里山 都川調節池

(19.7.5)里山開発第7回合同作業報告 都川調節池

 今日(4日)は、「都川源流の自然再生をはかる会」の第7回目の合同作業日だった。すでに不法投棄されたゴミは片付けたし、下草狩りも進んでいたので、今回は間伐作業をおこなうことになった。

 この里山は長らく人の手が入っていなかったため、立ち枯れたり、倒れてそのまま放置された杉の大木があったため、それを地域整備センターから借りたチィエンソーで切断した。
 また、生存競争に敗れ、成長が止まってしまった低木があちこちに生えており、森を暗くする要因にもなっていたため、できるだけ間伐をおこなった。

 会長の I さんのビジョンでは、「明るく下まで太陽が差し込み、カタクリの花が咲き乱れるような、自然環境」を再生したいのだという。
 現状はまだまだ暗い森であり、先日おゆみ野ウォーカーズのTさんが、「一人でこの森を散歩したら、怖かった」と言っていたので、もう少し間伐が必要なようだ。

 今回は、「都川源流の自然再生をはかる会」の5人のメンバーが参集した。
 会長の I さんはこの里山を心から愛しており、3日に開けずここに通っては、草刈機で下草狩りをしている。
ここにいると、池の方から涼しい風が吹き上げてきて、別世界にいるみたいです」 I さんはここの自然環境が好きなのだ。

 力持ちのAさんは、チィエンソーを縦横に操り、立ち枯れたり、倒れている30cm以上もある杉の大木を、1m程度の丸太に切断していた。
このチィエンソーは切れが悪くてね」と言いながら、苦もなく切断する技術は目を見張る。
 森林組合出身ではないかと思ってしまうが、元は日本を代表するネットワーク関連企業の技術者だと言うのだから驚いてしまう。

 エコに詳しいHさんは、この森から池を見渡せる場所をつくるために、草刈鎌でヤブを払っていた。
 池と森の間には水路があり、その土手際にヤブが鬱蒼と茂っている。 ささとつるが絡まった、高さ3m位のヤブをようやくのことできりひらいて明るい場所を作ることができた。
これで森と池の一体感ができてきた」満足そうだ。

 また危ない箇所は、力持ちのAさんと、相撲取りのようなBさんが、間伐した木を使ってくいを打ってくれた。
ここから、入るな」という印だ。

 こおして、都川源流の里山開発は着々と整備が進んでいる。
 間伐も進めば、きっとカタクリの花も咲いてくれるだろう。また、湧き水もあるのだから、蛍も生息できるかも知れない。

 作業が終わった後、調整池の近くの公園で、Bさんが持ってきてくれた、夏みかんを食べながら雑談のひと時を過ごした。
 作業が終わった後のひと時は、いつも満足感がただよう。

ここは、森があり池があり、芦原があって、ちょっと『おゆみ野の尾瀬』見たいな場所だな」Hさんの感想である。
 そお言えば約20年ほど前、息子と二人でこの場所を見たとき、息子が「おとうさんが家を建てようとしている場所は、尾瀬のようなところで、魚がいっぱいいます」と小学校の作文に書いていたのを思い出した。

 今回の里山開発作業の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/1974?authkey=Hk_y2_-4dZM

なお、里山開発シリーズは、このブログのカテゴリー「里山」の中に入っております。

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(19.6.18)里山開発 第6回合同作業報告

 本日(17日)は、都川源流里山開発の第6回目の合同作業日だった。
作業は午後1時から3時の2時間だったが、それに先立ち、里山に隣接するおゆみ野4丁目自治会の会長さんと副会長さんに、「都川源流の自然再生をはかる会」の活動内容の説明をおこなった。

 私たちの活動は、やはり地区の住民の理解の下におこなうのが適切で、そうでないと誤解が発生してしまう。
里山で、変なおっさんたちが草刈をしているが、あれは何なのだろう」

 今回の説明では、
① 私たちの活動は県の地域整備センターとの間で、里親制度に基づく契約を取り交わして作業をおこなっていること
② 主として調節池周辺のゴミの除去や、里山の下草狩りをおこなって、環境改善をはかっていること、
③ 将来的には自然に親しむための、子供たちの環境学習の場にしたいこと

