(19.6.24)千葉市埋蔵文化財調査センターに応募した
千葉市埋蔵文化財調査センターが、ここおゆみ野の近くの、中央区南生実(おゆみ)町にあるのをご存知だろうか。この街の由来となった、あの「おゆみ」町である。
場所は、京成電鉄学園前駅の近くで、千葉明徳高校の裏あたりといったら分かるだろうか。はっきり言って非常に分かりにくい場所にあり、私は地図検索をして出かけたのにもかかわらず、ようやくたどり着いた。
「何で、こんな場所にあるのだろう」普通の人はそう思う。
しかし、ここは歴史的には重要な場所で、小弓城(おゆみじょう)があったことで分かるように、鎌倉時代から戦国時代にかけて千葉の覇権をめぐって、何度も戦いがおこなわれている場所だ。
その頃はここおゆみ野は有吉と六通を除いて、単なる荒地だったはずだから、センターがある場所は、このあたりの文化の中心地だったと思えばいい。
いまでも、古い農家のたたずまいが残っている。
この調査センターの役割は、遺跡の発掘調査とその整理作業であり、実に地味な作業だが、私はこの仕事にとても興味を持っていた。
「退職したら発掘作業員になるんだ」 同僚にそのことを話したら
「発掘作業は農家のおばちゃんたちの副業だし、整理作業は家庭の主婦の副業さ」とのつれない返事だった。
実際炎天下の発掘作業はクーラーなしに生きられないサラリーマンにとっては、灼熱の地獄のようなものらしい。
また、整理作業も実に根気の要る仕事で、私のようにアバウトな人間には向かないらしい。
それでもあきらめずに、当調査センターのホームページを覗いていたら、発掘した土器類の整理作業員の募集をしていた。昨年の8月頃のことである。
「やれ、うれしや」と思って応募したのだが、当センターの担当者から「未経験者はだめだ」とのつれない返事が来た。
「今は、未経験者だが、そのうち日本を代表する整理作業員になる」と説得してみたが、「そうなってから雇う」なんて軽くいなされてしまった。
「おゆみ野風土記」には「こうして当調査センターは日本を代表する整理作業員山崎氏の獲得に失敗した」と出ている。
ところで当調査センターには、展示室があり、月曜日と祭日を除いて展示物を見せてくれる。展示場は必ずしも広くはないが、まじめな展示がおこなわれているので、おゆみ野近在の人であれば一度は訪問したい場所だ。
また、センターの近くには、大覚寺山古墳や八剣(やつるぎ)神社があり、ここが古来からの文化の中心地だったことが良く分かる。
特に考古学に興味のある人であれば、この近在は縄文時代から古墳時代にかけての遺跡に事欠かないのだから、おゆみ野に住んだことをきっとうれしく思うのではなかろか。
下記に、当調査センターと八剣神社の写真を掲載しておきます。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/196?authkey=XhphOpHLNAo
なお、本ブログと関連するブログは以下のとおり。
(なぜ「おゆみ野」と言うのだろう)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/cat7917236/index.html
千葉市埋蔵文化財調査センターのホームページは以下のとおり
http://www17.ocn.ne.jp/~maibun/
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