旅行 トルコ

(19.7.3)トルコ旅行 その3 パムッカレ

 パムッカレという石灰棚の美しい温泉保養地は、割合良く知られている。NHKでも「探検ロマン 世界遺産」シリーズの一環として放映していたので、見た人もいるのではなかろうか。

 トルコの平原に突如として真っ白な山が見えるので、日本人なら誰でも雪山だと思うが実際は石灰岩の棚なのだ。山全体が、純白の石灰岩に覆われており、特に夕方は夕日に映えてまばゆいばかりだ。
 トルコ語でパムッカレとは「綿の城」と言う意味なので、トルコ人にとっては雪山と言うよりも綿山に見えるらしい。

 石灰成分を含んだ温泉水が流れており、その結果石灰が沈殿して真っ白な棚田のような景観になっている。観光客ははだしになって、その棚田の遊歩道を歩くことができる。少しぬるぬるして、油断すると転びそうだ。

 実は、このパムッカレのすぐ脇に、ヒエラポリスという、実にすばらしいローマ時代の遺跡がある。最盛期には約10万人の人が住んでいたと言われ、15000人収容の大劇場の遺跡もある。
考古学者はこの大劇場の大きさから、当時の人口を推定する。

 私は遺跡が大好きだから、このヒエラポリスの遺跡に大いに期待したのだが、実際は時間がなく、20分程度この都市の入り口の「ドミティアン門」近くで写真を撮っただけだった。

 ヒエラポリスを見る時間が無くなった特別な理由がある
 前にも記したとおり、この種の格安パックツアーでは、添乗員の給与を十分まかなえないため、いきおい添乗員は副業に精を出さざる得ない。

 この時はパムッカレにくる途中で、イタリアに皮革製品を輸出している工房に連れて行かれた。ここでジャンパー等の皮革製品のファッションショーを、30分程度見せられた後、一種の押し売りが始まった。

 工房の中には、40m四方ほどの展示室があり、ここに観光客は追い込まれる。入ると入り口と出口のドアーが閉められて、マンツーマンで販売員がついてくる。
 男性には飛び切り美しいトルコ女性が「これなんか、とてもにあいます」なんて流暢な日本語で勧めるのだが、値段を見ると20万円ぐらいの品だ。

 私は、今まで革製品のジャンバーなんか着た事がないので、その値段が適正かどうか分からないが、衣類はユニクロで十分間に合っている身には、目の玉が飛び出るような値段だ。

もう少し安い品はないのですか」私のイメージは1万か2万のつもりで言ったのだが、出てきた品物は10万前後のものだ。
あなたにぴったりの品物です」くだんのトルコ美人はニコニコ笑っているが「買わないとここから出られないぞ」という雰囲気だ。

 これは早く退散した方が良いと判断し、「トイレに行きたいのですが」と言って、ようやく展示室から逃げ出すことができた。

 同行者の中に、実際に皮革製品を何着か購入して、「イタリアで買うのより格段に安いのだ」と言っていたので、ほしい人にとっては掘り出し物らしい。しかし金輪際皮のジャンパーなど着ることのない身には、押し売りそのものだ。

 添乗員はこうして、安い給与の補填をバックペイでまかなっているのだが、このような工房めぐりで2時間もかかり、その結果ヒエラポリスの遺跡を十分堪能できなかったのはなんとも残念なことだ。
  特に、ここには「ヒエラポリス博物館」もあったのだから、皮のジャンバーより見どころがあったのは確かだ。
 

パムッカレとヒエラポリスの写真です。 
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2006_101004?authkey=So3iIaW7Czc

なお、トルコシリーズ(全般、トロイ、エフェス)は、このブログのカテゴリー「旅行」に入っています。

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(19.6.25)トルコ旅行 その2 エフェス

 エフェス(エフェソスと言ってもほとんどの人が知らない。私も知らなかった。
しかし、行ってみて驚いた。実に壮大な遺跡なのだ。2万4千人収容の大劇場が残されているが、まるでJリーグのサッカー場並だ。ここで剣闘士と猛獣の戦いがおこなわれた。
映画「グラディエイター」の世界だ。

