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2010年1月 6日 (水)

(22.1.6) 読書会資料 坂口三千代 「クラクラ日記」

                                              2010.1.5
青鬼の女房
               ――坂口三千代『クラクラ日記』を読む

                                河村 義人

 新年早々、不景気な本を選んだものである。もう少しめでたい本を選ぶべきだった。めでたいのが無理なら、せめて面白おかしい本にすべきだった。例えば、先年亡くなった指揮者・岩城宏之が書いた『森のうた』(朝日文庫、講談社文庫)みたいな。あれは『坊つちやん』を彷彿とさせる青春小説で、芸大時代の山本直純らとのハチャメチャな学園生活を描いたものだから、面白おかしい本には違いない。特に、山本直純青年の描写は抱腹絶倒もので、思い出しただけでも笑える。
 「正月早々、何の因果でこんな辛気臭い本を読むハメに…」と思われたメンバーも多数いたに違いないが、そこは何とぞご容赦いただいて、安吾との出会いや本書の読後感などを一くさり申し述べたい。

 安吾との出会い
 坂口安吾との出会いは意外と遅く、二十歳頃だった。ビラ配りのアルバイトの途中で、都内のどこかの図書館に立ち寄り、安吾の小説集に何気なく目を通したのがキッカケだったように記憶している。そこには、次のような小説の書き出しがあった。

  私は蒼空を見た。蒼空は私に沁(し)みた。私は瑠璃色の波に噎(むせ)ぶ。私は蒼空の中を泳いだ。そして私は、もはや透明な波でしかなかった。私は磯の音を私の脊髄にきいた。単調なリズムは、其処から、鈍い蠕動(ぜんどう)を空へ撒いた。
                         「ふるさとに寄する讃歌」より

この部分は印象的だった。まず、その透明感。それは比類のないものだった。次に抽象度の高さ。これも「散文詩」と呼んでも差し支えないほど高度である。センテンスの短さも韻文の印象を強めており、かつリズム感がある。さらには、視覚、嗅覚、聴覚、皮膚感覚…と、五感に訴える表現も利いていた。
こんな文章を書く坂口安吾というのは、一体どんな小説家だろう?そういった単純な好奇心から、遅ればせに安吾の読者になっていったように思う。

 虚空に耳を澄ます作家
 安吾夫人である坂口三千代の『クラクラ日記』(ちくま文庫)を読んだのは、安吾の代表作は一通り読んだ後、つまり社会人になってからだった。初読の印象を、ぼくは次のように記している。

  どういうわけだか小説家の妻には文才のある人が多い。太宰治夫人・津島美知子、坂口安吾夫人・坂口三千代、武田泰淳夫人・武田百合子、高橋和巳夫人・高橋たか子、開高健夫人・牧羊子、中上健次夫人・紀和鏡等々。とりわけ坂口三千代は『クラクラ日記』(ちくま文庫)という作品を書いたがゆえに、別格として扱いたくなる。
  「クラクラ」というのは眩暈のことではなく、もとは野雀というフランス語で平凡なごく普通の少女をも意味し、作者が経営していたバーの名でもあるようだ。この随筆は、安吾との出会いから別れ(死別)までの8年間の歳月を描いているが、人物描写などが的確で、文章にツヤがあり、夫に対する愛情が行間に滲み出ており、なかなか出色の出来だ。論より証拠、少し引用してみよう。安吾と出会って間もない頃、林忠彦の写真で有名な、あの凄まじく散らかった書斎の一隅の、DDTの白い粉だらけの万年床で、三千代は何日間も眠る。そのときの描写。

どのくらいねむったか見当がつかないけれど、目を覚ますたびに彼が同じ姿勢で仕事をしているのを見た。時々耳をすますような様子をする。そしてまたリズミカルにペンが動く。私が目を覚まして背中をみていると、視線を感じるのか振り向いて黙って私の顔を見る。話しかけたいような気がするけれど、話しかけると小説がとぎれてしまうだろうと思うので微笑して見せた。(P.18)

