ボランティア

(19.4.26)ようやく身体が動いた

425  インフルエンザにかかって6日目でようやく回復した。腹の周りの違和感以外はなくなったので、思い切ってジャスコまで買い物に出かけた。 私の家からジャスコまではせいぜい1.5km程度だから、普段の私なら何気なく行く距離だ。しかし今回はネット4日間は寝込んでいたので、それなりの決心が要った。ちょうど歩き始めた幼児がどこまで歩けるか試行錯誤しているようなものだ。

 やはり疲労感があり、特に足が張ったのには驚いた。フルマラソンをした後のような感覚だ。しかしまずまずの結果に気を良くして、午後からはK小学校の草刈をすることにした。

 実はK小学校の南に面したつつじの植え込みは、私が前からどうにかしたいと考えていた場所だ。特に運動場に入る門に向かって右側の植栽はほとんど雑草で覆われて、つつじが少しも生長できない。半分はつつじが死に絶えてしまったし、残ったつつじも実に弱弱しい。
 このつつじの再生を本年度から実施することにしていたが、少し私が寝込んでいる間に、マメ科のつる草に表面が覆われて、今年もつつじの運命は風前のともし火だ。

 とりあえずつる草を払ってみたが、何しろ全体の半分はつつじが死んでいるので、この場所をどうにかしないと格好がつかない。予定では松葉菊を植えて、松葉菊の花壇にしたいのだが、天敵がいる。
 この花壇の上を遊びまわる犬がいて、昨年試行的に植えた松葉菊がすべて踏み荒らされてしまった。この松葉菊は我が家の松葉菊を移植したものだ。

 先日件の犬が花壇の上で遊びまわっていたので、犬の所有者に懇願した。
私は、この学校の植栽の管理者ですが、ここにはつつじと花が植えられており、犬がその上を遊びまわると植栽がだめになってしまいます。犬を花壇に上げないようにしていただけないでしょうか

 所有者は「分かりました」といってくれたが、例の犬は「俺の遊びにけちをつけるな」と私に吠え掛かっていた。
 犬から見たら単なる荒地で、所有者もここが花壇で管理している人がいるとは想像していなかったに違いない。

 実際、いったん枯れた場所を元に戻すのは大変な苦労がいる。金をかけて植え替えれば簡単なのだが、なにしろただで元に戻そうというのだから苦労が絶えない。

 まあ、今日はリハビリだ。壊れた中古車が修理を終えて、試運転をしているようなものだから、つる草が除去できただけでもよしとしよう。
 明日からは少しずつもとの生活に戻れるように再訓練だ。

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(19.4.19)四季の道が荒れてる

415_004  1週間ほどバリ島に旅行して、清掃活動をしていなかったら、「四季の道が荒れてる」との話を聞いた。昨日のことである。

 実はこの日曜日の朝には日本に帰っていたのだが、帰った日はふらふらで、一日中寝ていた。翌日はさすがに清掃活動を再開したが、ゴミの量が多かったので、私が住んでいる夏の道を中心に清掃を実施した。

 火曜日の午前中はいつものように K小学校のボランティアをしていたが、いつも四季の道で会うご夫婦に会い、質問された。
四季の道にゴミが散乱していて、いつもの美しさがないが、清掃はやめたのですか。小学校のボランティアにかわったのですか

 私は、ここ1週間ほど旅行していた旨説明したが、どうやら相当四季の道にゴミが散乱しているらしい現状を把握した。
ほっておく訳にいかない。午後は四季の道を清掃しよう

 いつもの、夏の道から秋の道にかけて清掃しはじめたが、KS電気の前の公園で頭を抱えてしまった。大量のダンボールが水を含んで放置されていたのだ。
このダンボールは子供たちがこの公園で、草すべりをするときに下に敷くのだが、そのまま放置されるので、いつも私が片付けていた。しかし今回の量は半端でない。なんでこんなにダンボールが必要なのか理解に苦しむくらいだ。おそらくご夫婦はこれを見て、「荒れている」といったのだと思う。

 45Lのゴミ袋いっぱいに詰め込んだが、それでもまだ残っていたので、そばにあったビニール袋にも詰め込んで帰宅することにした。水を含んだダンボールは重たい。全部で20Kgを超えていたと思う。
30mぐらい歩いては、呼吸を整えなければならなかった。家までは約1.5km位あったので、さすがにため息が出た。

