(19.4.19)四季の道が荒れてる
1週間ほどバリ島に旅行して、清掃活動をしていなかったら、「四季の道が荒れてる」との話を聞いた。昨日のことである。
実はこの日曜日の朝には日本に帰っていたのだが、帰った日はふらふらで、一日中寝ていた。翌日はさすがに清掃活動を再開したが、ゴミの量が多かったので、私が住んでいる夏の道を中心に清掃を実施した。
火曜日の午前中はいつものように K小学校のボランティアをしていたが、いつも四季の道で会うご夫婦に会い、質問された。
「四季の道にゴミが散乱していて、いつもの美しさがないが、清掃はやめたのですか。小学校のボランティアにかわったのですか」
私は、ここ1週間ほど旅行していた旨説明したが、どうやら相当四季の道にゴミが散乱しているらしい現状を把握した。
「ほっておく訳にいかない。午後は四季の道を清掃しよう」
いつもの、夏の道から秋の道にかけて清掃しはじめたが、KS電気の前の公園で頭を抱えてしまった。大量のダンボールが水を含んで放置されていたのだ。
このダンボールは子供たちがこの公園で、草すべりをするときに下に敷くのだが、そのまま放置されるので、いつも私が片付けていた。しかし今回の量は半端でない。なんでこんなにダンボールが必要なのか理解に苦しむくらいだ。おそらくご夫婦はこれを見て、「荒れている」といったのだと思う。
45Lのゴミ袋いっぱいに詰め込んだが、それでもまだ残っていたので、そばにあったビニール袋にも詰め込んで帰宅することにした。水を含んだダンボールは重たい。全部で20Kgを超えていたと思う。
30mぐらい歩いては、呼吸を整えなければならなかった。家までは約1.5km位あったので、さすがにため息が出た。
正直言うが、旅行をした後の清掃活動はつらい。気持ちがまだ旅行気分で気乗りがしないのと、一方ゴミは1週間分がたまっているのでいっぺんで回収できない。連休あけの清掃車のような状態になってしまう。
今日(水曜日)の清掃は、前日ダンボールは片付いていたので、四季の道を一周できたが、壊れた傘の放置が多いのには閉口した。雨が多かったのだろう。後ろのリックに4本吊り下げて清掃活動をしていたところ、知り合いのHさんに会い、質問されてしまった。
「山崎さん、後ろになんでこんなに傘を吊り下げているのですか」
唯一の救いは、清掃活動仲間の I さんのテリトリーだけは美しく清掃されていたことだ。この場所にくるといつもほっとする。
しかし、それにしても私が1週間旅行するだけで、四季の道が荒れてしまう現状は憂慮すべきだ。私が生きているうちはいいが、死んだらどうなるのだろうかと思うと、おちおち死ぬこともできない。できの悪い子供を持った親のような気持ちになってしまった。
20XX年○月○日 毎朝新聞 「最後の清掃人死去」
最後の清掃人と呼ばれていた山崎氏(90歳)が、本日老衰で死亡した。四季の道については、同僚の I 氏が80歳で死去したあと、一人で清掃活動を実施していた。しかし日ごとに体力の衰えが目立ち、最近ではペットの亀に引っ張られながら清掃活動をしていたという。
見取ったカメゴンの話によると、山崎氏の最後の遺言は「後継者がほしい」だったそうだ。カメゴンが「私が後継者になってもいい」との意思表示をしたが、山崎氏が「ありがとう、気持ちは嬉しいが人間社会のことをカメゴンに面倒かけられない」と涙ながらに断ったのだという。
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