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(19.6.9)トルコ旅行 その1 トロイ

 最初の訪問地は「トロイ」だった。ホメロスの英雄叙事詩に歌われている、あの有名な「トロイ」である。
 トロイ戦争はギリシャとトロイの間で行われた10年戦争であるが、最後は「トロイの木馬」の策略により、ギリシャ軍の勝利に終わった。紀元前1200年頃の話である。

 最近封切られたブラッド ピット主演の映画「トロイ」で、トロイの街が炎上する最後の場面は、ちょうど「風とともに去りぬ」のアトランタ炎上のように迫力があった。
 しかし、実際のトロイの街は、ちっぽけな岡の上に築かれたちっぽけな街に過ぎず、炎上はおおげさだ。 この岡をヒサルルクの岡という。

 この岡にトロイの遺跡が埋まっていると信じて発掘したのはドイツ人シュリーマンである。19世紀の終わりの頃にあたる。
 私はシュリーマンのファンであり、彼の自伝「古代への情熱」を感動を持って読んだ。41歳で事業から手を引き、自費で発掘を始めた熱意はすさまじい。
ホメロスを読んで、ほんとにトロイがあるなんて信じているシュリーマンは馬鹿だ」トロイを発見するまでのシュリーマンの評価である。
 彼は語学の天才であり、18ヶ国語を理解したが、いづれも6週間でマスターしたという伝説がある。その中に古代ギリシャ語があった。ホメロスの叙事詩が書かれている言語である。

 しかしトルコ人からは、このシュリーマンはほとんど盗人同然の扱いを受けている。現地のツアーガイドのアスペルさんは大変な愛国者だが、シュリーマンを蛇蝎のように嫌う。
シュリーマンはこの遺跡が9層に分かれていたのに、層別に発掘せずに、上からどんどん掘っていった。ただ金銀の財宝が目当てだったからだ。財宝が見つかると官憲の目を盗んで財宝を国外に持ち出した。単なる遺跡荒らしにすぎない」散々な評価だ。
シュリーマンは盗人だ」アスペルさんの興奮は収まらない。

 シュリーマンのために弁護すると、彼が発掘をしていた19世紀後半は、まだ発掘のノウハウが十分でなく、遺跡発掘といえば片っ端から掘り返すのが普通だった。
 それに黙って財宝を国外に持ち出したのは、当時のトルコ政府は腐敗しきっており、財宝があったなんて分かると確実に横取りされたからだ。
 だまって持ち出すのが一番安全な方法で、おかげで「プリアモスの財宝」として現在でも博物館で見ることができる。

 しかし愛国者アスペルさんの不満はさらに続く。
映画トロイはトロイの遺跡にとってとてもいい宣伝映画だが、不満がある。それはトロイの場所を示すキャプションが『現在の小アジア』となっていたことだ。なぜトルコといわない

  実はトルコ人は世界から常に悪意を持って見られているという被害者意識が強い。
トルコは無視されている。EUは加盟を認めないし、ヨーロッパの歴史書では、トルコ人は暴虐非道に描かれている。映画「アラビアのローレンス」ではトルコ軍は単なるあほ扱いだ

 今回はトロイの遺跡の写真を掲載する。実際に行ってみると分かるが遺跡としては規模も小さく、観光用に作られたトロイの木馬はちゃちで、映画「トロイ」の木馬にはるかに及ばない。
 紀元前1200年の頃に、ローマ時代のような遺跡を期待するのがどだい無理なのだが、評判と実際のギャップにがっかりする人は多い。

(写真集)
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2006_101002

 また、いつものコンピュータ絵画も作成した。自分としては絵画にまた一歩近づけたつもりだが、どうだろう。
 
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/NcEckH

 なお、本件と関連するトルコ旅行のブログは以下のとおり
 http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/1966_3d64.html

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