健康

(19.5.5)Fおばさん と腰痛

 Fおばさんは、われわれ清掃仲間の一員で、毎週金曜日の鎌取駅周辺の清掃を一緒に行っている。非常に愉快な人で、年齢は70歳のはずであるが、元気だ。
 耳が遠い。補聴器をつけているが聞こえがあまりよくないらしい。私も普通の人の半分程度の聴力しかないので、耳の遠い人の気持ちは良く分かる。

 こちらの話はほとんど聞こえないので,いきおい自分の側から話を始める。もちろん話の前後の関係は完全に無視している。
山崎さん、最近NASの近所で、引ったくりがあって、まだ犯人が捕まってないんですよ。わたしも老人だからいつ引ったくりにあうかと、心配でなかなか一人で四季の道を歩けないんですよ

 今日(4日)金曜日は定例の清掃日だった。時間は10時から1時間程度と決まっている。メンバーの I さんは家庭の用事があって出席できなかった。

 私は朝7時から2時間程度かけて、四季の道を清掃した後で、9時までにいったん家に帰り、10時前にこの鎌取駅の清掃に参加していた
 しかし今日は腰を痛めて、四季の道をまともに歩けず、家にたどり着けないのだ。仕方がないのでジャスコの前のロータリーの縁で寝ていた。

 腰を痛めたのには理由がある。実は4日前から、泉谷公園で坂道走の特訓をはじめたら、早速腰に来て、走れなくなってしまった。本当は体調が悪いときに特訓などしてはいけないのだが、スポーツ選手のサガで、運動をしないと気持ちが落ち込んでしまう。無理を承知で特訓を継続していた。
 この状態で四季の道の清掃活動にでかけたら、 300mも歩くと腰の痛さに耐えかねて清掃活動どころではなくなってしまった。
 ベンチで寝ていると、痛みが引くのでまた清掃を再開するのだが、すぐに横にならないと歩くこともできない。

 おかげで、ジャスコの前にたどり着いたときは10時近くになっていた。「今日は鎌取駅の清掃はできない。休ませてほしい」とFさんに言おうと、ロータリーの縁で寝て待っていたら、 Fさんはいつものように元気よく清掃をしながらやってきた。
 少しのゴミでも手を抜かずに清掃してしまうところは性格なのだろう。
今日は I さんは用事があってこられない」と伝えたところ
じゃあ、山崎さん、二人でがんばりましょう」といわれてしまった。

 腰が痛くて清掃ができないなんてとても言えない雰囲気だ。それに一人ではかわいそうなので、歯を食いしばって鎌取駅の清掃を行った。

 体調が悪いのと、腰が痛いのとが重なって、家に帰ってから夕方まで寝込んでしまったのは情けない。娘に状況を話したら「医者に言ってみてもらったほうが良い」ということになった。

 仕方ない。休み明けに医者に行くことにした。退職して初めての医者通いになりそうだ。

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(19.5.1)体力向上策はあるか

 バリ島から帰ってきてからは、はっきり行って体調が良くない。特にインフルエンザをひいてからはめっきり身体が弱ってしまった。清掃活動をした後などは、1時間ぐらい寝ていないと体力が回復しない。

 マラソンをしても同じで、1時間位は必ず寝ている。あまりに愚だ愚だしているので精神的にも落ち込んでしまった。本音を言えばブログを書くのも大変つらい。精神的に高揚しているときは些細な出来事でも行幸のような気持ちで報告できるが、落ち込んでいるときは逆回転する。

 人生において意義あることは何のないのではなかろうか、などとひどく厭世的になってしまう。「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくと ・・・・」すっかり鴨長明になってしまった。

 こんなときは難しいことは一切やめて楽しく生活していると、そのうち気分も晴れてくるのだけれど、引退生活者でもいくつかのしがらみを抱えている。
小学校のボランティアは週2回だし、里山開発は月2回、鎌取駅の清掃が週1回、走友会の練習が週2回、そして何よりきついのが、毎日行っているブログの作成と、四季の道の清掃作業がある。

かみさんから「定年退職者なんだから、義務感にかられて何かする時代は終わったのよ」といわれるのだけれど、サラリーマン時代の習性からなかなか抜け出すことができない。

 それでも元気なうちは、馬力で押し通してきたが、病気になって馬力もなくなってしまった。対応策としては静かにしているのが一番だと分かっていても、じたばたしてしまう。

 今日は、そばの泉谷公園の坂道を利用して、坂道走のトレーニングを再開した。標高差が30m、長さ300m位の坂道があって、樹木が茂っているため、森林の中を走っているような気分になれる。
 ここは、かつての私のトレーニングコースで、特にスピードプレイをするときには、ダッシュ20本程度をこなしていたことがあった。

 今はかろうじて、坂道を走っているというのが実情で、ダッシュも10本程度しかできないが、それでもこれをすると、なんとなく気分が高揚してくる。幸いに今日も少しばかり、気持ちがハイになった。この連休を機会に何とか身体を作り直して、ランナーの体型に戻り、気力を充実させたいものだ。

