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2009年4月

(21.4.28) 晴天の下の散歩

 25日は終日、雨が止むことなく降り続いた。
26日は一転して、風が一日中、吹きまくった。

 お蔭で、空気がきれいに洗い流され、息をしても爽快な気分になった。
木々の緑も一段と鮮やかに見える。欅、モミジの黄緑の葉が朝日に照らされている。今が一番美しい時ではないだろうか。
幼葉の緑の何ときれいなことか。
                 
 芍薬、もみじ、紅カナメなどの幼芽は赤くひ弱に見えるが、陽の光を浴び、濃い緑に変っていくと、幼さはなくなり、夏の太陽に耐えるみどり濃い、力強い葉になっていく。

 金沢小正門を過ぎ、冬の道橋を渡ったところの散歩道の中央に立つ1本の樫の木。
「♪この木なんの木、気になる木」と歌われている樹?。じゃないかと思うのですが、大地に「どっしり」と根を張っている。常緑樹の代表格の樹、樫の木だ。

 この樫の木は今(冬から春にかけて)が紅葉の季節なのだそうだ。この季節に去年から寒さに耐えてきた葉が落ち、代わりに新しい芽が出て葉を茂らせていくのだそうだ。

 落葉した葉と幼葉を比べると、越冬した葉は、濃緑色で大きく、分厚い。
落葉し、仕事を終えた葉は、茶色に変わっている。いわゆる紅葉だ。回りには落葉した葉が散らかっている。

 一方幼葉は、今はまだ小さく、黄緑色から緑色である。これから夏に向けて、じっくりと鍛える時期になる。
杉や松などの常緑樹は、春は「紅葉の時期」なのだそうだ。
そんなことは全く知らずに、今日まで生きてきた自分が恥ずかしい。

 上を見たり、下を見たり、左を、右を向いたりしながらの私の散歩は、いつも周囲をキョロキョロしながらである。
空を見上げたら、一面真っ青な中を飛行機が1機キラキラ光りながら飛んでいくのが見えた。足下にはツツジが真っ盛り、赤、朱、ピンク、白、紫などなど色とりどり。ツツジが優しく微笑んでいるかのようだ。

 雨上がりの爽やかな風が私の肩を吹き抜けていった

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(21.4.25) 茂原の牡丹園

4月23日(木)晴 最高22.8 最低12.6

 今朝は、チョット寒かった。でも日の出と共に暖かさが増してきて、散歩を終えたときには、もうその寒さは感じなかった。

 散歩の途中、花吹雪の舞う中を小さな子供と母親が一緒に、風に飛び交う八重桜の花びらを受け取ろうと一生懸命になっている様を見て、微笑ましく思った。
染井吉野の散り際、そして八重と2回楽しめたかな?

 妻と茂原の「牡丹園」に行ってきた。カーナビにすべてを託して、案内のままに車を走らせたら、迷うことなくバッチリ到着した。
5分ほど離れた場所に無料の駐車場が用意されていたので、助かった。

 1時間余り牡丹や芍薬を見て回った。
係の人に聞いたら牡丹は「初日、中日(なかび)、千秋楽と3回訪れると全部が楽しめる」と相撲になぞらえて話してくれた。芍薬はもう少し後になる。

 なるほど、牡丹にも早咲の早生種、中手種、晩生種とあるので「それぞれで見応えがありますよ」とのこと。
今はどういう時期ですか?」の問いに「そうですねぇ、中日くらいでしょうか」との答えだった。

 赤、白、ピンク、それに花の大小があり、こんな花が我が家にも1輪でいいからあったらなあ、と思った。
牡丹は陽射しを嫌うのか、傘で日よけをしているのや、よしずで遮光しているものなど、美女に勝るとも劣らない程の日焼け対策がなされていた。
人の目を楽しませるには、大変だなあ、と思いながら観賞する。

 牡丹のあいまには「おおでまり(大手鞠)」もあった。字の通り、手鞠状の白い
花を鈴なりにつけていた。
これを見たとたん私は「おはぎ」を連想し、腹の虫が騒ぎ始めたような気になった。

