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2011年2月

(19.7.12)吸血鬼 亀ゴン

 先日、「陸ガメ王亀ゴン」という、シートン動物記の「狼王ロボ」を凌駕する作品を作ったのだが、意外と亀ゴンから不評をかった。

 亀ゴンから言わせると、「陸ガメ王は狼王と違い、車寅次郎にそっくりで、放送大学の優等生としては到底認めがたい作品だ」と言うのだ。

どのようなイメージならばいいのかい
威厳があり、人がひれ伏す怖さが必要だ。車寅次郎は絶対に駄目だ

 仕方がない。亀ゴンのために第2作を作ることにした。
威厳と怖さの象徴のような「吸血鬼 亀ゴン」に登場してもらうことにした。

吸血鬼 亀ゴン

 トランシルヴァニアのドラキュラ伯爵にとって、由々しき問題が発生していた。ドラキュラ伯爵は処女の生血を吸うことで、その若さを保っていたのだが、過疎化が進み、トランシルヴァニアの村々から処女がいなくなってしまった。

 残ったのは老人ばかりになり、ドラキュラ伯爵は老婆の生血を吸うたびに、老いさらばいてしまい、すっかり生血を吸うことがいやになった。
もう、ばあちゃんの生血はいやだ。これからは菜食主義者になる

 ドラキュラ伯爵は有機農法をはじめ、城のあちこちに菜園を造り、新鮮なトマトや野菜を食べて幸せな日々をおくっていたが、このことにいたく憤慨している集団がいた。
ドラキュラ組合である。
このままでは、トランシルヴァニアから恐怖と威厳が消える。何とか手をうたねば

 数度の慎重な協議を重ねた結果、亀ゴンをトランシルヴァニアの地に送ることにした。
 なにしろ亀ゴンは「陸ガメ王 亀ゴン」であほ扱いされてしまったために、「威厳と恐怖」の再評価を得ようと起死回生のチャンスを狙っていたからである。

 「威厳と恐怖をトランシルヴァニアの地に与えよ
 亀ゴンはドラキュラ組合の最後の切り札だった。

 亀ゴンが颯爽とトランシルヴァニアの地に向かったのは言うまでもない。さっそく「威厳と恐怖」を示すために処女を探したが、あいにく人間の処女は皆無だった。

仕方ない、こうなれば亀の処女の生血を吸おう
トランシルヴァニアの亀社会は恐怖のどん底に落ちた。すべての処女亀が、亀ゴンの餌食になり、吸血亀に変わってしまったからである。

 亀ゴンは得意の絶頂にあった。
見よ、亀社会は振るえおののいている

 しかし、ドラキュラ組合には不満が鬱積していた。
亀社会の恐怖とは別に、人間社会は菜食主義者のドラキュラ伯爵の下で、平穏で幸福な日々を過ごしていたからである。
 そこで、ドラキュラ組合から亀ゴンに第2の指令が発せられた。

人間の中で、亀という字を名前に使用しているものの生血を吸え
 再び、人間社会には恐怖の只中に追い込まれた。亀ゴンが指令を忠実に実行したからである。
 恐怖に駆られた、亀雄亀太郎亀子は競って市役所に駆け込み、名前の変更処理を依頼した。

早く、名前を亀子から花子に変えて」悲鳴と怒号が飛び交った。
 しかし不幸は重なるものだ。市役所のコンピュータは名寄せが十分に行われていなかったため、5000万件の未登録の名前があった。
 このため、名前の変更処理ができなかったのだ。

 その間、亀雄や亀太郎や亀子は亀ゴンの餌食になり、亀の吸血鬼のオンパレードになってしまった。

 こうして、再び人間社会は恐怖の只中に追い込まれ、ドラキュラ組合の期待どおり、亀ゴンは威厳を回復したと言う。

 どうだろうか。これで亀ゴンの「威厳と恐怖」が保たれたと思うのだが

なお、このブログと関連する記事は以下のとおり。<a (陸ガメ王 亀ゴン)
 http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/19626_af4d.html
href="http://twitter.com/share" class="twitter-share-button" data-text="ここをチェック" data-count="vertical" data-via="yamazakijirou" data-lang="ja">Tweet</a><script type="text/javascript" src="http://platform.twitter.com/widgets.js"></script>

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(19.7.11)ココログには困ったものだ

 いやはやココログには参ってしまった。また24時間の「緊急メンテナンス」に入ってしまったのだ。おかげで10日に予定していたブログをあげることができかった。
 3月にも同じようなトラブルがあったが、私のブログを毎日みていただいている方から「どうしたの、病気でもしたの」と言われそうだ。

 それと言うのも検索系の画面は動いているから、普通の人は更新系が止まっているなんて気がつかない。
 システムに慣れている人は、通常システムは検索系更新系に分かれており、トラブルが発生するのはほとんどが更新系だということを知っているが、それは少数だ。

 実は、ココログの動きがおかしいことは9日の段階で、気がついていた。更新画面の動きが極度に悪いのだ。
うむ、これは少しやばいぞ」そお考えていた矢先にココログ得意のわけの分からないメッセージが出た。
直前におこなった何らかの処理に問題があり、更新できません」。
これでは「お前が間違ったから、動かなくなった」といっているようなものだ。
 10日の夜中の0時から朝の9時までこのメッセージが出ていた。
ぼくちゃんが、何か間違いをしたのかしら」胃が痛くなった。

 実際はシステム側で、何らかのトラブルが発生し、動かなくなっていたのだから罪が重い。
 ココログが「緊急メンテナンス」に入ったと正式に表明したのは、10日の朝9時で、「朝の9時から夜の11時まで緊急メンテナンス作業のため、更新系は動かない」と漸く、いつまでに回復するのか教えてくれた。

 それしてもほぼ1日中止まっているなんてひどい。たしかにこのフリーのシステムは言葉どおりタダなのだが、「緊急メンテナンス」と称する時間が余りに長い。金融機関のシステムだったら、大騒ぎになって、少なくとも担当の役員は責任を取ってやめなければならない位だ。

 しかも、トラブルが起こりそうなことは少し考えれば分かる。直前の7月6日に「簡単投票ツール」をリリースしているからだ。
 これはブログの記事を見た人が「面白かった」「くだらない」等の投票ができるツールを無料で提供したもので、自分で作ったら大変重たいシステムになるのだから、立派なサービスと言える。

 しかしこうした魅力的なサービスを提供すると、ブログ作成者が一斉にこの「簡単投票ツール」を利用し始めるので、それだけシステムに負荷をかけることになる。
 私が金融機関の元システム担当者だったので言うのだが、こうした場合は事前に負荷テストをおこなって、必要があればディスクやメモリーの増設をして、トラブルが発生しないように備えたものだ。

 この点、ココログはどうも事前にシステムの増設をせず、実際に動かしてみて問題が発生したら「緊急メンテナンス」と称して、対応策を実施しているフシがある。
 そうでなければ、こおたびたび「緊急メンテナンス」が発生するはずがない。
タダなんだから金をかけれるか」本心が見え見えだ。

 私は、はっきり言ってココログのファンである。なにせ異なる会社ごとのブログを7つも作ったくらいだから比較はできる。
 その中で、特に「分析機能」がとび抜けてすぐれているのはココログだ。ブログの作成者にとっては必須の道具だが、他の会社ではカウンターのような簡単な機能を除いて、分析機能は有料だ。

 一方、検索系については、どのブログであってもそこそこの機能が備わっており、みる方からすればココログだろうが、グーだろうがエキサイトだろがほとんど変わりがない。

 しかし、更新系はまったくレベルが違う
分析機能」以外では「そのまま文字が書けるか」と言うところが重要なのだが、ココログ以外のブログでは、文字を大きくしたり、色を変えたりすると、文字以外の「タグ」と称する編集文字が出てきて、見づらいことこの上ない。
 また、今回の「簡単投票ツール」だって立派なものだ。

 だから、私の知っている限り、ブログを作成するならココログが一番なのだが、そのためかココログにはブロガーが多く集まっている。その結果でもあるが、当然システムに負荷がかかり、さらにトラブルが多く発生すると言う悪循環に陥っている。

 確かにタダなのだから、あまり大きなことは言えないが、ココログファンの気持ちを逆なでするような「緊急メンテナンス」だけは止めてほしいものだ。

 なお、今回のトラブルの発生原因だと私が推定している「簡単投票ツール」を下記にお目にかけるので、テストと思って投票してみてください(ただしWindowsXP以上のOSでないと見ることができない)。

 本件と関連のある記事は以下のとおり
(それはないよココログ)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/19328_852e.html

@nifty 投票:この記事は参考になりましたか

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(19.7.9)四季の道からかずさの道へ

 四季の道かずさの道は将来つながって、往復15km程度の日本有数の遊歩道になるはずだが、現状はおゆみ野ゴルフガーデンの近くで約500m程度、途切れている。
 いつどのような形でつながる計画なのか私は知らないが、遊歩道ができるまでは、この場所はおゆみ野からちはら台に向かう一般道路の歩道を通らざる得ない。

 私はちはら台走友会に所属しており、ちはら台かずさの道で毎週土日にトレーニングをしている関係で、この一般道路の歩道を通ってちはら台に行っている。

 この道は両側にプラタナスが植えられた非常に美しい道路で、この道を自動車で通るたびに、「ここの景色は最高だ」と娘や息子は言うのだが、残念なことに一つ問題がある。
 車道から見る景色と、歩道から見る景色では、まったく違うのだ。

 車で走っていると美しいプラタナスの木しか目に入らないが、自転車で歩道を走っていると植栽が気になる。
 実は、車道と歩道を分けているつつじの植栽が、雑草に覆われてまったく元気がないのだ。ほとんど死にそうだと言った方が良い

 私は、つつじが死にそうになると、とても黙って見過ごすことができないので、走友会の練習の行き帰りを利用して、雑草の除去をおこなってきた。
 しかし片側でも500m位あり、しかも雑草の量も半端でなく、当初は「つつじなんてどこにあるの」と言うような状態だったので、なかなかはかどらない。

 しかもここはやぶ蚊のすみかなので、防御体制をしっかり整えないと、たちまちのうちに身体中がくわれて、雑草の除去どころではなくなる。
こんなに痒いなら止めてしまおうか

 だが、四季の道かずさの道というすばらしい遊歩道の間に、雑草に覆われ、つつじが今にも死にそうな歩道を見るのは耐えられない。
 せっかく遊歩道をルンルン気分で自転車を走らせてきたのに、この歩道にさしかかると、気分がめいってしまうからだ。
つつじちゃん、俺が何とかしてやるぞ」いつものように、ひとはだ脱いでしまった。

 現状は写真で見ていただくと分かるが、かなり改善傾向にある。ようやくつつじに光が差し込むようになった。
 だからそのうちに、「つつじちゃん」から恋文がくるかもしれない。

つつじは、われら一族に光を与えてくださった山崎様を、心からお慕い申しております
この年になって恋の病に落ちたらどうしよう。

 おゆみ野ゴルフガーデンの近くの歩道の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/1978?authkey=BoRChmPUqKY

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(19.7.8)おゆみ野クリーンクラブ その2

 おゆみ野クリーンクラブが急拡大をしている。当初 I さんと二人で始めたこのクラブは、小谷小学校のそばのFおばさんが加わり、さらに金沢小学校のそばのF姉さんと、KS電気のそばの公園近くに住むM兄さんが加わって、5名になった。

 さらに先日、京成おゆみ野駅近くのマラソン好きのA姉さんも参加してくれると言う。テリトリーは中の道から春の道だ。忘れるところだったが、有吉中学校の周りの清掃をしているB姉さんもいた。

 こおしておゆみ野クリーンクラブは総勢7名の大所帯になってきた。当初は二人だったのだから,3.5倍の急拡大だ。しかも若手中心になってきたので、クラブの性格を、老人クラブから青少年クラブに変えることにした。
ワシ」などという主語は禁句で「ぼく」といわなければならない。

 このクラブは各人が清掃をおこなうテリトリーをもって、そのテリトリーの清掃に励むことと、金曜日の10時に鎌取駅周辺の清掃をすること以外には特に決まりはない。
 もちろんボランティアだから都合がつかなければ休んでも一向にかまわない。

 しかし、信じられないことに四季の道周辺は急速にゴミが減りだした。各メンバーが各自のテリトリーを清掃してくれるおかげで、私が四季の道を一周しても、従来の半分程度のゴミの量になってしまった。
うぅーん、すごい。メンバーが7人になっただけで、こんなにもゴミが少なくなる

 おかげで、私は清掃範囲を拡大できそうだ。実は従来から気になっていた場所がある。
 泉谷公園からおおど池公園までの、水辺の道(おゆみ野道)は子供たちの遊びの中心になっていたこともあり、ゴミの散らかりがひどかったが、手が回りかねた。

 四季の道はずいぶん清掃が行き届くようになったので、3日に1回程度の割合で、おゆみ野道の清掃をしよう。
 これで、四季の道中の道、そしておゆみ野道と、おゆみ野のすべての遊歩道の清掃体制が整いそうだ。

こんなに美しい遊歩道がある街にすめるなんて、幸せです
住む人が必ずそお言える街になるまでもう一歩のところまで来た。

 それに、メンバーがこんなに増えてきたら、グループサイトを作って、情報の共有化も必要だ。近日中にグループサイトを造ってしまおう。
 少年の「ぼく」も忙しくなってきたのだ。

 このブログと関連のある記事は以下のとおりです。
(おゆみ野クリーンクラブ)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/19627_b76e.html

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(19.7.7)大覚寺山(だいかくじやま)古墳

 私は古墳を見るのがとても好きである。何か古代のロマンに誘われるような気がして、かつて関西に住んでいた頃、仁徳天皇陵を見に行ったことがある。

 日本最大の陵墓といわれる仁徳陵は、遠くから見ると小山であり、近くで見ると森で、私がイメージしていた航空写真の陵墓とまったく違ったのにびっくりした。
どうも古墳は空から見ないと、古墳と言うことすら分からない。これじゃ単なる森だ」そお思ったのを覚えている。

 その点、埼玉のさきたま古墳群は公園として整備され、古墳を覆っていた樹木は切り払われ、うれしい事に頂上まで登ることができた。
なるほど、これが古墳か」と頂上から周りを睥睨したのを覚えている。
 権力者も昔、この古墳の上に立って、自らの領地を眺めていたはずだ。
うむ、民の生活は豊かじゃ。家から食事の煙がたなびいておる

 しかし、ここおゆみ野に越してきて14年にもなるのに、千葉の古墳については、まったく知識がなかった。
千葉に古墳なんてあるの」という感覚だったが、友達のKさんから「おゆみ野風土記」を借りて読んで認識を新たにした。

 特に千葉市埋蔵文化財センターの近くに、千葉市で最大の「大覚寺山(だいかくじやま)古墳」があることを知って、先日出かけてきた。京成電鉄学園前駅から徒歩で15分程度の場所にあり私の家からも自転車で20分程度の距離である
 
 大覚寺山古墳は全長66mの前方後円墳で、5世紀前半に建造されたと言われている。かつて村田川流域に勢力を張った菊間の国造(くにのみやつこの墓域と言われるが、未発掘なためまだ明確なことは分からない。
 菊間の国造は、この地域きっての豪族で、昔は菊間の国と言われた。
 
 行って見るとそばに小さな公園があり、そこから登っていくと古墳の入り口にたどり着く。一応古墳として整備されており、樹木も切り払われて、墳墓の形が分かるようになっている。
 しかし残念なことに、古墳としての魅力に乏しい。未発掘のせいもあるが、よく古墳公園にあるような埴輪もないし、展示場もない。
 ただ、芝生の丘があるという状況で、しかも周りが高い木々に囲まれているため見晴らしも良くない。

 かつては、南方の村田川方面に開けた、見晴らしの良い高台だったはずで、自分たちの領地を見渡せるこの場所に墓域を作ったのだと思われる。しかしそれを追体験することはできなかった

 ところで国造(くにのみやつことは不思議な言葉だ。一応は「律令体制が固まる前の、豪族に与えられた姓(かばね)」という説明がされているが、それ以上のニュアンスを感ずる。

大和朝廷の使菊間の長、あなたに国造という称号を与えよう
菊間の豪族称号とはなんだ、あんたからそんなものをもらういわれはない。第一、大和の国なんて俺は知らん
大和朝廷の使いやいや、これは失礼した。あなたが、この地を収めている長だと、私たちは認めると言うことだ。この国を造ったのはあなたで、あんたが大将だと言う意味だ
菊間の豪族それなら、まあ、そお呼んでもいい

 大和朝廷の苦労がしのばれる言葉だ。

今回は、大覚寺山古墳の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/1975?authkey=5lVvyH7qJbM

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(19.7.6)おゆみ野ウォーカーズ 技術者 Yさん

 恥ずかしながら、私の記事がおゆみ野ウォーカーズの「この人に会いたい」シリーズの一人として掲載された。正直言って自分の記事を見るのは気恥ずかしい気持ちがする。
  しかし、恥ずかしがってばかりいては、この記事を作成するためにインタビューやとりまとめをしてくれたウォーカーズTさんのご努力に申し訳ない。
 また「この人に会いたい」シリーズは、作家のKさんや、元泉谷中PTA会長のOさんや、私の友人の I さんなど、私以外の人は確かに立派な方々なので、こおしたシリーズを作成しているウォーカーズの応援をしたくなる。

 したがって今回は、この「この人に会いたい」シリーズを見ていただきたいと言うお願いなのだが、それとは別に技術者Yさんの紹介もしたい

 実は今回の私の記事を作成する過程で、ウォーカーズに大変な技術者がいることを発見した。ウォーカーズのブログとHP(ホームページ)の管理をしているYさんである。

 ウォーカーズはブログとHPを持っているが、「この人に会いたい」シリーズは当初HPで作成していた。ブログとHPを作成した経験のある人なら分かるが、HPの手間隙はブログの比ではない。
 経験のある人でも、1対5程度、私のようなHPの初心者は1対20程度の手間隙の感覚だ。はっきり言って、ブログは日記作成の感度,HPはシステム開発だ。

 そんなわけで、時代の趨勢は圧倒的にブログに流れているが、一方HPにもよさがある。ページのレイアウトが自由にできるので、魅力的なトップページができるのだ。

 Yさんは「この人に会いたい」シリーズをHPで作り、魅力的なトップページを作ったものの、記事のページ更新に何回も失敗することがあり、頭を抱えていた。
ホームページビルダーと記事のPDFファイルとの相性が悪いのかしら

 Yさんは試行錯誤をした結果、HPの良さと、ブログの操作性のよさをミックスさせて、トップページだけHPで作り、具体的な記事はブログに掲載する方法を採用した。
 こうして、とても魅力的なHPとブログのミックスを作り上げた。

 Yさんは主婦である。よく会社にはこおした技術的センスを持ち合わせた人がいて、どんなシステム的な課題でも解決してしまうが、家庭の主婦でこのセンスを持っている人は少ない。常に技術的課題が頭を離れないと言う稀有な人だ。

 私は心底感心してしまった。

姉さん、技術者だってね
ソフィーの生まれよ
寿司くいね

おゆみ野ウォーカーズの「この人に会いたい」シリーズのURLは以下のとおりです。
http://www4.plala.or.jp/oymwalkers/

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(19.7.5)里山開発第7回合同作業報告 都川調節池

 今日(4日)は、「都川源流の自然再生をはかる会」の第7回目の合同作業日だった。すでに不法投棄されたゴミは片付けたし、下草狩りも進んでいたので、今回は間伐作業をおこなうことになった。

 この里山は長らく人の手が入っていなかったため、立ち枯れたり、倒れてそのまま放置された杉の大木があったため、それを地域整備センターから借りたチィエンソーで切断した。
 また、生存競争に敗れ、成長が止まってしまった低木があちこちに生えており、森を暗くする要因にもなっていたため、できるだけ間伐をおこなった。

 会長の I さんのビジョンでは、「明るく下まで太陽が差し込み、カタクリの花が咲き乱れるような、自然環境」を再生したいのだという。
 現状はまだまだ暗い森であり、先日おゆみ野ウォーカーズのTさんが、「一人でこの森を散歩したら、怖かった」と言っていたので、もう少し間伐が必要なようだ。

 今回は、「都川源流の自然再生をはかる会」の5人のメンバーが参集した。
 会長の I さんはこの里山を心から愛しており、3日に開けずここに通っては、草刈機で下草狩りをしている。
ここにいると、池の方から涼しい風が吹き上げてきて、別世界にいるみたいです」 I さんはここの自然環境が好きなのだ。

 力持ちのAさんは、チィエンソーを縦横に操り、立ち枯れたり、倒れている30cm以上もある杉の大木を、1m程度の丸太に切断していた。
このチィエンソーは切れが悪くてね」と言いながら、苦もなく切断する技術は目を見張る。
 森林組合出身ではないかと思ってしまうが、元は日本を代表するネットワーク関連企業の技術者だと言うのだから驚いてしまう。

 エコに詳しいHさんは、この森から池を見渡せる場所をつくるために、草刈鎌でヤブを払っていた。
 池と森の間には水路があり、その土手際にヤブが鬱蒼と茂っている。 ささとつるが絡まった、高さ3m位のヤブをようやくのことできりひらいて明るい場所を作ることができた。
これで森と池の一体感ができてきた」満足そうだ。

 また危ない箇所は、力持ちのAさんと、相撲取りのようなBさんが、間伐した木を使ってくいを打ってくれた。
ここから、入るな」という印だ。

 こおして、都川源流の里山開発は着々と整備が進んでいる。
 間伐も進めば、きっとカタクリの花も咲いてくれるだろう。また、湧き水もあるのだから、蛍も生息できるかも知れない。

 作業が終わった後、調整池の近くの公園で、Bさんが持ってきてくれた、夏みかんを食べながら雑談のひと時を過ごした。
 作業が終わった後のひと時は、いつも満足感がただよう。

ここは、森があり池があり、芦原があって、ちょっと『おゆみ野の尾瀬』見たいな場所だな」Hさんの感想である。
 そお言えば約20年ほど前、息子と二人でこの場所を見たとき、息子が「おとうさんが家を建てようとしている場所は、尾瀬のようなところで、魚がいっぱいいます」と小学校の作文に書いていたのを思い出した。

 今回の里山開発作業の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/1974?authkey=Hk_y2_-4dZM

なお、里山開発シリーズは、このブログのカテゴリー「里山」の中に入っております。

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(19.7.4)画像処理にはまってしまった

 私はほとんどの画像処理を、Googleの無料ソフトPicasa(ピカサ)でおこなっているが、Picasaではできない処理もあり、その場合はPhotoshop Elements(フォトショップ エレメンツ)を使用している。

 特に、不要部分を部分的に消したり、髪の毛を増やしたり、顔のほくろやしわを消したりする処理は、Photoshop Elementsの独断場で、これで人の顔を処理すると、一種の美容整形みたいに昔の自分の顔が現れてくる。

昔は自分も若かったんだな」なんて感激しながら、自分の写真を修整してしまう。
 技術的には、スタンプとかブラシとかの機能を使用して、年をとってから追加された部分を取り除いたり、あるいは無くなった部分を増やしたりするのだが、実際にやってみるとなかなか難しい。

 たとえば頭のはげた部分のスタンプ処理の場合、上からスタンプを押すようにして、はげた部分に黒髪部分の色彩を移せばいいのだが、自然な感じを出すのが実に難しい。

 スタンプが大きすぎると不自然だし、小さすぎるとやたらと手間がかかる。スタンプはピクセル単位で設定するのだが、このブログの横幅が800ピクセルだから、1ピクセルのスタンプを使用すると、横の修正に800タッチが必要になり、とてもやっていられない。
 そこで、スタンプの大きさを100ピクセルぐらいにするのだが、今度は安手のカツラをつけたようになってしまう。

 実に繊細な技術がいるので、まるでアデランスの技術者になった見たいだ。

 しかしやってみると実に楽しいのだ。特に女性の顔の画像処理の場合は、みるみる若返っていくので「あぁ、この人は若かった頃、こんなにも美しかったんだ」なんて思わず見とれてしまう。

 娘はフォトショップのプロで、友達のパスポートの写真を修整処理したのだが、その友達は 「これ、私、本当、うそみたい」と叫び声をあげながら、自分の写真に見とれていたと言う。

 画像処理の効果はそれほど大きいので、この技術を本格的に習得すると生活ができるようになるらしい。
 娘の話によると、芸能人の画像処理を専門にやっている人がいて、年配の女優のしわや、ほくろやしみをとって、往年の素肌にするだけで、何十万円にもなるのだと言う。

 その話を聞いて、私もフォトショップのプロになろうと決心してしまった.。毎日フォトショップ エレメントを立ち上げては、自分の写真の修整をしているのだが、元が悪すぎるのか、なかなかうまく行かない。
 韓国の若手俳優は無理としても、せめて渥美清ぐらいにはならないかと苦労を重ねている。

 今回テスト的に作成した、修整画像をお見せする。本来ならば女性の画像が一番いいのだが、肖像権の問題があって難しい。仕方がないので亀ゴンの写真を使用した。亀でもこの程度は若くなると言う写真なので、きっと興味があるのではなかろうか。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/KWceKK?authkey=ZuLjkeQtt2U

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(19.7.3)トルコ旅行 その3 パムッカレ

 パムッカレという石灰棚の美しい温泉保養地は、割合良く知られている。NHKでも「探検ロマン 世界遺産」シリーズの一環として放映していたので、見た人もいるのではなかろうか。

 トルコの平原に突如として真っ白な山が見えるので、日本人なら誰でも雪山だと思うが実際は石灰岩の棚なのだ。山全体が、純白の石灰岩に覆われており、特に夕方は夕日に映えてまばゆいばかりだ。
 トルコ語でパムッカレとは「綿の城」と言う意味なので、トルコ人にとっては雪山と言うよりも綿山に見えるらしい。

 石灰成分を含んだ温泉水が流れており、その結果石灰が沈殿して真っ白な棚田のような景観になっている。観光客ははだしになって、その棚田の遊歩道を歩くことができる。少しぬるぬるして、油断すると転びそうだ。

 実は、このパムッカレのすぐ脇に、ヒエラポリスという、実にすばらしいローマ時代の遺跡がある。最盛期には約10万人の人が住んでいたと言われ、15000人収容の大劇場の遺跡もある。
考古学者はこの大劇場の大きさから、当時の人口を推定する。

 私は遺跡が大好きだから、このヒエラポリスの遺跡に大いに期待したのだが、実際は時間がなく、20分程度この都市の入り口の「ドミティアン門」近くで写真を撮っただけだった。

 ヒエラポリスを見る時間が無くなった特別な理由がある
 前にも記したとおり、この種の格安パックツアーでは、添乗員の給与を十分まかなえないため、いきおい添乗員は副業に精を出さざる得ない。

 この時はパムッカレにくる途中で、イタリアに皮革製品を輸出している工房に連れて行かれた。ここでジャンパー等の皮革製品のファッションショーを、30分程度見せられた後、一種の押し売りが始まった。

 工房の中には、40m四方ほどの展示室があり、ここに観光客は追い込まれる。入ると入り口と出口のドアーが閉められて、マンツーマンで販売員がついてくる。
 男性には飛び切り美しいトルコ女性が「これなんか、とてもにあいます」なんて流暢な日本語で勧めるのだが、値段を見ると20万円ぐらいの品だ。

 私は、今まで革製品のジャンバーなんか着た事がないので、その値段が適正かどうか分からないが、衣類はユニクロで十分間に合っている身には、目の玉が飛び出るような値段だ。

もう少し安い品はないのですか」私のイメージは1万か2万のつもりで言ったのだが、出てきた品物は10万前後のものだ。
あなたにぴったりの品物です」くだんのトルコ美人はニコニコ笑っているが「買わないとここから出られないぞ」という雰囲気だ。

 これは早く退散した方が良いと判断し、「トイレに行きたいのですが」と言って、ようやく展示室から逃げ出すことができた。

 同行者の中に、実際に皮革製品を何着か購入して、「イタリアで買うのより格段に安いのだ」と言っていたので、ほしい人にとっては掘り出し物らしい。しかし金輪際皮のジャンパーなど着ることのない身には、押し売りそのものだ。

 添乗員はこうして、安い給与の補填をバックペイでまかなっているのだが、このような工房めぐりで2時間もかかり、その結果ヒエラポリスの遺跡を十分堪能できなかったのはなんとも残念なことだ。
  特に、ここには「ヒエラポリス博物館」もあったのだから、皮のジャンバーより見どころがあったのは確かだ。
 

パムッカレとヒエラポリスの写真です。 
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2006_101004?authkey=So3iIaW7Czc

なお、トルコシリーズ(全般、トロイ、エフェス)は、このブログのカテゴリー「旅行」に入っています。

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(19.7.2)ペンキ屋さん再開

 このところさして問題にならなかったペンキの落書きが増え始めた。今から4年ほど前に、四季の道のKS電気近くの道路下の壁と、おゆみ野道のやはり道路下の壁にひどいペンキの落書きがあったので消したが、それ以来だ。

 今回は、ふたたびKS電気の近くの道路下の壁に、自分が高校一年生だとわざわざ明示する落書きがされていた。
 落書き対策の基本は、すぐに落書きを消してしまうことで、そおすると落書きをした者の機先を制することができる。

 特に落書きが大作の場合はこれは有効で、せっかくの芸術作品が一夜にして元の状態に戻されるのだから、再度描く気にならない。
俺のプライドが傷つけられた。これ以上頼まれたって描いてやるもんか

 一方、文字だけとか線だけとか、あるいは稚拙な漫画の場合は、本人もいたずら書きのつもりだから、何度でも書かれてしまう。
しかし、それでもすぐに消してしまうのは有効で、夜書いたものの、翌朝一番に消されてしまったら、書いた理由がなくなる。

 消し方は当初、剥離材を使用してみたが、落書きが小規模の場合のみ有効で、壁一面に落書きがある場合は、上から壁の色と同系統のペンキを塗るしか手はない。

 このようにしてペンキの落書きは、見つけ次第消しているが、残念なことに地の色とうまく色合わせするのが難しく、どおしても消したと言う痕跡が残ってしまう。見た目が汚いのだ。今回も色が合わず、とりあえず消したと言う状態になってしまった。

 これをきれいにするためには、全体を塗りなおさなければならないが、手間と金が馬鹿にならない。
 私は職場を引退しているので、手間をかけるのは問題ないが、お金は年金生活者なのでつらい。
 なにしろペンキ1缶(1.6L)が約3000円で、それで約10㎡程度しかぬれない。道路下の場合は、片側だけで20㎡はゆうにあるから、全体では4缶、12000円程度かかってしまう。
 
 全部塗りなおすか、とりあえずの措置のままほっておくか考えてしまった。

亀ゴン、またペンキ屋さんをしなければならなくなってしまったよ
先生のお気持ちは良く分かります。先生はジャスコのトップバリューの食パンが,20円引きになるのを待って購入しているのに、一方で3000円のペンキを何缶も購入しなければならないのですから

今回の落書きは、実に稚拙な絵と文字を書いているだけだから、何回も書かれてしまいそうだ。そのたびにペンキを購入していたら、家計がパンクしそうだ
私もレタスとキャベツの食べる量を減らしましょうか
いや、成長期の亀ゴンに迷惑はかけられない。私が朝食のパンを一枚減らそう

生がペンキの落書きを消すために、日夜やせ衰えていくのを見るのは、亀ゴンとしては断腸の思いです。落書きは簡単にできますが、消す方は地の色に合わせたり、全体に塗りなおしたり大変です。亀の国では絶対に起こらないような愚挙といえましょう
そうだね、亀ゴン。私も次回生まれ変わるなら亀の国に生まれてみたいよ

 こおして再びペンキ屋さんを再開しなければならなくなった。

今回の落書きの写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/bgLuVK?authkey=L5t13Wc7Hp4

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(19.7.1)ウルトラ マラソン再挑戦

 かつてはマラソンのことしか考えていなかった時期があったのに、昨今は情熱が極端に低下してしまった。
夏場で暑いせいもあるが、一日 5Km程度しか走らない。それも雨が降ったり、体調が悪いと走らないのだから、月間の走行距離は約100Km程度になってしまった。

 つい3~4年前までは、月間300Kmを目指してトレーニングしていたのだから、マラソンランナーをやめたと宣言しているようなものだ。

 走れなくなった一番の原因は坐骨神経痛に悩まされているためである。走り始めに、右の臀部と右足が極度に痛むため、なかなか快適なJOGができない。
10分間程度我慢すると痛みが引いて来るのだが、それでも若干の痛さは残る。重苦しい感じで走っているので距離を伸ばそうという気力もわかない。
このままではマラソンランナーから完全にリタイアしそうだ。

 こうした時は活入れが必要だ。精神的にも肉体的にもテンションをあげないと、一生マラソンから遠ざかってしまう。

 そこで、9月末にウルトラマラソンに挑戦することとした。「甲州夢街道シルクロード215Km」と言うレースで、長野の下諏訪から、東京の中央区まで、制限時間36時間以内でたどり着かなければならない。

 こうしたレースを予定することの効果は、練習に励むようになることで、坐骨神経痛が痛むなんて言っていられなくなる。
 
もっとも無理をすると、すぐ身体が痛んでしまうので、今回は優秀なコーチを招聘することにした。落ち目の選手が優秀なコーチのもとで復活した例は多々ある。
今回招聘したコーチは、亀ゴンである。亀ゴンは放送大学で運動生理学を学んでおり、亀レースでの経験も豊富だ。
特にあの「ウサギと亀のレース」で、ウサギに睡眠薬を飲ませて眠らせたと言う凄腕で、子どもの絵本のアイドルだ。

 さっそく、亀ゴンのコーチが始まった。

先生のフォームは右足とかかとの後ろに体重をかけて走ると言う偏りがあり、これが坐骨神経痛の原因の一つになっています。これからは、左足に重心をかけ、またやや前傾姿勢で走ってください。これでバランスがとれます
 まず、フォームの修正をしなければならないらしい。

今後、一日2時間のトレーニングをおこないます。速く走る必要はありません。200kmを越えるレースは最後は歩きになるのですから、時間をかけゆっくりと走りましょう
 かつて浅井えり子を育てた、佐々木功の「ゆっくり走れば速くなる」と同じ理論だとはわかったが、それにしても2時間はつらい。

亀ゴン1日、2時間の時間をとるのは、少し難しいのじゃないかい。ブログを書いたり、学校や清掃のボランティアをしたりしてると1時間がやっとだよ

まず私のことを亀ゴンと呼ぶのは止めていただきます。コーチと呼んでください」
 
私にレタスをねだっていたときとえらい違いだ。

たとえどのような事情があっても、2時間のトレーニング時間をとっていただきます。それ以下で200kmを越えるレースをすると、身体にダメージが加わり、二度とレースができなくなります。身体が重いときは水泳を2時間して、疲れを取ります
続くだろうか、コーチ

先生の最大の欠点は意志力が弱いことです。毎日2時間のトレーニングは体力よりも、意志力の強化だと思ってください。ウルトラマラソンは最後は意志力だけで走るレースです
亀ゴンに意志力が弱いなんて言われたくない。坐骨神経痛がなければいくらでも走る
 思わず声を荒げてしまった。

坐骨神経痛を理由にするところが、意志力の弱さです。これは亀ゴンとしてではなくコーチとして言っているのです
う-ん、亀ゴンは冷静だ

 こおして7月1日より、亀ゴンのコーチのもとで、9月末をターゲットとするウルトラマラソンのトレーニングが始まることになった。

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(19.6.30)小谷小学校の松葉菊

 小谷小学校の南側の土手際には従来つつじが植えられていたが、ここ10年の間に枯れてしまい、草だけが生えている場所がある。
また、残されたつつじも雑草やつる草に覆われて青息吐息の状態だった。このつつじを再生し、草だけになった場所には松葉菊を植えて、昔の美しかった景観を再現しようとプロジェクトが発足した。

 会員は、私と亀ゴンとロドリゴと亀男である。ここ1ヶ月の間に、雑草やつる草を取り除き、新たに松葉菊を植えたが、残念なことに根付きが悪い。

 原因は、ここを遊び場としている犬がいて、せっかく根付いた松葉菊を踏み荒らし、つつじの伸び始めた枝を折ってしまうからである。
  この犬は、ここらあたりで犬ゴンと言われ、いつも50歳前後の婦人が散歩させているのだが、土手際の花壇に近づくと必ず、松葉菊の上で遊び始める。

 私は思い余って、ご夫人に「この犬を花壇に入れないようにしてくれませんか。子供たちが植えた松葉菊がみんな死んでしまいます」と懇願した。
  婦人はそのときはわかった振りをし、確かに私がいるときは犬ゴンを花壇に入れないのだが、いないとなると犬ゴンの自由に任せるらしい。

 踏み荒らされた松葉菊と犬の足跡を見るにつけため息が出る。このため、昨年植えた松葉菊は成長できないし、今年の松葉菊は根元から抜かれてしまったものもある

どうしたら、いいだろう」亀ゴンに相談した。
先生の気持ちは良く分かります。私も怒りに身が振るえ、甲羅にひびが入りそうです。幸い私は放送大学でイヌ語を勉強していますので、私が犬ゴンを説得しましょう

 翌日、亀ゴンはさっそく犬ゴンが、松葉菊の上でソーシャルダンスの練習をしているところを見つけた。
ここは先生が丹精込めて松葉菊の育成を図っているところです。ダンスをするなんて不謹慎じゃないですか
先生とは、あのはげ頭か
失敬な、先生ははげ頭じゃありません。まだ少し残ってます。その証拠に後ろ髪だけはふさふさしてます。先生、帽子をとって見せてやってください

 私ははげの話はいいので、松葉菊の話をしてくれと、亀ゴンに頼んだ。

すぐにそこから下りていただきたい。ここは子供たちの夢を育む神聖な場所です
おお、そうかい。神様でもいるのかい
カメハメハの神様がおられます
犬神様の間違いじゃないのか
何と言う無知蒙昧そもそもカメハメハの神は全知全能の神で・・・・

 私は亀ゴンに神様の話はいいから、松葉菊の話をするようにもう一度依頼した。しかし亀ゴンは興奮してしまい、そこに神のしもべ、ロドリゴも参加したため、神学論争はいつ終わるとも知れない状況になってしまった。松葉菊どころではない。

 仕方がないので、私はD2に行って、園芸用の支柱と紐を買ってきて、松葉菊の周りを囲って、犬ゴンが花壇に、入りにくい環境を作ることにした。

 そして、念のため犬ゴンの主人と思われる婦人に再度懇願した。
犬を花壇に入れないようにお願いします
犬と私は何の関係もないので約束しかねます
犬を散歩させてるように見えますが
とんでもない。たまたま一緒に歩いているだけです
 女、木枯紋次郎だ。 

 亀ゴンの犬ゴンへの説得も、私のご夫人への説得もなかなか聞き入れてもらえそうにない。しばらくは、紐で松葉菊をかこってがんばってみるしかなさそうだ。

 踏まれてしまった松葉菊の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19629?authkey=nn3G7gUuifA

なお、本件と関連する記事は以下のとおり
(つつじ再生計画)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1962_cd2f.html

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(19.6.29)苅田郷(かったごう)

 京成電鉄おゆみ野駅の南に、緑区刈田子(かりたご)町と呼ばれる一画がある。
 おゆみ野が近代的な都市空間だとすると、古き良き日本をそのまま残している異空間で、その中でも「苅田郷(かったごう)」(注1参照)と呼ばれる、「古民具工芸の村」は特に異彩を放っている。

 不思議な場所と言ったほうが良い。
 農家の一角にギャラリーがある。 約200年前の蔵を改造した「凌雲堂(りょううんどう)」という蔵がギャラリーになっており、古い陶磁器や絵画が展示されている。
 それに続く蔵には農家が使用していた農機具類が、所狭しと置かれている。
 すべて、販売品であるが、オーナーのT氏によると
古美術の目利きが来たときは売れるが、普段はあまり売れない。昔の名のない職人の仕事の価値を認めてくれればいい」と淡々とした表情で話していた。

 どう見ても、販売目的よりも、こうした古美術を展示して人に見てもらうことを楽しんでいる風情だ。
 蔵の横には陶芸教室が開催されているが、ここに通っている娘によると「ほとんど資材の原価以上の費用は取らず、自由気ままに作陶ができる」のだそうだ。

 T氏は、なんとも不思議な人物だ。自宅の一角をギャラリーや作陶教室に開放して、特に収益を上げようとせず平然としている。奇特な人としかいいようがない。

 私は以前から面識があるのであえて聞いてみた。
HP(ホームページ)を作って、もっと宣伝すれば、多くの観光客が来るのではないですか
駄目だね、そんなことすれば私と家内二人でやっているのに、飯を食う時間もなくなってしまう。このあたりの人が口コミで少しづつ来てくれるくらいがちょうどいい
 どうやら欲の世界とは関係ない人のようだ。

 ここ、おゆみ野のそばに、このような場所が存在すること自体不思議としか言いようがない。
 古い日本があり、その古い日本を懸命に守っている人がいる。

 ホームページもないし、道しるべの看板もない。道は曲がりくねって分かりにくい。ここに行くには先だちに連れて行ってもらうしかないという、なんとも古い日本の様式どおりだ。

 今回は苅田郷とその周辺の写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/oPiZYK?authkey=YGwzVVWttqU

(注1)もともとこの土地は、長野の苅田郷(かったごう)からの落ち武者が、この地に移り住んで永住したとの言い伝えがあり、それが変化して現在の「刈田子(かりたご)」に変わったと言う。
 当、古民具工芸の村は、自分たちのルーツを明確にするため、あえて昔の苅田郷(かったごう)の名前を使用しているのだと言う。

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(19.6.28)おゆみ野ウォーカーズ Tさん

 信じられないことに、おゆみ野ウォーカーズTさんからインタビューを受けた。
 私は、おゆみ野ウォーカーズは、おゆみ野周辺の美しい景色を散策して、ブログを作成しているグループと思っていたので意外な気持ちがした。

 よく聞いてみるとウォーカーズはブログ以外に、おゆみ野walkersというHP(ホームページ)を持っていて,その中でおゆみ野に住んでいる住民の中で、この人はと思われる人にインタビューをしてHPに掲載しているのだと言う。

 早速HPを覗いてみたら、知り合いの I さんの記事が掲載されていた。
 また泉谷中のOさんの記事は、参考になった。知り合いから
昔は荒れた中学と言えば泉谷中だったけれど、今は、はずかしいけど有吉中なの」と聞かされていたが、その実態が良く分かった。
Oさんのような方が努力をされて、荒れた中学を救ったのだと思うと頭が下がる。

 インタビューをしたTさんは、ちょっとNHKのクローズアップ現代の国谷キャスターに似た人で、話し方も現役のキャスターみたいな人だった。
 聞いてみるとある雑誌の契約社員として記事を書いているらしい。

  私は引退してからは、職業的な会話をすっかり忘れていたので、かなりどぎまぎしてしまい、まともな受け応えができなくなってしまった。
ご住所は?」
えぇーと、どこでしたっけ、あの、どこだろう」なんて雰囲気だ。

 私が四季の道の清掃活動を足掛け14年間にわたっておこなってきたことで、おゆみ野walkersの「この人に会いたい」人の一人としてに掲載されるらしい。

 確かに清掃活動はずっとしてきたけれど、取っ掛かりはいたって単純なことだった。
 私の趣味はマラソンで、四季の道を練習ロードにしていたが、あまりにゴミの散乱が目に付いたからである。
これじゃ、ゴミが気になってまともに走れない。まずは清掃をしてから走ることにしよう
 野球選手が、グランド整備をするのとまったく同じ動機である。

 さらに言うと、私は根っからのスポーツ選手だから、一旦はじめた事はよほどの理由がない限りやめない。
 スポーツ選手は、基本練習をしつこく繰り返す。野球の素振りや、柔道の打ち込みや、水泳のバタ足のような基本練習である。そのノリで14年間続けてきた。

 しかし、恐ろしいものだ。こおした清掃活動を続けているとある事実に気がついた。
この街は、よくメンテナンスしていけば、世界に誇れるような美しい街になる

 それ以降は、清掃活動だけでなく、弱剪定をしたり、ペンキの落書きを消したり、不法なビラを撤去したり、最近は花を植えたりしているが、なんとかこの街を世界に誇れる街にしたいからである。

 「個人の力はたいしたことはないけれど、それでもこの程度はできるのだ」と言うことをTさんに説明したかったが、うまく伝わっただろうか。

 国谷キャスターを前にして、あがってしまった識者見たいな立場だったので、若干心配だ。

 おゆみ野ウォーカーズのHPおよびブログは以下のとおりです。
(HP)
http://www4.plala.or.jp/oymwalkers/
(ブログ)
http://oymwalkers.cocolog-nifty.com/blog/

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(19.6.27)おゆみ野クリーンクラブ

 おゆみ野クリーンクラブをご存知だろうか。ここおゆみ野の四季の道と鎌取駅、およびその周辺の清掃活動を通じて、街を美しくしようとして発足したクラブだ。

 当初会員は、会長の I さんの2名だったが、その後小谷小学校の近くのFおばさんが参加して、3名で清掃活動をおこなってきた。
  それぞれが独自のテリトリーを持っており、会長の I さんは京成電鉄おゆみ野駅周辺の四季の道とおゆみ野道、は四季の道全体、Fおばさんは小谷小学校周辺がテリトリーだ。

 先日、Fねえさんが補欠参加をしてくれた。金沢小学校からおゆみ野南小学校周辺をテリトリーにしてくれる。

 今日はMにいさんが参加をしてくれると言う。
 当初は60歳以上の老人クラブだったが、FねえさんMにいさんが加わるとなると、老人クラブなんて言っていられなくなる。
 名称を「青少年おゆみ野クリーンクラブ」と変えたほうがいいくらいだ。

 当初この会の目的は、防衛的なものだった。
街がだんだん汚くなってきたけれど、せめて四季の道とその周辺だけでもゴミを無くそうじゃないですか」 I さんと二人で誓ったものである。
 しかし会員が増えて活動の輪が広がると、より積極的な目標に変えることができるかも知れない。

 正直言うと、このおゆみ野からちはら台にかけての一帯を、世界でもまれに見る美しい街並みにできないかと、ここに住んで以来、ずうっと考えてきた。
 イメージは世界屈指の花の町と言われるニュージーランドクライストチャーチだ。
 基礎的条件はそろっている。まれに見るほど美しい遊歩道や公園に恵まれ、区画整理の行き届いた道路が縦横に走っている。植栽の手入れも定期的におこなわれ、メンテナンスも悪くない。

 問題なのは、道や公園をゴミ箱代わりにしている人がかなりいることと、人に見せるガーディニングが少ないことと、公共施設を壊すことを楽しみにしている若者がいることだ。それに自転車の乗り逃げが後を絶たないことも入れておこう。

 クリーンクラブの輪が広がって、四季の道周辺からゴミが一掃されれば、ゴミを捨てにくい環境が整えられるかもしれない。
 ニューヨークでさえ、地下鉄や街の落書きを一掃したら、安全で美しい街に生まれ変わったではないか。

 ガーディニングについては、人に見せるためのガーディニングは日本人は不得意だ。しかし表彰制度を作って、,毎年ベスト ガーディナーを選べば、園芸にも熱が入るかもしれない。そおしたら街全体が華やいでくる。
 それに花ロード運動なんかもいい。道路がきれいな街は絶対評判があがる。

 公共施設の破壊防止や、自転車の乗り逃げについては、クリーンクラブの能力の限界を越えるので、地区と学校と警察でがんばってもらおう。

 それぞれが、自分のできる範囲内で少しずつ努力すれば、おゆみ野からちはら台にかけて、世界に誇れる住環境が整備できそうだ。
 世界から観光客が来るかもしれないし、この街に住みたい人もきっと増える。

 今日はテンションがあがってしまった
 なにしろ今まで3人の老人クラブ5人の青少年クラブになった日のお祝いだ。 

 このような日には景気のいい話が一番似合う。

 本件と関連のある記事は以下のとおりです。
(街を美しくしよう)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1965.html

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(19.6.26)陸ガメ王 亀ゴン

 我が家に陸ガメ、亀ゴンが来てからほぼ3ヶ月になろうとしている。最初はどのように扱うかまったく見当がつかず、レタスばかり与えていたが、どうやら植物なら何でも食べることが分かった。
 また、庭に放していると芝生やら雑草やらを食べまくっており、やめることをしない。人間のような満腹感を感ずる神経はないらしく、食べ過ぎるとウンチとして出している。

 私が「亀ゴーン」と呼ぶと、振り向いて寄ってくるし、頭をさすると静かに首を伸ばすところは、まったく犬と同じだ。
 毎日、亀ゴンを観察し、陸ガメについての知見も増えてきたので、シートンのように動物記がかけるのではないかと思い、挑戦してみた。
狼王 ロボ」に対抗して「陸ガメ王 亀ゴン」と題した。きっとすばらしい動物記になるに違いない。自分でもワクワクする。

陸ガメ王 亀ゴン

 ここ、ワイオミングのおゆみ野の森には「亀ゴン」と言う陸ガメが生息していた。おゆみ野の森には四季の道と言う大変美しい遊歩道があったが、遊歩道に生える雑草を食べつくして、美しい芝生に変えてしまうと言う恐ろしい生き物がいた。亀ゴンである。

 市の当局者は、毎年四季の道の雑草の除去に多額の予算を計上していた。しかし亀ゴンのおかげで予算消化ができないという、役人にとってもっとも恐ろしい状況に追い詰められていた。
大変だ、なんとかして亀ゴンを捕獲しよう。予算が余まると人員整理が始まる

 こうして、亀ゴンの首に市当局から破格の懸賞金がかけられた。
WANTED 亀ゴンを捕獲したものには、かっぱえびせん、二袋を与える
  この懸賞金につられ、全国から名うての賞金稼ぎが集まり、四季の道にはありとあらゆるわながしかけられた。

 しかし私は安心していたのである。
 亀ゴンは狼王ロボと同じように狡猾で頭がよく、放送大学の聴講生でもあったので、やすやすとわなを見破ると思っていた。
だが、私の期待とは裏腹に、亀ゴンはすべてのわなにかかってしまうのだ。

 おかげで私は毎朝早く起きては、賞金稼ぎが亀ゴンを見つける前に、わなから助け出さなければならなかった。
 狼王ロボはわなを見つけると軽蔑の印に自分のウンチをわなの上に落としたが、亀ゴンは同じく軽蔑のしるしとして、自分の甲羅にウンチをつけていた。
 このため私は毎日亀ゴンの甲羅をたわしで洗わなければならなかった。

亀ゴンはきっと頭が良すぎて、簡単なわなには引っかかるのだろう。アインシュタインに小学校の算数の問題を解かせるようなものだ」
 私はそのことを確認するために、シートンが狼王ロボに仕掛けた鉄壁のわなをまねてみた。
 前と横にわなが仕掛けられているため、一度入ると後ずさり以外にこのわなから逃れられない、あの鉄壁のわなである。

 私は、狼王ロボと同じように亀ゴンもあとづさりするものと思っていた。なにしろアインシュタインなのだ。が、信じられないことに前に進んであっさりとわなにかかってしまった。
お前は、車 寅次郎か」思わず声を荒げてしまった。

 こうして、亀ゴンがわなにかかっている間、四季の道の雑草は伸び放題になり、ようやく役人も安堵の胸をおろしたのである。

 しかし、手はあるものだ。狼王ロボがメス狼の自由奔放な振る舞いを許し、それが結局命取りになったように、亀ゴンにはあの毒舌のコリー犬をつけてやった。
 毎日散歩の途中で会う、あのコリー犬に亀ゴンが夢中だったからである。

 コリー犬は毎日、亀ゴンの後ろから散歩に同行した。そして亀ゴンが少しでもわなに近づきそうになると
あんたは『蚤の心臓』のくせに、大胆なふりをするから、わなにかかるのよ。結局パーなのね
 例の毒舌で思いっきり亀ゴンを罵倒した。

 愛する女性から罵倒されて、黙っていては男が廃る。
以来、亀ゴンは信じられないような注意深さでわなを避けるようになった。

 こうしてワイオミングの四季の道は、雑草が一本もない美しい芝生に再び変わったという。

                                     (おしまい)

シートン動物記を陵駕したと思うが、どうだろうか

今回も、前に掲載したことがある亀ゴンの写真を掲載します
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/srpeTD

なお、本件と関連のある、陸ガメシリーズは、このブログのカテゴリー「家庭」の中に入っております。

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(19.6.25)トルコ旅行 その2 エフェス

 エフェス(エフェソスと言ってもほとんどの人が知らない。私も知らなかった。
しかし、行ってみて驚いた。実に壮大な遺跡なのだ。2万4千人収容の大劇場が残されているが、まるでJリーグのサッカー場並だ。ここで剣闘士と猛獣の戦いがおこなわれた。
映画「グラディエイター」の世界だ。

 この街はエーゲ海を挟んでギリシャに面しているため、もともとはギリシャ人の殖民都市だったが、その後ローマのアジア州の首都になった。現在日本のイメージだと東京に対し大阪あたりになる。

 ローマの建造物ならば何でもそろっており、政庁、大劇場、大図書館、大浴場、体育館、競技場、神殿、市場と実に壮観な場所だ。ただし発掘はまだ十分進んでおらず、記憶が正しければ2割程度発掘したにとどまっている。

 トルコ人ガイドのアスペルさんによると「エフェスを世界遺産に登録しようとしたが、大通りの敷石を勝手に敷いて復元したことを理由に、世界遺産として認めてもらえなかった」とのことだ。

 「それなら、敷石を敷き直したらいいのに」と思ったが、本当の理由はまだ、遺跡の発掘が始まったばかりで、時期尚早と思われたのではなかろうか。なにしろどこまで拡大するか分からないような遺跡だ。
 すべての発掘が済めば、間違いなくポンペイ以上の遺跡になりそうだ。

 それにしてもローマだとつくづく思った

 むかし私が高校生だった頃、世界史の先生から「ローマはすべてギリシャの物まねで、水道橋や道路等の建設物のみに、独自性が見られるに過ぎない」なんて説明を受けたため、ローマを見下していたが、まったく間違いだった。

 トルコをはじめスペイン、フランス、チュニジア等のローマの都市遺跡を見れば、現在の都市の原型がローマだったことがすぐ分かる。ギリシャにも確かに同じようなものがあるが、規模が小さすぎて現在の都市のイメージにあわない。

 上下水道、競技場、体育館、政庁、音楽堂、公衆浴場等の公共施設がそろっており、21世紀の日本人でもエフェスにすぐ溶け込めそうなくらいだ。
やはり、都市の世界標準はローマなのだ

 ところで、トルコに旅行すると、実際はギリシャ・ローマの遺跡旅行をしていることにびっくりし、ここがギリシャ・ローマの世界だったことが分かる。
 トルコ人がこのアナトリアの地に進出してきたのは11世紀であり、確かにトルコ人が建てたモスクは立派だが、観光スポットとしてはやはりギリシャ・ローマの遺跡だ。

 このことが、愛国者のガイド、アスペルさんの説明に微妙に影を落とす。
 「トルコ桔梗のみならず、その他の植物(名前は忘れた)がトルコ原産なのに世界がそれを認めないのは、トルコをないがしろにしている」と口角泡をとばして説明するが、トロイエフェスの説明になると、急にトーンが下がる。さすがに、トロイエフェスがトルコ人の町とはいえない。

 反対に言えば、ヨーロッパ人にとって、トルコの地はもともとヨーロッパ人の土地なのに、イスラム教徒に蹂躙されたとの意識がある。
 レコンキスタ(国土回復運動)の意識が芽生えやすい。

 私は、19世紀から20世紀初頭にかけての、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ等のトルコ領土の簒奪は、キリスト教徒のレコンキスタだと思っているが、世界史の記述にそうした説明はない。

 さらに言うと、トルコは愛国教育を熱心におこなっているが、少しでもアイデンティティに疑いがでると、ヨーロッパに取り込まれてしまう危険性があるからではなかろうか。なにしろ遺跡をみればここがヨーロッパだったことが一目瞭然なのだから。

 今回はエフェスの写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2006_101003?authkey=zeMw3gGlJ44

なお、本件と関係するトルコ関連の記事は以下のとおりです。
(トルコ旅行 その1 トロイ)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1969_c78b.html

(退職旅行 トルコ)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1966_3d64.html

 なお、エフェスに関する情報については、以下のHPが参考になりました。
http://members.jcom.home.ne.jp/kazuhiro-ota/turky/efes/efes.html
http://homepage1.nifty.com/cluricaune/turkey/efes.html

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(19.6.24)千葉市埋蔵文化財調査センターに応募した

 千葉市埋蔵文化財調査センターが、ここおゆみ野の近くの、中央区南生実(おゆみ)町にあるのをご存知だろうか。この街の由来となった、あの「おゆみ」町である。

 場所は、京成電鉄学園前駅の近くで、千葉明徳高校の裏あたりといったら分かるだろうか。はっきり言って非常に分かりにくい場所にあり、私は地図検索をして出かけたのにもかかわらず、ようやくたどり着いた。
何で、こんな場所にあるのだろう」普通の人はそう思う。

 しかし、ここは歴史的には重要な場所で、小弓城(おゆみじょうがあったことで分かるように、鎌倉時代から戦国時代にかけて千葉の覇権をめぐって、何度も戦いがおこなわれている場所だ。
 その頃はここおゆみ野は有吉六通を除いて、単なる荒地だったはずだから、センターがある場所は、このあたりの文化の中心地だったと思えばいい。
  いまでも、古い農家のたたずまいが残っている。

 この調査センターの役割は、遺跡の発掘調査とその整理作業であり、実に地味な作業だが、私はこの仕事にとても興味を持っていた。
退職したら発掘作業員になるんだ」 同僚にそのことを話したら
発掘作業は農家のおばちゃんたちの副業だし、整理作業は家庭の主婦の副業さ」とのつれない返事だった。

 実際炎天下の発掘作業はクーラーなしに生きられないサラリーマンにとっては、灼熱の地獄のようなものらしい。
また、整理作業も実に根気の要る仕事で、私のようにアバウトな人間には向かないらしい。
 それでもあきらめずに、当調査センターのホームページを覗いていたら、発掘した土器類の整理作業員の募集をしていた。昨年の8月頃のことである。

やれ、うれしや」と思って応募したのだが、当センターの担当者から「未経験者はだめだ」とのつれない返事が来た。
今は、未経験者だが、そのうち日本を代表する整理作業員になる」と説得してみたが、「そうなってから雇う」なんて軽くいなされてしまった。

 「おゆみ野風土記」には「こうして当調査センターは日本を代表する整理作業員山崎氏の獲得に失敗した」と出ている。

 ところで当調査センターには、展示室があり、月曜日と祭日を除いて展示物を見せてくれる。展示場は必ずしも広くはないが、まじめな展示がおこなわれているので、おゆみ野近在の人であれば一度は訪問したい場所だ。
  また、センターの近くには、大覚寺山古墳八剣(やつるぎ)神社があり、ここが古来からの文化の中心地だったことが良く分かる。

 特に考古学に興味のある人であれば、この近在は縄文時代から古墳時代にかけての遺跡に事欠かないのだから、おゆみ野に住んだことをきっとうれしく思うのではなかろか。

 下記に、当調査センターと八剣神社の写真を掲載しておきます
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/196?authkey=XhphOpHLNAo

 なお、本ブログと関連するブログは以下のとおり
(なぜ「おゆみ野」と言うのだろう)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/cat7917236/index.html

 千葉市埋蔵文化財調査センターのホームページは以下のとおり
http://www17.ocn.ne.jp/~maibun/

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(19.6.23)パソコンのインストラクターは面白い

 私は今、カルチャーセンターパソコン教室に通っているが、最近はもっぱらパソコン教室のインストラクターをしている。
 授業料を払いながらインストラクターをするのもおかしなものだが、実は将来に備えてのインストラクターの勉強をしているのだ。

 この教室の先生によると「もっとも身につく勉強法は、人に教えること」だそうで、確かに自分では何気なく操作をおこなっていたことも、いざ人に説明するとなるとなかなか難しい。

 しかもインストラクターをしてみて分かったことは、この仕事は実に楽しい仕事だと言うことだ。
 「先生」なんていわれてしまうと、もうそれだけで舞い上がってしまう。
 この世界は、知っているか知らないかの世界だから、知らない人から見たら「この人はなんでこんな難しいことを理解しているのだろう」なんて尊敬の眼差しで見てくれる。
 こちらはますます舞い上がって「知らないことでも教えてしまおう」なんてことになる。

 現在、教室が力を入れていることの一つに、写真集の作成がある。なぜ写真集かといえば、パソコン教室の生徒が主として定年退職者や、主婦に移ってきて、昔のようなビジネスユーズが少なくなっているからだ。

 ビジネスマンなら必要なエクセルやワードやアクセス等の需要よりも、もっぱらデジタルカメラで撮った写真の処理のような、趣味系に需要が移っている。
  このなかで最近注目されているソフトの一つにPhotoback(フォトバック)というソフトがあるが、これを使用すると16cm四方の、34ページの写真集ができる。

 私も、息子の結婚式トルコ旅行等の写真集を作ってみたが非常に評判がいい。かみさんは「息子の結婚式」の写真集を常に持ち歩いて「これが、息子の嫁です」なんてやっている。

 このPhotobackのインストラクターをこの教室でおこなっているのだが、やってみて色々な問題点があることがわかった。

 一番の問題点は、出来上がった作品のすばらしさに比べて、このソフトの操作が非常に複雑なことだ
 デザイナーでパソコン操作に習熟している娘に教えたが、
これでは、普通の人はとても操作ができないわ。利用者の利便性をまったく無視している」と散々な評価だった。

 私も実は約1週間あれこれ試行錯誤をして、このPhotobackの構造を理解したが、私のように毎日パソコンをいじっている者でも理解に1週間かかった。
 理由は簡単で、Photobackがギガストレージと言うNTTコミュニケーションズが提供する、(操作性に問題のある)システムとの連動をしているからで、ギガストレージに足を引っ張られて、複雑怪奇なシステムになってしまった。

 実は調べてみると、Photoback独自で独立したシステムになっており、それだけで使用できる。しかしパンフレットには連動のことしか書いてないので、最初はギガストレージとの連動が必須と思ってしまう。
 ギガストレージに悪戦苦闘した後、ようやく「プリントサービスへ」というわけの分からないインターフェイスを利用して、Photobackにたどり着つくのだが、そのときにはへとへとに疲れてしまって、頭が回転しない。
なんて、複雑なわけの分からないシステムなのだろう
 だれだってそお思ってしまう。