等の説明をおこなった。

 4丁目自治会の会長さんも副会長さんも、説明の趣旨をよく理解してくださり、自治会の定例会議の中で、私たちの活動内容について役員等に説明してくださることになった。

 それにしても、今日の合同作業は暑かった。ほとんど真夏のような太陽が照りつけ、日陰がない場所では熱射病になりそうだった。
 前回までの作業で、不法投棄されたゴミのほとんどを撤去していたので、今回は里山の遊歩道の整備、金襴等の保護活動、松林や里山側面の下草狩りをおこなった。

 この里山には金襴や銀欄が自生しているのだが、盗掘にあってほとんどなくなってしまっている。残された金襴と銀欄を何とかして守りたいと言うのが、再生をはかる会の会長  I さんの心からの希望だ。
盗掘されるかも知れませんが、我々がこの金襴や銀欄を守っていると言うことを分かるように柵で囲っておきましょう」 I さんの言葉である。

 今回の参加は5名だったが、地域整備センターの前任の担当者 Kさんも、自前の草刈機を持って参加してくれた。Kさんは草刈機やチィエンソーの扱いのプロで、私もKさんから草刈機の操作を教わった。
 Sさんは今回参加ができなかったが、その代わりと言ってポンカンの差し入れをしてくれた。

 暑くてふらふらだったが、4丁目自治会長さん等との話し合いもできたし、遊歩道の整備は進んだし、松林の下草は除去できたし、まずまずの成果ではなかろうか。

 今回の作業実績の写真を下記に掲載しておきます。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/617

なお、里山開発については、このブログのカテゴリー「里山」に時系列で掲載してあります。

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(19.6.7)里山からゴミが消えた 都川調節池

 都川(みやこがわ)の源流の一つ、都川調節池の里山とそれを取り巻く調節池周辺からゴミが消えた。
都川源流の自然再生をはかる会」の第5回目の合同作業の結果、1.3t車の車で、都合6回の不法投棄されたゴミの運び出しに成功した。
 合計で8t弱のゴミが、地域整備センターのトラックで、若葉・緑環境事務所に運び込まれたことになる。

 この日は大変暑い日だったが、集まった7名の情熱はすさまじく、ぜひともこの日までに里山からゴミをすべて撤去する意欲にもえていた。 車を出してくれた地域整備センターのYさんも「今回でゴミをすべて運び出しましょう」と乗り気十分だった。

 見てほしいのだ
 
都川源流の里山からはゴミがなくなり、笹は刈られ、遊歩道が整備されつつある。
 小川や池のような子供にとって危険な場所については、次回以降柵等を作って安全対策をはかる予定だ。
池の前の笹は刈らずに残そう。安全対策だ
それでは、子どもが池がみえないな
展望台を作ってやるのはどうだ

もしかしたらこの小川は蛍の生息地になるのではないか
えさの、カワニナはいたっけ
タニシはいたぞ

 集まった7名のうち6名は60歳以上だが、子供のようにはしゃいでしまった。信じられないだろうが、今の60歳以上の元気老人はそん所そこらの若者よりエネルギーにあふれている。

 特にこの活動のリーダ、 I さんの情熱はすさまじく、合同作業日以外にも3日にあけずにこの里山に通い、最近操作をマスターした草刈機で笹の除去を行っていた。

 これに感化されたのか力持ちのAさんは、不法投棄された自転車やバイクを片付けに時間があれば来ていたし、道作りのプロフェッショナルBさんは、家が里山に近いこともあって、暇があれば里山道を整備していた。

 また今回の第5回合同作業には、都川中流域でめだかの再生活動を行っているCさんも初参加した。
  ここ都川源流だけでなく、今や泥川と言われて久しい都川のあちこちで、かつての美しい清流を取り戻す活動が活発化しているのだ。
 

20XX年  都川 フリー百科辞典Wikipedia

 かつて泥の川と言われ、小栗公平の映画の題名にまでなった、千葉の都川は、現在日本有数の清流に生まれ変わり、関東の四万十川と言われている。

 都川がここまで美しく変貌したのには、都川のあらゆる場所で再生活動が行われた結果であるが、特に都川源流の調節池周辺の環境改善が大きな要因となっている。

 この場所の整備は  I 氏が主催するボランティア「都川源流の再生をはかる会」のメンバーの努力によるものであるが、当時60歳を越えていたメンバーはすでに鬼籍に入っている。
 里山の脇にはメンバーを顕彰したレリーフが建てられており、そこには「老人が若者であることを証明し、かつ都川を再生した功績により、ここに『里山と清流を救った人々』の称号を与える。千葉県知事」と記載されている。(文責 亀ゴン)

