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2011年1月

(19.2.6)金沢小学校に吹くそよ風

Photo_27  四季の道に面して4つの小学校があり、私が清掃活動をしている時間帯に、小学生の登校時間と重なることが多い。そうした時腕章をつけて清掃活動をしている私に対し、小学生が挨拶をしてくれることがあるが、なぜか金沢小学校の生徒が挨拶してくれることが圧倒的に多い。

 このことに私は以前から不思議な気持ちでいた。同年齢層の同じような教育を受けているはずの小学生なのに、なぜ金沢小学校の生徒だけが飛びぬけて、ボランティア活動をしている人に対し「おはようございます」とさわやかな挨拶ができるのだろうか。

 校長先生の努力か、先生方の努力か、父兄の努力か、あるいは全員の努力でそうなっているのかとても知りたくなって、金沢小学校のホームページを検索してみた。

 そこで、金沢小学校の児童会の活動として「あいさつ運動の取り組み」があり、毎月1・3・5週に朝のあいさつ運動が実施されていること知った。
 おそらく他の小学校でも同じような取り組みをしているのかもしれないが、金沢小学校のそれはもっともよく根付いている立派な活動と言える。

 実は挨拶は普通に思われているより重要な役割を果たしており、第一にそれは、「あなたに対して悪意がない」ことのメッセージであり、第二に「同じ共同体の一員であることを確認する」メッセージになっている。
 だから反対に挨拶のない家庭や職場では、多くの人が無関心さと居心地の悪さを感じてしまうのだ。

 はにかみながらも「有難うございます」と言った金沢小の少年に、私はさわやかなそよ風を感じた。何か年齢を越えて友情のようなものを感じたからだ。

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(19.2.5)武蔵の剣を受けて見よ

Photo_26  四季の道に隣接する都川調整池の里山再生に乗り出してから、約2週間がたつ。この間2日にあけず里山に通い、不法投棄されたゴミの除去と、蔓(つる)の切断、下草の除去を行っている。

 不法投棄されたゴミについては45Lのゴミ袋で10袋程度運び出したが、片付いたのは道路から見える範囲で、中は相変わらずの惨状になっている。
 一方、蔓の除去については、一旦切ればおしまいなので、里山の半分ぐらいの面積で除去が完了した。しかし実施してみて分かったが、蔓を切るのもなかなか大変で、蔓も10Cm以上になると木質化し、木を切るのと変わりがなくなる。

 当初私はこの10Cm以上の蔓をのこぎりで切っていたが、だんだんと歯が茎に食い込み、最後は押しても引いても動かなくなる。仕方ないので、数センチ上から新たに切り込みを行い、楔形の切り口を作って漸く切断することができた。この太い蔓を一本切るのに大体20分ぐらいかかり、へとへとになってしまった。

 どうやらのこぎりでは無理があるのではないかと考えて、次はなたを購入して蔓を切ってみた。右手だけで切ってみるとほとんど食い込まないため、今度は両手でなたを持ち、剣道で言う上段の構えから思いっきり振り落として蔓を切断することにした。

 誰も来ない里山の中でなたを思いっきり振り落とす動作を繰り返すうち、だんだんとテンションが上がって、あたかも剣豪が深山にこもって剣道の修行をしているような雰囲気になってしまった。

新免 宮本武蔵の剣を受けてみよ、ヤー」

なんてやっているうちに、すっかり宮本武蔵になりきってしまい、蔓が切れなかったりすると

「この二天一流 武蔵を愚弄するか、蔓め ヤー」 

なんて、はたから見たらきっと気が違っていると思ったに違いない。

しかし武蔵と言えども1時間もこんなことをしていると疲労困憊して、最後は

「本日の修行はここまででござる。蔓殿、後日、ごめん」

なんていいながら帰宅するのだが、その日一日はすっかり宮本武蔵の気分だった。

(注)写真はクリックすると拡大することができます。

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(19.2.4)フェンスを越えて

Photo_25  たった1mのフェンスを越えることができなくなるなんて信じられるだろうか。

 四季の道の千葉市鎌取保険センターの周辺には、高さ約1mのフェンスが設置されており、間違って保健センターに転げ落ちないような措置が施してある。フェンスから約3m位がなだらかな緩斜面であり、その先は約5m位の急斜面になっている。

 この緩斜面に紙くずが散らばっており、フェンス越しには取ることができなかった為、フェンスを越えて取りに行くことにした。

 右足をフェンスにかけて、左足をその内側で抜いて向こう側に降りる予定が、信じられないことに左足がフェンスに引っかかり、もう少しでもんどりうって落ちるところだった。

 懸命に身体を支えて何とか落ちることはなかったが、一瞬冷汗が出た。
 かつてサージャントジャンプで73cmを飛び、丹沢の沢を猿のごとく登っていたと自慢していた私がこの低落だ。股関節が硬くなりまったく足が開かなくなっていた。このままではいつか転落事故に会い、新聞の第3面を賑あわせてしまいそうだ。

○○新聞   中高年の無謀清掃で死者発生

千葉市緑区おゆみ野中央の通称四季の道において、約1mのフェンスをよじ登って清掃活動をしていた山崎次郎さん(60歳)が、バランスを崩し、約5m下の千葉市○○センターの庭に転落し、首の骨を折り即死した。目撃者の話によると山崎さんは一方の足がフェンスにひっかかったまま、無理に前方に飛び降りようとして、事故にあったもの。

識者の話 「中高年者は自分の体力が低下していることに無自覚なまま、清掃活動をしており、特に股間節が硬くなっていることに気づかず無理な活動をすることが多い。今後の事故発生防止のため、清掃を免許制にし、股関節が90度以下の人には免許を与えないとの措置が必要ではなかろうか」

なんてことになったらどうしよう。

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(19.2.3)老人は荒野をめざす

なぜ国家は衰亡するのか Book なぜ国家は衰亡するのか

著者:中西 輝政
販売元:PHP研究所
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荒野をめざすのは若者だけではない。今、老人こそ荒野をめざすのだ。なぜか。

