パソコン

(19.6.23)パソコンのインストラクターは面白い

 私は今、カルチャーセンターパソコン教室に通っているが、最近はもっぱらパソコン教室のインストラクターをしている。
 授業料を払いながらインストラクターをするのもおかしなものだが、実は将来に備えてのインストラクターの勉強をしているのだ。

 この教室の先生によると「もっとも身につく勉強法は、人に教えること」だそうで、確かに自分では何気なく操作をおこなっていたことも、いざ人に説明するとなるとなかなか難しい。

 しかもインストラクターをしてみて分かったことは、この仕事は実に楽しい仕事だと言うことだ。
 「先生」なんていわれてしまうと、もうそれだけで舞い上がってしまう。
 この世界は、知っているか知らないかの世界だから、知らない人から見たら「この人はなんでこんな難しいことを理解しているのだろう」なんて尊敬の眼差しで見てくれる。
 こちらはますます舞い上がって「知らないことでも教えてしまおう」なんてことになる。

 現在、教室が力を入れていることの一つに、写真集の作成がある。なぜ写真集かといえば、パソコン教室の生徒が主として定年退職者や、主婦に移ってきて、昔のようなビジネスユーズが少なくなっているからだ。

 ビジネスマンなら必要なエクセルやワードやアクセス等の需要よりも、もっぱらデジタルカメラで撮った写真の処理のような、趣味系に需要が移っている。
  このなかで最近注目されているソフトの一つにPhotoback(フォトバック)というソフトがあるが、これを使用すると16cm四方の、34ページの写真集ができる。

 私も、息子の結婚式トルコ旅行等の写真集を作ってみたが非常に評判がいい。かみさんは「息子の結婚式」の写真集を常に持ち歩いて「これが、息子の嫁です」なんてやっている。

 このPhotobackのインストラクターをこの教室でおこなっているのだが、やってみて色々な問題点があることがわかった。

 一番の問題点は、出来上がった作品のすばらしさに比べて、このソフトの操作が非常に複雑なことだ
 デザイナーでパソコン操作に習熟している娘に教えたが、
これでは、普通の人はとても操作ができないわ。利用者の利便性をまったく無視している」と散々な評価だった。

 私も実は約1週間あれこれ試行錯誤をして、このPhotobackの構造を理解したが、私のように毎日パソコンをいじっている者でも理解に1週間かかった。
 理由は簡単で、Photobackがギガストレージと言うNTTコミュニケーションズが提供する、(操作性に問題のある)システムとの連動をしているからで、ギガストレージに足を引っ張られて、複雑怪奇なシステムになってしまった。

 実は調べてみると、Photoback独自で独立したシステムになっており、それだけで使用できる。しかしパンフレットには連動のことしか書いてないので、最初はギガストレージとの連動が必須と思ってしまう。
 ギガストレージに悪戦苦闘した後、ようやく「プリントサービスへ」というわけの分からないインターフェイスを利用して、Photobackにたどり着つくのだが、そのときにはへとへとに疲れてしまって、頭が回転しない。
なんて、複雑なわけの分からないシステムなのだろう
 だれだってそお思ってしまう。

 Photobackのためにあえて言えば,「このシステムはギガストレージとは独立したシステムで、それだけで操作できます」とはっきり言うべきだ。少なくともユーザを大事にしたいならば、ギガストレージという操作性に問題のあるシステムをユーザに強いるべきではない。

 第二の問題点は、価格が高いと言うことで、送料込みだと1冊2500円かかる。これでは結婚式のような特別な出費を覚悟した場合のほかは、おいそれと注文できない。
 もし、このシステムを世界標準にするという構想があるならば、価格はせいぜい送料込みで1500円だ(送料を除けば1000円程度)。

 この世界では世界標準にならなければ、いづれ消滅してしまうのだから、Photobackファンの私としては経営者の決断がほしいところだ。

 それにしてもPhotobackのような魅力的なコンテンツができたのに、ギガストレージのような、「はっきり言ってしまえば最悪な」システムと、なぜ連動しなければならないのか理解に苦しんでしまう。

 本件のブログと関係のあるブログは以下のとおり。
(日本のソフトウェア産業は生き残れるのだろうか)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/19612_d45d.html

 なお、写真集のイメージをWebで掲載したいと思ったのですが、残念ながらメールにURLを添付する方法しかありません。もし写真集の実例を確認したい方がありましたら、以下のメールアドレスにご連絡ください。折り返しURLを添付したメールを返送します。
 写真集のイメージは「おおど池から泉谷公園」です。

yamazakijirou@yahoo.co.jp

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(19.4.28)パソコン教室が変わってきた

 パソコン教室というとどんなイメージを描くだろうか。私の場合は特定のビジネスソフト、たとえばワードやエクセルやパワーポインントをある一定時間でマスターさせる場所だと思っていた。
実際、そのような教室もあるのだけれど、最近の動向はビジュアル系ソフトの指導に完全に移ってきたようだ。

 第一に、パソコン教室に通う層は、もはやビジネスマンが主体ではない。私のような定年退職者や主婦が主体で、ビジネスソフトなど普段の生活では使用しない。
 一方、デジタルカメラを片手に四季の道を写しては、フォトショップのようなソフトで編集処理を行い、それをブログで公開するような需要が高まっている。
ねえ、見て。春の道の桜、きれいでしょう