 普通「おはぎ」には、小豆のあんこを餅に塗り付けるが「ずんだ餅」は枝豆をつぶしたあんこを餅に塗りつける。
大手鞠の花は、白を基調にしながらも黄緑のあんこを巻き付けたように見えたからだ。この歳になってもまだまだ「花より団子」が懐かしいのだから、まだ若いなあと思いながら腹の虫に言い聞かせた。

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(21.4.21) モミジの花

 この時期は、新緑が特に美しい。ことに黄緑の若葉は何とも言えないやさしさや柔らかな光を私たちに投げかけてくれる。
そんな陽春の中「モミジの花」が咲いているのをご存じでしたか?。

 私もここ(千葉市)に移り住んで20年近くになりますが、全く知りませんでした。
散歩の途中、散歩仲間のSさんご夫妻に教えてもらって、初めて知ったのです。
秋の道沿いには、数十本のモミジ(紅葉)があり、黄緑の葉を伸ばし、赤い実のような花を付けています。(ただし、モミジの樹木すべてではなく、黄緑のものでも花を付けてないものもあり、赤い葉のモミジは無いようです

 モミジは、黄緑の枝葉に、直径が1mm~2mmほどの小さな赤いサクランボのような実を着けているので、ちょっとわかりにくいかも知れませんが、これがモミジの蕾なのです。
丁度今、花を落とした桜(染井吉野)は、新芽の緑葉と赤いガクが見え隠れするようになっていますが、モミジがその風情によく似ています。

 中には1mmほどの蕾が割れているものもあり、中から白いメシベやオシベがかすかに見え隠れしてきています。
オシベの花粉がめでたくメシベに受粉すると、モミジは「種子」造りに邁進せねばなりません。こうして2~3ヶ月ほど経つと、立派な種子になります。
ここまでくると種子は、2枚羽根のプロペラ状になり、春風に乗って遠く新天地へと飛んでけるようになります。

 ところが新天地で、めでたく発芽するのは、何万分の一の確率でしかありません。
地に落ちた種子の多くは、発芽する翌春までの間に鳥たちの餌となって、彼らの生命を支える運命にあるのです。自然の食物連鎖です。

ところで、モミジの花を紹介してくれたSさん夫妻は、休日の毎ごと、ゴールデン・レドリバー犬と散歩していたいました。(ご主人はまだ現役のサラリーマン)ワン君がご夫妻の間にちょこんとおさまって仲良く散歩する様はまるで「川」の字だったのです。

 だが最近は、このワン君が高齢のため、3人(2人と1匹)で歩くことが困難になってきたのだという。
大型犬ほど、早く歳をとるといわれているが、Sさん宅のワン君も13歳になり、人間に例えれば米寿か卒寿に相当するのだろうか?

 だから、最近はご夫妻だけの散歩になっているのですが、多くの散歩仲間が夫か妻だけの散歩になっている中で、とても羨ましい限りです。
Sさんご夫妻を見ていると「仲良きことは美しき哉」(武者小路実篤)のお手本のように見えてきます。

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(21.4.20) 米大リーグに関して2題

今日、4月15日は、1947年に米大リーグで初めての黒人選手「ジャッキー・ロビンソン選手」がデビューして「人種の壁」乗り越えた日である。
これを讃えて、昨年までは本人の自由意志だったが、今年は初めて大リーグ機構の勧告で、全選手・コーチ・監督と審判の全員が、故ジョンソンの背番号「42」をつけて試合に臨むことにした。
米大リーグはなかなか、味なことをするものだ。
大リーグではこれまでも「背番号42」を全米の30球団が欠番にしてその功績を讃えてきた。

日本では、球団に大きな功績を残した選手の背番号を欠番にしているチームはあるが、大リーグすべての試合の選手やその関係者全員の背番号をすべて「42」に統一して試合に臨むということは、とても粋な計らいだと思った。