現在、中高年と言われている人たちは、若く健康だ。登山をすると分かるが、どの山も中高年であふれている。たまに若者がいると「若いのに感心なことだ」と褒められたりする。水泳教室もダンス教室も海外旅行も中高年が圧倒的に多い。時間とお金と意欲にあふれた中高年が若者に負けまいとエネルギーを爆発させている。 

中高年が「若く健康」であることは悪いことではない。国家財政の圧迫要因である医療費の圧縮に貢献するし、健康は家庭を支える基礎となる。

しかし、中高年が個人レベルでは最高の幸せな時間が経過しているのに、一方社会全体では暗く暗雲が立ち込めている。個人は幸せだが社会は不幸だ。国家財政は借金まみれだし、個人生活に目を向ければ、妻が夫を切断したり、いじめを苦に若者が自殺をしたりしている。会社では「ぺこちゃん」が毎日頭を下げている。

そして都市は薄汚れ、私の愛する「四季の道」はゴミであふれてしまった。

実は社会の秩序を維持していくことは、大変なことなのだ。すべてが消費者の世界が成り立たないように、すべてが享楽者の世界も成り立たない。誰かが秩序を維持する努力をしないと、その社会は急激に崩れ、崩壊する。

かつてベネチアは約1000年間都市国家として反映したが、なぜ1000年間も命脈を保てたかを中西輝政氏が「なぜ国家は衰亡するのか」の中で紹介していた。

ベニチアの引退した国会議員の最後の仕事は、次代を背負うセミナリオの若者に、自分とベネチアが経験した過去の歴史を知恵として伝えることで、ある元国会議員はリュウマチをやんだ身体を引きずりながら「国家が私に与えた最後の義務はなんと過酷なのか」と繰言を述べながらも黙々と国家の義務を果たしていたと言う

一つの社会を維持していくためには、こうした老人の最後の踏ん張りが必要であり、それなくして社会は維持できない。老人が個人レベルの享楽にふけっていてはその社会は確実に衰退する。若者にない老人の唯一の能力はその欲望を制御できることだ。    

60歳になり、定年退職して自由な時間がふんだんに持てたとき、私はこの社会の崩壊を食い止めるため、余裕の時間は社会にお返しようと決心した。たとえ些細なことでも「四季の道」を毎日清掃し、繰り返し捨てられるマクドナルドの紙くずを片付け、再度捨てられるまでの一時でもこの道を美しく保っておくことが私の責務のように思われた。

妻は「すぐにまた捨てられるから無駄だ」と言い、ある人は「それは役所の仕事だ」と言ったが、それが社会を健全に保たせるための、私のできるささやかな貢献と思われたのだ。

誰かが支えなければならないなら私が支えよう

東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい」と言ったのは宮沢賢治だが、「そういう人になる」のは実は老人なのだ。

老人は荒野をめざさなければいけない。個人の享楽ではなく、いままで支えてくれた社会にいささかなりともお返しをするため、荒野をめざすのだ。

もしそうしなければ社会は確実に崩壊するのだから。

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(19.2.2)盗難自転車レポート

Photo_24  四季の道周辺での、盗難され、その後放置されてる可能性の高い自転車の実数報告をいたします。 

                                                                  

  • 春の道公園周辺   7台
  • 小谷小学校周辺    2台
  • そばら公園周辺    1台

 特に春の道公園周辺での盗難・放置自転車の多さが目を引きます。ここでは単に盗難・放置するだけでなく、一部の自転車はわざと壊されており、暴力的な衝動を自転車にぶつけているのではないかと思われます(写真の自転車は、がけの斜面に投げ出されてあったものを、私ががけ下に下ろして立てかけたものです)。
 また春に道公園内のグランドの入り口の自動販売機が以前倒され、中身が散乱していました。
 そうした意味で春の道公園は、夜間、かなり危険な状態になっています。

 今後このような状態が続くと、より悪質な犯罪に発展する可能性があります。早めに犯罪の芽を摘んでおかなければこの地域の住民にとっても、またこのような行為を繰り返している本人にとっても危険だと言えます。

 春の道公園周辺の自転車盗難・放置に関して何か知っていることがありましたら、コメント欄等を通じて情報の提供をお願いいたします。どのような情報でも結構です。
 私のほうで取りまとめて、千葉南警察署の方に相談いたします。

 なお、今回確認した盗難・放置自転車については、千葉市緑土木事務所の方に、撤去の依頼をいたしました。

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(19.2.1)かみさんにはかなわない

 家のかみさんは他人に対してはとても親切で、言葉づかいも丁寧なのだが、こと私に対しては実に辛らつだ。この時もそうだった。

 いつものように四季の道の清掃作業に出かけようとしたら、かみさんから
今日、私は遅いから、鍵はちゃんと持っていってよ。3時にはでるからね
と言われた。
 私は鍵と財布は必ずポシェットの中に入れており、このときもすでにポシェットを腰につけていたので、
いつも持ってるよ。心配ないよ
と言った後で、寒さ対策としてもう一枚上着を着たら、ポシェットを外したことを忘れた。

 実を言うと、こうした度忘れは最近しょっちゅう起こり、一つのことをしているときに、他の作業が入ると、前の作業をきれいさっぱりと忘れてしまう。トーストを二度焼こうとしたり、なぜか牛乳パックがテーブルに置かれていたりする。

 ポシェットがをつけてないことに気づいたのは、四季の道を半周した金澤小学校の前だった。時間は2時を回っていた。ここから急いで帰れば30分で自宅に着き、3時までは十分に余裕があるのだが、(かみさんの気が変わって早めに家を出たらまずい)と言う悪い予感が頭を掠めた。

 もしそうなったらかみさんの帰宅は12時頃になるので、最悪9時間外で時間をつぶさなければならない。冬の夜は厳しい。連絡しようにも金も携帯もなかったので、慌てふためいて家路に向かった。

