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2009年2月

(21.2.28) Sご夫婦から冷やかされました

 1週間ぶりにお日様に会えるかと思ったのですが、やっぱり今日も太陽はお隠れになって、私たちの前には姿を現しませんでした。
1週間も連続して日が射さないなどと言うことは珍しいことです。
でも、北陸の国々では冬の季節、陽は射さず、雪がしんしんと降り続く日が続くのでしょうか?
私にはとても我慢が出来そうにもありません。

 さて、今朝は泉谷公園の森の上の方に済む「Sご夫妻」にお会いしました。
ご主人は陽気な方でいつも「元気かい」とか「頑張っているね」などと声をかけてすれ違います。
夫妻で、ラブラドール犬を散歩させているのですが、最近は犬の体力が弱ってきたとかで、あまり見かけませんが、ご主人の休日には、ご夫妻で仲むつまじく散歩している方です。(山崎さんの自宅からは目と鼻の距離の所にお住まいです

 今朝はいきなり「青梅を2時間11分で走ったんだって、すごいじゃない」と言うのです。
えっ」と聞き返すと「ブログを見ましたよ」というのです。
もう何十年も昔のことですよ」と私。

 そんな出会いがありました。
今朝は、Sさんの励ましで、すっきりしない天気の下でしたが、気分は晴れ晴れ。

 こんな身近な所に、私のブログを読んでくれていた人がいたのだと、一人悦に入っていました

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(21.2.25) 春の息吹

 今朝は寝坊してしまい、散歩に出たのが8時に近かった。
外に出て最初に感じたことは、空の暗いこと。
今にも泣き出しそうな空、しばらく歩くと何と街頭が点灯している。今朝の空は
日暮れ時のような暗さだったからだろう。
朝からこんな天気では、とてもやるせない気分になっても、致し方ない。
昨日も一日中、はっきりしない空模様だったから、なおさらだ。

 そんな天気だったが、はるの道にある桜の枝先が大きくなっているのを発見した。
春を感じ、蕾をふくらまし始めたのだ。
私は、ただ寒い寒いと縮こまってばかりいるが、彼らは誰に教えてもらうでもなく、その時期合わせて、春への準備を怠らない。
そうした繰り返しを、もう何度繰り返して、私たちを楽しませてくれたか。

 そういえば、2,3日前にはヒバリが大空を羽ばたき「春だよー・春だよー」と
さえずっていたっけ。
白鳥たちの「北帰行」が始まる時期が迫ってきた。

寒さも、もう少しの我慢だ」と自分に言い聞かせた。

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(21.2.21) 馬頭琴の音色は遠く

Caj49uo4caajntcscauqj0mvcaa659c2c_2  モンゴルの弦楽器『馬頭琴』。力強さと繊細さを合わせもつ魅力的な楽器です。小さな音楽会が催され初めて出会いました。

形は三味線に似ていますが、厚みや大きさは馬頭琴の方がお兄さん格です。円みはなく角はそのままで素朴なフォルムをしていて、サオの先端に馬の彫刻があります。膝と太ももに挟んで固定させ、ヴァイオリンの弓のようなもので弦をひいて音をだします。音色はヴァイオリンに似ていますが洗練された音ではなく、力強く飾らない親しみがもてる音です。

モンゴルを旅をしたことはありませんからテレビや雑誌からのイメージですが、大草原と遥か彼方に連なる白き山々を想像させる音色にたちまち包み込まれ魅了されてしまいました。

15日(日)の夕食の話題はもちろん午後の小さな音楽会。モンゴル人のご主人に奥様は日本人。ご夫婦の本物の演奏が聴けてお話しも出来たし、午前中は駅伝ボランティアに参加させてもらい、とても充実した良い一日になりました。気分は最高だったのですが、なにやら暗雲が立ち込めてきたようです。

うん?元気ないね。どうしたの?真っ赤な顔しちゃって。お熱かな?ありゃりゃ。こりゃ凄い!おお!39度もあるよ!