  ひたすら眠るかと思うと時折目を覚ましてはじっと見つめる女とその脇で文机に向って一心不乱にペンを走らせる小説家。奇妙な光景だが、文章からは双方の目立たない愛情が伝わってくる。しかも、執筆の合間に「時々耳をすますような様子をする」小説家の仕草も、妙に印象的だ。大袈裟に言えば、小説家がインスピレーションを得る瞬間を象徴的に表しているようにすら見える。
安吾がこのとき書いていたものは、はたして何だったのか。年譜を見ると、二人が出会ったのが昭和22年(安吾41歳、三千代25歳)の4月だから、ひょっとすると6月に発表された「桜の森の満開の下」を書いていたのかも知れない。安吾が、あの散らかり放題の書斎の、小さな文机の前にどっかりと胡座をかき、時折虚空に耳を澄ましながら、例えば次のような一節を原稿用紙に書きつけている。

男は血刀を投げすてて尻もちをつきました。疲れがどッとこみあげて目がくらみ、土から生えた尻のように重みが分かってきました。ふと静寂に気がつきました。とびたつような怖ろしさがこみあげ、ぎょッとして振向くと、女はそこにいくらかやる瀬ない風情でたたずんでいます。男は悪夢からさめたような気がしました。そして、目も魂も自然に女の美しさに吸いよせられて動かなくなってしまいました。けれども男は不安でした。どういう不安だか、なぜ、不安だか、何が、不安だか、彼には分らぬのです。(略)
   なんだか、似ているようだな、と彼は思いました。似たことが、いつか、あった。それは、と彼は考えました。アア、そうだ、あれだ。気がつくと彼はびっくりしました。
   桜の森の満開の下です。あの下を通る時に似ていました。どこが、何が。どんな風に似ているのだか分りません。けれども、何か、似ていることは、たしかでした

桜の森の満開の下」より

  そんな想像は、なかなか楽しいものだ。
  そうかと思うと、安吾の孤独な素顔をこんなふうに描写している。三千代の家を訪れ、傍若無人にもゲイシャを呼んで騒ぎ、酔って眠りこんだ翌朝に見た安吾の顔。

……坂口氏は縁側で立てひざか何かの格好だった。おどろいたのはその顔で、今まで見た事もない顔だった。厳しい爽やかさ、冷たさ、鋭く徹るような、のちに何遍かこんな表情を見ているのだが、そのたびに、私はギョッとした。胸をしめつけられるような、もののいえなくなるような顔だ。私は黙って飛び出して来てしまった。こんな顔は見た事がないと私は胸につぶやきつづけた。(P.11,12)

「顔」と言えば、安吾が脳出血でなくなる直前の次のような「顔」も、一度読んだら脳裡に焼きつき、忘れられなくなるような類のものだ。

いま考えれば貴方は死ぬためにもどられたようなものですね。十五日の晩おそくお勝手口の方からもどられて、「オーイ」と云ったのであわてて私はとび出して行きました。
   そしておどろいたのは顔がちいさく茶いろく見えたことでした。つかれているなと思いました。鞄をあわてて受取ると「坊やは」とお聞きになった。「ええ起きておりますよ、待たしておいたのよ」と答えると、よほど嬉しかったらしく、何遍も坊やを抱きあげながら「よかった、よかった」とくりかえしおっしゃった
。(P326)

 青鬼に褌をつける女
 初読の印象はここまで。これを読むと、当時のぼくの関心が、主として安吾の物を書く独得な姿勢とその孤独な素顔にあったことがわかる。しかし、それ以外に、今回再読して新たに印象に残った点や強く感じた点を3つほどつけ加えておきたい。

一つめは、三千代の覚悟について
安吾と「新生活」を始めるにあたって、三千代は前夫との間に生まれた娘(当時4歳)を母に預けることに決めた。そして、当分娘と逢わない決心をする。この覚悟は、非情のなもので、薄情とも映るものだ。これはなかなか普通の人がマネのできることではない。
母の口癖は「あとで泣かないようにしておくれ」で、この時もとうとう匙を投げてそのセリフを口に出す。その時の三千代の思惑。

 あとで泣くなというけれども私は泣くことは覚悟している。人を愛して泣かないで済むことを想像する方が難しい。まして坂口のような人と暮して泣かないで済むだろうとは思わない。彼は好きなように生きる人だ。(P.38)