 幸いにもかみさんは家にまだいたが、すでに私がポシェットを忘れたことに気づいており、開口一番
あれほど鍵を持ってけといたのに、お父さんはパーだから。これから先の生活が思いやられるよ
とのたまわった。
 こちらは9時間の屋外待機が免れたうれしさにその時はなんとも感じなかったが、時間が経つにつれ、かみさんから「パー」呼ばわりされたのが、ボディーブローのように利いてきた。
かみさんからパーと言われては男が廃る

 二度と度忘れしないように,JRの指差し確認を取りいれて、毎回 
鍵、よーし。財布、よーし。帽子、よーし。ゴミ袋、よーし。確認終了。シュパーツ」なんてやって、もう二度と度忘れはないと、自信満々だったが、一つ欠点があった。

 指差し確認をすることを忘れてしまうのだ。

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(19.1.31)再びの

Photo_23  再び街路灯にペンキの落書きが始まった。2年ほど前にも街路灯や階段の壁やトンネルの壁にペンキで落書きされたため消しまわったことがあったが、今回は夏の道に隣接する千葉南警察署近くの公園の街路灯が被害にあっていた。

 こおした場合すぐに消してしまうのが最善で、そのままにしておくと鳥のインフルエンザと同じで、落書きはだんだんエスカレートしていくことが多い。そうなると消しまわる労力も大変だが、塗料の価格も馬鹿にならないので経済的にも負担になる。

 消し方は当初剥離剤を使用したが、これは本体のペンキまで落としてしまい使用に耐えなかった。一番いいのは同じ色のペンキを上から塗って落書きを消すことだが、実際に行ってみると同じ色のペンキなどはないことが分かる。したがってできるだけ同系統の色のペンキで消すことになるが、地の色より濃い色のほうが目立たない仕上がりになる。

 ペンキは油性と水生があるが、油性は扱い方が難しいので素人は水生ペンキを使用したほうがよい。ただし水生は水分が蒸発することによって色素を固定するので、湿度の高いときは使用が難しい。
 以前、雨が降っているときにトンネルの内壁の落書きを消したことがあったが、湿度100%だったため、塗料がすべて下にたれて翌日見たら落書きがそのまま露出していた苦い経験がある。

 ペンキの落書きはするほうはスプレーで簡単にできるが、消す方は元の色との調整や、消す範囲の決定等でとても神経を使う。犯人を特定することはほとんどできないため、粘り強く消しまわるより方法はない。

 だから見つけたら小さいうちに直ちに消して拡大を防ぐのが最善の方法なのだ。

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(19.1.30)だから私は農家がすきだ

2  四季の道やおゆみ野周辺にはまだ家が建たず、雑草が生い茂っている宅地がある。ススキや背高泡立ち草などは生長すると2mぐらいなるものもあり、四季の道に覆いかぶさっている。
 ここおゆみ野では年に2回程度の除草が義務づけられているはずだが、必ずしも守られていない。見た目も問題なのだが、タバコの不始末等で火事になったら大変だと、そうした場所を見ると落ち着かない。

 思い余って道路に覆いかぶさっていた雑草の除去に乗り出した。剪定ばさみで切るのだが、結構大変で1~2時間程度作業をするとふらふらになり、とりあえず道路側の雑草だけを切っておいた。

 そうしておくとそこが農家の所有地のような場合(大変広いので農家の所有と分かる)、しばらくするときれいに全体が除草されている。私のメッセージを敏感に感じ取り、地域住民の一員としての義務を果たしてくれる。私は農家のこおした態度は好きだ。
 一方農家以外の所有地の場合(通常100坪程度の面積)、私のメッセージが届いたことがない。いくら待っても除草しそうにない。

 この違いは共同体としての意識があるかないかの違いで、農家の方は共同体の一員であるとの意識が強い。戦後教育では強すぎた戦前の共同体意識を否定することを進歩的と教えたので、そうした教育を受けた人は除草すらしなくなった。

 神なき日本では、共同体の規制がそれに変わる規範だったのだが、その規範もなくなってしまったのだろうか。今は農家の方に残された、この共同体意識を大事に育てるのが必要な時代に来ていると私は思っている。

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(19.1.29)千葉市緑土木事務所さんありがとう

 四季の道にかかるトラブルの連絡先は千葉市緑土木事務所だ。当初このような組織体があることを知らなかったが、四季の道で自転車の撤去作業をしていた作業員の方に聞いて始めて知った。
 ホームページで業務内容を調べてみたが、こちらはさっぱり分からなかった。自分たちだけが分かる用語で書かれており、どうも素人に知らせるつもりはないらしい。

 しかし、緑土木事務所に、四季の道の補修や、公園の遊戯施設の補修、放置自転車の撤去を依頼すると、数日後には対応してくれる。実に対応が早く、誠実だ。

Photo_20  先日、金澤小学校脇の「はちまんがた公園」のベンチの釘が抜かれていて壊されていたが、ここもきれいに直っていた。四季の道のたいこ橋のブロックの補修もすぐに対応してくれた(ただしタイルを張り替えるのではなくて、アスファルトで補修されていた)。

Photo_21  こおした中で、おゆみ野駅前のガードレールの補修についてはなかなか対応してくれなかったので、再度確認をすると、担当者から丁寧なメールをいただいた。
お問い合わせのガードレールの管理は当事務所で間違いないのですが、今回この件については事故者(加害者)が判明しているため、事故者が復旧を行うように折衝中であります。相手方の事情もございますので具体的な対応日時まではお答えしかねますことをご容赦ください」とのことだった。

 今、私が気にしているのは、扇田小学校前の四季の道の舗装についてである。アスファルト舗装がはげてきて、中に含まれていた石が散乱し、舗装されていない硬くしまった砂利道のような状態になっている。近近、具体的な写真と地図を添えて舗装の依頼をしようと考えている。

