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2009年5月

(21.5.28) 大記録の裏には内助の功

日本のプロ野球も、セ・パの交流戦が始まり、いよいよ佳境に入っている。
海の向こう(米大リーグ)でも、首位争いは息が抜けない厳しい戦いが続いている。
ところが、今年の米大リーグでの、日本人選手の活躍は、今ひとつ盛り上がりに欠けているような気がしてならない。
これまで日本人選手が海を渡り、体格・体力では数段劣っているにもかかわらず、それをものともせず、米大リーグで期待に胸を躍らす活躍をしてきた。

しかし、ここに来てケガや負傷で「故障車リスト」に入る選手が続出している。
イチロー(マリナーズ)胃潰瘍、城島(マ)左足親指骨折、岩村(レイズ)
左膝負傷、黒田(ドジャース)左脇腹痛、松坂(レッドソックス)右肩疲労、上原(オリオールズ)左足腿の裏側痛などである。

無事 これ 名馬」とはよく言ったもので、特に外国でプレーをするには、身体の手入れは何よりも大切にしなければならない。

今年のイチローは、ワールド・ベースボール・クラシックに出場した際の心的疲労のために胃潰瘍になり、開幕から8試合欠場するという、アクシデントの見舞われた。しかし、今日では、その欠場分を取り返すような活躍をしているのはさすがである。

イチローは、守備に就いていても絶えず屈伸運動や柔軟体操をして身体を鍛えている。
打席に立つ機会が最も多い1番打者のイチローは、デッドボールも巧みに避け大事に至らないような技術も身につけている。
こうした一つ一つ積み重ねが、体調維持に大きく貢献しているのだろう。

もう一つは、聞くところによれば、食事にも人一倍気をつけているという。
弓恵夫人はイチロー用に特別の食事を用意して、協力をしているとか。

犯罪の陰に女あり」でなく「大記録の裏には内助の功あり」か、
イチローに記録の陰には「夫唱婦随」協力の賜と言っても間違いない。

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(21.5.22) 四季の道は花盛り

 5月のはじめ、ツツジの一番花が咲き終わった。と思ったら今は二番花の季節なのだろうか、四季の道はピンクのツツジが至る所に咲き誇っている。
ツツジだけではない、他にもいろいろな花々が咲き誇っている。
春夏秋冬の道の順に沿って、私が気づいた花々を紹介してみよう。

 有吉中学校を過ぎ、隧道を通り抜けると、視界がぱぁっと開ける。
消防署と図書館にかかる坂の手前の両側に広がるピンクのジュータン。

 夏に道に入ってすぐ、区役所の東側の駐車場脇のギザギザになっている石垣に咲くツツジは、まるでキャンバスに描いた絵のよう。   
夏のみち橋の上に立ち、南側真下には、道路の中央分離帯に、ピンクの帯が走っている。 

 小谷小学校の校門を入ったのすぐ右手には、芍薬が今を盛りと競っている。
夏の道の終点近く、ナス・オユミノの横には、栃の木が白い綿菓子状の花をつけている。

 秋の道沿いのモミジは、緑の葉の間に赤い実が見え隠れしている。紅葉のタネだ。
小さな竹とんぼ状になっているから、風で遠くに運ばれて行くことだろう。

 秋の道の終点、ロータリーを右に曲がると冬の道に入るが、チョット寄り道をして、逆の左に曲がってみよう。
道の中央は芝の植え込みになっており、左右の道は舗装されている。
この芝の道の両側にある高い木が「百合の木」又はチューリップ・ツリー、又は半天木(ハンテンボク)だ。今が盛りと頭上高い枝先に、黄色い花を付けている。
この花については、余計な説明はせずに、先ずはご覧になって欲しい。

 金沢小学校を過ぎ、冬の道橋の下を走る道路の両側の歩道、ここもツツジが満開だ。
橋を渡り下り坂の途中、2本の泰山木がある。今はまだ蕾だが、咲くとゆうにどんぶりほどの大きな白い花を咲かせる。

おゆみの駅橋を渡る切った正面には「バラの館」と表現したくなるほどに屋敷一杯にバラで包まれた家が見えてくる。

 皆さん、とても花々を可愛がっている様子が、一見しただけでもよくわかる。
子育ても同じで、どれだけ愛情を子育てに注いできたかが、その子の将来を決めることになりそうな気がした。