 Photobackのためにあえて言えば,「このシステムはギガストレージとは独立したシステムで、それだけで操作できます」とはっきり言うべきだ。少なくともユーザを大事にしたいならば、ギガストレージという操作性に問題のあるシステムをユーザに強いるべきではない。

 第二の問題点は、価格が高いと言うことで、送料込みだと1冊2500円かかる。これでは結婚式のような特別な出費を覚悟した場合のほかは、おいそれと注文できない。
 もし、このシステムを世界標準にするという構想があるならば、価格はせいぜい送料込みで1500円だ(送料を除けば1000円程度)。

 この世界では世界標準にならなければ、いづれ消滅してしまうのだから、Photobackファンの私としては経営者の決断がほしいところだ。

 それにしてもPhotobackのような魅力的なコンテンツができたのに、ギガストレージのような、「はっきり言ってしまえば最悪な」システムと、なぜ連動しなければならないのか理解に苦しんでしまう。

 本件のブログと関係のあるブログは以下のとおり。
(日本のソフトウェア産業は生き残れるのだろうか)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/19612_d45d.html

 なお、写真集のイメージをWebで掲載したいと思ったのですが、残念ながらメールにURLを添付する方法しかありません。もし写真集の実例を確認したい方がありましたら、以下のメールアドレスにご連絡ください。折り返しURLを添付したメールを返送します。
 写真集のイメージは「おおど池から泉谷公園」です。

yamazakijirou@yahoo.co.jp

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(19.6.22)花ロードを作ろう

 花ロードを作ろうと思っている。松葉菊を道路の植栽の下にうえて、松葉菊がいっせいに咲きそろっている道路を作ろうと言う計画だ。
 今は雑草が生えているが、そこを花に変えるのである。花に変われば雑草も生えなくなるので、手入れも簡単になる。

 実は私の家の近所の道路には一部松葉菊が植えられて、美しく咲いている場所がある。多分近所の人が植えたのだと思うが、残念なことに40m程度で終わっており、花ロードと言うわけには行かない。

 これを延長して最終的には数キロに及ぶ松葉菊の花ロードに変えてみたい。幸いに我が家には松葉菊が咲き誇っていて、それをできるだけ根元から切って、そのまま地下植えすればいいのだが、実際は色々な問題がある。

 一番悩ましいのは土が栄養分に乏しいので、培養土で土を置き換えたいのだが、培養土は通常、14Lで約300円する。
 これを10m程度置き換えるだけでも約4袋はいるため、合計で1200円はかかる。さらにこれを1km程度まで延長すると、12万円程度の培養土が必要になってくる。

うぅーん、年金生活者としてはかなりの出費だ

 もう一つの問題点は、松葉菊が根づくまでは水を切らすことができないことで、毎日水遣りに出かけなければならない。家の庭だったらホースでいくらでも水をやれるのだが、その道路までは数百メートル離れている。
 ポリタンに水を入れて自転車で数往復しなければならないが、なかなか大変そうだ。

 亀ゴンに相談してみた

いっぺんに花ロードを作ろうとすると問題があります。毎年少しずつ増やしていくのが良いと思います
どのくらいがいいだろうか
現在、先生が小谷小学校の枯れたつつじの間に松葉菊を植えておりますが、あれが約15mです。完全に根づくまでに1ヶ月はかかりますので、夏場の3ヶ月程度の作業として、40m~50mを1年間の目標としたらいかがですか
 最近の亀ゴンは放送大学の講義を毎日聴いているのでなかなか知的だ。

しかし、それだと1kmの花ロードを作るのに20年もかかる。神様のお迎えが来てしまいそうだ
その場合は不肖、この亀ゴンが後を引き継ぐことをお約束します

 毎年50mか、そのくらいならできそうだ。それにもしかしたら協力者があらわれるかもしれない。

「小谷小学校の松葉菊が根付いたら、次は花ロードに取り掛かろう
 そお決心した。

 下記に、花ロード計画の道路の写真と、小谷小学校の松葉菊の植栽の写真を掲載しておきます。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19621?authkey=tbTp3u7_13E

なお、このブログと関連する記事は以下のとおり
(つつじ再生計画)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1962_cd2f.html

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(19.6.21)弱 剪定(せんてい)の効果はすごい

 私が四季の道の植栽の剪定作業を昨年から実施してきたことは記した。もっとも剪定と言っても弱剪定で、飛び出た枝葉を切りそろえ、つる草や雑草を取り除いていただけである。

 なにしろ、私は剪定についてシロウトなので、剪定した後の木々が枯れてしまわないように、絶対安全といわれている弱剪定しかできない。

 私が剪定をし始めた理由も述べた。ここ数年、四季の道の低木の植栽に関しては業者の剪定作業が入ってなかったと思われたからである。
業者がしないのなら、私がやろう

  ところが、ここ2週間あまりのあいだに業者が四季の道の剪定をいっせいに実施し、見る見るうちにきれいに樹形が整えられた。
 どうやら予算措置がとられたらしい。

 見てみると、業者の剪定は強剪定で、機械を使ってかなり根元からばっさりと剪定する。
さすが業者の剪定は違う。こんなに切っても大丈夫なみたいだ
 感心して見てしまった。

 おかげで、私が弱剪定をしないで済む様になったが、業者の剪定した後を見て驚くべきことを発見した。

 実は私は、テストのつもりで、弱剪定をしておいたところと、しなかったところをわけて様子を見ていた。弱剪定の効果を比較したかったからである。
 ジャスコの周りのサカキと思われる植栽は弱剪定し、一方さつきは何も手をつけなかった。

 見てみると私が弱剪定を実施して、葉が詰まっていたサカキは、業者の強選定に耐えて葉が青々と茂っているが、一方私が手をつけなかったさつきは、葉がほとんど残っておらず、枝が無残に露出している。

すごい、弱剪定は正しかった。たとえ業者が強剪定をおこなうにしても、適度な弱剪定と、からんだ雑草の除去が、なにより植栽を元気にさせる

 あまりにうれしくなって亀ゴンにこのことを報告した。

先生のご努力が実を結ばれたということですね
 最近亀ゴンは私のことを「先生」と言う様になっている。

植物にとり、もっとも大事なことは、太陽光線を誰が得られるかと言うことです。先生のご努力でつつじやさつきやサカキに、十分に日光があたったから、葉がめいっぱい成長したのです

そうなのだよ、亀ゴン
 思わず、亀ゴンを抱きしめてしまった。

今回の業者の強剪定の後の写真を掲載しておきます。弱剪定をしていた場合としなかった場合の効果を見てください。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19620?authkey=PF7-bLDQv08


なお、本件と関連する記事は以下のとおり
(ガーディナー参上)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19513_c737.html

(剪定は難しい)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/1947.html

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(19.6.20)下肢静脈瘤の手術について(愛誠病院)

下肢静脈りゅうを防ぐ・治す 下肢静脈りゅうを防ぐ・治す

著者:新見 正則
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 下肢静脈瘤と言う病気をご存知だろうか。膝から下の下肢の静脈に血液がたまり、表面からみるとこぶのように膨らんで見える病気である。
 立って仕事をする人に多い病気と言われるが、実はランナーの持病と言ってもいいくらい中高年のランナーに多い。足を酷使している人の病気だ。

 実は私も、この下肢静脈瘤に悩まされてきた。下肢の静脈は2本あり,本流は深部を通っているが、支流が下肢の表面を通っている。この支流の静脈弁が壊れて、血液が逆流し、静脈としての役割を果たさなくなった病気と思えばよい。

 なにしろ逆流しているのだから、逆流した血液が下肢にたまり、血管が膨張してこぶの様になってしまう。
  症状としては、足が常に重たい感じがする。静脈血がたまっている分、重たいのだと考えるとつじつまがあう。

 症状としてはそれだけなので、ほおっておいても問題ないのだが(ただし、まれに潰瘍になる)、静脈が異様に浮き出た足を見ると非常にうっとうしい。
 特にランナーは短パンで走ることが多いので、自分の膨れ上がった足を見るにつけ、気持ちがナーバスになってしまう。

 私は最初これが下肢静脈瘤と言う病気と知らなかった。下肢の静脈が浮き出ても、上腕の血管の浮き上がりと同じだと思っていた。
シルベスター スタローンみたいだ

 あるとき本屋で帝京大学の新見先生の下肢静脈瘤の本を見つけ、これが病気だと知った。
 その後はどうしても下肢を人に見せることがつらく、レースでもロングタイツを愛用することにした。
 しかし夏場はロングタイツは耐えられない。

 迷った末、帝京大学の新見先生の診察を受けに出かけた。4年前のことである。
 そこで紹介されたのが、下肢静脈瘤の専門センターが設置されている、板橋にある愛誠病院である。新見先生が顧問をしているが、実際はセンター長の白杉先生が全責任を負っている。

 私はここで、白杉先生の診察を受けたが、私の場合は手術が必要だと言われた。手術以外の方法では再発するので適切でないとの診断だった。
足が重いだけなのに手術はいやだ
 その後、1ヵ年ほおっておいたが、やはり静脈瘤は徐々に大きくなっていく。見てくれが大変悪く、気にすると足に痛みまで感じる。

 ようやく決心して、1年後に手術を受けることにした。左足が特にひどかったので、左足の手術だけをしてもらうことにした。
最悪、手術が失敗してもまだ右足が残っている

 結論から言うと、手術をしたのは大成功だった。

 第一に手術時間は約40分程度で局部麻酔でおこなったのだが、信じられないことに翌日歩いて家に帰ることができた。実際は日帰り手術も可能なようだ。

 第二に、白杉先生はこの道の専門家で、手術回数が多く、安心して手術を任せることができた。日本でも有数の専門医と言ってよい。。

 こんなに、あっさりと静脈瘤が除去できるなら、1年間も悶々と悩まなければ良かったと後悔した。
 今では、左足については完全に静脈瘤が消えており、なんら副作用もない。逆流していた静脈がなくなっただけでも足は快適になっている。

 だからもし、私と同じように下肢静脈瘤で悩んでいる方がいれば、ぜひ愛誠病院の白杉先生に診断をしてもらうことをすすめる。

 なお、手術の詳細の経緯は以下のとおり

① 足の3箇所に局部麻酔をする。大腿部の付け根、膝の下、くるぶしの上。そしてこの部分を切開して、静脈としての機能を果たさなくなった支流の静脈を縛る。なお、本流の静脈があるので、支流の静脈を縛ってもなんら問題がない。痛みは麻酔を打つときだけ。

② その後、膨らんでこぶのようになっていた静脈部分を切開して抜き取る。場所はこぶになっているところ。抜き取るときに皮膚や筋肉を引っ張るので、非常に気持ちが悪いが、我慢の範囲内。

③ 費用は、保険を利用して7万円程度。私は土曜日に手術を受けたが1泊して翌日は歩いて家に帰れた。月曜日の仕事にはなんら支障はなかった。JOGは1週間後から再会可能。

 なお、愛誠病院および専門センターのホームページは以下のとおり
(愛誠病院
http://www.aisei-byouin.or.jp/dock_kenkou_access.htm

下肢静脈瘤センター
http://www.aisei-byouin.or.jp/jyomyaku_top.htm

新見先生の下肢静脈瘤にかかるホームページ
http://www.med.teikyo-u.ac.jp/~varix/

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(19.6.19)四季の道アラカルト その2

 四季の道の清掃活動をしていて、必ずあう人がいる。Aさんもその一人だが、60歳台後半のひょうひょうとした人である。
 非常な寒がりで、冬場はもこもこした防寒着を重ね着している。通常は赤い帽子をかぶり、防犯の腕章を腰に下げて、いつも四季の道を2周している。

 互いに顔見知りになり、会話を交わすようになった。
山崎さんは紅葉(もみじ)の種がどのようにして子孫を増やすのか知っていますか
 実は知らなかった。
ちょうど、竹とんぼのようなプロペラで遠くに飛んでいくのです
 翌日、紅葉の種を採取して私に見せてくれたが、確かに竹とんぼだ。
うーん、なかなかの植物学者だ

 このAさんから、最近メールが入るようになった。Aさんは毎日、日記を書いている。ボケ防止だと言うが毎日書くのはすごい。私も毎日ブログを書いているが、正直のところあごが上がりそうだ。
 この日記を私的なことをのぞいて、送ってくれる。

 なかなか面白い。Aさんの自己紹介を聞こう(Aさんのメールを抜粋して掲載します)。
先ずは、自己紹介をします。
 定年になって、はや7年になろうとしていますが、ただ目的もなく四季の道を歩いている者です。
 ここ、すずかけ街に転居して18年になるところです。それまでは、足立区の団地に25年暮らしました。転居当時は、鎌取駅からすずかけ街が見えたほどでした。

  足立区の団地に住んでいた当時の、33歳頃から昼休みにジョギングを開始し、定年まで走っていました。
 30歳代には、青梅マラソン(30km)にも出場し2時間15分程で走った記録も残っています
山崎 注:この記録は大変早い部類に属し、Aさんがなかなかのランナーだったことが分かる。ちなみに私の青梅マラソンの記録は2時間21分である)。
 50歳代ころから、気力の衰えや、通勤時間が長くなったことなどの影響から、レースからは遠ざかるようになってしまいました。
 そして、定年になってからは、ついに散歩だけになってしまいました

 本音を言えば、私も定年になってからJOGをするのがつらくなってきている。右足の坐骨神経痛が痛み、かろうじて走っているのが実態だ。
 
 ところで最近の私の趣味は、清掃活動をしながら知り合いになった人からいろいろな話を聞くことだ。自分が知らなかった世界が分かることが多い。
 今後も会話を楽しみ、四季の道のアラカルトとして紹介することにしよう。

 前回も掲載したのだけれど、おゆみ野四季の道の写真を再掲します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/bRQToI

 なお、このブログと関係する記事は以下のとおり
(四季の道アラカルト)

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19524_9207.html

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(19.6.18)里山開発 第6回合同作業報告

 本日(17日)は、都川源流里山開発の第6回目の合同作業日だった。
作業は午後1時から3時の2時間だったが、それに先立ち、里山に隣接するおゆみ野4丁目自治会の会長さんと副会長さんに、「都川源流の自然再生をはかる会」の活動内容の説明をおこなった。

 私たちの活動は、やはり地区の住民の理解の下におこなうのが適切で、そうでないと誤解が発生してしまう。
里山で、変なおっさんたちが草刈をしているが、あれは何なのだろう」

 今回の説明では、
① 私たちの活動は県の地域整備センターとの間で、里親制度に基づく契約を取り交わして作業をおこなっていること
② 主として調節池周辺のゴミの除去や、里山の下草狩りをおこなって、環境改善をはかっていること、
③ 将来的には自然に親しむための、子供たちの環境学習の場にしたいこと

等の説明をおこなった。

 4丁目自治会の会長さんも副会長さんも、説明の趣旨をよく理解してくださり、自治会の定例会議の中で、私たちの活動内容について役員等に説明してくださることになった。

 それにしても、今日の合同作業は暑かった。ほとんど真夏のような太陽が照りつけ、日陰がない場所では熱射病になりそうだった。
 前回までの作業で、不法投棄されたゴミのほとんどを撤去していたので、今回は里山の遊歩道の整備、金襴等の保護活動、松林や里山側面の下草狩りをおこなった。

 この里山には金襴や銀欄が自生しているのだが、盗掘にあってほとんどなくなってしまっている。残された金襴と銀欄を何とかして守りたいと言うのが、再生をはかる会の会長  I さんの心からの希望だ。
盗掘されるかも知れませんが、我々がこの金襴や銀欄を守っていると言うことを分かるように柵で囲っておきましょう」 I さんの言葉である。

 今回の参加は5名だったが、地域整備センターの前任の担当者 Kさんも、自前の草刈機を持って参加してくれた。Kさんは草刈機やチィエンソーの扱いのプロで、私もKさんから草刈機の操作を教わった。
 Sさんは今回参加ができなかったが、その代わりと言ってポンカンの差し入れをしてくれた。

 暑くてふらふらだったが、4丁目自治会長さん等との話し合いもできたし、遊歩道の整備は進んだし、松林の下草は除去できたし、まずまずの成果ではなかろうか。

 今回の作業実績の写真を下記に掲載しておきます。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/617

なお、里山開発については、このブログのカテゴリー「里山」に時系列で掲載してあります。

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(19.6.16)コンピュータ絵画の世界2

 世の中にはコンピュータ絵画の世界があるらしいと気付いたのは、Googleで検索をしてみたからである。
 実を言うとこの世界はまったく未知の分野で、私が開拓すればこの道の第一人者になれるかもしれないとひそかに期待したのだが、世の中は甘くなかった。

 しかし、検索をしてみて分かったことは、どうも世の中のコンピュータ絵画は一種の絵画作成ソフトを使用して、あたかもキャンパスに絵を描くように、パソコンのディスプレイ上に絵を描くもののようだった。

 見てみると、本当に絵を描いているみたいで、私のように「油絵」機能でエイヤーと作成しているのとは大分違う。

 私のアプローチは、ホームページ・ビルダーの中に組み込まれているウエブデザイナーの「油絵」機能と、Picasa(ピカサ)の編集機能を組み合わせて、できる限り油絵に近づこうとするものである
 いまのところ、そおしたアプローチでコンピュータ絵画を作成しようとする動きはGoogleで検索した限りないらしい。
よかった、まだ誰もやってないぞ

 もっとも「油絵」機能での編集は一種のデフォルメで、写真の変形に過ぎないという位置づけかもしれない。
そんなものはコンピュータ絵画じゃないよ。第一オリジナル性がない
 しかし、まだこの分野での挑戦が世の中で十分されてないことがわかっただけでも収穫だ。

 毎日研鑽を積んでいけば、そのうち「絵画もどき」から「絵画」に飛躍するかもしれない。たとえそれが何であれ第一人者になるのは悪くない。
 この世界では何がブレイクするかわからないのだ。
 
先生はコンピュータ絵画の第一人者と自負されておられますが、誰がそのことを認めていますか
亀ゴンがいる
陸ガメ以外での評価はいかがですか
まったくない

 今回は、前日写真で紹介したおおど池から泉谷公園の写真を使用してコンピュータ絵画に挑戦してみた。
 まだ、絵画というには物足りないが、成長過程にあると思って、気長に見ていただければ幸いである。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/GBhaBE?authkey=9wQOxBuBOJA

なお、世の中で言われているコンピュータ絵画の世界の事例は以下のとおり

 http://www.paa.gr.jp/gl/gallery/plan26/index.html

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(19.6.15)おおど池から泉谷公園へ

 いつも四季の道で会う Nさんから、泉谷(いずみや)公園花菖蒲が満開だとの話を聞いた。泉谷公園の花菖蒲田はおゆみ野の住民にとっては、この時期是非行って見たいスポットの一つである。

 約1000平方メートルの菖蒲田に約800本の菖蒲が植えられている。この緑区では昭和の森の花菖蒲が有名だが、泉谷公園のそれもなかなかのものだ。

 今回は、おおど池から、小川を遡るようにして泉谷公園まで散策し、写真を撮った。
 写真そのものはデジタルカメラで普通に撮っているのだが、それを愛用のソフトPicasa(ピカサ)で編集してある。

 毎回同じことを書いて恐縮だが、写真の編集ほど面白いものはない。
ないしろ何気ない普通の写真が、見る見るうちにプロが写した写真のように変わっていくのだから、わくわくするような気持ちで編集をしてしまう。

 もっとも、私がしていることの基本は 曲がった写真を水平にし、 どことなくだれた画面をシャープにし、③ 彩度を上げて色鮮やかにした後、④ 不要な部分の切り取りをしているだけだ。
 それに最近ではPhotoshop(フォトショップ)を使って、細部のいらない画像を消している。
 娘によるとこの画像を消す処理は女性に人気があり、「顔のしみやほくろをすべて消すことができるので、お見合い写真にぴったり」だそうだ。

 これでほとんどの写真は見違えるような美しい写真に変身する。自分で見ていて惚れ惚れするぐらいだから、編集作業を知らない人はびっくりしてしまう。

 この編集した写真を使用して、PhotoBack(フォトバック)というソフトを使用すると、16cm平方の写真集ができるのだが、これが非常に評判がいい。
息子の結婚式の写真集とトルコ旅行の写真集を作ってみたが、デザイナーの娘が会社で披露すると、デザイナー仲間から「お父さんは、プロの写真家か」と言われたといっていた。

 先日は、娘の友達から「なくなった子犬の写真集を作ってもらえないか」との依頼が来て、早速作成したのだが、「写真集を見て一家で泣いた」とのことだ。

 今回もWeb写真を作った。この作業は本当にルンルン気分でできるので、写真の編集に興味のある人は、GoogleからPicasaをダウンロードして使用することを進める。
 このソフトとWebの利用環境はまったくタダなのだから、無料でプロの写真家の真似ができると思うと、涙が流れそうなくらいうれしい。
 Webにあげた写真を、メールにURLを添付して送れば、見た人からきっと「あなた、いつからこんなに写真がうまくなったの」といわれることは請け合いだ。

 下記に、おおど池から泉谷公園の菖蒲田までの写真を掲載しておきます。またスライドショーで見てください。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/QsAiBE?authkey=F_YsCrApdqY

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(19.6.14)誤解 環境管理センター

 最近、四季の道の清掃活動をしていると、唐突に話しかけられることがあり、私が完全に誤解されていることが分かる。何か地区活動のリーダと思われている。

 今日(13日)もそうだった。50歳台の犬の散歩をしている男性から突然話しかけられた。
掃除などして環境問題に関心があるようだが、それよりも環境管理センターの建設に反対する方が大事でしょう

 最初、相手が何の話をしているのかさっぱり理解できなかった。
道路を清掃したり、蛍の再生をするより、環境管理センターの方が環境を破壊をする

 どうやら、千葉南警察署の前の公園(千葉東南部第一公園)の近くで建設されている建物のことを言っているらしいことがようやくわかった。
この建物が「環境管理センター」だと言うことをはじめて知ったが、次になぜ私が反対しなければならないかが分からなかった。

 何せ相手は「環境問題に関心のある人は、当然環境管理センター建設に反対すべきだ」というだけで、私が清掃活動をしているのに建設反対運動をしないのに大変不満らしい。

 何か誤解があると思って「私はボランティアで清掃活動をしており、おゆみ野の一住民で、公的な人間ではないのですが」と言ったのだが、
貴方に、反対活動のリーダになれと言ったのではない。しかし環境問題に関心のあるなら建設反対運動に参加すべきだ」と言いはる。

 なんとも険悪な雰囲気になったので、話を切り上げてその場を立ち去ることにしたが、唐突で、会話のルールを無視したひどい話し方だと怒りがわいてきた。
清掃活動はボランティアで行っているので、人からとやかく言われる筋合いのものではない」もう少しで言いそうになった。

 あとで、「環境管理センター」をGoogleで検索して、それが「ダイオキシンや土壌汚染物質の検査機関」だということを知った。

 それなら、それで話し方があるだろう。突然「清掃活動をやめて、建設反対運動に加われ」なんていわれても、判断のしようがない。

 それに、話しかけてきた人物を私は一切知らないのだから、少なくとも自己紹介ぐらいはしてほしい。

自分はここの住民で、環境の保全に関心があるのだが、この近くの空き地に『環境管理センター』というダイオキシン等の汚染物質を検査するセンターが建設されている。
 見たところ貴方は清掃活動を熱心にされているが、こおした汚染物質の検査場ができるのは、住宅環境に影響が出ることが予想されるので、是非反対運動に参加してもらえないか

 この程度のことは言ってほしいものだ。
 それにしても50歳台の大人が、なぜ会話のいろはを無視した物言いしかできないのかと、愕然としてしまった。

 特にいけないのは「清掃活動なんて(くだらない)ことをしていないで建設反対運動をしろ」なんて、突然言われたら、だれだって頭にくる。これではけんかを売っているようなものだ。
 さらにいけないのは自分の立場を明確にしないで、一方的に何か社会的行為をしている人を非難することだ。
そお言うあんたは単に犬の散歩をさせているだけで、自分ではなにもしないのですか」そう反論したくなる。

 しかし、まあ、おかげでこの建物が「環境管理センター」だと言うことを知った。地区の反対運動もあるらしい。この問題については、 別途ブログで取り上げることにしよう。現在までのところ情報が少なくて判断できない。

 現在建設中の「環境管理センター」の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/EdckzI?authkey=pR1MJ1cOS24

 また、「環境管理センター」のホームページは以下のとおり。
http://www.kankyo-kanri.co.jp/

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(19.6.13)金沢小学校のパソコン教育

 金沢(かねざわ)小学校パソコン教育を見せてもらった。
 教頭先生からパソコン教育のボランティアをしてもらえないかとの依頼を前から伺っていたので、四季の道の清掃活動の途中で寄ってみたのだ。

 教頭先生は大変喜んでくれて、学校を案内してくださったのだが、その途中で3年生のパソコン教育の現場を拝見することができた。
私は、実はパソコン教育については何も知らないのですよ」教頭先生の弁である。

 パソコン教育が小学校で開始されたのがいつかは知らないが、ある一定年齢以上の先生はパソコン教育の経験がないのだそうだ。

 3年生の授業は大変に興味がもてた。千葉県の各小学校にはキューブキッズというソフトが配布されており、それを使用して I T教育を行っている。
 各学年別にソフトができているが、基本は「おえかき」「ワープロ」「ブラウザ」「ホームページ」等であり、将来本格的なソフトを使用するための準備のような構成になっている。

 今回見せてもらった授業は、「ワープロ」で「金沢小学校、3年○組 ○山△子 絵を描くのが好きです」等各自が用意していた文章をワープロに打ち込み、それをアウトプットする授業だった。
 パソコン台数は20台。二人に一台なので一人が入力し、もう一人は見ている構成になる。

 先生は一人で、手引書を片手に孤軍奮闘している。入力はローマ字変換を使用していた。
3年生の場合、まだローマ字を正式には学んでないのですよ」教頭先生の説明である。

 キーボード操作に慣れていない子が多く、あちこちから「先生、どうしたらいいんですか」との声がかかるが、手がまわらない。悪戦苦闘だ。
 見かねて、私と教頭先生も子供たちの手ほどきに参加した。途中から私も「先生、教えてください」といわれてしまった。

 前に小谷小学校のパソコン教育を見たときも感じたのだが、小学校のパソコン教育には2つの基本的問題点がある。

 一つは生徒数が40名程度なのに、パソコンの台数は20台と、全員にいきわたらない。結局積極的な子が操作をし、そうでない子が見ている構造になってしまう。これではパソコン教育の実が挙がらない。
 パソコンそのものは大変安くなっており、10万円以下でいくらでも入手できるのだから、一刻も早い40台設置が望まれる。

 もう一つの課題は、パソコン教育には必ずインストラクターがいるということだ。民間のパソコン教室を見てみると分かるが、一人の教師が面倒を見れる人数は、せいぜい4~5人だ。
 20台のパソコンを一人の教師がみるなんて、どだい無理な話だ。
先生、分かりません」あちこちから声があがって、先生はパニックになってしまう。

 教頭先生から、正式にパソコン教育のサポートをしてほしい旨の依頼があった。教員を増やすことができないので、父兄のボランティア参加が求められている。
日本の将来を背負う子供たちのために、一肌脱ごう。1週間に1度程度ならできそうだ
 その旨、教頭先生に伝えておいた。

 

なお、金沢小学校に関する関連記事は以下のとおり
〔金沢小学校に吹くそよ風)

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/1926_6a3f.html

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(19.6.12)日本のソフトウェア産業は生き残れるのだろうか Picasa再考

 私のように、ソフトウェア業界を十分に熟知しているわけでもない人間が、このような問を提出すること自体が不遜なのだが、最近そう思わざる得ない経験をした。

 私が写真の編集作業とそれをブログ上に掲載することに情熱を傾けていることは何回もこのブログに書き、実際に写真を見ていただいている。
  その過程で、Googleの無料ソフトPicasa(ピカサ)の操作性のよさに圧倒されてしまったのだが、それは他の日本製のソフトで悪戦苦闘した経験がないと実感がわかない。

 このPicasaの使い勝手のよさは前に記載したので省略するが、驚くべきことは写真をWeb1GB(ギガバイト)まで無料で公開でき、かつスライドショーで見ることができることだ。
 これも他のソフトのことを知らないと実感できないが、私が経験した日本のソフトはまったくといっていいほどこの能力が低い。

 さらに、アップロードの容易性は驚嘆に値する。Web写真にするためにはどうしてもプロバイダー等に写真をアップロードしなければならないのだが、日本のソフトではこれが極端に遅い。いらいらして待たなければならない。

  最初に写真の掲載に挑戦したのは、現在利用しているこのブログ(富士通系のココログ)のマイフォトだが、これは単に写真をためて一枚一枚見るだけの機能に過ぎなかった。スライドショーの機能がないのだ。
 はっきり言ってしまえば、写真をストックしただけに過ぎない。

 もう一つ挑戦したのは、NTTコミュニケーションズギガストレージである。これは2GBのディスクに写真等のデータを保存する機能だが、信じられないことに月額約300円の使用料を取る

 Picasaは1GBまで無料で、ココログは2GBまで無料であり、他の主要なブログも容量はそれぞれ異なるがすべて無料になっている。
 使用料を取るからには内容はさぞ利用者を喜ばせるものと思われるかもしれないが、反対なのだ。

 これも単に写真をストックしただけだが、ココログよりひどいのはギガストレージ単体では写真を見ることもできない。さらに「ブログ人」というNTTコミュニケーションズのブログと契約しなければWeb上で見られないのだ。費用は月約300円である。

 今回アップロードについては時間測定をしてみた。

 ギガストレージで写真のアップロードをすると、私のADSLの8M(メガ)のスピードでは、今回のテスト写真(村田川の鯉のぼり)を上げるのに5分程度かかってしまう。
 同じことをPicasaですると、1分で済んでしまい、ココログは3分かかった。

 NTTコミュニケーションズの担当者に「アップロードに時間がかかりすぎる」と言ったところ、「光の100Mに変えれば快適になりますよ」と言われたのには天を仰いでしまった。

 ギガストレージという有料で、はっきり言ってそれ自体では使い物のならないソフト環境を利用するために、光の100Mに変える人がいるだろうか。
 一方で、無料で操作性抜群のPicasaのようなソフト環境があるのにである。

  これでは近い将来、日本のソフトウェア業界は総崩れになるのではなかろうか。
 Googleという世界最大級の企業が無料で操作性抜群のソフトを提供しているのに、有料で操作性の悪いソフトしか提供できない日本企業が生き残っていくとは思われないのである。

 今回は私がなぜこの問題に悩んでいるか理解していただくために下記にテスト映像を掲載する。Picasaココログとを比較していただければ、私の悩みを理解していただけると思う。
 なお、ギガストレージにはWebで見せる機能がないので、そもそも比較の対象にもならない。

(Picasaの事例。スライドショーで見れる)
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/kSrej

(ココログの事例。手動でクリックして写真を選んでいく.)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/photos/test/index.html

なお、本件と関連のあるブログは以下のとおり
(Picasaはすばらしい)

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19526.html

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(19.6.11)盗難自転車問題再録

 四季の道周辺の盗難自転車(盗難された自転車は放置されるので、放置自転車でもある)問題を語るのは胸が痛む。この問題についてはいろいろなアプローチを試してきたが、個人の努力の限界を越えてしまった。

 当初は、盗難・放置自転車を見つけると放置自転車の回収を担当している緑土木事務所に、自転車の写真と置いてあった場所を示す地図を添付して連絡していた。
  その自転車が盗難・放置自転車か否かの判断は、簡単だった。鍵がかかっておらず、かつ道端に倒されていれば、確実に盗難・放置自転車といえる。

 しかしこの方法では緑土木事務所が自転車を片付ける端から、新たな盗難・放置自転車が出てくるので、いつまでたっても問題が解決しない。傾向的には盗難・放置自転車は増加していた。

 また緑土木事務所が自転車を回収するまでに2,3週間のタイムラグがあったので、この間に自転車が乗り回されたり、壊されたりしていた。
 一刻も早く持ち主が自転車を見つけやすいようにと、このブログで盗難・放置自転車情報(写真と場所)を公開して見たが、毎日のメンテナンスができないのだ。なにしろ置いてある場所が刻々と変わる。

 さらに、このような自転車を見つけると、ビラを貼ることもしてみた。
住民の皆様にお願い。 このあたりに自転車を盗み放置している常習者がいます。見つけられましたら警察までご連絡ください

 この方法は一定程度の効果があった。特に相手が成人と思われるの場合は社会的指弾が怖くて止める場合があったからだ。
まずい、新聞種になったら、会社を首にされる。親子が路頭に迷ってしまう

 しかしこの方法も限界があった。相手が中学生のような場合はせいぜいしかられる程度であり、実際にはしかる人もいなかったため、まったく効果がなかった。
誰も警察なんかに言いやしねいよ。単なる脅かしさ

 思い余って、ボランティア仲間の I さんと千葉南警察署に相談に行ったが、「それは地区の自治会の問題だし、学校の教育の問題です」とやんわりと断られてしまった。
 万策尽きて、盗難・放置自転車問題からは手を引くことにしたのである。気にすると胃がしくしくと痛んで、また癌ノイローゼになる。

 ホームズとワトソン君の会話を聞こう。

ホームズ、盗難自転車問題に熱心に取り組んでいたロドリゴが、とうとう手をひいてしまったね
ロドリゴは精神面で弱いところがあって、毎日盗難自転車を見るだけで、胃が痛んだのだろう。特に、春の道公園近辺から扇田小学校近辺にかけて、盗難自転車だけでなく、器物の損壊や、ゴミの散乱が続いていたので、ロドリゴの蚤の心臓では、耐えられなかったのだと思うよ

盗難自転車をなくす方策はないのだろうか
この問題は、警察と地域と学校が協力して、断固として取り組まなければ、解決は難しいだろう。現実は3者とも責任を他に転化して逃げ腰なので、解決のめどが立たないというのが実情だ

しかし、このような問題をおこしているのは一部の生徒だと聞いているが
際は、地域の人は誰がやっているのか知っている。警察も把握しているらしい。  だからそおした生徒を重点的に指導すればいいのだが、誰も鈴をつけようとしていない。不満は鬱積しているが行動には出ていない

このままほっておいていいのだろうか
一部の人は、これははしかのようなものだからほっておいてもいいといっている。しかしこうした行いはエスカレートする傾向があるから、より深刻な問題が発生して、そのときになって警察と地区と学校が本腰をあげそうだ

「そおすると現状では対応策がないということか
ロドリゴの努力を見ても分かるとおり、組織的対応がされなければ解決はできないね

 このブログと関連するブログは以下のとおり。
(ロドリゴからのお願い)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/1941_bfb7.html

(最近の四季の道)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/19331_7d8e.html

(千葉南警察署への相談)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/19320_6973.html

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(19.6.10)ちはら台走友会はがんばっている

 ちはら台走友会をご存知だろうか。ちはら台のかずさの道をホームグランドにしている走友会だ。
  ちはら台に住む住民が立ち上げた走友会だが、私のように他地区からの参加者も多い。会員は40名弱だ。

 私のようにおゆみ野に住む住民がちはら台の走友会に参加している理由は、この近在で走友会として本当に活動しているのはこの走友会だけだからだ。

 毎週土曜、日曜が定例の練習日になっており、夏場は午後5時からかずさの道の往復約8Kmを走っている。
 必ずしも集団走をしなければならないわけでなく、遅い人は早めにスタートしてもかまわない。

 なにしろ走友会にはフルマラソンを3時間ちょっとで走る人が何人もいるため、私のように4時間弱の走者はどうしても早く走り始めることになる。

 この走友会では、年2回は会員が必ず参加するレースがあるが、それ以外は個人個人が自由にレースに参加している。
 また、年に2回程度登山を行っており、今年も7月末に中房温泉から槍ヶ岳、上高地への登山計画が組まれている。

 今日(9日)は、走友会が実施するふた月に1回のかずさの道の清掃日だったが、私は始めての参加だった。
 全員がゴミ袋とゴミバサミを持って、かずさの道に散らばって清掃をする。参加してみた印象としてはゴミが非常に少ない。

 おゆみ野の四季の道の場合、私が毎日清掃しても45Lの袋が一杯になるほどゴミがでる。一方かずさの道は2ヶ月に1回の清掃なのに、可燃ごみが2袋、不燃ごみが1袋だったのには驚いた。

 通常の半分程度だったとのことだが、それにしても少ない。いつもかずさの道を走るとき、「この道はなんと美しいのだろう」と感心したが、一番の理由はゴミが少ないことだったと再確認した。

 清掃活動をしている人はもちろんいるのだが、それよりも汚す人が少ないという印象を受けた。
 さらに驚くのは盗難自転車(放置自転車)をほとんど見かけないことだ。
 モラルの高いいい街だ。

 今回の写真は清掃活動の様子を写したものだが、一部はコンピュータ絵画に編集している。

(写真、コンピュータ絵画)
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/OzOYEE

 なお、ちはら台走友会は会員の募集を常時行っているので、参加希望者は、このブログのメール機能を使用して参加希望を示していただければ、会長のYさんにつなげます。
 私はこの3月からの会員ですが、とてもフレンドリーな走友会との印象を得ています。

 ちはら台走友会関連の記事は以下のとおり。
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19515_947f.html
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/19311_24d2.html

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(19.6.9)トルコ旅行 その1 トロイ

 最初の訪問地は「トロイ」だった。ホメロスの英雄叙事詩に歌われている、あの有名な「トロイ」である。
 トロイ戦争はギリシャとトロイの間で行われた10年戦争であるが、最後は「トロイの木馬」の策略により、ギリシャ軍の勝利に終わった。紀元前1200年頃の話である。

 最近封切られたブラッド ピット主演の映画「トロイ」で、トロイの街が炎上する最後の場面は、ちょうど「風とともに去りぬ」のアトランタ炎上のように迫力があった。
 しかし、実際のトロイの街は、ちっぽけな岡の上に築かれたちっぽけな街に過ぎず、炎上はおおげさだ。 この岡をヒサルルクの岡という。

 この岡にトロイの遺跡が埋まっていると信じて発掘したのはドイツ人シュリーマンである。19世紀の終わりの頃にあたる。
 私はシュリーマンのファンであり、彼の自伝「古代への情熱」を感動を持って読んだ。41歳で事業から手を引き、自費で発掘を始めた熱意はすさまじい。
ホメロスを読んで、ほんとにトロイがあるなんて信じているシュリーマンは馬鹿だ」トロイを発見するまでのシュリーマンの評価である。
 彼は語学の天才であり、18ヶ国語を理解したが、いづれも6週間でマスターしたという伝説がある。その中に古代ギリシャ語があった。ホメロスの叙事詩が書かれている言語である。

 しかしトルコ人からは、このシュリーマンはほとんど盗人同然の扱いを受けている。現地のツアーガイドのアスペルさんは大変な愛国者だが、シュリーマンを蛇蝎のように嫌う。
シュリーマンはこの遺跡が9層に分かれていたのに、層別に発掘せずに、上からどんどん掘っていった。ただ金銀の財宝が目当てだったからだ。財宝が見つかると官憲の目を盗んで財宝を国外に持ち出した。単なる遺跡荒らしにすぎない」散々な評価だ。
シュリーマンは盗人だ」アスペルさんの興奮は収まらない。

 シュリーマンのために弁護すると、彼が発掘をしていた19世紀後半は、まだ発掘のノウハウが十分でなく、遺跡発掘といえば片っ端から掘り返すのが普通だった。
 それに黙って財宝を国外に持ち出したのは、当時のトルコ政府は腐敗しきっており、財宝があったなんて分かると確実に横取りされたからだ。
 だまって持ち出すのが一番安全な方法で、おかげで「プリアモスの財宝」として現在でも博物館で見ることができる。

 しかし愛国者アスペルさんの不満はさらに続く。
映画トロイはトロイの遺跡にとってとてもいい宣伝映画だが、不満がある。それはトロイの場所を示すキャプションが『現在の小アジア』となっていたことだ。なぜトルコといわない

  実はトルコ人は世界から常に悪意を持って見られているという被害者意識が強い。
トルコは無視されている。EUは加盟を認めないし、ヨーロッパの歴史書では、トルコ人は暴虐非道に描かれている。映画「アラビアのローレンス」ではトルコ軍は単なるあほ扱いだ

 今回はトロイの遺跡の写真を掲載する。実際に行ってみると分かるが遺跡としては規模も小さく、観光用に作られたトロイの木馬はちゃちで、映画「トロイ」の木馬にはるかに及ばない。
 紀元前1200年の頃に、ローマ時代のような遺跡を期待するのがどだい無理なのだが、評判と実際のギャップにがっかりする人は多い。

(写真集)
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2006_101002

 また、いつものコンピュータ絵画も作成した。自分としては絵画にまた一歩近づけたつもりだが、どうだろう。
 
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/NcEckH

 なお、本件と関連するトルコ旅行のブログは以下のとおり
 http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1966_3d64.html

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(19.6.8)名医をみつけた(かない内科)

 正直言うと私は気が弱い。かみさんからは「蚤の心臓」だといわれる。
いくら何でも蚤の心臓はひどい。チキンの心臓といってほしい」懇願した。

 実は「蚤の心臓」といわれるには理由がある。病気になるとからっきし意気地がなくなるからだ。
 今回もそうだった。

 この4月にバリ島で海水をたらふく飲んでから、体調を壊した。最初はインフルエンザのような症状だったが、それが治った後も胃の周りの不快感が1ヶ月も続いた。
1ヶ月も続くなんて、もしかしたら胃癌じゃないかしら
 気持ちがそぞろになった。
 朝起きると真っ先に胃の状態をチェックする。そう思っただけで胃の周りの不快感が増す。
間違いない。胃癌だ

 あわてて、いきつけの Oクリニックに予約を入れたら、1週間後でないと予約が取れないという。
1週間も胃癌かどうか悩んでいたら、それこそ末期癌になってしまう。すぐ見てくれる医者を探そう
 ホームページで検索をしたらかない内科」がでてきた。ジャスコの近くで、てごろな距離だ。
選択の余地はない。胃のレントゲンでも、胃カメラでもいいから胃癌かどうか確認してもらおう

 いつものように、病状の経緯をペーパーにまとめて持っていった。私は記録魔だから、すぐに病状記録ができる。
 かない先生はペーパーをじっくりと読んで、「まず血液検査をしましょう」と言った。バリ島の水を飲んだということから「肝炎」を疑っているらしい。非常に落ち着いた温和な先生だ。

 こちらは胃癌だと確信しているので、胃の検査をしてもらいたかったのだが
胃の不快感を取るための漢方薬を出しましょう」というのだ。
あの、漢方薬ですか
ええこれで1週間、様子を見ましょう
 温和だが断固としている。医者の言うことにはさからえない。

 血液検査の結果は翌日判明したのだが、まったく問題がなかった。
一方、胃の不快感は1週間たってもなおらない。
今度は絶対胃の検査をしてもらうぞ。なんてたって胃癌なんだ
 強い決心でかない内科を再訪した。

まだ胃の調子がよくありません
もう2週間、漢方薬を飲んでください。それでなお不快感があるのなら、胃カメラで検査をします
あの、レントゲンですぐ見てもらえないでしょうか
胃カメラでないとわかりません」温和だが、相変わらず断固としている。

漢方薬で様子を見るなんてひどい。他の医者だったら胃のレントゲン検査をすぐするのに。ヤブではないのか
 ひどく不満だったが、漢方薬を飲み続けた。

 ところが、信じられるだろうか、いつの間にか胃の調子が直ってしまったのだ。病気だったことも忘れてしまっている。
本当!!! 漢方薬で胃が直ってしまった

 かない先生はすぐにレントゲンをとって余計な放射線を浴びさせることもしないし、胃カメラも十分様子を見て、必要がわかってからしか実施しない。 実際胃カメラを飲むのは死ぬ思いになるのだから、この苦しみを与えないだけでも名医といえる。
 薬はもっとも副作用の少ない漢方薬だ。医者で漢方薬を勧める人はめったにいない。
 金儲けのために検査漬けにしないし、薬漬けにもしない。なんという立派な態度だろう。

うぅーん、かない先生は名医である。大先生だ。赤ひげだ」すっかり評価が変わった

 考えてみれば、バリ島での息子の結婚式に疲れていたのだ。いつもの神経性胃炎になってしまった。それを癌だとおもったにすぎない。
 私のような「蚤の心臓」で癌恐怖症の患者にとっては、最適な医者だ。
 おゆみ野にこんなすばらしい医者がいたなんて感動してしまった。

 かない内科のホームページは以下のとおりです。

 http://hospital.health.goo.ne.jp/detail.php?pcd=12&icd=04400&hid=fbj-155505

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(19.6.7)里山からゴミが消えた 都川調節池

 都川(みやこがわ)の源流の一つ、都川調節池の里山とそれを取り巻く調節池周辺からゴミが消えた。
都川源流の自然再生をはかる会」の第5回目の合同作業の結果、1.3t車の車で、都合6回の不法投棄されたゴミの運び出しに成功した。
 合計で8t弱のゴミが、地域整備センターのトラックで、若葉・緑環境事務所に運び込まれたことになる。

 この日は大変暑い日だったが、集まった7名の情熱はすさまじく、ぜひともこの日までに里山からゴミをすべて撤去する意欲にもえていた。 車を出してくれた地域整備センターのYさんも「今回でゴミをすべて運び出しましょう」と乗り気十分だった。

 見てほしいのだ
 
都川源流の里山からはゴミがなくなり、笹は刈られ、遊歩道が整備されつつある。
 小川や池のような子供にとって危険な場所については、次回以降柵等を作って安全対策をはかる予定だ。
池の前の笹は刈らずに残そう。安全対策だ
それでは、子どもが池がみえないな
展望台を作ってやるのはどうだ

もしかしたらこの小川は蛍の生息地になるのではないか
えさの、カワニナはいたっけ
タニシはいたぞ

 集まった7名のうち6名は60歳以上だが、子供のようにはしゃいでしまった。信じられないだろうが、今の60歳以上の元気老人はそん所そこらの若者よりエネルギーにあふれている。

 特にこの活動のリーダ、 I さんの情熱はすさまじく、合同作業日以外にも3日にあけずにこの里山に通い、最近操作をマスターした草刈機で笹の除去を行っていた。

 これに感化されたのか力持ちのAさんは、不法投棄された自転車やバイクを片付けに時間があれば来ていたし、道作りのプロフェッショナルBさんは、家が里山に近いこともあって、暇があれば里山道を整備していた。

 また今回の第5回合同作業には、都川中流域でめだかの再生活動を行っているCさんも初参加した。
  ここ都川源流だけでなく、今や泥川と言われて久しい都川のあちこちで、かつての美しい清流を取り戻す活動が活発化しているのだ。
 

20XX年  都川 フリー百科辞典Wikipedia

 かつて泥の川と言われ、小栗公平の映画の題名にまでなった、千葉の都川は、現在日本有数の清流に生まれ変わり、関東の四万十川と言われている。

 都川がここまで美しく変貌したのには、都川のあらゆる場所で再生活動が行われた結果であるが、特に都川源流の調節池周辺の環境改善が大きな要因となっている。

 この場所の整備は  I 氏が主催するボランティア「都川源流の再生をはかる会」のメンバーの努力によるものであるが、当時60歳を越えていたメンバーはすでに鬼籍に入っている。
 里山の脇にはメンバーを顕彰したレリーフが建てられており、そこには「老人が若者であることを証明し、かつ都川を再生した功績により、ここに『里山と清流を救った人々』の称号を与える。千葉県知事」と記載されている。(文責 亀ゴン)

 今回の作業活動の写真を掲載しておきます。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/xEsVaJ

 なお、都川源流の里山開発の経緯については、このブログのカテゴリー「里山」を見ていただくと時系列的に詳細が分かります。

(追記) 実は大変うれしいお便りをSさんからいただいた。私一人で見ているのではもったいないので、一部転写させてもらっています

 「私は今は千葉市の美浜区に住んでいますが、今から25、6年前の小学校卒業までの子供の頃、支川都川の中流域?を遊び場としていました。
 ちょうど川戸小学校の裏手あたりです。現在は川沿いに遊歩道が舗装整備されています。
 今、このあたりの川の流れは遅く、不透明ですが、当時、川の流れは速くて透明でした。
 深さは浅いところは膝位まで、砂地の川底が「完全に」見えました。
 夏の日にひざまでズボンをたくし上げ、素足で川に入り涼しい川風に当たりながら、ざぶざぶと上流に向かって歩いたことは、今でも鮮明に心に残る思い出です。

 生き物も、現在は大きな鯉や亀、カモのような水鳥がよくいますが、その頃は夏になると小さな蛍が出ました。
 川底にはたくさんの細長い巻貝がいました。あとでそれがカワニナだと知りました。
 他にもいろんな生き物がいました。ギン鮒やクチボソ、虹色に光ったタナゴ。タイコウチ、ザリガニ。
田んぼの方には、よく白いサギがおり、秋に小山に分け入るとあけびもありました。

 皆様が里山の保全活動をされていることで、里山と共になにか自分のとても大事なものも、守っていただいているような思いがしましたので、
感謝を申し上げたく、メールを送らせていただきました。
 本来であれば私も一緒に清掃ボランティアに参加させていただきたいのですが 健康面に訳があり、陰ながらとなりますが応援させていただきます」

 とてもすばらしい文章でしょう。

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(19.6.6)退職記念 トルコ旅行

 昨年の10月、退職記念としてトルコに旅行した。こうした場合、通常はかみさんと出かけるのだが、私は娘と出かけた。なぜ世間一般のようにかみさんと行かないかの説明はかなり難しい。
 一言で言うと趣味がまったく合わないので、一緒に旅行するとしばしば喧嘩になってしまうのだ。

 かみさんの外国旅行のイメージは、高級ホテルでゆったりと食事をし、遺跡巡りなんかはそこそこに切り上げて、ショッピングを楽しもうというものだ。
 一方私の旅は基本的に貧乏旅行で、最低価格の航空券で場末の安宿に泊まり、食べ物は生きていければ何でもよく、遺跡めぐりに一日中歩き回るものだから、どだいかみさんと旅行するのは無理というものだ。

 その点、娘は適応範囲が広く、私との貧乏旅行でも平気だし、かみさんとの豪華な旅行でもOKというわけで、なにかと旅行の相棒として適している。

 今回のトルコ旅行はシーズンを避けていたため、8日間で13万円と格安のツアーだったが、この種のツアーにつきもののハードルをクリアしないと旅行を楽しめない。

 一つは、飛行機の便がとても悪く、今回もアエロフロートを利用したモスクワ経由だった。
アエロフロート? 落ちないかしら」娘の心配である。
 しかもモスクワからすぐに乗り継ぎができるわけでなく、シュレメチェボ国際空港という、世界でもまれな薄暗く陰湿な雰囲気の空港に6時間も待たされてしまった。

 実はシュレメチェボ国際空港が、なぜこんなに陰湿なのかは理由がある。ソビエト時代の空港の役割は、外部から侵入してくるスパイを摘発するのが、最大の目的だったからである。
 日本でいえば、江戸時代の関所と同じで、関所に6時間閉じ込められたと思うとイメージが合う。

 もう一つのハードルは、旅行費用が格安のために、ツアーコンダクターは本業の給与では暮らしていけないということだ。そのため副業に精を出さざるを得ない。
  ここトルコでは、ツアーコンダクターはレザーコートトルコ絨毯宝石店の契約店を持っており、そこにお客を連れて行って、購入金額の一定割合をバックペイしてもらうことで生活している。

 したがって、こおした商品を旅行客に購入してもらうためにじつに涙ぐましい努力をする。
 旅行案内そっちのけで、
トルコのレザーがイタリアに輸出され、いわゆるイタリアの有名ブランド品はすべてトルコからの輸入品で、ここで購入すると格安で入手できる
トルコの絨毯のうち、シルク絨毯が世界一でヘレケという場所で織られている。シルク絨毯はもともとトルコの王様だけが利用できた高級絨毯だ
の指輪はトルコ石だけで、この店は格安なので、ここで買ったのよ

 こおした話が延々と続き、件の店に案内されると、入り口と出口のドアーが閉められて、マンツーマンで売り子が購入を迫る。
  最初から、レザーコートや絨毯やトルコ石を購入しようとした人はともかく、そうでない人は断るのに汗だくだ。逃げ場もない。

 なにしろ、レザーコートの値段は10万前後、トルコ絨毯にいたっては50万から100万もするのだから、インターネットを駆使して、格安の旅行代金をGetしたと喜んでいた身には、晴天の霹靂に等しい。
トルコ絨毯を買う費用で、何回も外国旅行ができてしまう
 悲鳴を上げている。

 私はこうしたツアーになれているので、トイレに行くと称して、会場から抜け出したが、どう見ても裕福とは思われないOLが何十万もするトルコ絨毯を買わされていた。
私、日本帰ったらしばらくお茶付けしか食べられなくなっちゃった
 冷静になったときの感想である。

 格安パックツアーのハードルは以上の二つで、これさえ乗り越えれば楽しい旅行になる。個人旅行に比較して、信じられないような高級ホテルに格安の料金で泊まれるし、食事の心配はしないでよいし、何よりもバスでどこでも連れて行ってくれるので、バスや鉄道の切符の購入で頭を悩ますこともない。

 私は昔は個人旅行しかしなかったが、最近はパック旅行もよく利用する。パックツアーのハードルも慣れてしまえば、対応方法はいくらでもある。要は買わなければ良いだけだ。
 そのかわり私は気に入ったツアーコンダクターや運転手にはチップを渡すことにしている。いらないものを高価な価格で買わされるより、よっぽど気持ちが良い。

 今後トルコ旅行シリーズをブログに掲載する予定である。
今回は、Web写真としてはコンピュータ絵画の何枚かを作ってみた。見ていただければ幸いです。

 http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/yZwKgI

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(19.6.5)街を美しくしよう  ガーデニング

 私はおゆみ野の街がとても好きなのだが、それでもやはり残念に思うことがある。
 残念に思うことの一番は、建物の景観がそろっていないことで、個々の家を見るととても素敵な家が建っているのだが、全体としては美観を損なっている。雑然とした感じなのだ。

 建物の景観をそろえるためには、最低限屋根の色と、壁の色と、建物の形を統一する必要があるが、そうなっていない。
  ヨーロッパにはこうした街並みが多く残されており、個々の家を見ると古臭さが目立つが、街全体としては実に美しい。歩いていても楽しい気分になるので、観光客が多いのもうなずける。

 日本でも最近は景観を大事にする街作りが始まっており、お隣のちはら台にはウッドパークという景観のそろった、ヨーロッパの南国風の街並みができている。
 私はウッドパークを見るたびにこうした街並みが増えてほしいものだと思っている。

 もう一つ残念に思うことは、街を散策する人のためのガーディニングが少ないことだ。外壁にバラを這わせたり、通りに面した窓に花を飾ったり、門の前に美しいポットを置いて、道行く人を楽しませてくれるガーディニングが少ない。
 聞いた話で申し訳ないが、ニュージーランドのクライストチャーチは街全体が花園のような街になっているという。競って道行く人のためにガーディニングにいそしんでいるのだそうだ。世界で最も美しい街とも言われている。

 今回は、おゆみ野の街で、道行く人のためのガーディニングをしている住宅を訪ね歩いてみた。
 四季の道やその周辺を自転車で走り回って、気に入った景観を見つけて写真に収めたのだが、 回ってみた印象としては、外壁や門前を美しいガーディニングとして利用している人が少ないことに気づいた。

 庭などは手入れが行き届きとても美しいのだが、もっぱら自分で楽しんでいるという風情で、外を通る人に見せるという家は多くない。

 これはどうも日本人の特色のようで、娘のドイツに住んでいる友達の話だと「ドイツ人は外から見える窓や、外壁や垣根については花で飾り立てるが、一歩家の中に入ると日本人の感覚からすると、乱雑で汚い」のだそうだ。
 日本人はドイツ人の対極にいる

 今回は景観に配慮していると思われた家の、外から見て美しい外壁や門前を写真で紹介したい。こうした家がおゆみ野に増えてほしいと思ったからだ。
 また、コンピュータ絵画も作ってみた。こちらは趣味なので許していただきたい。
  スライドショーで見てください。

(写真)
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/JKeJdJ

(コンピュータ絵画)
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/SlmWHJ

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(19.6.4)鎌取駅駐輪場問題の本質

 鎌取駅駐輪場問題の本質がようやく明らかになってきた。増税問題である。
 市は現在緑区役所の回りに設置している、仮設駐輪場を正式な駐輪場に改め、7月1から千葉市民は月額700円、それ以外の人は月額1400円の利用料金を徴収することにした。
  四季の道の使用を警察が正式に認めたため、一気に解決に向かうらしい。

 娘は「鎌取の一番いいところは、自転車の駐輪料金をとらなかったことなのに」と文句たらたらだ。
市当局からすれば、「いままでただで使用させてやっていた駐輪場を,他の駅同様に利用料金を徴収することにしたに過ぎない」というところだろう。

 はっきり言って利用者負担という増税問題なのだ。
ただで駐車はさせないぞ。停めたければ税金をはらえ

 鎌取駅周辺の駐輪場問題が、これまでにこじれた原因はジャスコ西側のスペースにラック式の駐輪場を設置したことにある。
駐輪料金をとる以上、それなりの設備がないと利用者が納得すまい。『設備は整備したので料金を払え』と説得しよう

 しかし、これはまったくの誤算だった。ラック式には基本的な問題点がある。費用がかかることもあるが、それ以上に問題なのは、ラック式は自由に停めてあった状態に比較すると、おおよそ4分の1程度の自転車しか停められない。
 どうやら設置基準があって、一定のスペースを空けなければならないらしい。
 結果的にジャスコ西側のスペースには400台の自転車しか停められなくなってしまった。

 しかし、ここにはそれの数倍の自転車があったからたまらない。
資料によると、17年11月現在での、駐輪場以外に停めてある自転車の数(行政用語で放置自転車の数)は約1700台と緑区区民懇談会で報告されている。
 私が調べた19年4月段階での、ジャスコ西側のスペースに置いてあった自転車は約1000台だった。
 
  これが3月末の登録ができなかった人が約700名出てしまった原因である。市はあわてて緑区役所周辺の四季の道に仮設駐輪場を設置した。
 私の最近の調査では、ここに約2000台の自転車が停められている。

 ホームズワトソン君の話を聞いてみよう。

ホームズ、市は現在の仮設駐輪場を正式な駐輪場として認め、7月1日以降、利用料金を取ることにしたようだね
駐輪場を、現在の四季の道以外に確保することはできないので、他に選択肢がないのだろう。今までは四季の道の使用を警察が認めていなかったので、妥協として仮設駐輪場と言っていたんだ
ジャスコ西側の駐輪場はラック式だが、四季の道はラック式でないようだね
ラック式は自転車の数にたいして、駐車スペースを十分に取れる場所でないと成立しない。鎌取では無理なのだ。それをあえてラック式にしたのは、駐輪場料金をとるためのパホーマンスということだね。本当はラック式はいやだったはずだよ

3月末の登録時に約700名の登録漏れが発生し、問題が表面化したのだが、数がたらないことは最初から分かっていたはずだが
多分担当者段階では、十分混乱が起こることは予想できたはずだ。しかし、みずほ銀行のシステムトラブルと同じで、十分な情報を上に与えられないまま3月末を迎えたのだと思うよ。担当者の本音としてはトラブルが発生した方がよいと思っていたふしがある

どうしてだい、ホームズ
「四季の道を利用したかったからさ。ここを利用するためには市の上層部が警察を説得する必要がある。しかしトラブルが発生しなければ上層部は本気で動こうとしない。みづほ銀行と同じ構造だよ

今回の駐輪場問題の本質はなんだったのだろうか
これからは基本的に利用者負担の時代になったということだろう。市は予算も人材もいないので、駐車料金からそれをまかなおうということさ。たまたまラック式を導入したため、駐輪場の不足問題になったが、これは本質問題ではない

しかし、これが増税問題だということを、誰もはっきりとは言わないね。ある政党のパンフレットをみたら、その政党の努力で駐輪場の増設ができたといっていたくらいだ
正確に言うと、増税をしたことによって、駐輪場問題が解決に向かっているということだね

これで問題は解決するのだろうか。また駐輪場が足らなくなることはないのだろうか
おそらくその場合は四季の道にさらに駐輪場を増設するだろう。すでに市は四季の道を駐輪場として利用できるようになっているからね。新たな設備投資がなくて、収入だけ増えるのだから市としてはウハウハの状態だね

駐輪場問題に関係するブログは以下のとおりです。

(駐輪場問題再録)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/1944_fe2d.html


(これは無理筋だ)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/1936.html

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(19.6.3)金剛山 最勝院

 金剛山最勝院(さいしょういん)といってもほとんどの方が知らないのではなかろうか。実は私も知らなかった。
 青森県弘前市にある名刹である。弘前城を探索していたら、近くに五重塔があったので行ってみたところ、この寺に到着した。近くで見ると実に美しい五重塔だ。
 薬師寺の東塔・西塔や山口市にある瑠璃光寺の五重塔に匹敵する。

 今回は青森旅行の最終版として、この最勝院を紹介したいのだが、なんとも不思議なお寺なのだ。
  通常私たちはも区別せずお寺だと思っているが、厳密に言うと院は僧侶の寝起きする場所を指すらしい。

 中国では僧侶が寺で寝起きをせず別途宿舎に住んでいたが、それを院と言ったようだ。日本では基本的に僧侶は寺に住んでいるので、寺と院の区別がなくなった。

 私が実に不思議に思っているのは、明治政府が行った神仏分離策のこのお寺の対応である。
 もともとここは大円寺というお寺があったが、当然神社も兼ねていた。それを明治初期の神仏分離策の結果、お寺と神社の組み合わせは駄目なので、院と神社の組み合わせに変えたという。現在の最勝院と八坂神社である。

うぅーん」唸ってしまった。
院はお寺ではないのか。これで神仏分離ができたことになるのか
 なんとも不思議な感じがした。
 明治政府の威令も、この陸奥(みちのく)のさらに奥の弘前までは届かなかったのか、あるいは津軽の人が明治政府を出し抜いたのか、なんとも判断がつかない。

 もう一つ不思議なのは、聖徳太子堂があることだ。五重塔を建立したときに、同時に太子堂も建設されたという。
 しかし、五重塔と太子堂の関係も今ひとつ分からない。

 私のように仏教関係の知識のないものにとっては、ただただ不思議な組み合わせとしか言い様がない。

 しかし、そおした難しい話を抜きにすると、この寺院は実に美しい景観を誇っている。写真愛好家にとっては垂涎の的みたいなところだ。
 今回は、青森シリーズの最終回として、最勝院の写真を見ていただきたい。