 一般的に役所の仕事に対する批判が多いが、こおしてまじめに対応してくれる役所もあることを知ったほうがよいと思う。

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(19.1.28)ブログ・ブログ

 ブログを継続的に作成するようになってから、ほぼ2週間が経過した。ココログへのブログの登録は11月だったが、それはパソコン教室のサイモン先生(ブログ名)から勧められたからである。私がパソコン教室に通うようになったのは、小学校の校長先生からホームページ作成の補助をしてほしいと頼まれたからである。しかし正直言ってHPを作成したことがなかったので、パソコン教室で勉強しておくことにしたのだ。

 サイモン先生は開口一番
これからはHPよりブログの時代ですよ」と言われた。
こちらはHPの技術習得が目的で、すでにホームページビルダーも購入してしていたので意外な気持ちがした。しかし先生の推薦なので、とりあえずブログの入門書を購入し、その記事にしたがってココログに登録した。それが11月のことである。

 とりあえず、最初のページを作成したものの、だから何なのと言う感じで、その後約2ヶ月あまり、更新はおろか、ブログが存在することも忘れていた。再開したのはサイモン先生に再び
ブログをはじめましょうよ。ブログの技術は長足の進歩を遂げますよ」と言われたからである。
 正直言うと私はHPとブログの区別がつかなかった。ブログで使用されるコメント、トラックバック、マイリストや、はてはアフィリエイトなどと言われると、なんと難しいシステムだとうなってしまった。

 転機が訪れたのは作成を継続してから1週間程度経ってからのことである。これは単なる日記ではないかと実感したからである。
 ブログの説明に「日記風ホームページ」と書かれているが、正確には「システムの外形をまっとった日記」と言うのが実感だ。露骨に言えば「単なる日記」といえる。それが分かってから本当にほっとした。日記なんてここ10年以上いつもつけていたではないか。

 書くことについてはまったく抵抗がなくなったが、一方外形のシステムについてはなかなか技術の向上が図られていない。ほかの方のブログの美しさに比べて、私のブログはなんとも地味だ。
 今一番悩んでいるのは、写真をブログに掲載するとすべてサムネイルになってしまうことで、ほかの方のブログを見ると原寸大の写真が掲載されている。ヘルプを見たり、本を読んだりしたが、さっぱり分からない。どなたかココログで原寸大の写真を掲載する方法を教えていただけないものだろうか。

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(19.1.27)喜寿といわれて

2006_11140045_1  毎日同じ時間に清掃活動をしていると、その時間帯に毎日散歩をしている人と会う。最初は挨拶だけだが、そのうちに簡単な会話を交わすようになる。Fさん夫妻ともそうした間柄になった。私よりはかなり年配の品のいい夫妻で仲むつまじい。

 奥さんから「お若いのによくやりますね」と言われた。
 実は私は実年齢よりかなり若く見られる。一番の理由は30歳ごろから継続しているマラソンのトレーニング効果で、体脂肪率が低く、顔に脂肪がついていない。一般的にランナーは実年齢より10歳若いと言われるが、私もそうした人の一人だ。
 また筋肉トレーニングも毎日実施しているので、身体の線を若いときのままに保っていられる。ただ頭が禿げており、これは実年齢よりかなり進んでいるのだが、普段は帽子をかぶっているので外形からは分からない。
 そんなわけで、どうも40台後半位に見られているらしい。

若くはないんですよ。定年をむかえて、60歳です」というと、奥さんは目をむいておられた。歳の話になったので,Fさんのご主人に
ご主人も、私と同じ定年生活者ですか」と聞くと、笑いながら
すでに喜寿です」と答えられた。
そうですか、喜寿ですか」と相槌を打ったが、喜寿が何歳か実は知らなかった。笑いでごまかしたものの大いに恥じた。

 家に帰って、すぐさま広辞苑を引いて(喜寿の喜と言う字の草書体は七を三つかいて七十七と読むため、77歳を言う)と言うことを知った。
とても77歳には見えませんね」といえなかったのが口惜しい。

 年齢の漢字表現については、還暦が60才なのはさすがに知っていたが、古希と米寿は何歳のことか知らなかったし、喜寿にいたっては言葉すら知らなかった。今後は年配者との会話が増えそうだ。深く反省してこうした言葉を必須単語に加えた。

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(19.1.26)「公」と「私」について

 昨日のブログ「僕は怒ったぞ」に2名の方からコメントをいただきました。こんなに熱心なコメントをいただいたのは初めてなので恐縮しております。
 特にボビーさんのコメントは大部なもので、「数年前NHKスペシャルで犯罪発生率が急上昇している町として取り上げられ、その一因が両刃の剣・遊歩道にあるとまで全国放送されたにも関わらず未だ具体的施策は皆無です」と憤慨されておられました(詳細は「僕は怒ったぞ」のコメントをクリックしてください)。

 コメントに対する回答として、私の「」と「」の考え方を記載します。もっとも、大上段に構えた議論はとてもできないので、あくまで都市の美化に限定した議論です。
 私の娘の友達が現在ドイツに在住していますが、この人から面白い話を聞きました。「ドイツの都市はどこに行っても美しく、ベランダは花で飾られ、公園にはゴミを捨てる人は皆無だけれど、一方家の中はまったく別。犬や猫の毛が飛び交い、絨毯は汚れ放題で、とても日本人には耐えられない」とのことでした。
 一方日本はこの反対で、家の中はきれいに清掃され、絨毯に埃りはなく、美しい花が飾られているけれど、一歩外に出ると道路がゴミ箱がわりに使用されているのが実情です。

 ドイツでは「」に重点が置かれ、日本では「」に重点が置かれていると言えます。これはどちらか一方に価値があるのではなく、あくまでもバランスの問題で、今後、ドイツではより「」に、日本ではより「」に軸足をシフトさせる必要性を感じます。
 「」と「」に対応する道徳的用語は「規律」と「自由」ですが、極端な「規律」は北朝鮮の世界に、また極端な「自由」はアメリカ映画で描く「アメリカは自由の国だ。だから俺が何をしようとかってだ」と言って銃を乱射する若者の世界、いわばジャングルの掟の世界になります。