 正直言うが、旅行をした後の清掃活動はつらい。気持ちがまだ旅行気分で気乗りがしないのと、一方ゴミは1週間分がたまっているのでいっぺんで回収できない。連休あけの清掃車のような状態になってしまう。

 今日(水曜日)の清掃は、前日ダンボールは片付いていたので、四季の道を一周できたが、壊れた傘の放置が多いのには閉口した。雨が多かったのだろう。後ろのリックに4本吊り下げて清掃活動をしていたところ、知り合いのHさんに会い、質問されてしまった。
山崎さん、後ろになんでこんなに傘を吊り下げているのですか

 唯一の救いは、清掃活動仲間の I さんのテリトリーだけは美しく清掃されていたことだ。この場所にくるといつもほっとする。

 しかし、それにしても私が1週間旅行するだけで、四季の道が荒れてしまう現状は憂慮すべきだ。私が生きているうちはいいが、死んだらどうなるのだろうかと思うと、おちおち死ぬこともできない。できの悪い子供を持った親のような気持ちになってしまった。

 20XX年○月○日 毎朝新聞 「最後の清掃人死去」

 最後の清掃人と呼ばれていた山崎氏(90歳)が、本日老衰で死亡した。四季の道については、同僚の I 氏が80歳で死去したあと、一人で清掃活動を実施していた。しかし日ごとに体力の衰えが目立ち、最近ではペットの亀に引っ張られながら清掃活動をしていたという。

 見取ったカメゴンの話によると、山崎氏の最後の遺言は「後継者がほしい」だったそうだ。カメゴンが「私が後継者になってもいい」との意思表示をしたが、山崎氏が「ありがとう、気持ちは嬉しいが人間社会のことをカメゴンに面倒かけられない」と涙ながらに断ったのだという。

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(19.4.1)ロドリゴからのお願い

 最近のロドリゴは完全にうつ状態に陥ってしまった。理由はある。四季の道の街路灯の破壊行動が止まず、盗難自転車はますます増え、盗難バイクまで四季の道に放置されるようになったからだ。

 警察にも相談に行ったが「全体問題は地区の自治会や、学校教育の問題だ」とやんわりと断られてしまった。個別に問題が起こるたびに、警察に通報しているが、そのたびに住所・氏名・年齢・連絡先をいわなければならないわずらわしさが付きまとう。

 しばらく前の、犬のウンチに文句を言っていた頃が懐かしいくらいだ。盗難自転車は毎日3台位ずつ増加しているので、盗難・放置自転情報も更新をやめた。量が多いのと、盗難自転車は毎日放置される場所が変わるので場所の特定もできないからだ。

 ペンキでいたずら書きされたベンチを見るのも心が痛む。上からペンキを塗り替えるより手はないのだが、またいたずら書きがされると思うと、塗り替えるファイトがわかない。

 ロドリゴは完全にうつ病になって、四季の道の清掃活動にも支障が出そうだ。特に春の道公園付近に近づくと、心臓の鼓動があやしくなって、目まいまでして来る。昔、仕事でニューヨークに行ったとき、現地の職員から「絶対に近づいてはいけない場所」のレクチャーを受けたが、それに似てきた。

 お願いがある。ロドリゴの窮状を救ってほしい。ロドリゴはやや軽率なところはあるが、心底、四季の道を中心とするこの街を少しでも住み良い街にしようと努力している。
 かみさんからは「パー」と言われながらも、ブログを書いているのもそのためだ。

 このような「ブログ」があり、この街の問題を何とか解決しようとしている人間がいることを、友達に教えていただけないだろうか。一人でも多くの人が見てくれて、声援してくれれば、ロドリゴはすぐに舞い上がってしまう。

 「豚もおだてりゃ木に登る」のだ。ロドリゴがうつ病になって家に閉じこもってしまうと、四季の道はますます荒れ果ててしまう。何とか協力していただけないだろうか。
 幸いこのブログは、ヤフーグーグルで「おゆみ野四季の道」と検索すると、最初のページに出てくる。友達にそのように検索すれば良いと教えていただけないだろうか。