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(21.5.19) 聞きたい音の世界

 毎日新聞の記者が発信箱に「雨音に耳を澄ます」という一文を寄せていた。

幼児期に失明したエッセイストの三宮さんの指摘が鋭い。
例えばお茶を入れる場面で、湯の代わりに冷水でごまかしているかどうかが、その音でわかるという。」

専門家によれば温度が3℃違うと、湯の音が変わるらしい。

 音を立てない町並みは、三宮さんにとって普段は「無」に等しいが、ひとたび雨の日は一変する。
「トタン屋根、門柱、路面などに当たる雨粒で異なる音を紡ぎ、町の輪郭を浮かび上がらせる。特に梅雨時のまっすぐな雨が最も雄弁」という。
これから、梅雨の季節に入りますが、雨の音にも心くばりをしてみたいですね。

私たちは車や工場などの人工音に包囲されている。
無機的な音の暴力から心身を守ろうと、身構え、耳をふさぎ、音に関心を向かな
いように努めている。・・・・・・

 テレビを点灯ければ、番組という番組には、絶え間なくBGMが流れている。
話し手の声をさえぎるBGMはやめてもらいたいものだ。
また、最近の歌謡ショウでは、歌手の声量が衰えているのか、バックの音楽演奏の音が大きいのか、歌詞がよく聞き取れないのは、どうしたことだろうか。
オペラ歌手は別として、マイクを口に付けて歌っているのにもかかわらずである。
ドラマでは、話し声を妨げるBGM、あれはなんと心得ているのだろうか。

 最近ではBGMの無いのはニュースだけ?
安心して耳を傾けることの出来るラジオ・TV番組がめっきり少なくなった。
年齢と共に聴力が劣ってくると言われるが、原因はそればかりではない。
暴力的なBGMを流す、番組制作者に猛省を促したいと思っているのだが、どうしたらいいだろうか?

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(21.5.17) 一日一粒、心のサプリ「女王様にノーを」

毎日新聞「日曜版」に、柏原純子心療内科医が、エッセイを寄せている。

今週(5/17)のそれは「女王様に『ノー』を」と言うものである。
要約すると
最近気になるのは、人にしてあげるよりも、人にしてもらうことばかり求める人。このような人を『女王様症候群』とでも言おうか。
子供のころから「
してもらう環境」に育つとそうなる率が高まるのだろうか。

こんな女王様症候群のような人が周囲にいたら、上手に『
ノー』ということを念頭におくことが不可欠。相手が怒ったり機嫌を悪くしても、自分が傷つかないことも大切だ
」と述べている。

 標記の話題とは幾分異なるが、若い頃友人達と「友情と恋愛はどう違うか」という議論をたたかわせた記憶がある。
曰く
友情には、自己犠牲はなく50%対50%だ。恋愛には常に自己犠牲が伴うもので、時には100%対0であったり、70%対30%であったりで、50%対50%とは限らない

他人への自己犠牲なしには恋愛は成立しない。」

また、一方的な自己犠牲は、恋愛とは言えない、相互の自己犠牲があってこそ恋愛だ。」
などといっぱしの、大人びた議論をしていたことを思い出した。

 確かに、恋を成就させたカップルを見ると、好意を持った彼女への犠牲的な行動から恋愛に発展させたようだった、と他人の恋愛から思い当たる。
最近の若者の恋愛観を見ていると、相手に求めること(つまりは、女王様症候群)はあっても、自らが奉仕すると言うようなことが少ないのではないかと思えてならない。
もちろん、恋人同士であってもときには「ノー」を突きつけることで、互いを見直す機会になったり、より高めることにつながったりすることもあるだろう。

 恋愛関係にあっても、二人の関係がいつも、相手にしてあげるよりも、してもら
うことばかりの『女王様症候群』ではいつか飽きられてしまうのではないだろう
かと、老爺心ながら、カップルの行く末を見ている。

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(21.5.14)百合の木(チューリップ・ツリーまたはハンテンボク(半天木)

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 冬の道を歩いていたら、こんなきれいな花が、頭上高い場所に咲いていました。

 大きな葉に隠れて、今日まで全く気づきませんでした。
春から夏に向かうこの時期、この花は何だろう?
最低でも地上3、4mはあろうかと思う場所でないと、咲いていないので、チョット手が届かない。そこに運良く、傘を持った小学生が通りかかったので、その傘を借用し、ジャンプ一番、見事に花をゲット。