 デジタルカメラの普及は、従来のような写真愛好家でなく、編集処理をしてより美しく、印象的に写真を見せる編集愛好家を育て始めている。実際編集処理を行ってみるとわかるが、写真は編集によっていかようにも見せることができる。
 この編集愛好家の出現に、企業も対応を模索しており、たまたま私が通っているパソコン教室では、とった写真を編集するだけでなく、製本して写真集にしてしまうフォトバックというソフトの教習を行っている。

 写真集そのものは、専門の業者が製本にして郵送してくるのだけれど、編集作業や、レイアウトの検討、文字の入力等はすべて自分で行うので、なかなか楽しい。一昔前だったら、写真集を出すとなると大事だったが、このフォトバックというソフトを使用すると、一人ですべて作業ができて、1冊、約2000円で写真集が出来上がる。

 前にも書いたが、ブログという技術で個人が一人で、小説やシナリオや評論を発表することができるようになり、またフォトバック(これは一般的に認知された言葉ではない)という技術で、写真集まで作成できるようになってしまった。
 ただし、上手な写真集を作り上げるには編集技術の習得が必須だが、これは技術というよりセンスの問題といえる。日ごろからアルバムをまともに整理できない人はあきらめたほうが良い。

 デジタル技術の向上に伴い、デジタル化された商品の価格破壊に毎日驚いていたら、今日、その反対の意味で驚いてしまった。デジタル革命と無関係の分野では、価格上昇が起こっているのだタクシー料金の値上がりについてである
 私などは、この世界はただに収束していきつつあると思っていたので、値上げと聞いて、思わず「うそだろう」と叫んでしまった。どうやら世界は価格が傾向的に低下するデジタル分野と傾向的に上昇するアナログ分野があることがわかった。

 私のような定年退職者はデジタル分野の恩恵を一心に受けながら生活するのが賢い生き方だ。間違ってもタクシーなんかに乗らないようにしようと決心した。

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(19.3.18)禍福はあざなえる縄の如し

2007_03170003  「禍福(かふく)はあざなえる縄の如し」とは、中国のことわざで、「災いと幸福は、撚り合わせた縄のように、交互にやってくる」という意味である。さすがに中国4000年の歴史は侮れない。

 私の昨日(16日)午後から、今日(17日)の午前中かけて一日は、まさにそのような一日だった。

 16日の午後はコンピュータの前でうなっていた。私のコンピュータはほぼ1週間前頃から急激に処理速度が遅くなり、漢字変換に30秒もかかり、立ち上げには10分もかかるようになっていた。

 これでは、いくらなんでも使用に耐えない。第一ブログの原稿もかけない。意を決して再インストールに挑戦していたのである。私の息子は再インストールをまったくマニュアルを見ないで行うが、私はそんな芸当はできない。 マニュアルと首っ引きになる。

 「よし、この項目OK、次」なんて一つ一つチェックをするので、胃がおかしくなってしまった。
インストールはうまくいくかしら・・・うまくいかないとメーカに修理を要請しなくては・・・やはりハードが問題だろうか・・・」なんてぶつぶつ言いながら、半日かけて再インストールを実施した。

 幸いなことに、パソコンは立ち上がり、処理速度も購入時の処理速度に戻った。私は狂喜して言った。
これからは名刺に、《職業:システムエンジニア》と書こう。いや、《再インストールスペシャリスト》と書こうかしら
 娘に「再インストールが成功した」と言ったら「お父さん、やるじゃん。情報処理の資格が光ってるよとほめられた。
 久しぶりに幸福の絶頂にいたのである。

2007_03170004  しかし、「禍福はあざなえる縄」なのだ。今朝、奈落の底に落ちてしまった。いつものように清掃活動をしていた時、ちょうど春の道公園に向かって春の道橋を下っていたら、橋下の左側の街路灯が、3基壊されていた。2基は電灯部が破壊され、1基は基から街路灯そのものを抜き取られ、そばの空き地に放り投げてあった。写真を見てほしい(クリックすると拡大して見ることができる)。

 街路灯の破壊は2度目だ。現在、春の道公園から、そばら公園にかけての一帯で、街路灯の破壊や、プランターの破壊、雑誌に火をつけて遊ぶ行為が後を絶たない。
 私はこうした破壊行為が理解できない。公的な器物を壊すことがどうしても理解できないのだ。途方にくれ、悲しみとも怒りともわからない感情が沸いてくる。
あったまにきた。みんな壊されてしまう
悪魔のささやきに同意しそうだ。「ギロチンにかけろ

 それにしても、破壊行為は日を追ってエスカレートしている。破壊することを楽しんでいる一団がいる。昔のニューヨークのような、無法地帯になりそうだ。今回の街路灯の破壊については、警察に届けておいたが、それだけでは駄目な段階に来ていると思う。

 おゆみ野クリーンクラブの仲間の I さんと、月曜日に千葉南警察に出向き、対応を相談することとした。破壊活動をやめさせる、少しでも有効な手段が見つかればいいのだが。

 だが、禍福はあざなえる縄なのだ。あまり落ち込まないようにしよう。

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