 日本が「」に傾きすぎる原因は、第二次世界大戦のトラウマにあり、今でも「国家」とか「」と言う言葉にパブロフの犬のように、拒絶反応を示す人が多くいますが、「」も「」も所詮はバランスの問題だと言うことを認識しない間違った態度だと思っています。

 「」から「」への軸足のシフトのためには、教育と実践が必要ですが、幸いに現安倍総理は「美しい国、日本」を作るためにも「」に重点を置いた「教育改革」を行うといっています。一般的に日本人は政治家が言うことに対しシニカルに構える傾向がありますが、政治家が真剣に行動しようとしているときはそれを応援するのが正しい態度だと思います。

 私は教育とは無関係の人間ですので、応援はもっぱら実践になります。安倍総理の言う「美しい国、日本」は私の実践する「美しい街、おゆみ野」「美しい道、四季の道」に対応します。自分のできる範囲内で努力するつもりです。
 かつてケネディーが「国が諸君に何をしてくれるかと問うてはならない。諸君が国のために何ができるか問うてほしい」といいました。これは古今東西を問わない至言だと思っています。

 二日間にわたり、少し肩に力を入れすぎて書いてしまいました。

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(19.1.25)僕は怒ったぞ

Photo_19  若かった頃はよく切れて怒ることが多かったが、年を重ねるにつれて怒りを抑えるようになり、50歳を過ぎる頃からはまったく怒らなくなった。 私の現職時代の仕事は、一種の査察官のようなものだったがよく「仏の○○さん」とかいわれて、私が査察に入ると、相手は実にほっとしたような表情を浮かべていた。
 しかし、まったく怒らないというのも問題で、やはりこうしたものはバランスの問題だと思う。そして今回は本当に怒ってしまった。

 何を怒っているのか。盗難自転車の多さにである。私は盗難自転車(その後放置されているので通常は放置自転車と呼ばれる)については、定期的に千葉市緑土木事務所に報告して、撤去作業をしてもらっている。2日前にも3台の盗難=放置自転車の報告をしたばかりなのに、昨日四季の道に新たに3台の盗難=放置自転車が出現していた。

 これではいつまで経っても埒があかない。いくら緑土木事務所の方が撤去しても何の意味もない。放置された自転車は最初はサドルがぬかれ、チェーンがはずされ最後はガラクタになって四季の道を汚す。そうなると撤去すら難しくなる。

 今回は、私は断固としてこの盗難=放置自転車と戦うこととした。実はこれをやめさせるためのかなり有効な方法があることをテストしたことがある。私の家の近所でもこの盗難=放置自転車が頻繁に発生していたので、その対策として自転車に以下のような警告ビラをつけてみた。

  • 地区の住民の皆さんに「盗難自転車対策」の協力依頼
  • 最近この近くで自転車を乗り逃げし放置している常習犯がいます
  • 見かけられましたら千葉南警察まで通報をお願いします
  • おゆみ野盗難自転車防止委員会

 この警告ビラの効果は絶大で、その後、私の近所で盗難=放置自転車の発生はぴたりとなくなった。
 実行犯の心理を推察するとその理由がわかる。もしその人が社会的な地位のある人であれば、新聞種にでもなればその地位が失われると考えるはずだ。前に市会議員で盗難自転車を乗り回して失職した人がいる。サラリーマンであれば失業するかもしれない。学生のような社会的地位が高いとは言えない人でも最悪退学処分を覚悟しなければならない。
 だから通常のリスク感覚を持った人であれば、このビラを見れば「ヤバイ」と思ってやめる。もともとこの種の人は、駅前の鍵をかけていなかった自転車を単にちょっと借りてきたくらいの感覚なので、住民の目が光っていることが分かれば止めるものなのだ。

 今まで私は盗難=放置自転車が近所からなくなれば良としていたが、今回は完全に怒ったので四季の道から一掃することとした。盗難=放置自転車に警告ビラを見つけ次第はるのだ。
 地域社会の崩壊はちょっとした犯罪を放置することから始まる。ニューヨークのジュリアーニ元市長は「ささいな犯罪を見逃さないことが都市再生の第一歩だ」といっていたと今回はみょうに肩に力が入ってしまった。

なお、おゆみ野についての概要を知りたい方は以下のホームページが便利です。
http://www6.plala.or.jp/tanabehp/

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(19.1.24)ありがたいことだ

Photo_18  昨日のブログ「この森は再生できるか」にヤマユリ山の再生を1995年から取り組まれているIMAさんからコメントをいただいた。正直言って里山をどのように手入れをしてよいか分からず、とりあえず蔓を切りまくってみたがなんとも心細い気持ちでいた。

 IMAさんのコメントは下記のように帰されていました。
暫くの静観でしたが登場しました。
里山の荒廃は蔓と笹竹の共謀罪に始まり、それを幇助したのが人間の不法投棄です。
里山再生はまず蔓の切断から入ります。すると木が元気に繁り笹を枯らします。それだけでは時間が掛かりゴミだけが増えるのでさらなる介入に入るのが我々なんです
。」

 「なるほどそうなのか。私の基本的方向は正しかったのだ」と実にほっとした気持ちになった。やはり何事も先達は必要で、本当にありがたい助言をいただいた。同時にブログの威力を今回はしみじみと感じた。

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(19.1.23)この森は再生できるのか

1  私たちが「禁断の園」と呼んだ、遊水池を取り囲む森の清掃活動を始めて,今日で2回目のトライだ。この森は正確な広さは分からないが、四季の道に面して100m、奥行き50mぐらいの、ほとんど人が入らない原生林に近い森だ。ゴミの散乱は相当なものだが、ほとんど四季の道に面した、した下がりの斜面に集中しており、奥に行くにしたがって倒木だけが散乱している。背丈が人の背よりも高い笹に覆われていて、夏場は人が踏み込むことができない。やはり冬場しか作業ができそうもない。