 また、フォトショップでコンピュータ絵画も作成した。自分では前より技術的に進歩したつもりだがどうだろう。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/HpWPxH

なお、青森シリーズのブログは以下のとおりです。(弘前城、亀ヶ岡遺跡、岩木山、八甲田山の順)

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19531_fc62.html
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19525_75a7.html
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19520.html
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19512_af47.html

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(19.6.2)つつじ再生計画 小谷小学校

 私がスクールボランティアをしている小谷小学校の外周に植えてあるつつじの一部が元気がない。運動場に入る門に向かって右側のつつじだ。
 この状態は約10年ほど前からそうなったのだが、特別に暑かった夏にいっせいに枯れ始めてしまった。たぶん極度の乾燥が原因だろう。
 今は約半分のつつじは枯れ果てて、雑草だけしかはえていない。残ったつつじはあるかなしかの状態で、生きながらえている。

 しかも春先になるとマメ科のつる草が表面を覆い、今頃になるとどくだみが繁茂してつつじを覆ってしまう。太陽光線がさえぎられ、ますますつつじが萎縮してしまうのが実情だ。

 先日校長先生が「あまりにひどい状態なので、全部切って、他の植生に変えたほうがいいのかしら」と言われたので、
 「しばらく私に任せてくれませんか。何とか再生させて見せます」と懇願した。

 実はこのつつじについては、昨年から気にかけていて、つる草や雑草の除去をできるだけ行うようにしている。しかしいったん枯れかかったつつじの再生は並大抵のことでなく、ようやく昨年よりはましと言う程度だ。

 今年は校長先生に懇願した手前、なんとしてもつつじをよみがえらしたい。そこで「つつじ再生プロジェクト」を発足させて会員を募集したところ、早速「亀ゴン」と主の僕(しもべ)「ロドリゴ」それに「亀男」が応募してくれた。
 私が会長で亀ゴンが実行委員長、ロドリゴと亀男は作業員だ。
 先日小谷小学校のS先生にこの話をしたら
実に強力なメンバーがあつまりましたね」と感心された。

 亀ゴンは特に乗り気で、早速名詞まで作ってしまった。
 先日四季の道を散歩しているときに、知り合いの犬に名詞を渡して
このたびつつじ再生プロジェクトの実行委員長になりました」と誇らしげに語っていた。

 まだ残っているつつじについては、周りの雑草を取り除いたり、適度に肥料を施したり、夏場の水遣りを欠かさなければ何とか再生できそうだ。
  しかし完全に枯れ果てて、今は雑草だけになっている場所については何かを植えなければならない。
 今の計画では、我が家にある松葉菊を移植しようと考えている。松葉菊はいったん根付けば春から夏場まで美しい花が咲くので最適だ。
小谷小学校の自動車通用門の向かって左側がそうなっている。

 実は昨年、禿げ上がった場所に松葉菊を植えてみた。しかしこの場所は犬の運動場になっており、せっかく植えてもたちまちのうちに踏み荒らされてしまい、なかなか根付かない。
  昨年の失敗に懲りたので、今年は立て札を立てて注意書きをしておくことにした。
この場所は子供たちが、松葉菊を植えて育てています。犬を散歩させないでください」子供の助けを借りよう。

 昨年は私一人だったが、今年は強力な助っ人が現れたので何とかなりそうだ。まだ数年かかるだろうが、小谷小学校のつつじがよみがえったらプロジェクトメンバー全員でお祝いをしよう。
 そのときは亀ゴンが取って置きの亀踊りをしてくれることになっている。

 今回の写真は、つつじの現状と、再生後のイメージを載せておきます。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/kgVaoB

本件と関連するブログは以下のとおり(ようやく身体が動いた)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/19426_6530.html

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(19.6.1)陸ガメ 亀ゴン

 私の家に陸ガメ亀ゴンが来てほぼ2ヶ月がたとうとしている。この陸ガメは息子が飼っていたものだが、ひょんなことから我が家で飼うことになった。
親父は、一日中家にいるから亀の面倒を見てもらえそうだ

 以来私が亀ゴンの世話をしている。息子からはえさはレタスで、寒がりだから温度管理だけしっかりやってほしいと言われたが、それ以外の情報はまったくない。
本当にレタスだけでいいのか」聞いてみたが息子もそれ以上のことは知らないらしい。数年間レタスだけで生活していたみたいだ。

 先日体重測定をしてみたら3kgあった。どこで身長を測るのかは分からないが、お尻から頭までは約30cmある。横幅は20cm、高さは約13cmである。
 年齢は分からないが、甲羅のすじが木目と同じだとすると8歳か9歳になる。

 亀の種類については、「」さんから「ケズメ」ではないかとの情報を得たので、 早速インターネットで検索してみた。
 私にはケズメかどうかの判断はつかないがよく似ているとは確かだ。ケズメなら中央アフリカ原産になる。確かに低温には弱く、温度が15度以下になると身体を動かさず食欲も無くなるようだ。
 一方温度が高くなって25度を越すと、活発に動く。人間にとって暑いと感じるぐらいでも亀ゴンは平気なみたいだ。

 食料としてはレタスしか与えていない。庭に放すと芝生でも何でも食べるので、どうやら植物ならば何でもよさそうだとわかった。
 陸ガメは基本的には植物しか食べないようだが、甲羅を作るためにカルシュウムが必要のようだ。
 私のところでは特にカルシュウムを与えているわけでない。特別に何か与える必要があるのだろうか。判断がつかない。

 先日、真っ白なウンチをしたのでびっくりしたが、これが尿酸だと言うことが後でわかった。腹の中にたまったままだと、結石になるのでウンチとして出すらしい。 カルシュウムをまったく与えていないのに尿酸がでてくるのがなんとも不思議だ。

 食事は朝夕2回、レタスを与える。
私が「亀ゴンんーー」と抑揚をつけて呼ぶと、えさの時間と思うらしい。寝ていても活発に動き出す。パブロフの犬みたいだ。

 朝の食事の後、1時間ぐらいして必ずウンチとオシッコをするので、その後は私の部屋の前のベランダに日光浴のために出しておく。
時間があるときは、庭の芝生で遊ばせるが、猫が狙うので目が離せない。
 庭では目一杯芝生を食べている。ただし芝生はまったく消化されないらしく、そのままウンチとして出てきてしまう。

 今のところは非常に健康だ。プラスチックの箱に入れると,がりがりかくのでうるさいぐらいだ。できる限りベランダか庭で遊ばせるようにしてやっている。
 我が家に来た当座は足腰が弱ってまともに歩けなかったが、最近は四足をピシッと立てて活発に歩くようになった。陸ガメにもトレーニング効果があるらしい。

今回は亀づくしの写真なので、少し遊びを入れてある。スライドショーで見ていただくと面白い。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/srpeTD

なお、本件に関係のあるブログは以下のとおりです(亀ゴン再録、陸ガメがいる)

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/1956_e87e_1.html 

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/19423_9b50.html

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(19.5.31)弘前城

 昨年の10月下旬、青森に登山(八甲田山、岩木山)をかねて旅行をしたとき、是非訪れてみたい場所があった。弘前城である。
 この城のことは、毎年桜の季節になるとテレビで放映されるので「弘前城はなんと桜の美しいところだろう」と思っていた。
 かみさんはすでにこの場所を訪れており「弘前城は絶対見る価値はあるわ」と言っていた。

 今回は10月下旬であり、桜の季節ではないが、その代わり紅葉(こうよう)の紅葉(もみじ)がひときわ映えていた。
 弘前城はまさに期待したとおりの観光スポットだったが、それにもまして驚いたのは弘前市全体の瀟洒なたたずまいである。
 弘前城の周辺は武家屋敷と神社仏閣が昔のまま残されており、そのあたり一体は江戸時代にタイムスリップしたような気分になる。
 萩や津和野や高山にも似ているが、それよりももっと重厚な江戸時代を感じさせてくれる場所だ。

 また、駅周辺は区画整理がされたこぎれいな商店街になっているが、人口が20万以下のためか人通りは少ない。
青森はどこに行っても人が少ないな
 今回の旅行中いつも感じていた印象を弘前でも感じた。

 私はこの弘前市に2日間泊まって町中を歩き回ったが、日本有数の魅力あふれる街と言う印象を受けた。
 何しろ江戸時代の城下町が、そのまま残されていて、古き良き日本を見る思いだ。もっと宣伝すればよいのに青森の人はおくゆかしいのだろう。
 まだこの街を訪問したことがない方は、是非訪問することを進める。

 弘前城は弘前藩津軽氏の居城で、津軽地方の政治経済の中心地だったが、現在は弘前公園として整備されている。
 現在も三層三階の天守閣が残されており、約200年前に建造されたものだと言う。それ以外にも江戸時代の櫓や堀がそのまま残されているのがうれしい。

 弘前公園は特にお堀が美しい。今回は弘前城とその周辺の写真を掲載する。きっと気に入ってくれると思う。スライドショーで見てください。
 また、コンピュータ絵画(油絵)も作成してみた。ただしこちらは満足の行くできばえではない。今回はホームページビルダーのウェブデザイナーを使用しているが、次回はフォトショップで再挑戦してみよう。

(写真)
 http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/KwOcUH

(コンピュータ絵画)
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/WkFgnC

なお、青森シリーズのブログは以下のとおりです。(亀ヶ岡遺跡、岩木山、八甲田山の順)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19525_75a7.html
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19520.html
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19512_af47.html

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(19.5.30) ホームページを作ろう

私が近所の小谷小学校のHP(ホームページ)の修正作業を依頼されてから、すでに半年たっている。
 それまでHPを作成した経験がなかったので、ジャスコ鎌取のパソコン教室に通って、ホームページビルダーの研修を受けたが、はっきり言って研修程度では技術が身につかない。

 自分でHPを運営して技術習得に励もうと思ったときに、パソコン教室のサイモン先生から「これからはブログの時代ですよ。HPはだんだんとブログに移り変わりますよ」と言われた。

 私は流行に弱いので、「ならばブログを作ろう」と決心して、一時は7つもブログを立ち上げてしまった。しかしこれはまったく無謀な話で、 とても全部のブログをメンテナンスする時間がない。
 毎日更新しているのは、この「おゆみ野四季の道」だけで、これだけでも毎日2時間程度はかかっている。他はマラソンと登山のブログを競技や登山を実施した都度、載せるのが精一杯だ。

 しかし、ブログは本当に面白い。私は冗談話が好きなのだが、自分で書いた文章を見て笑ってしまう。最近は写真や絵画もどきまで載せているうちにブログの発展性に魅了されてしまった。
ブログは世界を変えそうだ

 一方その反動で、すっかりHPの技術を忘れてしまった。
 先々週あたりから,小谷小学校に行って小谷小学校のHPをのぞいたり、更新環境について確認したりしているが、正直言って今ひとつ自信がない。

 やはりこれは、自分でHPを運営してないからで、いくら研修をしても本当の力は実践にかなわない。
 それならと決心して「山崎次郎のHP」なるものを作ることにした。どんなものを作るか最初は見当がつかなかったが、ひらめきがあった。

 私は7つのブログと1つのWeb写真を持っているので、それを総合的に管理するHPが必要なことがわかった。
 山崎次郎と言っても、別に有名人ではないのでこのHPを見るのは自分だけになりそうだが、管理画面なのだからそれで十分だ。
 それに主たる目的がHPの技術習得なのだから、割りきりができる。

 今回は、HPに関して、まったく何もしていないわけではなくて、ホームページビルダーを使って、少しは研修をしていると言う画面を紹介する。ありば作りのようなものだ。
 技術習得が進まず、本当に小谷小学校の関係者には申し訳ない気持ちだ。

 http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/HP

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(19.5.29)コンピュータ絵画の世界

 世の中にはコンピュータ絵画という世界がある。コンピュータで絵を描くわけではない。写真をデフォルメして,絵画のように見せる技術だ。
 デフォルメの仕方によっては,実際の絵画とほとんど同じようなものが出来上がる。

 私は定年退職者で、基本的には暇なので毎日パソコンをいじっていたら、このコンピュータ絵画の面白さにはまってしまった。
 気に入った写真さえあれば、それを「油絵」という機能を使用して、油絵もどきにたちどころに変身できる。

 また、特殊な機能があってそれを使用すると、完全に抽象絵画に化けてしまう。最初の写真の映像がなんだったかさっぱり分からないくらいだ。うまくこの機能を使用するとダリカンディンスキー並みの抽象絵画に早代わりするから驚きだ。

 あんまり簡単すぎてこれでは絵を描くのがばかばかしくなってしまう。
もちろん多くの画家や絵画愛好家にとっては、こうしたコンピュータ絵画が出回るのは面白くないことにちがいない。
あんなものはまがい物だよ

 しかし何事も最新の技術は、それ以前のやり方をしている人からは罵倒される運命にある。テレビが出たときもそうだった。
テレビみたいなちゃちで、低予算でシナリオもまともでないドラマなんかに映画人がでられるか

 今回、コンピュータ絵画に挑戦してみて,この技術の発展性に注目してしまった。
これはもしかすると、絵画の歴史を変えてしまうかもしれない
 テレビが普及しても一方で映画が残っているように、絵画が無くなることはないが、コンピュータ絵画も社会的に認知される時代が来そうだ。

 私の技術はまだ初歩的なものだが、それでもこのコンピュータ絵画の面白さは実感できる。
先日,四季の道の写真をブログで紹介したが、今回はその写真を使用してコンピュータ絵画に挑戦してみた。

 やってみてわかったが、写真を「油絵」機能で油絵にした後、さらに「切取」機能で画面を小さくしないと油絵らしくないことがわかった。

 今回はテストなので、油絵らしくない映像もあるが、許していただきたい。この技術に磨きをかけると、新しい絵画のジャンルが開かれる可能性がありそうなことを見ていただきたいのだ。またスライドショーで見てください。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/YgXWpH

なお、このブログと関連するブログは以下のとおりです。
(四季の道アラカルト)
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19524_9207.html

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(19.5.28)男子一生の仕事

 男の一生なんて分からないものだと I さんはこの頃つくづく思うようになった。
 かつてある航空会社のチーフパーサーとして、世界を飛び回っていた頃を思うと、現在の生き方に自分でもびっくりしてしまうのだ。

 あの頃は、やり手のチーフパーサーとして、女性乗務員の尊敬を一身に集めていた。
 ある時、酔った乗客が女性乗務員のお尻を何度もさわるので、女性乗務員が泣き出したことがあったが、このときの I さんの措置は水際立っていた。

お客様、そんなにお尻をさわりたいのなら、私のお尻を触ってください
  I さんはパンツを脱いで、尻をみせたので、乗客はすっかり酔いがさめてしまったという。

 これは世界的にも有名なできごとで、世界の航空会社が毎年すぐれたパーサーに贈る「パーサー オブ ザ イヤー」の称号を I さんはその年贈られた。記念品は I さんのお尻をかたどったブロンズ像だったという。

  I さんの航空会社での業績はこんなにも高かったが、60歳になったとき、社長の「是非会社に残ってほしい」という懇願を振り切って退職してしまった。

 実は I さんには是非ともやり遂げたい男の仕事があったのである。
 I さんがしようとしたのは、都川の源流の里山開発だった。
 そこにはうっそうとした太古の森が残っており、そばには清らかな水をたたえた池があり、何より I さんを喜ばしたのは、水生昆虫の雄、タガメの生息地でもあった。
 I さんは職業柄、多くの言葉を理解していたが、もっとも得意な言葉はタガメ語で、この池のタガメと友情を深めていた。

 「この生息地を乱開発から守ってほしい
 タガメの透き通るよな目に I さんは心を打たれていたのである。

男子一生の仕事は里山開発である」 I さんの決意は鋼鉄のように硬かった。

 I さんは早速、都川源流の里山開発に着手したかったが、一つの大きな問題が立ちはだかった。この里山に古くから住んでいる亀男が反対したのである。
 この人物は、亀ゴンという陸ガメと一緒に、この里山にテントを張って暮らしていたので、近所の人から亀男と言われていた。
カメハメハの神が里山開発をお許しにならない

  I さんは亀男を説得しようとし、カメハメハの神にお供え物までしたが、亀男の抵抗は激しく最後は決闘で決めることになった。 I さんが押すタガメと亀男の亀ゴンが対決し、敗者は勝者に全面的に従うことにしたのである。

 この決闘の模様はNHKのクローズアップ現代で取り上げられたので、見られた方もあるかと思う。
 大きな口をあけて亀ゴンがタガメをくわえたとこまでは、亀ゴンが有利だったが、タガメがすかさず亀ゴンの舌をかんだので、たまらず亀ゴンが「ひーひー」と泣き出して勝敗が決してしまった。
  以来、亀男と亀ゴンは I さんの軍門にくだり、ともに里山開発に精を出すようになった。
亀に二言はない」負けた後の、亀男と亀ゴンの態度は実に立派なものだったという。

 都川源流の里山は、こうして I さんの指導の下に順調に開発がすすんだ。多くの老若男女も参加してくれた。
 さらにここは世界有数のタガメの生息地として知られるようになり、自然遺産にも登録された。
 I さんの「男子一生の仕事」は成就されたのである。

 しかし、人の命ははかないものだ。 I さんが70歳になったとき、悪性のはしかを大学生からうつされ、余命いくばくもない状態になった。
誰にこの仕事を引き継いでもらえるだろうか」 I さんの残された気がかりは後継者問題だった。

  ともに里山開発を行ってきた亀男はバリ島の海水をたらふく飲んで、すでに数年前に死亡していたので、残るは亀ゴンのほかに亀材はいなかった。

 「亀に二言はない」この時も亀ゴンは I さんの要請を快く引き受けた。こうして都川源流の里山開発事業は今も守り育てられている。

 今回は I さんが開発し、亀ゴンが守っている都川源流の写真を見てもらうこととする。

 http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/I

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(19.5.27)小学校の運動会

 小学校の運動会に20年ぶりに出てみた。私がスクールボランティアをしている小谷小学校の運動会である。

 9時から運動会が始まる予定だったのでその時間に行ってみると、前日の雨でグランドの状態が悪く、予定を遅らせているようだった。
 男の先生方が、砂場の砂をぬれたグランドにまいて整備をしていたので、しばらくその作業を手伝ったが、太陽光線が非常に強く、たちまちのうちにへたばってしまった。
 砂を一杯に入れたバケツは意外に重いのだ。

以前はこの程度の作業で疲れることはなかったのに
 4月に病気をしたり、坐骨神経痛を患ったりしたら、急激に力が入らなくなってしまった。一時的なものか、今後ともそうなのか見当がつかない。

 本部テントが2つセットしてあり、1つが来賓用、もう一つが教職員用だったので、しばらく教職員用のテントで休みながら小学生の競技をみていた。
 
 私は、この学校では「山崎先生」と呼ばれている。職員用のテントにいても、誰も不思議に思わないほど、この学校になじんでしまっている。最近では子供達やお母さん方の知り合いも増えた。

 この学校の運動会は、4グループの対抗戦形式になっており、各グループには応援団長がいる。応援団長のスタイルは学ランやはかまにタスキがけだ。ちょっと異質な感じがする。

 どう見ても大学の応援団のコピーで、六大学野球の応援風景のミニチア版だと思えばいい。互いにエール交換をして始めるところなんかは、特にそっくりだ。
きっとこのスタイルを考えたのは、六大学出身者ではあるまいか」などと想像してしまった。

 運動会のような行事になると、男の先生が張り切らざるを得ないようだった。目一杯号令をかけたり、校庭に砂をまいたり、八面六臂の活躍だ。一方、高年齢の女性教師は暑さに負けて声も出ないような状態だった。
 また、先生ごとにそれぞれの受け持ちがあるのだが、ビデオ録画担当のH先生は、その操作がはじめてらしく、
事前に、操作方法の研修を受けたのだけど、なかなか難しくて」と当惑しながら操作をしていた。あまり立派な記録画像は期待しないほうがよさそうだ。

 今回は運動会の写真である。しかしこの種の写真は最近掲載するのが難しく、特に児童の顔が明確に分かるのは駄目らしい。
  ならばと、今回は写真で遊んでしまった。申し訳ない。あまり驚かないで見てほしい。
 なお、この操作はPicasaではできないので、フォトショップを使用している。


http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/RPrvzJ

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(19.5.26)Picasaはすばらしい

 ますます確信を深めた。写真編集ソフトPicasa(ピカサ)のすばらしさについてである。いままで写真編集ソフトの定番はフォトショップだった。
 私の娘はフォトショップのプロで、
フォトショップを制したければ、レイヤーを理解しなければだめね」と教えてくれた。
レイヤーなんて、なんと難しい概念なんだ」と私は頭を抱えた。

 それに比較して、Picasaにはまったく難しい概念がない。すべてビジュアルで、目で見ながら操作ができる。気に入らなければいくらでも元に戻れるので、初心者でもまったく心配ない。
 実は初心者がもっとも心配するのは、失敗したときの戻り方なのだ。

 もう一つ驚いたのは、Picasaそのものは、変更の記録だけを保持しているだけで、変更結果をファイルで持っているわけでない。
 こうしたソフトを一般的にビュウアというが、最初そのことがわからず、どこにデータが保存されているのか探し回ってしまった。

 私の写真集はすべて、Picasaで編集してある。編集の面白みは、元の写真がたいしたことがなくてもそれなりの写真に変身でできることだ。
 最低限、① 何をとりたいかのテーマが明確で、② 一応構図がとれていて、③ ピントがあっている写真であれば、いかようにも変身できる。

 ちょうどフィギアスケートの女子選手が、オリンピックに出場をしているときのお化粧と同じだと思えばいい。
 荒川静香選手を例に出して申しわけないが、オリンピックでの荒川選手は「東洋の奇蹟、オリエンタルな美の極致」と世界の男性をうならせたが、化粧を落とした荒川さんは、街をあるいていても特に目立つわけではない。

 編集作業とはそうしたものなのだ

 しかし、このことはプロの写真家をいたく憤慨させているらしい。
先日、パソコン教室で写真の編集作業をしているとき、写真教室にも通っているAさんから面白いことを聞いた。
 「写真教室の先生から『トリミングをしたり、水平位置の修正はしないように。最初からそれなりの写真をとるのが写真なのだ』と言われた」のだそうだ。

 私もかつて山岳写真にこっていた頃、日没の一瞬のシャッターチャンスを待っていたことがある。その頃はとった写真がすべてだったので、露出を何段かに変えて写したものだ。それでもプロの写真と決定的な差があった。安物の写真機ではシャープな写真が取れなかったからだ。

 シャープな写真を撮るために、プロの写真家は百万円近くもする大型カメラをがっしりとした三脚にセットし、スローシャッターで映像をものにしていた。最初からハードで差がついていた。

 それが、いまでは2~3万程度のデジカメで、手持ちでとった写真でも、編集のシャープネスの操作でいくらでも鮮明な写真に変身できる。
 プロの写真家が頭にくるのも分かろうというものだ。

 実は現在の状況は、プロの技をソフトがカバーし、かつそのソフトは無料で自由に入手できる時代なのだ。
 Googleが提供してくれているPicasaが典型的な例で、一度Picasaを使ったら、二度と手放すことができなくなるほどの優れものだ。操作も恐ろしく簡単になっている。
 私はフォトショップも練習しているが、技術習得のイメージはPicasaが小学校の授業だとすると、フォトショップは大学の授業ぐらいの差がある。

 だから、写真の編集に興味をもたれている方は、是非このソフトをダウンロードして使用することをお勧めする。このソフトはGoogleの検索画面の一番上の「more」をクリックすれば出てくる。

 最近、私は「写真のプロ」かと聞かれてしまった。そう見えたらしい。
 実は、そうではなくて、デジタル技術とソフトの進歩で、素人がプロのような写真を撮れる時代になったというのが正しい評価だ。

 本当にいい時代になったものだと涙が流れてしまいそうだ。

 関連するブログは、「カテゴリー」の「パソコン」の中に入っております

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(19.5.25)亀ヶ岡遺跡

 亀ヶ岡遺跡をご存知だろうか。中学の歴史教科書に出てくる青森県津軽地方の遺跡である。初めてこの名前を聞いたとき非常に奇妙な名前だと思った。
亀でもいるのかしら

 長い間、この遺跡を訪れたいと思っていたが、昨年の10月末に八甲田山、岩木山の登山をしたあと、訪れてみた。
 五所川原の駅からバスに乗ったのだが、信じられないことに運転手に聞いても亀ヶ岡遺跡がどこにあるか知らなかった。
中学校の教科書に載っている日本を代表する遺跡なのに・・・

 仕方がないので、それらしき場所で下り、探しまわってようやく、目の玉の大きな遮光器土器のモニュメントを見つけた。
 しかし、寂し過ぎるのだ。モニュメントのほかは、ちっぽけな公園とトイレしかない。モニュメントの後ろは、葦の生えた小さな沼があるだけだ。
これが、亀ヶ岡!!!」

 実際は、ここから約1.5km程度離れた大溜池と呼ばれる沼のそばに縄文館があって、そこで亀ヶ岡遺跡の出土品を展示してあったのだが、そのときは知らなかった。
 しかし、遺跡そのものはまったく地味で、はっきり言ってしまえば「どうでもいい」というような取り扱いなのだ。三内丸山や吉野ヶ里とはまったくちがっている。
これが、中学生の頃からあこがれていた亀ヶ岡遺跡なのか
 がっかりしてしまった。

 気を取り直して、地図にあった日本海の近くの屏風山の家キャンプ場という場所に歩いて行くことにした。亀ヶ岡遺跡から約4km程度はなれた、平滝沼のほとりにある。このあたりは沼が非常におおく、湿地帯と言っていい。

 しかし行ってみると、このキャンプ場も数年前に閉鎖されて、水道も止められていた。誰もいないのだ。
 私は登山用具一式を背中に背負っているので、沼のほとりでテントを張っていたら、青森警察のパトカーがやってきて職務質問をされてしまった。
沼のほとりで、あやしげな人物がキャンプをしている」と誰かが通報したらしい。この場所でキャンプをする人はたえていなかったのだろう。

身分を証明するものを見せてください」言葉は優しいが、明らかに疑っている。
この時期に、こんな場所でキャンプをするなんて、オオム真理教の残党ではないか、そんな雰囲気だ。

 保険証を提示したら、オンライン検索をして、私がある金融機関の職員だったことを確認し、ようやく疑いを解いたようだった。

このあたりは、夜間誰もいないないのですよ。携帯は持っていますか
いえ
何かあったら連絡のしようがないな。大丈夫ですか
ええ、いつも山の中で一人でキャンプを張ってますので
このキャンプ場は、数年前から閉鎖になっていてキャンプ禁止だが、まあいいでしょう
 15分くらい職務質問されてようやく許してもらった。

 しかし、青森は人がいないところだ、八甲田山も岩木山もキャンプ場には誰もいなかった。この屏風山の家キャンプ場はキャンプ場そのものが無くなっていた。縄文時代の竪穴式住居がぽつんと残されているだけだ。

 今回の写真集は、亀が岡遺跡屏風山の家キャンプ場、そして日本海沿いに五能線の鳴沢という駅まで歩いたときの写真を掲載する。
 駅までは約15km程度だったが、小雨混じりの天気でダンプカー以外とすれ違うことはなかった。本当に人が少ないのだ。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/181029

 
 このブログと関連のあるブログは以下のとおりです

八甲田山
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19512_af47.html

岩木山
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19520.html

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(19.5.24)四季の道アラカルト

 毎日同じ時間帯に清掃活動をしていると、顔なじみになる人が増えてくる。何人かを紹介しよう。

 Aさんは、理容師さんである。毎日早朝RUNを欠かすことがない。仕事柄早朝が一番自由な時間が取れるらしい。
 フォームが美しく、早さもなかなかのものだ。きっとレースにも参加していると思って声をかけてみた。
いやー、仕事で日曜日をあけるわけに行かないんですよ。レースには出たことがありません」との回答だった。

 このAさんから面白い話を聞いた。「人間は重力にかなわない」と言う話が男と女ではまったく意味が違うと言う話だ 。
 男の場合には、「腰痛の根本原因は、人間が立って歩いたからで、年を重ねるにしたがって腰周りの筋肉が衰え、腰痛になる」と言う話になる。

 ある日、中年の婦人客にAさんが世間話で「人間、重力にはかないませんね」と言ったところ、その婦人は急に不機嫌になって「女性にとってはお尻がたれたり、おっぱいがたれたり、目じりがたれてるのが一番つらいのだ」と怒り出したというのだ。

 なるほど、女性の重力問題はそんなところにあったのかと妙に納得してしまった。

 Bさんは、春の道周辺でよく見かける人である。挨拶を交わす仲になってBさんから質問を受けた。
毎日清掃しているようですが、どこかの団体に所属しているのですか
私が、「おゆみ野クリーンクラブの会員で、会員数は3名だ」と説明したところ、
自分も定年になって、カラオケアサーから、さくら公園まで、ほぼ毎日清掃しているのだが、一緒に参加しようとする人がなかなか現れないのはなぜだろう」と言われた。

 「それなら、おゆみ野クリーンクラブに参加しませんか。各自が自由に活動するクラブです」と勧誘しておいたが、Bさんの悩みは良く分かる。
 私の経験でも、過去13年間清掃活動をしているが、その間クリーンクラブのメンバーになったのは私を含めて3名なのだ。Bさんが加入すれば4名になるが、この種の会員はなかなか増えるものではない。
そんなものですよ」と、とりあえずBさんを慰めておいた。

 Cさんは、90歳を越したご婦人である。足腰の鍛錬のために毎日500m程度の散歩を日課としている。娘さんと思われるご婦人がエスコートしていることが多いが、たまには一人で歩いている。
互いに定年退職者ということで意気投合した。
若い時代は、看護婦をしていて、それはそれは良く働いたものですよ。 まあ、これからは互いに定年退職者だから、健康に留意して生きなくてはね」と言われる。
大先輩に対して、私も「そうですね、おばあちゃん」と相槌を打つのが会ったときのお決まりのせりふだ。

 今回の写真集は、四季の道を一周して写したものだ。スタートは夏の道だ。おゆみ野に住んでいる人にとってはなじみの風景のはずだが、知らない人には「おゆみ野四季の道」を堪能してくれたらうれしい。また、スライドショーで見てください。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/bRQToI

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(19.5.23)坐骨神経痛 その2

 私がここ数年坐骨神経痛に悩まされていることは、すでに記した。トランス蝦夷1100kmのレースに出た後、右臀部と右足の外側が常に痛むようになった。
 座っていたり、寝ている場合はほとんど症状は出ないのだが、歩いたり走ったり、電車に乗って立っていたりすると痛みが増す。
 それでも身体を動かしているときは10分程度たつと痛みが和らぐのだが、電車に乗ってじっと立っているときなどは、痛みがどんどん増して脂汗が出てしまう。

  電車通勤で悩んでいたときは、その症状を少しでも和らげるために、矢上裕氏が推奨する自力整体を、自分なりにデフォルメして熱心にやっていた。一種の柔軟体操で、前倒屈が中心になる。
 しかし、退職して通勤時の苦しみから解放されたため、自力整体からすっかり遠ざかっていた。
走り始めは痛いけど我慢すれば痛くなくなるからいいや
 
 こうして、約9ヶ月間を過ごしたのだが、先日信じられないような猛烈な坐骨神経痛に見舞われた。
 理由は、マラソンのトレーニングを強化したことにある。坂道を一気に駆け上がるトレーニングを4日間実施したところ、坐骨神経痛が悪化し一時は300m歩くのにも苦労した。

 反省をしたのだ。このままでは坐骨神経痛が気になって、歩くことも走ることもできなくなってしまう。座して死を待つようなものだ。
 かつて目一杯ストライドを伸ばして走っていたフォームも,今では股が開かず、老人のチョコチョコ走りになっている。背中も前に曲がって、モンキーウォークに近くなった。

お父さん、この頃、歩く姿勢が悪いよ。長野のSさんみたいだ」かみさんから言われてさらにショックを受けた。Sさんは身体が前に極度に曲がり、歩き方はチンパンジーにそっくりだ。身内では「さるおじさん」と言われている。

 再び、自力整体に熱心に取り組むことにした。自力整体のポイントは身体の柔軟性にある。正式な方法論は矢上裕氏の本を見てもらいたいのだが、基本は「身体が柔軟である限り、腰痛や坐骨神経痛にはならない」と言うことだ。

 今は、時間があれば柔軟体操に明け暮れている。精神を高揚するために、シュプレヒコールもおこなう。
絶対に坐骨神経痛を克服するぞー

 ただし柔軟体操で、坐骨神経痛が完全に治るわけではない。経験的に分かったことは「身体が柔軟である限り症状は抑えられる」と言うのが実態で、やめれば身体がすぐに硬くなり、ふたたび坐骨神経痛に悩まされる。
 自転車操業のようなものだ。

 現状を言えば、前倒屈で頭が足につかず、股も90度以上は開かない。後ろに身体をそらせることはほとんどできない。身体が棒のようになっている。
 かつて「山崎さんは、なんて身体が柔らかいのですね」といわれていたのが嘘のようだ。
 何とか身体の柔軟性を回復させて、前倒屈で頭が足につき、股も十分開き、身体を後ろにそらせたい。

 今はかつてのストライドの伸びたランニングファームをイメージしながら柔軟体操を行っている。その頃は走ることが幸福だと感じたものだ。今はRUNが苦痛になっている。

 「なんとかしよう」、やはり「さるおじさん」では辛いのだ。

 このブログと関係するブログは以下のとおりです
坐骨神経痛に悩む
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(19.5.22) 協会のミサに参加した

 昨今は信じられないような経験が続いている。教会のミサに出席してしまったのだ。息子がオーストラリアの女性と4月12日にバリ島で結婚式をあげたのは記した。
 実は息子と嫁さんは、赤坂にあるJ教会に通っており、この教会のミサの中で二人の結婚を再度、祝福することになった。

 私とかみさんと娘も、息子のために教会にはせ参じたのだが、ミサと言うことを基本的に勘違いしていた。
 我々は、息子の結婚式の日本での披露宴のつもりだったが、実際は教会のミサの中の一部に、息子の結婚のお披露目をすると言う段取りだったのだ。

 だから、参集者はもちろん息子の友達もいるが、この教会に日曜礼拝に来ている人のほうが圧倒的に多く、結婚のお披露目はほとんどつけたしだということがミサの進行にしたがって分かってきた。

 ここの教会はオーストラリア人が中心なのだが、日本人の若者も多い。この教会のミサをご存知だろうか。ほとんどロックコンサートなのだ。後ろにエレキギターやドラムの奏者が控えていて、前に4名の歌い手がいる。演台はコンサート会場だ。
 もちろん歌詞は神をたたえる内容なのだが、リズムはロックそのものだ。
 マイクのボリュームを目一杯上げて歌いだすと、前に若者が集まってきて、右手を高く掲げ、足は飛び上がるようなステップを踏んで踊りだす。けたたましく、騒々しい。

 かみさんは思わず耳を押さえ「これ何」と悲鳴を上げてしまった。
30分ぐらいボリューム一杯のコンサートが終わると、牧師さんのミサが始まるのだが、これも完全にのりのりのミサで「君たち元気か」「イェーイ」という感じなのだ。
 バイリンガルミサといって、牧師さんは英語で話し、それを訳者が日本語に訳すのだが、訳者の方がテンションが上がって、わめいているという感じだ。

 話の内容については、まったく世間話の粋を出ない。しかし時々聖書を引用するのと、10分の1の献金が信者の義務だとの呼びかけと、洗礼を受ければ神の国にいけるとの呼びかけが、ここが教会だと言うことを思い出させるぐらいだ。

 ミサは1時半から始まり、4時に終わったのだが、3時過ぎになってようやく息子の結婚の紹介が始まった。息子と嫁さんが壇上に呼ばれ、 その後関係者全員が壇上にあがって、息子と嫁さんの背中に手を置いて祝福すると言う儀式に参加した。
 私は素直に手を置いたが、娘は息子の肩をつねった。
話が違うじゃない。これが披露宴か」姉の弟へのメッセージである。

 そして、再びボリューム一杯のロックコンサートをして、ようやくミサが終わったのだが、正直言って、私もかみさんも娘もくたくたになってしまった。

 実は当初、我々家族以外に親戚縁者を呼ぶことになっていたのだが、段取りが一向にわからず、最終的には親類縁者は別途お披露目をすることにした。
親戚を呼ばなくて良かった。来たら一生とんでもない披露宴だったと言われてしまう」かみさんの感想である。

 私は教会やミサについてはまったく不案内だったが、教会も時代に合わせて改革をしていたのだと言うことがわかった。何しろ若者が圧倒的に多い。
 若者を集めるために、赤坂の真ん中でロックコンサートが開催されていると思えばいい。若者がのりのりになって、踊っている。
イェーイ、ジーザス万歳

 当方からは、わが家族と、息子の中学時代の友人等3人が来てたのだが、完全に浮いてしまった。何しろ礼装をしているのはこの6人だけで、後は普段着かジーンズスタイルなのだ。
息子のやつ、段取りを知らせないから変だと思っていたら、披露宴なんてもんじゃないよ」かみさんの憤りはおさまらない。

 私も正直言ってびっくりしている。少なくとも日本における常識的な儀式からは完全に逸脱している。息子はミサの実態を我々に話してなかったので、こちらは伝統的で厳かなミサが執り行われるのだと思ってしまった。宗教音楽が奏でられ、賛美歌が歌われ、その中を息子と嫁さんがしずしずと牧師の前にたたずみ、祝福をうける。

 実際は、この年になってロックコンサートに出かけたと言うのが、実態に近い。この教会の信者にとっては、普段のミサなのだが、初めての人にとってはロック会場だ。
 稀有な経験をしたとして楽しむべきか、ばかばかしい経験をしたというべきか、判断に迷っている。
 かみさんと娘は「あのやろう」と言う感じだ。
 少なくともはじめての参加者に対する配慮がなかったのは事実だ。息子が我が家に来た時、一波瀾ありそうな雰囲気だ。。

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(19.5.21)亀ゴンの恩返し

 昔々のことでございます。イスパニアという遠い国から、ジパングにやってきた船の中に、食料用として陸ガメがいたそうでございます。
本当は船員に食料として食べられてしまうところ、その船にたまたま乗っていた主の僕(しもべ)ロドリゴ様が、この陸ガメを大層かわいがり、
もし、この陸ガメを食べるものあらば、天罰としてお尻にお灸をすえる」と申されました。船員はお灸の劫火を恐れ、誰一人として陸ガメを食べようとはしませんでした。

 こうして、陸ガメはロドリゴ様の布教地、千葉郷、おゆみ野の里まで生きて連れて行かれたのだそうでございます。

 ロドリゴ様は、このおゆみ野にある四季の道を大変気に入り、日夜布教をしながら、四季の道を掃き清め、木々の剪定をおこない、この道を迷える子羊を導く天国への道となずけて大事にされていたそうでございます。
その間、陸ガメは亀ゴンと命名され、日夜レタスを与えられ、それはそれは丸々と健康にすくすくと成長しておりました。

 ある時、庭で亀ゴンが草を食べていたところ、そこに腹を空かせた野性の猫が現れ、亀ゴンに飛びかったことがありました。亀ゴンはもう少しで猫の餌食になるところでしたが、気づいたロドリゴ様が、すかさず猫に飛び掛り、猫の首級をとるとともに、皮をはいで三味線を作ったとのことでございます。
亀ゴン、この猫三味線で主をたたえる演歌を歌え

 主人の命に従い、亀ゴンは猫三味線を弾きながら、永山洋子の「じょんがら女節」を歌うと言う幸せな毎日をおくっておりましたが、あるときロドリゴ様が病気で倒れ、余命いくばくもない状態になってしまいました。
ロドリゴ様は病床で臥せりながら,そばにいた亀ゴンに言ったそうでございます。
亀ゴン、私が死んだ後の気がかりは四季の道が荒れ果て、神の国へ、迷える子羊を導けないことだ。しかし道を掃き清める行いを引き継ぐものはいない

 亀ゴンは、大変気にしていることがありました。食料にされるのを助けてもらい、レタスを毎日食べさせてもらったばかりか、猫三味線で演歌まで歌わせてもらった恩返しをぜひともしたいと思ってっていたのでございます。
ご主人様、道を掃き清める行いはこの亀ゴンが引き継ぎましょう。もし約束をたがえることがあれば、一生レタスは食べず、キャベツだけにいたします

 ロドリゴ様は涙ぐんでおられましたが、それからしばらくして天国に召されました。亀ゴンはロドリゴ様との約束を果たすべく、毎日ゴミ袋を右の後ろ足で引っ張り、 左の足では目を離すとすぐに迷子になる小羊を引いて四季の道の清掃をしておりました。
また伸びた枝葉を食いちぎり、剪定もしていたのでございます。

 こうして、ロドリゴ様が天国に召されてから10年の間、亀ゴンのおかげで四季の道はそれはそれは美しく保たれ、子羊も道を迷うことがなかったのでございます。
しかし不幸はいつ来るか分かりません。
その日はことのほかゴミが多く、亀ゴンは必死の思いでゴミ袋を引っ張っていたのですが、たまたまジャスコで行われていた長山洋子ショウの「じょんがら女節」が聞こえて来たそうでございます。

 亀ゴンはすかさず猫三味線を取り出し、ジャスコの前で、いっしょに「じょんがら女節」を歌い始めました。
雪は下から舞い上がり、赤いもすそにまといつく、じゃんじゃんジャン・・・・・・
ところが不幸にも、子羊が暴れたため、亀ゴンの足がもつれ仰向けにたおれたところに乳母車が突入し、亀ゴンを引いてしまいました。

 実は亀ゴンの腹の甲羅は、毎日の清掃活動で擦り切れ、肉が露出しておりました。亀ゴンはたとえ甲羅がすべて無くなってもロドリゴ様との約束を守ろうとしたのです。
こうして亀ゴンもロドリゴ様の後を追って、亀の国に旅立ったのでございます。

 おゆみ野の人は、この亀ゴンの行いに深く感銘を受け、鎌取の陣屋の前に銅像を建てました。これが忠カメ、亀ゴンの像で、右手にゴミ袋、左手に猫三味線をもち、今もロドリゴ様のいる天国にむかって長い首をのばしている像なのでございます。

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(19.5.20)岩木山

 昨年の10月末に思い立って、青森に旅行をした。八甲田山岩木山に登りたかったからである。ついでに津軽半島の日本海側と弘前市に寄ってみた。津軽は私の好きな場所だ。

 八甲田山は風雨が強かったため、途中で引き返さざるを得なかった。だから、岩木山にはなんとしても登ろうと強い決心をして、岩木山神社のキャンプ場までやってきた。岩木山神社は「奥の日光と言われるぐらい著名な神社であるが、私は深田久弥の「日本百名山を読むまでそのことを知らなかった。

 この時期のキャンプ場には誰もいない。また一人だけでキャンプを張るのだが、正直言うと夜が怖い。何しろ私は「蚤の心臓」とかみさんから言われているくらいだ。
物音がすると、すぐに目が覚めて、そばに置いてある登山用の杖を持って身構えてしまう。
この時はヨタカの声に飛び起きた。「ぎゃー」といすさまじい鳴き声なのだ。「な、な、なんだ。なんなのだ」状況を把握するのに、しばらく時間がかかった。ヨタカの声と分かっても、しばらく心臓が高鳴ってしまった。

 岩木山はとても秀麗な山だ。津軽地方からはどこからでも見ることができる。別名を津軽富士と言う。津軽の人は、この山を「おいわきやま」と愛着を込めた名で呼ぶ。
1600mの丹沢程度の山だが、独立峰なのでもっと高く見える。また北にあるので、高山植物も豊かだ。

 私の登った前日には少し雪が降ったようだった。地元の人が「雪があるから気をつけなさい」と注意してくれた。

 キャンプ場から、4時間程度で登れるので決して難しい山ではない。上はガスでかすんでいたため、下界は見えなかったが、十分登山を楽しめた。
それにしても不思議なのは、八甲田山のような気象条件の厳しさがないことだ。八甲田山とは、たった50km程度しか離れてない。たまたまなのか、本質的に八甲田山と異なるのか判断がつかない。

 今回は、岩木山岩木山神社の写真を紹介する。スライドショーで見てください。

(追伸)
 考えてみれば、岩木山も、八甲田山も深田久弥の日本百名山の一つだ。今後の私のライフワークとして、百名山の写真をWeb写真として紹介するのは楽しそうだ。
もしかしたら、人生の金脈をつかんだかもしれない
 少し浮かれてしまった。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/18102902

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http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/19512_af47.html

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(19.5.19)坐骨神経痛に悩む

DVDで覚える自力整体 Book DVDで覚える自力整体

著者:矢上 裕
販売元:新星出版社
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 実はここ数年、坐骨神経痛に悩んでいる。最初は左側だったが、今は右側の臀部と右足の外側が痛い。静かにしているときはなんでもないのだが、歩いたり走ったりすると、かなりの痛みに耐えなければならない。
それでも我慢して10分ぐらい身体を動かしていると痛みが和らぐ。おかげで最近はJOGをするときに、かなりの決心が要るようになった。
よし、今日も痛さを我慢して走ろう」気合がいるのだ。

 実は、坐骨神経痛に悩まされるようになったのは、昨日記載した「トランス蝦夷1100km」に出た後からだ。やはり身体に相当な負担をかけたのだと思う。私はレース中はテンションがあがって、限界を越えて走ってしまうため、常に後遺症に悩まされてしまう。

 今では、朝起きて2階から階段を下りるのにも一苦労だ。手すりにつかまって、手の支えがないと降りられない。そのあと、一階の居間で、まず柔軟体操を行う。矢上裕氏が推奨する、自力整体だ。身体が硬くなっており、前に曲がらない。30分から1時間かけて自力整体を行うと、ようやく身体が動くようになる。

 昼間歩くときは胸を張って、早く歩くように心がけているので、「山崎さんは、いつも颯爽と歩いててますね」と言われるが、実態はようやく歩いているのだ。

 先日は、坂道走のトレーニングを強化したら、坐骨神経痛が悪化した。右臀部と右足の外側が極端に痛み、300mも歩くこともできなかったのだ。
今は、無理なトレーニングをせず、自力整体に心がけているので、通常の生活には支障はない。それでも歩き始めや、走り始めのときはある程度の痛みは我慢しなければならない。

 すでにトランス蝦夷1100kmに参加して、3年たつのにまだこのような状態だ。年齢を重ねると回復がはかばかしくない。

16年8月1日から14日にかけてレースが行われたのだが、その後の経緯は以下のとおりだった。

(16.8.18)
 身体の回復がはかばかしくない。レース後4日たったが,右足の腫れは相変わらず続いている。階段を下りるときは手で支えて降りている。
足首の痛さも右足を中心に残っている(左足は親指と中指の間に違和感がある)。
今日は貧血まで発生して,錦糸町のプラットホーム上で寝込んでしまった(駅員が心配して,事務室までタンカで運んでくれた)。夜中の頻尿は相変わらず続いている。夜中に十分睡眠が取れていない。今回のダメージは相当大きい。

(16.8.19)
 足の裏は完全に回復した。腫れについては若干残っているがほぼ引いたと言える。
現在残っている痛みはすねの骨の痛みだ(特に右が痛い)。歩いている時,前に体重がかかると痛むので階段を下りるときに苦労する。
 また左足に坐骨神経痛が出てしまった。前倒と腹筋で少し痛みは和らぐが,身体が後にそれなくなっており,明らかに柔軟性が低下している(トランスエゾでは身体を後にそらせることが全くなかった)。
電車に乗っているときも痛みが激しくなるためできる限り腹筋で身体を垂直に支えている。

(16.8.20)
 昨日と状況は変わらない。脛の痛みは相変わらずで,つまずいて脛に力が入った時はおもわずうめいてしまう。つま先にも疲労が残っておりあまり力が入らない。坐骨神経痛は前倒等で対応しているが回復しているとはいえない。夜中の頻尿も相変わらずで,どうやら全治2週間の様相を呈してきた。

(16.8.30)
漸く体調が回復した。2週間かかった。足の痛みも完全になくなった。時として坐骨神経痛が出るが、身体の屈伸運動をすると痛みを抑えられる。トランスエゾから帰ってからは,水泳だけをして,全く走っていない。RUNは9月から再開することとする。

 実際は、この後右足の坐骨神経痛に悩まされることになってしまった。

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(19.5.18)トランス蝦夷1100km

 トランス蝦夷1100kmと言うマラソンレースをご存知だろうか。普通の人はほとんど知らない。ランナーでもこの種のレースに参加することはまれだ。毎年夏に北海道で開催される。選手は30名前後のマイナーなレースだ。内容をご紹介しよう。

 ステージマラソンと言う。毎日決められた距離を走り、1100kmを走破する。トランス蝦夷1100kmは2週間かけて、最北の宗谷岬から、最南端の襟裳岬までを往復する。往路と復路の道は違い、往路は北海道の西側を走り、復路は東側を走る。
一日の平均距離は約80kmだ。国土地理院の地図が渡され、それで道を確認しながら走る。
昼間は道に迷うことはまれだが、日が暮れると目印が見えなくなり、道をしばしば間違えてしまう。
制限時間があり、それを越えると失格になる。ただし制限時間はかなりゆるい。

 通常は朝、5時時ごろにスタートして、夕方の6時ごろに到着する。食事をして風呂に入って、翌日のコースの説明を聞いて寝る。寝る場所は設定されており、途中でリタイアしても、収容車はないので、次の寝る場所までは何とかしてたどりつかなければならない。
北海道の公営の交通事情は極端に悪いので、バスか鉄道が走っているところまでは、歯を食いしばってでも行き着かなければならない。リタイアも大変なのだ。

 このレースでは、サポート隊は許されてないので、必要なものはすべて背中に背負って走ることになる。ポイントはできる限り荷物を軽くすることで、着替えや懐中電灯のような装備は出きる限り省く。
私は当初、使い捨ての写真機や、髭剃りや、ジャージやシャツやパンツを持っていたが、最後にはすべて捨ててしまった。さすがにパンツを捨てた時は自分でも笑ってしまった。
 ほとんど着たきりすずめの状態になる。疲労が重なると、重いことに耐えられないのだ。

 私はこのレースに3年前に参加したが、残念ながら完走していない。走行距離は約900kmである。最初に飛ばしすぎて、足の指に水ぶくれを作ってしまった。このレースでは早く走らないことが完走の絶対条件になる

 毎日指の水を抜くのだが、だんだんと化膿して、小指の肉が露出するようになった。
走ると、肉が靴に直接当たり、飛び上がるほど痛い。それでも5分程度我慢して走ると、足の感覚がなくなって痛さはなくなる。しかし肉の切れ込みはだんだん深くなり、麻痺するのに時間もかかるようになる。休むと感覚が戻るので、休むこともままならなくなる。
麻痺に15分程度かかるようになって、気持ちがなえてしまった。そしていくつかのステージをスキップした。

 今回、トランス蝦夷の写真を公開するのは、ランナーでもこの種のレース経験はまれだからだ。ステージマラソンのイメージをつかんでもらおうと思い公開した。
本当は自分のようなムツケキ男の写真を公開するのは、申し訳ないのだが、今度ばかりは、走っているときの様子が分からないとイメージがわかない。

 ついでに、他のレースの写真も掲載してある。私がまだ走力がみなぎっていた頃の写真も見てもらたいと思ったからだ。
俺だって、亀より早い時はあったんだぞ

 なお、写真は元々アナログ写真であったものを、プリンターでスキャンしたものなので、画質が落ちている。許していただきたい。またスライドショーで見てください。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/16

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(19.5.17)長柄ダム散策

 長柄ダムをご存知だろうか。市原市と茂原市の間に、長柄町があり、そこに作られた飲料水供給のための人造湖である。石を積み上げるようにして建設された。
 実は私は知らなかった。この湖の存在を教えてくれたのは、私のブログの愛読者で、JOG仲間のKさんである。

山崎さん、長柄ダムで5Kmのレースに参加してきたの。ちはら台走友会の黄色のユニホームを着た人たちも走っていたわよ
長柄ダムって、どこにあるのですか
まー、山崎さんは千葉に住んでいて、長柄ダムを知らないの
 しかられてしまった。

 初めて長柄ダムの名前を聞いたときは、岐阜の長良川を想像してしまった位だから、どこにあるか知る由もない。
とってもきれいな湖で、そこの湖畔を走るレースが5月13日に開催された」のだそうだ。

 ちはら台走友会の定例会で、ながらレークマラソンの存在は知っていたが、頭の中で長柄ダムと結びついていなかった。
そんなに、美しい場所があるなら、行ってみよう。マラソンのコースもついでに確認しよう

 Googleの地図検索をすると、鎌取からはちはら台を経由して、さらに南に行った場所にある。村田川の上流の一つでもある。目算で片道13km程度と見た。自転車で出かけることにした。

 行ってみると信じられないような風景が、目の前に現れた。湖そのものは確かに美しいのだが、湖の脇の高台にショッピングセンターがあるのだ。観覧車が回っている。
何かの間違いじゃないのだろうか

 この、長柄ダムに着くまでの風景は純粋に農村風景そのものだった。民家もほとんどない。まさに千葉の古き農村地帯といえる。
ショッピングセンターに行ってさらに驚いた。ほとんど人がいないのだ。観覧車も誰も乗せずに動かしている。
このようなさびれたショッピングセンターを見たのははじめてだった。
完全に、建てる場所を見誤っているとしか言いようがない

 今回の写真集は、長柄ダムとそこに行くまでの農村風景である。千葉の農村風景は私の好きなモチーフだ。長柄ダムも確かに美しい。ショッピングセンターは異質だが、それなりに写真になる。
また、スライドショーで見てください。

 http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/MMpSLC

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(19.5.16)フラバサイト再録(その副作用)

 育毛剤のフラバサイトを止めてからほぼ2週間になる。フラバサイトは実に良く効く育毛剤で、もう少しで頭頂部が隠れる寸前になっていたが、惜しいことに副作用がでた。夜中に急激に喉が渇き、ほとんどつばが出なくなるのだ。喉が焼きつくように痛い。
副作用には勝てないので、使用をやめた。

 その後2週間たち、予想したとおり急激に頭髪が抜け出した。当初は「禿でなぜ悪い」と居直っていたが、鏡を見るたびに薄くなる頭を見ていると気もそぞろになる。
何とかならないだろうか」心の弱さを露呈してしまった。
日夜考えていたら、ありとあらゆることが頭髪に関係するように見えてきたのだから不思議だ。
かつて、愛した和歌や俳句が実は禿の歌だと気が付いた。

秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

新解釈
人生の秋を迎えると、傍目にはわからなくても本人にとっては自覚できる程度に、毛が抜けてくる。いまでは風が吹いただけで毛が抜けるので、風が吹くと思わず頭を抑えてしまうのだ

夏草やつわものどもが夢のあと

新解釈
たわわにあった夏草のような髪の毛も、今はまったくなくなってしまった。禿げ上がっている頭にも、毛根だけは残っているのだなあ

東(ひんがし)の野にかぎろいの立つ見えてかえり見すれば月傾きぬ

新解釈
前の方から見ると、陽炎のようにわずかに頭髪が生えているが、後ろから見るとお月様のように頭が禿げ上がっている。人生の終末を感ぜざる得ないのだ

やせがえる負けるな一茶ここにあり

新解釈
やせかえってしまった頭髪を気にしている君よ。この一茶の頭は丸坊主ではないか。私と勝負したら、君のほうが頭髪は多いよ

 とりあえずフラバサイトを復活したが、毎日つけると副作用に苦しむので、2日に1回にして様子を見ている。

 禿の人生はなかなか難しい。

なお関連するブログは以下のとおりです

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/1953_7750.html

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/19317.html

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(19.5.15)ちはら台走友会の月例会

 私がちはら台走友会に入ってほぼ2ヶ月になる。しかしあまり出席率のいい会員とは言えない。特に先月の中旬から身体の調子がおかしくなりしばらく走友会の定例練習(土曜、日曜)に出席していなかった。

 先日(12日)、久しぶりに定例練習に出席したが、その日が月に一回の定例会の日だった。定例会では1ヶ月間の実績報告と、今後のレース等の参加状況の確認を行う。しかし一番の目的は親睦にあることがわかった。

 参加費用1000円で、楽しい宴会になる。会長のY氏が、活動実績の報告をした。5月の連休のメーンイベントは丹沢への集団登山だった。 私は体調不良で出席できなかったが、総勢15名が参加し、蛭が岳までのトレイルランを楽しんだとのことだった。

 走友会にはいくつかの決まりがあり、その一つに練習コースのかずさの道の清掃活動がある。2ヶ月に1回行っている。ランナーが清掃活動に積極的な理由は分かる。
そもそも私が四季の道の清掃を始めたきっかけは、JOGをしていてあまりに道が汚れていることに辟易したからだ。
今後はかずさの道の清掃にも積極的に参加しよう。

 定例会では、ちはら台走友会のグループブログを管理しているTさんから、ホームページの作成を検討しているとの話を聞いた。
グループブログは会員限定の情報手段なので、ホームページを作って一般の人にも活動を知ってもらい、会に参加してほしい」のだという。

 確かに走友会のメンバーの年齢構成はかなり高い。40才台と50才台が中心で、若い人が少ない。若いメンバーの加入が急務なのだ。

 今回の写真集は、かずさの道である。走友会の定例練習場で往復約8Kmある。桜並木が続いており、春はことのほか美しい。
 四季の道かずさの道はいづれ連絡されて日本有数の美しい遊歩道になるはずだが、残念なことに現状はゴルフ場のところで途切れている。
 早く道がつながってほしいと思わずにいられない。今回はかずさの道がいかに美しい道かスライドショーで見てもらいたい。

 http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/nDpvxB

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(19.5.14)高校の柔道部同期会

(19.5.14)高校の同期会

 高校時代の柔道部の同期会が行われた。42年ぶりの同期会になる。昨年の11月、高校の同期会が開催された折、柔道部の同期会を開こうと言うことになった。

 実は、柔道部に所属していたY君が、12年前に鬼籍に入られている。みんなでY君の墓参りをすることで、集まることにしたのだ。場所は青梅市の七国山薬王寺である。Y君の奥さんを含め、9名が集まった。

 このお寺をご存知だろうか。つつじの寺として各種メディアに紹介されている。最近ではNHKの首都圏ネットワークで5月9日にも放送された。観光客も多い。トレッキングのコースになってるらしい。

 私たちが墓参りをした日(13日)には、すでにつつじの花は散ってしまっていて、残念ながらその美しさを味わうことができなかったが、薬王寺の静かなたたずまいは堪能できた。

 Y君の話をさせてほしい。Y君は東京教育大学の数学科の大学院をでて、そこの講師をしていたが、31歳で横浜国立大学の数学科の助教授に招聘された。そして48歳で癌で亡くなるときは、教授になっていた。今から12年前の話である。

 高校卒業後の彼の経歴を私は知らなかったが、今回遺稿集を見てびっくりした。亡くなるときにはトポロジーに関する世界的研究者になっており、もし亡くならなければ,間違いなく世界の数学会をリードする第一人者になっていたと言うのだ。

 亡くなり方が痛ましい。中国の北京に1年間研究留学し、帰国後急激に体調を壊した。癌がほぼ全身に転移していたらしい。
 これは正直な私の感想だが、年配者が医療事情の悪い国にいく場合は、死と隣り合わせになる。私もバリ島で海水をたらふく飲んでからは体調がすぐれない。
 中国のような、医療事情の劣悪な環境で、身体を酷使すれば病気にならないほうがおかしい。体調が悪くても我慢していたのだろう。

 さらに私を愕然とさせたのは、日本の癌治療の現状である。Y君の遺稿集によると「胃の全部、すい臓の半分、脾臓・胆嚢・リンパ節等の切除」がされ、その結果、手術は「大成功」に終わったと言うのだ。
この場合の「大成功とはがん細胞はすべて摘出できたと言う意味だが、これでは人間の基本的機能も同時に摘出されている。この状態で生きろと言うのがどだい無理だ。
Y君は、手術後約半年で鬼籍に入られた。

  それにしても惜しい人材が亡くなったものだと、あらためて墓前で手を合わせた。

 今回の写真集は七国山薬王寺である。お墓参りの写真は意図的に省いてある。Y君のことはやはり関係者の問題で、ブログで写真等を掲載すべきでないと判断したからだ。いつものようにスライドショーで見ていただきたい。

  http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/513

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(19.5.13)ガーディナー参上

 春もたけなわになり、植物の成長が早くなった。この頃になると四季の道も雑草が生い茂り、植栽はぼさぼさの様相を呈してくる。

 四季の道には定期的に業者が入り、雑草の除去は行っているので、雑草が刈られた後の、四季の道は見違えるほど美しくなる。
 しかし、剪定については大きな木の剪定はしているが、低木や植栽については、最近業者が入ったのを見たことがない。私の知っている限り昨年は入らなかった。そのため、つつじさつきなどの植栽がぼさぼさの状態になっていた。

 昨年から見かねて私が剪定を行っている。もっとも剪定と言っても弱剪定で、飛び出ている枝葉を切りそろえているだけだ。
しかし、これだけでも最初はおっかなびっくりだった。
枯れたら大変だから、少しずつ様子を見ながら剪定しよう

 少し切っては、数日様子を見て、また少し切る繰り返しだから、なかなかはかどらない。何しろ四季の道は6.5kmあるのだ。
 特に雑草がはびこっていたり、つるが植栽に絡まっていたり、ぼさぼさになっているところを中心に剪定をしている。
 剪定ばさみを背中に背負っているので、佐々木小次郎のようなイメージになる。
武蔵は何処にありや」精神が高揚してしまう。

 雑草に植栽が負けて、まばらになっているところなどは、雑草やつる草の除去を行わないと、枯れ果ててしまいそうだ。
おれが面倒を見てやるから、負けるなよ」一茶の気持ちで声援を送る。

 昨年に比較して、植栽の状態は良好だ。特に昨年から面倒を見ていた、つつじさつき、それとジャスコの前の植栽が元気がいい。やはり、適度な剪定と雑草の除去は必要なのだと思う。今までは四季の道の清掃に2時間かけていたが、剪定作業が入ったため3時間かかるようになった。午前中は清掃と剪定作業でほぼ終わってしまう。

 元気になっている植栽の様子をスライドショーで見てほしい。なんとなく四季の道のガーディナーになった気分だ。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/uWbIGD