アメリカでは、今年1月、史上初めて黒人のオバマ大統領が誕生した。
こうしたとも考慮して大リーグ機構も、これまでの選手の自由意志から一歩進めて、試合の関係者全員に着用させることを決断したのかも知れない。
いまや全米はもとより、日本でもプロ野球では、黒人選手がいないと成り立たないくらい活躍し、立派な成績を残しているのだから。

さて、
出血性胃潰瘍で15日間の出場停止になっていたマリナーズのイチロー選手が8試合ぶりに球場に戻ってきた。
今日の試合では第2打席目にヒットを打ち、次いで帳本と同じヒット数に並ぶ3,085本目は、何と満塁ホームランで花を添えた。
やはり、イチローが出場すると出場しないとでは、雰囲気もお客の関心度も違う。
まさに野球界の英雄になった感がある。

イチローのすばらしさは「攻・走・守」揃って、球界をリードしていることだ。
彼がこうした活躍ができるのは、彼の誰にもまねの出来ない日頃の鍛錬の賜であるが、先人達が活躍できる場、レールを敷いてくれたからでもある。

投の野茂、野手のイチロー、この二人の活躍は日本人の誇りである。

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(21.4.19) 花冷え

 春先には一時的に寒さが戻ることがありますが、これを「寒の戻り」と言います。

 また「花冷え」ということもありますがこれは、桜の咲く頃に一時的に戻る寒さと言われています。
さらに「若葉寒」という言い方もあります。
リラ冷え」は、作家渡辺淳一の造語と言われていますが、北海道では5月下旬から6月初旬に咲くリラ(ライラック)の時期にやってくる寒さ指すと言われています。

 そしてさらに、「梅雨寒」となります。
この梅雨寒が続くと「冷夏」となり、農作物に大きな被害をもたらすことになる。
このように暑い夏を迎えるまでには、何度かの「寒さ」や「冷たさ」を経て季節は移っていくのですね。

 さて、昨日(4/17)と今日(4/18)は、まさに「花冷え」の一日でした。
最低気温は日中に出たのようです。
このところ、暖かい日が続いていたおかげで、身体の方もすっかりこの暖かさに慣れていただけに、この冷え込みは体調を崩しそうです。
我が家では、仕舞いかけていたストーブを登場させ暖をとりました。

 そろそろ暖房機器を仕舞おうかと思っていた矢先の冷え込みで、出鼻を挫かされたような気分です。
でもご安心を、もう明日には暖かさも戻って来るとの、予報が出ております。
期待しましょう

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(21.4.16) 古希

船頭さん」という童謡がある。

作詞 竹内 優子
作曲 川村 光陽


村の渡しの船頭さんは 今年六十のおじいさん
年はとっても お船をこぐときは
元気いっぱい 櫓がしなる
それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ


 この歌は、昭和16年(1941年)7月28日に作られているが、この当時は、
60歳はおじいさん」と呼ばれても、全く違和感はなかった。
今からほぼ70年前、男子は「人生50年」が普通で、60歳は長生きだったからに違いない。

 だから当時は60歳を「還暦」だと言って、お祝いをしていたが、今日では60歳は、なにも珍しくはない。だから「おじいさん」などと呼んだりしたら、大いに叱られるであろう
現在では、仮に60歳で亡くなったりでもすれば「まあ、お若いのに」ということになる。だいたい今日では多くの企業の定年は65歳になっているのだから、60歳はまだ、現役が殆どだろう。

 杜甫が「人生七十古来稀なり」と詠んだことからきたとされる「古稀」であるが、当時は70歳まで生きるはごくごく稀であったのだろう。
このため長寿の70歳を「古稀」として、盛大なお祝いをしていたのであろう。