その予想通り、その後彼女は幾多の試練に見舞われるが、その最たるものはおそらく覚醒剤と睡眠剤の乱用による安吾の凄まじい中毒症状だったに相違ない。

二つめは、アドルム中毒について
安吾のアドルム中毒の話はつとに有名だが、その凄まじさについて一言しておきたい。アドルムという睡眠薬は、通常なら20錠が致死量で、薬に弱い人なら10錠でも死んでしまうことがあるといわれる。それを安吾は最も症状がひどい時には一日に50錠以上も飲んでいた、と三千代はいう。そのアドルムにお酒が加わると、乱心の度はさらに激しくなった。ストップウォッチ片手に「20分以内に蒲田まで行ってヨ―カンを買ってこい!」と妻に厳命して実際に買って来させたり、「2階の窓から階下に飛び降りることさえ出来ればナントカなる」といって実際に全裸で飛び降りたり、とその錯乱ぶりは実に凄まじい。

彼はいかり狂ってあばれまわり始めると、必ずマッパダカになった。寒中の寒、二月の寒空にけっして寒いとも思わぬらしかった。皮膚も知覚を失ってしまうものらしい。それで恥ずかしいとも思わぬらしいのだが、私は恥ずかしかった。女中さんの手前もあるし、私は褌を持って追いかけて行く。重心のとれないフラフラと揺れる体に褌をつけさせるのは容易ではなかった。身につける一切のものはまぎらわしく汚らわしくうるさいと思うらしかった。折角骨を折ってつけさせてもすぐにまた取りさって一糸纏わぬ全裸で仁王さまのように突っ立ち、何かわめきながら階段の上から家財道具をたたき落とす。階段の半分くらい、家財道具でうずまる。(P.93)
 
 文章を書き写していると、ちょっとユーモラスな感じもするが、実際に素っ裸でこんな乱暴狼藉を働いたり、悪鬼のごとく長い丸太ん棒を持って往来に全裸で仁王立ちされようもんなら、使用人を含む家族は、たまったものではない。一気に狂気に巻き込まれ、余裕も冷静な判断力も瞬時にして失われてしまうことだろう。そのことは安吾夫人もきちんと書いている。「彼が狂気で暴れ出すと、私自身も急上昇に狂気になり、一家が全部、大野氏もひっくるめてたちまち狂気になった。実際は全家族が狂気になったということものちになって気付くのであって、その渦中にある時は、ムガムチュウで興奮状態にあることなど、誰も気付きはしなかった。」と。
 大量の劇薬を飲んでも死なない安吾の絶大な生命力もさることながら、それに振り回されながらも正気を保ち続けた家族の精神力にも驚かされる。
 
 安吾の洞察力
 三つめにふれておきたいのは、少し本書の内容とは離れるが、安吾の洞察力について。
安吾という作家は、確かにアドルム中毒などに罹って狂気の沙汰を演じたが、人を見る目は実に確かだった。例えば、同じ「無頼派」の作家と見なされた太宰治の心中にふれた文章の一節。

  死に近き頃の太宰は、フツカヨイ的でありすぎた。毎日がいくらフツカヨイであるにしても、文学がフツカヨイじゃ、いけない。

  芥川にしても、太宰にしても、彼らの小説は、心理通、人間通の作品で、思想性はほとんどない。

  ……通俗、常識そのものでなければ、すぐれた文学は書けるはずがないのだ。太宰はまッとうな典型的人間でありながら、ついに、その自覚をもつことができなかった。

                       「不良少年とキリスト」より

これは並みの小説家に吐けるセリフではない。本質を衝いているばかりか、安吾自身が文学上の「無頼派」ではなかったことを立派に証し立てる記述でもある。
安吾を読むまで、ぼくは彼のことを「低俗な小説や雑文を量産した作家」だと思っていた。ところが、いくつかの小説や如上のエッセイなどを読むに及んでそのような先入観が大変な間違いであったことに気づいた。
したがって、ぼくの安吾に対する評価は相当に高く、今やかつて心酔した太宰治を大きく引き離している。文芸批評家の奥野健男は、その著『坂口安吾』(文春文庫)の中で、安吾は日本の現代文学における「始祖的存在」で、同世代以降の全ての小説家はみな何らかの形で安吾につながっている、と書いている。それはいささかオーバーな表現で、こじつけがましい気がするが、少なくとも安吾が不世出の作家だったことだけは確かである。(了)


「クラクラ日記」(坂口三千代、1989年)
                           2010年1月5日  M.T

この本を読んで、数十年来気がかりだったいくつかの問題の答えを教えてもらったような気がして、感謝しています。この読書会はみなさんから「おみやげ」を頂く会なんだと改めて感じた次第です。年始に読んだ本で、「何かが解るということは、それによって自分が変わるということだ」という一文に触れて、ただ、読み流してきた読書会でしたが、できるならば自分で解ったことだけでもメモしておこうと思います。