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(19.5.12)八甲田山

 八甲田山をご存知だろうか。青森市からバスで1時間ちょっとで行ける標高1600m程度の山塊である。関東界隈の山で言うと丹沢程度の山である。

 ここで明治35年、青森第5連隊の将兵210名が雪中行軍を実施し、うち199名が遭難した。この遭難事件は新田次郎が「八甲田山死の彷徨」と言う小説で圧倒的な迫力をもって描いたため、山岳小説の愛好家は八甲田山は魔の山だと思うようになった。
 また、「八甲田山」と言う題名で映画化されており、高倉健が主演していたので見られた方もあると思う。その中で将兵が雪の崖を滑り落ちていくシーンを見たものは、絶対に八甲田山に近づくまいと思ったはずだ。

 私は長い間、なぜ1600m程度の低山で、軍人と言う最も体力的に恵まれた男たちが199名も遭難死したのか不思議に思っていた。
 そこで昨年の10月下旬、青森県に旅行した折、八甲田山に登山してそのことを確認しようとした。

 まず最初にびっくりしたのは、青森第五連隊の将兵が遭難した場所は、八甲田山中ではないことだ。ふもとに近く標高も700m程度の場所だ。晴れていれば青森市が真下に見えそうだ。
こんな低地でなぜ遭難したのだろう」不思議に思った。

 しかし、理由はすぐに分かった。
 私は青森市からバスで酸が湯(すがゆ)温泉に入り、そこでキャンプを張ったのだが、まだ10月下旬と言うのに、横殴りの氷雨にあって、すぐに凍えきってしまった。寒いのだ。
 テント場は閉鎖されており、誰一人いない。この時期に登山する人はほとんどいないようだ。私は管理棟のテラスにテントを張って寝たが、風にあおられ、シュラフ二つ重ねても寒さで寝つけなかった。
なるほど、ここは凍えるような場所だ

 それでも翌朝は、八甲田山の主峰大岳に向かって登り始めたが、途中の広大な湿原地帯で風にあおられ、身体を倒すようにして進もうとしたが、それでも一歩も前に進めなくなってしまった。風の強さは半端でない。しかも雨混じりであったので、気持ちがすっかりなえた。
死んでしまいそうだ

 10月下旬でこうなのだ。真冬になったらいかばかりか想像が付かない。八甲田は日本海から太平洋への風の通り道と言ってよい。遭難した理由が分かった。

 今回は八甲田山を中腹まで上った写真を掲載する。氷雨の中の写真なのでからっとした写真はない。毎回の写真集で恐縮だが、すっかりWeb写真にはまってしまったので許していただきたい。またスライドショーで見てください。

 http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/18102903

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(19.5.11)山岳写真について

 私の趣味の一つに登山がある。登山仲間と行くこともあるが、最近は単独行が多い。特に定年になってからは、気の向いたときに登山をするので、仲間との日程調整が難しいからだ。

 昨年の9月半ば、思い立って北アルプスに登ることにした。家族で松本の親戚を訪問し、その足で上高地に行くことになったからである。
上高地まで行くのなら、登山をしよう
 ベースキャンプを徳沢のテント場に張り、周りの山にピストン登山をすることにした。ピストン登山の場合は、若干の食料と衣類と水だけで登山できるので、通常の時間の約半分で歩ける。
 したがって、どこの山でも日帰り圏内になる。このときは蝶ガ岳と北穂高岳に登った。

 実は、そのときの写真を公開したのだけれど、はっきり言って躊躇する。なにしろ「昔、山岳写真に入れ込んだ」と言った手前、それなりの作品でないと「山崎って、単なるほら吹きか」と言われてしまう。
[うぅーん、どうしよう
 それでも、清水の舞台から飛び降りたつもりで掲載することにした。
へたくそと言われたら、ペットの亀に慰めてもらおう

 少しだけ弁解をさせてもらいたい。実は、日本の山岳写真のレベルは世界最高水準にある。この水準に押し上げた功労者は白旗史朗氏で、彼が雑誌「山と渓谷」に発表した作品を見て、山岳写真家を志した人は数知れない。

 特に白旗史朗氏がすごいのは、それまで山岳写真のモデルにならないと思われていた南アルプスをモチーフに選び、一級品の作品にしてしまったことだ。どんな山容でも写真にしてしまうほど、氏のレベルが高い。

 だから、こんなにレベルの高い山岳写真の世界があるのに、自分の撮った二流の写真を掲載するのは恥ずかしい。しかし恥を忍んで掲載させてほしい。恥をかくのも人生だ。またスライドショーで見て下さい。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/hHJmEL

(追伸)
 昨日の都川源流の清掃作業で出てきたゴミは、地域整備センターのYさんがトラックを出してくれて、緑環境事務所に運び込みました。
リーダの I さん、力持ちのAさん、と私の3人が回収作業に参加しました。
 ほとんどのゴミが片付き、里山は見違えるほど美しくなっています。

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(19.5.10)里山開発さらに進む 都川調節池

 都川源流の里山開発はさらに進み始めた。会員も1名増えて9名になった。この日(9日)は6名が集まり、笹の生い茂った斜面の笹薮の除去を行った。ここは道に面した斜面で、残念なことにゴミ捨て場の様相を呈していた場所である。

 笹を除去すると、数え切れないほどのゴミが出てきたが、今回そのほとんどを回収できた。10日には県の地域整備センターが、ゴミの回収車を出してくれるので、ずいぶん美しい里山に生まれ変わるはずだ。

 まだ、路上生活者が捨てていった缶やペットボトルが山ほど残されているが、それを除けば一応のめどは立ったといえる。
 かつて、私が一人でゴミの回収をしていたときは、道路から見えているゴミをとりあえず拾っていただけだが、都川源流の自然再生をはかる会ができてからは、里山は見違えるほど美しくなっている。

 今回は信じられないようなことが2つあった。
 一つは、おゆみ野ウォーカーズの女性メンバー二人が、この里山再生活動に参加してくれたことである。
 おゆみ野ウォーカーズのブログは私のお気に入りに入っており、定期的にチェックしていたが、今回なぜ女性二人が参加してくれたのか知らなかった。

 改めてブログを見てみたら、5月9日のブログ(http://oyw.cocolog-nifty.com/blog/)に参加の経緯が書いてあったので、理由が理解できた。ウォーカーズのメンバーがこの里山を散策していて、作業をしていたリーダの I さんに会い、この日(9日)が定例の作業日だということを知ったようだ。
 いままで男衆だけの作業だったが急に華やいでしまった。

 もう一つは、私のブログの愛読者のKさんが、ブログで定例の作業日であることを知って、差し入れに来てくれたことだ。
 この日は千葉は夏日で、気温は瞬く間に上昇し、水を飲まないと熱射病になるような状態だったので,本当に助かった。
 日陰で団欒しながら、Kさんの差し入れの清涼飲料水や果物やパンをご馳走になってしまった。

 しかしそれにしても、老年パワーはすさまじい。再生をはかる会のメンバーは、全員60歳以上であるが草刈や道つくりを軽々とやってしまう。ゴミの回収はお手の物だ。
 はっきり言って、体力のない若者などまったく寄せ付けないほどの活動力だ。戦後の日本を支えて来た、男魂のようなものを感じた。
まだこうした人たちが生きている間は日本は大丈夫だ
 急に自信が出てきた。

 今回の活動記録についても、写真で紹介します。記録写真なので、ゴミの写真が出てきますが、私たちがどのような場所を再開発しているか見ていただきたいと思います。スライドショーで見てください。
 なお、次回の作業日は20日の午後1時から3時を予定しているので、里山開発に興味のある方は是非ご参加ください。。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/XSeWhI

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(19.5.9)千葉の山村風景 村田川

 先日村田川のこいのぼりを見に行って、そのついでに土気から大網まで足を伸ばした。そのときに写した写真があるが、日本の原風景に近い山村風景は実に美しいことに気づいた。

 日本の農村風景の美しさについては、前田真三が北海道美瑛町の畑や丘の美しさを写真で紹介してから多くの人が気づくようになったが、千葉の農村風景もなかなかのものだ。

 私が気に入っているのは、昭和の森公園から大網方面に開けた山村風景で、昔ながらの風情を残した稀少な場所だ。
ここの風景を堪能するためには、自動車では絶対駄目で、自転車か徒歩かJOGで回ることを進める。

 幹線道路から外れた、昔の田舎道が曲がりくねって続いているような場所が最適で、地元の人にとっては見慣れた風景かもしれないが、外から来た人にとっては、何かほっとするような風景といえる。

 私は今まで、どちらかというと都会の風景が好きで、新宿副都心や横浜のエクスポランド跡地のような場所を歩いては写真を撮っていた。。
 しかし最近は農村風景や、山村に惹かれるようになった。きっと里山開発に参加したせいだろう。信じられないかもしれないが、森を見る目も養われてきた。

 今回は、残念ながらあまり写真を撮っていない。また出かけていってお気に入りの風景を探そうと思っている。幸いにちはら台走友会のYさんから、土気に行く最適な道を教わったので、今度は大網街道を通らなくても済みそうだ。

 最近は写真づいて恐縮だけど、ブログは書いている本人も楽しくないと続かないので許してほしい。
 村田川から昭和の森公園、そして大網の山村風景である。下にURLを記載しておきます。またスライドショーで見てください。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/kSrej

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(19.5.8)僕は歩けるだろうか  健康

  2日前の四季の道の清掃では、腰痛のため300m歩いてはベンチで寝ていたので、今日(7日)はまともに歩けるか心配だったが、思い切って清掃活動に出かけた。
幸いにも昨日一日養生してたので、腰痛に悩まされることはなかった。それにしても四季の道のたった6.5km程度を歩けるか否か心配するなんて、とても信じられない。

 昨年のちょうど今頃は、小諸までの270kmを、2日間夜も眠らず走ったり、歩いたりしていた。途中で幻覚に悩まされたが、それにしても270kmだ。それが、一昨日は300m歩くごとに休まなければならなかったのだから、「何でこんなにも変わってしまったの」と言いたくなる。

 今日は、清掃をしていたら、清掃仲間の I さんに京成電鉄のおゆみ野駅近くであった。
山崎さんの清掃時間に合わせて、会えるかもしれないと思ってきたのですよ
 I さんはいつも私のブログを見てくれているので、私が体調を崩していることを良く知っている。
悪い病気だったら大変だから、病院に行って見てもらったほうがいいですよ」わざわざサジェスチョンをするために出てきてくれたようだ。ありがたいことだ。

 ジャスコの前で I さんと別れたら、こんどは私のブログのファンのKさんがジョギングしているところに出会った。
山崎さん、清掃なんか無理してするのを止めて、身体を大事にしなきゃ。街が汚れたらみんなが清掃を始めるわよ。山崎さんは、身体に気をつけて、楽しくブログさえ書いてくれればいいのよ
 思わず、笑ってしまった。

 しかし、正直に言うけれど、私は根が運動選手だから、身体が少しでも動くときは身体を動かさないといられない体質なのだ。
 清掃や、剪定作業のような軽作業は体調が思わしくないときの運動としては最適で、そうしないと夜寝ることもできない。

 今日は、四季の道の一部と、ボランティアをしているK小学校のつつじの剪定作業をしてたら、気分が大分良くなった。

 話が急に変わって恐縮だが、K小学校といえば、いづれホームページの修正作業をしなればならない。校長先生との約束がある。体調が良くないこともあり、なかなかはかどっていないが、ホームページ用の学校の写真を先日とってみた。

 下にURLを記載しますので、K小学校の関係者は見て、感想をいただけるとうれしいのですが。このうちの何枚かをホームページで採用する予定です。スライドショで確認してください。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/426

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(19.5.7)写真集の紹介

 実はしてみたかったことがある。写真集の紹介である。私の趣味の一つに写真を撮ることにあり、かつては山岳写真に入れ込んでいた時期があった。
 しかしこの世界は厳しく、努力とそれなりの資金力がいる世界で、たいていの人が途中で挫折している。私もご多分に漏れず挫折組みだったが、昨今のWeb技術の発達のおかげで、だれでも自由に自らの写真をネットワークで公開できるようになった。

 かつては自分のとった写真を知り合い以外の人に見せることは基本的に不可能だったので、この技術の進歩は驚嘆に値する。しかもたいていのWebサイトがただでこの写真集の公開を後押ししてくれているのだから涙が流れてしまう。

 私はもっぱらGoogleの愛好家だから、Googleが提供してくれているピカサというソフトを使用しているが、何回も言って恐縮だが、このピカサというソフトは本当に使い勝手がいい。Webにアップロードするのも、他のソフトのように時間がかかったりしない。修正は自由自在だ。

 今回公開するのは、おゆみ野周辺を写した写真集である。私の家の近くにある泉谷公園を出発して、小川沿いにおおど池までいって、帰りは四季の道を通っている。なお、この写真は昨年の11月に撮っている。

 見慣れた景色だけれど写真集にしてみるとそれなりに美しい。ただし残念ながらプロの写真というわけには行かない。そのうち上手になると思って心を広く持ってみていただければ幸いである。

下にURLを公開しますので、スライドショウで見てください。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/1811

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(19.5.6)亀ゴン再録

56  我が家の陸ガメは完全に家族の一員になった。名前を「亀ゴン」という。もともとこの陸ガメは息子が飼っていたのだが、ひょんなことから我が家で飼うことになった。
親父は毎日家にいるのだから亀の面倒を見てもらえそうだ」という息子の予測はばっちり当たった。

 朝、自分の朝食が済むとすぐに亀ゴンにレタスを与える。飼ってみて初めて知ったが、亀ゴンはレタスにすぐに飛びつかない。1分ぐらい、じっと眺めていて、それからおもむろに食事を始める。

 この判断力の遅さが何とも言えない。犬や猫のようにすぐに反応しないので「この亀、大丈夫かしら」とこっちが心配する頃に、ようやく食事を始める。食べ方は口いっぱい広げてレタスを食べるので豪快だ。じっと食事風景を見入ってしまう。

 亀にも意思があることを知った。外に出たいときはプラスチックの箱を手でがりがりこする。私は基本的に暇だから、そうした場合は外の芝生に放ってやると、ひたすら草を食べている。
 私はそばで本でも読んで1時間程度遊ばせてやる。孫の面倒を見ているおじいさんそのものだ。

 しかし油断していると野良猫がやってきて亀ゴンを狙うので、野良猫のチェックは怠れない。
 先日「こらー」おお声を張り上げたので、かみさんがびっくりして「何が起こったの」と聞いた。退職後に出した最も大きな声が亀ゴンを猫から守る声だったのには自分でもびっくりした。

 実は「亀ゴン」と命名したのは娘である。娘も亀ゴンのファンで、私と競争でレタスを与えるので、亀ゴンは腹いっぱいになると、ウンチとおしっこをたっぷりする。プラスチックの箱にこれがたまると亀ゴンはウンチまみれになってしまうので、すぐに掃除をしてやる。本当は下にすのこのようなものを敷いておきたいのだが、現状は箱にそのまま亀ゴンを飼っている。

 亀をみていて、この亀の単純な生き方には感心してしまった。草を食べるか寝ているかのどちらかで、箱から出せという意思表示以外は何もしない。人間に媚を売ることもせず、ひたすら与えられた環境に適応してしまうところは見事だ。
この親父が、気が変わってレタスをくれなくなったらどうしよう」なんて心配は絶対にしていない。未来を予測しないことが、亀の長生きの秘訣ではなかろうか。

 私などは、とかく将来を悲観的に考えるために、現在を楽しく生きられないのだとおもう。亀ゴンをみてその感を強く持った。
将来のことをとやかく考えずに、今を楽しく生きよう
亀ゴンから与えられた教訓である。

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(19.5.5)Fおばさん と腰痛

 Fおばさんは、われわれ清掃仲間の一員で、毎週金曜日の鎌取駅周辺の清掃を一緒に行っている。非常に愉快な人で、年齢は70歳のはずであるが、元気だ。
 耳が遠い。補聴器をつけているが聞こえがあまりよくないらしい。私も普通の人の半分程度の聴力しかないので、耳の遠い人の気持ちは良く分かる。

 こちらの話はほとんど聞こえないので,いきおい自分の側から話を始める。もちろん話の前後の関係は完全に無視している。
山崎さん、最近NASの近所で、引ったくりがあって、まだ犯人が捕まってないんですよ。わたしも老人だからいつ引ったくりにあうかと、心配でなかなか一人で四季の道を歩けないんですよ

 今日(4日)金曜日は定例の清掃日だった。時間は10時から1時間程度と決まっている。メンバーの I さんは家庭の用事があって出席できなかった。

 私は朝7時から2時間程度かけて、四季の道を清掃した後で、9時までにいったん家に帰り、10時前にこの鎌取駅の清掃に参加していた
 しかし今日は腰を痛めて、四季の道をまともに歩けず、家にたどり着けないのだ。仕方がないのでジャスコの前のロータリーの縁で寝ていた。

 腰を痛めたのには理由がある。実は4日前から、泉谷公園で坂道走の特訓をはじめたら、早速腰に来て、走れなくなってしまった。本当は体調が悪いときに特訓などしてはいけないのだが、スポーツ選手のサガで、運動をしないと気持ちが落ち込んでしまう。無理を承知で特訓を継続していた。
 この状態で四季の道の清掃活動にでかけたら、 300mも歩くと腰の痛さに耐えかねて清掃活動どころではなくなってしまった。
 ベンチで寝ていると、痛みが引くのでまた清掃を再開するのだが、すぐに横にならないと歩くこともできない。

 おかげで、ジャスコの前にたどり着いたときは10時近くになっていた。「今日は鎌取駅の清掃はできない。休ませてほしい」とFさんに言おうと、ロータリーの縁で寝て待っていたら、 Fさんはいつものように元気よく清掃をしながらやってきた。
 少しのゴミでも手を抜かずに清掃してしまうところは性格なのだろう。
今日は I さんは用事があってこられない」と伝えたところ
じゃあ、山崎さん、二人でがんばりましょう」といわれてしまった。

 腰が痛くて清掃ができないなんてとても言えない雰囲気だ。それに一人ではかわいそうなので、歯を食いしばって鎌取駅の清掃を行った。

 体調が悪いのと、腰が痛いのとが重なって、家に帰ってから夕方まで寝込んでしまったのは情けない。娘に状況を話したら「医者に言ってみてもらったほうが良い」ということになった。

 仕方ない。休み明けに医者に行くことにした。退職して初めての医者通いになりそうだ。

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(19.5.4)連休 何をしたらいいのだろうか

 毎年この時期は何らかのイベントに参加していた。昨年は川の道フットレースという、荒川の河口から長野県の小諸までの270kmレースに出ていた。一昨年は子供たちと奥多摩から奥秩父に抜ける登山をしていた。
その前の年は江戸川を遡り、利根川との合流地点まで行き、利根川を銚子まで下る長距離走のトレーニングを行っていた。

 サラリーマンにとって連休は何よりも変えがたいイベントを行う重要な時間帯だったが、退職してからすっかり様相が変わってしまった。
何より「毎日が日曜日」なので、無理やりに連休にあわせて活動をしなくて済むようになったのだが、反対に精神を集中する時期がなくなってしまい、意欲がすっかり衰えてしまった。

 やはり連休のように、このときを逃したら、来年までチャンスがめぐってこないというような、追い詰められた気持ちがないと、人間何か行動することができないらしい。
いつでも自由に何でもできるという状況は、確かに時間的にはそのとおりなのだが、肝心の意欲について言うとまったく盛り上がりに欠ける。

 これが夢にまで見ていた定年後の生活かと思うと悲しくなってしまう。
定年前に定年後を見据えて目標を立てていたが、どんなことを考えていたか思い返してみた。
以下の文書は定年を2年後に迎える16年9月に記載したものである。

趣味としての人生の確立のために

趣味としての人生」を確立するためには,最低以下の項目の達成を目指す必要がある。

趣味としての体力維持(40代の体力維持)
 朝の柔軟,昼の筋トレ,夕方の水泳/JOGを日常的に行う。特に上半身の筋肉強化がポイント。

趣味としてのマラソン(フルで3時間半)
 常にここに目標を置く。60歳で3時間半を維持できれば大変なこと。

趣味としての登山(当面は関東周辺の山をターゲット)
 時間があれば登山をする。ただしかなり決心しないと登山は難しい。

趣味としての数学
 時間があれば数学の教科書を見返す。2週間程度で公式を忘れ始めるので日常的な見直が必要。

趣味としての水泳
 足を強化して身体がローリングしないようにする。手の回転を早くするとローリングは防げる。特に左手のかきと右手の入水位置が重要。左手のかきが十分で,右手の入水位置が真ん中の線上にあれば,力強く泳ぐことができる。

趣味としての清掃等ボランティア(四季の道の清掃)

趣味としての修復作業(塗装による修復。技術の向上がキー)
 環境にマッチさせる。

 うぅーん、どうだろうか。目標は達成しつつあるといえるのか、それとも期待はずれというべきか。

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(19.5.3)副作用が出た はげ対策

 やはり副作用が出てしまった。育毛剤のことである。昨年の末頃から花王のフラバサイトを愛用してきた。うれしいことに髪の毛が抜けなくなって、悩みの頭頂部が隠れる寸前になっていた。しかし副作用が出たのだ。

 かつて大正製薬のリアップをつけていたときは、急激に心臓が痛むようになってマラソンでスタートダッシュができなくなってしまった。幸いリアップを止めたら心臓の痛みから解放されたが、よく効く育毛剤には副作用があることを知った。

 実はフラバサイトもあまりに効果があるので、ひそかに副作用を恐れていたが、今回はひどい喉の渇きに悩まされることになった。昼間はそれでもすぐに水を飲むことで対応できるが、夜の渇きには思わず何回も目が覚めてしまう。喉がからからで、信じられないことにつばがまったくでない。大げさに言えば焼きつくような痛さだ。
 枕元に水差しを用意して寝ることにしたが、あまりの乾きに耐えかねた。

 原因はすぐに判明した。私の場合は、普段ほとんど薬というものを飲まない。常備薬としては、胃が荒れたときに飲む正露丸と、風邪をひいたと思われるときに飲むルルがあるだけである。。
今回は、正露丸もルルも飲んでいなかったので、フラバサイトをやめたとたんに喉の渇きがなくなった。

 それにしても残念なことだ。効果のある育毛剤はすべて副作用があり、一方副作用のない育毛剤は効果がない。
 育毛剤が駄目だとなると、考えられるのはカツラだが、実はこのカツラには決定的な弱点がある。なにしろ高価すぎる。かつてアデランスやアートネイチャーを研究したときに、その価格の高さには目を剥いた。

 カツラ1個の値段は、50万から60万円程度なのだが、セールストークで「急に目立ってはお困りでしょう。ここは段階的増毛ということで、最終段階のカツラ以外に2種類の段階的カツラを用意しましょう
なんて話になって、不要なカツラを余計に必ず買わされてしまう。手入れの費用も考慮すると、 私が調べた段階で、初期投資として年間2百万円、その後毎年1個は買わせられるため、ランニングコストとして年間、百万は覚悟しなければならない。

 その効果が「子供たちからおにいちゃんといわれたい」だけだとすれば、これではいくらなんでも費用対効果のバランスが取れない。

 一方で私はデジタル生活をしており、すべてのソフトやシステムをほぼただで使用しているのに、カツラのために2百万円投資する気にならない。
そんなに高いなら禿のほうがましだ」居直ることにした。

 今回で、頭髪については一切悩むことはやめることにした。第一外に出るときは帽子をかぶっているので、禿隠しになる。風が強くて帽子が飛んだときは少し困るが、その程度は我慢の範囲だ。
 子供たちから「禿おじちゃん」といわれても、にこやかに笑うことにしよう。禿で死ぬことはないのだからおおらかに生きることにした。

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(19.5.2)写真集の評判がいい Picasa

52_002  息子の結婚式で写した写真集が意外な評判を呼んでいる。この写真集は私が結婚式で取った写真を、Googleが提供しているピカサという編集ソフトで編集し、それをフォトバックという写真集作成ソフトで製本を依頼したものである。

 実際の製本は専門の業者がおこない、費用は約2千円かかるが、12cm平方の完全な本になるので、見た人は一応に驚くようだ。
 娘は会社でホームページの編集の仕事をしているが、仕事仲間にこの写真集をみせたところ、
おやじさんはプロの写真家か」といわれたり、
君の美的センスは親父譲りだということがわかった」といわれたそうだ。

 実を言うと私は若い頃に山岳写真家になりたいと思い、大型写真機を購入し、一瞬のシャターチャンスに情熱を燃やしていた時期がある。
 しかしこの道は相当厳しく、白旗史朗氏の自伝などを読むと分かるが、長い下積み生活の後ようやく目が出る世界で、ほとんどの人は途中で挫折するのが普通のようだ。

 私も当然挫折組みだが、幸いなことに写真の撮り方の基礎は勉強したので、一般の人の写真に比べると構図がしっかりしている。
 さらに最近はデジタル写真機を使用しているので、編集作業が容易にでき、露出に悩まなくて済む様になった。しかもトリミングも自由自在だし、シャープな写真にもすぐに変身できる。

 おかげでどんな写真をとってもそれなりの水準の写真に生まれ変わり、かつ写真集の編集までできるようになってしまった。
 写真にストーリーをつけることはシナリオ作成の練習が物を言って、見た人に感動を与えることができるレベルだ。

おとうさんはこの写真集作成で食っていけるよ」と娘にたきつけられた。実際はこの世界も相応に難しそうだが、結婚式の写真集が数万円もすることからすれば、2千円程度で写真集ができれば、たしかに商売にはなりそうだ。

当面はただで写真集の編集作業を引き受けて、評判が高くなったら商売に変えよう」なんてまんざらでない雰囲気になってきた。

 しかし、毎回同じような感想で恐縮だが、デジタルの世界では素人とプロとの境界がどんどん低くなって、素人が何にでも進出できるようになってきた。
 技術破壊とも、価格破壊ともいえるが、ちょっとした写真の腕と、これもちょっとした編集技術と美的センスがあれば、出版会社にしかできなかった写真集ができてしまうのだから恐ろしい。

 そしてなによりそれを後押ししているのがGoogleという世界最大級の企業なのだから世界の流れは決まったも当然だ。
 Googleのピカサは実に使い勝手のいいソフトで、フォトショップのような面倒なことがまったくない。しかもただなのだから涙が出てしまう。ソフトを金を出して購入する時代は終わろうとしている。

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(19.5.1)体力向上策はあるか

 バリ島から帰ってきてからは、はっきり行って体調が良くない。特にインフルエンザをひいてからはめっきり身体が弱ってしまった。清掃活動をした後などは、1時間ぐらい寝ていないと体力が回復しない。

 マラソンをしても同じで、1時間位は必ず寝ている。あまりに愚だ愚だしているので精神的にも落ち込んでしまった。本音を言えばブログを書くのも大変つらい。精神的に高揚しているときは些細な出来事でも行幸のような気持ちで報告できるが、落ち込んでいるときは逆回転する。

 人生において意義あることは何のないのではなかろうか、などとひどく厭世的になってしまう。「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくと ・・・・」すっかり鴨長明になってしまった。

 こんなときは難しいことは一切やめて楽しく生活していると、そのうち気分も晴れてくるのだけれど、引退生活者でもいくつかのしがらみを抱えている。
小学校のボランティアは週2回だし、里山開発は月2回、鎌取駅の清掃が週1回、走友会の練習が週2回、そして何よりきついのが、毎日行っているブログの作成と、四季の道の清掃作業がある。

かみさんから「定年退職者なんだから、義務感にかられて何かする時代は終わったのよ」といわれるのだけれど、サラリーマン時代の習性からなかなか抜け出すことができない。

 それでも元気なうちは、馬力で押し通してきたが、病気になって馬力もなくなってしまった。対応策としては静かにしているのが一番だと分かっていても、じたばたしてしまう。

 今日は、そばの泉谷公園の坂道を利用して、坂道走のトレーニングを再開した。標高差が30m、長さ300m位の坂道があって、樹木が茂っているため、森林の中を走っているような気分になれる。
 ここは、かつての私のトレーニングコースで、特にスピードプレイをするときには、ダッシュ20本程度をこなしていたことがあった。

 今はかろうじて、坂道を走っているというのが実情で、ダッシュも10本程度しかできないが、それでもこれをすると、なんとなく気分が高揚してくる。幸いに今日も少しばかり、気持ちがハイになった。この連休を機会に何とか身体を作り直して、ランナーの体型に戻り、気力を充実させたいものだ。

 ブログを書いていたら、まだ、現役のサラリーマンだった時代にを持っていたことを思い出した。それは60歳になっても、フルマラソンを3時間半で走れる夢だったのだが、すっかり忘れていた。実際、3時間半で走るのは大変な努力が必要で、私の場合は月に300km程度走らないと、このレベルに到達できない。
 「走友会に入ったのだから、もう一度夢に挑戦しよう」なんて、このブログの書き出しとはまったく違った結論になってしまった。

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(19.4.30)村田川のこいのぼり

429_001  毎年この時期の年中行事として、村田川のこいのぼりを見に行っている。ここ鎌取からはちはら台を経由して、山を降りたところに東から西に向かって村田川が流れている。

 清流というわけにはいかないが、土手に沿って遊歩道が整備されており、ジョギングやサイクリングには楽しいところだ。川に沿って下っていくと東京湾まで到達できる。
 私は鎌取に14年間住んでいるが、散歩をしていて偶然この村田川のこいのぼりを見つけた。それ以来、毎年この時期になるとこいのぼりを見に行っている。
 元気の良かった頃はジョギングで見に行ったものだが、だんだんと体力が衰えて、最近は自転車を愛用している。

 自転車のよさはいくらでも足を伸ばせることで、今日はさらに土気まで足を伸ばした。昭和の森公園でつつじを見て、さらに大網の近くまで行って帰ってきた。大網あたりまで来ると千葉の古い農村風景が実に美しい。ちょうど田植えの時期にも当たっていて、農家の方がトラクターに子供を乗せて田起こしをしていた。

 実を言うと私は村田川から土気に行く道路に詳しくない。したがってすべて感に頼って土気方面に向かって自転車を走らせる。そのうちになんとなく土気の街並みが見えてきて、なんとなく到着する。
 帰りは道を間違うとつらいので、大網街道に沿って帰ってくるが、この大網街道だけは走るたびに憂鬱になる。

 おおよそ、自動車以外の交通手段は存在しないかのような道だ。有るかないかのような歩道を自転車と人が懸命にすれ違っており、ちょっと油断すると自動車と接触してしまいそうだ。
 今後は何とかして大網街道を通らずに昭和の森公園までいけるルートを確立しようと思っている。

 今日は久しぶりに自転車に乗って、とても楽しかった。歩きや走りと違ってほとんど疲労感がないので、どこまでも足を伸ばせるのが嬉しい。しばらくサイクリングを楽しむこととした。

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(19.4.29)里山開発進む 都川調節池

小谷小学校の前に広がる、都川源流の里山開発は順調に進んでいる。特にリーダの I さんの熱意はすさまじく、時間があれば里山に入り込んで遊歩道の整備にいそしんでいる。
 会の定例の作業日は、月2回であり、4月22日には、7名の参加者を得て作業を進めることができた。
私は、あいにくインフルエンザで寝込んでいたため、参加できなかったが、I さんの活動報告によると以下のようだった。

天気: 曇り / 強風。 
気温: 20度。 
参加者: 計7名。  
時間: 1300~1500 
活動内容: 
① IHさん⇒チェンソーで枯れ木(気になっていた管理道路際の赤松含む)伐採、
②U
さん⇒草刈機で「上の道」(仮称)の拡幅・整備

③Sさん・Hさん⇒草刈機と剪定ばさみで管理道路際斜面のササ刈り、
④Kさん⇒自前の草刈機で管理道路際の下草刈り、
⑤INさん⇒自前の熊手で管理道路際のササ片付け、
⑥I さん⇒調整的作業であっちこっち。 

 チェエンソーと草刈機を県の地域整備センターから借り入れることができたため、作業が思いのほかはかどったといえる。
 里山の中に里山を一周する遊歩道がほぼ完成し、簡単に歩けるようになっている。ただし、水辺近辺にやや危険な箇所があって、そうした場所の安全性を確保してから出ないと、一般の人の出入りは、まだ認められそうにない。

 先日、小谷小学校の校長先生が調節池を眺めていた。話を聞くと
こんな環境のいい場所があるのだから、子供たちの散歩道にしてもいいのではないかしら」と考えていたのだという。
 調節池の周りの道は約1kmだが、いままで学校では「調節池は基本的に入ってはいけない場所」と認識していたのだという。
都川源流の再生をはかる会が、この場所の整備を行っているので、そのうちに自由に遊べるようになりますよ」と伝えておいた。

 次回の定例作業日は5月9日(水)午後1時から3時までの予定。里山開発に興味のある方は是非参加してください。参加はまったく自由です。ただし、長靴と手袋は必須で、自分が作業をする道具を持参していただければ結構です。

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(19.4.28)パソコン教室が変わってきた

 パソコン教室というとどんなイメージを描くだろうか。私の場合は特定のビジネスソフト、たとえばワードやエクセルやパワーポインントをある一定時間でマスターさせる場所だと思っていた。
実際、そのような教室もあるのだけれど、最近の動向はビジュアル系ソフトの指導に完全に移ってきたようだ。

 第一に、パソコン教室に通う層は、もはやビジネスマンが主体ではない。私のような定年退職者や主婦が主体で、ビジネスソフトなど普段の生活では使用しない。
 一方、デジタルカメラを片手に四季の道を写しては、フォトショップのようなソフトで編集処理を行い、それをブログで公開するような需要が高まっている。
ねえ、見て。春の道の桜、きれいでしょう

 デジタルカメラの普及は、従来のような写真愛好家でなく、編集処理をしてより美しく、印象的に写真を見せる編集愛好家を育て始めている。実際編集処理を行ってみるとわかるが、写真は編集によっていかようにも見せることができる。
 この編集愛好家の出現に、企業も対応を模索しており、たまたま私が通っているパソコン教室では、とった写真を編集するだけでなく、製本して写真集にしてしまうフォトバックというソフトの教習を行っている。

 写真集そのものは、専門の業者が製本にして郵送してくるのだけれど、編集作業や、レイアウトの検討、文字の入力等はすべて自分で行うので、なかなか楽しい。一昔前だったら、写真集を出すとなると大事だったが、このフォトバックというソフトを使用すると、一人ですべて作業ができて、1冊、約2000円で写真集が出来上がる。

 前にも書いたが、ブログという技術で個人が一人で、小説やシナリオや評論を発表することができるようになり、またフォトバック(これは一般的に認知された言葉ではない)という技術で、写真集まで作成できるようになってしまった。
 ただし、上手な写真集を作り上げるには編集技術の習得が必須だが、これは技術というよりセンスの問題といえる。日ごろからアルバムをまともに整理できない人はあきらめたほうが良い。

 デジタル技術の向上に伴い、デジタル化された商品の価格破壊に毎日驚いていたら、今日、その反対の意味で驚いてしまった。デジタル革命と無関係の分野では、価格上昇が起こっているのだタクシー料金の値上がりについてである
 私などは、この世界はただに収束していきつつあると思っていたので、値上げと聞いて、思わず「うそだろう」と叫んでしまった。どうやら世界は価格が傾向的に低下するデジタル分野と傾向的に上昇するアナログ分野があることがわかった。

 私のような定年退職者はデジタル分野の恩恵を一心に受けながら生活するのが賢い生き方だ。間違ってもタクシーなんかに乗らないようにしようと決心した。

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(19.4.27)チューリップを咲かそう  我が家の庭

426_0031  我が家の毎年の行事がある。それはこの時期に庭の花壇いっぱいにチューリップを咲かせることで、そのために毎年12月に、目一杯球根を植えうけておく。
 イメージとしてはオランダのチューリップ畑だが,残念ながらそんな広さはない。しかし通りがかりの人が目をとめてくれる程度には美しい。
本当にお庭のチューリップがきれいですね」といわれると有頂天になってしまう。

426_0021  実は我が家のガーディニングは約8割が娘が行っており、私の参加率は2割程度に過ぎない。かみさんはとおの昔にガーディニングから手を引いてしまった。

 昨年の12月、娘と私はグリーントップでチューリップの球根を大量に仕入れ、今年の植栽計画を練った。
 何年かの試行錯誤の結果、色は統一するのが良いことが分かっていたので同じ種類の球根を植えたが、今年は昨年に比較し鮮やかさが劣った。

426_0051  原因は、色を統一したまでは良かったが、メイン花壇のチューリップが中間色の薄紫色だったため全体にあせた感じになってしまったことだ。さらに残念なことに花の咲かない球根が大分あったことで、今年のチューリップはまばらだ。
一番目立つところのチューリップは赤や黄色や白のような原色でないとだめなのね。本当はもっと咲くと思ったけど土が悪いのかしら
 娘は期待はずれに終わった花壇を残念そうに眺めていた。

 今年は必ずしも成功しなかったが、園芸そのものは実に楽しい遊びだ。費用対効果の割合が非常に高い遊びといえる。1万円程度の球根や苗を買って植えておけば、翌年は1ヶ月ぐらいは楽しむことができる。
 サラリーマン時代の付き合費用1回分程度で、1ヶ月は遊べるのだから安い。

 さらに、土いじりは病気回復期のリハビリとしても最適だ。土をいじっていること自体楽しいのだが、身体に対する負荷も適度で、遊んでいるうちに体力が回復してしまう。
 私のリハビリの常套手段で、今日(26日)一日庭で遊んでいた。少し日差しが強かったが、空気が気持ち良かった。

 徐々に日常生活が支障なくなってきた。そのうちに病気をしていたことも忘れるようになるだろう。再びテンションがあがってきた。

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(19.4.26)ようやく身体が動いた

425  インフルエンザにかかって6日目でようやく回復した。腹の周りの違和感以外はなくなったので、思い切ってジャスコまで買い物に出かけた。 私の家からジャスコまではせいぜい1.5km程度だから、普段の私なら何気なく行く距離だ。しかし今回はネット4日間は寝込んでいたので、それなりの決心が要った。ちょうど歩き始めた幼児がどこまで歩けるか試行錯誤しているようなものだ。

 やはり疲労感があり、特に足が張ったのには驚いた。フルマラソンをした後のような感覚だ。しかしまずまずの結果に気を良くして、午後からはK小学校の草刈をすることにした。

 実はK小学校の南に面したつつじの植え込みは、私が前からどうにかしたいと考えていた場所だ。特に運動場に入る門に向かって右側の植栽はほとんど雑草で覆われて、つつじが少しも生長できない。半分はつつじが死に絶えてしまったし、残ったつつじも実に弱弱しい。
 このつつじの再生を本年度から実施することにしていたが、少し私が寝込んでいる間に、マメ科のつる草に表面が覆われて、今年もつつじの運命は風前のともし火だ。

 とりあえずつる草を払ってみたが、何しろ全体の半分はつつじが死んでいるので、この場所をどうにかしないと格好がつかない。予定では松葉菊を植えて、松葉菊の花壇にしたいのだが、天敵がいる。
 この花壇の上を遊びまわる犬がいて、昨年試行的に植えた松葉菊がすべて踏み荒らされてしまった。この松葉菊は我が家の松葉菊を移植したものだ。

 先日件の犬が花壇の上で遊びまわっていたので、犬の所有者に懇願した。
私は、この学校の植栽の管理者ですが、ここにはつつじと花が植えられており、犬がその上を遊びまわると植栽がだめになってしまいます。犬を花壇に上げないようにしていただけないでしょうか

 所有者は「分かりました」といってくれたが、例の犬は「俺の遊びにけちをつけるな」と私に吠え掛かっていた。
 犬から見たら単なる荒地で、所有者もここが花壇で管理している人がいるとは想像していなかったに違いない。

 実際、いったん枯れた場所を元に戻すのは大変な苦労がいる。金をかけて植え替えれば簡単なのだが、なにしろただで元に戻そうというのだから苦労が絶えない。

 まあ、今日はリハビリだ。壊れた中古車が修理を終えて、試運転をしているようなものだから、つる草が除去できただけでもよしとしよう。
 明日からは少しずつもとの生活に戻れるように再訓練だ。

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(19.4.25)インフルエンザ再掲

 まったく申し訳ないのだが、毎日寝ているだけなので、ブログに記載する内容は、病気の経過報告しかない。
インフルエンザはようやくピークを越えたらしい。頭痛も時折する程度になり、喉のいがらっぽさもだいぶ引いた。身体の節々の痛みも胸の辺りに集中するようになった。
胃がひどく痛んでいたが、ようやく食べ物を受け付けるようになった。ひところに比べると大改善だが、気持ちとしては相変わらずブルーだ。

 ここで無理をするとまたぶり返しが来るので、今日はK小学校のボランティアは休んだ。実はK小学校のフケイの方から、ペンキ塗りの作業をて手伝ってほしい旨、言われていたのだがこれもキャンセルせざる得なかった。

 人間病気になってみると、「普段なんであんなに元気で動き回っていたのだろうか」と不思議な気持ちになってくる。今は起き上がるのさえ一苦労なのだから、四季の道の清掃活動なんて「夢のまた夢」になっている。

 実は何名かの人からコメントやメールで病気見舞いをいただいた。本当にありがたく思っている。我が家の亀以外にも、私の健康を気遣ってくれる人がいることを知ってうれしくなった。

 私は普段、健康そのもののような人間で、外から見ると非常にエネルギッシュに見える。人間はみな自分と同じだと思ってしまうので、たまには病気をしないと病弱な人の気持ちが理解できない。今回はいい教訓としよう。

 それにしても、今回のバリ島のインフルエンザには驚いた。日本のそれとはだいぶ様相が違う。一番の違いは熱が出ないことで、日本のそれは38度から39度の高熱が出てうんうんうなってしまう。

 二番目に咳きも出ない。だから見た目にはただ体調を悪くして寝ているだけに見える。しかしそれ以外については典型的なインフルエンザの症状が出て、猛烈な頭痛、関節の痛み、鼻づまり、胃の不調が主な症状だ。こうした症状が同時平行的に発生する。

 前にも書いたが、異国の地に行くと現地の特有の病気にかかってしまう。若いうちは肉体が丈夫だからさして問題が起こらないが、私くらいの年齢になると大事になってしまう。
年配者が旅行を嫌い、慣れた環境から一歩も外に出ない理由がわかった。間違いなくそれが一番安全だ。

 思い余って「今後は鎌取から一歩も外に出ないぞ」と決心した。

ロドリゴからローマ法王庁へ

 ローマ暦、2007年4月25日。長らく病床に臥していた痴呆との評判が高かった鎌取城主山崎次郎殿は、この病の原因が南蛮渡来によるものという悪魔のささやきに魂を奪われました。その結果、今後南蛮人の渡来および鎌取からの南蛮への渡航を一切禁止する触書を発布しました。

 また、すでに鎌取に定住しているパードレについても30日以内に鎌取退去を命じ、セミナリオも閉鎖されてしまいました。われわれパードレは、仕方なく隣接のちはら台に活動の拠点を移し、主の教えを広める覚悟です。

 それにしても このような措置は神を恐れぬ暴挙であり、山崎次郎殿は必ずや地獄の業火に焼かれるであろう事はまちがいありません。

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(19.4.24)インフルエンザに悩まされている

 バリ島のインフルエンザは日本のそれよりも軽いと見ていたら大違いだ。金曜日からずっとこめかみがずきずきと痛み、胃は荒れてほとんど食べ物を寄せ付けない。骨という骨がぎしぎし痛み、皮膚はやたらと敏感になって下着を着るのも一苦労だ。

 そのうちに改善するだろうと待っていたが、月曜日の今現在でも、こめかみの痛さがなくなっただけであとは改善の兆しが見られない。
ここ4日間は毎日寝ていたのだが、節々が痛んでいるときはまともに寝ることもできない。何度も寝返りを打って身体が布団に接触する面を代えなければ痛くて我慢できないのだ。

 昔、「一日中寝ていられたらなんと幸せなことだろう」と思っていたが、それは健康なときのことで、病気のときに寝ているのは苦痛以外の何者でもない。

 おかげで、ここ4日間は清掃活動も、RUNも、里山開発も、パソコン教室もすべてキャンセルしてしまった。こうした活動も健康なればこそ可能で、病気になると一気に何もできなくなることを再確認した。

 本当はブログを書くのも苦痛なのだが、毎日書くと決心した手前、懸命にパソコンに向かっている。
実は今回はあまりに症状が優れないので、死を覚悟した。
「主はこのロドリゴを主の身元にお招きになさろうとしているのでしょうか

 息子と娘は「医者に行ったほうがいいんじゃない」と言ってくれたが、症状が重いときに医院の待合室で何時間も我慢するのは苦痛だ。医者に行くためにはそれなりの体力がないといけない。

 かみさんは「若くないのにみんなと一緒にシュノーケルなんかするからよ」という。病気のときぐらい優しい言葉がほしいのだが、かみさんは「水に落ちた犬は、棒でたたく」タイプだから期待するほうがどだい無理だ。

 実際肉体の限界に近づいてきた。明日、まだ回復の兆しがなっかたら「主のみもとに参る」覚悟をしよう。

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(19.4.23) 陸ガメがいる カメゴン参上

415_009  ひょんなことで我が家で陸ガメを飼うことになった。身長30Cm、高さ 13Cmもある立派な亀だ。この陸ガメは今まで息子が飼っており、新婚旅行の期間中預かっていたのが、情が移り我が家で飼う事になったのである。
「親父、本当にいいのか

ああ、かまわないよ
 実を言うと、孫を預かって手放したくなくなった老夫婦のようなものだ。

 この陸ガメは息子が飼うまでに数奇な運命をたどっている。息子はこの陸ガメをあるアメリカ人から譲り受けた。アメリカに帰らねばならないが連れて行くわけにいかないので息子に頼んだのである。
このアメリカ人はやはり他のアメリカ人から国に帰るときに譲り受けている。そこまでは過去をたどれるのだが、その前のことは分からない。

 飼うにあたって息子に確認した。
ワシントン条約に違反してないだろうな
この陸ガメは種類が多く、原産地証明があれば自由に売買されている
 Googleで検索してみたがどうやら大丈夫なようだ。この年になって警察のお世話になることはなんとしても避けたい。

 私はペット飼った経験がない。子供の頃に我が家にも犬がいたが、それは番犬であり、ペットという感じから程遠かった。だから飼って見てびっくりした。かわいいのだ。毎日レタスをやるのだが、口を大きく開けて食べるしぐさが何ともほほえましい。

 庭に放してみたところ、嬉嬉として歩き回っている。芝やその他の植物を手当たりしだい食べている。やわらかければ何でもいいらしい。
このところ私は身体が優れないので、縁側に座って亀の動作を追っている。孫の面倒をみている好々爺のようなものだ。

 今までは、狭いダッシュボードに入れられて飼われていたが、庭に放つことによって足腰が丈夫になってきた。歩く速度がだんだんと速くなっている。外に出たいときはダッシュボードをがりがりこするので、すぐに外に出しやる。亀の気持ちも分かるようになった。

 60歳になって初めてペットを飼うことができた。ペットとはどのようなものか楽しむことにしよう。

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(19.4.22)体調が悪化した

 バリ島の旅行以来、身体の体調が今一歩だったが、とうとう本格的に風邪をひいてしまった。頭のこめかみがずきずきと痛み、喉の奥が腫れて、何も食べたくない。鼻詰まりもあるので寝てても呼吸が苦しい。
 身体の節々まで痛んできたので、まともに寝ていられなくなった。

 どちらかというとインフルエンザに近い。しかし不思議なことに今までかかったインフルエンザよりは症状が軽い。もしかしたらバリ島特有のインフルエンザではないかと思ってしまう。

 実は外国旅行をすると、今までに経験したことのない病気に見舞われることがある。
昔、タイに旅行したときは、ジュースに入っていた氷を食べたために、ひどい下痢に悩まされた。ほとんど水といってよい。もう少しで当局に届けようかと思っていたら1週間で回復した。届け出たら隔離されていたかもしれない。

 ロシアに旅行したときは、信じられないようなできものに悩まされた。根がやたらと深く、かさぶたをとると穴が開いていた。本格的な治療をして直ったときには実にほっとした。

 今回はバリ島の汚水を目いっぱい飲んでしまったので、何か起こりそうだと思っていたが、インフルエンザのような症状が出たのにはびっくりした。今はただただ、布団の中で寝ている。

 おかげでこの土曜から日曜にかけては何もできなくなってしまった。パソコン教室も走友会の定例JOGも取りやめだ。
 肉体だけが取り柄だったのにこれでは評判が泣く。

 しかしこうしたときに無理をして、症状をこじらすと、それを契機に肉体のレベルが一段階下がってしまう。老人に近づくと思えばよい。
肉体の衰えは、実は傾向的に低下するのではなく、何かの病気を機会に階段状に低下する。
何はともあれ静かに寝ていることにした。

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(19.4.21)コンピュータ教育の現場

 おそらく日本のコンピュータ教育の現状は世界的に見ても相当低いのではないかと危惧される。私のようなさしてシステム能力が高いわけでない人間が、このような結論を下すのはおこがましいが、そう思わざるを得ない現状がある。

 たまたま私はK小学校でボランティアを行っており、その一環で小学校のホームページの修正を依頼された。小学校のシステムがどのようなものか分からないと修正のしようがないので、先日から小学校のシステムを覗いている。

 ここで分かったことは、「システム環境」と「提供されているソフト」と、「教育現場」の間にひどいギャップがあることがわかった。アンマッチといっても良い。

 第一に学校のシステム環境の悪さには愕然とした。私が前に勤めていた会社ではすでに10年以上前から一人一台のパソコンが配置されていた。それでも先進的な会社から見るとひどく遅れているといわれていたものだ。
 一方小学校のパソコンで外部と自由にやり取りできるパソコンは、現在でも3~4台程度しか配置されていない。
 教職員全員で少なくとも30名はいる学校のPCの配置が、3~4台なのである。足らない分は自分のパソコンを学校に持ってきているが、ネットにはつながっていない。ワープロ代わりに使用している。

 一方教育用パソコンは20台配置されていて、これは県の教育委員会のサーバにつながっている。しかし一クラスの生徒数は40名前後だから、全員にいきわたらない。足らないところは工夫の範囲になる。

 第二に提供されているソフトについては、予想に反して十分なものがあった。ソフトは小学生や中学生向けに言葉やアイコンは修正されているが、マイクロソフトのワードやエクセルやパワーポイントやペイント等のジュニア版と思えばよい。キューブキッズといっている。

 また、県教育委員会が独自に作成したと思われる千葉県下の地理や歴史が学べるソフトもあり、教師用の教育ソフトもある。
 ソフトについては、足らないというよりはどれを使いこなしてよいのか分からないというのが実情だ。
 われわれがPCを購入したときについてくる付属ソフトのことを思い浮かべればいい。
こんなに有ってどうするの」という感じだ。

 第三本質的問題が残っている。
 コンピュータ教育にかかるマニュアルがないのだそうだ。教科書や教育指導要領がないと思えばよい。
 したがって教師は何をどのようなスケジュールで教えてよいか分からない。算数や国語を教えるようなわけにはいかないのだという。

 さらに問題なのは、教員に対するシステム教育が系統的に行われていないため、教員の間ではPC教育をするのを嫌がる傾向があるそうだ。
自分が分からないことを、どうやって子供に教えるの。場合によっては子供のほうが先生になってしまう
 教育現場に逆転現象が発生しているのだ。

 たまたま、私が見た4年生のシステム教育を紹介しよう。
PCの台数が20台で、生徒数は約40名だから、最初から数が合わない。   当初私は二人で1台使用するのかと思っていたら、一人1台の使用を希望する生徒がいて、10名前後があぶれることになった。

 このあぶれた生徒は隣の教室で図工のような作業をして、途中でPC操作を交代する仕組みだった。
 PC教育と図工教育が平行して行われていると思えばよい。教員は一人だから、どちらかの面倒を見ることになり、図工教室に行ってしまった。
PC教室はキッズソフトを使って自由にパソコンを操作しなさい」ということになる。

 生徒に自由のパソコン操作をさせるとどうなるか、私は興味を持ってみていたが、20台のうち5台がゲームをしていた。パチンコゲームがキッズセットの中にあってそれで遊んでいるのだ。
 もちろん残りの15台では、お絵かきや算数や図形遊びをしていたので、それなりに教育効果はあるのだけれど、パソコン教育でゲームはやはり問題がある。

 かつて私が勤務していた会社でも同じような問題があった。パソコンになじみのない人のために、マイクロソフトのゲーム(フリーセル、ソルティア等)が入っていたのだが、大の大人が仕事よりもゲームをして遊んでいた。人によってはマージャンゲームをインストールしてあそんでいた。 あまりに弊害が大きいので途中からゲームソフトをはずすようになったが、学校ソフトについても同じような問題がある。

 もう一つの問題点は、パソコン教育をするのにはアシスタントがたらないことだ。システム教育の場合、本当に面倒が見られる範囲は5名程度なのが普通だ。少なくとも新しいソフトを教える場合はそうなる。
 教員一人で20台を見させるなんてどだいできない相談だ。だから教員はあきらめて、勝手にパソコン操作をさせて、自分が管理できる図工の面倒を見ているのだろう。

 これでは、日本のシステム教育は世界から劣後してしまう。システム教育と称して遊んでいるのと同じだ。システムも国語や算数と同じように系統的なトレーニングが必要なのだ。最低限メールやWeb検索やワードや表計算が扱えなければ、社会人になれない。

 システム教育については、見直すべき課題が山積しているといってよいことを知った。

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(19.4.20)失敗記 その7

415_026  何度かトライをした。自分としては十分に努力をしたこともある。それでもどうしても到達できない壁のようなものがあった。英会話の能力のことである。

(英会話の巻)

 英語、わけても英会話のことについて話すのはつらい。なぜこんなにも無能なのかという話になってしまうからだ。息子や娘を見てみると、高校や大学の成績は良いとはお世辞にも言えないのに、楽々と英語を話している。

 私は子供たちに比較して学生時代の成績は良かったし、英語の読解力はそこそこあるのに、英会話となるとまるで児戯に等しい。読むことはできても会話ができないという、日本英語教育の典型的な生徒になってしまった。

 自分の欠点は十分に理解していたので、英会話の訓練もかなり実施した。NHKの英語番組は欠かさず見たり、NOVAのような英会話教室に通ったり、一時はウォークマンで英会話のテープを会社の行き帰りに聞いていた。

 特に私が勤務していた会社は、海外に数支店を持っており、国際関連の取引が活発だったから、英語の習得を熱心に支援した。
 はっきり言ってしまえば、「会社のもっとも日のあたる場所で仕事をしたいのなら、英語、わけても英会話の能力を磨け」ということだ。

 私もサラリーマンだから、何とか英語の能力を認めてもらい、国際畑で仕事がしたかった。私のいた会社ではトッフルリーディングヒアリングのテストが行われており、ここで最低でも600点を取ることが、国際畑で仕事をする条件になっていた。しかしどんなに努力しても私の成績は500点前後にとどまった。

頭が悪いのかしら、耳が悪いのかしら
 実を言うと、私の右耳は真珠腫性中耳炎の手術をした後、極端に聴力が落ちている。左の耳もあまりよくない。原因を頭の悪さにするのはつらい。耳が聞こえないことが原因とすることにした。

耳が悪いのに無理するのはよそう。英語ができなくても会社を追い出されるわけではない。今の部署に骨を埋めよう

 その後、英語のことはすっかり忘れていた。私のいたシステム部門は、国際系システムを除いて、英語はほとんど必要なかったせいもある。そうして、定年退職を向かえた。昨年のことである。

 しかし、人間の運命とは分からないものだ。息子がオーストラリアの女性と結婚したために、親戚がオーストラリア人になってしまった。
 こうなると耳が悪いので、英語など知らないなんて威張っていられない。早い話が結婚式では愛想良くオーストラリアの親戚と話をしなければいけなかったし、その後のe-mailのやり取りもある。

 息子のよめさんは日本語がたどたどしいので、英語でコミュニケーションをとらざる得ない。息子の友達もオーストラリア人が圧倒的に多いので、会話は英語だ。
しかも信じられないことに、嫁さんのお母さんが日本語の勉強を始めた。70歳である。60歳の私が弱音を吐くわけには行かなくなった。

もう一度、がんばろう。何とかして最低限のコミュニケーションがとれるレベルを目指そう。そうしないと親戚とも会話ができない
 そう決心して、日常英会話の本とCDを買ってきた。今度は英会話をしなければならない必然性が高いので、うまく行くかもしれない。
 嫁さんのお母さんと競争だ。

 そんな望みにかけて最後のトライをすることにした

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(19.4.19)四季の道が荒れてる

415_004  1週間ほどバリ島に旅行して、清掃活動をしていなかったら、「四季の道が荒れてる」との話を聞いた。昨日のことである。

 実はこの日曜日の朝には日本に帰っていたのだが、帰った日はふらふらで、一日中寝ていた。翌日はさすがに清掃活動を再開したが、ゴミの量が多かったので、私が住んでいる夏の道を中心に清掃を実施した。

 火曜日の午前中はいつものように K小学校のボランティアをしていたが、いつも四季の道で会うご夫婦に会い、質問された。
四季の道にゴミが散乱していて、いつもの美しさがないが、清掃はやめたのですか。小学校のボランティアにかわったのですか

 私は、ここ1週間ほど旅行していた旨説明したが、どうやら相当四季の道にゴミが散乱しているらしい現状を把握した。
ほっておく訳にいかない。午後は四季の道を清掃しよう

 いつもの、夏の道から秋の道にかけて清掃しはじめたが、KS電気の前の公園で頭を抱えてしまった。大量のダンボールが水を含んで放置されていたのだ。
このダンボールは子供たちがこの公園で、草すべりをするときに下に敷くのだが、そのまま放置されるので、いつも私が片付けていた。しかし今回の量は半端でない。なんでこんなにダンボールが必要なのか理解に苦しむくらいだ。おそらくご夫婦はこれを見て、「荒れている」といったのだと思う。

 45Lのゴミ袋いっぱいに詰め込んだが、それでもまだ残っていたので、そばにあったビニール袋にも詰め込んで帰宅することにした。水を含んだダンボールは重たい。全部で20Kgを超えていたと思う。
30mぐらい歩いては、呼吸を整えなければならなかった。家までは約1.5km位あったので、さすがにため息が出た。

 正直言うが、旅行をした後の清掃活動はつらい。気持ちがまだ旅行気分で気乗りがしないのと、一方ゴミは1週間分がたまっているのでいっぺんで回収できない。連休あけの清掃車のような状態になってしまう。

 今日(水曜日)の清掃は、前日ダンボールは片付いていたので、四季の道を一周できたが、壊れた傘の放置が多いのには閉口した。雨が多かったのだろう。後ろのリックに4本吊り下げて清掃活動をしていたところ、知り合いのHさんに会い、質問されてしまった。
山崎さん、後ろになんでこんなに傘を吊り下げているのですか

 唯一の救いは、清掃活動仲間の I さんのテリトリーだけは美しく清掃されていたことだ。この場所にくるといつもほっとする。

 しかし、それにしても私が1週間旅行するだけで、四季の道が荒れてしまう現状は憂慮すべきだ。私が生きているうちはいいが、死んだらどうなるのだろうかと思うと、おちおち死ぬこともできない。できの悪い子供を持った親のような気持ちになってしまった。

 20XX年○月○日 毎朝新聞 「最後の清掃人死去」

 最後の清掃人と呼ばれていた山崎氏(90歳)が、本日老衰で死亡した。四季の道については、同僚の I 氏が80歳で死去したあと、一人で清掃活動を実施していた。しかし日ごとに体力の衰えが目立ち、最近ではペットの亀に引っ張られながら清掃活動をしていたという。

 見取ったカメゴンの話によると、山崎氏の最後の遺言は「後継者がほしい」だったそうだ。カメゴンが「私が後継者になってもいい」との意思表示をしたが、山崎氏が「ありがとう、気持ちは嬉しいが人間社会のことをカメゴンに面倒かけられない」と涙ながらに断ったのだという。

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(19.4.16)シナリオ 友よ風に向かって走れ(その8)

このシナリオシナリオ1からの続きです。恐縮ですが、シナリオ1・2・3・4・5・6・7を読んでいない人は1・2・3・4・5・6・7から読み始めてください。

長い間シナリオを読んでいただいて感謝いたします。実はこの間私はバリ島に旅行に行っておりました。息子の結婚式に出席するためです。明日からはまた、いつものブログに戻す予定です。

○ 大手町の地下鉄(夜10時)

  A銀行からの帰りの山崎。前を歩いているイザベラを見つける。かなり急いでいる様子。走って追いつく山崎
山崎「(遠くから)イザベラさーん、イザベラさーん、いま、お帰りですか。おそいんだなあ」
イザベラ「ええ」
山崎「どこに住んでいるんですか、ホテルですか」
イザベラ「銀行の寮にいます。お金ありませんから」
山崎「寮に帰るのですか?」
イザベラ「(困ったように)いえ」
山崎「あれ、じゃ、六本木のスナックかなんかでバイトするのかな(ふざけて)」
イザベラ「(顔つきが変わる)貴方は、フィリッピン人、すべてバーかスナックで働いていると思ってるのでしょ。町で会う日本人、みんなそう言います。でも私、違います」
山崎「いや、いや、困ったな、冗談ですよ。イザベラさんが当行の研修生だということは良くしってます(動揺して)」
イザベラ「私、これからどこにいこうとしているか、あなた分かりますか?」
山崎「あっ、いや、全然」
イザベラ「貴方はフィリッピン人がなにを考えながら、日本でいきているか考えたことありますか」
山崎「あの、いや、申し訳ないけど考えたことない」
イザベラ「それなら、これから私と一緒に来てください。教えてあげます」
山崎「あっ、はい」
  怪訝そうにイザベラの後をついてく山崎

○ 六本木の教会(夜11時)

  タガログ語によるミサが始まる。フィリッピン人の男女が200名位集まっている。

  神父による説教。すすり泣きをはじめる。 男女。イザベラの目にも涙。山崎は何が話されているか理解できない
山崎「(申し訳なさそうに)なにをいってるの?」
イザベラ「ララという15才の女の子の話です。ララは観光ビザで日本にやってきました。新宿で働こうとしましたが、あまりに 身体がちいさいので何処も相手をしてくれません。しかたなしに町を歩いているとオートバイに乗った日本人に声をかけられました。ララはその日本人のバイクに乗りました。連れていかれたとこ、多摩川です。そこにバイクにのった他の日本人がいて、みんなでララをもてあそぼうとしたのです。ララはにげようとして多摩川に飛び込みました。でもララはあまり泳げなかったのです。途中でおぼれて、死にました」
山崎「知らなかった。新聞にものってないよ」
イザベラ「日本人にとって、フィリッピン人の女の子、一人死んでもマスコミに乗りません」