娘の食欲は既になく、バタバタとお布団を敷き、オデコに冷シップを張り付ける。水分補給に湿気の確保。
そうかぁ。私が馬頭琴の音色に包まれ夢心地でいた頃、娘は、インフルエンザウィルスに包み込まれ、怪しい不協和音を体内で演奏され始めていたわけね。

今はff(フォルテシモ)の勢いで熱がふきだしている。曲目は悲しい短調なのにffは不釣り合いだわ。早く熱が下がりますように!

時は深夜。高熱を心配しながら思いました。草原を吹き渡る風のような速さで馬頭琴の音色は遠く去って行ってしまったのだと。素朴で美しく力強い音色が今も耳に残り疲れた身体をそっと優しい温もりで包んで、暖めてくれます。こういう感覚は初めてです。

演奏中に呼吸合わせをするご夫婦の眼差しは愛情に溢れ、温かかった。特にご主人は馬頭琴を奏でる悦びと奥様への愛情に満ち溢れ楽しく快活でした。その様子が心に残り不思議な温もりとなって私を癒してくれたのでしょう

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(21.2.19) 梅に思う

 梅が真っ盛りである。

 梅には白梅、紅梅、緑梅、そして黄色(蝋梅)の4種があるという。
緑梅はあまり見たことがないかも知れないが、実はその梅があるのだ。
正式には「緑萼梅」と言うらしいが、私の散歩コースである、扇田小学校の横を流れるセセラギに沿って有吉公園方面に向かう途中に2本だけ、今その梅が咲いている。

 梅の原産は、中国で7世紀後半に渡来したと推測される。ウメはアンズ属に分類されている
ウメを中国名では「烏梅」と書き「ウメイ」と発音する。この呼び名で日本に渡来したが、その後ウメイはムメと誤って発音されるようになったと考えられている。

 明治時代には、ウメムメの両方で呼ばれていたが、どちらが主流として使われていたかははっきりしていない。
花弁の基本的な数は5枚であるが、6~8枚の花弁を持つものや八重咲き品種もある。実の大きさも5g~50g以上のものまである。

東風ふかば 匂いよこせよ梅の花
あるじなしとて 春を忘るな


 菅原道実が延喜元年(901年)筑紫の太宰府に左遷させられることになったとき庭の紅梅に名残を惜しんで詠んだ歌として有名だが、太宰府に着くと、紅梅の一枝が飛んできて、太宰府の庭に根付いたと伝えられている。
後世この梅は「菅公の飛梅」と呼ばれ、今日も太宰府神社に伝えられている。
ただ、途中から白梅種にかえられてしまっている。

 鎌倉・室町時代に造庭、茶道、華道の興隆とともに梅の植栽も広まり観賞も盛んになり、江戸時代に栽培はピークを迎えた。
と、「朝日百科植物の世界」№5に説明があった。

 私の母の戸籍上の名前は「ムメヨ」でした。母は2月生まれだったので、本当は「ウメヨ」だったのだが、いつの間にか「ムメヨ」になったのだと言っていた。
が、上記の説明でウメヨがムメヨになってしまったという理由が、今になって分かったような気がする。

 母が亡くなったのは、私が中学2年の時だから、あれから56年も過ぎている。
名前の由来を尋ねることも出来ないが、もしたずねることが出来たらたら、母は何と言うだろうか。「馬鹿息子よ、今頃何を言う」と叱られるに違いない。
せめて、梅の季節に亡き母を思い出してみるのも、供養になるかも?と思っている。

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(21.2.18) 春の陽射し

 暖かかった2/14日に比べると一気に10℃以上も下がり、最低気温にさえ届かない。
あの暖気はどこにいってしまったのだろう?
陽は射しているのだが風の影響で暖気も吹き飛ばされてしまったのだろうか、寒さが一段と厳しく感じられる。

