« (21.1.15) 放逐された神々の由来 河村 義人 | トップページ | (21.3.11) 第7回おゆみ野読書会結果 »

2009年3月10日 (火)

(21.3.10) 良心的知識人の在り方――むのたけじの場合

                                                                      河村 義人

むのたけじの『戦争絶滅へ、人類復活へ―九三歳・ジャーナリストの発言』(岩波新書)を読みつつ思ったのは、加藤周一、鶴見俊輔、日高六郎、小田実、大江健三郎、辺見庸ら同様、むのもまた現代日本を代表する良心的知識人の一人であり、小田や加藤が先年物故したように、最高齢のむのの命もまた風前の灯、ということである。

ジャーナリストとしてのむのが立派なのは、新聞記者としての戦争責任を感じた彼が敗戦と同時に敢然と朝日新聞社を退社した点。

私は、負けた戦争を「勝った、勝った」と言い続け、うそばかり書いていたのだから、ここできちんとけじめをつけるべきだ、と思っていました。けじめもつけずに朝日の社旗をおろして、今度は連合軍のアメリカの星条旗を立てて新聞を出す、というのではおかしいだろう、と。それで、「われわれは間違ったことをしてきたんだから、全員が辞めるべきではないか」と提案したんです。私のそのときの頭では、そうとしか言えなかった。(P.67)

単身朝日新聞社を辞めたむのは、秋田県横手市に転居し、そこでたいまつ新聞社を発足させ、週刊新聞『たいまつ』を創刊する。「たいまつ」とは「松明」、おそらく良心の所在を照らし出す灯、という意味が込められているのだろう。『たいまつ』は、創刊から30年後の1978年に休刊する。その後、さらに30年が経過したわけでだが、むのは『たいまつ』休刊とともにジャーナリストとしての活動を停止したわけではなく、93歳の今もなお執筆や講演にいそしんでいるようだ。

元新聞記者で反戦平和思想家、なおかつ個人的に機関紙を刊行しつづけた人物と言えば、個人雑誌『他山の石』を牙城として戦時中一貫して軍部を批判しつづけた「抵抗の新聞人 桐生悠々」のことが想起されるが、むのは本書の中でその桐生にも言及している。

むのの総括によれば、桐生は「十九世紀のブルジョワ・デモクラシーが日本の土に日本流に咲いた一輪の花だった」となる。換言すれば、「オールド・リベラリスト」「貴族主義」「尊皇リベラリズム」ということで、問題は「尊皇」という点、つまり官僚や軍閥の専横は痛烈に批判しながらも皇室は常に尊崇した点だ、とむのは指摘する。 

つまり、これが桐生の思想の限界であり、その「限界」を容赦なく抉り出して見せるむのは、それを乗り越えた地点に立っていると見るべきであろう。

むのはかつて報知新聞社の従軍記者として中国に行き、また朝日新聞社の従軍記者としてインドネシアに行っているが、反戦平和思想家としての思想的原点は、どうやら後者の戦争体験にあるようだ。

「戦場にいる男にとっては、セックスだけが『生きている』という実感になる。」と話すむのの戦争反対理由は、まことに単純明快である。

 ……戦争をやっているときは、勝っていようが負けていようが同じだ、ということですよ。どこの男も、戦場では同じように残酷なことをやっているんです。戦争は男が中心で、どっちの側に転んでも、女はいつも男のためのエサとして、辱めを受けるようになっている。だからこそ、戦争は絶対にやってはいけない。(P.41)

 これは、単純ながらも強靭な論理だ。説得力の点でも、これを凌ぐ論理はちょっと見当たらない。「正義の戦争」などどこにも存在せず、掠奪、放火、強盗、強姦、殺人、慰安婦買い……といったものを内実とする「本当の戦争とは、家族にさえ苦労談を話せないようなものだ。」とむのは語る。

むのは、「戦争=悪」という単純な言い方をする。むのによれば、戦争をそのように捉える根拠は、①様々な形で女にシワ寄せが行く点、②戦場で男が狂ってしまう点、③住民が相互不信に陥ってしまう点の3点であり、そのような透徹した認識のもとにむのは次のように自らの思想を鮮やかに要約して見せる。

……何としても戦争をやれない世の中をつくらなければいけない。戦争は悪だということを確認するのが、二十世紀にあれほどたくさんの犠牲を払って、私たちがつかんだ歴史の教訓でなければならないでしょう。(P.55)

むのの発想のユニークさは、その戦争観にとどまらない。

例えば、憲法九条の解釈もそう。憲法九条には〝二重性〟がある、とむのは主張する。その〝二重性〟の第1の面は、「軍国日本に対する〝死刑判決〟」という側面。すなわち、交戦権を持つのが近代国家だとすれば、新憲法によって交戦権を奪われた日本は近代国家の資格を奪われたことになり、国家としては屈辱であること。そして、第2の面は、護憲派のお題目とも言える「人類の輝かしい平和への道しるべ」としての側面。これについての説明は不要だろう。とにかく憲法九条には明暗にも似たこの2つの側面があり、日本人は敗戦直後その両面を突き合わせて議論すべきだったのに、それをして来なかった、とむのは語る。