  賛美歌の歌声

○ いつもの喫茶店(昼休み)

  山崎と久子が重苦しい雰囲気で話し合いをしている。

山崎「いくら、電話してもでてくれないし、でてもすぐに電話きっちゃうし、怒ってるのかい?」
久子「そうだよ」
山崎「しかし、当行に陸上部ができたなんて実にすばらしいじゃないか。怒ることないよ。君も一緒に入ろうよ」
久子「当行? そんなものにとらわれて、強くなれると思ってんの(軽蔑をこめて)」
山崎「いまは、企業スポーツの時代さ。安心して運動するには企業にスポンサーになってもらわなくちゃ。それでなきゃなにもできないよ」

久子「ふん、いっぱしの口きくじゃん。二流の選手のくせして。会社止めて、二人でがんばろうといったときのほうが、もっと目がひかってたよ」
山崎「(カッと怒る)二流とはなんだ。ぼ、 僕は一流だ。青梅マラソンで優勝したじゃないか。なんだ、君は、僕にW大のコーチがついたんで、妬いてるんだろう」
  黙って、山崎の顔を見る久子
久子「ふとった豚に用ないよ。さようなら、それだけだよ」
  席をたつ久子。横を向いている山崎
山崎「(独り言)もう、絶対に電話なんかしないぞ」

○ 斉藤久子の下宿(夜)

語り「でも、僕は気になって彼女の下宿にいったんだ」

  二階建ての小さなアパ-ト。その二階の6畳、台所だけのちいさな一室。ステレオから、静かな音楽がながれている。写真帳を見ている久子。白馬の合宿。青梅マラソンの写真。窓をあけ夜空をみる久子。山崎が窓の下の暗がりから久子を見あげている。

久子 「(独り言)いつも一人でいきてきたんだ。まけるもんか(おもわずすすり泣き)」
  山崎が暗がりからでで、やや躊躇しながらも、にこやかに手で合図する。
山崎「やあ、斉藤君・・・」
  きっとした表情で山崎を見る久子。しばらく睨んだあと、下に唾を思いっきりはく。
久子「帰れ、豚ヤロウ!」
  窓を乱暴に閉める久子。頭にくる山崎。
山崎「なんて、やつだ。あれが女のすることか。ざけやがって・・・」

○ 山崎次郎の独身者寮(同日、夜)

  壁にフィリッピンの国旗、その下にイザベラという文字が大きく書いてある。鏡のまえで筋肉トレーニングをしている。
  したたり落ちる汗。ロッキーのテーマソングの強烈なビート。調子に乗って時々 「イエーイ」という言葉がでる

山崎「よーし、体調万全、明日から頑張るぞ。W大万歳、川口コーチ万歳、フィリッピン万歳。打倒、久子。あのこうまんちきな女の鼻をあかしてやる」

○ 神宮外苑コ-ス(昼)

  山崎が独りでトレ-ニングに励んでいる。快調なスピ-ド

語り「僕は本格的なトレ-ニングをまえに、外苑コ-スで調整していた」
  コ-スの途中でイザベラが山崎を待ちかまえている。手を上げるイザベラ。気付く山崎。止まる
山崎「どうしたの、なぜここにいるの?」
イザベラ「山崎さんにあいに!この間、教会にきてもらったのに、お礼も言ってなかったので」
山崎「はは、そんなこと、気にしなくてよかったのに。それよか、今日は研修はないの?」
イザベラ「山崎さんに会うので休みとったの」
山崎「はは、それはすまないな(思いっきり陽気に)」
イザベラ「食事作ってきたの,サンドイッチ食べてください」
  サンドイッチを袋からとりだすイザベラ。 包みを受け取る山崎。
山崎「今日は軽い調整をしてるだけなので、練習は止めるよ。むこうの芝生で一緒に食事しよう!」
イザベラ「止めていいの?」
山崎「いいさ」
  イザベラの肩に手をかけ、促す山崎。嬉しそうに山崎の顔を見上げるイザベラ。

○ 神宮外苑の木陰(同時刻)

  久子が、遠くの木陰から山崎とイザベラを見ている
久子「(顔に怒りの表情)なんだい、大いに反省したから、こおして謝ろ
 うと思ってきたのに・・・・・」
  肩を組んで芝生に向かう山崎とイザベラ
久子「一流のランナ-になるまでは色恋抜きにしろとあれほど言ったのに・・・、まったく、指示をまもらないなんて、なんてやつだ」
  楽しげに食事をしている二人。踵をかえして、木陰を立ち去る久子。胸をはり、昂然とした姿勢で去る。
久子「ふん、所詮、あいつはあの程度の人間だったんだ。ちょっとでも目を離すとさかりの付いた犬になる。みていろ、絶対に一流ランナ-になれないぞ」

○ 帝国ホテルでの発会式(外は雨)

  頭取、上原取締役、支店長、水谷課長、川口監督、山崎等関係者全員が集まっている。山崎は新品のトレーニングエェアを着ている。新聞社、テレビ局、数人の 国会議員。A行のイメ-ジガ-ル、人気女優の伊藤京子も出席している。
司会者「では、A銀行陸上部の発会式にさきだちまして、当行の頭取でもあり、陸上部の総監督でもある岩田頭取から、一言挨拶をお願いいたします」
  万雷の拍手
頭取「(満身笑みを浮かべて)御来賓のみなさまお忙しいなか、私どもの陸上部発会式にようこそおいでくださいました。主催者側を代表してあつくお礼もうしあげます」
  会場を満足げに一瞥する頭取
頭取「当行におきましは、社会的に価値があり、かつネームバリューをあげる方策が種種検討されてきました。幸いにも、この度、当行を代表するマラソンランナー、山崎君が青梅マラソンで優勝しました」
  全員の目が山崎に集まる
頭取「このを機会に、W大より、数々の名選手をそだててこられた川口氏を監督にむかいいれここに正式にA銀行陸上部を創設することにいたしました。では川口監督を紹介します」
  万雷の拍手。そのなかを自信満々に壇上に登る川口監督。伊藤京子から花束贈呈

  川口監督のスピーチ
監督「ただいま、紹介にあずかりました川口です。W大では、数々のオリンピック選手を育ててきたました。そのために私は死にものぐるいの努力をしてきたと自負しております。私、W大で実戦したトレーニングは・・・・」
  川口監督のスピーチをじっと聞いている 山崎。その肩を軽くたたくイザベラ。振り向く山崎。
山崎「きてたの?」
イザベラ「私もよばれたの。(ひと呼吸おいて)本当はどうしても来たかったの」
山崎「あ、どうも有り難う」
イザベラ「神宮外苑の練習は?」
山崎「このところパーティーが多くて、あまりできない」
イザベラ「あなたのコーチの女の人とは練習してないの?」
山崎「あっ、いや、あのひととは止めることにしたんだ。今度はいましゃべっているW大の川口監督になる」
イザベラ「どうして」
山崎「その、川口監督の方が技術的にうえだし、それに彼女、僕とトレーニングするのもうやだというんだ」
イザベラ「喧嘩したの」
山崎「あっ、あの、本当のこというと、二人でこの会社止めてトレーニングすることにしたんだ。そしたら、急に会社から陸上部つくるので、キャプテンになってほしいといってきたんだ。僕は賛成したんだけれど彼女はいやだというのだ」

  イザベラの悲しそうな顔

  急に山崎の肩が強く叩かれる。振り向く山崎。川口監督がたっている。壇上では国会議員の挨拶に変わっている
監督「君、君が山崎君だろう?」
山崎「はあ、そうです」
監督「はあ、そうですはないだろう。僕は君の監督だよ。まっさきに挨拶にきてもらいたいもんだね」
山崎「あっ、気がつかず、どうもすいませんでした」
監督「君、さっき、僕の話聞いてた? そこの外国の女性と話をしていて、聞いてなかっただろう」
山崎「あっ、いえ、ちゃんと聞いてました」
監督「なら、私のしゃべった科学的トレーニング法を説明してみたまえ」
山崎「・・・・・」
監督「みたまえ、なにもきいてないじゃないか。いいかい、君、僕が目指しているのはそこいらのちっぽけな大会で優勝する事じゃない。オリンピックで優勝する、これだけだ。これからは、W大の優秀な選手をどしどし入れる。いいかね、僕がW大をやめてここにきたのは、大学から社会人までの一貫スポーツ教育を実施するためだ。そのなかからオリンピック選手を作りあげる。それが目標だ」
山崎「はあ・・・」
監督「君、君は私からみれば、しょせん外様だ。私の科学的トレーニングについてこれないようでは、それなりの覚悟をしてもらわないとね」
山崎「(むっとして)覚悟とはどういう事ですか?」
監督「その言葉どおりさ」

  睨みあう二人
イザベラ「山崎さん、高地トレーニングしてます。それに風の対策も十分にしてます、私、ききました。そうでしょ」
監督「(軽蔑したように)あはー、高地トレーニング。それに風圧トレ-ニングかね。君が斉藤某とかいう女性コーチとしてたというアレかね。聞いたよ。下らないね、実にくだらない。なに、高地トレーニング! 3000メートルの白馬岳でしていたんだって。馬鹿じゃないか。いいかね、高地トレーニングは2500メートルの高度が最適なんだ。それ、以上でも、以下でもだめだ。風圧トレ-ニングだと、えっ25メ-トルの風のなかで走った?馬鹿か!飛行機じゃないんだ。いいかね、その女性はコーチでもなんでもない。ただの、スポーツ気違いのヒステリーだ」

山崎「斉藤君の悪口をいうのは止めてください。彼女のおかげで青梅マラソンで優勝したのです。白馬岳の高地トレーニングは私にとり、何よりも有効なトレーニングでした。風圧トレ-ニングで風を克服することができました。取り消してください」
監督「(気色ばる)何! 何を馬鹿なことをいうか。なぜとりけす必要がある。素人のトレーニング方法ですこしうまくいったといって自惚れるな」
  騒然とした雰囲気になる。はらはらして聞いていた支店長があいだに割ってはいる。
支店長「まあ、まあ、今日は重要な発会式でしょう。お客さんも大勢いらっしゃるんだし。そんな、大声をだすのは、ね。・・・山崎君、君も大人になりなさい」
山崎「はあ(しぶしぶ)」

イザベラ「(山崎にむかって)なぜ、だまるのですか。なぜ、主張しないのですか。その女の人をなぜまもってあげないのですか」
支店長「(怒鳴る)君、君は研修生の分際で余計なことをいうんじゃない。これはわが社の問題だ。君は部外者でしょ」
イザベラ「私はその女の人のためにいっているのです。人間としていっているのです」
支店長「馬鹿な、話にならん。山崎君、君がいつまでも斉藤君のことなんか言うからこんなことになるんだ。第一、彼女はもう当社の人間じゃないんだよ。今日、神宮外苑を通ったとき、傘もささずたっていたが、あれじゃ、もう頭も少し可笑しいんじゃないか、なあ課長!」
課長「雨にびしょむれになったままたっているなんて、普通ではありません」

 モンタージュ
  神宮外苑。かなり強い雨。傘もささず外苑コースにたたずんでいる斉藤久子。不  思議な顔をして通り過ぎる通行人。

支店長「ほら、司会者が君のことを呼んでるよ。君の紹介をするんだ。頭取がおよびですよ。サア、気を取り直して」

 モンタージュ
  白馬岳。雨の中を走る山崎。雨にぬれながら、双眼鏡でじっと見つめている斉藤久子。頬に吹きつける氷雨。
 モンタージュ
  筑波大学での風圧トレ-ニング。じっと見ている久子。
 モンタージュ
  青梅マラソン。最後のラストスパート。自転車に乗って、懸命に声をかける久子。風にむかって走る山崎。ゴールで久子の 胸に飛び込む山崎
 モンタージュ
  喫茶店。会社を退職する決意のシーン。おたがいにVサインを交わす。

支店長「(山崎の肩を押してうながしながら)ほら、ほら、急いで、みんな君をおまちかねじゃないか」

  山崎の頬にながれる涙。とめどもなく涙ながれる
イザベラ「(叫ぶ)いっちゃダメ。キミのいくの、そっちじゃない」        
   山崎の口から声にならない声がでる。
山崎「(ほとんど雄叫び)ウオォー」
  会場から飛び出す山崎。あっけにとられ て茫然と見ている参集者。叫びながら帝国ホテルを飛び出す山崎。神宮外苑にむかって走り出す。

○ 神宮外苑

 雨の中をたたずむ久子。しずくがほほを伝わって落ちている。髪がびしょびしょにぬれている。

 懸命に走る山崎。久子の影を遠くに見つける。走りよる山崎。

山崎「コーチ、雨のトレーニングですか(後ろから声をかける)」
 振り向く久子。呆然と山崎を見つめる。
山崎「はは、川口監督はレベルが低いので、首にしちゃった」
 沈黙が流れる。
山崎「やはり、斉藤コーチでないと、世界と戦えない」
久子「馬鹿だね、また高倉健をやったのかい(涙声で)」
 涙がほほに滴る久子。そっと、久子の肩に手を伸ばす山崎。久子を抱きかかえようとする。一旦はだきかかえられたが、手で涙をぬぐい、山崎の手をそっと払いのける久子。
久子「女にうつつを抜かしちゃ、世界は戦えないよ。走れ、面倒見てやるよ(泣き笑い)」

山崎「アイアイサー(おもいきり元気よく)」

 走る山崎、見つめる久子。雨が二人の姿を消し去っていく。

                                  (終わり)

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(19.4.15)シナリオ 友よ風に向かって走れ(その7)

このシナリオシナリオ1からの続きです。恐縮ですが、シナリオ1・2・3・4・5・6を読んでいない人は1・2・3・4・5・6から読み始めてください。

○ 火曜日新宿支店支店長室(早朝)

  上原取締役より、関支店長に電話がはいる。
取締役(電話)「君のところの、山崎君、すぐに私のところにつれてきなさい。それに相談があるので、君と山崎君の上司も一緒にくるように」
支店長(電話)「あっ、はい、分かりました。すぐにまいります」
  あわてふためく支店長。関支店長は、水谷課長を電話で呼びつける。あわてて支店長室に入ってくる水谷課長。蒼白になっている支店長
支店長「(ぐちっぽく)えぇ-、実にまずいことになったね。上原取締役に直々によびつけられたよ。いや、じつにまずい」
課長「はあ?」
支店長「(怒鳴る)はあ-じゃないでしょ、倒産の件にきまってるでしょ。何かいい策、考えられない?君ね、君も支店長、直前の人でしょ。対応策はありませんなんて取締役に言える」

課長「(意を決して)支店長、勿論支店長と私の責任は免れません」
支店長「そんなことは言われなくとも自覚してます」
課長「しかし、われわれだけの責任といえるでしょうか」
支店長「なんだ、もったいぶらずに早く言いなさい」
課長「この件は、元はといえば、あの山崎が、マラソンなんかしていたからです。倒産が判明した日も、山崎は青梅マラソンに出ていました。第一の責任は、あの山崎にあります」

支店長「君ね、そんなこといったって、山崎はたんなる担当だよ。それにマラソンといったって休日にしてるんだよ」
課長「支店長、今は、我々の首がかかっています。いままで支店長は何年間、当行のために働いてきたのですか。その間、一度たりとも、自分のために、自由な時間を持ちましたか。ところが、あの山崎は・・・・・その結果がこれです。支店長は山崎と心中するきですか(脅迫する)」

支店長「じゃ、ど、どうすればいい?(気弱く)」
課長「私に案があります。山崎に始末書をださせましょう。山崎から自主的に退職願いを出してくれば最高です。責任の所在がはっきりします」
支店長「そりゃ、ちょっと・・・・・私だっていざとなったら支店長やめるぐらいの気持ちあるんだよ(見栄をはるように)」
課長「(支店長の気持ちをみすかして)それはなりません。当行の将来を考えれば支店長は当行になくてはならない人材です」
  店長はしぶしぶ頷く(ほとんど泣きそう)。
  
○ 新宿支店応接室(午後)

  水谷課長と山崎次郎の二人。水谷課長が山崎に始末書を出すように、盛んに説得している。

課長「いいかね、倒産が発生したとき担当者がいないなんてことある。えっ-、マラソンなんかしていたじゃないか。おかげで当行はいくら、損したと思う。5億だよ、5億(だんだん声が大きくなる)。本来はすぐにでも辞表を書く立場なんだ(机をたたく)」

山崎「倒産時、家に居なかったのは、事実ですが、休みでしたし、すべてが私の責任ということは、ないとおもいます」
課長「何を馬鹿なことをいっているんだ(気色ばむ)。すべてお前のせいだ。ひ、昼休み、どうしてる。マラソンして、いないじゃないか。そういうところが責任感がないというんだ。まったく・・・!」

山崎「お言葉ですが、課長にも管理責任があります。第一、K物産に融資拡大策とったのは課長です(声が大きくなる)」
課長「なんだ、なんだ、なんだ。責任を私に転化するのか!始末書ですましてやろうと思ったが、もう、勘弁ならない。す、すぐ退職願いをかきなさい。本来なら首、首! 自主退職は支店長の慈悲だ(完全に冷静さを失う)」
山崎「辞めるつもりはありません(断固として)」
課長「何をいうか!いいか、1日、1日待ってやる。それで辞表、書かなかったらこっちも考えがある」
  山崎と水谷課長のにらみあい。

○ 再び応接室

  今度は、水谷課長は久子を呼びつけ、山崎を説得させようとしている。
課長「斉藤君、最近君は、山崎君と大変仲がいいようだね。はためには犬と猫。どうかんがえても不似合いだね(優しげに)」
久子「それがどうかしました?(平然と)」
課長「いや、いやそれはどうでもいいんだ・・・・・。ところで君は総合職になる希望はないかね。大卒で頭脳明晰、今まで総合職にならなかった方がおかしいね(久子の顔を除きこむ)」
久子「急に私に対する評価が上がったみたいですね(皮肉ぽく)」

課長「いや、いや、私は前から君をたかく評価してたのです。どうです、望んでたんでしょ(じっと目を覗き込む)」
久子「で、私に何をしてほしいのですか」
課長「イヤ、イヤ、これは参りましたね。実は山崎君、今、彼の立場は非常に微妙なんです」
久子「微妙と、いいますと?」
課長「K物産の倒産、知ってますね。彼、倒産時に青梅マラソンにでていたでしょう。私が自宅待機するようにいってあったの、無視して。これ業務命令違反ですよ」

  窓外の新宿御苑を見ている久子
課長「審査部長は、いや激怒しましてね。悪いことに、上原取締役の耳にも入って・・・・支店長は解雇ではあまりに可愛そうなので、なんとか始末書でかたをつけようと・・・・・」
久子「課長が自分で言われたらいかがですか。私が言うことではありません」
課長「勿論しました。彼、でもいこじになって・・・」
久子「とうぜんでしょ」
課長「だから、だから君が必要なのです。彼に潔く始末書を書いて、責任とるようにいってくれませんか、ねっ、頼みます。このとおり」
  水谷課長、おおげさに、手をついて頼む。

○ S喫茶店(同日、夕刻)

  山崎が久子にことの経緯を説明している。外は暗い。

山崎「課長が始末書を書くか、退職しろというんだ・・・・・・」
久子「君、マラソンのしすぎで、頭よくないよ。課長、私を買収しようとしたんだよ。その代わり、君に始末書、書かせろだってさ! どうしてだと思う?」
山崎「・・・・・・」
久子「倒産の前、課長、K物産とゴルフしてたじゃない。投資信託5千万
してもらったと自慢しでしょ。そのあとだよ、5億、無担保で融資したの。課長の責任だよ」
山崎「・・・・・・」
久子「課長、このままでは首さ。だから君に責任転化したい訳さ・・、課長の考えそうなことじゃん・・・・、責任とることないよ」

  沈黙がながれる。外をじっと見ている次郎。雪が降り出している。ようやく口を開く。

山崎「課長には会社しかないんだ・・、たまたま試合中に倒産がおこったけど・・・僕は、試合のほうを大事にしてよかったと思ってる。でも課長の気持ちわかるんだ。出世だけが生きがいなんだから・・・・・それに僕と違って家族もいるし・・・・」

久子「気がいいね。わらっちゃうよ。課長に同情か? で、どうする?」
山崎「うん、ここはひとつ男になってやるか。高倉健みたいにさ。会社を止めよう。金はどうにかなるよ。それに僕のランナーの命、あと8年がいいとこだしな」
久子「(じっと目を見つめ)よし、気にいった。僕は、君のコーチだから、一緒にやめよう。君をオリンピックに出してやるよ。優勝賞金で食っていくか」

  互いに笑い、手でハイタッチをする。
山崎「コーチ、次の目標はなんですか」
久子「きまってるだろ、次はフルマラソンさ。優勝させる。新人の登竜門、別大マラソンにでる」
山崎「分かった、アイアイサー」
 微笑みながら互いにVサイン。

○ 上原取締役の専用役員室(翌日、午前)

  関支店長がことの次第を上原取締役に説明にきている。水谷課長も同席

取締役「なぜ山崎君は、こないの? 私は山崎君に用があるんだよ」
支店長「お聞きおよびのこととはおもいますがK物産の倒産し、山崎はその責任をとりまして、本日退職願いを出してきました。山崎は担当でありながら、K物産が倒産した日に、なんと青梅マラソンなんかにでていまして・・・」

  上原取締役が言葉を遮る。
取締役「待ちなさい。君たちはここに何しにきたのかね(語気強く)」
支店長「えっ・・・勿論K物産の倒産の件について、取締役に説明にまいりまして・」
取締役「君は何をいっとるのかね。倒産の所管は審査部長だよ、私の管轄じゃない。それに青梅マラソンなんかとはなんですか(怒りだす)」
支店長「はぁー?(怪訝な顔をする)」
取締役「いいですか、山崎君は青梅マラソンに優勝したんです。頭取も大変お喜びになり、正式に陸上部の設立を許してくれたのです。山崎君はうちのエースです。わが社の野口みずきじゃないか(強い口調で)」
支店長・・・・・・
取締役「それに責任は上司がとるもので部下がとるものじゃない。見苦しいことはするな。辞職願いはすぐに破棄しなさい。さあ、山崎をここにつれてきて(大声で)」
支店長「あっ、はい」
  支店長と水谷課長は真っ青、口も聞けない。部屋を飛び出す支店長と課長

○ 神宮外苑コース(同日、午後)

語り「僕はこの日から本格的に練習にとりくんだ。気合も入っている。すごく気分はいい」

  風がつよく、砂ぼこりがまっている。走る山崎。久子は自転車。そこに関支店長と水谷課長が汗をかきかきやって来る。
支店長「山崎君、ちょっと、ちょっと止まってくれないか。是非話があるんだ(喘ぎながら)」
山崎「今練習中です。走りながら聞きましょう(呼吸は乱れない)」
  無視して走る山崎。追いかける支店長と課長
久子「支店長、邪魔よ、邪魔!話は後で。辞めたんだから、文句ないでしょ」
支店長「いや、それがあるんだ。止まってくれ(悲鳴をあげる)」
    山崎と久子がようやく立ち止まる。怪訝な顔。
山崎「どうしたんですか支店長。もう僕は退職したんですよ。斉藤君もそうです」
支店長「いや、そのことで話があるんです。ここではなんだから、あすこに支店長車があるでしょ。すまんが、そこまで来てほしい」
山崎「いま練習中だから、困るなあ、少しだけですよ。斉藤コーチ、あなたも、来てください。(支店長に向かって)コーチも行っていいでしょ」
支店長「あぁ、コ-チ?(久子の顔を見る)。えぇ、構いませんよ(やや不満げに)」

○ 支店長車の中

  黒塗りの支店長車。後ろの座席に支店長、山崎、久子。前の座席に水谷課長。
支店長「山崎君、すべて誤解だった。すまん、なにもいわず、会社にもどってくれ。ねっ」
  怪訝な顔の山崎
久子「おかしいじゃない。倒産の兆候見抜けなかった責任とって辞職しろっていってたのに」
支店長「いや、それは、だから誤解だといったでしょ!山崎君、私も支店長だ。倒産の責任はすべて私がとる。それよか君にはいい報せがあるんだよ。実はこんど当行でも陸上部つくることになってね(顔をじっと見る)・・・・、君、君はそこのキャプテンになるんです」
久子「私達、会社を止めました。もう、そんな話、聞く必要ありません」
支店長「(怒って)君にいってるんじゃない、山崎君にいってるんだ。ねっ、帰ってきてくれたまえ」
山崎「そんなこと急にいわれても・・・コーチと相談させてください」
支店長「えっ、コーチ?コーチね。あっ、斉藤君のこと? ねぇ、斉藤君、頼みますよ」
久子「お断りします、支店長。私達二人でオリンピックにでる練習してるんです」
  支店長、狼狽する。


支店長「山崎君、頼む、二人で戻ってくれ(哀願口調)」
山崎「(ニコニコしながら久子を見て)仕方無い、コーチ、また高倉健になるか」
久子「(ぴしゃりと)なにいってんの。駄目だよ。いいかい、スポーツはハングリーでなきゃ勝てないよ。君が青梅で勝ったのも落ちこぼれで、マラソン以外とりえが無かったからじゃないか。すぱっと断りな」
山崎「(むっとして)いくらなんでも、マラソン以外とりえがないは言いすぎだ」
久子「事実は、事実だよ。悟りな」
山崎「なんだい、どうしてそんな言い方するんだ。僕にも自尊心がある」
久子「ふん、くだらない。そんなもの犬にくれてやれ」
  思わず怒りで身を乗り出す山崎。無視して横をむいている久子。

支店長「まあ、まあ、山崎君、これからすぐに取締役のところにいこう。それに、斉藤君、君も機嫌をなおして、いつしょに、ね!」
久子「いえ、お断りします。いく理由がありません。失礼!」
  ドアーを自分でさっとあけて車から降りる久子。振り向きもせず、車から離れていく。気にして後ろ姿を目でおっている山崎。その山崎の肩に手をかけ促す支店長。

支店長「いや、さっ、気にせず取締役のところにいきましょう。(運転手に向かって)ほら、早く車をだして、大手町だよ」
  まだ、気にして斉藤久子の後ろ姿を追っている山崎。走りだす自動車。とうざかる久子。
久子「なんだい、冗談じゃないよ。なにが高倉健だ。ふとった豚になるのか、馬鹿やろう(目に涙)」

○ 上原取締役の応接室(夕刻)

  上原取締役が上機嫌で山崎を迎える。あわてて入ってくる支店長、課長、山崎

取締役「いや、山崎君、君をまっとったよ。青梅マラソン、見ましたよ、いや、いや、実に素晴らしい健闘だった。頭取もことのほかお喜びになって、陸上部の創設をお認め下さってね。監督はね、W大の川口君をくどいたんだ。まあ、金も相応にかかったけどね。ワハハハハ、えっと、ところで君のコーチのなんとかいった女性は一緒じゃないの?」
支店長「(おどおどと)はぁ、あのー、彼女は、この案に反対とかで、来ませんでした」
取締役「(意外な顔で)ほう、そう。いや、気にすることはない。川口君は、今の日本のコーチ陣のなかでは最高の人材だから。まあ、かえってよかったんじゃない。女なんかに口出しされるよりはね」
山崎「(むっとして)斉藤君は最高のコーチです」
取締役「アハハハハ、そうでしたね。分かってます、分かってます。ところでと、今、ちょうど当行が専属契約している女優の伊藤京子がきててね。いま頭取と『頭取と語る』を録画中なんだ。頭取から、山崎君、君もくるようにいわれてるんだ。さあ、いこう。(支店長に向かって)支店長、君達はもう帰っていい」
  山崎の肩を抱くようにかかえる取締役。おずおずと出ていく支店長と課長

○ 頭取の応接室

  壁にフランス印象派の高価な絵。ゆったりとしたソファー。頭取、伊藤京子、フィリッピンからの研修生イザベラ(24)が対談している。ディレクターが指示をとばし、カメラマンが盛んにVTRを回している。ライトが強く光っている。

頭取 「ちょっと、ちょっと、まって! ちょうどいいところに山崎君がきた。山崎君、君もこの対談にはいりなさい。いや、そんなに緊張することはない。ここにいるのは、わが社の専属のイメ-ジキャラクタ-、伊藤京子君だ。君もファンじゃないのかね。それと、そっちがフィリッピンからの技術研修生イザベラ君、女性だが、国立マニラ銀行の秀才。さあ、さあ、そこに座りなさい」
山崎「あのー、僕はなにをすればいいんですか」
頭取「ハハハ、何も心配することはない。私が質問するから、それに答えればいい。ただし何をいっているのかさっぱり分からんのはだめだ。じゃ、はじめていいよ」
  伊藤京子の横に座る山崎。動きだすVTR

伊藤「そうしますと、もうすこし具体的にA銀行が実施しようとしている民間援助の内容について説明してください(台本を読みながら)」
頭取「いま、わが社が最も力をいれて取り組んでいるプロジェクトは、フィリッピンの中央銀行である国立マニラ銀行に対する、技術支援でしょう。貸出、預金、為替等の基礎的業務からはじまって、オンラインに
 よる決済業務まで、全般にわたって技術支援をしています。ここにいるイザベラさんはそのためにわが社に長期技術研修にきているわけです(イザベラの方を見る)」
伊藤「それでは今度はイザベラさんにうかがいますが、日本の銀行業務についてどのような感想をお持ちですか(台本をみながら)」

イザベラ「なにもかも驚くことばかりです。私の任務は国立マニラ銀行が採用するソフトについて事前によく勉強することですが、フィリッピンはお金がないので、私のA銀行への派遣もODAの費用が日本政府からでています・・・・・・・」
  じっと感心してきいている山崎。突然話題が山崎にうつる。

頭取「ところで山崎君、君はこのたび青梅マラソンで優勝したわけだが、世界の強豪アコネンを破ったその実力はどのようにしてみにつけたのかね?」
山崎「(当惑しながら)はあ、アコネンを破ったといっても、アコネンは転倒して若干ペ-スを崩したので、半分はフロックのようなところもあります。ただ、僕としてもそれなりに満足のいくトレーニングはつんできました。特に、白馬岳の高地トレーニングと、筑波での風対策は有効だったとおもいます」 

 モンタージュ
 雨の中を走る山崎。高台から双眼鏡でじっと見ている久子。久子の頬にあたる氷雨、乱れる髪。

 モンタ-ジュ
  筑波大学でのと風圧トレ-ニング。前傾姿勢で歯をくいしばる山崎。満足げに見ている久子


伊藤「(時計をみながら)ではこのへんで今月の頭取と語るを終了いたします」   

                 (明日に続く) 

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(19.4.14) 友よ風に向かって走れ(その6)

 このシナリオシナリオ1からの続きです。恐縮ですが、シナリオ1・2・3・4・5を読んでいない人は1・2・3・4・5から読み始めてください。

○ 同じころA銀行新宿支店

  日曜日というのに、事務所には、関支店長、水谷課長、田中、大川が出社している。4人とも超興奮状態。

語り「僕はまったくしらなかったけど、そのとき大変なことが起こっていた。K物産が明日不渡りをだして倒産するとの情報がはいったんだ」

支店長「山崎、山崎は何をしている。担当だろう。なぜ一番にかけつけない(大声で怒鳴る)」
課長「山崎は今、青梅、青梅マラソンに出ています。連絡が取れません。申し訳ありません(こちらも絶叫)」
支店長「なに!こんな時に、馬鹿が!いい、かまうな。ま、まず ほ、保全バランスを早くつくりなさい」
  課長と田中が保全バランスを作っている
課長「担保が足りません。5億とりもれが発生しそうです(声にならない)」
支店長「何、5億! 5億だよ、5億。この支店の年間利益の倍じゃないか。追加でとる担保はないのか(茫然とする)」
  全員黙っている。
支店長「えっ、何か手はないのか(怒鳴る)」
課長「担保は先順位が多いので、あまり期待できないのですが・・・・・」
支店長「このさい、そんなこと言ってられないでしょ。何でもいいから、担保と保証をとってきなさい。社長との連絡はとれないの?」
課長「社長は不在のまま、音信普通です」
支店長「そんなら、ここでぼさぼさしてても仕方ないでしょう。すぐに会社にいって差押えられるものはすべて差押えなさい」
課長「あっ、はい」
  飛び出していこうとする水谷課長、山田、大川
支店長「君達だけでいっても、仕方ないでしょ。すぐ弁護士と連絡とって」
課長「あっ、はい」
  電話をとる水谷課長
支店長「(舌打ちしながら)まったく、なんてことだ」

語り「そんなことになってるなんて、知らなかった」

○ A銀行新宿支店支店長室(月曜日、朝)


  支店内はあわただしい。行員が走り回っている。

語り「僕が出社すると、課長と田中君はK物産に取り立てにでており、関支店長は汗だくになりながら、K物産の顛末を審査部長に報告していた」

支店長(電話)「はい、そうです。今日1回目の不渡りを出すことは、確実です。はい保全バランスを作ってみましたら、まだ5億たりません。はい、はい、勿論差押えにいっておりますが、社長は暴力団をおそれて、家にはいません。はい、はい、かなり後順位の抵当権になると思いますが、仮差押えをします」
審査部長(電話)「君のところのリスク管理どうなってんの!(怒鳴り声、 支店長は思わず受話器を耳からはなす)5億のとりもれなんて君の所だけだよ。何やってるの! 課長だれ? 水谷? 彼、能力あるの? 
 すぐに報告にきなさい。法務室と連絡をとって! 君ところだけで処理、絶対だめだよ。無担保で融資したのいつ?」

支店長「あっ、はい。つい最近です」
審査部長「じゃ、倒産寸前に無担保融資したんじゃないか。いったい何みてたの」
  ひあ汗を拭う支店長。そこへうきうきした雰囲気の山崎が事務室にはいってくる。右手に青梅マラソンののっている新聞を持っている。

語り「僕は事情をしらなかったから、事務室にうきうきしながら入ったんだ」

山崎「みなさん、お早う」
  支店長が山崎をつかまえる。
支店長「君、君は昨日何、何をしてたんだ。(言葉にならない)」
山崎「はい、支店長喜んでください。昨日、青梅マラソンで、とうとう優勝しました。優勝ですよ。はは」
支店長「馬鹿もの!なにを浮かれてる。K物産が倒産したんだ! 何がマラソンか(怒鳴る)」
山崎「・・・・・」
支店長「課長はK物産だ。すぐ、課長と一緒に5億とってこい。いいか、取ってくるまで帰るな(大声)」
  憔悴した表情の支店長。下をむいて含み笑いをしている神鳥課長。

語り「なんてことだ。天国と地獄だ」

○水谷課長の家(同日、夜)

  水谷課長が酒を飲んで帰ってくる。元気がない。そっとドア-を開ける。チャィムが鳴り、佳恵が出迎える。

佳恵「どうしたんですか、元気がありませんね?」
課長「うむ」
佳恵「あなた、隆の入学金、用意してくれました?」
課長「うむ」
佳恵「ねえ、どっちなんですか?」
課長「いまはそんなこと言ってる場合じゃない(急に怒り出す)」
佳恵「・・・・・・・・・」
課長「今日、K物産が倒産した。5億焦げつきそうだ。俺が無担で融資したばかりだ」
佳恵「無担て?」
課長「(怒鳴る)担保なしにきまってるだろ」
佳恵「(おずおずと)K物産て、あのゴルフセットを御歳暮にくれた会社でしょ?」
課長「(はっとして)あっ、そうだ。あのゴルフセットはすぐに送りかえせ。それに、佳恵、場合によったら、この家処分して返済にあてなきゃいけないかもしれない」
佳恵「(強く)そんな、だめですよ。いくとこないじゃないですか。それに隆だって大学にいかなきゃいけないんですよ」
課長「今はそんなこと言ってる場合じゃないといったろ」
佳恵「・・・・・」
課長「(独りごと)おれがこんな事で、へこたれるものか、手は打つ。なんとしても手は打つ」

○ A銀行の役員会(翌日、午後)

  頭取をはじめ、役員20名。上原取締役が得々と提案説明をしている。『当行における宣伝活動の強化について』というテーマが電子黒板に書かれている。

取締役「ながらく頭取より指示があり、私が専担となって、鋭意検討してきました宣伝活動強化策について、ここに最善の提案を提出いたします。当行には多くの人材逸材がおりますが、とくに新宿支店山崎職員は世界的なマラソンランナーでして、先日の青梅マラソンにおいて、世界の強豪アフリカの星アコネンを抑え堂々優勝いたしました。ここに先日の青梅マラソンのビデオがありますのでご覧ください(自信満々)」

  ビデオに先日のマラソンの内容が映し出されている。頭取はいたく感心して見ている。
取締役「B銀行の体操、C銀行のハンドボール等各行とも、積極的にスポーツ事業に進出しております。当行においてもイメージアップをはかり、とくに最近厳しさを増してきました就職戦線でかちぬき、優秀な人材を確保するために、当行に最も相応しいスポーツを検討してきましたが、最終的にマラソンが最適との結論に達しました。このVTRをご覧ください。特に山崎選手の胸に注目してください。なんと鮮やかなA銀行のマークでしょうか」

  山崎の優勝シ-ン
取締役「先日の青梅マラソンの視聴率は20%を越えているものと思われます。日本人のマラソン好きは、つとに有名であり広報室には朝から山崎選手の照会電話がたて続けに入っております。特に来年卒業をひかえた大学生からの照会が多く、宣伝効果抜群、イメージアップ抜群とは、このことをいうのでしょう。来年の就職戦線は勝利したも同然です・・・・・」

  頭取はじめ、他の役員全員好意的に頷く
取締役「ついては、この山崎職員を中心に陸上部を創設し、監督には、僣越とは思いますが、母校W大の現コーチ川口氏の内諾を得ておりますので、川口氏を、さらにW大の陸上部卒業生5名の採用を同時に計
 りたいと考えております」
議長「では、上原君の提案に賛成の諸君は挙手をおねがいします」
  満場一致で上原取締役の提案が採択される。

頭取「素晴らしい提案です。上原君、この案最重点事項にしましょう。企画部長に予算をすぐつけるように指示しなさい。それから私のところに山崎君をつれてきてください。一緒に食事どうかな。(子供っぽく)ところで総監督だれがなるの?」
取締役「勿論、頭取です」
頭取「はは、君、よく分かってますね」

                                明日に続く

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(19.4.13) 友よ風に向かって走れ(その5)

 このシナリオシナリオ1からの続きです。恐縮ですが、シナリオ1・2・3・4を読んでいない人は1・2・3・4から読み始めてください。

○ K物産とのマージャンの帰り(12月中旬,夜)
  タクシーのなか。課長と山崎。

語り「結局K物産とマージャンをした。課長は一人勝ちであったため、いたって機嫌がいい。だいぶ酒も入っている」

課長「いや、いや今日はじつにたのしかった。しかし、K物産の部長も、課長もマージャンがへたくそだなあ。部長、5回だよ。5回も、小生に満貫ふりこんでさぁ。あのときの顔、見物だったね。まあ小生の腕がいいから・・・・・」
運転手「お客さん、儲けたんでしょ」
課長「まあね、今月のこずかい銭ぐらいよ。おい、山崎、なぜだまっている。えっ今日ぐらい、陽気にやれよ。勝てなかったのでおかんむりか。腕よ、腕。ところで、山崎、部長のいってた融資、前向きに考えてやれ」
山崎「あそこは、注意したほうがいいとおもいますが」
課長「また、それだ。いや、君は頑固だね。頑固のうえに何かつきそうだね。すっかり、酔いがさめたじゃないか。もうすこし、前向きに考えられないのかね」
  怒って横をむく水谷課長

○ 水谷課長の家(続き、夜)

  タクシ-を下りる水谷。山崎は途中で下りていない。
            
課長「あの馬鹿、一体、いつまで俺の足を引っ張ればきがすむんだ。くそ-、山崎のおかげでいつも2課に負ける。神鳥なんかに先をこされてたまるか(映像をかさねて: 神鳥課長の高笑い)」
  玄関を手荒に開ける。むかえる妻、佳恵(42)
佳恵「もう遅いんだから、大声を出して帰るのは止めて下さい」
  玄関に大きな荷物が宅配されている。荷物に気付く水谷
課長「これ、何?何処から送ってきたんだ?」
佳恵「K物産からの御歳暮だっていうんだけど、これゴルフセットですよ」
  荷物をほどく水谷課長
課長「ほう、これはイギリス製の超高級品だわ。実に小生に相応しい」
佳恵「(不安げに)こんな高価なもの、御歳暮でもらっていいんですか?」
課長「なにが、いいに決まってるだろう。これは小生に対する期待ですよ。いや、いや実に可愛い企業だ!」

○ 神宮外苑コ-ス(数日後、夜9時)

  トレ-ニング終了前のミ-テング。不動の姿勢の山崎、リラックスした姿勢の久子。 
               
久子「来週から、土日は筑波大学でトレ-ニングすることにする」
山崎「はは、なんで筑波までいくの?」
久子「筑波には特別トレ-ニング室があって風圧を自由にコントロ-ルできる装置があるんだ。君をそこで改良することにする。教授に頼んで土日に機械を借りることにしたんだ」
山崎「タ-ミネイタ-でもつくるのかい?」
久子「君を、風に強い選手に改良するんだ。日本の選手は、悪条件に極端に弱いなぜか分かる」
山崎「精神力のせいだろ?」
久子「いや、なれさ。人間、一度経験しておけば大抵のことは耐えられる。はじめてだと、恐怖感で崩れるんだ。ロスのオリンピックで優勝確実と言われた日本選手が大敗したのは、真夏の太陽に慣れてなかったせ
 いさ」
山崎「僕は暑さにも、風にも強いよ」
久子「知ってる。君のたった一つの取りえは野性みだよ。筑波で25メ-トルの風圧を経験させてやるよ。そうすれば君は北風のランナ-になれる」
山崎「はは、何か分からないけどおもしろそうだね」

語り「そして僕たちはこの奇妙なトレ-ニングを開始した」

○ 筑波大学体育学研究所(昼)

 特別トレ-ニング室。風圧実験装置を兼ねた密閉された大型の筒状の装置。内部にランニング用のベルトコンベア-。風速が20メ-トルに設定されている。中で山崎が山崎がランニングスタイルで準備運動をしている。外から時間測定をする久子。

久子「風速20メ-トル、ベルトコンベア-の時速20キロにセット。5分ごとのインタ-バル開始」
  機械のスィッチを入れる久子。ベルトコンベア-のスピ-ドがます。風速20メ-トルの強風が前から吹き出す。懸命に走りだす山崎。滴り落ちる汗。風にたなびく黒髪。一時間経過。ふらふらになっている山崎。
            
久子「30分休んで、次は風速を25メ-トルにあげる」
山崎「それじゃ、台風のなかでマラソンするようなもんだよ」
  研究室に研究室の助手がはいってきて、山崎のトレ-ニングをびっくりして見ている。
助手「これ動物実験用の装置ですよ。犬や馬を使って実験するんです。人間を入れるなんて無茶ですよ」
久子「知ってる。でも中の人にそのことを教えちゃ駄目だよ。これは人間のなかにある野獣性を最大限に引き出す実験をしてるんだから」
  走る山崎(映像をダブらして:走るド-ベルマン)

○ 青梅マラソン(冬、2月)

語り
「ついに青梅マラソンの日がきた」
  快晴、無風、気温5度、マラソン日和。準備体操をしている選手。青梅マラソンの横断幕。山崎の腕と足をマッサージしている久子。

久子「5キロまでにトップグループにつくんだ。いいね。君ならできる」
山崎「うん、やるよ(力強く)」
久子「アコネンを抜くんだ。抜くと言え」
山崎「抜く、抜く、抜く(大声で)」
久子「よし、いいぞ、いけ、弱気になるなよ」
  山崎の胸を強く叩く久子。

語り「僕は一般選手のため、スタート地点はかなり後方だったけど、じょじょに追い上げ、10キロ地点では第二グループにつけた。第一グループは、アフリカの招待選手アコネンと日本の招待選手、伊藤が競り合っていた」

  アコネンと伊藤の競り合い。第二グループの山崎。沿道の声援。給水所で水を取選手。

語り「アコネンと伊藤はさすがはやかった。なかなかおいつけない。しかし、信じられないことが起こったのは25キロの給水所でのことだ」
  給水所でアコネンと伊藤が接触して転倒。100メートル差で追っていた第2グループに追いつかれる。

テレビアナ「思わぬところで転倒があったため、現在、先頭はアコネン、伊藤と第二グル-プを形成していた三名の計五名になっております。選手を紹介いたします。ゼッケン番号45は日産自動車の入江、96番
 はNECのB、そして10003番は・・・・・・、しばらくお待ちください。ただ
 いま選手の確認をしております(ようやく記録係からメモが渡される)10003番はA銀行の山崎です。ところでアコネンと伊藤ですが怪我がなければいいのですが」

解説者「まあ、二人とも世界のトップランナ-ですから、また徐々に引き離すでしょう。応援の旗が強風にたなびき始める。一斉に前傾姿勢を取り始めるランナ-
解説者「風が大分強くなってきましたね。完全に向かい風になっていますね。選手はかなり辛いとおもいますよ」
テレビアナ「はい、今情報がはいりました。風速は現在15メ-トルの向かい風ですね。スタ-ト時点では無風でしたから、気象条件は急激に悪化してきてます」
解説者「ほう、そうですか。この風では相当スピ-ドが落ちるし、目いっぱいの選手はラストスパ-トがきかないでしょ」
  アコネンが二十八キロ地点でスパ-トする。伊藤が遅れだし、山崎だけがアコネンを追走
テレビアナ「アコネンがスパ-トしました。ついていけたのはA銀行の山崎だけです。伊藤は遅れました」
  アコネンと山崎のデットヒ-ト

○ A銀行上原取締役の家(同時刻)

  上原取締役(55才)が青梅マラソンのテレビ中継をみている。
テレビアナ「A銀行の山崎、よく頑張っています。全くの無名選手ですが、世界のトップランナ-、アコネンと実に堂々と競り合っています」
  上原取締役がおどろいてテレビを覗き込む。2人のデットヒートがつづいている。山崎のランニングにはA銀行の鮮やかなマーク。歯をくいしばっている山崎。
取締役「母さん、大変だ。うちの選手がはしっている。新宿支店の山崎ってやつだ。 すごい、優勝するかもしれないぞ」

○ 青梅マラソン(続き)

 レ-スは最後の1キロになっている。
テレビアナ「レースは大変なことになってまいりました。優勝は、アフリカの星アコネンか、無名の新人、A銀行の山崎か」
解説者「これは全く予想外ですね。アコネンはだいぶ苦しそうですね。よほど風が強いのでしょ。いっぽう山崎の足取りは快調ですね。風を楽しんでるみたいなとこがありますね」               
  久子が自転車に乗って沿道を伴走しながら声をかける。           
久子「最後だ。スパ-トしろ。風にむかって走れ、死ぬまで走れ、走れ(叫ぶ)」
  山崎が最後の400メ-トルでスパ-トする。アコネンも追おうとするがとどかない。周りは鈴なりの応援
テレビアナ「山崎スタ-ト、アコネンとの差は5メ-トル、10メ-トルと開いていきます」
解説者「決まりましたね。いや-、恐ろしい選手がいたもんですね。しんじられませんね」
  ゴ-ルに飛び込む山崎。気を失いそうになり、足がもつれている。目は虚ろ。久子がタトルを持って抱き抱える。
久子「よくやった。1時間30分5秒、君、天才だよ」
  山崎は朦朧としながら頷く。
山崎「へへ、風が強くなったら急に身体が楽になったんだ。ヤッタゼ」

上原取締役もテレビをみながら興奮する
取締役「うちの選手が優勝したぞ、えっ、うちの選手だぞ。いやいや、大したヤツだ」
  勝利者インタビュー。山崎の嬉しそうな顔のUPがテレビに写っている。胸にA銀行のマーク。
テレビアナ「おめでとうございます。勝因はなんですか」
山崎「はは、コ-チと、風かな」                           

                         (明日に続く)

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(19.4.12)友よ風に向かって走れ(その4)

 このシナリオシナリオ1からの続きです。恐縮ですが、シナリオ1・2・3を読んでいない人は1・2・3から読み始めてください。

○ 神宮外苑(10月、午後6時)

語り
「ともかく僕は斉藤君の実力を認めた。あのひとは天才的なコーチだ」

  落ち葉が舞っている。斉藤久子が山崎次郎を自転車で追っている。

久子「なんだ、その手のふりは。上体が揺れてる。もっと腰を上げろ。ラップがおちだしたぞ。手をぬくな、分かったか」
山崎「はい(ゼイゼイいいながらこたえる)

○ 神宮外苑(午後9時)

  練習が終わったあとの反省ミーティング。山崎次郎は不動の姿勢。斉藤久子はストップウォッチと記録表をもってリラックスした姿勢

久子「今日はとってもよかった。実力は確実についてきている。5キロ、15分台前半になった。次の目標は、青梅マラソンに絞る。あと5か月。来週は合宿をする。1週間休みをとれ」
山崎「えっ!1週間もですか(当惑しながら )」
久子「そうだ1週間だ。ばっちり取れ(威厳にみちて)」
山崎「夏休みじゃないし、課長説得できないよ」
久子「あまえんじゃないよ。まともで青梅マラソンに勝てる。仕事は二流でいっぱしの銀行員ずらをするんじゃない」

語り「このひとは本当に強引なのだ」

○ 一週間後、事務室(昼)

語り「休みのことを課長にきりだせず1週間たった。明日が合宿の日だ。僕はとうとう決心した」

山崎「課長、ご相談があります」
課長「君から相談ですか。ぜひ前向きな相談にしてほしいですね」
山崎「申し訳ありませんが、明日から1週間休暇をとらしていただきたいのですが」
課長「ほう、1週間ね(疑い深そうに)。家族にご不幸でも?」
山崎「あっ、いえ、そうではないんですが。私用です」
課長「ほう・・・・年休の範囲内ですから、ダメだとはいいませんが、君は課の最年長者でしょ。少しは、自覚を持ってほしいですね。こんなことは言いたくありませんが、田中君のほうがはるかに良く仕事しますよ。取締役が来られたときも、会議に遅れるし、取引先とのコンペには出ない。そして1週間の年休ね・・・どうしても、休みをとるのですか」

山崎「あっ、はい(当惑しながら)」
課長「ほう(軽蔑したように)・・・・ ところで、斉藤君からも、休暇願いがでていますが、まさか一緒ではないでしょうね」
山崎「あっ、いえ、違います。斉藤君とは全く関係ありません(顔がほてる)」
課長「いいですか、これだけはいっておきます。君は一流銀行の職員です。君の恥は私の恥です。くれぐれも間違いはおこさないように」
山崎「あっ、はい」

語り「もうすこしで心臓が飛び出るところだった」

○ 特急あずさの車内(朝)

  山崎と久子が隣あって座っている。
語り「こうして合宿に出発した」

山崎「コーチ、合宿を白馬岳でするというのは冗談でしょ。白馬は3000メ-トルの山ですよ」
久子「いえ間違いなく白馬岳よ」
山崎「登山でもさせるんですか」
久子「君、高地トレーニング知ってるでしょなぜエチオピアやケニアの選手が強いの。いつも2500メートルの高地でトレーニングしてるからでしょ。だから、こっちは3000メートルでやるの。空気は薄いし、ばっちり鍛えられるよ」
山崎「でも、走る所がないですよ」
久子「君、登山したことないの?白馬の周辺は平らで、登山道はあの農道みたいによく整備されてるの(農道を指さす)、公園を走るようなもん」
山崎「はは、農道ね。じゃ、馬車馬のように走るか!ところでコ-チ、コ-チは前、喫茶店で、K物産との取引は要注意だといってたけどどうして?」         
久子「ああ、あのこと。私の住んでるとこ、K物産の近くなの。あそこの若社長知ってるでしょ」
山崎「なかなかの美男子でやりてだけれど」
久子「いい噂、聞かないの。キャバレ-で一日、何百万使ったとか、女が何人もいるとか、不動産を切り売りしてるとか。こういう噂、注意すべきだと思うんだ」
山崎「(思案げに)ふ-ん、そうなのか」

○ 白馬岳(1日目、快晴)

  白馬3山。わきあがる雲。ゆるやかな登山道。走る山崎。びっくりする登山者。高いピークで双眼鏡で山崎をみている久子。

語り「こうして僕たちのトレーニングが始まった。空気が薄いと実に苦しい。心臓は破裂しそうだし、胃は吐きそうだ」
  岩かげで嘔吐している山崎。ふたたび走り出す山崎。双眼鏡でみている久子。流れる雲。

○ 白馬岳(4日目、昼、風雨)

  雨具を着て走る山崎。ピークからじっと見守る久子。傘をさし雨具を着ているが雨がよこから頬をたたく。びしょびしょの髪。ひたたりおちるしずく

語り「4日目、体調は完全になれた。ちっとも苦しくない。雨も気にならない。スピードも十分だ」

  大学ワンゲル部のパーティーとすれちがう。驚いて口も聞けずに見ているパーティー。おちる山崎の汗。震えながら見ている久子。

○ 山荘(4日目、夜)

  山荘の一室、久子が布団をひいてねている。身体が小刻みに震えている。横で山崎が柔軟体操をしている。

山崎「今日は実におどろいた。走ってたら急に雷鳥とびだしてね。もうすこしで踏みつぶすとこだった。雨の日は雷鳥がでるって本当だね」
  答えない久子。異変にきずく山崎。
山崎「どうした。身体の調子わるいの」
  震えている久子。額に手をやる山崎
山崎「熱い、ねつがある。山荘の人、呼んでこようか」
久子「いい、あのポシェットに解熱剤ある。とって」
  解熱剤と水を手渡す山崎。飲む久子。おもわず咳き込む。背中をさする山崎。髪が目の前で乱れる。振り向く久子。目があう。重苦しい沈黙。久子のくちびるに顔をちかずける山崎。強く手で山崎の唇をさえぎる久子。

久子「君、あまいよ。風邪ひきのおとめの唇を奪うと、風邪ひくよ。ランナーの第一条件は風邪ひかないことじゃん。私がこうしてがんばってるんじゃないか。君も色恋ぬきでがんばれよ」
山崎「(動揺しながら)あっ、いや、ごめん」
久子「私、君にかけてるんだよ。君は今の時代では、落ちこぼれさ。私も女だから認めてもらえないんだ。でも未来はそうじゃないよ。なんとかいっしょに・・・・・こうして未来をさがしてるんだろ。だからそれまで・・・・・色恋なしさ」
山崎「・・・・・・」
久子「今日は他の部屋でねて。風邪うつるから。それから明日は、私、動けないから自主トレだよ」

語り「僕はこの時ほど感動したことはなかった。半端じゃないんだ。だから・・・」

○ 山荘の外(同日、真夜中)

  星空。山荘の明かり。その前でなわとびをしている山崎

山崎「一万一、一万二、一万三・・・」
  流れ星。満月。風の音。
山崎「二万一、二万二、二万三・・・」

○ 5日目(昼、曇り)

  一人で走っている山崎。ながれる汗

語り「こうして僕たちの合宿はおわった。この日から、僕はたしかに変わった。なぜか彼女のために走ろう、そう思ったんだ」

○ 会議室(12月1日 朝の打合せ)


  会議室に水谷課長、山崎、久子、同僚の田中、大川、山本が集まっている。

課長「今日から12月! 諸君も充分わかっていることとはおもうが、預金、貸出、投資信託特別運動月間に突入した。目標必達にむけて全力をつくしてもらいたい。9月の運動月間では、残念ながら隣の第二課に苦杯したが(映像をだぶらして:9月運動月間の表彰式。支店長から金一封をもらい意気揚々としている神鳥課長。横でにがにがしげに手をたたいている水谷課長)今回は私も全力をつくし、目標必達に邁進する
 ことを約束する」
田中「A社、B社、C社にすでに11月からアプローチしてきましたが、非常にいい感触を得ています。とくにA社については、社長の自宅に日参したところ、昨日是非取引したいと言われました。ばっちりです」
大川「田中先輩は相変わらず好ダッシュですね」
課長「いゃー、御苦労さん。御苦労さん、 昨日といえば、日曜日じゃない。いゃ、いゃ、本当に御苦労。私は実に鼻がたかい(といいながら、山崎の顔を見る)」
課長「ところで、山崎君、君もすでに動いているんだろうね。まさか、目標未達成なんてことは、絶対にないはずですね。なにしろ、君は、田中君と違って余裕しゃくしゃく、日曜はもっぱら、マラソンですからね」
山崎「仕事と趣味は別です。ちゃんと仕事もしています」

課長「ほう、そうですか。しかし君は9月の特別運動のときも、大丈夫と言ったが結果は隣の第2課に苦杯したではないですか。特に君のところには、K物産のような優良取引先があるのだから、預金も貸出もばっちりじゃない。えぇ」
山崎「(ちらと久子の顔を見ながら)課長、お言葉ですが、K物産とあまりつきあわないほうがいいとおもいます。やたらとゴルフをさそったり、今月はマージャンをさそってきてますし・・・・。K物産の資金繰りはどう分析しても、余裕はないはずです。おかしいです」
課長「ほほ-、時には君も分析的な頭脳を持っているようですね。しかし、はは(馬鹿にしたように笑う)、君は若いねえー、全く会社を見る目というものがないね。いいですか、K物産は私に惚れてるんです。だから、私が一言いえば、さっと預金してくれる。そんなことも(軽蔑した調子)」
山崎「(ぼそぼそと)いえ、その、社長の噂もよくありません」
課長「誰がそんなこといってるんですか。えぇ-!ふん、きみはそんなことをいってすぐ仕事をさぼろうとする。たまには田中君をみならったらどうかね」

語り「でも僕はやはりおかしいと思った。どう調べても、資金繰りはパンク寸前だった」

                              (明日に続く)

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(19.4.11)友よ風に向かって走れ(その3)

このシナリオシナリオ1からの続きです。恐縮ですが、シナリオ1・2を読んでいない人は1・2から読み始めてください。

○ 山崎次郎の住んでいる独身者寮(夜)

  6畳一間の空間。本棚には金融関係の本とスポーツの本がならんでいる。机の上には、「ランナーズ」と「陸上競技」の雑誌。壁には等身大の鏡。その前で筋肉トレーニングをしている山崎。5本のエックスパンダーを思い切ってひろげている。相当頭にきている。

山崎「クソッタレ、斉藤のヤツ。ひとを何だとおもっているんだ。ブットバシテヤル。我慢ならん、あれが女の使う言葉か」
 力をいれすぎ、エックスパンダーの1本がきれる。無視してさらに力をいれる山崎。残りの4本がけたたましい音を出してすべて切れる。エックスパンダーを床にたたきつける山崎。

山崎「(怒鳴る)なんでエックスパンダーまで人を馬鹿にするんだ」
  隣から「ウルサイゾ」という声。

○ 神宮外苑コース(1週間目)

語り「それでもぼくは1週間我慢したんだ」

  アジる久子。山崎は急に走るのを止め、自転車に乗っている久子にちかずく。肩が怒り肩になっている。
山崎「もういい加減にしてください。あなたはコーチでも何でもないんです。余計なおせっかいです(顔は怒りにみちている)」
久子「いいえ、私は優秀なコーチよ。大学でもそういわれたの(平然と)」
山崎「ただうるさいだけです。みんな笑ってます。やめてください」
久子「まあ、あなた、怒りで頭がいっぱいで何も気ずいてないのね」
山崎「何が」
久子「あなた、この一週間ですごーく速くなってるのよ。100メートルのラップが19秒。5000メートル、16分のペース、私と同じレベルになったのよ」

  茫然と久子を見つめる山崎。
久子「ほら、知らない。時計も見てないでしょ。人間怒るとバカ力がでるの。だから私は優秀なコーチだといったでしょ」

語り「知らなかった・・・・・」

○ 国立競技場の前の路(夜、9時)

  トレ  ニングの帰り路。自転車を手で引っ張って歩く久子。並んで歩いている山崎。

山崎「(言葉がなれなれしくなっている)前からきこうと思ってたんだけど、斉藤さんはなぜこの銀行にはいったの?」
久子「なぜって?」
山崎「筑波大学の体育学部だったら、教師になればよかったのに」
久子「アッハ  、そのこと。私、本当は体育の教師になる予定だったんだけど、今、教師の口ないの。だから、腰掛けのつもりで親父のコネ使ってこの銀行にいれてもらったって訳」
山崎「でも、大卒の女性を正規に採用したのは今年からだから、斉藤さんはその前に、はいったんじゃない?」
久子「そうなの、実に傑作なんだ。面接したら、短大卒の資格なら採用しますだって。つい腰掛けのつもりなんで、はい、いいです、なんて言ったのが失敗なのよね。おかげで君のアシスタントだもんね」
山崎「(困った表情で)はあ、その・・・」
久子「いいよ、君が困ることないよ。ただ私は教師としての才能があるから血が騒ぐんだ。しかし、君がこんなプライベ  トな質問したの始めてだよ」
山崎「(困惑して)いや、その・・・」

語り「こうして二人のトレ  ニングが始まった」

○ 銀行事務室(9月、朝の打合せ)

  会議室。窓から新宿御苑の銀杏がキラキラ光って見える。課長、山崎次郎、同僚の田中明、大川誠、斉藤久子、山本洋子の課メンバーが神妙な態度で課長の指示を聞いている

課長「K物産とのゴルフコンペ、1週間早まって今週の日曜日に、変わったよ。なにしろ大切な取引先だから、きばってやってや(浮かれた調子で)」
山崎「エエ!再来週じゃないんですか」
課長「K物産の都合で、来週になりました(冷たい口調で)」
山崎「それはないですよ。来週は困ります」
課長「ほうー、それはなぜですか(唖然としながら)」
山崎「マラソンの試合があります。K物産とのコンペは再来週と聞いていました。だから10キロの大会に2か月前から申し込んであります」
課長「お客の都合なんだから、仕方ないでしょう。君も銀行員なんだから、そのぐらいの融通をつけるのが常識でしょう(憤然と)」
山崎「しかし・・(久子の顔を見る。平然とした表情で横を向いてる久子)やはり駄目す。一週間違うと調整がくるいます」
課長「(冷静さを完全に失う)な、何をいうか。お前は自分をダ ービ ーにでる馬と勘違いしているんじゃないか。K物産はお前の担当だ。出なさい。命令です」
山崎「(ふたたび久子を見る。平然と窓外を見ている久子)その、やはり駄目です」
課長「(机をたたいて立ち上がる)出ろ。業務命令だ」