 でも、ガラス戸越しの陽の光がとても気持ちいい。
日中の時間がだんだん長くなってきた。それを知っているかのように、庭では黄色のクロッカス、赤とピンクのボケ、紅梅、黄色・濃紫・薄紫・黄色などのパンジー、水仙が咲き競っている。
小さな庭だが、花たちが季節の彩りを届けてくれている。

 日を浴びて、朝干した白菜がしんなりしてきた。これで、漬け物ができるぞ。
この時期の漬け物は、白菜しかないが、甘みもしっかり感じることが出来る。
これで私の夜なべが、一つ増えた感じだ。

 さあお昼が近づいたので、サツマイモを蒸かした。
熱い湯気の立ち上る芋の皮を剥き、塩をふりかけて、食べる。
食糧事情の悪かった子供の頃は、お米だけのご飯が食べたくて「芋ご飯なんか要らない」と言って母を困らせた思い出もよみがえってくる。

米余りの今日は、お芋は贅沢品(?)なみに、甘みもこくもあり、体も温まり美味しい。
あのときのお芋は、こんなには美味しくなかったのだが

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(21.2.18) 青梅マラソンの思い出

 今年も2月15日に「青梅マラソン」が開催された。
この青梅マラソンは私にとっては忘れられない思い出のマラソンコースである。

 私が最初に青梅・報知マラソンに出場したのは1974年(昭和49年)2月17日に行われた第8回大会、34歳のおりである。
出場した30Kmレースのタイムは2時間11分38秒だった。
初出場としては、上出来のタイムだったと思っている。

 私にとって30Kmレースは、生まれて初めての経験でしたから、果たして完走できるだろうか?という不安が、頭の中を巡っていたが、見事に完走し、「完走賞」をもらってきた。
完走賞などと言っても、小さな紙切れ1枚だが、今も私の宝物の1つとして大切に保管してある。

 以来、6~7回連続して出場しているが、巷でもマラソン熱が高揚してきてだんだんと出場者も多くなり、出場者を制限し、抽選で決めるようになってから、何となく興味が薄れてきて、青梅には参加しなくなってしまった。

 30Kmを完走するために、月1回のマラソン教室に通い、初心者同士で激励し合いながらその日を待った。
青梅マラソンを完走したことで、味をしめた私は、関東一円で開催されるマラソン大会に参加するようになっていった。

 10年間ほどはタイムを競い合い、出場した大会を語り、互いに切磋琢磨してきたが、仲間内でもやはりその情熱を次第に失う人が多くなっていった。
マンネリや体力の衰え、他の仕事で多忙になった、などの理由からであったが、私もその例にもれず、次第に情熱を失い、レースに出場するのではなく健康マラソンを目指すように変わっていった。

 2000年、定年を迎えてからというもの、走る意欲が減退し(ドクターストップもあって)走るから歩くことに切り替えて、今日に及んでいる。

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(21.2.13) 春を探して

 立春も過ぎ今日は、春を思わすような暖かさでしたね。
でも三寒四温、まだまだ寒い日もあり、油断すると風邪をひきやすいものです。
インフルエンザも、まだ下火にはなっていないようです。

♪春よ来い、早く来い、の気分ですね。

 四季の道で春を捜してみましたが、ろうばいが終わりに近づき、梅が満開になっているくらいしか目につきませんでした。
ウグイスヒバリもまだのようです。
我が家の生け垣にシジュウカラが来て、枝の間で何かをついばんでいました。
隣家の屋根に、久しぶりに雀が二羽、互いに鳴き交わしていました。

 春を表す漢字を捜してみました。
結構あるものですね。やはり、春が来ないか、早く来い、春をと待ちこがれる表れが、こんなに多くの言葉となっているのでしょうか。

小春、春一番、春の七草、春告鳥(ウグイス)、春告魚(ニシン)、花粉症
小春日和(これは冬の季語)、思春期、春画、春分の日、春風駘蕩
春雷、春雨、春嵐、春曇、春風、春霞、春宵、春月、春光、春分、春眠、早春、
晩春、春秋、春色、立春、新春、初春、早春、陽春、暮春、青春、春季、春寒、
行く春、春菊、春蘭、春闘、春蝉、春蚕、春駒、駿馬