 この街はエーゲ海を挟んでギリシャに面しているため、もともとはギリシャ人の殖民都市だったが、その後ローマのアジア州の首都になった。現在日本のイメージだと東京に対し大阪あたりになる。

 ローマの建造物ならば何でもそろっており、政庁、大劇場、大図書館、大浴場、体育館、競技場、神殿、市場と実に壮観な場所だ。ただし発掘はまだ十分進んでおらず、記憶が正しければ2割程度発掘したにとどまっている。

 トルコ人ガイドのアスペルさんによると「エフェスを世界遺産に登録しようとしたが、大通りの敷石を勝手に敷いて復元したことを理由に、世界遺産として認めてもらえなかった」とのことだ。

 「それなら、敷石を敷き直したらいいのに」と思ったが、本当の理由はまだ、遺跡の発掘が始まったばかりで、時期尚早と思われたのではなかろうか。なにしろどこまで拡大するか分からないような遺跡だ。
 すべての発掘が済めば、間違いなくポンペイ以上の遺跡になりそうだ。

 それにしてもローマだとつくづく思った

 むかし私が高校生だった頃、世界史の先生から「ローマはすべてギリシャの物まねで、水道橋や道路等の建設物のみに、独自性が見られるに過ぎない」なんて説明を受けたため、ローマを見下していたが、まったく間違いだった。

 トルコをはじめスペイン、フランス、チュニジア等のローマの都市遺跡を見れば、現在の都市の原型がローマだったことがすぐ分かる。ギリシャにも確かに同じようなものがあるが、規模が小さすぎて現在の都市のイメージにあわない。

 上下水道、競技場、体育館、政庁、音楽堂、公衆浴場等の公共施設がそろっており、21世紀の日本人でもエフェスにすぐ溶け込めそうなくらいだ。
やはり、都市の世界標準はローマなのだ

 ところで、トルコに旅行すると、実際はギリシャ・ローマの遺跡旅行をしていることにびっくりし、ここがギリシャ・ローマの世界だったことが分かる。
 トルコ人がこのアナトリアの地に進出してきたのは11世紀であり、確かにトルコ人が建てたモスクは立派だが、観光スポットとしてはやはりギリシャ・ローマの遺跡だ。

 このことが、愛国者のガイド、アスペルさんの説明に微妙に影を落とす。
 「トルコ桔梗のみならず、その他の植物(名前は忘れた)がトルコ原産なのに世界がそれを認めないのは、トルコをないがしろにしている」と口角泡をとばして説明するが、トロイエフェスの説明になると、急にトーンが下がる。さすがに、トロイエフェスがトルコ人の町とはいえない。

 反対に言えば、ヨーロッパ人にとって、トルコの地はもともとヨーロッパ人の土地なのに、イスラム教徒に蹂躙されたとの意識がある。
 レコンキスタ(国土回復運動)の意識が芽生えやすい。

 私は、19世紀から20世紀初頭にかけての、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ等のトルコ領土の簒奪は、キリスト教徒のレコンキスタだと思っているが、世界史の記述にそうした説明はない。

 さらに言うと、トルコは愛国教育を熱心におこなっているが、少しでもアイデンティティに疑いがでると、ヨーロッパに取り込まれてしまう危険性があるからではなかろうか。なにしろ遺跡をみればここがヨーロッパだったことが一目瞭然なのだから。

 今回はエフェスの写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2006_101003?authkey=zeMw3gGlJ44

なお、本件と関係するトルコ関連の記事は以下のとおりです。
(トルコ旅行 その1 トロイ)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1969_c78b.html

(退職旅行 トルコ)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1966_3d64.html

 なお、エフェスに関する情報については、以下のHPが参考になりました。
http://members.jcom.home.ne.jp/kazuhiro-ota/turky/efes/efes.html
http://homepage1.nifty.com/cluricaune/turkey/efes.html

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(19.6.9)トルコ旅行 その1 トロイ

 最初の訪問地は「トロイ」だった。ホメロスの英雄叙事詩に歌われている、あの有名な「トロイ」である。
 トロイ戦争はギリシャとトロイの間で行われた10年戦争であるが、最後は「トロイの木馬」の策略により、ギリシャ軍の勝利に終わった。紀元前1200年頃の話である。