 なお、ロドリゴ本人に励ましのメールをおくる奇特な方は、以下のメールアドレスにメールを送ってほしい。

yamazakijirou@yahoo.co.jp

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(19.3.31)最近の四季の道

330_013  最近の四季の道の現状を書くことは大変につらい。有吉中学校から扇田小学校にかけての春の道周辺で、器物の損壊や、自転車の盗難、ペンキによるいいたずら書き、オートバイの破壊等が後を絶たない。

 私は、ほぼ毎日清掃活動をしているので、どうしてもそうした現場に居合わせてしまう。その都度、千葉南警察署や、千葉南土木事務所に連絡しているのだが、気分がどうしても滅入ってしまう。

 特に器物の破壊については、私が適切な対応ができないので最も悩んでいることだ。春の道橋街路灯については、約2週間前に春の道公園側が破壊され、2日ほど前は、扇田小学校側の街路灯が破壊されてしまった。破壊されていない街路灯を見つけるのが難しいくらいだ。

 また、これも数日前に有吉中学校周辺の壁や指示板に赤のペンキで落書きがされていた。私自身は見ていないのだが、有吉中学校の校門前の壁に、特定の先生を名指しした敵意ある落書きがされていたという。これは学校側ですぐに、上からペンキを塗って消したらしい。
 また個人の家の外壁に、赤い線が一直線に引かれており、その家の主婦が、当惑しながら消していた。

 ますますひどくなる破壊や、落書きを止められないのが口惜しい。捨てられるごみの量が増えることや、犬のウンチが増えること程度であれば、私がどうにでも対応する。ペンキの落書きについても少々のことであれば、上からスプレーで消し去ることもできる。

 しかし、街路灯の破壊や、バイクの破壊、自転車の盗難については何とも手の打ちようがない。警察に届ける端から、次々に発生するので、届けることだけで、疲れきってしまう。

 先日、清掃活動をしていた時、明らかに四季の道を始めて歩いているというそぶりの人が私に「イヤーすばらしい景観ですね」と感嘆していた。
 私は危うく「表面はそうですが、実際はひどい破壊がされているのですよ」と言いそうになってしまった。

 昔見た「アルジェの戦い」という映画を思い出す。アルジェリアの独立を目指すFLNと、それを抑えこもうとするフランスの精鋭部隊との攻防を描いた、ドキュメンタリータッチの映画だ。
 私が思い出すのは、そのときのフランスの落下傘部隊の指揮官マチュー大佐(その後将軍)の言葉だ。
サナダムシは頭をたたかなければけっして死なない

 正直言ってこれは、悪質なサナダムシが徘徊しているのだ。そのサナダムシを突き止めて、頭をたたかなければ解決しない。何ともやりきれない話になってきた。

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(19.3.29)落日燃ゆ おゆみ野の広田弘毅

326_030  「落日燃ゆ」は先日鬼籍に入られた城山三郎氏の名著である。主人公は広田弘毅で、戦前首相まで勤め上げたが、東京裁判で死刑になった。
 著者はこの広田弘毅を「国際協調に尽力し、軍部の独走を必死に食い止めようとした、自己弁明をしない高貴な人物」として描いている。

 私などは戦後教育の最盛期に育ったものだから、戦前の政治家や軍人はみんな好戦家で、広田弘毅もその一人だと思っていたので意外な感じがした。

 実はこのおゆみ野界隈で「落日を燃やしている」人物がいる。私と同じ定年退職者であるが、炎のように燃えている。落日の前のひと時の炎などといってはいけない。落日であると悟ったがゆえに燃えているのだ。

 その人は「都川源流の自然再生をはかる会」の責任者 I 氏である。 現在 I 氏は都川源流の里山で二日とおかず遊歩道の整備にいそしんでいる。

 従来、ここは私しか入ることのない里山で、私は木に巻きついた蔓(つる)と笹薮を切り開くだけで汲々としていた。見ればわかるが、とりあえず切ったという状況だった。

 信じられないことに、そこに I 氏は美しい遊歩道を作ってしまったのである。写真を見てほしい。鎌で笹を根元から切り倒し、切り倒した笹は横に積み重ね、落ち葉だけの遊歩道になったときは、心底驚いた。しかも道を適度に迂回させて、入り口から水辺に通じるように道の設計までしている。