 今日はのこぎりを持って、つるの除去をおこなった。長らく人の手が入っていなかったため、つるが縦横に絡まっており、完全に「閉め殺し」の状態にある木々が目立った。つるも成長すると直径10cm程度にもなり、根元の付近は木質に変わっている。そこだけ見ればつるは木ではないかと思ってしまう。

 今日の課題はつるの除去だったため、かったぱしからつるを切りまくったけれど、もしかしたら「つる」にもそれなりの存在理由なるものがあるのかもしれない。このあたりの自然の摂理はよくわからない。しかし現状この森はつるにすっぽりと覆われており、どおみても「閉め殺し」状態にある木の方が弱者といえる。何か私の人生と似たところがあり、木を見て心から同情してしまった。

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(19.1.22)里山・里山

Photo_17  里山という言葉は、私ぐらいの年齢のものには、子供の頃の景観を彷彿させるとても懐かしい響きがある。ここ千葉でも団体や個人で里山の再生を試みている人々がおり、「ヤマユリ山より」というブログを立ち上げているIMAさんもその一人だ。
 先日IMAさんから、ここおゆみ野でも「おゆみ野森の会」ができ、学園前駅の近くの、約3haの山林を整備し、そのボランティアを募集しているとの連絡が入った。

 実を言うと里山再生運動には大変興味があり、昔、県がそうした運動のボランティアを募集したときも応募した経緯がある。しかし残念なことにそうした場所は大抵交通の便が悪いところにあり、私のように、自動車を使用しない人間(本音を言うと私は自動車が好きになれない。アメリカでは今でも馬車で生活している人がいるが、そうした生活にあこがれてしまう)にはとても参加できないことが分かった。

 今回は四季の道の近くの学園前駅の里山と聞いてすぐに応諾することにした。ここならいつでも行けそうだ。ボランティア仲間の I さんにも声をかけたところ「興味がありますね」という回答をいただいた。

 活動はこの四月からになる予定であり、私のような定年退職者にとってはなにか夢のような場所が提供されたような気持ちがする。

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(19.1.21)これは何だろう

 清掃ボランティアをしていると、実に色々なものが落ちてることに気づく。公園に行くと、子供用のジャンバーがベンチに無造作にかかっている。これは遊びに夢中になって子供が忘れたものなので、しばらく木にかけておくと回収されることが多い。先日は幼児を背負う布製の紐が落ちていた。これも回収されると思ってそばの木にかけていたが、こちらは何日経っても所有者が現れなかった。
 北風が吹きすさんだ翌日はあらゆるものが四季の道に散在している。中でも処理に困るのは自動車のビニールカバーで、大部なものだから木にかけるのにも苦労する。通常は所有者が探し当ててくれるのだが、ジャスコの前に落ちていた自動車カバーはついに所有者が現れなかった。処理をしておいたが、それだけで45Lのゴミ袋が一杯になった。

 中には何かさっぱり分からないものがる。私が今一番不思議に思っているのは小さなビニール袋に水を入れたものがいくつも落ちている時だ。水を抜いてゴミ袋に入れながら、これはいったい誰が何のために使うのだろうかと思う。一番可能性のあるのはお手玉で、昔は小さな布に大豆を入れて作っていたが、今はビニール袋に水を入れて作っているのかもしれない。しかし確信がもてない。誰か知っていたら教えてほしいものだ。

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(19.1.20)禁断の園に近づくな

Photo_16  清掃ボランティア仲間で「禁断の園」というと、決して近づいてはいけない煉獄のような場所を指す。ダンテの神曲風に言うと「あれほど近づくなと警告をしたのに、禁断の園に入ったな。もうお前は逃れることができぬ。地獄の業火に焼かれて、生きているときも、死んでいるときも炎に焼かれのた打ち回るのだ」といわれるような恐ろしい場所なのだ。

 ここおゆみ野にも四季の道に面してそんな場所がある。長い間放置され、人の目が入らないため、格好のゴミ捨て場になり、不法投棄された電化製品や、紙くずが山と積まれているような場所だ。
 夏の道に面した都川調節池の雑木林がそうした場所になっていた。夏場は木木が生い茂っており、小鳥のさえずりが絶えない気持ちの好い場所だが、冬になり木の葉が散って地面が見えるようになると、捨てられたゴミが誰の目にも明らかになってくる。

 私もここがそうした場所だということはうすうす気がついてたけれど、できるだけ近づかないことで無視してきた。正直言って恐ろしかったのだ。
 清掃ボランティアには、「知らないのは許す。しかし知った以上は ボランティアの清掃責任だ」という鉄則がある。
 冬景色が無視できないほどにゴミの山を見せ付けるので、おそるおそる調査を行なってみたところ長さ100m、幅50m程度の雑木林に、おびただしい量のゴミが散乱しているのが確認された。見てしまったのだ。まさに禁断の園に足を踏み入れた瞬間だった。

 「どうしよう、どうしよう、見てしまった以上は清掃活動に入らなければいけないけれど、どのくらい時間がかかるか分からない。これは本当に困ったなあ
 最初はかなり落ち込んでいたけれど、落ち込んでばかりいては、前に進めない。退職してから初めてアクションプランを作成してボランティアの原則を守ることにした。

  • ターゲット日は19年3月末とする。それ以降になると草木が生い茂って対応できない。
  • ビニール袋、紙、空き缶等の処理しやすいものから片付ける。
  • 不法投棄された電気製品や、自転車等については、市役所等に片づけを依頼できないか検討する。
  • つるが木々を痛めつけて、占め殺しの状態になっているため、つるの除去をおこなう。
  • 下草についてもできるだけ除草して、再び投棄が起こらないようなきれいな環境にする。