 ブログを書いていたら、まだ、現役のサラリーマンだった時代にを持っていたことを思い出した。それは60歳になっても、フルマラソンを3時間半で走れる夢だったのだが、すっかり忘れていた。実際、3時間半で走るのは大変な努力が必要で、私の場合は月に300km程度走らないと、このレベルに到達できない。
 「走友会に入ったのだから、もう一度夢に挑戦しよう」なんて、このブログの書き出しとはまったく違った結論になってしまった。

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(19.4.25)インフルエンザ再掲

 まったく申し訳ないのだが、毎日寝ているだけなので、ブログに記載する内容は、病気の経過報告しかない。
インフルエンザはようやくピークを越えたらしい。頭痛も時折する程度になり、喉のいがらっぽさもだいぶ引いた。身体の節々の痛みも胸の辺りに集中するようになった。
胃がひどく痛んでいたが、ようやく食べ物を受け付けるようになった。ひところに比べると大改善だが、気持ちとしては相変わらずブルーだ。

 ここで無理をするとまたぶり返しが来るので、今日はK小学校のボランティアは休んだ。実はK小学校のフケイの方から、ペンキ塗りの作業をて手伝ってほしい旨、言われていたのだがこれもキャンセルせざる得なかった。

 人間病気になってみると、「普段なんであんなに元気で動き回っていたのだろうか」と不思議な気持ちになってくる。今は起き上がるのさえ一苦労なのだから、四季の道の清掃活動なんて「夢のまた夢」になっている。

 実は何名かの人からコメントやメールで病気見舞いをいただいた。本当にありがたく思っている。我が家の亀以外にも、私の健康を気遣ってくれる人がいることを知ってうれしくなった。

 私は普段、健康そのもののような人間で、外から見ると非常にエネルギッシュに見える。人間はみな自分と同じだと思ってしまうので、たまには病気をしないと病弱な人の気持ちが理解できない。今回はいい教訓としよう。

 それにしても、今回のバリ島のインフルエンザには驚いた。日本のそれとはだいぶ様相が違う。一番の違いは熱が出ないことで、日本のそれは38度から39度の高熱が出てうんうんうなってしまう。

 二番目に咳きも出ない。だから見た目にはただ体調を悪くして寝ているだけに見える。しかしそれ以外については典型的なインフルエンザの症状が出て、猛烈な頭痛、関節の痛み、鼻づまり、胃の不調が主な症状だ。こうした症状が同時平行的に発生する。

 前にも書いたが、異国の地に行くと現地の特有の病気にかかってしまう。若いうちは肉体が丈夫だからさして問題が起こらないが、私くらいの年齢になると大事になってしまう。
年配者が旅行を嫌い、慣れた環境から一歩も外に出ない理由がわかった。間違いなくそれが一番安全だ。

 思い余って「今後は鎌取から一歩も外に出ないぞ」と決心した。

ロドリゴからローマ法王庁へ

 ローマ暦、2007年4月25日。長らく病床に臥していた痴呆との評判が高かった鎌取城主山崎次郎殿は、この病の原因が南蛮渡来によるものという悪魔のささやきに魂を奪われました。その結果、今後南蛮人の渡来および鎌取からの南蛮への渡航を一切禁止する触書を発布しました。

 また、すでに鎌取に定住しているパードレについても30日以内に鎌取退去を命じ、セミナリオも閉鎖されてしまいました。われわれパードレは、仕方なく隣接のちはら台に活動の拠点を移し、主の教えを広める覚悟です。

 それにしても このような措置は神を恐れぬ暴挙であり、山崎次郎殿は必ずや地獄の業火に焼かれるであろう事はまちがいありません。

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(19.4.24)インフルエンザに悩まされている

 バリ島のインフルエンザは日本のそれよりも軽いと見ていたら大違いだ。金曜日からずっとこめかみがずきずきと痛み、胃は荒れてほとんど食べ物を寄せ付けない。骨という骨がぎしぎし痛み、皮膚はやたらと敏感になって下着を着るのも一苦労だ。

 そのうちに改善するだろうと待っていたが、月曜日の今現在でも、こめかみの痛さがなくなっただけであとは改善の兆しが見られない。
ここ4日間は毎日寝ていたのだが、節々が痛んでいるときはまともに寝ることもできない。何度も寝返りを打って身体が布団に接触する面を代えなければ痛くて我慢できないのだ。

 昔、「一日中寝ていられたらなんと幸せなことだろう」と思っていたが、それは健康なときのことで、病気のときに寝ているのは苦痛以外の何者でもない。

 おかげで、ここ4日間は清掃活動も、RUNも、里山開発も、パソコン教室もすべてキャンセルしてしまった。こうした活動も健康なればこそ可能で、病気になると一気に何もできなくなることを再確認した。

 本当はブログを書くのも苦痛なのだが、毎日書くと決心した手前、懸命にパソコンに向かっている。
実は今回はあまりに症状が優れないので、死を覚悟した。
「主はこのロドリゴを主の身元にお招きになさろうとしているのでしょうか

