マラソン

(19.3.19)荒川市民マラソン

2007_03180009  今日(18日)は、荒川でフルマラソンを走って来た。荒川市民マラソン東京市民マラソンができる前は、東京でもっとも人気のあるマラソン大会だった。場所が荒川の河川敷を走るため、制限時間が7時間と非常に長く設定されている。
 難を言えば、コースが単調過ぎることで、東京市民マラソンのような名所めぐりというわけにはいかない。ただし申し込めば必ず参加させてくれる親切な大会だ。参加者も15000名と多い。

 ゼッケンNOは速い者順に割り当てられている。私のゼッケンNOは7000番台だったので、参加者のほぼ真ん中程度の走力になる。
 かつて、上位10%以内に入ることを目標にしていたころから見ると物足らないが、すでに60歳になったのだから、高望みはしない。

 記録更新はとうにあきらめており、フルマラソンは完走ができ、4時間以内で入れば満足している。今回は3時間58分だった。十分満足できるタイムだ。

 荒川の河川敷は風が強い。特に北に高気圧が張り出していると、猛烈な北風になる。今年と去年がそうだった。コースは戸田橋から海に向かって21km走り、荒川大橋で折り返ししてくるのだが、行きは猛烈な追い風、帰りは猛烈な向かい風になる。

 帰りはみんな疲れているので、この北風に会うとフラフラになってしまう。私は去年の経験があったので、前半はできるだけ抑えて、後半に力をためておいた。30kmからは、ほぼごぼう抜きの状態になり、約1000名程度抜きさることができた。

 荒川は現在、東京ディズニーランドの脇で、東京湾に注いでいるが、昔からそうだった訳ではない。かつては荒川の下流は墨田川だった。明治43年に大水害があり、多くの人命と家屋が失われた。隅田川は狭い。すぐに決壊してしまうのだ。対応策が検討された。その結果千葉側に放水路を作ることになった。当時千葉側は人家が少なかったが、それでも1700戸の立ち退きが必要だったという。

 工事は大正13年から昭和5年まで、約17年間をかけて行われ、荒川放水路を作った。80年前の話である。現在の岩淵水門のところで、荒川放水路隅田川を分けたのである。
 大変な難工事だったようで、途中で水害や、関東大震災にも遭遇している。以来東京は水害の被害から免れることができた。

 この大会には、大会会長の板橋区長とともに、副会長として荒川下流河川事務所長が必ず出てくる。事務所長は河川敷の重要性を強調することを忘れない。
河川敷は緊急用河川敷道路で大地震などの災害が発生した場合は、緊急物資等の輸送ルートになる」のだそうだ。

 荒川市民マラソンは今年で10回目だが、私はそのうち9回出場している。今後も楽しみのために出場することにしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

(19.3.16)足が目になる 日本山岳耐久レース

2007_03150028  足が目になる信じられないかもしれないが本当の話である。私がそのことを実感したのは、日本山岳耐久レース、別名長谷川恒夫CUPにおいてである。

 長谷川恒夫氏は、世界の岸壁を冬季に1人で登坂した日本の誇るアルピニストだったが、惜しいことに91年10月、パキスタンのウルタルⅡ峰において、なだれに会い遭難した。43歳だった。

 日本山岳連盟は長谷川恒夫氏の偉業を讃えるために、奥多摩の山塊を走るトレッキングレースを開催することにした。距離は73kmだが、山塊である。最高峰は三頭山(みとうさん)で約1500m。スタートは武蔵五日市で標高差は1100mある。

山の73kmを、平地換算するとその2倍、約140km程度のレースに相当する。時期は長谷川氏が遭難した10月10日前後の土日に設定される。

 制限時間は24時間とこの種のレースとしては余裕がある。すべて歩いても完走できる時間だが、一日中歩いていなければならない。
 スタートが午後1時のため、すぐに暗くなる。いわば夜を徹して山中を走り回ると考えればよい。完走率は約半分だから、実際は非常に厳しいレースと言える。


 夜中の登山道は木立に阻まれて非常に暗い。特に曇りや雨の日は真っ暗と言ってよい。もちろん懐中電灯は持っているのだが、暗闇に吸い込まれてほとんど何も見えない。目で見ても足元しか見えない。木の根っこや凹凸は分からない。

 このような時は目で道を探してはいけない。足で探すのだ。ほとんど足の感触に頼ることになる。土の道か、石の道か、岩の道か、すべて足に聞く。根っこはあるか。滑りそうか。傾斜の度合いも、危険かそうでないかもすべて足に聞く。
 すべての神経を足に集中すると、目から得る情報と同程度の情報を足から得ることができることを知る。

 足が目になるのだ。私はこのときまで足にこんな素晴らしいセンサーがあることを知らなかった、目が見えなくても登山道を把握できる。
 「足に聞け」私は念仏のようにこの言葉を唱える。