 前に、東京湾の干潟のゴミを一人で除去して、変人扱いされていた人がいたが、だんだんそんな状態になってきた。

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(19.1.19) Iさん奮闘記

Photo_10  I さんは私と同じ清掃ボランティア仲間で、元は日本を代表する航空会社の客室乗務員をしていた。長身で細身の身体と、丹精な顔立ちをしており、話しぶりはいたって温和である。
 I さんにある時「酔っ払って絡んでいた乗客をどう扱うのか」と聞いてみた。「そうした場合は理路整然と説得するのが大事で、すぐに相手の乗客の要望に応じてしまうと、他の乗客も理不尽な要求が当然のものと思ってしまう。しかし乗客の立場もあるので10%は乗客の言うことを聞くようにしている」と答えてくれた。
 (10%ではいくらなんでも乗客の立場はないな)とおもわず笑ってしまった。

 I さんの清掃のテリトリーは「四季の道」以外に「中の道」がはいっており、この道に沿って小谷公園から大百池の公園まで約1kmの小川が流れている。夏場は木陰ができて絶好の散策路になるのだが、問題はビニール袋や空き缶が小川のあちこちにただよっていて、川面を見る気がおこらないことが多い。
 I さんはこの小川の清掃を断固決意した。やってみると分かるが、水の中のゴミの清掃は道路上のようなわけにいかず、油断をすると川に落ちてしまう。冬に水に落ちるのはかなりつらい。そうしたリスクを省みず、I さんは飛び石伝いに長身を活かして飛び移り、定年退職者とは思われないステップでゴミを集めている。

 最近「中の道」の小川がおおいに美しさを取り戻しているのは I さんの貢献が大きい。がんばれ I さん。

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(19.1.18)小谷小がんばる

Photo_9  小谷小の教頭先生の長年の悩みは、四季の道に面した土手の手入れが行き届かなく、夏場になるとつる草や雑草が生い茂り、木に絡まって藪になってしまうことでした。

 昨年の晩秋、あまりのひどさに教頭先生は意を決して草刈機で藪の除去に乗り出しましたが、長年放置してきたためつる草が縦横にはびこって除去するのに数週間かかってしまいました。 
 若手の職員の方や、父兄の方にも手伝ってもらい、漸く藪はらいが完了し、土手の斜面の輪郭が四季の道からも見えるようになりました。

 そこで教頭先生の長年の念願だった「小谷小」の看板を、その土手に設置することができるようになりました。木の支えに約1m四方の看板を固定してあります。

 次の課題は雑草が生い茂らないように常時草刈をすることですが、これには私も参加する予定です。きっと美しい土手によみがえり、四季の道を散歩する方に心地よい風景を提供できると思います。

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(19.1.17) 犬のフンとの格闘記

 最近の犬の飼い主は大変マナーがよくなって、犬のフンは基本的には処理してくれる。特に昼間のマナーは抜群でフンを放置する人はほとんどいない。しかし夜になるとドラキュラの世界になるらしい。

 ここ四季の道でも、夜半に放置された大小さまざまなフンが異彩をはなつ。必ず常習犬がいて、同じ場所で、同じ大きさのフンを放置していく。特に黒々とした太いフンに出くわすと、思わず「お主、またやったな」とつぶやいてしまう。

 フンが放置されていると、フンづけると大変な不幸になるので、飼い主に代わって処理をするのだが、やわらかい場合は処理不能状態になってしまうので、思わず「フンぐらいまともなものをしろ」と言ってしまう。

 この四季の道6kを1周すると、だいたい4箇所から5箇所程度このような状態になっており、最後の頃になってくると、ゴミが重くなっているせいもあるが、気持ちはかなりブルーになる。

 だがしかし、この程度でめげていると、世界で屈指の美しい道にはなりそうもないので、「人生これすべて修行」という明恵の教えを心に刻んで「坂の上の雲」を目指すことにしている。

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(19.1.16) マックは敵か

Photo_1  マックと言ってもPCのマックではなく、マクドナルドのマックです。四季の道を清掃しているときにもっとも目に付くのはマックを食べたあとの、Mのマークの包装紙で、まずビニール袋が落ちていて、次に紙の袋が落ちていて、最後にハンバーガーを包んでいる紙と、フライドポテトの袋が落ちています。
 自転車に乗りながら食べた場合は、相当の距離を置いて散乱しており、一方歩きながらの場合は100mから200m程度の範囲に散乱します。

 約6KMの四季の道を1周すると、平均して3から4セットは落ちていますので、日本人のマック好きは相当なものです。かく言う私もマックは大好物で、特に海外に旅行に行ったときなどは、メニューがまったく理解できないのでマックの店があると本当にほっとして「これで今日は食事にありつける」と思うほどです。

 マックが日本に持ち込んだ文化のなかで、特に日本人の生活習慣に多きな影響を与えたのは「テイクアウト」の習慣だと私は思っております。
 それまで日本人は外で歩きながら食事をすることははしたないことと考えられていましたので、食事は屋内と決まっており、それだけに屋外に食事をした跡のゴミが散らかることは花見や祭り等の晴れの日以外にはありませんでした。日本にはゴミ箱をどこにでも設置すると言う思想はなく、駅や公園のように特殊な場所以外にはゴミ箱はありません。   最近では公園からもゴミ箱は撤去されつつありますが、これは基本的に日本人は外部にゴミを出さないという暗黙の了解があるからだと思います。

 このような日本人の習慣と、マックの「テイクアウト」は鋭く対立しており、その結果マックのテイクアウト愛好者は道路をゴミ箱とする解決策を見出しました。マック以外のテイクアウトのお弁当も同じ轍を歩んでおり、その結果、四季の道にもテイクアウトのゴミが散乱するようになっています。

 現状は解決策が見出されないので、私が所属している「おゆみ野クリーンクラブ」が懸命に清掃をしています。しかし本音では、マックの散乱したビニール袋を見ると「マックは敵か」とつぶやいてしまうのです。

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(19.1.15) 放置自転車に解決策はあるか

 四季の道の清掃をしていてとても気になることの一つに放置自転車がある。正確に言うと誰かが乗り逃げしてそのまま放置自転車になったと思われるものがほとんどだ。鍵が壊されているか、かかってないのが普通で、かなり新しい自転車が多い。

