家族

(19.5.22) 協会のミサに参加した

 昨今は信じられないような経験が続いている。教会のミサに出席してしまったのだ。息子がオーストラリアの女性と4月12日にバリ島で結婚式をあげたのは記した。
 実は息子と嫁さんは、赤坂にあるJ教会に通っており、この教会のミサの中で二人の結婚を再度、祝福することになった。

 私とかみさんと娘も、息子のために教会にはせ参じたのだが、ミサと言うことを基本的に勘違いしていた。
 我々は、息子の結婚式の日本での披露宴のつもりだったが、実際は教会のミサの中の一部に、息子の結婚のお披露目をすると言う段取りだったのだ。

 だから、参集者はもちろん息子の友達もいるが、この教会に日曜礼拝に来ている人のほうが圧倒的に多く、結婚のお披露目はほとんどつけたしだということがミサの進行にしたがって分かってきた。

 ここの教会はオーストラリア人が中心なのだが、日本人の若者も多い。この教会のミサをご存知だろうか。ほとんどロックコンサートなのだ。後ろにエレキギターやドラムの奏者が控えていて、前に4名の歌い手がいる。演台はコンサート会場だ。
 もちろん歌詞は神をたたえる内容なのだが、リズムはロックそのものだ。
 マイクのボリュームを目一杯上げて歌いだすと、前に若者が集まってきて、右手を高く掲げ、足は飛び上がるようなステップを踏んで踊りだす。けたたましく、騒々しい。

 かみさんは思わず耳を押さえ「これ何」と悲鳴を上げてしまった。
30分ぐらいボリューム一杯のコンサートが終わると、牧師さんのミサが始まるのだが、これも完全にのりのりのミサで「君たち元気か」「イェーイ」という感じなのだ。
 バイリンガルミサといって、牧師さんは英語で話し、それを訳者が日本語に訳すのだが、訳者の方がテンションが上がって、わめいているという感じだ。

 話の内容については、まったく世間話の粋を出ない。しかし時々聖書を引用するのと、10分の1の献金が信者の義務だとの呼びかけと、洗礼を受ければ神の国にいけるとの呼びかけが、ここが教会だと言うことを思い出させるぐらいだ。

 ミサは1時半から始まり、4時に終わったのだが、3時過ぎになってようやく息子の結婚の紹介が始まった。息子と嫁さんが壇上に呼ばれ、 その後関係者全員が壇上にあがって、息子と嫁さんの背中に手を置いて祝福すると言う儀式に参加した。
 私は素直に手を置いたが、娘は息子の肩をつねった。
話が違うじゃない。これが披露宴か」姉の弟へのメッセージである。

 そして、再びボリューム一杯のロックコンサートをして、ようやくミサが終わったのだが、正直言って、私もかみさんも娘もくたくたになってしまった。

 実は当初、我々家族以外に親戚縁者を呼ぶことになっていたのだが、段取りが一向にわからず、最終的には親類縁者は別途お披露目をすることにした。
親戚を呼ばなくて良かった。来たら一生とんでもない披露宴だったと言われてしまう」かみさんの感想である。

 私は教会やミサについてはまったく不案内だったが、教会も時代に合わせて改革をしていたのだと言うことがわかった。何しろ若者が圧倒的に多い。
 若者を集めるために、赤坂の真ん中でロックコンサートが開催されていると思えばいい。若者がのりのりになって、踊っている。
イェーイ、ジーザス万歳

 当方からは、わが家族と、息子の中学時代の友人等3人が来てたのだが、完全に浮いてしまった。何しろ礼装をしているのはこの6人だけで、後は普段着かジーンズスタイルなのだ。
息子のやつ、段取りを知らせないから変だと思っていたら、披露宴なんてもんじゃないよ」かみさんの憤りはおさまらない。

 私も正直言ってびっくりしている。少なくとも日本における常識的な儀式からは完全に逸脱している。息子はミサの実態を我々に話してなかったので、こちらは伝統的で厳かなミサが執り行われるのだと思ってしまった。宗教音楽が奏でられ、賛美歌が歌われ、その中を息子と嫁さんがしずしずと牧師の前にたたずみ、祝福をうける。

 実際は、この年になってロックコンサートに出かけたと言うのが、実態に近い。この教会の信者にとっては、普段のミサなのだが、初めての人にとってはロック会場だ。
 稀有な経験をしたとして楽しむべきか、ばかばかしい経験をしたというべきか、判断に迷っている。
 かみさんと娘は「あのやろう」と言う感じだ。
 少なくともはじめての参加者に対する配慮がなかったのは事実だ。息子が我が家に来た時、一波瀾ありそうな雰囲気だ。。

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