 だが今日では、70歳は長寿ではない。
今日では100歳も、珍しくなくなっているのだから。

 でも、あまり長生きしていると若い人から「俺の年金を先取りしやがって」などと言われかねないのが、今日の状況だ。

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(21.4.15) 夫婦愛2編

アフリカハゲコウ夫婦

4/2、千葉市動物公園から脱げだした雌の「アフリカハゲコウ」は、逃亡から3日目の4/5 午後、やっと捕獲された。

経過を追ってみると

4/2 檻から逃げたことを発見
4/3 捕獲作戦開始、住宅地の電柱を転々と移動
4/4 麻酔薬入りのアジを置くが、見向きもせず失敗
   吹き矢、ネットランチャーも失敗
4/5 自由を満喫したが、空腹には勝てず体力を消耗し尽くして投降、捕獲
  捕獲後は水以外は口にしなかったが、
4/6 徐々に食べ始めた。
4/8 コアジを14匹平らげるほどに回復した。

一方、雄の方はと言うと
妻に逃げられたショックと妻の健康を心配の余り食欲が減退、通常は20匹のコアジを食べるのに、2~3しか口にしなくなった。

こんな健康状態になったので、園は公開を中止し、様子を見ることにした。ところが雌が戻って来ると、雄は食欲を回復、俄然元気になったので、今日から公開することにした。
と言う経過で、この間の雄ハゲコウの悲しみは如何ほどだったのだろうか??

さて、もう一つの夫婦愛

4/12の毎日新聞の投書は、こんな内容だ。
「日々の生活にこれと言って不満があるわけでないのに、何故かここ数年毎日がむなしく感じられてならないのです。
そんな折、本欄などで「ラブラブ夫婦」の様子を読ませていただくたびに「まあ」と驚くばかりでした。

ある時、夫に「朝起きたら、挨拶をしましょう」と呼びかけてみました。
翌朝から「おはうございます」「おはよう」で一日が始まります。
でも、まだ何か寂しいのです。
そこである夜思い切って夫の寝床にそっと忍び込み「ねえ、年をとると寂しくて」と申しますと「確かにな」と言ってそっと抱いて下さいました。

 ただそれだけのことですが、心地よく嬉しかったです。
こんな告白(投書)をしてしまい夫に「恥ずかしいじゃないか」としかられそうですが、いいんです「仲良きことは美しきかな」ですもの。
私たちは、3年後金婚式を迎えます。」甲府市・主婦・71歳 

我が家はどうもハゲコウ夫婦のようで、亭主の想い届かずといった状況かな。?

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(21.4.11) 模様替え

 日毎に暖かさが増していく。
そのお蔭で、毎朝の散歩に着ていくものが1枚1枚少なくなり、薄く軽くなっていく。

 羽毛の防寒着からキルティングの防寒着に代えたと思ったら、今日はもう薄手のものでも十分だ。防寒用のズボンを脱ぎ、手袋に入れていたホカロンは流石に不要だ。さらに耳を隠す毛糸のスキー帽から野球帽へ。
それでも、今日は汗ばむほどの陽気だった。

 春というよりも初夏と言った方がいいほどだ。日本列島をすっぽりと覆う高気圧の勢力が強いため、このところの気温は春を通り越して一気に夏になったかのようだ。
この陽気はしばらく続くという予報だが、そうなると模様替えも少し早めにしなければならない。

 我が家では、まだコタツを愛用している。
いつも、コタツに入って、PCを打ったり、本を読んだり、ラジオを聞いたり時には居眠りをしたりしていたが、もうそろそろコタツともお別れする時期がやってきたようだ。

 狭い我が家では、コタツの置き場を確保するのに頭をなやます。
コタツをしまうためには、先ずその仕舞う先を確保しなければならないが、これが難題なのである。
今仕舞ってある寝具や布団を引っ張り出し、そこへコタツを仕舞うと、寝具を仕舞う場所がなくなるので、新たな場所を空けるためにそこにあるものを引っ張り出す、といった具合で、すべてが丸く収まるまでの場所探しは一大行事である。

 季節ごとに、こんなことを繰り返しながら、春が来た、夏が来たそして秋が、冬が来たと、そんな事柄に追われている。

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(21.4.9) 住宅難と食糧難

 雀は、春の繁殖時期には人家の近くに巣を作り、子育てを終える晩夏から秋には田んぼや畑に移動し、落ち穂や草の種を拾って生きている。
ツバメはご承知のとおり、春・日本にやってきて子育てをし、秋には南の国に帰っていく。

 最近お目にかかる鳥は、ヒヨドリ・椋鳥・カラス・野生化した伝書鳩・キジ鳩で着かず離れずの関係にあったやツバメにお目にかかるのが減ったのは何故だろうか?