それだけではない。日本の高度経済成長の真の原因が朝鮮戦争の特需であったとする指摘や「高度成長」自体が大きく膨らんだ風船玉のようなものだったとする比喩も印象的だ。「ものを考える人間やジャーナリストならすぐにわかる」はずなのに、それに気づいた時に彼らはそこで立ち止まり、その事実にこだわり、社会に問いかける形で議論をして来なかった、とむのは日本の知識人の怠慢を責める、おそらくはいくばくかの自責の念を込めて。

むのは朝日新聞社を辞めた後に、辞めずにそこに残って「本当の戦争はこうでした」ということを正直に検証する記事(例えば琉球新報社の『沖縄戦新聞』のごとき)を書きつづけるべきだった、と後悔の念を洩らしているが、確かにむののようにラディカルなジャーナリストが戦後も朝日新聞社で健筆を揮っていれば、「憲法九条の二重性」にせよ「高度成長の反省」にせよ、もしかすると世論を形成するところまで行ったかも知れない。

本書の読後感は、羽仁五郎の晩年の書『君の心が戦争を起こす』や小田実の『戦争か、平和か』に一脈通じている。印象的にもそれぞれの筆者の「反戦平和」の視座や主張は似通っており、内容に賛同ないし共鳴した部分が多々あったため、どの本にも赤線を引きまくったという点でも共通している。

本書の聞き手の黒岩比佐子が「まえがき」にブラック・ユーモアじみたことを書いていた。本書のタイトルが逆になったら大変なことになる、と。つまり、「戦争絶滅へ、人間復活へ」が「戦争復活へ、人間絶滅へ」になっては一巻の終わり。ひとたび全面核戦争が起これば、たちまち被害は世界的規模となり、人類に未来はない。アメリカ、ロシアなど世界の7カ国が保有している3万発の核爆弾から信管を抜いて全部無害なものにすること―それが今を生きる人類にとって喫緊の課題と言えよう。

最後に、むのの次なる言葉を嚙みしめておきたい。

……戦争が始まってから反戦平和運動をやったところで、戦争の論理とエネルギーに引きずられてしまう。戦争をなくすには、戦争する必要をなくして、戦争をやれない仕組みをつくらなければだめです。(P.76,77)

                                   (了)

(参考図書)

加藤周一『私にとっての20世紀』(岩波書店、のち岩波現代文庫)

鶴見俊輔『期待と回想』(朝日文庫)

日高六郎『私の平和論』(岩波新書)

小田実『戦争か、平和か―「911日」以後の世界を考える』(大月書店)

大江健三郎『大江健三郎往復書簡 暴力に逆らって書く』(朝日新聞社、のち朝日文庫)

辺見庸『単独発言―私はブッシュの敵である』(角川文庫)

ノーム・チョムスキー『9.11―アメリカに報復する資格はない!』(文春文庫)

                               以 上

                                         2009.3.10

15年戦争と日本の知識人

1.            戦争に対する態度から見た知識人の分類

(1)     「協力(迎合)」型(「転向」を含む)

2)(3)を除く大多数の知識人

(2)     「抵抗(反戦)」型

戸坂潤(思想家)『日本イデオロギー論』

桐生悠々(ジャーナリスト)『他山の石』(個人雑誌)

正木ひろし(弁護士)『近きより』(個人雑誌)

矢内原忠雄(経済学者)『嘉信』(個人雑誌)

林達夫(思想家)『歴史の暮方』

中野重治(詩人・小説家)『齊藤茂吉ノート』

清沢洌(外交評論家)『暗黒日記』

金子光晴(詩人)『鮫』

(3)     「韜晦(沈黙)」型

永井荷風(小説家)『断腸亭日乗』

谷崎潤一郎(小説家)『細雪』

 

2.            ペン部隊

  吉川英治、尾崎士郎、林房雄、岸田国士(くにお)、長谷川伸、阿部知二、

石阪洋次郎、大宅(おおや)壮一、高見順 他

3.            戦後「御用文学者」と目された人々

〈俳句〉加藤楸邨(しゅうそん)

〈短歌〉齊藤茂吉

〈詩〉 高村光太郎

〈小説〉林房雄

cf.〈絵画〉藤田嗣治(つぐはる)

                          以  上

|

« (21.1.15) 放逐された神々の由来 河村 義人 | トップページ | (21.3.11) 第7回おゆみ野読書会結果 »

コメント

一般法則論を読んでください。
  あなたは、一般法則論が正確によく分かる人、かな・・・。
  一般法則論者

投稿: 一般法則論者 | 2009年3月11日 (水) 03時14分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« (21.1.15) 放逐された神々の由来 河村 義人 | トップページ | (21.3.11) 第7回おゆみ野読書会結果 »