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(19.3.30)失敗記 その3

(19.3.30)失敗記 その3

 私は若い頃に登山家になりたかった。そしてそれなりに努力したつもりなのだが、なぜかなれなかった。

(登山家の巻)

 私の最初の勤務地は長野市だった。長野は登山のメッカである。たまたま先輩が北アルプスの表銀座コース(燕岳・大天井岳・槍ヶ岳のコース)に、夏、連れて行ってくれた。それから俄然、山に目覚めてしまい、長野市近在の山に時間があれば登るようになった。

 その頃である。新田次郎孤高の人」を読んだ。登山愛好家は必ずこの本を読んでいる。主人公は加藤文太郎(ぶんたろう)で、昭和初期を代表する登山家だったが、惜しくも1936年(昭和11年)冬の槍ヶ岳北鎌尾根で31歳の生涯を閉じた。単独行の文太郎とも呼ばれる。

 普通の人は読んで感心するだけだが、私は「この文太郎を継ぐのは私しかない」とまで入れ込んでしまい、文太郎が行ったトレーニングを真似た。同じトレーニングをすれば、私も文太郎になれる。

 ビバーク対策として、冬の戸外で眠る訓練を始めた。たまたま寮に住んでいたのだが、冬の真っ最中に、寮のベランダで寝ることにしたのだ。衣類を思いっきり着込んで、上からツェルトをかぶった。
 たまたま、私は新婚当初であったので、これが話題になってしまった。
どうも、奥さんとうまく行ってないので、山崎さんは外で寝ている

 かみさんから懇願された。「私の立場がない
 文太郎になるための、ビバークの訓練は約1週間で終わってしまった。実際してみるとわかるが、厳冬の長野市は寒くて寝られるものではない。仕事中にうつらうつらしてしまう。

 文太郎がおこなった絶食の訓練もしてみた。数日間、水だけでどの程度耐えられるかという訓練である。遭難したとき何日持つかがわかる。
 たまたま会社の集合研修が1週間あったときにテストしてみた。三日間何も食べなかったことがある。
 研修担当から「誰か、食事をしない人がいるが、誰か」と問われた。
私は黙っていたが、4日目にたまたまサッカーをすることになって、めまいがして倒れてしまった。私が絶食していることがばれた。
君は、研修に来ているのだから、絶食の訓練なんかしてはいけない」と釘をさされた。3日程度の命だと言うことがわかった。
 
 会社に石をつめたリックザックを背負って通勤する訓練も行ってみた。足腰の鍛錬である。文太郎は20kg程度のリックを背負って通勤していたので、私も当初は20kgにしたが、重いのですぐに10kg程度にとどめた。私が大阪で勤務していた頃である。

 梅田の駅から御堂筋までリックを背負って歩いていた。上司から質問された。
何で、そんなことをするのか
 文太郎の真似だといったところ、あきれ返られた。
その情熱を、仕事に注ぎ込んでもらいたいものだ

 本人は、こんなにも真剣に登山家になろうとしたのだけれど、世間のしがらみにたやすく負けてしまった。文太郎になれない。
 あまりに口惜しいので、登山記録のブログを立ち上げた。
俺だって、この程度は山に登ったのだ
 見て、がっくりした。本当に「この程度」なのか。

 ううーん、「本気で登山家になろうとしたのではなく、単に文太郎のまねをしただけなのではないか」と言われそうだ。
 それでも一応登山ブログのURLを教えておこう。登山好きの人が間違って見るかもしれない。

http://1-0-0-0.at.webry.info/

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