 雀が減った理由は、巣作りが出来る瓦屋根の家がめっきり減ったことがあげられるだろう。雀の巣には最適の焼いた土瓦の家には滅多にお目にかからない。

 住宅の着工はどんどん進むのだが、安価で軽量なスレート瓦の家が殆んどを占めている。だがこの瓦屋根、雀のお宿には不適だ。人間様以上に雀の住宅探しは厳しい。

 ツバメ住宅事情は、巣の材料となる粘土質の土がなくなっていることがあげられる。道路も歩道もコンクリートで固められてしまっているからだ。
また、昨年作った巣を雀に先取りされることもあり、住宅難は全く見通しが立たない。

 また、人間どもがやたら殺虫剤をふりまくお蔭で、昆虫がめっきり減ってきた。
昆虫だけを餌とするツバメにとっては、死活問題なのだ。
雀もまた、子育てには、昆虫が殆んどである。

 住宅難と食糧難の二重苦に耐えられず、残念ながら命を落とすものも少なくないのだ。一説では、この20年間で半分に減っているという調査もあるという。

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(21.4.6) 食欲の春

 ラジオを聞いていたら「春霞」とか「霧」とか「もや」が春先に多いのは中国大陸からの「黄砂」のせいだということです。

 黄砂が春になると多くなるのは、黄砂の発生する一帯は冬の間は雪に覆われている。
しかし、その雪が溶け始める4月になると偏西風やモンスーンに乗って日本にも飛んでくるからだそうだ。

 日本人は古くから、この時期を「春霞」などとのどかな春の季語として詩歌に詠んでいるが、これはとんでもない悪ガキの仕業だった。
昔の人は、そんなこととはつゆ知らず、詠んだのだろうか、黄砂とはあまりありがたくない自然現象だ。

 野の恵みが出回る季節になった。
昨日、君津市大岩という所にある農作物販売所に行って、春のごちそうを買ってきた。
筍、セリ、ラデッシュ(赤いカブ)、フキなどである。
今夜の夕食に早速いただいた。
筍は米ぬかで灰汁抜きをしたあと、生揚げと一緒に煮付けた。
芹も茹でて、清水で灰汁を抜き、油揚げと煮付ける。
ラディッシュは、薄くきり塩で揉んでもよし、そのまま醤油で食べてもいい。

 八百屋さんにも春の食物が出始めたが、この時期私は妻と息抜きとドライブを兼ねて、産直野菜を買いに出ることにしている。

 芹、三つ葉、蕨、筍、カブ、ラディッシュ(赤株)、ウド、フキ、スナックエンドウ、グリーンピース、サヤエンドウ、菜花、新キャベツ、新ジャガ芋、新玉葱、新ネギなどなど。
野の恵みだけでなく、海や川の幸も賑わう。
ニジマス、ヤマメ、鮎、新ワカメ、鰆も春ならではの食べ物だ。

 野の恵みは、それぞれに料理方法は異なるが、さっと茹でて、醤油をかけるだけでいい。甘みを感じさせたり、ちょっとえぐみがあったりで、春の歯ごたえを感じさせてくれる。

 まさに食欲の秋どころか、食欲の春である。

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(21.4.3) 年度代わりの日記から

2009年4月1日(水)雨、曇、雹 最高13.4 最低5.7 雨量15.5mm

前回、50年余り前の、4月の思い出を紹介したが、今日(4/1)もまた、記録すべき日になった。

朝、目が覚め、トイレに立ったついでに空を見たが、生憎の雨、散歩は中止し、もう一寝入りし、目覚めたのが8時だった。昼近くに雨が上がり、2時過ぎには陽が射してきた。
3時すぎ、コタツに入ってパソコンを打っていたらいつの間にか昼寝を1時間ほどしていた。