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(21.2.10) 漬け物

 我が家で1年を通して最も活躍している器と言ったら「卓上漬け物器」だろうか。

この時期は、漬け物器で白菜を2日おきくらいに漬け込んでいるからだ。
漬け物器がフル活動しているお陰で、漬け物は殆ど買ったことがない。

例えば我が家の白菜漬けの場合はこうだ。
材料は、白菜7~8枚、リンゴの皮1個分、唐辛子、塩である。
漬け方は
1、白菜は1皮ごとに剥がし、縦に半分に切って、半日間陽に干す。
2、干した白菜は3~4cmの長さに切り、漬け物器に入れる。
3、適量の塩をまぶしながら、手で押しつける。
4、リンゴの皮を入れ、干し唐辛子を適度にまぶす。
5、漬け物器で押しつけ、このまま、3時間ほど置く。
6、漬け物器を開けて、漬け物の素を適量入れるが、このときに水が上がっているかを確認する。水が上がっていない場合は、塩が不足しているので追加する。
7、翌日の夕方には、漬け物の出来上がり。


 リンゴの皮の代わりに、ゆずを刻んで入れてもよし、乾燥させたミカンの皮を入れても香りがよくなるでしょう。

我が家では、白菜に限らず、野菜の出回る時期に合わせて、かぶ、キュウリ、瓜、セロリ、キャベツなどを、卓上漬け物器で漬けこんでいる。(漬け方は、白菜とほぼ同じ)

 この作業、妻におだてながらやっているうちにいつの間にやら主夫見習いの私の仕事になっている。

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(21.2.8) 風邪の後先

 「お母さんは?」
 梅の花がチラホラ。庭先で初午のお獅子が呼んでいる。いや、正確にはお獅子を操る近所のオジサンが呼んでるのだ。この強風の中、庭先にでたら風邪がぶり返す。怖くて出る気がしない。娘にその旨告げているので守備よく伝わったようだ。

 小さい頃、お獅子に度肝を抜かれ泣きまくっていた彼女も今は全く落ち着いたものだ。
テレビ三昧とは言わなかったよ。」だって。そういうところも、確かに成長しているねぇ。成長過程の若い人は毎日変化があってそれだけで楽しい。こんな風に感じる私もそれなりに変化している。変化の形態がちょっと違うけどね。

 カフェ好き、話し好き、新聞・雑誌好きの私。風邪で1ヶ月ご無沙汰していたので友人を連れ久しぶりに行って来た。何時ものカウンターに並んで座り店長さんを交えて暫し歓談。合間にお茶を一口。
「ふぁー。」吹き抜けの部屋は広くて気持ちが善い。和かい午後の陽射しがガラシ越しに春の訪れを感じさせる。長い風邪引き生活からやっと開放された実感を噛み締める。


 風邪の後、外出は殆どなくなってその時間は娘とのコミュニケーションに当てている。母業の見直し。本来の母子の姿になった。
うるさいけど優しい母』私の好きな母親像になりつつある。自己満足。電気代節約の為、過ごす部屋、お風呂は一緒にして、その日の出来事を報告しあう。

 子育てって日常生活の監督だわね。勉強、整理整頓、言葉遣い、風邪対策。今、何を感じているのか常に気に掛けていたいものだ。関心を寄せられると大人だって嬉しい。出来ればおばあちゃんになった私に深い関心を寄せて貰いたい。もう肉親の愛情しか無いのだから。でも期待は程々に。今まで以上に話し掛けを増やして楽しむことにしよう。


 時に、風邪を引いた恩恵にあずかるということかしら。苦しい思いをした後は落ち着いた時間が大切に感じられる。

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(21.2.8) 初午

 1月11日と26日39度近い熱が出て副鼻腔炎・中耳炎と進んでしまい、主婦の仕事も満足に出来ず歯がゆい思いで暮らしてきた。左の鼻の具合がまだ良くないが発熱以来今が一番普段に近い状態でホッとしている。