 おゆみ野地区担当の土木事務所は「緑土木事務所」でここで放置自転車の対応をしていると聞いたので、以来放置自転車を発見すると、写真と地図を添えて1週間に1回連絡している。

 土木事務所は当該自転車に黄色の紙をはって、2週間程度様子を見てそのままの状態がつづく場合は自転車を回収をしている。

 この制度はそれなりに有効なのだが、残念なことにいくつかの弱点があることに気がついた。問題なのは、① 黄色紙が貼ってあり、放置自転車と分かるため、また誰かが紙をはがして乗り回して放置を繰り返すこと、② 回収するまでに期間があるため、だんだんと自転車が壊されていくこと(特にサドルがなくなる)である。

 この結果持ち主が判明しても、そのときは自転車が使い物にならなくなっている場合が多い。放置(盗難)自転車の問題はすぐに持ち主を判明させることが大事だと思う。

 そこで放置自転車と思われ、緑土木事務所に報告した自転車の写真をこのブログにも掲載しておくことにした。特に新しい自転車については効果が期待される。

(1) KS電気(株)近くの公園の秋の道に1週間程度置いてあります。    子供用の自転車Photo_11

(2) 有吉中学校の前のアパートの横の道路。数ヶ月前からあり。近藤という名前が記載されている。Photo_12

(3) ジャスコから夏の道に向かっている太鼓橋の下。

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(19.1.14) やはり警察はすごい

Photo_4 「四季の道」を清掃していて一番気になることは、火遊びをした跡を見ることだ。この数ヶ月にわたって主として四季の道に隣接しているはちまんがた公園での火遊びが目立っていた。燃やされているのは新聞やたたでもらえる情報誌とかで、夜中に集団で集まって火遊びをしていたことが分かる。

 とくに冬場は乾燥が激しくなり、北風が強くなると火災の危険性が増すので、思い余って南警察に対応を依頼した。その後2週間経つが、はちまんがた公園での火遊びは一切なくなった。おそらく警察の方が夜半に見回りに行って注意してくれたのだと思う。それまではほぼ数日おきに火遊びの跡があったので、本当にほっとしている。日本の警察の行動の早さには敬服するほかない。やはり日本の警察は優秀なのだ。

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(19.1.13) ガードレールは直せるか

 四季の道は大変美しいが、常にメンテが必要なようだ。この正月に京成電鉄おゆみ野駅の近くのガードレールに自動車がぶつかり、ガードレールが大きく捻じ曲げられていた。当初自動車のバックランプと思われる部品が散乱していたので、それは片付けておいたが、ガードレールの補修は、この地区を管轄している「緑土木事務所」煮連絡しておいた。早く補修してくれればと思っていPhoto_3る。

 

 また昨日もブログに記載したけれども、四季の道が道路をまたぐ、太鼓橋のタイルがはがれ始めている。タイルは歩行者や自転車が通る分には耐久性に問題はないと思われるが、残念なことにバイクが四季の道を走ることがあり、このためタイルがはがれたのだと思う。禁止されたバイクの通行をやめさせない限り、このいたちごっこは続きそうだ。

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(19.1.12) 今日の活動

 今日はボランティア仲間と鎌取駅の清掃をする日だ。駅前についてはタクシーのロータリー部分は運転手の方が清掃をしており、自転車置き場についてはシルバーボランティアの方が清掃をしているが、駅につながる高架橋を中心にゴミが散乱する傾向があるので、友人と清掃をすることにした。

 今回行ってみると当初予想したよりもはるかにきれいになっており、このジャスコと駅を結ぶ高架橋についても清掃をしている人がいることが分かった。最近はボランティアで熱心に清掃をする人が増えている。

 高架橋には照明灯が10mおきぐらいに設置されており、そこに暴力金融のチラシがよく張られていたので、見つけたらはがすようにしていたが、最近はそれもなくなってきた。どうやら鎌取駅の周辺にチラシを貼ってもすぐに撤去されることに気がついたようだ。ただはがした跡が残り、大変汚くなっていたので痕跡を残さないように拭いておいた。

 また、四季の道についても毎日清掃するようにしているが、前日は体調が悪く実施しなかったため、2日分の掃除をすることにした。最近気になっていることは歩道橋にかかる橋のタイルがはがれはじめたことで、緑土木事務所に早く通知しなければいけないだろう。

Photo

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(19.1.11)小学校ボラbンティア

 今日は小学校のボランティアの日だ。いつも9時ごろから2時ごろまで清掃や植栽の剪定作業を職員の男性と一緒に行っている。今日学校に行ってみると男性職員が家庭の事情とかで休んでいた。こうした日は教頭先生とコンビを組んでの作業となる。教頭先生はいつも遊軍部隊だ。

 今日は前年に剪定した大枝を適当な大きさに切断し、まとめて清掃車に引き渡す作業が残っていた。剪定した木材の太さは10cm程度あってなかなかタフな仕事になった。作業中はとても暑くなるので薄着で作業をしていたところ、教頭先生と女性職員の方が気を使って途中でプリンとみかんの差し入れをしてくださった。

 15分程度作業を中断してプリンを食べながら教頭先生の実家の話を伺った。敷地面積が600坪もあり、植木業者を入れて作業をすると10数万もかかるとの話にびっくりした。とても話は面白かったのだが、何せ作業中は薄着であったため身体が段々と冷えてきて寒気さえしてきたので、話を切り上げて作業に取り掛かったが、寒気は引かなかった。

 家に帰って風呂に入り身体を温めたが違和感は残った。いつものようにルルを飲んでコタツで2~3時間愚だ愚だしているうちに漸く寒気が抜けた。

 当初の予定では2時から「四季の道」の清掃に出かける予定だったが気力がなえてしまった。毎日清掃をしないとすぐ汚れるのでとても気にはなったが体調が悪い日は仕方ない。毎日必ず「四季の道」の清掃を実施することはとてもむずかしい。

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