  険悪な雰囲気にたまりかねて、同僚の田中が助け船をだす。
田中「私、私がでましょう。どうせ、日曜日は暇ですから」
課長「・・・・(田中の言葉を無視して山崎を睨みつけている)」
田中「僕はゴルフが好きですから」

  かろうじて自分を取り戻す水谷課長
課長「じゃ、田中君がそこまで言うなら・・ まあ、田中君に頼みましょう。しかし、先輩のつけを後輩が払うんじゃたまったもんじゃないね(皮肉っぽく)」
山崎「(小声で)田中君、すまない」
田中「いいですよ、暇ですから」
課長「(聞きとがめて)ふん、立てていい先輩とそうでない先輩がいるのです」
山崎「はは、どうも(頭をかきながら)」
課長「(軽蔑しきった目で山崎を睨みながら)えぇ  と、それから最後になりましたが、今日、1時に上原取締役が9月の特別運動の支援をかねて視察にこられます。取締役をかこんでの会議をしますので全員出席するように。以上」

○ A銀行事務室(12時まえ)

  久子と山崎がいる。他の課員はいない。山崎は昼のジョギングにでようとして久子に話かける。

山崎「昼のトレーニングにいってくる」
久子「手をぬくなよ(小声で)」
山崎「今日のことだけど、やはり、ゴルフには出るべきだったかな。試合はいくらでもあるんだし」
久子「君、さっき私の顔、チラチラみてたけど絶対にひよっちゃ駄目だよ。君は一見頑固にみえるけど、気のいいところがあるんだ。それが一流になれない原因だよ」
山崎「うん、まあ(やや不満げに)」
久子「それと、今日は取締役の視察があるから、おくれちゃ駄目だよ」
山崎「OK,OK,12時半には戻ってくる」

○ 事務所の裏口

  トレ  ニングウェアでいきおいよく飛びだす山崎。黒塗の自動車が、急に裏口に入ってくる。自動車と接触する山崎。運転手があわてて飛び出してくる。

運転手「君、急に飛び出すなんてあぶないじゃないか。えっ、大丈夫?怪我ない?」
山崎「はは、大丈夫、なんとも無いっす」
  かけだす山崎。茫然と見ている運転手と車内の上原取締役。

○ 神宮外苑コ  ス(昼休み)

  山崎が軽い感じで走っている。時々時計を確認。後ろからえんじのユニホ-ムを着た早稲田の選手が近づいてくる。山崎と並び、さらに追い越そうとする。早稲田の学生を見る山崎。いつも競争になる学生であることが分かる。急にスピ-ドを上げる山崎。まけじとスピ-ドをます早稲田の学生。互いに歯をくいしばり懸命の力走。並走して5周するが互いに追い抜くことができない。荒い呼吸。ついに早稲田の学生が「アァ-」という悲鳴をあげ、急にスピ-ドを落とす。思わず笑みがこぼれる山崎。時計を見る。

山崎「しまった。昼休み過ぎちゃった」
  夢中で事務所に戻る山崎。

○ 会議室(1時15分)

  上原取締役が中央奥、その横に関支店長(43才)と水谷課長、神鳥課長が神妙な顔をして座っている。他に20名の職員が左右に座っている。

支店長「全員そろったかね、山崎君はまだのようだが」
課長「(当惑しながら)あっ、いえ、山崎はちょうど取引先周りをしておりますので、先に始めてください」
支店長「では、取締役、お願いします」
  立ち上がりスピ-チを始める取締役
取締役「うむ、では、えぇ-、今日は大変忙しい中、諸君に集まってもらったのは、9月の特別運動にさきだって・・・」

  会議室にあわてて飛び込んでくる山崎。顔がほてり、汗がひたたり落ちている。荒い息。シャツは汗でビショビショ。
課長「(当惑しながら)山崎君、早くここに座りなさい」
  朦朧としながら課長の横にすわる山崎

取締役「君、さっき自動車にぶつかった人じゃないか。身体、大丈夫?」
山崎「はは、勿論、大丈夫です」
取締役「さっきは、ランニングスタイルだったけど、いままで走っていたの?」
  水谷課長が咳ばらいをする。
山崎「すいません。すぐに帰ってくるつもりが、早稲田の学生と競争になり、つい夢中になって」
  にがりきった顔の水谷課長、にやにやしている神鳥課長
取締役「実は君は取引先に行っていることになっているんだけどね」

  笑い出す神鳥課長。憮然とする水谷課長。にがりきった支店長。怪訝な顔の山崎。

○ 10キロミニマラソン(昼)

  皇居の外苑を二周するミニマラソン。参加人員は300名ほど。快調に走る山崎。ストップウオッチを片手に山崎をみている久子。終始トップグル-プにいる。久子の余裕の笑み。警視庁前で山崎がスタ-トし、一気に他の選手を引き離す。トップでゴ-ルイン。久子とVサインをかわす。

○ A銀行事務室(翌週の月曜日の朝)

語り「僕は前日の10キロで31分をきったので、ほとんど、頂天になってしまった。

山崎「いや、今でも信じられないんだ。34分を切る自信はあったけど・・・・ところが31分を切ったんだもんなー。もうすこしで第一線級のランナーだよ・・・・・、もうー、嬉しくて、嬉しくて(感動的に)
久子「君、よくやったよ。すこしフォーム改造すればもっと速くなるよ。でも事務室であまりはしゃぐのは、賛成しないな」
  そこに水谷課長がやってきて思い切り皮肉をいう。

課長「山崎君、君には全く興味はないでしょうが、昨日K物産とのコンペがありましてね。田中君は実によくやってくれました。おかげでK物産の常務、大喜び。なんと5千万の投資信託を取り組んでくれることになりました。この実績は当然、田中君のものです。融資も5億の申込み。まあ、君には荷重でしょうから、私が直接稟議をかきましょうか。あっ、そう、そう君は マラソンのことしか頭にないんでしたね」
山崎「・・・・・・」
  背を向けて去る水谷課長。久子の顔を見る山崎
久子「ねー、言ったでしょ(いたずらっぽく )」

                              (明日に続く)

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(19.4.10)友よ風に向かって走れ(その2)

 このシナリオシナリオ1からの続きです。恐縮ですが、シナリオ1を読んでいない人は1から読み始めてください。

○ A銀行事務室(午後4時)

  山崎が事務所に帰ってくる。水谷課長が真っ赤な顔をして待ち構えている。他の課員(男2人、女2人)はじっと息をひそめて様子をうかがっている。

課長「山崎君、こ、ここにきなさい(興奮して声にならない)」
山崎「はい、なんでしょうか」
課長「バ、バカか、おまえは」
山崎「なんでしょうか(平然を装う)」
課長「なんでしょうかは、な、ないだろう。河村商店から電話があったんです、電話が!(一呼吸おき、肩をいからせながら)10億すぐ解約したいと言ってきました! 10億ですよ。お前の無礼さが我慢ならないので、もう取引しないと、いってきました!(ひと息おいて)えー、何いったんだ(かなきり声で)」

山崎「べつになにも(平然と)」
課長「べつにだと。犬でも飯をくうと言ったというじゃないか。それが銀行員のいう言葉か。私がすぐに河村商店にいって頭をさげてきたからいいようなものを、君はいったい幾つになったんだ」
山崎「はい、27才です(明るく)」
課長「(呆れて)君は歳を言うとき、す
 こし恥ずかしがったほうがいいんじゃないか。いいですか、銀行は客がすべてです。何を考えているんだか、28にもなって」
山崎「27才です」
課長「そんなことを言っているんじゃない。もういい。頭が痛くなる(顔をそむける)」
  席にもどる山崎

語り「今日はさすがに反省した。ちょっとやりすぎたかな」

  第2課の神鳥課長(41)が水谷課長にそっと近づき、小声でささやく。
神鳥課長「(皮肉をこめて)おたくのランナー 、またヘマしたの、君も大変なんじゃない。支店長も心配してましたよ」
  憮然とした表情で神鳥課長を無視する水谷課長。山崎は自分の席に座って伝票を整理しはじめる。しばらくして同じ課に属する同僚の斉藤久子(25才)が、水谷課長が席を立ったのを見計らって山崎にちかずき、声をかける。

久子「相変わらずね、あんた。要領がいまいちだね」
  無視する山崎。
久子「ほう、今日の君は貝か?どうやら河村社長と課長のダブルパンチで唖になったようだね」

語り「誰とも口をききたくなかった。十分傷ついてたんだ・・・それにこのひとはとびっきり口がわるいので、こんなときもっとも不適で・・・」

山崎「(しぶしぶ)何か用ですか」
久子「用がなくて君に口きくとおもう。どうも、君、わざと課長を挑発してるんじゃない(からかうように)」
山崎「まさか。僕はそんな悪じゃないですよ」
久子「そうかなあー。ポーカーフェイスの胸の内は嵐か?まあいいわ」
山崎「用はそれだけですか(めんどくさそうに)」
久子「いいえ。用あり。今日私に付き合いなさい。6時。S喫茶店よ。いいわね」
山崎「良くないです。トレーニングがあります」
久子「いいこと、今まで私の誘いを断った男性はいないの」
山崎「それは斉藤さんが強引だからですよ」
久子「いいえ、私にえもいえぬ魅力があるから。いいわね」

  山崎、あっけにとられる。
山崎「(むっとしながら)それより、この書類、ファイリングしてください。こっちの書類はコピーとって」
久子「頭にきて、雑用をいいつけましたね。そんなこっちゃ出世しないよ」
山崎「おおきな御世話です」

語り「今日は最悪の日だ」

○ S喫茶店(午後6時1分前)

  通りに面したガラスを通して、夕日が射 し込んでいる。黄色い光線につつまれた 喫茶店。逆光に浮かんだ久子。すでにコーヒーが2つ用意してある。山崎がいかにも気がすすまない素振りでドアーを開ける。探す山崎。山崎はトレーニングウエアー。久子を見つけて席の前に立つ。

久子「遅れたわよ、1分」
山崎「1分なんて許容範囲ですよ」
久子「あなた、銀行員でしょ。遅れは遅れ、私が河村社長だったらどうするの」
山崎「用が有ったらさっさと言ってください。用が無ければトレーニングにいきます(ぶっきらばうに)」
久子「ヤネー、立ってないで座って。ね、話はそれから」
  山崎、しぶしぶ座る。

久子「あなた、私がなぜ呼んだかわかる」
山崎「・・・・・・・」
久子「あなた、いい素質してるよ。見てたんだ。神宮外苑。いいスピードだね。でもまだだめ。もっとトレーニングしなくちゃ・・・・・ 一流にはなれないよ」
山崎「なんで僕のトレーニングをみるのですか(改まった口調で)」
久子「勿論、興味があるから。要領は最低。 顔、頭は並みてとこかな。上司のおぼえ最悪。ただしスポーツにたいする情熱は一流。ランナーとしては将来性あり。面白いじぁん」
山崎「あなた、僕をからかってますね。それに、僕はあなたより年上です。もうすこし言葉遣いに気をつけてください(憤然と)」
久子「ヤダ、怒ったの。貴方が言葉遣いを気にするなんて、はじめて知った。ゴメン。でもね、本当、あなたのトレーニング、興味深々」
山崎「だから、何故?」
久子「フフーン、さては君は私の経歴をしらないな。元筑波大学女子陸上部キャプテン。5キロ、16分を切るスプリンター。おしむらくは、今は骨折して引退」
山崎「うそでしょ!」
久子「驚いたでしょ。あなたより早いのよ。あなたのラップは、5キロ、17分。わたし計ったの」
山崎「僕は市民ランナーだから、これでいいんです(憮然と答える)」
久子「アッ、君、ふたたび怒ったね。でも私、君の素質みとめたの。ただし、優秀なコーチがいるね。私がコーチになってあげよう(自信たっぷりに)」
山崎「まさか!」
久子「いや、まさかじゃないよ。君のコーチを引き受けてあげよう(さらに自信に満ちた態度で言う)」

  呆れてじっと久子の顔をみる山崎。気を取り直して
山崎「10年間、自分だけでトレーニングしてきました。だからコーチはいりません(断固として答える)」
久子「10年でその程度だから、コーチがいるの」
山崎「とにかく断ります。トレーニングがありますので失礼」

  席をたつ。久子をぐっと睨らむ。肩をいからせ喫茶店をでようとして、ふとコー ヒー代を払うか否か躊躇する。久子が席にすわったまま声をかける。

久子「私、奢るよ。あっ、それからね、君が担当させられたK物産、要注意だよ。目をはなしちゃだめよ」
  山崎はなにも聞かず店をでる。

語り「なにしろ今日は最悪の日だ」

○ 神宮外苑コース(次の日)

  夕方6時、晴れ。山崎次郎がいつものように、一周1300メートルのコースでトレーニングをしている。後ろから自転車に乗った久子がついてくる。山崎はま ったく久子を無視するが、一方久子は執拗に指示をとばす。

語り「本当にコーチするとは思わなかった」

久子「足があがってない。胸をもっとはれ。腰が落ちてる。ちゃんと腕をふれ」
  山崎は完全に聞こえないふりをする。
久子「なんだ、その走りは。子供じゃないんだぞ。ラップが遅い、足がついてんのか」
  二人づれの通行人が笑っている。
久子「バカ、のろい。お前は亀か、うすのろ亀」

  前を走っていた高校生がおもわず吹き出す。山崎は顔を真っ赤にして急にスピードをあげる。自転車も加速される。
久子「ほれ、やりゃあできるだろう。手をぬな、亀」

  山崎は懸命に自転車を引き離そうとするが、自転車のほうが速いので引き離せない。トップスピードで歯をくいしばる。久子、かすかに笑う。

○ 神宮外苑コース(2日目)

  夕方6時、雨。翌日も山崎のあとを久子が自転車で追いかけている。山崎は今日も挑発に乗せられて懸命に走らされている。

語り「2日目、このひとの口のわるさは・・・」

久子「雨がなんだ。フグを見ろ。おまえより速い。なんだ、ふくれるだけか。スピードだせ、フグ」
  傘をさした女学生が笑い出す。
久子「足のきれが悪い。腰が落ちてる。バシャバシャ水しぶきをあげるな。子供の水遊びじゃないんだぞ」
  歯をくいしばって自転車を引き離そうとする山崎

                                  (明日に続く)

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(19.4.9)友よ風に向かって走れ(その1)

 まったく、申し訳ありません。今日からしばらくは、私が昔作成して、テレビ放送一歩手前まで行ったシナリオを分割して掲載します。これはまったく個人的趣味なので、ボランティア活動記録を期待している人には期待はずれでしょう。シナリオの題名は「友よ、風に向かって走れ」であり、マラソン好きの人には興味を持ってもらえるかもしれません。一部表現が古くなった箇所は修正しました。

○ 神宮外苑(夏、昼休み)

  一周1300メートルのジョギングコース。太陽がきらめいている。夏真っ盛り。昼休みを利用してジョッカーが練習をしている。ジョッカーの中に山崎次郎(27)がいる。相当速い。後方からえんじのユニホーム早稲田大学陸上部の選手がせまってき、抜きさろうとする。山崎もスピードを上げ抜かさせない。一周並走。

語り「ぼくは山崎次郎、27才。A銀行新宿支店の得意先係。これといった特徴はないけど、ジョギングが唯一の趣味。時間がすこしでもあれば、勿論、トレーニング。昼休みは僕の大事なトレーニング時間。天候
 なんか関係なく、ここ神宮外苑でジョギングをする」

  二人の顔が歪み、息が弾む。汗が滴りおちる。学生が「アァ 」という悲鳴をだして、急にスピードを落とす。後ろを振り向く山崎次郎の頬に勝利の笑み。

語り「でも、僕の上司の水谷課長、このジョギングが面白くない。昼休みも営業時間だと課長はいうけど、まともに聞いてたら、トレーニングなんてできっこない」

  神宮外苑コースを3周し、事務所に帰るため、コースから外れる。腕時計を確認する山崎。

山崎「やったぜ、5秒短縮!」
  思わず右手を上げガッツポーズ

○ タイトル「友よ、風に向かって走れ

○ A銀行新宿支店の前(午後0時50分)

  昼休み、客がたてこんでいる。事務所の中は超繁忙。水谷課長がいそがしそうに応接している。

語り「でも、若干はジョギングしていることに気がとがめているんだ」
  裏口から見つからないようにこっそりと入いる山崎。裏口でIDカードのチェック。事情を知っている警備員が笑って見ている。

○ A銀行新宿支店の事務室内(午後1時)

語り「今日、課長はとくべつに機嫌が悪かった」
  課長の水谷(45才)が、いらいらしながら山崎をまっている。時計が1時を示したと同時に、山崎が事務室に入ってくる。髪の毛が濡れており、シャワー室から出てきたばかり。顔が赤く火照っている。水谷課長はチラッと大時計を見る。

課長「(頬を緊張させながら)お客さんから電話がありました。勿論、君にですよ。たまには昼休みに事務所にいてもらいたいものですね。ここはトレーニングジムではないんだから」
山崎「(にこやかに)勿論ここは世界的にも有名な大銀行です」
  軽蔑の眼差しの課長。メモを見る山崎。

語り「メモには、大口預金者、魚市場の中卸し、河村商店の河村社長からの伝言が残されていた。河村社長は当店きってのこわもてのお客なのだ」

山崎「アター、12時30分、すぐ来られたし、か(溜め息をつく)」
課長「アターなどとは、まともな銀行員の使う言葉じゃないでしょ(聞きとがめる)」
山崎「(課長を無視して)これは、まあ、・・・行っても無駄だなあ」
課長「なにが無駄なのですか。お客様から来いといわれれば、地のはてまでもいく、それが銀行員です。君はランニングする時間はあっても仕事をする時間は無いんですか(言葉は丁寧だが、声は怒りに震えている)」
山崎「(課長に向かって)あっ、いえ、あの社長、いつも用件は言わないですぐに来いとよびつけるんです。あ  あ(溜め息)。(課長を無視して)遅れると用はない、帰れだし・・・・今日はと・・・・30分遅れか。こりゃだめだ!」

課長「(興奮した口調で)そ、そんなことは、行ってみなければ分からないでしょう。だから、昼休みは待機だといつもいってるでしょ! ・・・君はどうやら仕事というものを理解してないようですね」
山崎「業務時間中はベストを尽くす。それが仕事だと思っています(冷静に)」
課長「ほう、そうですか。では大口たたくだけでなく実績で示してほしいものですね。今月の君の預金獲得目標は1億です。忘れないように、いいですね(皮肉っぽく )」
山崎「1億、分かってます(平然と)」

  書類カバンをかかえ、得意先まわりにでかける山崎。軽蔑した目で見送る課長。

課長「何が分かってるんだか。あれで大卒かね(独り言)」

語り「ジョギングのこととなると、いつもこうなるんだ」

○ 河村商店に行く途中の道路

  交差点の近く。自転車を飛ばして河村商店に向かっている山崎。額から汗。身障者が車椅子の車輪を歩道の溝にはめて当惑している。通り過ぎる山崎。しばらくいって振り返る。誰も助けようとしない。時計を確認する山崎。

山崎「なんだよ、誰も助けないのかよ。日本はどうなっちゃってんだ」
  車椅子の車輪を溝からはずす山崎。
身障者「あの、大変申し訳ないのですが、私このビルに用があるのです。階段の段差がきついので後ろから車椅子を持ち上げるようにして押してくれませんか」
 ビルを見上げる山崎。再び時計を見る。

山崎「ちょっと急いでるんだけど」
身障者「お願いします。手伝ってくれる人、なかなかいないんです」
  身障者の顔をじっと見る山崎。当惑している身障者。

山崎「(決心して)分かった。いいですよ。押します」
  階段を登らせる山崎。階段の上でふかぶかとお礼を言う身障者。あわてて階段をかけ下り、自転車に飛び乗る山崎。
山崎「まじい、かなり遅れたぞ」

○ 河村商店の事務所(午後2時)

  魚市場。狭い2階建ての事務所が並んでいる。河村商店の古い大きな看板。中が丸見え。真ん中にとびきり大きな机と背もたれの高い豪華な椅子がある。河村社長があたりを威圧するように座っている
  山崎がすぐにこないので、おかんむり。回りの店員は、おどおどした様子。飛び込んでくる山崎。

社長「なんや。なぜすぐこんのや、アホンタレ!(怒鳴る)」
山崎「ちょっと外に出ていましたので(できるだけ冷静さを装う)」
社長「あほか。携帯電話ちゅうもんがあるやろ。外でも、ちゃーんと連絡はとれるはずや。おおかた飯でもくろうて、休んでたんやろ、アホー!(机をたたく)」

語り「いつもこうなんだ。この人は自分以外の人が食事をすることが信じられないらしい。今日、僕は意地をみせた」

山崎「犬でも飯をたべます。御用件をおっしゃつて下さい(慇懃に)」
社長「なんや、なんや、その言いぐさは。わいをおちょくってるんか。それがお客にむかって言う言葉か。アホー、もうええ。なんの用もあらへん。かえれ!(完全に怒る)」
山崎「お客様から来いといわれてきたのです。用件をおっしゃってください(平然と)」
社長「なんやて!もういちど、いうてみい。わいにたてつくんか! アホ-、用がないといったら、なんの用もないんや、帰れ、馬鹿!」
山崎「(ぶっきらばうに)分かりました。また宜しくお願いします」
  さっさと出ていく山崎。
社長「気色悪いやっちゃ。商売のいの字も知らんのとちゃうか!」

                                (明日に続く)

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(19.4.8)失敗記 その6

 これは本当の話である。私は冗談が多いので、冗談と真実との境目がはっきりしないが、実際シナリオライターになろうとして、足掛け4年間奮闘努力した。
 そして、プロになれる一歩手前で挫折した。45歳前後の話で、約15年ほど前になる。

(シナリオライターの巻)

  東京にはいろいろな教室がある。放送作家教室もその一つで、プロのシナリオライターを養成するため、現役のシナリオライターが指導に当たっていた。
 金子成人氏や、布施博一氏や、竹内日出男氏といった日本のシナリオ界を代表する人たちがかわるがわる教師になって指導をしていた。
 
 当時の放送業界は、バブルがはじけた後もなお収益を十分確保しており、テレビドラマ制作に対し十分に資金をつぎ込むことができていたらしい。そのため、新人のシナリオライターの発掘が急務だったのである。

 生徒数は正確に何人か分からない。しかし常時300人程度はいたと思う。シナリオ教室はいつも満員だった。ここで生徒はプロのシナリオライターの指導を受けながら、4百字詰め原稿用紙で60枚程度の作品を、年間2本作成することが義務づけられていた。

 そして、年に1回、教室内のコンテストがおこなわれ、私は1989年度のコンテストで、優秀賞を取った。題名は「市民ランナー1990」と言う。
 当時から私はマラソンが趣味で、よく神宮外苑でトレーニングをしていた。その経験と、私が勤務していた金融機関の渉外担当の経験をミックスして、うだつのあがらない職員が、マラソンランナーとして成功していく話を作ったのである。自分史に近い。

 よくシナリオ世界では、一本だけはすばらしい作品が書けるという。自分史を書くと、個性的で他人から見て大変興味のある話が書けるからだ。
 ビギナーズラックとも言う。私の場合それだったのかもしれない。

 たまたまこのコンテストの審査委員に、日テレのディレクターがいた。私の作品を読んで、自分が担当しているテレビドラマで放送してもいいと言う話が持ち上がった。

 私は舞い上がってしまった。
金融機関の仕事はアキアキだ。ようやく私も自由業者になれる。小椋佳みたいだ
 その後、日テレには何回足を運んだか分からない。金融機関の事務室と違っていつも騒がしく、ディレクターも何かいくつもの仕事を抱えて、集中できないような雰囲気だった。

山崎さん、私の持っている番組は2時間ものなので、2時間になるように書き直してくれませんか
 私は、1時間ものを、2時間物にして持っていった。
山崎さん、この題〔市民ランナー 1990〕じゃだめだな、題名を変えてくれませんか
 私は題名を〔友よ、風に向かって走れ〕に代えて持っていった。
山崎さん、すまん、時間がなかったので、まだ修正版を読んでない。次回までに読んでおくから

 私は放送業界の実情に無知だったが、当時私の置かれている立場は、プロ野球の二軍選手の立場とよく似ていた。レギュラー選手が怪我や故障で戦列を離れたときに、急遽ピンチヒッターで出てくる選手だ。
 ディレクターはもしもに備えて、単に時間延ばしをしていたに過ぎない。しかし私の場合、いくら待っても出番が回ってこなかった。
 このような状態が、ほぼ1年位続いた。

 その間、私は何本かのシナリオを書き、いくつかのコンテストで、最終審査まで行ったが、いづれもその段階で落ちた。
 この世界は、入選も落選も紙一重で、何かの偶然で入選したり落選したりするのだ。

 だから、もっとも確実な方法は、すでに社会的評価の定まった、シナリオライターを師として、そのライターの引きでデビューを果たすことだった。いわば徒弟制度のようなものだ。

 しかし、45歳を過ぎて、徒弟になるのはつらい。その後もシナリオを書いていたが、だんだん情熱は薄れ、いつの間にか書かなくなってしまった。
まあ、シナリオなんて書かなくても、今の仕事で生きていける
 
 こうしてシナリオライターになる夢は破れた。

 だが、定年後、信じられないような時代が始まった。ブログと言うシステムが普及し、私は毎日ブログを書く生活をはじめた。書いても収入にならないことを除けば、かつて夢見たシナリオライターの生活そのものだ。

 うぅーん、だから、60歳になり、夢が実現したと喜ぼう。

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(19.4.7)剪定は難しい

44_001  四季の道では、植栽業者が定期的に草刈や、落ち葉の回収、大きな木の剪定を行っているが、なぜか低木の植栽の剪定は行わなくなった。予算がないのかもしれない。

 このため、背丈が揃わなくなった、低木の生垣があちこちに出現してしまい、ちょうどぼさぼさの髪の毛のような状況になっていた。昨年の晩秋のことである。
私は長い間、業者が刈り取るだろうと待っていたが、そうした気配がない。特にジャスコ周辺のサカキの生垣が不揃いになっていたが、ここはおゆみ野のメインストリートと言える場所だ。そこの生垣が伸び放題では、街のイメージを損なう。
いつものボランティア精神で、私が剪定することにした。

 しかし剪定は、ゴミの回収作業とは違う。技術がいる。間違って強すぎる剪定をして、街路樹を枯らしたらことだ。
一般にぼさぼさに伸びた枝を切りそろえ、樹形を整える剪定を弱剪定と言う。強剪定のように枝をばっさり切らない。
こうした剪定は家庭の樹木では普通に行っており、私も経験があった。
まず枯れることはあるまいが、念のため本で確認しよう

 私は剪定に関する本や、インターネットで剪定に関する知識をなんども確認して、最後は度胸で剪定を始めた。
しかし、本音を言えば、祈るような気持ちだったのだ。

もし、来年この生垣が枯れたり、樹勢が衰えたりしたら、そおっとこの街をさって、北海道の山奥で暮らそう

かみさん何で私が北海道の山奥でくらさなきゃならないの。周りはヒグマしかいないのよ
ロドリゴすべて、主のおぼしめしのままに
かみさん何言ってんの、あんたがジャスコの前の植栽を枯らして、鎌取から所払いになったからじゃない。隣のヒグマがお近づきのしるしといってシャケ、もってきてくれたけど、お返しはあんたの干物よ
ロドリゴすべて、主のおぼしめしのままに

 しかし、苦労は報われた。春になり生垣の樹勢は衰えることなく、元気いっぱいに成長し始めた。弱剪定は成功したのだ。
見よ、これなら大丈夫だ。私はガーディナーとしても生きていける」急に強気になった。

 今回はテストの意味を込めて、一部の経験のある樹木だけしか剪定をしなかった。やはり怖かったのだ。が、次回はもう少し自信を持って剪定できそうだ。

 そのうちに、四季の道のガーディナーとして、タウン誌に載せてもらえるかもしれない。

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(19.4.6)手形が落ちない HPは作れるだろうか?

人間の愚かさは年をとっても変わらないらしい。頭を抱えている。K小学校の校長先生と約束した,HP(ホームページ)の修正作業をとうとうしなければならない時期がきたからだ。

 昨年のことである。校長先生から言われた。
山崎さん、K小学校のHPはここ数年、更新されていないのです。私としてはHPを何とか活性化したいのです。力を貸してください

 私は人から頼まれていやと言わない性分だから、大見得をきった。
校長先生、私はシステム経験15年です。何とかしましょう

 言ってすぐに後悔した。確かに私は15年間、ある金融機関のシステム部にいたが、実際はプログラム1本組んだことがない。
 プログラムは子会社か、ソフトウェア会社のプログラマーが組んでくれたので、私は単に発注をし、スケジュールが遅れないように督促し、出来上がったシステムを検収していただけだ。

 口だけは達者になった。
貴方のところでは、品質管理がとても十分とはいえない。プログラマーの資質に問題があるのではないですか。バグが多すぎる。もう一度テストしなおして、持ってきてください。検収はNGです
 正直言って口だけのシステムマンなのだ。

 しかし、校長先生と約束してしまったので後には引けない。そおっとジャスコ鎌取店のパソコン教室にかよって、HPの作り方を習った。
 自分でHPを立ち上げて、操作方法に習熟しようとしていた矢先、パソコン教室のサイモン先生からサジェスチョンを受けた。
山崎さん、HPの時代は終わりますよ。これからはブログの時代です。今現在はまだブログの機能が、HP並とはいえませんが、すぐに追いつきます。ブログを作ってはいかがですか

 私は人から言われると断れないたちだから、すぐにブログを立ち上げた。しかも完全にはまってしまい、機能比較と称して7つもブログを立ち上げてしまったのだ。
 サイモン先生から言われた。「ブログの第一人者ですよ
 すっかり調子に乗って、いっぱしのブロガーになったつもりでいた。

 最近になって、校長先生が再び言われた。
今年の4月からは、HPの更新の権限は、教育委員会から校長に下ろされます。是非とも学校のなまの声をフケイの方にじかに伝えられるようなHPにしたいですね

しまった、学校が必要とした技術はブログではなくHPだった
私は真っ青になった。 HPの研鑽をすっかり忘れていたのだ。

このままでは、手形が落ちない。どうしょう
私はあわてて千葉県下の小学校のすべてのHPをのぞいてみた。
 どの小学校のHPも同じパターンに統一されていた。教育委員会がモデルパターンを示して、それに沿って作っているらしい。

よかった、この程度のレベルだったら何とかなる。しかし校長先生の要望レベルが高くなったら、技術が追いつかない。技術が追いつくまでは校長先生の高まる気持ちを抑えてもらう以外、手はない

 相変わらずの泥縄になってきた。

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(19.4.5)老人パワーが爆発した

44_004  老人パワーが爆発した。すべて60歳以上の定年退職者、6名が集まって里山開発を始めた。「都川源流の再生をはかる会」の初仕事で、県の「里親制度」に基づく、環境整備事業である。場所は四季の道に隣接した、小谷小学校の前の里山だ。

 遊歩道を作り、笹を草刈機ではらい、チィエンソーで間伐材を切り倒した。草刈機やチィエンソーは、県の千葉地域整備センターのK氏とY氏が持ってきてくれた。手ほどきは経験豊かなK氏がしてくれた。

 一般に老人は物覚えが悪いと思われているが、それは誤解だ。老人になってみればわかるが、認知症が発生していない老人は、反対に物覚えが早い。何しろ今まで生きてきた経験がものを言う。
 早速、草刈機2台と、チィエンソー1台を使いこなし、瞬く間に立派な遊歩道を作ってしまった。

 正直に言うが、この里山開発ほど老人にとって面白いものはない。大きな自然のキャンパスに、おもいっきり自由に絵を書いているみたいだ。 それに空気が異常なくらいおいしい。登山をしなくても森林浴ができる。春の芽吹きも始まった。緑がことのほか美しい。鶯も鳴いている。子供のように嬉嬉として半日の作業をしてしまった。

 こんなにもすばらしい里山だが、道路沿いに沿って不法投棄されたゴミが山のようにある。今回はこうしたゴミをできるだけ回収して、千葉地域整備センターの車で回収してもらった。
44_009  実は里山開発の一番の難敵はこの不法投棄されたゴミの回収作業で、これには千葉地域整備センターが、全面的にバックアップしてくれる。こうした自然再生事業は、老人パワーと熱心な行政がタイアップした時に最大の力を発揮する。

 老人は行動力が衰えると思われているが、実際は違う。60歳なんかは洟垂れ小僧だ。身体はまったく衰えていないし、頭もさえてる。
 だから、年金をもらっているだけでは、安倍総理に申し訳が立たない。いままで生活させてもらったこの社会に少しでも恩返しをするのが、老人の役割だ。
 老人の繰言は世の常だけれど、ご意見番だけではいけない。社会に対する不満があれば、率先垂範して解決を図るのも老人の役割だ。

 札幌農学校のクラーク博士の言葉を思い起こそう。
老人よ、大志をいだけ

 ケネディの大統領就任演説を思い起こそう。
国家が老人に何をしてくれるか問うのではなく、老人が国家に対し何ができるか問うてほしい

 今日は、森林の息吹を身いっぱいに浴びたため、異常にテンションがあがってしまった。老人と若者はすぐに興奮するのだ

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(19.4.4)自転車駐輪場問題 再録

43_005  鎌取駅前の自転車駐輪場は実に奇妙な様相を呈している。駐輪場にとめてある自転車はわずかで、一方緑区役所の周りに設置された、臨時の駐輪場(仮置場)には自転車があふれている。

 市役所は、駐輪場の増設をするまでは、この仮置場の使用を認めることとして、4月1日から予定していた駐車禁止区域内にある放置自転車の撤去はしないことにしたと言う。

 放置自転車の定義をご存知だろうか。「利用者等が自転車を離れていて直ちに利用できない状態」を言うのだそうだ。通勤・通学やジャスコでの買い物のために自転車をとめた場合は、すべてこれにあたる。
 はっきり言えば、駐車禁止区域内にとめた自転車は、(そこに人がいない限り)放置自転車になるのだ。

 今回の駐輪場設置については基本的に錯誤がある。ジャスコの前の駐輪場には約400台の駐輪スペースがあるが、そこに止めてある自転車は1000台以上であったことは先に述べた。

 最初から、数が合わないのだ。市役所はあわてて駐輪場の増設を検討しているらしいが、どこに確保するのだろうか。

43_007  一方で、年間7,700円払って正式に駐輪場を利用している人も、少なそうだ。駐輪施設がガラガラあいている。市としては駐車禁止区域内においてある自転車を放置自転車として摘発することで、正規の利用者を増やす予定だろうが、全員が登録してしまうと、こんどは駐輪場が足らなくなってしまう。

 やはりこれはジャスコの前にとめてある自転車台数の数の把握を誤ったか、最初から無理なことを知っていて強引に駐輪場の設置をしたかどちらかだ。
 先日、市会議員候補者で「鎌取駅に駐輪場を設置するために、大いに貢献した」といっていた人がいたが、この人はよほど先見の明がないのだろう。絶対に投票しないほうがよい

 ジャスコの前の駐輪場については、誘導員がいなくなれば、すぐに市の言う「放置自転車」が瞬く間に並んでいる。これまでと一体どこが違うのだろうか。駐輪施設を設置した分だけ、自転車が止められなくなっただけではないか。

 今後とも、鎌取駅に通勤・通学のために自転車の使用台数は増え続けるに違いない。一方、駐輪場設置場所は確保が難しい。無理に確保しようとすると、駅から遠くなる。
遠い駐輪場は利用されない。京成電鉄おゆみ野駅の駐輪場を見てほしい。誰も利用してないではないか。

 したがって、市の意図とは別に、臨時の仮置場はなくすことができないだろう。単に、ジャスコの前から、緑区役所の前に自転車が移動しただけになってしまった。
駐輪場設置については、事前検討を十分におこなわないまま、強引に推し進めた愚策だ。

(19.6.4追記)
仮置場を正式な置き場として料金をとるところまでは読めませんでした。市の方が一枚上手でした。

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(19.4.3)失敗記 その5

数学をつくった人びと〈1〉 Book 数学をつくった人びと〈1〉

著者:E.T. ベル
販売元:早川書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 信じられるだろうか。私は数学者になろうとしたのである。数学ができるからか。否、まったくできないからだ。

(数学者の巻)

 数学がわからなくなったのは、高校1年生の一学期からである。複雑な因数分解がまったくできなかった。以来数学は苦闘の連続だった。
 対数三角関数なんてほとんど理解できなかった。教師は大変丁寧に教えてくれていたのだけれど、何しろ基礎がまったくないのだから理解のしようがない。

 だから、高校3年生になって、数学の授業を受けなくて済んだときは、心底ほっとした。「これで数学とは永遠におさらばだ。数Ⅲなんて知るか

 しかし、正直言ってこの数学ができないことは、私の心の中に深いコンプレックスとして残ってしまった。本当は数学者になれる才能があったにもかかわらず、ちょっとした手違いで道を踏むはずしてしまったのではなかろうか。

 就職では、別に数学ができなくてもなんら問題はなく、数学のことはトンと忘れていた。ところが私が30歳になったある日、衝撃的な本を見つけてしまった。
 本の名前は「数学をつくった人びと」と言う。E・T・ベル著で、この本は1937年に発行され、その後、数学史上ではもっともよく読まれた名著だった。
 物語数学史で、数式は簡単なもの以外はまったく記載されていない。もっぱら数学者の生き様と情念を記載していた。私はこの本をむさぼるように読んだ。

 その結果、「数学界の王者はガウス」で、「貧困の天才はアーベル」で「天才と狂気の数学者はガロア」だ、というような知識でいっぱいになってしまった。アーベルの味わった貧困に涙し、20歳で決闘によって散っていったガロアに同情した。ガウスの誠実さには心を打たれた。

 そして、信じられるだろうか。私は数学者になると決心したのである。情念だけで数学者になろうとしたのだからすごい。さっそく数学関係の本を買いあさった。
 ヒルベルトの「幾何学の基礎」やカントールの「超限集合論」のような、歴史的文献を集めて、本棚に飾った。棚が数学書でいっぱいになった。
うん、数学者らしくなった。本がないと学者らしくない

 しかし、こうした本は、何が書いてあるかさっぱり理解できなかった。これでは数学文献のコレクターだ。大学の数学の教科書で勉強しなおすことにした。
大学の数学ぐらいならわかるだろう
 昔、数学専攻の友達が、高木貞治の「解析概論」を持っていたのを思い出して、まねて勉強を始めた。しかしこれも最初の1ページを見ただけで、何が書いてあるのかさっぱり理解できなかった。

うぅーん、大学の数学もタフだ
仕方ないので、基礎から始めることにした。高校の数Ⅰ、数Ⅱ、数Ⅲを学びなおすことにしたのである。定評のあった矢野健太郎(ヤノケンと呼ばれていて高校生の間で評判が高かった)の参考書を買い込んで勉強を始めた。

 私は当時営業担当だったが、あいている時間はいつもヤノケンの参考書を解いていた。営業の途中でも参考書を忍ばせた。夢中になると降りる駅を間違えて、約束の時間を違えた。言い訳が大変だった。
ちょっと、考え事をしていて、降りる駅を間違えました。申し訳ありません
頭のええ人は、考えることがぎょうさんあって、大変でおますな」と思いっきり皮肉を言われた。

 こんなに努力した結果、3年目にようやく数Ⅲにたどり着いた。高校時代にすっぽかした、あの数Ⅲだ。ここで極限の概念をはじめて知ったが、何度読んでも極限が理解できなかった。覚えておられるだろか、∞ー∞のような、不定形の概念である。ここを突破できなければ、数Ⅲの微分積分に到達できない。

 しかし、当時の参考書はどんな人間にも極限の概念を理解させるようなレベルに達していなかった。ヤノケンの参考書でもそうだった。私は涙を飲んで数学者になる夢をあきらめた。
しょうがない、この会社に骨を埋めよう

 それから20年以上たったある日、定年後のことを考えた。
定年になって有り余る時間を過ごすのは大変だ。時間つぶしがないと生きていけない

 昔、数学の参考書を時間を忘れて読んでいたことを思い出した。今度は、大学受験の雄、馬場敬之(けいし)の参考書で勉強を始めた。彼が「どんな人間にも数学を理解させることができる」と豪語していたからだ。
パーでも大丈夫」といっているに等しい。
 私は彼の参考書を読んで初めて極限の概念を理解し、数Ⅲを理解した。
もしかしたら、数学者になれるかもしれない」再び舞い上がった。

 しかし、まあこの年だ。
数学者にはなれそうもないが、数学の愛好家ぐらいにはなれるかもしれない。希望を持って生きよう。

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(19.4.2)失敗記 その4

 私は若い頃、国連職員になりたかった。何回かトライしたが結局なれなかった。およそ20年前、40歳の頃の話である。

(国連職員の巻)
 私も時代の子である。国連に対し尊敬と憧憬の念を持って育った。国連による世界平和や、国際語エスペラントの普及を心から願った一人である。最近になり、国連が地域紛争さえ解決できない現状や、国連職員の汚職体質を知ったが、それまでは純粋に国連を支持していた。

 国連職員の募集は定期的に行われており、特に一時期は、日本人の国連職員が少ないため、積極的なリクルートもされていた。
 しかし、条件が厳しい。英語かフランス語で実務ができ、修士課程以上の学歴を持ち、専門家として相応の社会的実績があることが、基本条件になっていた。

 どれを見ても条件がクリアーできない。英語は学校英語で片言だし、修士の学歴はない。日本のサラリーマンだから、専門的知識より、社内遊泳術のほうが得意なくらいだ。

 思い余って社会人入学を認めている大学院の入試を受けることにした。せめて修士号だけでもとろう。しかし学科試験を受けたのでは学力がばれるので、面接と小論文だけで入学を許可してくれる大学院を選んだ。 筑波大学大学院が、そうした条件を満たしていたので喜び勇んで応募した。

 試験官から質問を受けた「どのような研究テーマを選ぶのか
私はあわてて「国連職員のなるための資格として修士が必要なので、テーマは何でもいい」と答えた。
 試験官は笑っていたが、すぐに「不合格通知」を送ってきた。正直すぎたと反省した。

 正式な国連職員になるのは無理だとわかったので、各国連機関が独自に募集している、臨時職員に応募することにした。スペシャリストと言う。たまたまスイスのジュネーブにある国連の下部組織がスペシャリストの募集をしていた。
パソコンの操作能力が高く、英語で日常会話ができること」が条件だった。

 これなら何とかなりそうだ。3名以上の推薦者がいることになっていたので、部下に強引に頼んで立派な推薦状を作った。相当程度誇張もした。
山崎次郎氏は英語に堪能で、業務を遂行するに足る十分な能力を要しております。またパソコンの操作については、スペシャリストとしての能力があります

 しばらくして、スイスから電話が来た。「前任者が不慮の事故にあったので、すぐに来てほしい。場所はソマリアでパソコン通信のスペシャリストが必要だが、貴方が条件に一番あっている

 ソマリアは世界でもっとも危険な紛争地帯だ。確かに私は国連職員になりたかったが、本音はスイスの湖畔でのんびりとつりをしたり、ヨーロッパで旅行をしたかっただけだ。ソマリアだったら、銃弾の中でパソコンを操作しなければならない。
 それに正直言えば、英語だってろくにできないし、パソコンの操作はワードとエクセルが扱える程度だ。  

 しかし、意欲満々の推薦状も書いてもらった手前、無下に断れない。 見栄がある。
男は見栄がなくなったら、男じゃない
 一応、妻と相談してからと言って電話を切った。

 かみさんに相談したら、「馬鹿じゃない」と言われた。すぐに見栄からさめた。

 翌日、「現在の仕事が手が離せないので、今回の話は応じられない」と言って断ったときは、実にほっとした。

 後で知ったのだが、臨時職員は国連の中でもっとも危険な場所に送られ、一方、国連の正規社員はスイスやパリやニューヨークのような安全な場所で勤務していた。臨時職員は使い捨てなのだ。もう少しでソマリアの原野で野垂れ死にするところだった。

 こうして、国連職員になる夢は潰えた。

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(19.4.1)ロドリゴからのお願い

 最近のロドリゴは完全にうつ状態に陥ってしまった。理由はある。四季の道の街路灯の破壊行動が止まず、盗難自転車はますます増え、盗難バイクまで四季の道に放置されるようになったからだ。

 警察にも相談に行ったが「全体問題は地区の自治会や、学校教育の問題だ」とやんわりと断られてしまった。個別に問題が起こるたびに、警察に通報しているが、そのたびに住所・氏名・年齢・連絡先をいわなければならないわずらわしさが付きまとう。

 しばらく前の、犬のウンチに文句を言っていた頃が懐かしいくらいだ。盗難自転車は毎日3台位ずつ増加しているので、盗難・放置自転情報も更新をやめた。量が多いのと、盗難自転車は毎日放置される場所が変わるので場所の特定もできないからだ。

 ペンキでいたずら書きされたベンチを見るのも心が痛む。上からペンキを塗り替えるより手はないのだが、またいたずら書きがされると思うと、塗り替えるファイトがわかない。

 ロドリゴは完全にうつ病になって、四季の道の清掃活動にも支障が出そうだ。特に春の道公園付近に近づくと、心臓の鼓動があやしくなって、目まいまでして来る。昔、仕事でニューヨークに行ったとき、現地の職員から「絶対に近づいてはいけない場所」のレクチャーを受けたが、それに似てきた。

 お願いがある。ロドリゴの窮状を救ってほしい。ロドリゴはやや軽率なところはあるが、心底、四季の道を中心とするこの街を少しでも住み良い街にしようと努力している。
 かみさんからは「パー」と言われながらも、ブログを書いているのもそのためだ。

 このような「ブログ」があり、この街の問題を何とか解決しようとしている人間がいることを、友達に教えていただけないだろうか。一人でも多くの人が見てくれて、声援してくれれば、ロドリゴはすぐに舞い上がってしまう。

 「豚もおだてりゃ木に登る」のだ。ロドリゴがうつ病になって家に閉じこもってしまうと、四季の道はますます荒れ果ててしまう。何とか協力していただけないだろうか。
 幸いこのブログは、ヤフーグーグルで「おゆみ野四季の道」と検索すると、最初のページに出てくる。友達にそのように検索すれば良いと教えていただけないだろうか。

 なお、ロドリゴ本人に励ましのメールをおくる奇特な方は、以下のメールアドレスにメールを送ってほしい。

yamazakijirou@yahoo.co.jp

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(19.3.31)最近の四季の道

330_013  最近の四季の道の現状を書くことは大変につらい。有吉中学校から扇田小学校にかけての春の道周辺で、器物の損壊や、自転車の盗難、ペンキによるいいたずら書き、オートバイの破壊等が後を絶たない。

 私は、ほぼ毎日清掃活動をしているので、どうしてもそうした現場に居合わせてしまう。その都度、千葉南警察署や、千葉南土木事務所に連絡しているのだが、気分がどうしても滅入ってしまう。

 特に器物の破壊については、私が適切な対応ができないので最も悩んでいることだ。春の道橋街路灯については、約2週間前に春の道公園側が破壊され、2日ほど前は、扇田小学校側の街路灯が破壊されてしまった。破壊されていない街路灯を見つけるのが難しいくらいだ。

 また、これも数日前に有吉中学校周辺の壁や指示板に赤のペンキで落書きがされていた。私自身は見ていないのだが、有吉中学校の校門前の壁に、特定の先生を名指しした敵意ある落書きがされていたという。これは学校側ですぐに、上からペンキを塗って消したらしい。
 また個人の家の外壁に、赤い線が一直線に引かれており、その家の主婦が、当惑しながら消していた。

 ますますひどくなる破壊や、落書きを止められないのが口惜しい。捨てられるごみの量が増えることや、犬のウンチが増えること程度であれば、私がどうにでも対応する。ペンキの落書きについても少々のことであれば、上からスプレーで消し去ることもできる。

 しかし、街路灯の破壊や、バイクの破壊、自転車の盗難については何とも手の打ちようがない。警察に届ける端から、次々に発生するので、届けることだけで、疲れきってしまう。

 先日、清掃活動をしていた時、明らかに四季の道を始めて歩いているというそぶりの人が私に「イヤーすばらしい景観ですね」と感嘆していた。
 私は危うく「表面はそうですが、実際はひどい破壊がされているのですよ」と言いそうになってしまった。

 昔見た「アルジェの戦い」という映画を思い出す。アルジェリアの独立を目指すFLNと、それを抑えこもうとするフランスの精鋭部隊との攻防を描いた、ドキュメンタリータッチの映画だ。
 私が思い出すのは、そのときのフランスの落下傘部隊の指揮官マチュー大佐(その後将軍)の言葉だ。
サナダムシは頭をたたかなければけっして死なない

 正直言ってこれは、悪質なサナダムシが徘徊しているのだ。そのサナダムシを突き止めて、頭をたたかなければ解決しない。何ともやりきれない話になってきた。

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(19.3.30)失敗記 その3

(19.3.30)失敗記 その3

 私は若い頃に登山家になりたかった。そしてそれなりに努力したつもりなのだが、なぜかなれなかった。

(登山家の巻)

 私の最初の勤務地は長野市だった。長野は登山のメッカである。たまたま先輩が北アルプスの表銀座コース(燕岳・大天井岳・槍ヶ岳のコース)に、夏、連れて行ってくれた。それから俄然、山に目覚めてしまい、長野市近在の山に時間があれば登るようになった。

 その頃である。新田次郎孤高の人」を読んだ。登山愛好家は必ずこの本を読んでいる。主人公は加藤文太郎(ぶんたろう)で、昭和初期を代表する登山家だったが、惜しくも1936年(昭和11年)冬の槍ヶ岳北鎌尾根で31歳の生涯を閉じた。単独行の文太郎とも呼ばれる。

 普通の人は読んで感心するだけだが、私は「この文太郎を継ぐのは私しかない」とまで入れ込んでしまい、文太郎が行ったトレーニングを真似た。同じトレーニングをすれば、私も文太郎になれる。

 ビバーク対策として、冬の戸外で眠る訓練を始めた。たまたま寮に住んでいたのだが、冬の真っ最中に、寮のベランダで寝ることにしたのだ。衣類を思いっきり着込んで、上からツェルトをかぶった。
 たまたま、私は新婚当初であったので、これが話題になってしまった。
どうも、奥さんとうまく行ってないので、山崎さんは外で寝ている

 かみさんから懇願された。「私の立場がない
 文太郎になるための、ビバークの訓練は約1週間で終わってしまった。実際してみるとわかるが、厳冬の長野市は寒くて寝られるものではない。仕事中にうつらうつらしてしまう。

 文太郎がおこなった絶食の訓練もしてみた。数日間、水だけでどの程度耐えられるかという訓練である。遭難したとき何日持つかがわかる。
 たまたま会社の集合研修が1週間あったときにテストしてみた。三日間何も食べなかったことがある。
 研修担当から「誰か、食事をしない人がいるが、誰か」と問われた。
私は黙っていたが、4日目にたまたまサッカーをすることになって、めまいがして倒れてしまった。私が絶食していることがばれた。
君は、研修に来ているのだから、絶食の訓練なんかしてはいけない」と釘をさされた。3日程度の命だと言うことがわかった。
 
 会社に石をつめたリックザックを背負って通勤する訓練も行ってみた。足腰の鍛錬である。文太郎は20kg程度のリックを背負って通勤していたので、私も当初は20kgにしたが、重いのですぐに10kg程度にとどめた。私が大阪で勤務していた頃である。

 梅田の駅から御堂筋までリックを背負って歩いていた。上司から質問された。
何で、そんなことをするのか
 文太郎の真似だといったところ、あきれ返られた。
その情熱を、仕事に注ぎ込んでもらいたいものだ

 本人は、こんなにも真剣に登山家になろうとしたのだけれど、世間のしがらみにたやすく負けてしまった。文太郎になれない。
 あまりに口惜しいので、登山記録のブログを立ち上げた。
俺だって、この程度は山に登ったのだ
 見て、がっくりした。本当に「この程度」なのか。

 ううーん、「本気で登山家になろうとしたのではなく、単に文太郎のまねをしただけなのではないか」と言われそうだ。
 それでも一応登山ブログのURLを教えておこう。登山好きの人が間違って見るかもしれない。

http://1-0-0-0.at.webry.info/

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(19.3.29)落日燃ゆ おゆみ野の広田弘毅

326_030  「落日燃ゆ」は先日鬼籍に入られた城山三郎氏の名著である。主人公は広田弘毅で、戦前首相まで勤め上げたが、東京裁判で死刑になった。
 著者はこの広田弘毅を「国際協調に尽力し、軍部の独走を必死に食い止めようとした、自己弁明をしない高貴な人物」として描いている。

 私などは戦後教育の最盛期に育ったものだから、戦前の政治家や軍人はみんな好戦家で、広田弘毅もその一人だと思っていたので意外な感じがした。

 実はこのおゆみ野界隈で「落日を燃やしている」人物がいる。私と同じ定年退職者であるが、炎のように燃えている。落日の前のひと時の炎などといってはいけない。落日であると悟ったがゆえに燃えているのだ。

 その人は「都川源流の自然再生をはかる会」の責任者 I 氏である。 現在 I 氏は都川源流の里山で二日とおかず遊歩道の整備にいそしんでいる。

 従来、ここは私しか入ることのない里山で、私は木に巻きついた蔓(つる)と笹薮を切り開くだけで汲々としていた。見ればわかるが、とりあえず切ったという状況だった。

 信じられないことに、そこに I 氏は美しい遊歩道を作ってしまったのである。写真を見てほしい。鎌で笹を根元から切り倒し、切り倒した笹は横に積み重ね、落ち葉だけの遊歩道になったときは、心底驚いた。しかも道を適度に迂回させて、入り口から水辺に通じるように道の設計までしている。

 ここは今まで、マムシと狸が生息していたいわば動物の結界のような場所である。ここを将来地域住民や小学生が自由に遊べる自然とのふれあいの場にするのが I 氏の夢になっている。
山崎さん、ここはいいですね。鶯は鳴いているし、実に静かだ。第一気持ちがいい

 私もここが特別に空気のおいしい場所であることを知っていたので、大いに同意した。回りが木々に囲われているため、住宅地の真ん中にあるのに、深い森林にいるように空気がおいしい。森林浴ができる。

 しかし、私には心配がある。ここはマムシの生息地だ。遊歩道が整備されると人が入ってきてマムシにかまれないとは限らない。もうすぐ春だ。
入り口に《マムシ注意》 の張り紙はしておいた方がいいのじゃないかな」と I 氏に提案した。

 それにしてもここはいい場所だ。不法投棄されたゴミが片付けられ、この都川源流一帯に遊歩道が整備されれば、おゆみ野地区で最高の自然と触れ合える場所になる。なにしろマムシや狸とも触れ合えるのだからすごい。

今日は、嬉しいことがありました。春蘭を二株見つけました」と道造りにいそしむ I 氏から報告があった。実に風流な人だ。

風流の はじめや里の 蘭の春

 芭蕉をまねた。 
 4月からは、県のエコリーダも参加して、本格的な整備も始まる。I 氏人工的でない、自然のままのふれあいの場にするのだというビジョンを持っている。I 氏ならやり遂げるだろう。

 私も及ばずながら協力することにした。

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(19.3.28)それはないよココログ

 今回は本当に困ってしまった。ココログのメンテナンスにである。昨日(27日)の午後3時から、本日(28日)の午後3時まで24時間のメンテナンスに入ってしまった。私が気づいたのは27日の午後5時ごろで、「さて、明日のブログを作ろうか」と思っていた矢先である。「現在メンテナンス中です。しばらくお待ちください」という、メッセージが出ていた。

 ココログが月に1回程度メンテナンスしていることは分かっていたので、いつもの数時間で終わるメンテナンスぐらいだろうと思っていたのだ。

 しかし、信じられないことにメンテナンスは翌日になっても終わらない。
えぇ、これ本当にメンテナンス? 何が起こっているのだろう

 どう見ても、これはメンテナンスというより、システム障害が発生し、システムがダウンしている状態だ。
 私も昔システム部門にいたので、障害そのものには驚かない。普通の人はシステムは障害なんてほとんどないのだろうと思っているが、システム経験者はシステムは障害だらけだということをよく知っている。私も夜中に何回となく出勤し、何とか朝までに復旧させて、ほっとした経験がいくらでもある。

 だから、障害そのものには驚かないのだが、ココログの利用者に対する説明には愕然とした。昨日から「メンテナンス中なので、しばらくお待ちください」という以外は一切の説明をしないのだ。私がシステム部門にいたとき、利用者に何らかの影響がある場合は、逐一障害の内容と、回復の見込み時間を伝えるようにしていた。

 ココログは少しはJRを見習ってほしいものだ。JRは障害について乗客に丁寧な報告と代替輸送手段の情報を詳しく教えてくれる。
ただいま、京葉線では○○駅構内で人身事故が発生したため、全線で運休しております。復旧には30分から1時間程度かかると想定されるため、東京方面にお急ぎの方は、総武線経由で東京方面に行かれるようご協力をお願いいたします

 今日の、1時頃になって、ようやくココログの障害報告を見つけた。それによると障害が発生しているのは、管理者画面だけで、一般の読者画面は見れるという。ブログの更新はできないが、読み取りだけはできているという状態だ
 私は、管理者画面しか見てなかったので、障害はすべてにわたって発生しているのだと思っていたが、一部の障害だとココログは居直っていた。

私はブログの中では、ココログが最も好きなのだが、このトラブル対応だけは最低だ。

どうせただだから、我慢しろ」とは表立って言わないだろうけれど、トラブル対応の実態は、そのように言っているのと同じだ。しかも、障害の範囲とその復旧見込みの報告が、障害発生後20時間も経過してからでは遅すぎる。

 私のようなココログファンにとっても、今回のトラブルは腹立たしい。ココログは日本のブログの草分け的存在で、ファンも多く、また分析機能が充実している。だからブログ作成者にとっては、とても頼もしい味方なのだが、障害対応だけは最悪だ。

 どうにかならないものだろうかとため息が出てしまった。

(追記) 障害関連の項目を再度確認したら、3月7日付けで、24時間のメンテナンスをするとの連絡の記載があった。しかし、この障害項目は障害が発生したときに、確認のために見ることはあるが、通常は絶対見ない画面だ。

 もしそうなら、「3月7日に連絡しましたとおり、24時間のメンテナンスに入っております。27日15時より、28日15時まで使用できません。ただし使用できないのは管理者画面だけで、読み取りは可能です。ご協力をお願いいたします」といってほしいものだ。「メンテナンス中なので、しばらくお待ちください」ではわからない。

障害項目を毎日チェックしていないお前が悪い」とのココログの態度にはやはり、腹立たしい。普段見ることのない画面に記載されているからといって、周知徹底したとはいえない、

 もう一度いうが、ココログには情報をできるだけ教えようとする態度がなっていない。私の誤解もあったが、あまりにもひどいのでブログ本文の修正はしないことにした。

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(19.3.27)失敗記 その2

 しばらく失敗記に付き合っていただきたい。小学校も春休みになり、私も清掃活動の報告だけでは疲れてしまうのだ。第一清掃活動はルーチンワークでもできるが、ブログは毎日同じ内容にするわけにはいかない。目先を変えないと書くことがなくなってしまう。

(自動車ラリーの巻)

 自動車ラリーのナビゲータを頼まれたことがる。友達が行く予定だったのが急遽用事ができて私に代わりにいってもらえないかという依頼だった。たしか大学の3年か4年の頃だったと思う。今から約40年前のことになる。

ナビゲータなんてしたことがないけど、どうするのか」と一応聞いて見た。
友達は「あっちに行けと指示するだけだ」と答えたので、簡単に引き受けた。

 行ってみて驚いた。このラリーは当時日本を代表する国内ラリーで、選手も日本を代表する選手だった。確かTBSがスポンサーになっていた。
 夜中中、奥武蔵と奥秩父の林道を走るのである。ラリーは騒音がうるさいため、夜半に人が少ないような場所で行われることをこのとき知った。

 私がナビゲータをしたのは、審判団と選手を一緒にしたような車で、一番最後尾を走ってリタイアした車の確認をする役割だった。ドライバーはTBSの職員だと紹介された。

 ラリーの選手の車は早い。審判団もそれと同じくらいの走力が要請された。地図を渡されてびっくりした。曲がり角だけの地図で、そこまでいかないとどこが曲がり角かわからない。ナビゲータは曲がり角に来たことをとっさに判断し指示を与えなければならない。

走っている間は、私は厳しいが我慢してくれ」とドライバーにまず念を押された。それからが大変だった。ドライバーは極度に神経が研ぎ澄まされる。人間的会話がまったくなくなった。
ばか、早く教えろ・・どっちだ・・なにやってんだ・・地図も読めないのか・・・道なりかそうでないのか早く言え・・ばか、車が交差点にはいってしまうじゃないか・・ばか

 夜中中ばか呼ばわりされてしまった。思わずむっとしたが、レース中喧嘩するわけには行かない。
お前、ここで降りろ」なんていわれたら大変だ。夜中の林道に置いてきぼりにされてしまう。

 ラリーを実際にやってみるとわかるが、自動車の速度で、ナビゲートするには、それなりのトレーニングがいる。素人が道路マップを見て指示するのとはまったく違う。友達は「あっちに行けと指示するだけだ」と言ったが、「あっちかこっちかさっぱりわからない」のだ。

 曲がり角に来るたびに、地図と場所を確認するのだが、私が確認している間に自動車はその場所を通り過ぎてしまう。
あの、さっきの場所を右だったみたいです
ばか、なぜすぐ言わない。お前、ナビゲータだろ
あの、牛乳屋を左だと思います
あれは、パン屋だ。お前、目も見えないのか

 レースが終わったときはくたくたになってしまった。あまりにばか呼ばわりされたので、ドライバーには挨拶もしないで別れた。

 正直に言うが、私はとっさの判断が苦手だナビゲータなどはもっとも不得意の分野だ。今では、こうした能力の限界をよく知っているが、若いうちはとっさの判断ができないというような限界を認めるのはつらい。

 このときはナビゲータなど二度とすべきでないということがわかっただけでも収穫だったと言える。

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(19.3.26)失敗記  その1

 この年まで生きていると失敗した経験は山ほどある。特に私はやや軽率なところがあるから、普通の人なら絶対に失敗しそうもないことで失敗している。いくつかをご紹介しよう。

(テニスの巻)
 私は学生時代硬式テニスをしたことがなかった。テニスは軟式テニスのことだと思っていたくらいだ。会社に入って初めて硬式テニスと言うものがあることを知った。寮にテニスコートがあり、先輩が手ほどきしてくれたのである。場所は長野市で約35年も前のことである。