 4時半過ぎに、空が一転し、急に雨が降り出し、そのうちに「」が降って来はじめた。雹はあっという間に一帯を真っ白にするほど激しい降り方だった。
外に出て確かめたが、大きさは0.5~0.8mmほどもある大物だった。
こんなに激しい、そして大粒の雹を見たのは私の生涯でも初めてのこと、記録すべき出来事だ。

 夕刊にはこんな記事もあった。
美少年酒造の社長が「カビ等に汚染された米を知らずに買わされ、製造した酒が売り物ならないので大損をした」などと記者会見していたが、実は自らが自作自演の狂言劇だった、という話だ。
汚染米だと知っていて、販売先の業者からキックバックとして年に150万円から200万円を貰っていたというのが真相だ。会社名を「厚顔の醜老人酒造」と変えるよう進言したい。

 夜、録画しておいた日本語吹き替版ローマの休日」を見た。
白黒映画だが王女役のオードリー・ヘップバーンの美しいこと、本当に存在していたかのような夢物語である。何度見ても楽しい。

2009年4月2日(木)雨、晴 最高15.6 最低4.5 雨量12.5mm
 目覚めると雨が降っている。今日も散歩はお休みだ。午後には晴れるとの予報だが。
昨日の雹で、パンジーの花が傷んでいた。酷い降りだったからなぁ。

 雨は午前中にあがった。13時過ぎ、少し腹ごしらえをしてから散歩に出た。
真っ青な空に、ポッカリ浮かんだ綿菓子のような真っ白な雲、こんなにすっきり晴れ上がった空はこのところ見たことがない。
空を見上げながらの散歩の楽しいこと、風はまだ少し強かったが、汗ばむ肌には気持ちが良かった。

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(21.4.1)3月・4月は別れと出会いの季節

3月・4月は別れと出会いの季節、思い出は悲喜こもごもです。。

学校との別れは、教師やクラスメイトとの別れでもあり、学業との別れでもあり、親からの別れなどがある一方で、4月の新しい出会いがあります。
社会人としてのスタートの入社、あるいは入学、進級などの思い出の多いものです。

 私の4月は、やはり社会人としてのスタートが最も印象に残っています。
両親を失い、兄姉に育てられてきた私は、早く自分の稼ぎで独立したいものだと思いながらも、ずっとガマンガマンで中・高校時代を過ごしてきた。

 ともかくも高校を卒業し、誇れる企業に就職も果たした。
さあ、今日からは、兄や姉にこき使われなくてもいいのぞ!。
「○○を買うのでお小遣いを下さい」いちいち理由を言わなければならなかった。
そのときの、あの悔しさ惨めさを、今日からは味わわなくてもいいんだ、そんな思いの4月だった。

 通勤途上の電車内で、初めて同じ新入女子社員と話をしたのも、4月だった。
そうだこれからは、彼女を作るのだって、遊ぶのだってオレの自由なんだ。
そんな喜びを、感じながら、毎朝の通勤が楽しくなったのも4月だった。
自分の稼ぎで、自由に遊ぶことも出来るのだ。ヤッターという気持ちの4月だった。

 でもそんな、楽しいことばかりのものではないことを悟ったのも、4月だった。
先輩のお古の自転車での外勤作業の厳しさは、泣きたかった。雨に耐え、風に耐え、恥ずかしさにも耐えることを味わったのも仕事をつうじての4月だった。

 ミスにおびえていたが、暖かく包み込むようにしてくれた先輩に出会ったのもまた4月だった。その一方で何故か分からないまま、厳しいしかりを体験したのも4月だった。いわゆる、無理へんにゲンコツという先輩もいることを知ったのだった。

 50年も前の出来事、今思い出すと悲喜こもごも、私にとっては、懐かしい思い出の月、4月です。

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