 ここは今まで、マムシと狸が生息していたいわば動物の結界のような場所である。ここを将来地域住民や小学生が自由に遊べる自然とのふれあいの場にするのが I 氏の夢になっている。
山崎さん、ここはいいですね。鶯は鳴いているし、実に静かだ。第一気持ちがいい

 私もここが特別に空気のおいしい場所であることを知っていたので、大いに同意した。回りが木々に囲われているため、住宅地の真ん中にあるのに、深い森林にいるように空気がおいしい。森林浴ができる。

 しかし、私には心配がある。ここはマムシの生息地だ。遊歩道が整備されると人が入ってきてマムシにかまれないとは限らない。もうすぐ春だ。
入り口に《マムシ注意》 の張り紙はしておいた方がいいのじゃないかな」と I 氏に提案した。

 それにしてもここはいい場所だ。不法投棄されたゴミが片付けられ、この都川源流一帯に遊歩道が整備されれば、おゆみ野地区で最高の自然と触れ合える場所になる。なにしろマムシや狸とも触れ合えるのだからすごい。

今日は、嬉しいことがありました。春蘭を二株見つけました」と道造りにいそしむ I 氏から報告があった。実に風流な人だ。

風流の はじめや里の 蘭の春

 芭蕉をまねた。 
 4月からは、県のエコリーダも参加して、本格的な整備も始まる。I 氏人工的でない、自然のままのふれあいの場にするのだというビジョンを持っている。I 氏ならやり遂げるだろう。

 私も及ばずながら協力することにした。

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(19.3.25)犬のウンチ再録

2007_02230009  大変なことが起こってしまった。私が犬のウンチ処理のスペシャリストであることが、知れ渡ってしまったらしい。最近四季の道に放置される犬のウンチが加速度的に増えている。

 最初は道の側面にそおっとウンチがおいてあったが、最近は道の真ん中に堂々と犬のウンチがされるようになってしまった。横と真ん中では処理の仕方が違う。横においてある場合、やわらかければしばらく天日干しにして、乾いてから回収する。そうすると重さも軽くなるし、枯れた木の枝感覚で処理できる。

 しかし道の真ん中にある場合は、すぐに処理しないと自転車や靴で踏まれて、道路がべとべとになってしまう。たいていの場合、やわらかいので回収するのも楽でない。第一重たい。

 先日は京成電鉄おゆみ野駅の近くの道路をまたぐタイル橋の上に、犬のウンチがされていた。私が発見する前に自転車で散々踏まれてしまったため、橋のタイルが黄色く染められていた。いくらなんでもタイルがウンチ色では興ざめだ。
 翌日、登山用のポリタンに水を入れて、トイレブラシで流しておいたが、道の中央に堂々とウンチをするのだけは辞めてほしいものだ。

 私は確かに犬のウンチ処理のスペシャリストだが、犬のウンチが好きな訳ではない。どうも犬のウンチを放置する人は、私のことをコレクターだと誤解しているようだ。あまりのウンチの量にゴミ袋が重くなり、持っている左手が腱鞘炎になってしまった。

ロドリゴ先生、このままウンチを持ち運んでも大丈夫でしょうか
医者犬のウンチで腱鞘炎になった事例は、世界的に見ても初所だ。ぜひとも学会に発表し、科学雑誌ネイチャーにも投稿しよう
ロドリゴ科学雑誌より、左手を直していただきたいのですが
医者何を馬鹿のことを言っとるのかね。これは人類共通の資産になる重要な事例だよ。しばらく腱鞘炎になってなさい

 ロドリゴは腱鞘炎のまま毎日、犬のウンチを処理していたが、量は日を追って増加していった。処理量が限界を超えた日、とうとうロドリゴはうつ病になり、家から一歩も外に出なくなった。
主よお許しください。もうロドリゴには犬のウンチを処理する力は残っていないのです

 だれも清掃しなくなった四季の道には大量の犬のウンチが積み重なり、足の踏み場もなくなってしまった。滑って転び、ウンチだらけになってしまう人が続出した。人々はこの道を臭気の道と改名し、誰一人として近づくものがいなくなったと言う。