 今回の作業活動の写真を掲載しておきます。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/xEsVaJ

 なお、都川源流の里山開発の経緯については、このブログのカテゴリー「里山」を見ていただくと時系列的に詳細が分かります。

(追記) 実は大変うれしいお便りをSさんからいただいた。私一人で見ているのではもったいないので、一部転写させてもらっています

 「私は今は千葉市の美浜区に住んでいますが、今から25、6年前の小学校卒業までの子供の頃、支川都川の中流域?を遊び場としていました。
 ちょうど川戸小学校の裏手あたりです。現在は川沿いに遊歩道が舗装整備されています。
 今、このあたりの川の流れは遅く、不透明ですが、当時、川の流れは速くて透明でした。
 深さは浅いところは膝位まで、砂地の川底が「完全に」見えました。
 夏の日にひざまでズボンをたくし上げ、素足で川に入り涼しい川風に当たりながら、ざぶざぶと上流に向かって歩いたことは、今でも鮮明に心に残る思い出です。

 生き物も、現在は大きな鯉や亀、カモのような水鳥がよくいますが、その頃は夏になると小さな蛍が出ました。
 川底にはたくさんの細長い巻貝がいました。あとでそれがカワニナだと知りました。
 他にもいろんな生き物がいました。ギン鮒やクチボソ、虹色に光ったタナゴ。タイコウチ、ザリガニ。
田んぼの方には、よく白いサギがおり、秋に小山に分け入るとあけびもありました。

 皆様が里山の保全活動をされていることで、里山と共になにか自分のとても大事なものも、守っていただいているような思いがしましたので、
感謝を申し上げたく、メールを送らせていただきました。
 本来であれば私も一緒に清掃ボランティアに参加させていただきたいのですが 健康面に訳があり、陰ながらとなりますが応援させていただきます」

 とてもすばらしい文章でしょう。

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(19.5.28)男子一生の仕事

 男の一生なんて分からないものだと I さんはこの頃つくづく思うようになった。
 かつてある航空会社のチーフパーサーとして、世界を飛び回っていた頃を思うと、現在の生き方に自分でもびっくりしてしまうのだ。

 あの頃は、やり手のチーフパーサーとして、女性乗務員の尊敬を一身に集めていた。
 ある時、酔った乗客が女性乗務員のお尻を何度もさわるので、女性乗務員が泣き出したことがあったが、このときの I さんの措置は水際立っていた。

お客様、そんなにお尻をさわりたいのなら、私のお尻を触ってください
  I さんはパンツを脱いで、尻をみせたので、乗客はすっかり酔いがさめてしまったという。

 これは世界的にも有名なできごとで、世界の航空会社が毎年すぐれたパーサーに贈る「パーサー オブ ザ イヤー」の称号を I さんはその年贈られた。記念品は I さんのお尻をかたどったブロンズ像だったという。

  I さんの航空会社での業績はこんなにも高かったが、60歳になったとき、社長の「是非会社に残ってほしい」という懇願を振り切って退職してしまった。

 実は I さんには是非ともやり遂げたい男の仕事があったのである。
 I さんがしようとしたのは、都川の源流の里山開発だった。
 そこにはうっそうとした太古の森が残っており、そばには清らかな水をたたえた池があり、何より I さんを喜ばしたのは、水生昆虫の雄、タガメの生息地でもあった。
 I さんは職業柄、多くの言葉を理解していたが、もっとも得意な言葉はタガメ語で、この池のタガメと友情を深めていた。

 「この生息地を乱開発から守ってほしい
 タガメの透き通るよな目に I さんは心を打たれていたのである。

男子一生の仕事は里山開発である」 I さんの決意は鋼鉄のように硬かった。

 I さんは早速、都川源流の里山開発に着手したかったが、一つの大きな問題が立ちはだかった。この里山に古くから住んでいる亀男が反対したのである。
 この人物は、亀ゴンという陸ガメと一緒に、この里山にテントを張って暮らしていたので、近所の人から亀男と言われていた。
カメハメハの神が里山開発をお許しにならない

  I さんは亀男を説得しようとし、カメハメハの神にお供え物までしたが、亀男の抵抗は激しく最後は決闘で決めることになった。 I さんが押すタガメと亀男の亀ゴンが対決し、敗者は勝者に全面的に従うことにしたのである。