******

 「クラクラ日記」を読んで、解ったことの1つは、自分の世界を無にして、相手の世界を受け入れられる人は稀有であり、自分には絶対にできないということだった。高村光太郎の妻、千恵子、ヘッセの第3番目の妻、ニノン、武田泰淳の妻、百合子それくらいしか思い浮かばない。
 「女を作ってその女のために全財産を使い果たしてもいいけれど、自分のところに帰ってきてくるのが約束」「(薬を飲んで)真っ裸で往来に仁王立ちしている人が私の愛すべき夫なのだった」。夫は他人であるから別れることはできるのに、別れることはできないと思いこみ、別れるとしたら自分がばかで安吾を怒らせるから、彼のために別れようと悩む三千代さん。ともに暮したのは約10年。安吾41 歳から50歳までである。
 自分が死んだら「オレの女房だといえば生きて行けるよ」と安吾は言っていたが、損得勘定では到底、一緒には暮らせない。私は身の程を知って、自分の結婚が間違いだったのではないかとか、相手が違っていたらなどと思い煩うことはきっぱりやめようと思った。

 2つめは、天皇についてである。私は、小さい頃から、なぜ身分制度が存在するのかどうしても納得できなかった。特にその頂点にいる天皇について、どうやってそのようなものが存在しているのか、本当のところわからなかった。ところが、今回、坂口安吾の「堕落論」を読んで、自分の考え方が偏狭だったことに気づかされた。「天皇制に就いても極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見る」「我々は靖国神社についてはそのばからしさを笑うが、外の事柄に就いて、同じような馬鹿げたことを自分自身でやっている。そして自分の馬鹿らしさには気づかないだけだ」「人間は可憐であり、脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。…天皇を担ぎ出さずにはいられなくなるであろう」(堕落論)。天皇制はそれによって益をこうむる人々によって作られ、今もなお続いているのだと。(残念ながら?)自分とは関係なかっただけのことだった。

 解ったことは、それだけだが、三千代さんに共感する部分がいくつかあった。安吾は孤独だった。
彼の孤独と向き合っていると、その淵の深さに身ぶるいすることがある。誰もひとを寄せ付けない。彼はいつもたった独りでいるような心のありさまで、お酒を飲んでわあわあと言ってる時でも、その奥にたった独りの彼が坐っている。私はそれをちゃんと見抜くことができる。私はいったい彼の何なんだろう

彼の孤独と向き合っている私はやはり孤独であるのが当然だった。不思議なのは彼が悪鬼のように猛り狂う時、私のこの孤独感がふりおとされることだった。彼が私をののしりわめいている時、私はいつだって動転するが孤独ではなかった

彼が暴れ始めると相変わらず私は体が震えて足が変に軽くなってフワフワして来てしまう。もう、涙がふきこぼれてものも言えないということはなくなったが、馴れるということは絶対にできなかった。そのたびに私の心は宙に飛びあがってしまうのだ

 摂食障害の娘も自分を責めて責めて責めきれなくなると私に当たってくる。暴力はないが暴言を浴びせかけてくる。それは、自分を責めすぎてあふれてしまうからだと医師に教えてもらうまでは、なぜ自分の子供にそこまで言われるのだろうと泣きたくなった。夫なら、即行別れたと思う。三千代さんの洞察力、忍耐力はすごい。いつ収まるものともわからず、近所の世間体も気にしつつ、それでもただ落ち着くのを待つのはつらいものだ。一番つらいのは本人だと解ってはいるが。私の場合、孤独感がふりおとされるという気持ちにはなれない。娘の孤独感をまだ十分わかってやっていないのかもしれない。ただ、拒否しているのではなく求めているのだということはわかるようになった。
 「クラクラ日記」は、安吾との生活が「クラクラする」ようだったから命名したのかと憶測したが、フランス語で「その辺にいる平凡な少女」のことを指すという。三千代さんは謙虚でかわいい女だが、先夫の子供を振り切って安吾との生活に入る強さもある。その辺には絶対にいない女性である。

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コメント

素晴らしいブログを読ませていただきありがとうございます。
これからも更新頑張ってください。

投稿: 街であいのり | 2010年1月13日 (水) 16時16分

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