 千葉市長はこの事態を重く見、非常事態宣言を発して、ロドリゴの説得を試みた。
2007年のミスター千葉ウンチの栄誉を君に与えよう
 しかし今度ばかりはロドリゴもおいそれと応じる気配がなかった。
 千葉市長の苦悩の日々が続いた。この大役を引き受けてくれるものはロドリゴしかいない。

 そこに知者が現れ、ロドリゴが熱狂的な長山洋子のファンであることを市長にそっと教えた。市長は狂喜して、長山洋子のディナーショウの招待券を用意し、ロドリゴを説得した。

洋子ちゃんと、じょんから女節が一緒に歌えるよ

 信じられない奇跡が起こった。ロドリゴのうつ病は即座に治り、再び四季の道から犬のウンチがなくなった。
 しかしこれもディナーショウまでではなかろうかと言うのが識者の一致した見解になっている。

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(19.3.20)千葉南警察署への相談

 千葉南警察署にボランティア仲間の I さんと出向いた。春の道公園からそばら公園にかけての街路灯の破壊や、プランターの破壊、および雑誌に火をつけて遊ぶ火遊びがたえない件について、対応策の相談に行ったのである。

 結論から言うと「うぅーん」と唸ってしまった。効果的な方策がないのだ。
最初に問題にされたのは、「器物の所有者が損害届けを出して、犯人の捜索依頼をしているかだった。所有者は市と思われるが、直接の管理者は千葉南土木事務所である。

 千葉南土木事務所には、器物破壊がある都度、私からは報告してあるが、その先のことは知らない。警察としては、被害届がないと動けないのだという。

 二番目にこうした問題が発生した場合、地区の自治会が動いてるかと言うことらしい。地区の自治会が行動を起こし、市なりに陳情して、対応策を検討することから始まるのだという。
うぅーん、自分の地区はともかく、他の地区の自治会がどこにあるかは知らない
 さらに、地区をまたがった問題の場合は、地区の自治会を束ねて、その対策を一元化する必要があるらしい。そうしたコーディネータの役割を担う人が必要という。
地区の自治会すら知らないのに、それを束ねるなんてできそうもない

 直接の被害者と地区の自治会が動かない限り、警察では有効な対応ができないというのが結論だ

とりあえず、千葉南土木事務所には、被害届を出しているのか否かを聞くことにしよう。しかし自治会のほうは人的被害が出た場合はともかく、公共物が壊されたぐらいで、動くだろうか。火遊びが火事になるまでは動かないのではなかろうか。どうしよう

 どうやら今までの活動を継続していくしかないことが分かった
千葉南土木事務所には都度報告をする。今までは1週間に一度だったが、発見しだい報告することにする。 
 また、実際の被害の検証等は交番に勤務する警察官が出向くので、交番にも都度報告する。

 後は、こうした事態が発生していることを、多くの人に知らせる活動が必要だが、現状はこのブログが唯一の情宣の場になっている。少なくとも四季の道をトータルとしてみて、問題の所在を指摘しているのはこのブログしかない
 何しろ毎日、四季の道を清掃しながらチェックしているのだ。
情宣の場としては、いささか役割不足だが、これも継続していくよりしょうがないな。そのうちにこのような問題に関心がある多くの人が、このブログをみて、コメント等で情報交換ができるようになるかもしれない

 地道な活動を継続するしかないという、いつもの結論になってしまった。

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(19.3.15)悪い予感

2007_03140023_2  悪い予感が私を苦しめている。予感の内容は2つある。一つは私的なもので、もう一つは公的なものだ。

 私的な予感は、私のパソコンの動きがどんどん悪くなって、もう少しで停止しそうになっていることだ。当初は文字の変換速度だけが悪いのだと思っていたが、すべての動きが悪くなってしまった。ウィルスバスターのファイル検索などは最初20分ぐらいで終わっていたのに、今では2時間もかかってしまう。

 デフラグもやったし、不要なプログラムの削除も行った。それでも速度は悪くなる一方だ。最後は再インストールだが、これは時間がかかることと、結果がどうなるかはやってみなければわからない。
 さらに追加で入れてきたソフトの問題がある。自分で購入したソフトは手間ひまだけの問題だが、友情で分けてもらったソフトについては、再び友情を当てにしなくてはならない。
 再インストールも口で言うほど楽ではない