 この決闘の模様はNHKのクローズアップ現代で取り上げられたので、見られた方もあるかと思う。
 大きな口をあけて亀ゴンがタガメをくわえたとこまでは、亀ゴンが有利だったが、タガメがすかさず亀ゴンの舌をかんだので、たまらず亀ゴンが「ひーひー」と泣き出して勝敗が決してしまった。
  以来、亀男と亀ゴンは I さんの軍門にくだり、ともに里山開発に精を出すようになった。
亀に二言はない」負けた後の、亀男と亀ゴンの態度は実に立派なものだったという。

 都川源流の里山は、こうして I さんの指導の下に順調に開発がすすんだ。多くの老若男女も参加してくれた。
 さらにここは世界有数のタガメの生息地として知られるようになり、自然遺産にも登録された。
 I さんの「男子一生の仕事」は成就されたのである。

 しかし、人の命ははかないものだ。 I さんが70歳になったとき、悪性のはしかを大学生からうつされ、余命いくばくもない状態になった。
誰にこの仕事を引き継いでもらえるだろうか」 I さんの残された気がかりは後継者問題だった。

  ともに里山開発を行ってきた亀男はバリ島の海水をたらふく飲んで、すでに数年前に死亡していたので、残るは亀ゴンのほかに亀材はいなかった。

 「亀に二言はない」この時も亀ゴンは I さんの要請を快く引き受けた。こうして都川源流の里山開発事業は今も守り育てられている。

 今回は I さんが開発し、亀ゴンが守っている都川源流の写真を見てもらうこととする。

 http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/I

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(19.5.10)里山開発さらに進む 都川調節池

 都川源流の里山開発はさらに進み始めた。会員も1名増えて9名になった。この日(9日)は6名が集まり、笹の生い茂った斜面の笹薮の除去を行った。ここは道に面した斜面で、残念なことにゴミ捨て場の様相を呈していた場所である。

 笹を除去すると、数え切れないほどのゴミが出てきたが、今回そのほとんどを回収できた。10日には県の地域整備センターが、ゴミの回収車を出してくれるので、ずいぶん美しい里山に生まれ変わるはずだ。

 まだ、路上生活者が捨てていった缶やペットボトルが山ほど残されているが、それを除けば一応のめどは立ったといえる。
 かつて、私が一人でゴミの回収をしていたときは、道路から見えているゴミをとりあえず拾っていただけだが、都川源流の自然再生をはかる会ができてからは、里山は見違えるほど美しくなっている。

 今回は信じられないようなことが2つあった。
 一つは、おゆみ野ウォーカーズの女性メンバー二人が、この里山再生活動に参加してくれたことである。
 おゆみ野ウォーカーズのブログは私のお気に入りに入っており、定期的にチェックしていたが、今回なぜ女性二人が参加してくれたのか知らなかった。

 改めてブログを見てみたら、5月9日のブログ(http://oyw.cocolog-nifty.com/blog/)に参加の経緯が書いてあったので、理由が理解できた。ウォーカーズのメンバーがこの里山を散策していて、作業をしていたリーダの I さんに会い、この日(9日)が定例の作業日だということを知ったようだ。
 いままで男衆だけの作業だったが急に華やいでしまった。

 もう一つは、私のブログの愛読者のKさんが、ブログで定例の作業日であることを知って、差し入れに来てくれたことだ。
 この日は千葉は夏日で、気温は瞬く間に上昇し、水を飲まないと熱射病になるような状態だったので,本当に助かった。
 日陰で団欒しながら、Kさんの差し入れの清涼飲料水や果物やパンをご馳走になってしまった。

 しかしそれにしても、老年パワーはすさまじい。再生をはかる会のメンバーは、全員60歳以上であるが草刈や道つくりを軽々とやってしまう。ゴミの回収はお手の物だ。
 はっきり言って、体力のない若者などまったく寄せ付けないほどの活動力だ。戦後の日本を支えて来た、男魂のようなものを感じた。
まだこうした人たちが生きている間は日本は大丈夫だ
 急に自信が出てきた。

 今回の活動記録についても、写真で紹介します。記録写真なので、ゴミの写真が出てきますが、私たちがどのような場所を再開発しているか見ていただきたいと思います。スライドショーで見てください。
 なお、次回の作業日は20日の午後1時から3時を予定しているので、里山開発に興味のある方は是非ご参加ください。。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/XSeWhI