 私はしばしこの硬式テニスに夢中になり、何冊かの入門書を買い込み、毎朝出勤前に素振りなどをして、すっかりテニスマニアになってしまった。しかし基礎ができてないのは悲しいことで、バックスイングでまともにボールを捕らえることができない。

 ちょうどその頃長野市でローンテニスクラブ設立の機運が盛り上がった。音頭をとったのは信濃毎日新聞社に勤務するバリバリのテニス選手である。当時テニスコートを持っている会社は少なく、私の勤務する会社にも参加の呼びかけが来た。技術のつたなさは、テニスコートをクラブに開放することで補われたのである。私を含め数人が長野市ローンテニスクラブのメンバーになった。

 不幸は、その年長野県で国体が開催されたことにある。開催場所は松本市だったが、わがローンテニスクラブに審判団の派遣要請が来た。信濃毎日新聞社に勤務している会長から、私の会社からも線審を出すように要望が来た。そのとき暇人は私一人だった。
線審なんて、ボールが入ったか入らないかを見るだけでたいしたことがあるまい。いいですよ」軽く引き受けた。硬式テニスを始めて半年程度の人間が国体の線審をすることになってしまったのだ。

 行ってすぐに後悔した。旗を渡されたが、これが何を意味するのか知らなかったからである。この旗でアウトとセーフの判定をするのだが、私は恐る恐る主審に、アウトとセーフの旗の振り方の手ほどきを受けた。
この人、だいじょうぶ」と主審は疑ったが、試合が始まろうとしていたので、私は線審をそのまま務めることになった。

 当時は沢松和子が全盛時代で、世界ランキング入りをしていた。私が線審をしたのは女子ダブルスで、目の前に沢松和子がプレーをしていた。
 サーブを見て驚いた。ボールが早すぎてコートに入ったか入ってないか分からないのだ。
 私が今まで知っていたテニスのは、お遊びテニスだっただから、ボールにハエがとまりそうだった。だからこの落差に愕然とした。と同時に頭に血がのぼり、真っ白になってしまった。

 旗の振り方はすっかり忘れてしまい、サーブのたびに旗を上げ下げしたものだから、沢松和子にギューと睨まれた。心臓は当にパンクしてしまい、その後どうなったのか分からないくらいだ。

 さすがに主審が見かねて、私に確認しに来た。「どっちなんだ
私は「入ったか入ってないか分からない」と答えたので、主審はあきれ返った。第一セットが終了した段階で線審を代えてくれたときは心底ほっとした。もう少しで、国体のテニス競技をめちゃくちゃにするところだった。

  興奮が収まるまで、テニスコートの端で、いじけて呼吸を整えていたが
人間は能力を超えた要請を受けたときは、きっぱりと断るのが正しい態度だ」と心から反省した。

 実はこの私の経験と同じような経験をした国際審判がいた。シドニーオリンピック柔道決勝100k超級の主審をしたニュージーランド人である。
 ドイエの内股に対し。篠原内股すかしで対抗し、明らかに篠原が一本とっていたが、主審はドイエの内股を有効とした。
 私は断言するが、この主審はいままで内股すかしを見たことがなかったはずである。内股すかしのような高度な技は、柔道の本場以外ではついぞ見ることのできない技だ。
 この人はニュージーランドで私の国体審判と同じような過程をたどって選らばれたに違いないずぶの素人だ。

 この時は、大いに篠原に同情したが、同時にニュージーランドから来た主審にも同情した。
人間は能力を超えた要請を受けたときは、きっぱりと断らなければいけないのだ

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(19.3.25)犬のウンチ再録

2007_02230009  大変なことが起こってしまった。私が犬のウンチ処理のスペシャリストであることが、知れ渡ってしまったらしい。最近四季の道に放置される犬のウンチが加速度的に増えている。

 最初は道の側面にそおっとウンチがおいてあったが、最近は道の真ん中に堂々と犬のウンチがされるようになってしまった。横と真ん中では処理の仕方が違う。横においてある場合、やわらかければしばらく天日干しにして、乾いてから回収する。そうすると重さも軽くなるし、枯れた木の枝感覚で処理できる。

 しかし道の真ん中にある場合は、すぐに処理しないと自転車や靴で踏まれて、道路がべとべとになってしまう。たいていの場合、やわらかいので回収するのも楽でない。第一重たい。

 先日は京成電鉄おゆみ野駅の近くの道路をまたぐタイル橋の上に、犬のウンチがされていた。私が発見する前に自転車で散々踏まれてしまったため、橋のタイルが黄色く染められていた。いくらなんでもタイルがウンチ色では興ざめだ。
 翌日、登山用のポリタンに水を入れて、トイレブラシで流しておいたが、道の中央に堂々とウンチをするのだけは辞めてほしいものだ。

 私は確かに犬のウンチ処理のスペシャリストだが、犬のウンチが好きな訳ではない。どうも犬のウンチを放置する人は、私のことをコレクターだと誤解しているようだ。あまりのウンチの量にゴミ袋が重くなり、持っている左手が腱鞘炎になってしまった。

ロドリゴ先生、このままウンチを持ち運んでも大丈夫でしょうか
医者犬のウンチで腱鞘炎になった事例は、世界的に見ても初所だ。ぜひとも学会に発表し、科学雑誌ネイチャーにも投稿しよう
ロドリゴ科学雑誌より、左手を直していただきたいのですが
医者何を馬鹿のことを言っとるのかね。これは人類共通の資産になる重要な事例だよ。しばらく腱鞘炎になってなさい

 ロドリゴは腱鞘炎のまま毎日、犬のウンチを処理していたが、量は日を追って増加していった。処理量が限界を超えた日、とうとうロドリゴはうつ病になり、家から一歩も外に出なくなった。
主よお許しください。もうロドリゴには犬のウンチを処理する力は残っていないのです

 だれも清掃しなくなった四季の道には大量の犬のウンチが積み重なり、足の踏み場もなくなってしまった。滑って転び、ウンチだらけになってしまう人が続出した。人々はこの道を臭気の道と改名し、誰一人として近づくものがいなくなったと言う。

 千葉市長はこの事態を重く見、非常事態宣言を発して、ロドリゴの説得を試みた。
2007年のミスター千葉ウンチの栄誉を君に与えよう
 しかし今度ばかりはロドリゴもおいそれと応じる気配がなかった。
 千葉市長の苦悩の日々が続いた。この大役を引き受けてくれるものはロドリゴしかいない。

 そこに知者が現れ、ロドリゴが熱狂的な長山洋子のファンであることを市長にそっと教えた。市長は狂喜して、長山洋子のディナーショウの招待券を用意し、ロドリゴを説得した。

洋子ちゃんと、じょんから女節が一緒に歌えるよ

 信じられない奇跡が起こった。ロドリゴのうつ病は即座に治り、再び四季の道から犬のウンチがなくなった。
 しかしこれもディナーショウまでではなかろうかと言うのが識者の一致した見解になっている。

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(19.3.24)すべてがタダになっていく ブログの世界

 すべてがタダになっていく。コンピュータや通信の世界の話である。私が通っているパソコン教室のサイモン先生(ブログ名)によると、「使いたいソフトや通信手段はほとんどタダで手に入れることができる」のだそうだ。
したがってその手段を知っているか否かによって、生活の質がまったく違ってくる」ことになる。

 早い話が私が今使用しているブログはニフティーのココログだが、まったく費用がかかっていない。「フリー」といってまったくタダなのだ。私は機能比較のため、ココログを含めて6つのブログを運営しているがすべてタダなのには驚かされる。

 これがどんなにすごいことなのかは、かつて私が所属していた会社のHP(ホームページ)の運営を見れば分かる。HPの内容は主として新規採用者に対する情報提供を目的としていたが、年間10百万円程度かけていた。会社案内程度の内容に10百万円もかかるのだ。

 もう一つ、私が研究しているのにヤフーグループと言う機能がある。一種のグループウェアで、これもかつて私が所属していた会社では、ロータス・ノーツを使用して運営していた。正確な費用については忘れたが、年間1億円程度の費用がかかっていた。ゼロ円対1億円なのだから驚かされる。

 もっともいくつかの弱点がある。利用させてくれる会社が勝手に広告を張ることで、いわばTVの民放と同じ方式だ。民放では、視聴者はタダで放送を見る代わりに、コマーシャルを見させられている。同じようにブログにもグループウェアにも広告が入る。
 二つ目の問題は、品質が保証されていないことで、これが企業がこれらのタダの機能を使用しない最大の理由になっている。しかし個人では話が違う。個人は金がない。私のような年金生活者は特に金にはシビアだ。品質より費用である。

 このヤフーグループと言う機能を知ったのは、ちはら台走友会に入会し、そこでこれを使用していることを知ったからである。
 この機能のポイントは二つあって、メールの同胞配信機能と作成したメール等のデータベース機能である。個々の機能としては従来からあったものだが、それをまとめて、しかもタダで使用させてくれるところが大きく違う。

 なにしろタダなのだ。何度強調してもいい

 もうひとつ研究している機能にスカイプと言う機能がある。タダの電話網と思えばよい。国内だけでなく、国際的にもタダなのだ。しかもテレビ電話になっている。私には現在、外国に電話をかける相手がいないが、もしいれば国際電話がタダになるところだ。

 昔、ロシアに友達がいたころKDDIの国際電話で5分から10分程度かけただけで、5000円程度かかっていた。当時のロシアは電話通信環境が特に悪かった。ダイレクトでつながらず、必ずオペレータを通すのだが、長くなるとオペレータが勝手に電話を切ったりして、欲求不満がたまったものである。

 それもタダになるのだ。ただしスカイプにも弱点があって、回線が混んでくると急激に音質が悪くなる。したがって企業では使用できないが、個人レベルでは十分に通用する。

 最後になるが、私が現在最も重宝しているのは、ウィキペディアと言うタダの百科事典である。コンピュータ上で簡単に検索できるすぐれものだ。愉快なのは、この百科事典の記載者は単なる物知りで、自分の知識をタダで公開してくれる。私もおゆみ野四季の道の記載者になるつもりだ。使ってみれば分かるが、分からないことはほとんどないといって言い。あらゆる知識がコンピュータに詰まっている。

 この世界にはタダで使用できる機能が山ほどあり、しかもどんどん増殖しており、品質もよくなっている。知ると知らないでは天と地との差がある。

 特に私のように時間が自由にある年金生活者にとっては天国のような世界だ。じっくり研究して、最も合った機能をタダで自由に利用させてもらえる。
 これが天国でなくて何といえよう。興奮して夜眠れなくなってしまったほどだ。

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(19.3.22)長山洋子にしびれた。

2007_03210013_1  恥ずかしながら長山洋子にしびれている。もちろんその美貌にではない。三味線のさばきにである。疑ってはいけない。私が女性の美貌に左右されることのない決定的な証拠がある。私のかみさんを見てほしい。

 しびれた理由はある。長山洋子の二の腕だ。長山洋子が「じょんから女節」を歌うときに、右手を高く掲げ、二の腕を見せたときには心底驚いた。
振袖を着た女性が二の腕を見せることは、今までの常識に反する。だから「この人何んて大胆なんだろう。それにしてもなまめかしい腕だ」と私が思ったとしても不思議ではない。

 さらに私を驚かせたのは、三味線を扱う身体の動きである。まるでプレスリーやビートルズ並ではないか。かつてこまどり姉妹が三味線を持って歌ったときは「やはり三味線は江戸時代の風物詩だ」と思ったが、長山洋子の三味線のさばきは、プレスリーやビートルズより優雅で、魅力的で、大胆だった。
私は年甲斐もなく、思わず手をたたいてしまったほどだ。
いよー、洋子ちゃん

 以来、すっかりこの「じょんから女節」に魅了されてしまい、時間があるとこの歌を口ずさんだ。清掃活動のテーマソングでもある。気持ちが乗らないときには、目いっぱい「じょんから女節」を歌って、気合を入れる。
小学生が「このおっさん、大丈夫か」と言う顔をしているが気にしない。

雪は下から 舞い上がり 赤い裳裾(もすそ)に まといつく(ジャンジャンジャン)・・・・・・・・・

 実は、この長山洋子の三味線の動きは21世紀をリードするエンターテイメントのひとつの型だと思っている。だが残念なことに他の歌ではほとんど三味線を使用しない。三味線のない長山洋子はイチローのでないマリナーズの試合みたいなもので、まったく魅力がない。
三味線と振袖と長山洋子の組み合わせは世界の一級品だ。

 思い余って、長山洋子の三味線を世界に広める会を発足した。熱狂的な会員が一人いる。ロドリゴと言う。
ロドリゴはそれまで主をたたえる言葉以外知らなかったが、「じょんから女節」を聞いてから変節してしまった。二の腕にしびれたのだ。

 当初はそれでも主の祈りの後に、隠れてじょんから女節」を歌っていたが、今は主の祈りを忘れて「じょんから女節」だけを歌うようになった。
大目に見ていた主の怒りが頂点に達したのは言うまでもない。ロドリゴを破門した。「地獄に落ちろ

 ロドリゴは驚愕した。
地獄に落ちては、いままで収めてきた天国年金がもらえない。ジャスコでトップバリューのパンも買えなくなってしまう」 
深い反省の末、ロドリゴは主の祈りを再開した。しかし三味線を手放すのは口惜しい。
ロドリゴは長山洋子のように身体をくねらせ、三味線をならして、主の祈りをはじめた。

主よ、この罪深きロドリゴを許したまえ(ジャンジャンジャン)・・・
しかし世の中とは分からないものだ。これが世界に受けた。人はロドリゴのことを三味法師と呼び、ゴスペルのように主を称える新たな形式が確立したという。

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(19.3.21) 7人の侍 都川調節池の再生

Photo_29  七人の侍が都川源流に集まった。源流とは、四季の道の面した都川調節池のことである。いづれも県のエコリーダ養成コースを卒業した指導者で、エコにかけては一家言がある面々だ。別名、エコの7人衆という。
 会の名前は「都川源流の自然再生をはかる会」と言う。この会の発起人である I さんは言う。
雑木林では林床まで日が差し込み、多くの花をつける下草が再生し、元々この地に生息していた多様な生物も復活し、多くの鳥が観察できる、こんなビオトープ、バードサンクチャリーにしたい

 うぅーん、エコリーダの言うことは難しい。バードサンクチャリーは鳥の聖域を作りたいのだと想像できたが、私はビオトープという言葉を知らなかった。  

さっそく辞書を引いてみた。
ビオトープとはドイツ語で、日本語では生物空間と訳される」と書いてある。何のことかさっぱり分からない。さらに読んでみた。
周辺地域から明確に区分できる性質を持った生息環境の地理的最小単位」だと言う。ますます分からなくなった。

 教育における利用の項目を見てようやく理解できた。
自然の水草や水生植物とプランクトン、小さな魚に昆虫の幼虫などの自然環境の成り立ちとそのシステムを、子供たちに学ばせるために、人為的に再生された観察場所」のことだそうだ。それなら分かる。

 今回は会の発足式で、私が現地の案内役をすることになった。この都川調節池周辺はほとんど人が入らない。入る人は、この調節池に鯉やフナが多く生息していることを知っている一部の釣り人と、里山整備のためにつると下草を刈っている私ぐらいである。

 理由がある。ここはおゆみ野地区におけるマムシの最後の生息地であり、夏場は危険で近づけない。
マムシのいる場所には、長靴と厚手のズボンをはき、手も厚手の手袋をしないといけない。飛びかかってくるから、頭も安全のために帽子をかぶる必要がある」と会のメンバーの識者が言った。

葦原はそのまま残さなければいけないな。なかに木製の遊歩道を作ってそこだけが通れるようにしたらいい
 私は尾瀬のイメージと理解した。
笹もすべて刈ってはいけない。もずが巣を作れなくなってしまう。鳥が来る場所は笹を残そう
 私はすべて刈り取るつもりだったので、思わず下を向いた。

 I さんはさらに言う。
この場所は、学校と子供たちが中心になる教育の場にしたい。この場所の名前も子供たちに付けてもらおう
 
 結局毎月2回、この場所をビオトープにするため、7人のエコリーダが活躍することになった。私も及ばずながら現地担当者としてお手伝いをすることになった。

 だが、聞きながらひとつ心配事があった。ここはマムシの最後の生息地である。子供たちを参加させるには、その対策が必要だ。

 2008年X月x日

 ロドリゴ率いる、マムシ討伐隊700は都川調節池の周辺を取り囲んだ。都川野営地にはシャイアンマムシやアラパホマムシの軍団1500が、ロドリゴの襲撃を察知し、洞窟に隠れ、酋長クリバヤシのもとで虎視眈々と逆襲の機会を狙っていた。
 ロドリゴは勇猛果敢だが、かみさんからパーといわれている男である。マムシの数を200と見誤った。洞窟に隠れているとは思わなかったのである。
酋長クリバヤシの首を取ったものには、マムシ酒を振舞う。5日で落とせ」 ただひた押しに押した。

 討伐隊は洞窟に隠れたマムシ軍団の壮烈な反逆にあい、1ヶ月をたっても都川野営地を落とすことができなかった。戦いが終わったとき討伐隊はその半数を失った。
 ロドリゴも帽子をかぶることを忘れたため、マムシに頭を食われ、マムシ酒にされてしまったという。実に壮烈な戦闘だった。

 後にこの戦いをクリントイーストウッドが「都川調節池からの手紙」として映画化し、惜しくもアカデミー賞の受賞を逃した。

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(19.3.20)千葉南警察署への相談

 千葉南警察署にボランティア仲間の I さんと出向いた。春の道公園からそばら公園にかけての街路灯の破壊や、プランターの破壊、および雑誌に火をつけて遊ぶ火遊びがたえない件について、対応策の相談に行ったのである。

 結論から言うと「うぅーん」と唸ってしまった。効果的な方策がないのだ。
最初に問題にされたのは、「器物の所有者が損害届けを出して、犯人の捜索依頼をしているかだった。所有者は市と思われるが、直接の管理者は千葉南土木事務所である。

 千葉南土木事務所には、器物破壊がある都度、私からは報告してあるが、その先のことは知らない。警察としては、被害届がないと動けないのだという。

 二番目にこうした問題が発生した場合、地区の自治会が動いてるかと言うことらしい。地区の自治会が行動を起こし、市なりに陳情して、対応策を検討することから始まるのだという。
うぅーん、自分の地区はともかく、他の地区の自治会がどこにあるかは知らない
 さらに、地区をまたがった問題の場合は、地区の自治会を束ねて、その対策を一元化する必要があるらしい。そうしたコーディネータの役割を担う人が必要という。
地区の自治会すら知らないのに、それを束ねるなんてできそうもない

 直接の被害者と地区の自治会が動かない限り、警察では有効な対応ができないというのが結論だ

とりあえず、千葉南土木事務所には、被害届を出しているのか否かを聞くことにしよう。しかし自治会のほうは人的被害が出た場合はともかく、公共物が壊されたぐらいで、動くだろうか。火遊びが火事になるまでは動かないのではなかろうか。どうしよう

 どうやら今までの活動を継続していくしかないことが分かった
千葉南土木事務所には都度報告をする。今までは1週間に一度だったが、発見しだい報告することにする。 
 また、実際の被害の検証等は交番に勤務する警察官が出向くので、交番にも都度報告する。

 後は、こうした事態が発生していることを、多くの人に知らせる活動が必要だが、現状はこのブログが唯一の情宣の場になっている。少なくとも四季の道をトータルとしてみて、問題の所在を指摘しているのはこのブログしかない
 何しろ毎日、四季の道を清掃しながらチェックしているのだ。
情宣の場としては、いささか役割不足だが、これも継続していくよりしょうがないな。そのうちにこのような問題に関心がある多くの人が、このブログをみて、コメント等で情報交換ができるようになるかもしれない

 地道な活動を継続するしかないという、いつもの結論になってしまった。

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(19.3.19)荒川市民マラソン

2007_03180009  今日(18日)は、荒川でフルマラソンを走って来た。荒川市民マラソン東京市民マラソンができる前は、東京でもっとも人気のあるマラソン大会だった。場所が荒川の河川敷を走るため、制限時間が7時間と非常に長く設定されている。
 難を言えば、コースが単調過ぎることで、東京市民マラソンのような名所めぐりというわけにはいかない。ただし申し込めば必ず参加させてくれる親切な大会だ。参加者も15000名と多い。

 ゼッケンNOは速い者順に割り当てられている。私のゼッケンNOは7000番台だったので、参加者のほぼ真ん中程度の走力になる。
 かつて、上位10%以内に入ることを目標にしていたころから見ると物足らないが、すでに60歳になったのだから、高望みはしない。

 記録更新はとうにあきらめており、フルマラソンは完走ができ、4時間以内で入れば満足している。今回は3時間58分だった。十分満足できるタイムだ。

 荒川の河川敷は風が強い。特に北に高気圧が張り出していると、猛烈な北風になる。今年と去年がそうだった。コースは戸田橋から海に向かって21km走り、荒川大橋で折り返ししてくるのだが、行きは猛烈な追い風、帰りは猛烈な向かい風になる。

 帰りはみんな疲れているので、この北風に会うとフラフラになってしまう。私は去年の経験があったので、前半はできるだけ抑えて、後半に力をためておいた。30kmからは、ほぼごぼう抜きの状態になり、約1000名程度抜きさることができた。

 荒川は現在、東京ディズニーランドの脇で、東京湾に注いでいるが、昔からそうだった訳ではない。かつては荒川の下流は墨田川だった。明治43年に大水害があり、多くの人命と家屋が失われた。隅田川は狭い。すぐに決壊してしまうのだ。対応策が検討された。その結果千葉側に放水路を作ることになった。当時千葉側は人家が少なかったが、それでも1700戸の立ち退きが必要だったという。

 工事は大正13年から昭和5年まで、約17年間をかけて行われ、荒川放水路を作った。80年前の話である。現在の岩淵水門のところで、荒川放水路隅田川を分けたのである。
 大変な難工事だったようで、途中で水害や、関東大震災にも遭遇している。以来東京は水害の被害から免れることができた。

 この大会には、大会会長の板橋区長とともに、副会長として荒川下流河川事務所長が必ず出てくる。事務所長は河川敷の重要性を強調することを忘れない。
河川敷は緊急用河川敷道路で大地震などの災害が発生した場合は、緊急物資等の輸送ルートになる」のだそうだ。

 荒川市民マラソンは今年で10回目だが、私はそのうち9回出場している。今後も楽しみのために出場することにしよう。

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(19.3.18)禍福はあざなえる縄の如し

2007_03170003  「禍福(かふく)はあざなえる縄の如し」とは、中国のことわざで、「災いと幸福は、撚り合わせた縄のように、交互にやってくる」という意味である。さすがに中国4000年の歴史は侮れない。

 私の昨日(16日)午後から、今日(17日)の午前中かけて一日は、まさにそのような一日だった。

 16日の午後はコンピュータの前でうなっていた。私のコンピュータはほぼ1週間前頃から急激に処理速度が遅くなり、漢字変換に30秒もかかり、立ち上げには10分もかかるようになっていた。

 これでは、いくらなんでも使用に耐えない。第一ブログの原稿もかけない。意を決して再インストールに挑戦していたのである。私の息子は再インストールをまったくマニュアルを見ないで行うが、私はそんな芸当はできない。 マニュアルと首っ引きになる。

 「よし、この項目OK、次」なんて一つ一つチェックをするので、胃がおかしくなってしまった。
インストールはうまくいくかしら・・・うまくいかないとメーカに修理を要請しなくては・・・やはりハードが問題だろうか・・・」なんてぶつぶつ言いながら、半日かけて再インストールを実施した。

 幸いなことに、パソコンは立ち上がり、処理速度も購入時の処理速度に戻った。私は狂喜して言った。
これからは名刺に、《職業:システムエンジニア》と書こう。いや、《再インストールスペシャリスト》と書こうかしら
 娘に「再インストールが成功した」と言ったら「お父さん、やるじゃん。情報処理の資格が光ってるよとほめられた。
 久しぶりに幸福の絶頂にいたのである。

2007_03170004  しかし、「禍福はあざなえる縄」なのだ。今朝、奈落の底に落ちてしまった。いつものように清掃活動をしていた時、ちょうど春の道公園に向かって春の道橋を下っていたら、橋下の左側の街路灯が、3基壊されていた。2基は電灯部が破壊され、1基は基から街路灯そのものを抜き取られ、そばの空き地に放り投げてあった。写真を見てほしい(クリックすると拡大して見ることができる)。

 街路灯の破壊は2度目だ。現在、春の道公園から、そばら公園にかけての一帯で、街路灯の破壊や、プランターの破壊、雑誌に火をつけて遊ぶ行為が後を絶たない。
 私はこうした破壊行為が理解できない。公的な器物を壊すことがどうしても理解できないのだ。途方にくれ、悲しみとも怒りともわからない感情が沸いてくる。
あったまにきた。みんな壊されてしまう
悪魔のささやきに同意しそうだ。「ギロチンにかけろ

 それにしても、破壊行為は日を追ってエスカレートしている。破壊することを楽しんでいる一団がいる。昔のニューヨークのような、無法地帯になりそうだ。今回の街路灯の破壊については、警察に届けておいたが、それだけでは駄目な段階に来ていると思う。

 おゆみ野クリーンクラブの仲間の I さんと、月曜日に千葉南警察に出向き、対応を相談することとした。破壊活動をやめさせる、少しでも有効な手段が見つかればいいのだが。

 だが、禍福はあざなえる縄なのだ。あまり落ち込まないようにしよう。

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(19.3.17)髪が生えてきた。

 信じられないことに髪が生えてきたのだ。理由は2つ考えられる。一つは新しい育毛剤に変えたことである。花王の「フラバサイト」と言う。私はこの育毛剤が効いているのだと思っているが、かみさんはこの説に反対する。
仕事のストレスがなくなったからよ。パパさんはストレスに弱いから」と言う。
絶対フラバサイトだ」「いやストレスだ」と議論が沸騰しそうになって、ふと考えた。
もしかみさんの説が正しいと、議論をすることがストレスになって、せっかく生えた髪が抜けてしまう
 にこやかに微笑んで「いづれにしてもいいことだ」と言って議論を止めた。危ないとこだった。

 私は頭頂部が禿げている。弟は「ローマ法王みたいだ」と言って笑った。私も大いに笑って「ユダヤ教徒の帽子みたいだろう」と言ったが、家に帰って鏡を見てため息をついた。複雑なのだ。

 実は私に頭髪が急激になくなったのは大病をしたからである。真珠腫性中耳炎という。耳の内耳に真珠のような塊ができ、だんだん大きくなって脳を圧迫するようになる。ほっておくと命取りになるので手術により摘出する。36歳のときだった。

 よく昔の武将で30歳台で若死する人がいるが、その理由が分かった。昔は手術などなかったのでそこで死んでいたのだ。私も昔だったら36歳前後で死んでいたことになる。

 しかし、この手術によって私の頭髪は急激になくなってしまった。癌患者が制癌剤を投与されて頭髪が抜けるがそれと同じ症状になってしまったのだ。最初は命が助かったことを神に感謝していたが、36歳で禿は早すぎる。

 私の親戚筋の女性は、結婚の3条件を「ちびと、でぶと、はげはいやだ」と言う。
はげはいいだろう。第一かわいらしい」と反論したが、女性の本音に愕然とした。
これは大変だ。もしかみさんから離婚請求をされたとき、『いいでしょう、離婚します』ときっぱりいえない。再婚するとき『はげはいや』なんていわれて再婚もできない
 36歳で独身はつらいので「ママさん、おれが悪かった。何でも直すからおれを捨てないでくれ」なんて言いそうだ。これでは男が廃る。

 以来、涙ぐましい努力をすることになった。 あらゆる育毛剤を試したが、実際は精神安定剤以上の効果はなかった。ふりかけてマッサージをするが、そのマッサージだけが本当の効果と言うのが実態だった。

 だから1999年に、大正製薬からリアップが発売されたときは狂喜した。なにせ男性用発毛剤で国内唯一の医薬品であり、アメリカではロゲインと言って、効果が実証されている。
 発売時の人気はすさまじく、私も数件の薬屋をたずねてようやく手に入れた。
 これで「まあ、山崎さんはいつまでたっても、髪が黒々して素敵だわ」なんていわれると思って涙ぐんだほどだ。

 だが、しかし説明書を見て愕然とした。「効果が出るのに半年から1年はリアップを使い続けなければならない」と書いてある。
大正製薬の陰謀ではないか」と思ったが、私は説明書どおりリアップをつけ続けた。
 確かにつけているときは、抜け毛が少なくなって髪が多くなるが、5年目ごろから、ひどい胸痛に悩まされるようになった。走ると狭心症のように胸が痛む。今から2年前の話である。

 リアップの副作用が出たのである。大正製薬は決して言わないが、リアップには副作用がある。効果と副作用は裏腹の関係だ。私は当時使用していた薬品はリアップだけだったので、これを止めることで胸痛から回復することができた。頭髪より心臓のほうが大事だ。
 その代わり頭髪はますます少なくなってしまった。

 それ以来すっかり頭髪のことはあきらめていたが、小学校にボランティアに行くことになって少し考えを改めた。小学生から「はげのおじちゃん」なんていわれるのはつらい。
 せめて「頭髪がやや薄毛の、初老の紳士」と言われたい。

 リアップは副作用に懲りていたので、他の何でもよかった。たまたま目についたのが、花王の「フラバサイト」である。
 しかし、これが私にはぴったりと合った。あと数ヶ月もすると頭頂部も隠れるかもしれない。そうしたら小学生に「黒髪のおじちゃん」と言わせよう。もしかしたら「黒髪のおにいちゃん」と言ってくれるかもしれない。

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(19.3.16)足が目になる 日本山岳耐久レース

2007_03150028  足が目になる信じられないかもしれないが本当の話である。私がそのことを実感したのは、日本山岳耐久レース、別名長谷川恒夫CUPにおいてである。

 長谷川恒夫氏は、世界の岸壁を冬季に1人で登坂した日本の誇るアルピニストだったが、惜しいことに91年10月、パキスタンのウルタルⅡ峰において、なだれに会い遭難した。43歳だった。

 日本山岳連盟は長谷川恒夫氏の偉業を讃えるために、奥多摩の山塊を走るトレッキングレースを開催することにした。距離は73kmだが、山塊である。最高峰は三頭山(みとうさん)で約1500m。スタートは武蔵五日市で標高差は1100mある。

山の73kmを、平地換算するとその2倍、約140km程度のレースに相当する。時期は長谷川氏が遭難した10月10日前後の土日に設定される。

 制限時間は24時間とこの種のレースとしては余裕がある。すべて歩いても完走できる時間だが、一日中歩いていなければならない。
 スタートが午後1時のため、すぐに暗くなる。いわば夜を徹して山中を走り回ると考えればよい。完走率は約半分だから、実際は非常に厳しいレースと言える。


 夜中の登山道は木立に阻まれて非常に暗い。特に曇りや雨の日は真っ暗と言ってよい。もちろん懐中電灯は持っているのだが、暗闇に吸い込まれてほとんど何も見えない。目で見ても足元しか見えない。木の根っこや凹凸は分からない。

 このような時は目で道を探してはいけない。足で探すのだ。ほとんど足の感触に頼ることになる。土の道か、石の道か、岩の道か、すべて足に聞く。根っこはあるか。滑りそうか。傾斜の度合いも、危険かそうでないかもすべて足に聞く。
 すべての神経を足に集中すると、目から得る情報と同程度の情報を足から得ることができることを知る。

 足が目になるのだ。私はこのときまで足にこんな素晴らしいセンサーがあることを知らなかった、目が見えなくても登山道を把握できる。
 「足に聞け」私は念仏のようにこの言葉を唱える。

 私はこのレースに3回出場したが、登山道が見えなくなると、足を目にかえた。そうすることによって完走することができたのだから、足のセンサーは馬鹿にならない。

 もっとも100%、目に変わるかというとそこまでは優秀でない。あるいは慣れていないと言うのだろうか、毎回アクシデントに見舞われている。

 1回目のときは三頭山の稜線で崖から落ちた。幸い5m程度落ちて木に引っかかったのだけど、天と地が逆になって身体が止まった。このような状態になると、当初は自分がどんな立場になって居るのか分からない。どっちが上でどっちが下か分からないのだ。散々もがいて登山道に復帰したときは心底ほっとした。

 2回目のときは、小川にかかった梯子状の橋を踏み外した。梯子と梯子の間があいていたのだが、そこに足を突っ込んでもんどりうって倒れた。痛さは気を失うほどで、タイツからは血がにじみ出ていた。このときはリタイアを覚悟したが、幸い10分程度倒れていたら、痛さが引いたので走ることができた。

 3回目のときは大雨で、あまり転んだため、体中が泥だらけになってしまった。この時は、足に聞いても滑って聞きようがなかった。よくアメリカの海兵隊員が泥の中を匍匐(ほふく)前進する訓練をしているが、それと同じ状態になってしまった。雨の泥道は横滑りがしてとても走れるものではない。

 ただ、いづれのときも、夜は足を目にしていた。普段は気がつかない足のセンサーの能力は驚くほどだ。人間には隠れた能力が残されている。暗闇では足は目になるのだ。

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(19.3.15)悪い予感

2007_03140023_2  悪い予感が私を苦しめている。予感の内容は2つある。一つは私的なもので、もう一つは公的なものだ。

 私的な予感は、私のパソコンの動きがどんどん悪くなって、もう少しで停止しそうになっていることだ。当初は文字の変換速度だけが悪いのだと思っていたが、すべての動きが悪くなってしまった。ウィルスバスターのファイル検索などは最初20分ぐらいで終わっていたのに、今では2時間もかかってしまう。

 デフラグもやったし、不要なプログラムの削除も行った。それでも速度は悪くなる一方だ。最後は再インストールだが、これは時間がかかることと、結果がどうなるかはやってみなければわからない。
 さらに追加で入れてきたソフトの問題がある。自分で購入したソフトは手間ひまだけの問題だが、友情で分けてもらったソフトについては、再び友情を当てにしなくてはならない。
 再インストールも口で言うほど楽ではない

 今は、一旦システムを終了すると、立ち上げに10分もかかるので、落とすこともできなくなってしまった。頭を抱えている。

 だが、これは私的な問題だ。努力すれば何とか解決できる範囲にある。問題なのは公的な方で、最近四季の道火遊びがたえない

 朝、清掃をすると焼け焦げた紙が散らばっている。たいていの場合はただで入手できるタウン紙を大量に持ち込んで、それに火をつけている。手で持てる量ではない。前は金沢小学校の近くの「はちまんがた公園」だったが、今は、扇田小学校の近くの「そばら公園」に移っている。

 先日、私の清掃仲間の I さんが「そばら公園」で、隣接する住宅地の空き地の雑草が燃えているのを発見し、警察に通報した。そのときは消防車も駆けつけ雑草だけが燃えただけですんだが、いつ大惨事になるかわからない。
 今朝も燃えた紙くずが散乱していた。写真がそれである。

 実は扇田小学校周辺では最近器物の破損も頻発している。1m程度の高さの街路灯のほとんどが、バットのようなもので破壊されていた。  南土木事務所で修理をしたが、街路灯は撤去され、マンホールに変わっている。また街路灯にして壊されてはたまらないのだろう。

 また、扇田小学校前の花壇のプランターがけ飛ばされて、土が道路に散乱していた。 I さんと二人でプランターに土を戻しておいたが、意図的な破壊をしている人がいる。

 朝、燃やされた紙くずを見るたびに悪い予感が私の脳裏によぎる。そのうちに大惨事になるのではないかと心配でならない。

 2つの悪い予感に、このところロドリゴは、うつ病になりそうだ。
主よ、ロドリゴはどうしたらいいのでしょうか

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(19.3.13)ブログが書けない パソコンの不調

 ブログが書けなくなってしまった。長谷川町子やサトウサンペーのように、アイデアが出なくて頭をかかえているのではない。物理的に書けないのだ。パソコンの動きが急激に遅くなり、文字を変換するのに30秒もかかるようになってしまった。これでは書けない。

 思い余ってかみさんのパソコンを利用して書くことにした。かみさんはパソコンをグーグルの検索とメール交換に使用している。普段はさして使用しないが、私がかみさんのパソコンを使用すると、急に検索がしたくなるらしい。
はやくどいてよ、私だって使うんだから

 借家人の悲哀を味わうのはいやなので、何とかパソコンの文字変換速度を上げようと悪戦苦闘する。しかしこれがなかなかうまくいかない。環境設定が下手なのだ。

 実を言うと私は情報処理の資格をいくつも持っている。経済産業省主催の「情報処理技術者資格」という。れっきとした国家資格だがこれが我が家では物笑いの種になる。

娘は「おとうさんは手よりも頭のほうが働くみたいね」という。まだかわいい。
息子は「情報処理の資格なんて何の役にも立たないな」という。だんだん露骨になってくる。
かみさんは「パーだから」という。
思わず「パーなのは、おれか、パソコンか」と怒鳴りそうになるが、ロドリゴは神に仕える身だから、はしたない言葉は使わない。代わりに夢想する。「地獄に落ちろ

閻魔様お前はあまりにもロドリゴをパー扱いしすぎた。かわいそうにロドリゴはうつ病になってしまったではないか。地獄ではお前の毒舌を抜こうということになっている
かみさん閻魔様、それは違います。ロドリゴは自分の真実の姿を知りません。ブログなど書いて調子こいていますが、本当はパーなのです。それを分からせるのは妻としての勤めです。閻魔様の奥様もそうではございませんか
閻魔様いや実は、ワシの女房も小うるさいので、極楽に追放しようと考えている。お前も小うるさいと極楽行きだぞ

うぅーん、毒舌のかみさんは地獄にも落ちそうにない

 しかし、本当に困ってしまった。息子が、「乗っているプログラムが多すぎるんじゃないか」と言うので、使用していないと思われるプログラムを削除しようとした。

 しかし「このプログラムを削除すると他に影響が出ることがあります」なんて警告メッセージが出ると、恐ろしくて削除もできない。
 かみさんのパソコンを使うといやみを言われ、自分のパソコンの環境をよくしようとすると警告メッセージが出る。

どうしよう。天を仰いでしまった

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(19.3.12)なぜ「おゆみ野」と言うのだろう

 この土地をなぜ「おゆみ野」と言うのか知りたくて「おゆみ野風土記」(おゆみ野の歴史を知る会編)を読んでみて頭を抱えてしまった。分からないのだ。

 最近のことなら分かる。この街が「おゆみ野」と正式に命名されたのは、19843のことである。それまで日本住宅公団はこの地を「千葉東南部地区」という、無機質な名前で呼んでいたが、入居開始にあたり、街の名前の公募を行った。

 その結果、この地の一部が昔から「おゆみ」といわれていたこと、および響きの良さや、親しみやすさ等を考慮して、「おゆみ」に「」をつけて「おゆみ野」と命名された(同書P28)。今から23年前のことになる。

(注)応募総数383通のうち、「おゆみ野」は7票だった。
 
  しかしこの風土記の「はしがき」をみてびっくりしてしまった。そこには1983にこの地を「
おゆみ野」と命名したと書いてある。こんな近い時代のことでもすでに2説ができている。しかも同じ本のなかに違った年号が書いてあるのだ。
これは大変だ。古い時代のことになるとどうなるか分からない
郷土史の漆黒の闇に足を踏み入れていく感じがした。

 最初、私はこの地一帯が、昔から「おゆみ」と言われていたと思っていた。「だからおゆみ野なのだろう

 しかしそれは正確ではなく、対象地10か町村のうちの2箇所(生実町、南生実町)だけの名前だと知った。さらに言えば、生実町、南生実町は飛び地の一部が、おゆみ野に含まれるが、ほとんどがおゆみ野の外の区域になっている。はっきり言ってしまえば関係ない。

 このおゆみ野の地に、開発以前からあった村落は、実際は有吉六通の2箇所だと知った。だから村落名をとるなら「有吉六通」になる。

うぅーん、おゆみおゆみ野は関係ないのだ
 念のため、場所を確認しようと地図を見た。生実町、南生実町は行政区域は中央区で、鎌取と蘇我の中間で、どちらかと言うと浜野よりの場所を示している。

 だが「おゆみ」の地は確かに歴史上に登場する。

 「おゆみの地に有名な城が2つあった。「おゆみ」が歴史的な地名だと言われているのは、どうやらこの「おゆみ城址」から来ている。字が違う。「小弓」とも「生実」とも書く。 小弓城は現在の文化財センターの地に、一方生実城は生実池の近く、重俊院(ちょうしゅんいん)の地にあった。前者は古く、後者は新しい。

 小弓城は歴史的にも重要な城で、ここをめぐって、鎌倉時代から何度も争いが起こっている。千葉の覇権をめぐる要衝の地である。ただし、お隣の地の歴史で、どう見ても「おゆみ野」の歴史ではない

 結論から言うと、「おゆみ」は歴史的地名だが、現在の「おゆみ野」の場所とは直接関係がない。あえて言えば、「おゆみ城」と言う有名な城が近くにあったので、借用しただけだと分かった。

「ワトソン君、おゆみをいくら調べてもおゆみ野とは無関係だね。どうしよう」
「ホームズ、おゆみ野の人には、事実は事実として伝えるしか仕方ないね。残念だが」

うぅーん、地名とはこんなものか。ひどく納得してしまった

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(19.3.11)走友会に入ってしまった ちはら台走友会

 思わぬことで走友会に入ってしまった。
 四季の道を清掃していたときである。ロングタイツでピシッと決めた女性ランナーを見た。手にはペットボトルを持っている。LSD(長距離走)をしていた。私は根がランナーだから、このような人を見るとつい声をかけてしまう。

 Kさんという。ちはら台に住んでおり、ちはら台走友会のメンバーだと自己紹介された。私もマラソンが趣味だと言ったところ
走友会に入りませんか」と誘われた。
実を言うと、過去に何回か走友会に勧誘された経験がある。そのたびに断ってきた。走友会のイメージが怖かったのだ。

 怖いお兄さんが竹刀を持って叫ぶ。
おまえ、それでも走ってるんか、ブタでもそのぐらい走るぞ
この年になって、ブタ呼ばわりはいやだ。せめてコブタと言ってほしい。

 しかし今回はうら若き乙女から誘われてしまった。乙女から誘われて断ったことはない。かみさんは「鼻の下が長いのだ」と言う。
断じて違う。乙女の心を傷つけたくなかったのだ。
主よ、このロドリゴは主のほかに愛をささぐる事なきを、お信じください

 ちはら台走友会の例会は、毎週土日の午後4時から1時間程度と決まっているらしい。創立は1993年と言うから足掛け14年の歴史がある。私がおゆみ野に越してきてからの年数と同じだ。

 ちはら台には実に美しい遊歩道が整備されている。かずさの道と言う。特に桜並木が美しく、花見の時期は人出でにぎわう。
ちはら台走友会はこのかずさの道をホームグランドとしており、往復で約8kmのコースとなっている。道にゴミはほとんど落ちていない。定期的に清掃する人がいるらしい。この街を愛している人がいることがひしひしと伝わってくるような遊歩道だ。

 ちはら台走友会の会長さんはYさんと紹介された。一目でマラソンランナーと分かる精悍な身体つきをしている。とても若く見えるが実年齢は分からない。マラソンランナーは確実に実年齢より10歳は若く見えるためだ。身体にも顔にも脂肪がついていない。

 サブスリーランナーだと言う。フルマラソンを3時間以内で走ると言う意味だが、マラソンをしたことがない人は、この意味を理解できない。実は3時間以内で走るためには血のにじむような努力をして、それでも素質のある選ばれたものだけが到達できるレベルなのだ。
私は仕事にかけるエネルギーを、すべてこのマラソンに注ぎ込んだ時期があるが、それでも3時間18分が最高だった。

 次々に紹介されるランナーを見て、心底驚いてしまった。マラソンが命と言う感じがにじみ出ている。小学校5年の少女もいた。とても速いのだという。
小学生に負けるようでは、完全に引退を決心しよう。『駄目ですね・・・もう少し速く走れるとおもっていましたが・・・足がもつれてしまって・・・引退ですね』」円楽師匠の気持ちになってしまった。

 しかし幸いなことにこの会は、自分の実力に合わせて練習をすることになっており、陸上部の選手のような集団走はしていなかった。たまたま実力が同じくらいのFさんと併走したが、かずさの道のRUNは心が躍るほど楽しかった。

 ランナーは気持ちのよい人が多い。ストレスをRUNで発散しているので、気持ちが前向きで明るい。吉永小百合を彷彿とさせる方も居た。私は喜んでこの走友会に参加させてもらうことにした。

 だがしかし、昔みたいにマラソンにのめりこんだらどうしよう。『走ることと、寝ることだけがとりえ』と言われていた昔に戻ってしまう。

主よ、このロドリゴにせめてブログを書く時間と、主を讃える時間をお与えください

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(19.3.10)不思議な場所を見つけた おゆみ野駅の駐輪場

2007_03040030  不思議な場所を見つけてしまった。京成電鉄のおゆみ野駅の駐輪場のことである。このところ鎌取駅の駐輪場問題でフィーバーしたので、やたらと駐輪場に関心がいくようになってしまった。

 このおゆみ野駅駐輪場はまったく使用されていない。自転車は駅の改札口の近くに留められている。一方、改札口から約100m近くあるこの駐輪場は、壊された自転車とバイク、それにその部品が散らかっており、回りにはゴミくずがあちこちに散らばっていた。
 ここで、自転車やバイクを分解して遊んだ跡もある。一言でいって犯罪の臭いのする実に怪しげな場所なのである。

 私は長い間この場所を避けるようにしていた。かかわるととんでもないことになると本能が警告していたからである。
 しかし四季の道に面して設置されているため、清掃するたびにこの怪しげな場所を見させられていた。ついにゴミに誘われて、この場所に踏み込んだのだ。

 普通の人はゴミがあると避けるのだが、私の場合は誘惑されてしまう。清掃後の清潔なイメージが浮かぶと、居ても立ってもいられなくなるところは、ほとんど病気といっていい。スイーパーとしての本能が私を魔界に誘いこむ。

 壊された自転車とバイクを一箇所に集め、散乱していた部品も集積して、紙くずや、空き缶を整理したら、かなり清潔なイメージに変わった。少なくとも犯罪の臭いは払拭できた。

 自分としてはかなり満足していたのだが、ふとある重要な事実に気がついた。いくら清掃しても使われることのない駐輪場を、なぜ市(京成電鉄?)は用意し、なぜ私が懸命に清掃しなければいけないのか。

 ひどい矛盾だ。
こういうのを絶対矛盾の自己同一」というのだとかみさんが教えてくた。かみさんは哲学教室に通っていて哲学に詳しい。
うぅーん、教養がある
 
 もっともかみさんに言わせると
 「外の掃除ばかりしないで、たまには家の掃除をしたらどうなの。自分の部屋だって掃除機かけない」方が絶対矛盾なのだそうだ。

 思い余って当局に異議申し立てをしようと考えていたら、信じられないような光景を見てしまった。夕刻にランニングをしていたら、そこでテニスの練習をしているではないか。きれいに整理された空間はテニスをするのに最適な場所になっていた。

 なんと、私はテニス場の管理人になってしまっていたのだ。
それにしても人間というものはすぐに環境に適応するものらしい。

 うぅーん、テニスコートになるのなら、子供の遊園地にも、遊び場にもなりそうだ。私は当局の裏をかいてここを私の好きなような環境に変えることにした。
 当局への異議申し立てはしばらく止めよう。

 絶対矛盾は止揚されたのである。

 「我が家の絶対矛盾はどうしてくれるの」かみさんの言葉である

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(19.3.9)鎌取駅前の清掃について

2007_03080011  鎌取駅前の清掃をしようと提案したのは I さんである。
定年になってからは鎌取駅に行くことは少ないのですが、やはり街の顔だから清掃しましょう

 私は四季の道の清掃で疲れていたので消極的だったが、誘われると断れないタイプなので、元気よく返事をした。
駅が汚いと、その街の印象を決定してしまうから、やりましょう
 返事だけ聞くと私がやる気満々だと、大抵の人が勘違いする。

Ⅰさんと毎週金曜日の10時から、1時間程度清掃を行うと約束した。Fさんはこの話を聞いて「私もさせてくださいな」と参加を希望した。奇特な方である。

 実は駅前の清掃についてはいくつかの団体が実施しているのを私は知っていた。
 ジャスコの自転車の整理を行っているシルバーセンターの方(と思っている)が、毎週火曜日にジャスコと駅を結ぶ歩道橋の清掃を実施していた。
 また、駅前の花壇を管理している「花のほまれ会」の人が、花を植え替えるタイミングで清掃を行っていた。
  さらにタクシー会社の方が、タクシー乗り場周辺の清掃をしている。

 従って、私たちがさらに清掃活動を行うのは、やや重複するのではないかと思ったが、やはり清掃というものは毎日行わなくては駄目だと実感した。相応にゴミが落ちている。

 タバコの吸殻やマックの包み紙、鼻紙、清涼飲料の空き缶が、捨てられているゴミの大半だ。ゴミ箱は駅構内とジャスコの回りに設置されているが、途中で捨てる人が多い。なぜかゴミ箱まで持っていかない。

 私が一番問題だと思っているのは、「花のほまれ会」の方が、丹精こめて守っている花壇の中に、吸殻や紙くずを捨てる人がいることで、これでは花壇がかわいそうだ。花壇はゴミ箱ではない。
 また、吸殻が多いのは、電車に乗る前に一服した人が、歩道橋周辺に捨てていくからだが、本当は駅周辺は禁煙区間のはずだ。

 鎌取駅は幸いなことに、他の駅に比べるとゴミがすくなく、張り紙もされていないのだが、駅に初めて降りた人がびっくりするような美しさからはほど遠い。
まあ、住むのにそれほど悪いところではなさそうだ」程度の印象だ。

 実際よく見ると、歩道橋の壁に鎌取新駅開業以来の汚れがこびりつき、階段には泥がへばりつき、手すりは錆びかかっている。
 ジャスコ側の遊歩道に登る階段には落書きされた跡が残っている。これはスプレーで落書きされたもので、私は剥離剤で落とそうとしたが完全には落としきれなかった。
 そして街路灯はかつて貼られた張り紙を除去した跡が残っている。ナイフで削り落とすより方法がなかったからだ。

 こうしたことを一つ一つ解決していかないと、「私はおゆみ野に住むのが夢です」といわれる街にはならない。

 信じられないかも知れないが、私は心底このおゆみ野を世界で一番美しい街にしたいと考えている。そのために、四季の道を清掃し、I さんにせっつかれながら、鎌取駅周辺の清掃をしている。
 また、空き地で荒れ果てている場所があると、そこに花を植えて少しでも和める環境を作ろうとしている。
 カラスや猫や、犬の糞と戦っているのもそのためだし、不法なビラを撤去しているのもそのためだ。
 かつてサラリーマンだった時は、朝夕の出勤・帰宅時に、鎌取駅周辺の落ちているゴミをできるだけ拾っていた。

 しかし1人でできる範囲はおのずと限界がある。I さんは「そのためには輪の拡大が必要なのです」と言っていた。私が生きている間に、そうした輪が広がり、本当に世界で一番美しい街になれるだろうか。
 死ぬときに「望みがかなった。私は幸せだった」と言って死にたいものだ。

 ねがわくば 四季の道にて われ死なん

                かすみたなびき  桜さくころ

 西行法師の歌をまねた。

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(19.3.8)平和は鳩のフンとともに  ハトのフンの清掃作業

2007_03080004  「鳩が平和の象徴」とみなされてきたのは、斥候としての能力が高かったからである。旧約聖書創世記のノアの方舟(はこぶね)伝説によると、鳩を方舟から放ち陸地を探させたところ、オリーブの葉をくわえて戻ってきた。それにより、ノアは洪水が収まり、平和が戻ったことを知ったという。

 また、鳩がオリーブの葉をくわえている図柄は、ピカソがパリ国際平和擁護会議(1949年)のために描いたポスターから来ている。
 だから「鳩が平和の象徴」になったのは旧約聖書とそれを図案化したピカソのイメージに負っているといえる。

 鳩のイメージはこんなにもいいのだが、実際の鳩はなかなか曲者だ。日本人は鳩を食料としないので、人を恐れないし、また人間と共生するところはカラスと似ている。 カラスとの違いは人家や駅やガード下に巣を作って、糞公害の元凶になっているところだろう。

 ここ四季の道では、ジャスコから有吉中学校に降りて行く、さくら公園前の橋げたの下に鳩の巣がある。下に鳩の糞が層になってたまっているのでそれと分かる。

 長い間、私は鳩の糞公害には近寄らないことにしていた。カラスや猫とはゴミステーションで敵対しているし、四季の道では犬のウンチを拾い集めている。
このため世間では「ウンチを集めるのが趣味」と思われているのに、これに鳩のウンチまで世話すると、評判が確定してしまう。
奥様、見ました。あの人、犬のウンチだけでは足らなくて、鳩のウンチまで収集して、家でかざっているんですって
家でうんちくをかたむけてるのかしら

 だがしかし、ロドリゴは主の僕(しもべ)である。世間の評判より、主の御言葉に従う。
主はこのロドリゴに、鳩のウンチを洗い清め、四季の道を清浄に保つことをお望みなのでしょうか。それが主のご意思ならばロドリゴは僕としておつかい致します

 鳩の糞を清掃してみてはじめて分かったが、巣の下には糞以外に小さな小石が散乱している。どうやら巣を作る道具の一つとして小石を利用しているらしい。ほっておくと、糞と小石はうずたかく積まれてしまうので、定期的に清掃することとした。
糞の跡が白く道路に染み付いているが、これは水で流さなければ取れそうもないので、別途対処することとした。

 うぅーん、しかし、これが夢にまで見た退職生活なのだろうか。
山崎さん、退職したら晴耕雨読で悠々自適の生活ですか。うらやましいなあ
Aさんも早く退職して私のような生活をすればいいのに

 A さんに「退職しないほうがいいよ」と言わなくては

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(19.3.7)魔境  川の道270km

逆説の日本史〈6〉中世神風編 Book 逆説の日本史〈6〉中世神風編

著者:井沢 元彦
販売元:小学館
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 この世には魔境という言葉がある。井沢元彦氏によれば「その宗教が邪教であろうとなかろうと、一定の条件の下に、『悟り』と錯覚するような現象『幻視・幻聴等』は起こりうる。それを魔境という」のだそうだ(逆説の日本史、6中世神風編)。

 実は私もその魔境を見てしまった。これはその報告である。

 私の趣味はマラソンだが、現在のマラソンはスピード系と距離系に分かれる。スピード系については、テレビでよく放映されている東京マラソンのような、あくまでもスピードを狙った競技を指す。

 一方距離系はできるだけ長い距離を走ることを目的として、一般的には100km以上の競技を指す。
 私が魔境を見たのは「川の道270km」という競技で、荒川の河口、東京の葛西臨海公園から、長野県の小諸まで、二日半で駆け抜ける競技だった。こうした競技に参加する人は少なく、数十名のこじんまりしたレースである。物好きとしかいいようがない。5月だった。

 荒川に沿って遡り、更にその上流の中津川を遡ると、奥秩父の最高峰甲武信岳の近くの、三国山(約2000m)の峠にさしかかる。競技は更に峠を降りて、千曲川に沿って小諸まで走るのだが、私が魔境を見てしまったのは、この三国山の峠越えの時である。

 その時は夜だった。すでに180km走ってきており、スタートから1日半が経っていた。途中4時間の休憩は取ったが、眠っていない。その状態で山越えに入ったことになる。5月の山は寒い。その時も氷点下に近かった。

 正直言うが、私は気丈ではない。かみさんからは「蚤の心臓」といわれている位だ。深夜の山道を1人で行くのは恐ろしかったので、やはり気の弱そうな走者と二人で山越えに入った。

 私が幻聴に気づいたのは、中腹まで差し掛かった頃である。回りの小立や、横を流れている川面から、いっせいに笑い声が聞こえてきた。実に楽しげな笑い声で、ケタケタ笑っている。
こんな山奥でいったい誰が笑ってるんだろう
 あまりに不思議なので、止まってしばらく聞いていると、それが木立が風に揺れる音や、川のせせらぎの音だと分かった。しかし笑っているのだ。

 次に現れたのは幻覚だった。ありとあらゆるところから人が飛び出してきて踊りを踊り始めた。実ににぎやかな踊りで、幕末に発生した集団舞踏「ええじゃないか、ええじゃないか」のイメージに似ていた。
いや、すごい。みんな踊っている

 実際に踊っている人のそばまで行くと、それは倒木だったり、岩だったり、道路標識だったりしたのだが、遠くで見ている限り、人の踊りなのだ
 相手が動いているように見えたのは、実際は自分がふらついていたからだが、意識としては相手が動いている。

人が大勢踊っていませんか」 と念のため、隣の走者聞いてみた。
実はやたらと人が見えるんだ」隣の走者はそう答えた。

  もう一つ不思議だったのは、こうした現象を不思議とも思わず、また恐れることもせず、恍惚として見とれてしまったことだ。
こんな世界があるんだ。すごい」 
 まさに魔境である。

 私は30年間の走歴がある。練習もそれなりにしている。それなのに、たった2日間眠ることなく走っただけで、精神に異常をきたしてしまった。
 よくオウム真理教のような邪教集団が、修行と称して数日間眠らせずに、一心不乱に読経させるが、これは魔境を見させるためである。

 人はたやすく魔境を見るものだという井沢元彦氏の説を裏付けてしまった。しかも魔境は人を恍惚とさせる。神と一体になったと思うのも無理はない。オウム真理教の信者で今でも改心しない人がいるが、その理由が分かったような気がした。

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(19.3.6)これは無理筋だ 駅前自転車駐輪場

2007_03040037  碁や将棋の世界でよく使われる用語に「無理筋」という言葉がある。誰が見ても成功しそうもない手筋を無理やり継続しているよう場合に使用される。プロはほとんどこうした手筋を使わない。素人で強引なタイプの人がこの手筋を使う。

 私が、「無理筋」と思っているのは、ジャスコの駅前の駐輪場の整備についてである。昨今ジャスコの前の街路灯に「鎌取駅第6自転車駐車場利用申し込みのお知らせ」という、たて看板が立てられている。3月5日から12日の間が、駐輪場の利用申し込み期間で、利用台数は395台だそうだ。

 私が気にしたのは、登録台数395台という数である。現在ジャスコの前に止めてある自転車の数はどう見ても395台より多い。私は試みに数えてみた。5日の午後4時ごろの台数であるから、サラリーマンが通勤に使用している数と、ジャスコのお客の数にほぼ等しい。

 取りあえず、片側半分を数えてみたが、数が400台になったところで止めた。片側だけでも400台以上ある。両方だと最低で800台、数え切れなかった分を推定で入れると約1000台の自転車が止めてあった。

 「うぅーん、これは数が合わない
 駐輪場を使用できなくなった約600台の自転車はどうなるのか。私の経験でも分かるが、通勤に自転車を利用する最大の理由は時間短縮のためである。歩きより確実に3倍は早い。サラリーマンは時間に追われている。どう考えても自転車通勤を徒歩に変える人は少ない。

えぇ、何でここに止めちゃいけないの
ここは放置自転車の駐車禁止区域ですので、止める場合は正式な手続きをとってください
何いってんの、これは放置自転車じゃないよ。れっきとした私の自転車だ
いえ、条例で放置自転車ということになったので
そんなこと勝手に決められちゃ困るよ。あんた辞書を見たことないの。私が放置してないのだから放置自転車じゃない

 喧嘩をしているのが目に見えるようだ。

NHK千葉放送局 19年4月1日 朝のニュース
ここ鎌取駅頭では、前代未聞の現象が発生しています。通勤客全員が、片手に広辞苑を持ち、市の担当者と口角泡を飛ばし激論をしています。乗客の1人に聞いてみました。
市はおかしい。放置という言葉を勝手に拡大解釈した。これでは広辞苑がかわいそうだ。広辞苑が修正されない限り、駐輪場はみとめられない』。鎌取駅頭から生中継でした。」

 それにしてもなぜ395台なのかと考えてみた。おそらく駐輪場に設置される駐輪機について、「Xcmの幅をあけて設置」というような基準があり、設置場所との関係で、計算上そうなったのだと思う。

 現在行政が自転車対策で悩んでいるのはよく知っている。おゆみ野四季の道にも「盗難にあい、その結果放置されている自転車」が数多くあるのはこのブログでも紹介している。回収は緑土木事務所が行っているが、その人件費だけでも馬鹿にならない。

 だが、しかしそれでもこの395台という数字は実態をあまりに無視している。行政側がいくら熱心に放置自転車の追放を叫んでも、禁止区域以外に自転車が止められるのは確実だ。今はジャスコの前だけだが、今後は四季の道の禁止区域以外の場所に自転車が移動するだけだ。

私は、この駐輪場対策はまったく「無理筋」だと思う。実態をあまりに無視した対策は、結局守られることはない。

(19.3.9追加)

I さんからジャスコが別途駐輪場を整備している話を聞いた。見てみると確かにジャスコも駐輪場を作っている。2時間までは無料だが、それ以上は有料とするらしい。
 さすがにジャスコはお客のことをよく考えている。公的な駐輪場だけでは不足することを知っていた。

 ジャスコに今後も自転車でいけそうだと分かってほっとした。ただ、現状では何台分整備するのか分からない。しばらく様子を見ておこう。

 ただし通勤客の駐輪場については問題が残されたままだと思う。

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(19.3.5)自然再生をめざして

2007_03040039  I さんはとても熱心な自然愛好家だ。このおゆみ野地区で、自然と触れ合うモデル地区を作ろうとしている。場所は都川調節池で四季の道に隣接している都川の源流部だ。周りを1周すると、約1km位ある広大な場所だ。

 今この場所は、荒れた葦原と、人の近づけない池と、不法投棄されたゴミが散乱している里山しかない。ただし池には野鳥が多く飛来している。I さんは、ここを地区を代表する自然観察の場にしようと計画している。

 名前は「都川源流の自然再生をはかる会」という。この調節池の管理は県の千葉地域整備センターだが、先日「センター」と「はかる会」は正式に契約を締結した。公共施設の「里親制度」契約という。
ゴミの収集、除草、破壊損傷等の情報提供が主な仕事だ。

 契約に先立ち、現地視察をしていた県の担当者が
いやー、改めてみるとずいぶん広いですね。草を刈るのも大変だ」と感嘆していた。

 I さんも目を細めてみていた。
葦原が生えているところに水路を通して、メダカを放流しましょう。葦原はできるだけ自然のままに残しましょう。それと池と葦原を隔てている柵は取って、水鳥が自由に調節池全体を移動できるようにしたほうがいいですね。 それが私の夢です

