヴォ紛争などは、いずれも複雑な民族間の対立が原因となっている。

 万里の父・米原昶(いたる)は日本共産党の幹部で、先述したように60年代前半にはプラハの『平和と社会主義の諸問題』誌編集局で編集委員の一人として働いていた。万里はその父の海外赴任に伴って「在プラハ・ソビエト学校」に学び、リッツァ、アーニャ、ヤースナなどかけがえのない親友を得た。彼らの共通語はロシア語。万里は今で言う「帰国子女」のハシリだったわけである。
 その父の実家について、作中に次のような記述がある。

  日本にいた頃、夏休みになると、鳥取県にある父の実家へ遊びに行くたびに、自分の 家の生活水準とあまりの格差に愕然としたのを思い出した。数え切れないほどたくさんの部屋があって、名前も覚えきれないほど多くの使用人が傅(かしず)き、身の回りの面倒を見てくれる心地よさ。自分なら、拒否できるだろうか。それができた父は偉いなと、子ども心にも思っていた。戦前、共産党が非合法だった時代に、万人の平等という共産主義の理想に燃えて、父は高額納税者で貴族院議員となった祖父の家を出て、地下に潜った。それは、16年間の長きにわたった。(後略)

 ここに出てくる父の実家は、実は小生の郷里である鳥取県八頭郡智頭町にある。祖父は米原章三という人物。その実家の場所も、故郷に住む母に問い合わせて「ああ、上町(かんまち)のあそこか」と見当がついた。父・昶のことは知らなかったが、章三の名なら馴染みがあった。章三は郷里では山持ちの分限者であり「名士」として有名だったからだ。彼は貴族院議員になる前に智頭町の町会議員や鳥取県の県会議員をつとめたが、小生の父も後に同町会議員や同県会議員をつとめた地方政治家だったので、章三のことはなおさら身近に感じる。しかし、両者には明らかな違いがある。年の差や政治的イデオロギーの違い(彼は自民党出身、父は社会党出身)はもとより、最たるものは貧富の差。(笑)つまり「豪邸」と「あばら家」の違い。(笑)

 故郷の母の話では、今、智頭町のどこやらで米原万里の回顧展が開かれているらしい。見ず知らずの万里さんとも何やら奇しき因縁を感じる今日この頃である。(了)

*中東欧……「東欧」は冷戦期に欧州を東西に分断する東側地域を指す用語で、「中欧」はかつてのハプスブルグ帝国の歴史的・文化的影響を受けた地域概念として使われている。冷戦終結後、「東欧」は解体し、中欧とバルカンに分かれ、中欧の国々はEUやNATOへの加盟を実現した。旧「東欧」とウクライナ・バルカンを含め、「中・東欧」という場合もある。

**ユーゴスラビアは多民族国家……地理的に見た場合、スロヴェニアは「スロヴェニア人」、クロアティアは「クロアティア人」、モンテネグロは「モンテネグロ人」、マケドニアは「マケドニア人」、コソヴォ自治州は「アルバニア人」、セルビアとボスニア=ヘルツェゴヴィナの大半は「セルビア人」で占められ、それらのごく一部に「ムスリム人」が居住する格好。これに「ハンガリー人」が加わり、国内には計8民族が共存している。
宗教別に見た場合、「スロヴェニア人」と「クロアティア人」はカトリック、「セルビア人」「モンテネグロ人」「マケドニア人」はギリシャ正教、「アルバニア人」「ムスリム人」はイスラム教。
文字別に見た場合、「スロヴェニア人」と「クロアティア人」はラテン文字を使用し、その他はキリル文字を使用している。

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