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(19.4.29)里山開発進む 都川調節池

小谷小学校の前に広がる、都川源流の里山開発は順調に進んでいる。特にリーダの I さんの熱意はすさまじく、時間があれば里山に入り込んで遊歩道の整備にいそしんでいる。
 会の定例の作業日は、月2回であり、4月22日には、7名の参加者を得て作業を進めることができた。
私は、あいにくインフルエンザで寝込んでいたため、参加できなかったが、I さんの活動報告によると以下のようだった。

天気: 曇り / 強風。 
気温: 20度。 
参加者: 計7名。  
時間: 1300~1500 
活動内容: 
① IHさん⇒チェンソーで枯れ木(気になっていた管理道路際の赤松含む)伐採、
②U
さん⇒草刈機で「上の道」(仮称)の拡幅・整備

③Sさん・Hさん⇒草刈機と剪定ばさみで管理道路際斜面のササ刈り、
④Kさん⇒自前の草刈機で管理道路際の下草刈り、
⑤INさん⇒自前の熊手で管理道路際のササ片付け、
⑥I さん⇒調整的作業であっちこっち。 

 チェエンソーと草刈機を県の地域整備センターから借り入れることができたため、作業が思いのほかはかどったといえる。
 里山の中に里山を一周する遊歩道がほぼ完成し、簡単に歩けるようになっている。ただし、水辺近辺にやや危険な箇所があって、そうした場所の安全性を確保してから出ないと、一般の人の出入りは、まだ認められそうにない。

 先日、小谷小学校の校長先生が調節池を眺めていた。話を聞くと
こんな環境のいい場所があるのだから、子供たちの散歩道にしてもいいのではないかしら」と考えていたのだという。
 調節池の周りの道は約1kmだが、いままで学校では「調節池は基本的に入ってはいけない場所」と認識していたのだという。
都川源流の再生をはかる会が、この場所の整備を行っているので、そのうちに自由に遊べるようになりますよ」と伝えておいた。

 次回の定例作業日は5月9日(水)午後1時から3時までの予定。里山開発に興味のある方は是非参加してください。参加はまったく自由です。ただし、長靴と手袋は必須で、自分が作業をする道具を持参していただければ結構です。

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(19.4.5)老人パワーが爆発した

44_004  老人パワーが爆発した。すべて60歳以上の定年退職者、6名が集まって里山開発を始めた。「都川源流の再生をはかる会」の初仕事で、県の「里親制度」に基づく、環境整備事業である。場所は四季の道に隣接した、小谷小学校の前の里山だ。

 遊歩道を作り、笹を草刈機ではらい、チィエンソーで間伐材を切り倒した。草刈機やチィエンソーは、県の千葉地域整備センターのK氏とY氏が持ってきてくれた。手ほどきは経験豊かなK氏がしてくれた。

 一般に老人は物覚えが悪いと思われているが、それは誤解だ。老人になってみればわかるが、認知症が発生していない老人は、反対に物覚えが早い。何しろ今まで生きてきた経験がものを言う。
 早速、草刈機2台と、チィエンソー1台を使いこなし、瞬く間に立派な遊歩道を作ってしまった。

 正直に言うが、この里山開発ほど老人にとって面白いものはない。大きな自然のキャンパスに、おもいっきり自由に絵を書いているみたいだ。 それに空気が異常なくらいおいしい。登山をしなくても森林浴ができる。春の芽吹きも始まった。緑がことのほか美しい。鶯も鳴いている。子供のように嬉嬉として半日の作業をしてしまった。

 こんなにもすばらしい里山だが、道路沿いに沿って不法投棄されたゴミが山のようにある。今回はこうしたゴミをできるだけ回収して、千葉地域整備センターの車で回収してもらった。
44_009  実は里山開発の一番の難敵はこの不法投棄されたゴミの回収作業で、これには千葉地域整備センターが、全面的にバックアップしてくれる。こうした自然再生事業は、老人パワーと熱心な行政がタイアップした時に最大の力を発揮する。

 老人は行動力が衰えると思われているが、実際は違う。60歳なんかは洟垂れ小僧だ。身体はまったく衰えていないし、頭もさえてる。
 だから、年金をもらっているだけでは、安倍総理に申し訳が立たない。いままで生活させてもらったこの社会に少しでも恩返しをするのが、老人の役割だ。
 老人の繰言は世の常だけれど、ご意見番だけではいけない。社会に対する不満があれば、率先垂範して解決を図るのも老人の役割だ。