 息子と娘は「医者に行ったほうがいいんじゃない」と言ってくれたが、症状が重いときに医院の待合室で何時間も我慢するのは苦痛だ。医者に行くためにはそれなりの体力がないといけない。

 かみさんは「若くないのにみんなと一緒にシュノーケルなんかするからよ」という。病気のときぐらい優しい言葉がほしいのだが、かみさんは「水に落ちた犬は、棒でたたく」タイプだから期待するほうがどだい無理だ。

 実際肉体の限界に近づいてきた。明日、まだ回復の兆しがなっかたら「主のみもとに参る」覚悟をしよう。

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(19.4.22)体調が悪化した

 バリ島の旅行以来、身体の体調が今一歩だったが、とうとう本格的に風邪をひいてしまった。頭のこめかみがずきずきと痛み、喉の奥が腫れて、何も食べたくない。鼻詰まりもあるので寝てても呼吸が苦しい。
 身体の節々まで痛んできたので、まともに寝ていられなくなった。

 どちらかというとインフルエンザに近い。しかし不思議なことに今までかかったインフルエンザよりは症状が軽い。もしかしたらバリ島特有のインフルエンザではないかと思ってしまう。

 実は外国旅行をすると、今までに経験したことのない病気に見舞われることがある。
昔、タイに旅行したときは、ジュースに入っていた氷を食べたために、ひどい下痢に悩まされた。ほとんど水といってよい。もう少しで当局に届けようかと思っていたら1週間で回復した。届け出たら隔離されていたかもしれない。

 ロシアに旅行したときは、信じられないようなできものに悩まされた。根がやたらと深く、かさぶたをとると穴が開いていた。本格的な治療をして直ったときには実にほっとした。

 今回はバリ島の汚水を目いっぱい飲んでしまったので、何か起こりそうだと思っていたが、インフルエンザのような症状が出たのにはびっくりした。今はただただ、布団の中で寝ている。

 おかげでこの土曜から日曜にかけては何もできなくなってしまった。パソコン教室も走友会の定例JOGも取りやめだ。
 肉体だけが取り柄だったのにこれでは評判が泣く。

 しかしこうしたときに無理をして、症状をこじらすと、それを契機に肉体のレベルが一段階下がってしまう。老人に近づくと思えばよい。
肉体の衰えは、実は傾向的に低下するのではなく、何かの病気を機会に階段状に低下する。
何はともあれ静かに寝ていることにした。

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(19.2.13)僕は健康になってしまった

 どうしたらいいのだろうか。清掃活動をしていてますます健康になってしまった。退職してから6ヶ月、医者には一切かからず、風邪にも、毎年かかっていたインフルエンザにもかからない。

 在職中は月に数回は医者通いをしていた。胃や、耳や、目が定期的に痛んでいたが、血圧が140になり、心臓が痛んだ時は本当に心配になり会社の嘱託医に泣きついた。
今まで、血圧が130より上昇したことがないのに、140になるし、マラソンでスタートダッシュすると、心臓が飛び上がるほど痛くなるんです
山崎さん、60近い人がスタートダッシュすれば、誰でも心臓がいたくなりますよ」と言ったものの、最近の医者は親切だ。
まあ、それでは心臓の負荷テストをして見ましょう」ということになった。

 ランニングマシーンに乗って走り、だんだんと速度と傾斜をきつくして、脈拍数が140になった段階で心臓の波形を見るテストだ。速度が上がり、傾斜もきつくなるのだが、脈拍数は130以上にならない。医者も意地になって速度をあげ、傾斜をきつくしたのだが、やっぱり130前後でかわらない。
いや、素晴らしい心臓ですね。テストができませんよ」と言ってやめてしまった。

 サラリーマン生活をした人ならよく知っているとおり、病気のほとんどは精神的なものだ。仕事が忙しくなり、課題が増えると、胃が痛んだり、めまいがしたり、心臓が破裂しそうになる。
うちのパパさんは気が小さくて蚤の心臓だから、痛むのよ」とかみさんがもっとも正しい診断をしていた。

 退職してからの生活は、約2時間の清掃活動と、約1時間半のJOGと、好きな読書と、プランネットアースのような自然を扱ったテレビを見ることと、最後に日課としてのブログ作成になった。
 精神的な重圧から完全に開放され、血圧は下がり、心臓はいつもの快調な状態に戻ってしまった。

 私のライフ計画では70歳ごろまでは身体が動くはずだから、それまでは清掃活動をすることにしていた。しかしこんなに健康になってしまうと、どう見ても延長せざるを得ない。
 もしかしたら、120歳ぐらいまで生きてギネスブックに載ってしまうかもしれない。毎年敬老の日にテレビに出演する常連になって、
今年も世界の最年長記録を更新している山崎次郎さん120才は、今日も元気に四季の道の清掃活動を行っています。この活動もすでに半世紀を越え、こちらもギネスブックに登録されています。山崎さんの元気な声をお聞きください
いや、元気なうちは清掃活動をすると公言したのがたたって、とうとう120歳まですることになってしまいました。今はただただ一日も早い神様のお迎えをまっており、この苦役からのがれることだけが望みです

なんてことになりかねない。

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