 最近封切られたブラッド ピット主演の映画「トロイ」で、トロイの街が炎上する最後の場面は、ちょうど「風とともに去りぬ」のアトランタ炎上のように迫力があった。
 しかし、実際のトロイの街は、ちっぽけな岡の上に築かれたちっぽけな街に過ぎず、炎上はおおげさだ。 この岡をヒサルルクの岡という。

 この岡にトロイの遺跡が埋まっていると信じて発掘したのはドイツ人シュリーマンである。19世紀の終わりの頃にあたる。
 私はシュリーマンのファンであり、彼の自伝「古代への情熱」を感動を持って読んだ。41歳で事業から手を引き、自費で発掘を始めた熱意はすさまじい。
ホメロスを読んで、ほんとにトロイがあるなんて信じているシュリーマンは馬鹿だ」トロイを発見するまでのシュリーマンの評価である。
 彼は語学の天才であり、18ヶ国語を理解したが、いづれも6週間でマスターしたという伝説がある。その中に古代ギリシャ語があった。ホメロスの叙事詩が書かれている言語である。

 しかしトルコ人からは、このシュリーマンはほとんど盗人同然の扱いを受けている。現地のツアーガイドのアスペルさんは大変な愛国者だが、シュリーマンを蛇蝎のように嫌う。
シュリーマンはこの遺跡が9層に分かれていたのに、層別に発掘せずに、上からどんどん掘っていった。ただ金銀の財宝が目当てだったからだ。財宝が見つかると官憲の目を盗んで財宝を国外に持ち出した。単なる遺跡荒らしにすぎない」散々な評価だ。
シュリーマンは盗人だ」アスペルさんの興奮は収まらない。

 シュリーマンのために弁護すると、彼が発掘をしていた19世紀後半は、まだ発掘のノウハウが十分でなく、遺跡発掘といえば片っ端から掘り返すのが普通だった。
 それに黙って財宝を国外に持ち出したのは、当時のトルコ政府は腐敗しきっており、財宝があったなんて分かると確実に横取りされたからだ。
 だまって持ち出すのが一番安全な方法で、おかげで「プリアモスの財宝」として現在でも博物館で見ることができる。

 しかし愛国者アスペルさんの不満はさらに続く。
映画トロイはトロイの遺跡にとってとてもいい宣伝映画だが、不満がある。それはトロイの場所を示すキャプションが『現在の小アジア』となっていたことだ。なぜトルコといわない

  実はトルコ人は世界から常に悪意を持って見られているという被害者意識が強い。
トルコは無視されている。EUは加盟を認めないし、ヨーロッパの歴史書では、トルコ人は暴虐非道に描かれている。映画「アラビアのローレンス」ではトルコ軍は単なるあほ扱いだ

 今回はトロイの遺跡の写真を掲載する。実際に行ってみると分かるが遺跡としては規模も小さく、観光用に作られたトロイの木馬はちゃちで、映画「トロイ」の木馬にはるかに及ばない。
 紀元前1200年の頃に、ローマ時代のような遺跡を期待するのがどだい無理なのだが、評判と実際のギャップにがっかりする人は多い。

(写真集)
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2006_101002

 また、いつものコンピュータ絵画も作成した。自分としては絵画にまた一歩近づけたつもりだが、どうだろう。
 
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/NcEckH

 なお、本件と関連するトルコ旅行のブログは以下のとおり
 http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1966_3d64.html

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(19.6.6)退職記念 トルコ旅行

 昨年の10月、退職記念としてトルコに旅行した。こうした場合、通常はかみさんと出かけるのだが、私は娘と出かけた。なぜ世間一般のようにかみさんと行かないかの説明はかなり難しい。
 一言で言うと趣味がまったく合わないので、一緒に旅行するとしばしば喧嘩になってしまうのだ。