 札幌農学校のクラーク博士の言葉を思い起こそう。
老人よ、大志をいだけ

 ケネディの大統領就任演説を思い起こそう。
国家が老人に何をしてくれるか問うのではなく、老人が国家に対し何ができるか問うてほしい

 今日は、森林の息吹を身いっぱいに浴びたため、異常にテンションがあがってしまった。老人と若者はすぐに興奮するのだ

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(19.3.21) 7人の侍 都川調節池の再生

Photo_29  七人の侍が都川源流に集まった。源流とは、四季の道の面した都川調節池のことである。いづれも県のエコリーダ養成コースを卒業した指導者で、エコにかけては一家言がある面々だ。別名、エコの7人衆という。
 会の名前は「都川源流の自然再生をはかる会」と言う。この会の発起人である I さんは言う。
雑木林では林床まで日が差し込み、多くの花をつける下草が再生し、元々この地に生息していた多様な生物も復活し、多くの鳥が観察できる、こんなビオトープ、バードサンクチャリーにしたい

 うぅーん、エコリーダの言うことは難しい。バードサンクチャリーは鳥の聖域を作りたいのだと想像できたが、私はビオトープという言葉を知らなかった。  

さっそく辞書を引いてみた。
ビオトープとはドイツ語で、日本語では生物空間と訳される」と書いてある。何のことかさっぱり分からない。さらに読んでみた。
周辺地域から明確に区分できる性質を持った生息環境の地理的最小単位」だと言う。ますます分からなくなった。

 教育における利用の項目を見てようやく理解できた。
自然の水草や水生植物とプランクトン、小さな魚に昆虫の幼虫などの自然環境の成り立ちとそのシステムを、子供たちに学ばせるために、人為的に再生された観察場所」のことだそうだ。それなら分かる。

 今回は会の発足式で、私が現地の案内役をすることになった。この都川調節池周辺はほとんど人が入らない。入る人は、この調節池に鯉やフナが多く生息していることを知っている一部の釣り人と、里山整備のためにつると下草を刈っている私ぐらいである。

 理由がある。ここはおゆみ野地区におけるマムシの最後の生息地であり、夏場は危険で近づけない。
マムシのいる場所には、長靴と厚手のズボンをはき、手も厚手の手袋をしないといけない。飛びかかってくるから、頭も安全のために帽子をかぶる必要がある」と会のメンバーの識者が言った。

葦原はそのまま残さなければいけないな。なかに木製の遊歩道を作ってそこだけが通れるようにしたらいい
 私は尾瀬のイメージと理解した。
笹もすべて刈ってはいけない。もずが巣を作れなくなってしまう。鳥が来る場所は笹を残そう
 私はすべて刈り取るつもりだったので、思わず下を向いた。

 I さんはさらに言う。
この場所は、学校と子供たちが中心になる教育の場にしたい。この場所の名前も子供たちに付けてもらおう
 
 結局毎月2回、この場所をビオトープにするため、7人のエコリーダが活躍することになった。私も及ばずながら現地担当者としてお手伝いをすることになった。

 だが、聞きながらひとつ心配事があった。ここはマムシの最後の生息地である。子供たちを参加させるには、その対策が必要だ。

 2008年X月x日

 ロドリゴ率いる、マムシ討伐隊700は都川調節池の周辺を取り囲んだ。都川野営地にはシャイアンマムシやアラパホマムシの軍団1500が、ロドリゴの襲撃を察知し、洞窟に隠れ、酋長クリバヤシのもとで虎視眈々と逆襲の機会を狙っていた。
 ロドリゴは勇猛果敢だが、かみさんからパーといわれている男である。マムシの数を200と見誤った。洞窟に隠れているとは思わなかったのである。
酋長クリバヤシの首を取ったものには、マムシ酒を振舞う。5日で落とせ」 ただひた押しに押した。

 討伐隊は洞窟に隠れたマムシ軍団の壮烈な反逆にあい、1ヶ月をたっても都川野営地を落とすことができなかった。戦いが終わったとき討伐隊はその半数を失った。
 ロドリゴも帽子をかぶることを忘れたため、マムシに頭を食われ、マムシ酒にされてしまったという。実に壮烈な戦闘だった。

 後にこの戦いをクリントイーストウッドが「都川調節池からの手紙」として映画化し、惜しくもアカデミー賞の受賞を逃した。

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