 私も目を細めてみていた。
ゴミの量から見て,45Lの袋で約200袋は覚悟しなくちゃ駄目だろうな。それに水路を掘るとなると江戸の玉川上水を作ったときのような難工事になりそうだ。二人で掘ると数年は覚悟がいる。それが私の悪夢だ

20XX年 フリー百科事典 ウィキペデア都川調節池

 都川調節池には、I 氏と山崎氏の2名の努力により、壮大な水路が建設された。その結果、メダカや野鳥の天国になっており、世界遺産にも登録されている。おゆみ野地区だけでなく、全国から自然観察の愛好家が集まって来る名所になっている。

 一方、建設資金はすべて自己調達だったため途中で資金が枯渇した両名は家屋を売って資金調達にあてた。現在二人は調節池の里山に葦でテントを作り生活している。

 住民からは景観を汚すと苦情が出ているが、県は二人の功績を多として、路上生活者としては特別に、里山での生活を許可することにした。食料としてはメダカの採取が許されている。

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(19.3.4)清掃runについて 野口健さんのひそみにならって

 富士清掃登山で有名な野口健氏が、ここおゆみ野の南警察署の近くに住んでいると教えてくれたのは I さんである。
子供が野口健を見つけてあぁ、野口だなんていうと、手を振ってくれるのよ。でも講演なんか頼むと事務所を通さなければならないので、50~60万するみたい」なのだそうだ。

 野口健氏といえば富士山を世界遺産にするため、富士山や富士山麓の清掃を呼びかけている登山家として有名である。私も機会があれば清掃登山に参加したいと考えていたので、そのような人がここおゆみ野に住んでいるとは驚いた。しかも近所である。

 著名人が住んでいると、なんとなく自慢したくなる。「野口健も住んでいるんだぞ」なんて感覚だ。
私の実家の近くには、北島三郎が住んでいる。北島御殿と呼ばれており、その家の近くを通るときは「ほれ、ほれあれが北島三郎の御殿だよ」なんてみんな興奮する。
街に著名人がいることは、間違いなくステイタスシンボルになる。だから街のイメージを向上させるには著名人に住んでもらうのが一番だ。

 野口健氏は清掃登山だが、私も及ばずながら清掃RUNをしている。場所はいつもの四季の道で、夕方の4時ごろから2周(約13km)する。RUNをしながらゴミを拾う。

 昔はRUNの練習中に止まるのがとてもいやだった。1周のラップタイムを取っていたため、それだけ遅くなるのが耐えられなかったのだ。
よく顔を引きつらして走っている人がいるが、半分命を懸けているのでそんな人に声をかけるのは厳禁である。
あの、おゆみ野警察にいきたいのですが
そんなことはおゆみ野警察に行って聞いて来い

 四季の道は朝方に一旦きれいに清掃しているのだが、4時ごろになるとビニール袋やマックの袋が散らかってしまう。これを走りながらビニール袋に入れ、集めたゴミはジャスコのゴミ入れに入れさせてもらっている。スピード向上はとうの昔にあきらめているので、止まることは気にならない。

 しかし清掃RUNの難しさは、あまり多くのゴミを拾えないことで、特に重たいゴミは走りのバランスを崩すために絶対拾えない。
マラソン仲間で同じく清掃RUNをしている人がいるが、この人は背中にリックを背負い、空き缶をその中に集めていた。これだと走りのバランスを崩すことはない。

 実は、私の希望は四季の道をデズニーランドのように美しくすることだ。
デズニーランドはゴミがない。これはパートのお兄ちゃんが、ゴミが少しでも落ちていようものならあわてて拾っているためで、ゴミ拾いに命をかけている

 残念なことに四季の道では、私が1周する間に、新たなゴミがわんさかと落とされる。本当にデズニーランド並みにするには、私は一日中走っていなければならない。昔ザトペック(ヘルシンキオリンピックのマラソン金メダリスト)は走る人間機関車と呼ばれていた。私は走る清掃機械だ。あるいは走るゴミ袋かな。

うぅーん、これはちょっと

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(19.3.3)千日回峰 おゆみ野四季の道

 千日回峰(せんにちかいほう)とは比叡山延暦寺で行われている荒行で、7年間をかけて通算1000日間の業が行われる。歩く距離は当初は一日30kmだが、だんだんと増加され最後は1日84kmも歩くというからすさまじい。実際やってみると分かるが、84kmとなると一日中歩いているようになる。

 実は私もこの千日回峰に憧れ、1000日間このおゆみ野で「」に入ることにした。千日間一日も休まず、四季の道を清掃する「」を立てたのである。
もし我に、この願、違えることあらば、死を与えよ

 すっかり修験者の気持ちになって清掃活動をしていたが、ある驟雨の日、すんでのところでところで凍死しそうになった。この時は篤信の女性が傘を貸してくれたので、凍死だけは免れた。

 あまり無理な「」は本当に死んでしまいそうだと悟ったので、「」の内容を少し修正した。雨の日は清掃活動を休むことにしたのである。
もし我に、この願、違えることあらば、死を与えよ

 朝起きて、雨が降っていようものなら、実にほっとしたものだ。
主よ、主はこのロドリゴに安息日を与えたもうたのですか

 雨が一日中降っているときは問題がないのだが、大抵の場合は午後には雨が止んでしまうことが多い。日差しが照りだしたりすると、ほとんど精神の安定を欠いてしまう。
ぼくちゃん、今日はどうしょうか。雨は止んだけど、おなかは痛いし、熱もあるかもしれない
ほとんど小学生が学校に行く前の状態になってしまう。

 だが、しかしロドリゴは60才だ。小学生と同じでは笑われてしまう。中学生程度の意志力はある。
こう言うときは景気付けが必要だ。大好きな長山洋子の「じょんがら女節」をめいっぱい歌いながら清掃活動を始める。

 「雪は下から舞い上がり、赤い裳裾(もすそ)にまといつく  ジャンジャンジャン(これは口三味線)・・・・・・・
この歌を歌うと、精神はだんだんと高揚し、幸せな気分になって、ちょうど軍隊の行進のように意気揚々と歩くことができる。

 ある女性から「山崎さんは歩くときは、身体をピシッと立てて、実に姿勢がいいですね」と言われたが、何を隠そう、長山洋子と心で歩いていたのだ。

 しかし、こんなことがかみさんに知られたらことだ。
いい年こいて、スケベー」なんて言われてしまう。

久米の仙人でさえ、乙女の腿脛(ももはぎ)を見て神通力を失うのが世の常なので、この程度は許容範囲だ」なんて居直るのも大変だ。こればかりはかみさんに知られないようにしよう。

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(19.3.2)不思議な本を見てしまった おゆみ野風土記

2007_03010028  不思議な本を見てしまった。名前は「おゆみ野風土記」という。編纂は「おゆみ野の歴史を知る会」で、泉谷中学校の先生とPTAの方が中心になっている。
 この本は、友達のKさんが貸してくれた。Kさんは地区の民生委員などをしていて、地区のことに詳しい。

山崎さんはおゆみ野にとても愛着をもっているから、この本を読んだらいかがですか」と貸してくれた。

 内容を見てびっくりしてしまった。おゆみ野の歴史が旧石器時代から現在まで、148ページにわたって、ぎっしりと書き込まれている。
えぇ、おゆみ野って、こんなに書き込まれるほど歴史があるの」というのが最初の印象だった。

 内容を読んでいくうちに、なぜページが増えたかがわかった。歴史の記述が「日本史一般」と「おゆみ野小史」からなっており、おゆみ野にかかわる部分は、このページの約半分だということが分かった。
 それにしても大部な本だ。歴史以外にも「周辺の社寺」「城址と旧跡」「交通」「教育」「伝説と伝承」まで触れられ全体で228ページに及んでいる。

 だが、しかしこの本の読者は絶対的に少ないだろうと考え込んでしまった。この本を出版するためにかけたエネルギー(約3年間)に比較して、その成果は微々たる物に違いないと思われたからだ。

 そう考えざるを得ない理由がある
 最大の理由はこれがコンピュータ上で検索できないことだ。この本の内容は非常に詳細にわたっている。いわゆる「おゆみ野の百科事典」といっていい。百科事典を最初のページから読む人はいない。必要な箇所だけ検索できればよい。そのためには、コンピュータ上に展開されていることが一番だ。

 おそらくこの本は自費出版だから1000部前後の部数を印刷したのだと思う。関係者全員と、図書館や学校等の公共施設にも配布されたはずだ。だがそうした場所ではほとんどこの本は死蔵されていると思う。

 はっきり言って、このような本の最大の読者は、私のような定年退職者だ。学生や現役のサラリーマンはほかに読まなければならない本や、情報が山ほどある。
一方定年退職者は、この地区に居つき、行動範囲もおゆみ野地区から出ることが少ない。いきおい地区の歴史や文化に興味を持ち始める。
なぜ、おゆみ野というのだろう。おゆみ野城址とはなんだろうか

 だが、どのようにして、このような最適な本があることが分かるのだろうか。私のようにKさんに教えてもらえば別だが、通常はコンピュータで検索をするはずだ。
グーグルの検索にかからない情報は存在しないのと同じ」とはグーグルの宣伝だが、ほとんどの人が「おゆみ野風土記」という本があることを知らずにあきらめてしまう。だから存在しないのと同じ状態なのだ。

 それにしても惜しいことだ。私だったら「おゆみ野小史」部分について、ブログ上に展開し、フリーの百科事典「ウィキペディア」のようなものにしてしまうのにと思った。

 もう一つ、この本を、定年退職者が見ないと思われる理由がある。字が小さすぎるのだ。ぎっしり詰め込むように書かれている。学生や老眼の発生していない人ならともかく、老眼の人は小さな文字が読めない。
私も読みながら目が痛み出したので、何度も目を休めなければならなかった。とても読了できそうにない。

 この本はこのままでは埋もれてしまうだろう。この本にかけた人々の努力を思うと、人の営みのはかなさをしみじみと感じてしまった。

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(19.3.1)からすなぜ鳴くの カラスとの格闘記

 「カラスなぜ鳴くの カラスは山に かわいい七つの子があるからよ」と歌われた「七つの子」は野口雨情作詞、本居長世作曲の名曲である。
この歌に歌われるカラスはいかにもかわいらしいが、実際のカラスはタフで頭がよく、そしてゴミステーションの荒らし屋だ。

 私が近所のゴミステーションを舞台に、カラスと死闘を繰り広げていたのは、2年前のことである。
この近くには古くから建てられたアパートが多く、そうしたアパートのゴミステーションは上部が開いたオープン型で、ネットは張られていなかった。

 カラスはそおした場所を目ざとく見つけ、仲間を呼び集めてゴミをあさっていたが、日を追って数が増えはじめた。朝の蝉噪はすさまじく、私はカラスの鳴き声で目が覚めるほどになった。
当初はやや遠くのアパートのゴミステーションが狙われていたが、数が増えるに従って私の前のアパートもターゲットになってしまい、前の道一面にゴミが散乱し始めた。

これは大変だ。家の前が夢の島になってしまう

 私はからすの鳴き声がすると、起きてゴミステーションに群がっているカラスを追い払うのだが、回収車が来るまでがんばるわけには行かない。
カラスは頭がいい。サラリーマンの習性を知っている。

カラスの親「もう少ししたら、あのおっさんがエサアサリに出かけるから待ってようね
カラスの子「うん、そうしたら腹いっぱい食べるんだ

 カラスは私が会社に行った隙を狙って、悠然とゴミをあさり、帰宅するとカラスに散らかされたゴミの清掃が日課になってしまった。

 いくらなんでもこれでは身が持たない。私は思い余ってD2に行って、カラス対策用のネットを購入し、カラスが群がっていた4箇所のゴミステーションにネットを張った。そして張り紙をした。
カラスがゴミを漁っているので、ネットを設置しました。ゴミはネットをかけて出すようにお願いいたします

 幸いにも、私の目の前のアパートともう1箇所はこのネットを利用してくれ、それ以来カラスの襲撃からは免れるようになった。住民も悩んでいたのだ。

 ところが信じられないことに、他の2箇所のアパートではネットの上にゴミ袋を重ねて出し、相変わらずカラスの被害は減らない。唯一の行幸はそこが私の通勤路を外れていたことだ。
ここは、私の通勤路じゃないから、知らん」と一旦は居直ったが、それでは少し心が狭すぎると反省し、1週間に1度はゴミステーションの清掃をしはじめた。

 ある日、そのゴミステーションの住人から声をかけられた。アパートの経営者に雇われた清掃員と思ったらしい。
ネットをようやく設置してくれたのはいいけど、ここにはその筋の人がいてどうしてもルールを守らない。ちゃんと言ってってほしいのだが
はあ、そうですか。ですが・・・・・

 私は、この近くの住人で、ネットも私が張ったのだと説明したら、その人は目を丸くして驚いていた。
この人、なに、どうしてそこまでするの」という感じがありありと見えた。理由を説明するのも大変だ。

 私はその後もゴミステーションのゴミが荒らされていたら、清掃をしているが、どうしても会社から雇われた清掃員と間違えられてしまう。

あんたもっとちゃんときれいに掃除しなさい」と言われたら、なんて答えようか。

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(19.2.28)輪が広がった おゆみ野クリーンクラブ

 清掃活動の輪が広がっている。当初 I さんと二人で「おゆみ野クリーンクラブ」を立ち上げたときは、半永久的に二人で清掃活動をするのではないかと思っていた。
 二人の体力だけが、おゆみ野の四季の道を守る最後の切り札だと悲壮な決意をしたものである。

 Fさんは私達より年配の婦人である。小谷小学校前の道路を約100mにわたって清掃している。ここは私が駅に行く通路で、とても気持ちよく歩かせてもらっている。
 このFさんが、私たちの清掃活動をみて、「私も参加させてくださいな」といわれた。
 週一回、鎌取駅前の清掃をしているが、Fさんも参加することになった。

 Tさんは、有吉中学のそばに住んでいる婦人である。家庭内でつらいことがあるといわれていたが詳細は知らない。
家に閉じこもっていると、気持ちが鬱積するの。外に出て出て身体を動かしていると、気持ちが晴れるの」といわれた。有吉中学の周りの清掃をしている。

 私は根っからのスポーツ好きだからその気持ちはよく分かる。マラソンでランナーズハイになると、すべてが前向きに考えられる。フルマラソンでこの状態になっているときは、記録更新は間違いないとよく思ったものだ。
 清掃活動は身体によいだけでなく、精神面をリフレッシュする。

 I さんも有吉中学のそばに住んでいる婦人である。朝、四季の道を散歩している I さんによく会う。とても前向きな感じの明るい婦人で、「おはよう」と声をかけ合ってきた。その I さんが、ゴミ袋を持って、春の道公園の清掃を始めた。

私もするの」と笑っていた。
クリーンクラブの腕章をあげようか」といったら
私、腕章は色々あるの」といわれた。活動的である。

 しばらく前までの日本では、自宅の周りの清掃は義務というより、自然な日常活動だった。朝、年配の婦人が清掃している姿をよく見たものである。
 よく古い町並みを歩くと、清楚でゴミなど絶対に落ちていない道を歩くことができるが、大抵はこのような人たちに支えられている。
 そうすることで、実は街を守ってきたのだ
 街を守るのはそれほど大仰なことではない。毎日自宅の周りを美しく保つために清掃し、そしてちょっとした異変に気づけばいいのだ。

 なぜ自転車が放置されているのか。なぜ立て看板が立てかけられているのか。なぜ有害図書が捨てられているのか。なぜ子供がいつも泣いているのか。
 そして少しおせっかいになればいい。おせっかいすぎる社会はとても窮屈だが、まったくおせっかいのない社会は危険なのだ。

 戦後の時代は個人主義全盛時代だった。個人の自由は何よりも尊いものとされた。しばらく前に我が家で交わされた論争がある。
私たちは自由だ。だから何でも好きなことをする。好きなものを食べ、好きなだけ旅行する権利がある」と妻と子が言った。
それは結構だ。私も自由なのだから、君たちのために働くのは止める。君たちは飢える自由も味わってくれ

 ある人の完全な自由は、その周りの人の完全な不自由に対応する。だから人は少しずつ譲り合い、おせっかいをやきながら暮らしているのだ。そうした微妙なバランスの集合が社会なのだと思う。

 最近腕章をつけて、四季の道を散歩する人が増えた。社会を守るために自分のできるできることをしようとする人が増えてきた。腕章をつけた人同士に連帯感が生まれ、そして明るく挨拶を交わしている。

 些細な事だが、こうした活動が何より大事なのだと思う

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(19.2.27)衣食足りて 野良猫

 定年になってからの最大の変化は友達の幅が増えたことである。以前は会社の同僚、マラソン仲間、登山仲間がすべてだったが、新たに小学生が加わった。

 私の家の前のアパートに住んでいるYちゃんは小学校3年生である。Yちゃんと私は園芸仲間で、Yちゃんはアパートの軒下にプランターをおいて、花の栽培をしている。
 一方私は空き地があると、花を植えていたので、ある時Yちゃんから質問を受けた。

山崎さんは、どうして色々なところに花を植えるの
Yちゃんと同じで花がとっても好きだからだよ
 Yちゃんはそれですっかり納得してくれて友達になった。

 そのYちゃんから、最近野良猫にえさを与えるようになったとの話を聞いた。
えさはあげてるけど、家には入れないの。名前は黒という」のだそうだ。

 実は黒と私は因縁の対決をしていた。黒はこの近所のダストステーションの荒らし屋で、ネットに少しでも隙があると、ゴミ袋を引きちぎり、魚や、肉の破片をあさって食べていた。
 後片付けはしないから私がしていたので、黒を見かけると宿敵とばかり追い払っていた。
 しかし、野良猫の立場に立ってみれば生存権をかけた闘争なので、おいそれとは引き下がるわけにはいかない。私が立ち去るのを見ては、またゴミ漁りを繰り返す、実にタフな猫だった。

 Yちゃんの話を聞いて、実にほっとしたのを覚えている。
これで黒はゴミ漁りはしないだろう。やれやれだ
 ところが、信じられないことにあるアパートのダストステーションで黒はまたもやゴミ漁りをしていたのである。
 私は黒に言った。
黒、お前はYちゃんのところで、食事をしているのだろう。『衣食足りて礼節を知る』という言葉を知らないのか

 こんなにも丁寧に説得したのに、黒はハンバーグをくわえて、自動車の下にもぐりこみ、「フー」なんていってこっちをにらみつけていた。
漢文を使ったのが猫には難しかったに違いない。今度はもっと易しい日本語でしゃべってやろう」とぶつぶついいながら、Yちゃんのアパートの前まで来ると、くだんの黒がベランダの下で昼寝をしている。
あれ、どうしてここにいるの」とよく見ると、さっきの黒とは少し毛並みが違う。どうやら兄弟の黒がいて、一方はまだ野良猫のままだったことをこのとき知った。

 私は、目の前の黒に謝した。
私の誤解だった。許してほしい。今後は君を追いかけることはしない
 こんなにも丁寧に謝ったのに、黒はこちらを無視し、あくびをして消えてしまった。誠意が伝わらない。

 この話を娘にしたら「父さんは猫にそんなに丁寧に話すの」といわれた。
猫だっていつ千葉市長になるかも知れず、そのとき『君、君は私を追い回していたね。猫缶にしてもいいんだよ』なんて言われたら大変だ」と答えたところ、娘は
うむ・・・深い」と感心していた。

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(19.2.26)ブログは世界を変える

 つい3ヶ月ほど前まで、ブログという言葉さえ知らなかった者が「ブログは世界を変える」とまで大言壮語するには訳がある。私は心底驚いてしまったのだ。シナリオをブログ上に掲載できたことがである。

 私がシナリオ教室に通っていた15年前は、自分の作品を見ず知らずの人に見てもらうことは通常、不可能だった。小さなサークルのメンバーにコピーして配るのがやっとで、たまたま新人賞をとればシナリオ教室が印刷をしてくれて教室の生徒に配ってくれたが、それは400人に1人の行幸といえるものだった。

 従って、賞から外れた作品は完全に埋もれ、金輪際人に見せることはないと思っていたのが、今回ブログ上に簡単に掲載できた。しかも面識のない人たちがそれを見てくれているのに、私は驚愕した。「ブログは世界を変える」のだ。

 実はブログを作成する前に、ホームページを作成する訓練を、ジャスコのパソコン教室で行っていた。ホームページの作成はすこぶるシステム的だ。特にファイル管理が難しく、ちょっと油断すると古いファイルで更新してしまう。
個人のホームページだと大して問題ないが、会社のホームページの場合、古い商品や、旧価格での表示になってしまって社会問題にまで発展する。
従ってある程度知名度のある企業は専門の担当者を雇い、年間1千万円程度かけ、ホームページの維持管理をしている。それまでしても会社案内のパンフレット以上のものはなかなかできない。

 娘はある会社のホームページの管理をしているが
急にセキュリティーのレベルが、旧レベルになってしまったが、前の担当者が難しいファイル管理をしていたため、直し方がわからない
 といって嘆いていた。

 それに比較して、ブログはフリーの場合はまったくただで、しかも自由に更新がかけられ、面倒なシステム管理はまったくない。後は、ブログの中身の勝負で、こればかりはブログ作成者の努力が必要だが、スタートだけなら、誰でも簡単にできる。
私のように退職した年金生活者でも、費用をかけずにホームページ並の情報提供ができる。企業が1千万円かけているホームページとほぼ同等のものをただ1人でできるのだ。

 これが驚きでなくて何といえよう

 私はブログに完全にのめり込み、興奮して、ココログの「おゆみ野四季の道」以外に3つのブログを立ち上げてしまった。
各ブログ間の機能比較をしたり、掲載するコンテンツを検討していたら、ジャスコのパソコン教室のサイモン先生(ブログ名)から、「ブログのインストラクターをしませんかと声をかけられた。

うむ・・ ブログは私の生活まで変えてしまった。

 娘にそのことを言ったら
60歳でインストラクターなんて、かっこいいじゃない」 といわれた。

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(19.2.25)血潮  生理のゴミは厄介だ

 「若い血潮の予科練の、七つボタンは桜に錨・・・」と歌われる「若鷲の歌」は戦前の軍歌の中でも、時代を超えた秀歌だと思う。
歌詞もメロディーも申し分なく、戦前・戦中組が集まると、必ず歌われる歌というのもうなずける。
私の子供の頃は軍歌を歌うのははばかられた時代だが、それでもこの歌だけは子供たちもよく歌った。

 しかし、ここに出てくる「血潮」は言葉としては美しいが、実際にそれを見ると普通の人は卒倒してしまう。私もご他聞に漏れず、卒倒してしまった。

 近所のアパートのゴミステーションは、コンクリート製の正方形のブロックで、上部と前面が開いており、上部はネットで覆われ、前面をネットでたらす構造になっている。
以前、ここではゴミの収集日を無視したゴミ出しが行われており、そうしたゴミ袋を狙って野良猫がネットをくぐり、ゴミ袋を破って、えさ漁りをしていた。

 ここは私がジャスコや駅に行くいわゆる通路で、ゴミが散乱していると、そおっと破れた袋の隅にゴミを戻しておいた。

 しかし、この日ばかりは目を見張った。赤い鮮血のついた、女性の生理用品が道路一面に散乱してたのである。私は血が好きでない。自分の血でも気持ち悪くなるくらいだから、女性の鮮血となると卒倒しそうになる。
だが、しかしここは小学生も通る通学路だ。小学生がこれを見て、殺人事件でも起こったと勘違いしたら大変だ

 私は素手で、その生理用品のまだ血のついていない場所をつまんで、一つ一つゴミ袋に戻した。血が手につきそうになると、正直いって震えあがった。
エイズや血清肝炎だったらどうしよう

 このときほど神をうらんだことはない。
主よ、主はまだこのロドリゴの試練が不十分だといわれるのでしょうか。女性の生理の後始末をすることが、主の御心にかなうのでしょうか

 ロドリゴは思い余って、このゴミステーションに張り紙をした。

アパートの皆さんへ
 ゴミステーションのゴミ出しの日を守られていない方がおり、その人のゴミを野良猫があさって散らかしております。○月○日に出された方のゴミには使用済みの生理用品があり、道路に散乱しておりました。
私が片付けておきましたが、とてもつらい思いをしました。どうか、同じ住民として、ルールを守り、生理用品の散乱がないようにご協力ください

 その後ロドリゴが「鮮血」を見ることはない。

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(19.2.24)マムシが怖い 都川調整池

 私はヘビが大の苦手である。昔、草むらで青大将を踏んづけたときは、飛び上がらんばかりに驚いた。逃げ出そうとしたのだが、手と足のバランスが崩れ、まともに走れなかったことを覚えている。

 通常ヘビは暖かくならないと出てこないが、昨今の陽気で目覚めが早そうだ。そのことが私を不安に陥れている。

 実は、私が現在整備中の都川調整池の里山は、いかにもヘビが生息していそうな場所である。この里山には一部に路上生活者がテントを張って生活していた跡があるものの、それ以外の場所はたえて人が入った形跡がない。住宅地の真ん中に人跡未踏の地があるなどとは信じがたいが、現状は私が唯一の進入者になっている。

 ここおゆみ野には昔からマムシがいたらしい。私が越してきた13年ほど前は、泉谷公園に「マムシに注意」という看板が設置してあった。実際私自身も農業試験場近くの道路で草むらに逃げ込むマムシを見ている。
最近はマムシの話は聞かないが、私はここ都川調整池に逃げ込んだのではないかと思っている。何しろこの場所に踏み入れる人は極度に少ない。小谷小学校の近くに住んでいる人から、しばらく前まで狸がいたという話を聞いた。いわゆる動物や爬虫類の結界になっている。

 だから、暖かくなる前に、ここ都川調整池の里山の整備をすまそうとしているのは、ひとえにマムシを恐れているからに他ならない。春めいてきたら危ない。
もっともマムシの立場になってみれば、せっかく手に入れた安住の土地を、里山開発に血迷ったおっさんに追い出されることになるわけで、座して死を待つわけにはいかない。逆襲の機会を虎視眈々と狙っているはずだ。

マムシの酋長わが一族はここおゆみ野の森に広く生息していたが、いまや追い詰められ、都川遊水池のみが最後の生息地となった。然るに血迷ったおっさんが、ここの里山まで入り込み、我らの生存を危うくしている。いかがすべきか
マムシの若者私に、一族を代表し、血迷ったおっさんの鎌首に食らいつき、止めを刺す任務をお与えください
マムシの酋長若者よ、良くぞ申した。お前にわが一族の栄光あるを授けよう
なんてことになっているはずだ。

 マムシの毒性については、諸説があって本当のところどの程度か分からない。毎年3000人近くの人がマムシにかまれているが、死ぬ人は10名程度で、それも老人や子供が大半だと聞く。
毒は猛毒だが、注入量ははそれほど多くないので、危険でないという人もいる。何回かまれても平気だという人もいるが、おそらく耐性ができているのだろう。
しかし私の場合は、ママさんから「蚤の心臓」といわれているほどだから、精神的パニックになりそれで死んでしまいそうだ。

おゆみ野都川調整池の里山で下草刈りをしていた、山崎次郎さん(60歳)は、マムシに右手の親指をかまれ、ショック死した。専門家の話によるとこの程度の毒では通常致死量にならないが、本人が致死量になったと思い、勝手にショック死したものだという。マムシに罪がないというのが、専門家の一致した見解になっている

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(19.2.23)チンパンジーから電話があった NHKプラネットアース

 NHKの国際共同制作番組「プラネットアース」は実にいい番組だ。NHKの技術水準の高さがひしひしと伝わってくる。数年間を掛けて撮影しただけにどの画面も出色のできばえになっている。

 プラネットアース第9集「ジャングル 緑の魔境」も素晴らしく、私は感心して見入ってしまった。特にチンパンジーの集団が、自分たちのテリトリーに入ってきた他のチンパンジーの集団を襲う場面は、映画「猿の惑星」もかなわないほど迫力があった。
最後のシーンは取り残された子供のチンパンジーを、襲った側のチンパンジーがみんなで分けて食べているシーンだった。

 このときのナレーションは「闘いの後、身の毛のよだつような光景が繰り広げられました」から始まり「縄張りを守り、食べ物を確保するために命がけで戦うことは理解できるのですが、なぜ食べることまでするのでしょうか」となっていた。

 実はこのナレーションを私は何気なく聞いていたのだが、友達のチンパンジーが私に電話をかけてきて、「このナレーションはあまりにチンパンジーの猿権を無視した、聞き捨てならない言葉だ」と抗議をしてきた。

 彼は次のように言った。
これでは、チンパンジーだけが共食いをしているように聞こえる。では人類は共食いしたことはないのか。人類の誇る”フリー百科事典、ウィキペディア”を見てみろ」というので、私はすぐにウィキペディアを見て見た。

 彼は続けて言った。
「”カニバリズムは人類の共食いの歴史をあらわす言葉で、明確に人類が共食いしてきた事実が書いてある。

 第二次世界大戦中南方戦線に取り残された日本軍は、食料がなくなり死体を食べていた。ニューギニアでは日本の第18軍が友軍兵の屍肉を食することを罰するという布告を出さなければならないほど、共食いが行われていたではないか。戦後、人類の中ではまれに正直だった奥崎健三がゆきゆきて、神軍のなかで、そのことを追及していたのを、君は知らないのか」というので、私も確かにそのドキュメンタリーを見たと答えた。

 ほかの例を出そうと彼は続けて言った。
1972年にアンデス山脈に飛行機が不時着し、45名の乗員乗客のうち17名が死亡したが、残った人たちは死んだ人の屍肉を食べることによって生き延びた。これは後に映画化されて多くの人が知ることになり、ローマ法王は”この共食いはやむおえないこと”として特赦を与えたではないか。
ローマ法王といえば、人類の中では、高崎山のボスざると同じくらい著名人のはずだ
私は、ローマ法王のほうが高崎山のボスざるより著名ではないかと思ったが、黙って聞き続けた。

飢饉のたびに人類が共食いしてきたことは、研究者の間では公知の事実だ。考古学では、人骨が出てきて、その大腿部が割られ、中の髄質が食べられている場合は、共食いの証拠とされているのではないか

 「だから」といつもは物静かな彼が絶叫した。

このナレーションは次のように変えられなければならない。”人類と同じようにチンパンジーにも共食いの風習がある。人類の場合は、戦争や飢饉の場合に頻繁に発生するが、平和を愛するチンパンジーは、自分のテリトリーを守る闘いの場合だけまれに発生する。チンパンジーにとって、この人類の行いは「身の毛のよだつ」ような行為だが、毛のない人類は「身の毛をよだたせる」こともできない”」

 少し、チンパンジーに偏り過ぎた意見に聞こえたが、彼の怒りも理解できたので、私は「NHKに伝えておくから」と言って彼をなだめなければならなかった。

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(19.2.22)心頭滅却すれば おゆみ野四季の道

 「心頭滅却すれば火も自ら凉し」といって武田家とともに滅びたのは、塩山恵林寺の高僧、快川紹喜(かいせんじょうき)である。さすがに高僧となると精神力が肉体の苦痛を上回ってしまうようだが、一般人はそうは行かない。

 私がそのことを痛感したのは、約1ヶ月ほど前の雨が激しく降った日のことである。北海道沖にあった低気圧が急速に発達し、960hpという猛烈な低気圧になった日、いつものように清掃活動に出かけた。
出かけた時は、小雨程度だったが、だんだんと雨脚が強くなり、約半周した金沢小学校近くに来たころは、完全に本降りになっていた。

 雨も衣類の表面をぬらす程度だと、まったく問題ないが、中にしみこんでシャツをぬらし始めるとかなり危ない。ちょうどその時が、そうした状態になりつつあった。冬の雨は冷たい。よく中高年の登山者が、凍死することがあるが、ほとんどがこうした状況下で起こる。
おゆみ野四季の道で清掃活動をしていた、山崎次郎さん(60歳)は、風雨の中、傘をささずに清掃をしていたため、金沢小学校の門の前で、凍死した」なんてことになったら、家族が外を歩けなくなってしまう。

 ここは精神力で乗り切ることとし「心頭滅却すれば火もまた凉し。いわんや雨おや」なんて、もごもご口で唱えていたときに、Kさんにあった。
Kさんは今まで勤めていた会社の同僚の奥さんだが、つい最近までそのことを知らなかった。四季の道で挨拶を交わして始めてそのことを知った。

 信じられないことにKさんは、遠くから私を見かけ、傘を持って待っていてくれたのである。
よく、私だと分かりましたね」というと
雨の中を清掃活動しているのは、山崎さんしかいません」といわれた。

 本当に心頭滅却していれば
まことにありがたき申し出なれど、拙僧は修行の身、かかる雨ぐらいで傘を拝借しては、菩薩に合わせる顔がない、か・か・か」と大言壮語すべきだが、実際に出た言葉は「いや、本当にありがとう」だった。
実はそのとき思っていたのは「早く家に帰って、ルルを飲んで、風呂に入ろう」だったのだから、どだい高僧にはなれない。

 Kさんは、大きな立派な傘を用意してくれて、「傘は何本もあるので返さなくてもいい」といわれた時は心底びっくりした。
旅の途中で篤信の信者からお布施をもらった僧の心境になった。大事に使わせてもらっている。

 実際その日は、雨脚がますます強まり、もし傘を貸してもらわなければ完全に濡れ鼠になり、肺炎なって寝ていたかもしれない。
こうして元気でいられるのもKさんのおかげだと感謝している。

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(19.2.21)シナリオの紹介

 今から約15年ほど前の45歳前後の頃に、放送作家教室でシナリオ作成の勉強をしていた時期があります。この教室では、金子成人氏、布施博一氏、竹内日出男氏といった、日本のシナリオ界を代表する人たちが教師となり、次代のシナリオ作家を育成しておりました。
 私はこの教室で、1989年度の新人賞を取り、たまたま審査委員だった日本テレビのディレクターから、日本テレビでの放映の話が持ち上がったことがあります。

 これは結果的には日の目を見ることなく終わっております。ディレクターの本心としては、当時放映されていた番組のライターが、病気等で作品が書けなかったときの、ピンチヒッターのつもりでいたようです。

 2軍で1軍登録を待ってる選手の立場だったのですが、あいにくと1軍選手に欠員が発生せず、約1年間ほど待機させられました。そのため当方が疲れてしまいこの話はなくなりました。

 今回紹介するのは新人賞を受けた作品ではありませんが、私の好きな作品です。作品名は「ぼくが生きたとき」です。「子供のいじめと自殺」について扱ったものですが、当時はまだこの問題が社会問題となっておらず、内容が暗すぎると評価されました。
 このテーマを私があえて選んだのは、私が小学生まで、常にいじめられていたからです。どうやっていじめから立ち直ったのかの私の精神史ですが、自伝ではありません。

 この作品の読者としては、現在いじめ問題で悩んでいる親御さんや子供を対象にしています。そうした方が現状を打開する一助になればと思い、ブログ上に掲載しました。

 なお、本来はココログ上で展開したかったのですが、私が現在使用している無料ブログでは1ブログしか認められておりませんので、Yahooのヤプログに展開しました。操作方法が少し異なりますので戸惑われるかもしれません。作品は、ブログの性格上6ブロックに分けています(1ページ5000字の制限があるため)。上部にある「リスト」をクリックすると各ブロックごとに見ることができます。

 URLは以下のとおりですので、見ていただける方はクリックしてください。また「四季の道の関連リスト」の「シナリオ・シナリオ」からも入れます。また検索する場合はYahooブログ(yahooの検索画面ではありません)の検索で「シナリオ・シナリオ」と入力すると、このブログに入れます。

http://blogs.yahoo.co.jp/yamazakijirou

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(19.2.20)深く静かに潜行せよ 鎌取駅前戦争

 昔見た映画に「深く静かに潜行せよ」という映画があった。1958年の製作だから、今から約50年前の作品である。日本の駆逐艦とアメリカの潜水艦が豊後水道で死闘を繰り広げるのだが、私が始めてみた潜水艦映画だったので印象深く覚えている。

 実は、鎌取駅前の不法ビラの撤去をめぐって、同じような死闘が繰り広げられたのは、16年3月から5月にかけての3ヶ月間だった。鎌取駅前はそれまで何か聖域のような雰囲気があって、不法ビラが貼られることがたえてない美しい場所だった。
 それが、16年3月のある金曜日の夜半に、鎌取駅とジャスコの前の街路灯やNTTの電源盤の箱に所狭しと金融関連の不法ビラが貼られてしまった。
 B6サイズのビニール製のビラで、後ろに強力な糊がついており、滑らかな平面に張られたら金輪際はがれそうもない代物だった。

 私は驚愕し、次には頭に血がのぼり、はがしまわったのだが、幸いにジャスコ前の街路灯は鋳物でできており、凹凸があったため、簡単にはがすことができた。しかし問題はジャスコと鎌取駅を結ぶ高架橋上の街路灯に貼られたビラで、こちらは表面が滑らかだったためはがすことが極度に困難だった。

 何度かのトライを行った後、最後はナイフで削り落としたのだが、街路灯の塗料が一部はげてしまい、私はひどい自責の念に落ちたものである。ところが信じられないことに、こんなにも苦労してはがしたビラが次の金曜日の夜にまたいっせいに貼られてしまった。

 私は我を忘れ怒りに任せてビラをはがし回ったのだが、おかげで会社への出勤時間が大幅に遅れてしまったほどだ(実を言うと当時の私の仕事はかなり自由の利く仕事で少々遅れてもなんら支障がなかった)。

 この過程で以下のビラはがしのコツを身につけた。

  • どんな強力な糊でも、貼った当初は乾いてないため簡単にはがれる
  • はがし方は上部の両端を持って均等に力をかけなければならない
  • 寒いとビニールが硬くなって裂けるため、暖かいときにはがすのがよい

 こうして2回目のビラもはがしたのだが、今度は相手が本気になってしまい、はがされると数日後には貼り返すというひどいバトル状態になってしまった。このため私はいつもより30分早く家を出て、駅とジャスコの周りを見回るという日課になり、仕事よりもビラはがしが本業のような状態になった。

 この状態は約3ヶ月続き、一種の根競べになった。「敵ながらよくやるのう」なんて気分で、こちらも長期戦を覚悟したのだが、思わぬことでこの死闘が終わった。私に援軍が現れたのである。
 その日も不法ビラが貼られていたのだが、たまたま仕事の関係ではがす時間が取れなかった。帰りにはがす予定だったが、鎌取駅に帰ってみるとビラはすべてきれいにはがされていた。
えぇ どうしたの。何がおこったの」と当初は状況が把握できなかったほど驚いた。

 闘いが2対1になったのである。がぜん当方が有利になり、さすがの相手もあきらめてしまった。そうしてようやくこの死闘は終わった。私はこの援軍を差し向けてくれた人を知りたかったが、結局分からなかった。残念である。

 その後、年に1回程度のペースでビラが貼られるが、即座にはがすとそれ以上貼られることはない。

あの日の3ヶ月間の闘いが、最大の決戦だったと思っている
闘いは「深く静かに」行われた。

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(19.2.19)白熊がかわいそうだ NHKプラネットアース

2007_01310001  今年の気候は特に変だ。四季の道の梅の花は咲き誇り、家のチューリップは芽がもう出ている。通常、1月末から2月初めは厳冬期で、私はこの時期を越すと、「今年も生きられそうだ」と思ったものだが、今年は厳冬期というようなものがなかった。
 「暖かくていいですね」と挨拶を交わしていたが、本当は喜んでばかりはいられない。

 特にそのことを感じたのはNHKの「プランネットアース第8集 極地・氷の世界」を見たときで、白熊(北極熊)が絶滅するかもしれないと報道されていた。
 私はこのときまで白熊の生態を知らなかったが、秋から春にかけての北極海が凍りに覆われている時期が、白熊の狩の時期で、氷の上でアザラシ猟をしてるのだという。
 一方夏場はまったく食事は取らず、蓄えた脂肪で夏場を乗り切る。
 ところが近時、暖冬化の影響で、氷の張る期間が短くなり、白熊が狩ができる期間がだんだん短くなってきた。そして飢えた白熊が増えてきたのだという。

 番組に登場した白熊は特にかわいそうだった。解けた氷の海を100kmも泳いで、ようやく陸地にたどり着いたが、食料となるアザラシはいない。白熊の3倍はあるセイウチはいるのだけれど、鋭い牙を持っている。  この白熊は空腹に耐えかねて本来は襲うことのないセイウチを襲い、返り討ちにあって後ろ足を刺されてしまった。砂浜で瀕死の重傷で横たわっていた姿は痛々しかった。ナレーターもこの白熊の死を示唆していた。

 私は子供の頃から特に熊が好きなので、この番組にはひどくショックを受けた。地球の温暖化はある動物種の死滅をまねく段階にきている。京都議定書で温暖化対策を実施することになったが、アメリカが批准せず、中国やインドは対象国から外れている。

 アメリカは「地球温暖化と二酸化炭素の排出量との因果関係は証明されていない」とうそぶいていたが、ハリケーン・カトリーナにひどいしっぺ返しを受けた。中国も「温暖化対策は先進国の役目」と居直っているうちに、黄河の水が干しあがり、黄砂に北京は覆われ、農業はひどい打撃を受けている。

 かつての国際的対立は東西陣営の対立だったが、現在は地球を守る側と壊す側の対立に代わっている。日本は明らかに地球を守る側にあるが、それでも自動車の排気ガスの増大や森林破壊が進んでいて、京都議定書の目標達成が困難視されている。

 白熊のために私には何ができるのかと考えてみた。自動車を廃棄処分にしてもいいのだが、これは家族の説得が難しい。
白熊のために自動車の使用は止めよう」と言っても
お父さんはいつも短絡的に興奮する」といわれそうだ。

 今できるのは、おゆみ野の周りの森林破壊を食い止めることで、里山の再生活動が唯一の対応策のようだ。少しでも白熊のためにがんばろうと「プラネットアース」をみてしみじみと感じた。

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(19.2.18)沈黙 宗教団体のパンフ

2007_02170025  宗教団体は布教に実に熱心だ。四季の道には従来から電灯にパンフレットをフックでつり下げて、無料配布を行っている団体がある。一つの電灯に大体10部位がかけてあり、それが数箇所に及んでいる。
一般に布教活動は非常にエネルギーのいる仕事で、辻説法などは、ほとんど絶叫しており、いかにこの活動が大変かが分かる。
それに比較するとこのパンフレットをフックにかけて「自由にお読みください」という方法は安直だ。しかも公的な場所を私的に占有して恥じることがないのはさらに問題だ。

 私は従来、このパンフレットを見つけたら処分していた。 しかしこの団体の人たちは「熱心にパンフレットが読まれるようになり、布教活動が成功している」と誤解したらしく、従来にましてパンフレットをつり下げるようになってしまった。
とても宗教的情熱には勝てそうもない。その後は処分することは止めたが、それはそれでまた問題が発生した。

 この無料配布のパンフレットの一番の愛好者は小学生や中学生で、遊び道具に使用されている。そのまま捨てられている場合は問題がないのだが、紙ふぶきを作るために利用された場合は厄介だ。ただし完全な紙ふぶきにするわけでなく、大抵の場合はページごとに切り離して、空に向かって放り投げて遊んでいる。後片付けはしないから私が片付けることになる。

 こうした現場をおそらくこの団体の人は見たことがないのだろう。 あるいは見て知ってはいるが、10人に1人でもまじめにパンフレットを読んでくれればいいと考えているのだろうか。
後の9人が紙ふぶきを作って遊んで、それが四季の道に散乱しても、どこかのおっさんが懸命に掃除してくれるので、神の御心にかなった行為だと思っているのだろうか。
パンフレットが定期的に補充されるたびに、私は乗り越えるべき試練が科せられたと覚悟する。

「主よ」とロドリゴは言った。
「主はこのロドリゴに試練をお与えたもうのでしょうか。日夜、空に舞う紙ふぶきの一つ一つを拾い集めることが、主を讃えることになるのでしょうか」
ロドリゴは深く息をつき、再び言った。
「主よ、ただ、主の言葉をフックに掛け、それを紙ふぶきにすることが主の御心なのでしょうか。あのものたちの行いは正しいのでしょうか」

 長い沈黙が続いた。ロドリゴはついに絶叫した。

「主はなぜ沈黙されたもうのか」

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(19.2.17)緑土木事務所から

 扇田小学校前の四季の道の舗装について、緑土木事務所の担当者の方から電話をいただいた。私が「舗装がはがれ、再舗装が必要ではないか」と照会した件だ。
担当者の説明は以下のとおりだった。

  • 扇田小学校前の道路は、斜面から水が湧き出しているため、水はけを重視した水を通しやすい粗い目の舗装になっている。
  • 現在、道路面に斜面の泥が堆積して、一見土が露出したような状態になっているが、舗装自体は問題ないと思っている。
  • 水はけの問題を解決しないと、泥がかぶったままで道路が乾かない。暗渠構造によって水はけ問題を解決できないか現在検討しているのでしばらく時間がほしい。

 また、私が以前照会した「京成電鉄おゆみ野駅前のガードレールの修理」については、すでに修理が終え、元の状態に復帰している。
 放置自転車については、定期的に撤去を依頼しているが、すばやく対応をとってもらっている。

 私は前にも述べたけれど、緑土木事務所の対応はとても誠実だ。必要な措置は必ずとってくれる。しかし緑土木事務所がいくら補修作業をしても、それを上回る破壊が発生すると対応の仕様がない。

2007_02150014_1  実は、2月15日の夜半にひどい破壊行為が発生した。場所は扇田小学校の周辺。破壊された設備は写真にある背の低い照明塔で、電球とそれを覆う金属製の枠が7基、バットのようなもので打ち壊されていた。
 扇田小学校の先生があわただしく駆け回り、警察官が2名現場検証に来ていた。先生は「なんでこんなことをするのか、気持ちが理解できない」と憤っておられた。

 最近四季の道周辺での破壊行為が目に付く。私の知っているだけでも、小谷公園の見晴台の放火、有吉公園の水車の破壊、春の道公園の自動販売機の破壊、有吉中学校前やはちまんがた公園での火遊び等だ。
 すべては夜半に行われているので、夜間パトロールを強化が有効だが、こればかりは住民が協力して行うほかに手はない。パトロール隊が組織されたときは私も参加しようと思う。

 なお、破壊された照明塔の修理についても、緑土木事務所に依頼しておいた(たぶん警察からも報告が行っていると思うが)。なにもかも緑土木事務所の仕事になって、本当に大変だと思う。

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(19.2.16)惜しい方がなくなられた 宮元巡査部長

 惜しい方がなくなられた。東部東上線の線路内に入った女性を助けようとしてなくなった、宮本巡査部長のことである。
安倍首相も弔問に訪れ、警視庁は宮本巡査部長を警部に2階級特進して、その功績を多とした。

 自殺をしようとした女性が生きながらえ、一方助けようとした宮本巡査部長がお亡くなりになるという痛ましさに胸が打たれる。
宮本巡査部長は街のおまわりさんとして親しまれており、地元からも多数の弔問客が参列し、最後のお別れをしたという。

 同期の代表が「千の風になって見守ってください」とお別れの言葉を述べ、奥さんは「おとうさんの行動を、私たちは誇りにおもいます」と最後の挨拶をされた。

 それにしても、宮本巡査部長の壮烈な最期を見るにつけ、私たちの生活はこうした誠実で地味で、そして勇気ある人に支えられていたことが分かる。
それが命を懸けることほどのことだったのか」などといってはいけない。命を懸けても誠実に自分が果たすべき仕事を全うしようとしたのだ。

 日本という国の本当の基盤を支えているのは、地位ある人や、お金のある人ではなく、「男はつらいよ」の「虎屋のおいちゃんやおばちゃん」でありそして「博やさくら」のような人なのだ。

 一時期、脚光をあびた堀江氏や村上氏が、多くの日本人にとって違和感のある存在だったのも、日本人の琴線に触れたからに他ならない。
この国はただひたすらにまじめな庶民が支える国なのだ。

 今、この国を支えてきた、地位とは無縁でも誠実に生きていた一人の庶民が旅立ってしまった。
私は宮本巡査部長がなくなられたことを知ったとき、涙がながれ、そして嗚咽した。

 60歳の人間はめったに泣かない。しかし今回は宮本巡査部長のために思いっきり泣いていいと思った。

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(19.2.15)予測があたらない コーヒー缶を捨てる人は誰か

 私は予測が好きだ。しかしなかなかあたらない。金日成が死亡したときは、北朝鮮の崩壊が数年内に起こると予測したが、いまだに金正日は健在だし、イラク戦争は1年以内に片付くと思ったがすでに4年目に入っている。中国の崩壊は早いと思ったがそんな兆しはどこにもない。息子から
親父の予測は希望的観測が入りすぎるんだ」とたしなめられた。
 
 昔、株の投資を行っていたときにはすぐにバブルがはじけ、外貨預金は元本割れになり、サッカーのTOTOでは1億円を狙ったが、誰でも当たる数千円以上にあたったためしがない。これも息子に
ようするに、欲が深いんですな」なんて言われてしまった。

 だから、予測という作業にすっかり自信をなくしていたが、今回はなぜか自信があった。この人は誰かという予測である。

 四季の道の清掃活動をしていると、毎回同じパターンのゴミが落ちている。同じベンチの上か下に一個のコーヒー缶が置かれており、中に必ず3本程度のタバコの吸殻が入っている。時間帯は1時から3時ごろまでの間に置かれる。この人物なら絶対あたると思って予測したのだ。

  • こうした同一の行動パターンを繰り返す人間は、年長者の特色で若者ではない。
  • また時間帯から見て定年退職者か長期離職者で、昼間散歩を日課としているものだ。
  • コーヒーとタバコの愛用者なので、あまり健康的とはいえない。特にタバコの吸殻をコーヒー缶に入れるのは男性のヘビースモーカーの特色なので、顔に脂肪がたまり、下腹が出ている男だろう。
  • コーヒー缶を必ず放置していくのは、自分で片付ける習慣がなかったからで、大会社か役所の中間管理職を歴任した可能性が高く、性格的には少し横柄だ
  • 散歩の時間帯が1時から3時なのは夜型人間だからだろう。夜が遅いため、朝の目覚めが遅くなっている可能性が高い。おそらく不眠症に悩まされている。

 この推定は確かなものと自信満々だったので、そうした人物がベンチに座っているときは注意深く観察していたが、ある日、とうとうコーヒー缶を放置している現場に出くわしてしまった。

 信じられないことに、年齢40歳位の口ひげを生やした偉丈夫で、筋肉質の体格をしており腹など出ていなかった。
えぇ、うそだろう」、思わず叫びそうになった。

 私はあっけにとられてその人物を見ていたのだが、相手から見たらゴミ袋を抱えた変なおっさんが、目の前に立ってじっとにらみつけているように見えたに違いない。
 「なんだこいつ」という顔で睨み返されてしまった。

 なぜこんなに予測が外れるのか分からない。どうも想像力が過剰になって自家中毒を起こしているような気がする。もう少し冷静な判断力を養わないと立派な老人になれそうにないと反省した。

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(19.2.14)都川を知ってますか?

2007_02120027  私は千葉市に足掛け14年間住んできたが、都川(みやこがわ)と言う名前すら最近まで知らなかった。実は名前を知った後も、それが川の名前だと気づかなかった(「とせん」と読んでいた)。旧千葉にとっては母なる川のようなもので、千葉城下はこの川に沿って建設された。江戸の隅田川に匹敵する。汚染が進み、現状は必ずしも美しくない。

 源流部は二つあり、本流は誉田町に源を発するが、もう一つの源流がこのおゆみ野の四季の道に面した、都川調節池だと聞いたとき心底驚いた(正確には支川都川の源流)。

 ここは私が里山デビューのトレーニング場として、不法投棄されたゴミの除去と蔓(つる)の切断、下草刈をしているところである。源流部だと教えてくれたのは一緒に四季の道の清掃活動をしている Iさんである。Iさんは県の自然保護ボランティアの研修に参加しており、都川について詳しい。

都川の中流域では、死滅してしまっためだかの再生活動が行われており、DNA鑑定で都川のめだかに最も近いめだかが放流されている」のだという。各地で都川を昔の清流に戻す運動が始まっているらしい。
だから、山崎さん、私たちでここ調整池を整備し、不法投棄されたゴミを除去して、美しい源流部を再生しませんか。めだか水鳥の生息地にしましょう」と Iさんは熱をおびる。

 ここ都川調整池の管理者は「千葉地域整備センター」だが、都川の河川浄化の一環として、浄化活動のボランティアを里親として募集している。Iさんの提案はこの里親制度に応募しようということだ。 

 私は人の情熱に水をさすような野暮なことはしないから、即座に答えた。
やりましょう。名前なんか都川源流再生プロジェクトなんかがいいではないですか」と言って少し後悔した。

 都川調整池の周囲はおよそ1km程度あり、その中に私が里山として整備している長さ100m、幅50m程度の森がある。現在この森に不法投棄されたゴミ処理に四苦八苦しているが、調整池全体となると整備する面積は10倍程度に拡大する。ゴミの量は半端ではない。

見渡せば、花も紅葉もなかりけり 不法投棄のゴミのやまなみ(本歌どり)」という感じなのだ。しかし Iさんの情熱は続く。
数年経てば、ここは自然保護観察の実験場として、そばの小谷小学校の生徒たちも参加させられますよ

 私は Iさんに全面協力することにした。なにしろ Iさんは四季の道の清掃活動の唯一の同士だし、定年後の唯一の友人である。友人は大事にしなければいけない。それに古き千葉を再生させる運動なのだ。

しかし、なにをするにも Iさんと二人だけですね」と言って笑ってしまった。

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(19.2.13)僕は健康になってしまった

 どうしたらいいのだろうか。清掃活動をしていてますます健康になってしまった。退職してから6ヶ月、医者には一切かからず、風邪にも、毎年かかっていたインフルエンザにもかからない。

 在職中は月に数回は医者通いをしていた。胃や、耳や、目が定期的に痛んでいたが、血圧が140になり、心臓が痛んだ時は本当に心配になり会社の嘱託医に泣きついた。
今まで、血圧が130より上昇したことがないのに、140になるし、マラソンでスタートダッシュすると、心臓が飛び上がるほど痛くなるんです
山崎さん、60近い人がスタートダッシュすれば、誰でも心臓がいたくなりますよ」と言ったものの、最近の医者は親切だ。
まあ、それでは心臓の負荷テストをして見ましょう」ということになった。

 ランニングマシーンに乗って走り、だんだんと速度と傾斜をきつくして、脈拍数が140になった段階で心臓の波形を見るテストだ。速度が上がり、傾斜もきつくなるのだが、脈拍数は130以上にならない。医者も意地になって速度をあげ、傾斜をきつくしたのだが、やっぱり130前後でかわらない。
いや、素晴らしい心臓ですね。テストができませんよ」と言ってやめてしまった。

 サラリーマン生活をした人ならよく知っているとおり、病気のほとんどは精神的なものだ。仕事が忙しくなり、課題が増えると、胃が痛んだり、めまいがしたり、心臓が破裂しそうになる。
うちのパパさんは気が小さくて蚤の心臓だから、痛むのよ」とかみさんがもっとも正しい診断をしていた。

 退職してからの生活は、約2時間の清掃活動と、約1時間半のJOGと、好きな読書と、プランネットアースのような自然を扱ったテレビを見ることと、最後に日課としてのブログ作成になった。
 精神的な重圧から完全に開放され、血圧は下がり、心臓はいつもの快調な状態に戻ってしまった。

 私のライフ計画では70歳ごろまでは身体が動くはずだから、それまでは清掃活動をすることにしていた。しかしこんなに健康になってしまうと、どう見ても延長せざるを得ない。
 もしかしたら、120歳ぐらいまで生きてギネスブックに載ってしまうかもしれない。毎年敬老の日にテレビに出演する常連になって、
今年も世界の最年長記録を更新している山崎次郎さん120才は、今日も元気に四季の道の清掃活動を行っています。この活動もすでに半世紀を越え、こちらもギネスブックに登録されています。山崎さんの元気な声をお聞きください
いや、元気なうちは清掃活動をすると公言したのがたたって、とうとう120歳まですることになってしまいました。今はただただ一日も早い神様のお迎えをまっており、この苦役からのがれることだけが望みです

なんてことになりかねない。

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(19.2.12)イレイザー  ごみを誰にも分からないうちに清掃してしまおう

 アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画でイレイザー(消しゴム)という映画があった。守るべき証人の過去の足跡をすべて消し去り、誰か分からないようにして敵から守るという内容だが、私のしている四季の道の清掃作業もそれに似ている。

 四季の道に沿って児童が遊べる公園がいくつかあるが、そこで夜中に悪がきの饗宴が行われた場合、タバコの吸殻や、ビールの空き缶、ハンバーガーの食べ残り、紙くず、時にポルノ雑誌等が散乱している。
 翌日子供たちがやってきて、そんな中で遊ぶことになったら大変だ。見つけ次第、そうした形跡が一切の残らないように注意深く饗宴の後を消しさっておく。そうしておけば夜中に何が行われていたかわからない。

 時々オロナミンドリンクのようなガラス瓶を路面にたたきつけ、ガラスが散乱していることがある。どうしてそのようなことをするのか理解に苦しむが、ガラスは踏みつけたら怪我をするので、できる限り取り除いておく。粉々になっているとすべてを取り除けないのが残念だ。

 犬のウンチは四季の道の美観を損なうし、ウンチ街道なんていわれたら大変だ。見つけ次第取り除いている。これは常習犯がいて、同じ場所に同じようなウンチをしているのですぐに見つけられる。

 照明塔や壁への落書きは清掃作業中に消すことはできないので、一旦帰宅してから、道具を用意して消し去る。当初は色合わせに苦慮したが、最近はなれて消したことがまったく分からないようになった。自分でも満足のいく状態にできると、思わず手をたたいてしまう。

 難しいのは、四季の道の照明塔や、樹木に張られるビラで、業者が貼ったビラは即座に撤去するのだが、個人の張ったビラについてはいつも悩まされる。
 個人のビラの内容はほとんどが犬の捜索依頼で、貼った本人にとっては藁をもつかむような気持ちで貼っていることが分かるので、とてもつらい。
 しかしビラの貼付については、一旦許すと次から次と貼られて収拾がつかなくなるのと、やはり公的な場所を私的に占有することは正しいこととは思われないので、個人のビラも数日置いてからはがしている。

 こうして、朝になると前日何が起こっていたとしても、いつもの静寂で美しく、日々平穏な四季の道に戻るようにしている。
 散歩をしたり、JOGをしたり、芝生で遊んだりしている人々が、「四季の道は本当にきれいで、いつも気持ちがよい」と思ったら、イレイザーとしては大成功だ。

 いつもと同じ生活が続くことが、普通の生活者にとってもっとも幸せなのではないだろうか。修道院が変わることなく1000年以上も続いているのもそうした理由だと思っている。

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(19.2.11)翼よあれがパリの灯だ

2007_01180017  四季の道は全長6kmあまりあり、10箇所程度の公園が隣接している。清掃活動はまっすぐ歩くわけでなく、また公園が汚れている場合はその清掃もするので、一回の清掃時間は大体2時間弱かかる。

 歩き始めは朝なのですがすがしいし、ゴミ袋もいたって軽く、知り合いに会えば「オハヨー、ゲンキ」なんて,きわめて陽気でハイテンションな状態になっている。
 しかしだんだんとゴミが増え、重さも10kg程度になると、持っている左手にずっしりと重さがかかってくる。登山をしている人はよく知っているように、背中に荷物を背負っていれば、相当重いものでも苦にならない。しかし片方のみに重量がかかると、バランスを維持しようと筋肉に無理な加重がかかり非常に疲れる。

 ゴミの量が多い時は、有吉中学校前の坂を登るところで、ため息が出てくる。あと自宅まで1kmぐらいだが、ここからが勝負なのだ。もうこれ以上はゴミは拾うまいなんて思っても、少年ジャンプのような雑誌が落ちていたり、ダンボールが落ちていると無視することができない。その結果積載量オーバーのダンプカーのようになってしまう。

 そうなると、家までたどり着くのも大変で、数十メートルおきに立ち止まって深呼吸を繰り返さなければならない。考えてみれば60歳は昔の感覚では「おじいさん」なのだ。
 小学校の唱歌の「船頭さん」の歌詞は「村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん」だったではないか。
まるで無関係なのだけれど、私は小学校の頃この歌詞を「村の私の船頭さん」だと思っていた。「渡し」と言う言葉を知らなかったのだ

 疲れた時必ず頭をよぎるのが、大西洋をはじめて無着陸で横断したリンドバーグの言葉「翼よあれがパリの灯だ」だ。
もう少しがんばれば我が家の灯がみえる。そこまで何とか飛んでくれ。がんばれ愛機」なんてわが身を叱咤激励する。そうするとリンドバーグになりきってなんとか我が家にたどり着くことができる。

 リンドバーグの場合はパリ市民から大歓迎を受け、もみくちゃにされるが、一方私の場合は、近所の犬が私のことに気づいてほえてくれる。近所ではなんにでもほえてうるさいと評判の犬だが、私はこの犬が好きだ。
 愛情をこめたメッセージを送ってくれるのは、なぜかこの犬しかない。だからこの犬に精一杯手をふって「わん君、無事帰還したぞ」と挨拶をするのが日課になってしまった。

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(19.2.10)お礼とお願い

 このブログを見てくださる方に心からお礼申し上げます。当初はいったい誰が見てくれるのだろうかと、非常に心細い気持ちで立ち上げましたが、現在は常時見てくださる方が10名位、時々見てくださる方が5名ぐらいおり、とてもうれしく思っております。

 ブログの作成技術や、管理技術もまだまだで、ほかの方の美しくあでやかなブログをみると、今後とも研鑽の必要性を感じています。

 実を言うと常時ブログを更新するようになって1週間ぐらいは、自分だけがこのブログの顧客だったのですが、当時は自分のカウントを除外する方法を知らなかったため「おー、ずいぶん見てくれているではないか、いったい誰だ」なんて興奮しておりました。

 知り合いの何人かの方にはURLを送って、見てくださいとお願いしました。娘にも見てほしいと言ったところ「親戚縁者に頼むのは、できの悪いセールスマンと同じだ。顧客数が100名になったら見てあげよう」と恩着せがましく言っております。

 このブログの目的は日々の清掃活動を紹介することですが、もう一つの目的はこうした活動に参加してくださる方が、一人でも増えてくだされば、社会の一助に