 今は、一旦システムを終了すると、立ち上げに10分もかかるので、落とすこともできなくなってしまった。頭を抱えている。

 だが、これは私的な問題だ。努力すれば何とか解決できる範囲にある。問題なのは公的な方で、最近四季の道火遊びがたえない

 朝、清掃をすると焼け焦げた紙が散らばっている。たいていの場合はただで入手できるタウン紙を大量に持ち込んで、それに火をつけている。手で持てる量ではない。前は金沢小学校の近くの「はちまんがた公園」だったが、今は、扇田小学校の近くの「そばら公園」に移っている。

 先日、私の清掃仲間の I さんが「そばら公園」で、隣接する住宅地の空き地の雑草が燃えているのを発見し、警察に通報した。そのときは消防車も駆けつけ雑草だけが燃えただけですんだが、いつ大惨事になるかわからない。
 今朝も燃えた紙くずが散乱していた。写真がそれである。

 実は扇田小学校周辺では最近器物の破損も頻発している。1m程度の高さの街路灯のほとんどが、バットのようなもので破壊されていた。  南土木事務所で修理をしたが、街路灯は撤去され、マンホールに変わっている。また街路灯にして壊されてはたまらないのだろう。

 また、扇田小学校前の花壇のプランターがけ飛ばされて、土が道路に散乱していた。 I さんと二人でプランターに土を戻しておいたが、意図的な破壊をしている人がいる。

 朝、燃やされた紙くずを見るたびに悪い予感が私の脳裏によぎる。そのうちに大惨事になるのではないかと心配でならない。

 2つの悪い予感に、このところロドリゴは、うつ病になりそうだ。
主よ、ロドリゴはどうしたらいいのでしょうか

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(19.3.10)不思議な場所を見つけた おゆみ野駅の駐輪場

2007_03040030  不思議な場所を見つけてしまった。京成電鉄のおゆみ野駅の駐輪場のことである。このところ鎌取駅の駐輪場問題でフィーバーしたので、やたらと駐輪場に関心がいくようになってしまった。

 このおゆみ野駅駐輪場はまったく使用されていない。自転車は駅の改札口の近くに留められている。一方、改札口から約100m近くあるこの駐輪場は、壊された自転車とバイク、それにその部品が散らかっており、回りにはゴミくずがあちこちに散らばっていた。
 ここで、自転車やバイクを分解して遊んだ跡もある。一言でいって犯罪の臭いのする実に怪しげな場所なのである。

 私は長い間この場所を避けるようにしていた。かかわるととんでもないことになると本能が警告していたからである。
 しかし四季の道に面して設置されているため、清掃するたびにこの怪しげな場所を見させられていた。ついにゴミに誘われて、この場所に踏み込んだのだ。

 普通の人はゴミがあると避けるのだが、私の場合は誘惑されてしまう。清掃後の清潔なイメージが浮かぶと、居ても立ってもいられなくなるところは、ほとんど病気といっていい。スイーパーとしての本能が私を魔界に誘いこむ。

 壊された自転車とバイクを一箇所に集め、散乱していた部品も集積して、紙くずや、空き缶を整理したら、かなり清潔なイメージに変わった。少なくとも犯罪の臭いは払拭できた。

 自分としてはかなり満足していたのだが、ふとある重要な事実に気がついた。いくら清掃しても使われることのない駐輪場を、なぜ市(京成電鉄?)は用意し、なぜ私が懸命に清掃しなければいけないのか。

 ひどい矛盾だ。
こういうのを絶対矛盾の自己同一」というのだとかみさんが教えてくた。かみさんは哲学教室に通っていて哲学に詳しい。
うぅーん、教養がある
 
 もっともかみさんに言わせると
 「外の掃除ばかりしないで、たまには家の掃除をしたらどうなの。自分の部屋だって掃除機かけない」方が絶対矛盾なのだそうだ。

 思い余って当局に異議申し立てをしようと考えていたら、信じられないような光景を見てしまった。夕刻にランニングをしていたら、そこでテニスの練習をしているではないか。きれいに整理された空間はテニスをするのに最適な場所になっていた。

 なんと、私はテニス場の管理人になってしまっていたのだ。
それにしても人間というものはすぐに環境に適応するものらしい。

 うぅーん、テニスコートになるのなら、子供の遊園地にも、遊び場にもなりそうだ。私は当局の裏をかいてここを私の好きなような環境に変えることにした。
 当局への異議申し立てはしばらく止めよう。