 さて、この花は何というのだろう?
木の葉は柏餅を包んでいる柏の葉だろう? イヤそれにしては、葉が薄いし裏側がすべすし過ぎる。

 きっと、カナダ国旗の中心の葉だろう。イヤ葉の先がV字形に食い込んでいる。

 などと疑問を投げかけて見ましたが、結局図書館に出向き「植物百科事典」で調たところ、以下のことがわかりました。

 樹高は20m~35mくらいまで成長し、直立する幹から枝を張り円錐形の樹形になる。
葉は浅く4~6裂し、ハンテンに似た、特異な形である。
1年枝の先端に直径5~6cmのコップ状(チューリップの花のような)の花を咲かせる。
ガクは3枚、花弁は6枚あり緑黄色で下部は燈色をおびている。
果実は細長い翼果で球果状に集まっており、枝先に冬も残る。
秋に果実は熟す。
秋になると葉はきれいな黄色になって散る。
道路や公園に多く植樹される。
種子から育てるが、湿らせて低温処理しないと発芽しにくい。

 葉の縁に大きな切り込みがあり、このような葉の形から着物のハンテン(半天)をイメージさせることから日本では「ハンテンボク」という別名がついている。
花の形からは「チューリップ・ツリー」とも呼ばれている。

 「百合の木」とはどういうイメージから出てきたものか、軽薄なノウミソからは何も浮かんで来ませんでした。
どなたか、そのいわれをご存知の方、教えてください。

 それにしても、私はこの地に住んで20年、このような花に全く気づかずに来たことにあきれています。

追記
私は、デジカメを持っておりませんので、親しくお付き合いをさせているYさんに、百合の木を撮影していただきました。感謝 感謝です

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(21.5.12) ピンクのバット

 今日(5/10)は母の日、日頃出来ない母へ感謝の気持ちを込めて、カーネーションを贈り、母への感謝を表す日である。
小学生の頃は「肩たたき券」だとか「お手伝い券」などを母に贈ったものだ。

 1日遅れのアメリカ・大リーグ中継では、全選手監督・コーチそしてアンパイヤーが揃ってピンクのリストバンドを着けて試合に臨むだけでなく、打席に立つ打者すべてがピンクのバットで打席に立っている。
母の日」を記念しての行事だそうだ。
大リーグは、なかなか粋な計らいをするものだと感心して、TV観戦をした

 去る4月15日には1947年に米大リーグ初めての黒人選手「ジャッキー・ロビンソン選手」がデビューして「人種の壁」乗り越えた日だったので、これを称えて全選手・コーチ・監督がジョンソンの背番号「42」をつけて試合に臨んだ。
敵味方の選手すべてが42の背番号なのだから、面白い。

 昨年までは42のユニホームを着用するか否かは本人の自由意志に任せていたが、今年は初めて大リーグ機構の勧告で、統一することになった。
これは、多分に初の黒人大統領が誕生したオバマに敬意を表しての取り組みではないかと思う。

 なかなかアジなことをするが、アメリカ人は得てしてこうした偉大な人物称え、国民すべてが挙げて祝い、後生に伝えることを楽しんでいるようだ。

 そればかりか米大リーグでは「42」を30の全球団が欠番にするなどして、市民との共感を盛り上げるような取り組みを絶えず希求している。
また、野球だけを見て楽しむだけでなく、球場内に各種のレクレーション施設も完備していると言うことも聞いている。
底辺を広めるため、オフシーズンも選手は、市民サービスには欠かさず出て、ファンの期待に応えることが義務化されているようだ。

その点、日本のプロ野球はファンサービスに遅れているように思える。

 

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(21.5.11) 花嫁のブーケ・トス

 愛犬『タケノコ』との散歩道側に結婚式場『チェルシー・コート』が出来てから約一年半くらい経ったかしら。
南欧風の建物で赤茶色の瓦に少し黄色がかった壁のお洒落な今風の結婚式場です。オープン仕立ての頃、ランチが食べれると聞き行きました。ついでに建物内部を案内してもらった事が有ります。

 散歩をしていて思うのですが、隣接する森に最近よくウェディング・ベルが鳴り響く様になりました。ベルが鳴り初めると急いでバルコニーの見える場所に移動します。理由はブーケ・トスを見たいから。

 花嫁が2階のバルコニーで後ろ向きになり、ブーケを投げる。階下で待つ女性達が受け取ると『次に結婚するのは貴方よ』いうラッキーなセレモニー。

 チェルシー・コートでは既婚の女性もご参加下さいとアナウンスしていたので、受け取った既婚女性は波乱万丈の人生になってしまうかもしれません。
幸せなら波乱万丈多いに結構。自宅に持ち帰ったら、ダンナサマに「貴方とまた結婚したいわ」なんて言えますか?