 私はこのレースに3回出場したが、登山道が見えなくなると、足を目にかえた。そうすることによって完走することができたのだから、足のセンサーは馬鹿にならない。

 もっとも100%、目に変わるかというとそこまでは優秀でない。あるいは慣れていないと言うのだろうか、毎回アクシデントに見舞われている。

 1回目のときは三頭山の稜線で崖から落ちた。幸い5m程度落ちて木に引っかかったのだけど、天と地が逆になって身体が止まった。このような状態になると、当初は自分がどんな立場になって居るのか分からない。どっちが上でどっちが下か分からないのだ。散々もがいて登山道に復帰したときは心底ほっとした。

 2回目のときは、小川にかかった梯子状の橋を踏み外した。梯子と梯子の間があいていたのだが、そこに足を突っ込んでもんどりうって倒れた。痛さは気を失うほどで、タイツからは血がにじみ出ていた。このときはリタイアを覚悟したが、幸い10分程度倒れていたら、痛さが引いたので走ることができた。

 3回目のときは大雨で、あまり転んだため、体中が泥だらけになってしまった。この時は、足に聞いても滑って聞きようがなかった。よくアメリカの海兵隊員が泥の中を匍匐(ほふく)前進する訓練をしているが、それと同じ状態になってしまった。雨の泥道は横滑りがしてとても走れるものではない。

 ただ、いづれのときも、夜は足を目にしていた。普段は気がつかない足のセンサーの能力は驚くほどだ。人間には隠れた能力が残されている。暗闇では足は目になるのだ。

| | コメント (0)

(19.3.7)魔境  川の道270km

逆説の日本史〈6〉中世神風編 Book 逆説の日本史〈6〉中世神風編

著者:井沢 元彦
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 この世には魔境という言葉がある。井沢元彦氏によれば「その宗教が邪教であろうとなかろうと、一定の条件の下に、『悟り』と錯覚するような現象『幻視・幻聴等』は起こりうる。それを魔境という」のだそうだ(逆説の日本史、6中世神風編)。

 実は私もその魔境を見てしまった。これはその報告である。

 私の趣味はマラソンだが、現在のマラソンはスピード系と距離系に分かれる。スピード系については、テレビでよく放映されている東京マラソンのような、あくまでもスピードを狙った競技を指す。

 一方距離系はできるだけ長い距離を走ることを目的として、一般的には100km以上の競技を指す。
 私が魔境を見たのは「川の道270km」という競技で、荒川の河口、東京の葛西臨海公園から、長野県の小諸まで、二日半で駆け抜ける競技だった。こうした競技に参加する人は少なく、数十名のこじんまりしたレースである。物好きとしかいいようがない。5月だった。

 荒川に沿って遡り、更にその上流の中津川を遡ると、奥秩父の最高峰甲武信岳の近くの、三国山(約2000m)の峠にさしかかる。競技は更に峠を降りて、千曲川に沿って小諸まで走るのだが、私が魔境を見てしまったのは、この三国山の峠越えの時である。

 その時は夜だった。すでに180km走ってきており、スタートから1日半が経っていた。途中4時間の休憩は取ったが、眠っていない。その状態で山越えに入ったことになる。5月の山は寒い。その時も氷点下に近かった。

 正直言うが、私は気丈ではない。かみさんからは「蚤の心臓」といわれている位だ。深夜の山道を1人で行くのは恐ろしかったので、やはり気の弱そうな走者と二人で山越えに入った。

 私が幻聴に気づいたのは、中腹まで差し掛かった頃である。回りの小立や、横を流れている川面から、いっせいに笑い声が聞こえてきた。実に楽しげな笑い声で、ケタケタ笑っている。
こんな山奥でいったい誰が笑ってるんだろう
 あまりに不思議なので、止まってしばらく聞いていると、それが木立が風に揺れる音や、川のせせらぎの音だと分かった。しかし笑っているのだ。

 次に現れたのは幻覚だった。ありとあらゆるところから人が飛び出してきて踊りを踊り始めた。実ににぎやかな踊りで、幕末に発生した集団舞踏「ええじゃないか、ええじゃないか」のイメージに似ていた。
いや、すごい。みんな踊っている

 実際に踊っている人のそばまで行くと、それは倒木だったり、岩だったり、道路標識だったりしたのだが、遠くで見ている限り、人の踊りなのだ
 相手が動いているように見えたのは、実際は自分がふらついていたからだが、意識としては相手が動いている。

人が大勢踊っていませんか」 と念のため、隣の走者聞いてみた。
実はやたらと人が見えるんだ」隣の走者はそう答えた。

  もう一つ不思議だったのは、こうした現象を不思議とも思わず、また恐れることもせず、恍惚として見とれてしまったことだ。
こんな世界があるんだ。すごい」 
 まさに魔境である。

 私は30年間の走歴がある。練習もそれなりにしている。それなのに、たった2日間眠ることなく走っただけで、精神に異常をきたしてしまった。
 よくオウム真理教のような邪教集団が、修行と称して数日間眠らせずに、一心不乱に読経させるが、これは魔境を見させるためである。

 人はたやすく魔境を見るものだという井沢元彦氏の説を裏付けてしまった。しかも魔境は人を恍惚とさせる。神と一体になったと思うのも無理はない。オウム真理教の信者で今でも改心しない人がいるが、その理由が分かったような気がした。

| | コメント (0)