 絶対矛盾は止揚されたのである。

 「我が家の絶対矛盾はどうしてくれるの」かみさんの言葉である

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(19.3.9)鎌取駅前の清掃について

2007_03080011  鎌取駅前の清掃をしようと提案したのは I さんである。
定年になってからは鎌取駅に行くことは少ないのですが、やはり街の顔だから清掃しましょう

 私は四季の道の清掃で疲れていたので消極的だったが、誘われると断れないタイプなので、元気よく返事をした。
駅が汚いと、その街の印象を決定してしまうから、やりましょう
 返事だけ聞くと私がやる気満々だと、大抵の人が勘違いする。

Ⅰさんと毎週金曜日の10時から、1時間程度清掃を行うと約束した。Fさんはこの話を聞いて「私もさせてくださいな」と参加を希望した。奇特な方である。

 実は駅前の清掃についてはいくつかの団体が実施しているのを私は知っていた。
 ジャスコの自転車の整理を行っているシルバーセンターの方(と思っている)が、毎週火曜日にジャスコと駅を結ぶ歩道橋の清掃を実施していた。
 また、駅前の花壇を管理している「花のほまれ会」の人が、花を植え替えるタイミングで清掃を行っていた。
  さらにタクシー会社の方が、タクシー乗り場周辺の清掃をしている。

 従って、私たちがさらに清掃活動を行うのは、やや重複するのではないかと思ったが、やはり清掃というものは毎日行わなくては駄目だと実感した。相応にゴミが落ちている。

 タバコの吸殻やマックの包み紙、鼻紙、清涼飲料の空き缶が、捨てられているゴミの大半だ。ゴミ箱は駅構内とジャスコの回りに設置されているが、途中で捨てる人が多い。なぜかゴミ箱まで持っていかない。

 私が一番問題だと思っているのは、「花のほまれ会」の方が、丹精こめて守っている花壇の中に、吸殻や紙くずを捨てる人がいることで、これでは花壇がかわいそうだ。花壇はゴミ箱ではない。
 また、吸殻が多いのは、電車に乗る前に一服した人が、歩道橋周辺に捨てていくからだが、本当は駅周辺は禁煙区間のはずだ。

 鎌取駅は幸いなことに、他の駅に比べるとゴミがすくなく、張り紙もされていないのだが、駅に初めて降りた人がびっくりするような美しさからはほど遠い。
まあ、住むのにそれほど悪いところではなさそうだ」程度の印象だ。

 実際よく見ると、歩道橋の壁に鎌取新駅開業以来の汚れがこびりつき、階段には泥がへばりつき、手すりは錆びかかっている。
 ジャスコ側の遊歩道に登る階段には落書きされた跡が残っている。これはスプレーで落書きされたもので、私は剥離剤で落とそうとしたが完全には落としきれなかった。
 そして街路灯はかつて貼られた張り紙を除去した跡が残っている。ナイフで削り落とすより方法がなかったからだ。

 こうしたことを一つ一つ解決していかないと、「私はおゆみ野に住むのが夢です」といわれる街にはならない。

 信じられないかも知れないが、私は心底このおゆみ野を世界で一番美しい街にしたいと考えている。そのために、四季の道を清掃し、I さんにせっつかれながら、鎌取駅周辺の清掃をしている。
 また、空き地で荒れ果てている場所があると、そこに花を植えて少しでも和める環境を作ろうとしている。
 カラスや猫や、犬の糞と戦っているのもそのためだし、不法なビラを撤去しているのもそのためだ。
 かつてサラリーマンだった時は、朝夕の出勤・帰宅時に、鎌取駅周辺の落ちているゴミをできるだけ拾っていた。

 しかし1人でできる範囲はおのずと限界がある。I さんは「そのためには輪の拡大が必要なのです」と言っていた。私が生きている間に、そうした輪が広がり、本当に世界で一番美しい街になれるだろうか。
 死ぬときに「望みがかなった。私は幸せだった」と言って死にたいものだ。

 ねがわくば 四季の道にて われ死なん

                かすみたなびき  桜さくころ

 西行法師の歌をまねた。

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