 かみさんの外国旅行のイメージは、高級ホテルでゆったりと食事をし、遺跡巡りなんかはそこそこに切り上げて、ショッピングを楽しもうというものだ。
 一方私の旅は基本的に貧乏旅行で、最低価格の航空券で場末の安宿に泊まり、食べ物は生きていければ何でもよく、遺跡めぐりに一日中歩き回るものだから、どだいかみさんと旅行するのは無理というものだ。

 その点、娘は適応範囲が広く、私との貧乏旅行でも平気だし、かみさんとの豪華な旅行でもOKというわけで、なにかと旅行の相棒として適している。

 今回のトルコ旅行はシーズンを避けていたため、8日間で13万円と格安のツアーだったが、この種のツアーにつきもののハードルをクリアしないと旅行を楽しめない。

 一つは、飛行機の便がとても悪く、今回もアエロフロートを利用したモスクワ経由だった。
アエロフロート? 落ちないかしら」娘の心配である。
 しかもモスクワからすぐに乗り継ぎができるわけでなく、シュレメチェボ国際空港という、世界でもまれな薄暗く陰湿な雰囲気の空港に6時間も待たされてしまった。

 実はシュレメチェボ国際空港が、なぜこんなに陰湿なのかは理由がある。ソビエト時代の空港の役割は、外部から侵入してくるスパイを摘発するのが、最大の目的だったからである。
 日本でいえば、江戸時代の関所と同じで、関所に6時間閉じ込められたと思うとイメージが合う。

 もう一つのハードルは、旅行費用が格安のために、ツアーコンダクターは本業の給与では暮らしていけないということだ。そのため副業に精を出さざるを得ない。
  ここトルコでは、ツアーコンダクターはレザーコートトルコ絨毯宝石店の契約店を持っており、そこにお客を連れて行って、購入金額の一定割合をバックペイしてもらうことで生活している。

 したがって、こおした商品を旅行客に購入してもらうためにじつに涙ぐましい努力をする。
 旅行案内そっちのけで、
トルコのレザーがイタリアに輸出され、いわゆるイタリアの有名ブランド品はすべてトルコからの輸入品で、ここで購入すると格安で入手できる
トルコの絨毯のうち、シルク絨毯が世界一でヘレケという場所で織られている。シルク絨毯はもともとトルコの王様だけが利用できた高級絨毯だ
の指輪はトルコ石だけで、この店は格安なので、ここで買ったのよ

 こおした話が延々と続き、件の店に案内されると、入り口と出口のドアーが閉められて、マンツーマンで売り子が購入を迫る。
  最初から、レザーコートや絨毯やトルコ石を購入しようとした人はともかく、そうでない人は断るのに汗だくだ。逃げ場もない。

 なにしろ、レザーコートの値段は10万前後、トルコ絨毯にいたっては50万から100万もするのだから、インターネットを駆使して、格安の旅行代金をGetしたと喜んでいた身には、晴天の霹靂に等しい。
トルコ絨毯を買う費用で、何回も外国旅行ができてしまう
 悲鳴を上げている。

 私はこうしたツアーになれているので、トイレに行くと称して、会場から抜け出したが、どう見ても裕福とは思われないOLが何十万もするトルコ絨毯を買わされていた。
私、日本帰ったらしばらくお茶付けしか食べられなくなっちゃった
 冷静になったときの感想である。

 格安パックツアーのハードルは以上の二つで、これさえ乗り越えれば楽しい旅行になる。個人旅行に比較して、信じられないような高級ホテルに格安の料金で泊まれるし、食事の心配はしないでよいし、何よりもバスでどこでも連れて行ってくれるので、バスや鉄道の切符の購入で頭を悩ますこともない。

 私は昔は個人旅行しかしなかったが、最近はパック旅行もよく利用する。パックツアーのハードルも慣れてしまえば、対応方法はいくらでもある。要は買わなければ良いだけだ。
 そのかわり私は気に入ったツアーコンダクターや運転手にはチップを渡すことにしている。いらないものを高価な価格で買わされるより、よっぽど気持ちが良い。

 今後トルコ旅行シリーズをブログに掲載する予定である。
今回は、Web写真としてはコンピュータ絵画の何枚かを作ってみた。見ていただければ幸いです。

 http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/yZwKgI

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