演歌

(19.3.22)長山洋子にしびれた。

2007_03210013_1  恥ずかしながら長山洋子にしびれている。もちろんその美貌にではない。三味線のさばきにである。疑ってはいけない。私が女性の美貌に左右されることのない決定的な証拠がある。私のかみさんを見てほしい。

 しびれた理由はある。長山洋子の二の腕だ。長山洋子が「じょんから女節」を歌うときに、右手を高く掲げ、二の腕を見せたときには心底驚いた。
振袖を着た女性が二の腕を見せることは、今までの常識に反する。だから「この人何んて大胆なんだろう。それにしてもなまめかしい腕だ」と私が思ったとしても不思議ではない。

 さらに私を驚かせたのは、三味線を扱う身体の動きである。まるでプレスリーやビートルズ並ではないか。かつてこまどり姉妹が三味線を持って歌ったときは「やはり三味線は江戸時代の風物詩だ」と思ったが、長山洋子の三味線のさばきは、プレスリーやビートルズより優雅で、魅力的で、大胆だった。
私は年甲斐もなく、思わず手をたたいてしまったほどだ。
いよー、洋子ちゃん

 以来、すっかりこの「じょんから女節」に魅了されてしまい、時間があるとこの歌を口ずさんだ。清掃活動のテーマソングでもある。気持ちが乗らないときには、目いっぱい「じょんから女節」を歌って、気合を入れる。
小学生が「このおっさん、大丈夫か」と言う顔をしているが気にしない。

雪は下から 舞い上がり 赤い裳裾(もすそ)に まといつく(ジャンジャンジャン)・・・・・・・・・

 実は、この長山洋子の三味線の動きは21世紀をリードするエンターテイメントのひとつの型だと思っている。だが残念なことに他の歌ではほとんど三味線を使用しない。三味線のない長山洋子はイチローのでないマリナーズの試合みたいなもので、まったく魅力がない。
三味線と振袖と長山洋子の組み合わせは世界の一級品だ。

 思い余って、長山洋子の三味線を世界に広める会を発足した。熱狂的な会員が一人いる。ロドリゴと言う。
ロドリゴはそれまで主をたたえる言葉以外知らなかったが、「じょんから女節」を聞いてから変節してしまった。二の腕にしびれたのだ。

 当初はそれでも主の祈りの後に、隠れてじょんから女節」を歌っていたが、今は主の祈りを忘れて「じょんから女節」だけを歌うようになった。
大目に見ていた主の怒りが頂点に達したのは言うまでもない。ロドリゴを破門した。「地獄に落ちろ

 ロドリゴは驚愕した。
地獄に落ちては、いままで収めてきた天国年金がもらえない。ジャスコでトップバリューのパンも買えなくなってしまう」 
深い反省の末、ロドリゴは主の祈りを再開した。しかし三味線を手放すのは口惜しい。
ロドリゴは長山洋子のように身体をくねらせ、三味線をならして、主の祈りをはじめた。

主よ、この罪深きロドリゴを許したまえ(ジャンジャンジャン)・・・
しかし世の中とは分からないものだ。これが世界に受けた。人はロドリゴのことを三味法師と呼び、ゴスペルのように主を称える新たな形式が確立したという。

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