 2月に入り今日(8日)は初午。神社で神主様による神事が行われた後、お獅子とお囃子が町内の各家庭を巡り無病息災を願う。

   たいこ教室の子供達もお囃子に参加させてもらえる。久々に笛や太鼓の音が町内に響き渡るので気持ちもはずむ。今年もお獅子に頭をパクパクしてもらおうかしら。

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(21.2.8) やっぱり、麻生首相はおぼっちゃま

 今日(2/07)付夕刊に、麻生首相の庶民感覚とは、あまりにもかけ離れた実態の一部が紹介されていた。
記事には、首相は港区の明治神宮近くのテーラーで年に4、5着、上下で25万円~30万円相当の背広を注文しており、他にも27万円の仮縫いのブレザーもあったとか。

 同記事に寄れば、麻生氏が、初めて同店を訪れたのは、学習院大学時代の45年ほど前のこと。吉田元首相の3女で母親の和子さんに連れられて以来のつきあいだそうです。

 最近購入した物は、30万円以上もするオールカシミヤのジャケット、矢がすり柄のジャケット16万円、7~8万円のズボン、メーカーは英国スコットランドの有名メーカー製だという。

 何を隠そう私も実は、麻生首相と同い年の、オン年68歳になります。
出身は九州の片田舎で、食うや食わずのドン百姓の3男坊、こんなぼんくらと天下の総理大臣とを比較するなどと言うことは、畏れ多いこと、無礼千万に当たりますが、それにしても、この格差、贅沢なお暮らしだと思いました。

 私は高校を18歳で卒業し、満60歳まで42年間働いて来ましたが、私が身につけていた背広は、既製品でたかだか3万円そこそこ。年に1着を購入できればいい方で、着た切り雀でした。

 そんな給料でしたから、定年後の私たち夫婦で受け取る年金を合計しても、麻生首相の背広1着分には、遠く遠く及びません。

 総理大臣には、それなりに相応しい「暮らし」もあるでしょうが、出来る限り庶民の目線で政治をつかさどって欲しいと思います。
でも、背広1着をとりあげてみても、これでは「庶民感覚」の生活ぶりを理解できるわけがないですよね。

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(21.2.6) 光の春

 その昔NHKの気象キャスターをしていた「倉嶋 厚」著に「人文気象ノート・日和見の辞典」という本がある。
私は折に触れ、読み返すことがあるのだが、何度読み返しても面白い。

 例えば今の季節「光の春」では

季節感は光と気温の面から見ると納得出来ることが多い。光は季節の原因、気温は結果である。冬至を過ぎれば『光の季節』は春に向かっている。しかし、気温が光の変化に対応するには時間がかかるので、寒さのどん底は1月、2月にズレ込む。

 日本では『冬至、冬なか、冬はじめ』と言い表してきた。ロシアでは『太陽は夏に向かうが、寒さはいよいよ厳しい』と言う。
人々は、つのる寒さの中で「日脚の伸び」に春の接近を予感してきた。

 2月初めの日脚の伸びは、東京では10日間に20分だが、モスクワでは40分も伸び厳しい寒さの中で、光の変化に遠い春の歩みよりを感じることは、北国ほど著しい。

 光の春は、小鳥たちのホルモンを刺激して『恋のさえずり』を促すのは、気温の上昇よりは、光の強まりだ。

 2月14日のバレンタインデーには、小鳥も番(つがい)になると言われ、これが女性からの求愛の日に結びついた。
日本でも立春を過ぎると、小鳥たちも恋の季節に『声変わり』をする。