 因みに私は愛娘にあげますね。非婚社会ですが結婚して母親になって私の気持ちを解ってね。まだ、先の事だけど。一方熟々年再婚も多いとか…。一度目の結婚は子孫を残す為、二度目の結婚は心の結婚。笑顔で語る熟々年女性は幸せそうに見えました。

 

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(21.5.10) 生垣の剪定

 雨が汚れた空気を履き流してくれたようで、今朝の散歩は爽やかだ。

 そして、毎土曜日の朝5時30分頃から始まる千住真理子の「クラシックでお茶をtea for classc」はとても楽しい。
千住のお話と名曲の紹介は、わずか10分ほどのものだが、朝の爽やかさをさらに増幅してくれる番組だ。
先週は、千住自身が奏でるヴァイオリンの名曲チゴイネルワイゼンとタイスの瞑想曲だったが、今回はピアノ曲で、リストの「愛の夢」などだった。
朝の澄み切った中で聞く調べはとても心地がいい。

 爽やかな気分で散歩を終えるまでは良かったのだが、その後待っていたのは、生け垣の剪定だった。

 実は、明日の日曜日に、我が団地では一斉消毒をすることになっていたのである。
例年私は、その前日までに生け垣の剪定を実施してきた。今回も、今日までにはその作業を終えておかねばならなかったのだが、生憎とここ数日間は雨続きで作業に取りかかれなかった。従って、今日中には是が非でも終了せねばならないのだ。

 狭い我が家でも、生け垣の剪定は、これが意外と労力と時間がかかるのである。
にわか植木職人がやることだから、生け垣が虎刈りになるのはやむを得ない。
老骨に鞭打ちやっと夕方には何とかすべての作業を終えることが出来た。

 下手は下手なりに達成感を味わい、ホッとしている。そして久し振りの肉体労働で空腹になったあとの(献立はさておき)夕食はことのほか
美味かった。
    
 ああ、疲れた、今夜はよく眠れるぞ。

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(21.5.8) ジジババのぼやき

孫は来て良し、帰って良し」などと言い、孫に会える日を指折り数えて待つ祖父母の気持ちを詠った言葉である。

少ない年金からお小遣いを用意し、好物のおはぎや饅頭などとともに、地元産の食物を作って今か今かと首を長くして待っている。
ところが、孫の方は祖父母気持ちなど全く意に解せず、だんだんと祖父母に会うことを敬遠し始めてくる。

ジジ・ババの作った地元産の食べ物よりも「ハンバーグ」だとか「ホットドッグ」などといったあちら産の食べ物に好みがうつり、せっかく作った地元産は手も付けない。

それでいてお小遣いだけはそれでも「お爺ちゃん、おばあちゃんありがとう」などと言って受け取り、その場だけは殊勝な態度を示している。
貰ったそのあとで、「額が少ないから、お爺ちゃんはケチだ」などという陰の声が聞こえてきたりする。

これでは、せっかく作った料理を仕方なく口にしても、「美味しかった」などという声は聞こえては来ない。
食べた跡も「飛ぶ鳥跡を濁さず」ということまでは望まないが、せめて「ごちそうさま」くらいは言い、使った食器は片付けておくくらいのことをしてもいい。

一事が万事この様で、可愛かった当時の孫の面影は、何処に消えてしまったのだろうかと、嘆くことになってしまう。

大泉逸郎の「」という歌があるが、ジジババの心情が謡われて、とてもいい曲である。この孫のように、いつまでもジジババを尊敬し大切にして欲しいものだと願っているのだが、最近は子供までがジジババを踏み台にしようと虎視眈々と狙っていたり、早く逝かないかと財産を我がものにせんと企んでいる輩も少なくないという。

こんなことにならないように、税産はすべて使い切って、お迎えを待つのが、今日的な生き様かも知れない。
もっとも、そんな息子や娘に育てたのは「ジジババ、あなたたちですよ」と言われかねないですかね。