 ところで、季節の変化の原因である光は、規則正しくなだらかに変化するが、気温の方は寒暖が入り乱れて進行し、時には逆流現象が起きることもある」


 若く元気な頃は「冬来たりなば、春とうからじ」と寒さをはねのけてきたが、年を取った最近は、寒さが一段と厳しく肌に突き刺さるようにさえ思えるようになってきた。

 散歩の途中で出会う小さな小鳥たち、彼らも春の近いのを感じ取り、伴侶捜しに忙しく飛び回っているのだろうか。

 一方老いた私の散歩は、小鳥のような伴侶探しの光の春は不要で、暖かな春の陽射しの方が待ち遠しくてたまらない。

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(21.2.2) 日の出の時間

 昨夜はNHKの「ラジオ深夜便」を聞きながら床に入った。
ラジオ深夜便は毎夜、11時15分から翌日の午前5時まで放送される番組である。
数年前は、毎晩これを聞いて(11時15分から12時までの間だけ)眠りに就いていた。

 最近は12時近くまでも起きている用事もなければ、睡魔に襲われてとても起きておれなくなったので中断していた。
が、このところ、なかなか眠りにつけないことがあったので、ラジオを耳元に置いてみた。

 今夜は司会が元NHKのアナだった「宇田川清江さん」とゲストが「青柳英助さん」だった。大ベテランの宇田川さん、青柳さんの軽妙な映画の紹介がとても良かった。
青柳さんが是非にと紹介をしてくれたのが「旭山動物園物語」だった。

 現在、大人気になっている「旭山動物園」の誕生、日常の動物とのふれあいは動物ではなく我が子を育てるというように感じた、と言う紹介でした。
動物を人が見やすくと言うことでなく、どうしたら動物が安心して過ごせるかという観点から、動物舎を作ったという。

 2/7から、シネマックスちはら台で上映されることになっていますので、私は是非とも行って来ようと思いました

さて、次は11時55分から、日本各地の日の出時間の紹介です。
2/2の日の出時間は、以下の通りです。
札幌 6:49
仙台 :6:41
東京 6:40
名古屋 6:51
大阪 6:56
松山 7:07
広島 7:07
鳥取 7:05
福岡 7:14
那覇 7:13


何と東京が最も早い日の出になっていました。
ごぞんじでしたか?
さて、1ヶ月後の各地の日の出時間はどう変化しているでしょうか?
エッと驚くことと思います。お楽しみに。

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(21.2.1) オバマ氏のメッセージ(香山リカ精神科医)の一文

 1/28付、毎日朝刊に、精神科医「香山リカ」さんの連載にこんな一文(要旨)が
掲載されていた。

第44代・米国大統領になったオバマ氏、彼にだって挫折はあっただろう。
父親の事故死、母親の再婚とハワイへの移住、人種の壁もあったはずだ。
全く挫折を知らず、傷ついたこともない、と考えるのは間違いだ。

 大切なのは、落ち込んだり傷ついたりしても、そこから自分を立て直す回復力だ。
嬉しいと思う回数と、ああ辛いと思う回数を数えることが出来たら、人生全体では後者の方が多いだろうか。
だとしたら、挫折や失敗をなるべく避けることに莫大な時間と労力を使って暮らすより「それは生きていれば当然のこと」と受け入れる方がずっと楽な気がする。

 落ち込んだら、なるべく早くそこから浮上出来るように自分を励ませばいいのだ。
おそらくオバマ氏は、傷ついたり落ち込んだりしない人ではなく、そうなってもその後、また気持ちを上向きにするのが、上手なのではないだろうか。

 大切なのは失敗しないことではなく、失敗を認め、その後どうやって立ち直るかと言うこと。
私が、オバマ氏の就任演説から受けとったのは、こういうメッセージだった」


 日本風にいえば七転び八起き」というのだろうか。
私の人生でも小さいながらも成功したことや、沢山の失敗を積み重ねて今日があるのだと思う。
よく「失敗から学ぶ」と言うことを聞くが、あまり失敗にくよくよしていると次のステップを踏み出せないからだろう。
次のステップを踏み出せなければ、決して成功はしないのだから。

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