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(21.5.5) おんぶ紐の思い出

 散歩の途中、おんぶ紐で子供を背負っている年配の婦人に出会ったので、少しお話をしました。今時の子育てには「おんぶ」は滅多に使わないからです。

 孫をおんぶしていたものと思われ、尋ねると今使っているおんぶ紐を探すのにご苦労されたとか、なかなかそれを売っている店がみつからなかったそうです。

 最近のおんぶ紐は、背負うのではなく、前面に子供を抱くようなおんぶ紐が主流だそうです。
子供との対話には便利ですが、主婦業たる仕事は何も出来ないし、外出などで歩く際には前が見えないので、危ないことこの上ないとか。

 確かに子供の身体が邪魔をして足下が見えず大変危険だ。
子供を背負ったままなら、外出にも台所仕事や洗濯、掃除などもできる利点がある。私の親の時代は、そうして私たち兄姉6人もの子供を育ててきた。

 私も、一時期共働きをしていたことがあるのでよくわかる。
その時のことだが、すやすや寝入っていると思っていたので、作業を続けていたら、背中が妙に暖かくなってきたので、おかしいなあと思ったときは時には既に遅し、大量のオシッコて背中をびっしょりにされたことを思い出した。
           
 今日の子育てでは、そんなことはまずないと思うが、これも親と子のつながりを感じる一コマでもあったと今にして思う。

 オシッコやウンチなどで汚れた「おむつ」を洗濯した思い出も懐かしい。
ところが今日では、紙おむつが本流で、布のおむつを使うことはないので、おむつを洗濯するなどと言うことは殆ど無いそうだ。
おむつを洗って、干して、乾かし、畳んで、組み合わしてやっと1組のおむつが出来るのだから手間ひまがかかる。

子 育ても、時代と共に手軽で便利になってきているが、親子の情まで手軽な関係になってしまっては、元も子もない。
我が子に対する「」と称する折檻が起きる背景には、子供に対する愛情不足に起因するのだと思う。

 1組のおむつを作るに手間ひまをかけるのも、おんぶ紐で親子が肌と肌を接することも、親子の愛情を確かめ合うまたとない機会だったと思っているのだが。

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(21.5.2) 雨後の旬

 4/25は、終日雨が降り続いた。その恩恵をバッチリ受けたのが筍。
秋の道沿い(保育園の隣)のこんもり茂った林には、2~3mはあろうかと思うほど急成長した筍がにょきにょき生えている。こんなに沢山の筍が芽を出すと、ここの木々が枯れてしまうのではないかと、余計な心配をしている。

 私など、筍をわざわざ大多喜町に買いに行ってきたというのに。
「林の持ち主さん、1本でいいから、筍掘りを楽しませてよ」と言いたくなる。

定額給付金などという、お小遣いを全国民にばらまくんだってね。税収が不足していると言って、国家予算の半分50兆円を国債を発行するって言うのにね。
私と同い年の麻生さんでさえ「定額給付金は受け取り、有効に活用させていただきます」というのですから、私も、いただく手続きをしました。
最近眼鏡の度が合わなくなって、新聞を読むのにさえ苦労するようになってきたので、眼鏡を買うことに決めました。

 先日、市から振り込む旨の通知がありました。これで、給付金とほぼ同額が消えたことになります。
お陰様で、新聞の字が良く見えるようになりました。ありがとうございました。」と麻生さんにお礼を言わねばなりませんね。
でも、麻生さん安心しちゃあいけないよ、これからは新聞・ラジオに、これまで以上に目をひらき、耳をそばだてるために役立てようと思っているのですから。

 ところで麻生さんこの給付金、巷では本当に欲しいと思っている階層の人々には、行き渡らないなどといわれています。麻生さんのように1着がウン十万円もするようなスーツをあつらえるほど余裕のある人にも一様な額を支給するのは考えものではないでしょうか?

 ところで、私のように65歳以上の「老齢者」や18歳以下の人には20,000円が支給されると言うことですね。
最近は「老齢者」とは言わずに、「高齢者」と言うんですってね。
2005年の日本の人口調査によると、人口は1億2千万人余り。
そのうち高齢者は2,556万人で総人口に占める割合は20%、つまり5人に1人が高齢者と言うことになる。

私もその一人に、数えられることになってしまった。
これはえらいことになってしまった。「高齢者は早く逝って下さーい」と手を振られるようになる前に逝かなければならない。

お後がよろしいようですから」などと追い立てられるような「高齢者」にはなりたくないと思っているのですがね。

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